Kan-Kan の雑記帳


2002年11月24日

近畿あちこち

 初めて柳生の里を訪れました。奈良市内、般若寺から車で東へ10分余り、谷深い里のイメージを持っていたのですが、それとは異なり、伸びやかで明るい山里です。山は低くなだらかで、黄葉(紅葉は少ない)が美しい。ドライブコースとしても、起伏が少なく、カーブもゆるやかで走りやすい。棚田や民家も風情があります。そして、こちらも来年に宮本武蔵ブームを先取りして、それにちなんだ看板や立て札が多くありました。

 「蕎麦祭り」をしていたのですが、寄りたかったなあ。車なので、地酒が飲めなかったのも残念。

 それから、引き返して、京奈和道路に乗って、宇治の姉の家まで走る。姪の遺稿集の校正に行ったのですが、桃山御陵の黄葉も見ごろでした。来年度以降に閉園が決ったキャッスルランドの桃山城(取り壊されるらしい)が、こころなしか寂しそうでした。

2002年11月19日

 やっと夏服を整理、冬物を出して、そのついでに部屋も整理。本を50冊ほど、古本屋に出そうか迷った末に、羽曳野図書館へ持ってゆく。これで4〜5回目。ところが今度は対応がイマイチ。男性職員が、そこの書類に記入して、置いて帰ってというすげない態度。確かに処分の色合いはあるけれど、古本屋では、一応数千円にはなるものだから、御礼のひとつもあっていいのでは。

 一応帰りかけたけど、むかついたので、ビデオと本を借りて、ぶっきらぼうにカウンターへ持ってゆく。隣にいた女性職員がさきほどはありがとうございました、大切に使わせていただきますと声をかけてくれる。先程の対応を気にしつつ見ていたのだろう。ちょっと心が凪ぐ。早まって抗議文など書かなくてよかった。

近畿あちこち

法隆寺の秋空

 17日テニス仲間と斑鳩の友人のテニスサークルとの親善試合に出かける。藤井寺インターから30分。テニスコートは法隆寺のまさに100メートル隣。早く着いたので、みんなで山門前で記念撮影。雲ひとつない空に、五重塔、金堂が聳え、松並木の緑も美しい。端正な寺です。境内の紅葉も盛り、みんな大喜び。大阪からは近いけど、めったに行かないところなのですね。実は私も10年ぶり。今度は改めて美しい御仏に会いに来ましょう。試合はビールを飲みつつ和やかに、あとで豚汁の接待にもあずかり、みんなさらに大満足。再会を約して3時半解散。それから大阪ドームのポール・マッカートニー公演に走ったのです。

 それにしても、ダブルスの試合でパートナーのラケットが当たった左手甲の腫れがまだ引きません。

2002年11月17日

ポール・マッカートニー公演

 大阪ドームはアリーナ席も含め超満員。(18日は残席あるらしい)20分遅れて開演。大きな風船やオブジェの飛行や、ビクトリア朝の貴婦人の行列、タイや日本の芸者の踊り、カンフー、大道芸などわけのわからぬ長い派手なパフォーマンス(世界の芸能の結集がここにあると言いたいのかな?)で引っ張って、舞台奥からシルエットでポール登場。以前より体も締まり、顔つきも引き締まって(前はたるんで、不健康な感じだった)若々しい。声もよく出ている。結婚の効果かな?

 いきなり「ハローグッドバイ」から入る。新曲に、懐かしいビートルズ時代の曲も混ぜて、30数曲、3時間、休憩無し、水も補給しないで歌い続ける。それも名曲ばかり・・・。「死ぬのは奴らだ」で派手に花火を打ち上げ、一転蝋燭の下でしっとり「レットイットビー」、ラストソングは「ヘイジュード」の大合唱、アンコールは「ロングアアンドワインディングロード」から、そして2度目のアンコールで「イエスタディ」60才にして、このパワー、同時通訳字幕の入る巨大スクリーンがあるのに、日本語を多用して、ファンサービスも徹底している。エライ!

 バックの演奏(ドラムスの力強さはものすごい)もハーモニーも見事で、世界最高水準の舞台を見た感じ。ロックのコンサートなのにやかましくないのも、ミキシングなどがすばらしいということもあるのでしょうか・・・。あのポールを数十メートル近くで見られたのだけでもよかったのに、期待以上の演奏に堪能、たくさん持ち込んだ酒もあまり飲まなかった一夕でした。

2002年11月15日

 こころ鬱屈する日は大阪に出て、人ごみに埋もれる。大阪駅前近くのガード下。電車が通るとガタガタ揺れる、焼酎専門店。「めざし」をあてに麦焼酎のお湯割りを啜りながら、常連客の話に耳を傾ける。12月中旬に恒例の餅つき大会を、どこそこの駐車場を借りてやるとか、今年も不景気だから忘年会は絞ってゆくとか、外せないあの忘年会は今年は12時開宴7時(朝の)お開きで、かくし芸大会の準備が大変だと・・・お前なににする?私は三線(さんしん)を練習しているんだけどイマイチ・・・注文以外ひとことも話さず、このように弾む会話を聞いていると心が癒されてくる。

中国への旅 7

 外務省から姪の死を告げる連絡のあった翌日(1999年1月26日)、姉夫婦と父はあわただしく中国へ旅立って行きました。それからの4日間、その留守宅に篭って(半日、実力考査の解答用紙を取りに出勤)、中国との、そして外部との連絡に明け暮れたのですが、かつて、海外で事件が起こったとき、留守宅にマスコミが押し寄せて、そのとき「今はなにもいえません、そっとしておいてください」という親戚の方の言葉が報道されていましたが、まさか今回、自分がそれを発するとは思いも至りませんでした。

 1月25日までは報道管制が引かれていたようです。それをまず香港の新聞がスッパ抜いて、それをうけて、関西の新聞が動きはじめました。これもいつものパターンですね。電話攻勢はもちろん、家に来るという連絡はかたくなに断り、すでに、そこまで来ているという社には、近くの私鉄の駅前まで押し返して、会った上で取材拒否しました。もちろん事情が事情ということもあり(事実がわかっていないということがいちばん)、近所や、知人にいらぬ迷惑をかけたくないというのもありました。

 翌日、逃亡中の犯人が楽山市内で逮捕の報が入りました。姉達は遺体と対面し、荼毘に付して、遺骨を北京経由で持ち帰るとの連絡あり。殺された姪のパスポートは無事、金だけが取られていて、その額1万5千円。

 姉の家の近くに置いていた私の車が、不審に思われた近所の人の通報(ごもっとも)で、駐車違反に。罰金1万5千円。伏見警察に払い込みに行き、警察に同情される。

 1月29日、やつれはてた3人が遺骨と共に帰国。京都駅に迎えに行く。

2002年11月11日

近畿あちこち

 11月9日、木枯らしの吹きすさぶ夜、神戸ポートアイランドに出かける。嫁ハンのポートピアホテルでのライブ。寒くて人が少ないのではと、いらん心配をして、疲れた体を姫路行きの満員の新快速に乗せる。三宮で降りて、送迎バスに乗り換える。ポートピアランドも閉園が決まり、周囲も暗くてなにや寂しい風情。しかし、ホテルはさすがに堂々と聳えている。「キーノーツ」という3Fのラウンジは、かつて、ディスコでもあった広いフロア。それでもある程度人が入り、前回とちった嫁ハンも、今度はまあまあ歌いきって一安心。帰りは荷物もち。家の近くのコンビニで、あてを買って帰り、一杯飲んで休む。寒かった。

 10日、午後から友人と滋賀県守山へ。秋晴れの名神を気持ちよく走ること1時間半。栗東インターで降りて10分。ひろびろとした土地にゆったりした街並み。初めての町。近江冨士がなだらかな姿を平地から立ち上がらせ、琵琶湖の向こうに雪をいただいた比良の山々が望まれる。琵琶湖大橋の東の付け根。人口6万とか。いいとこです。迎えてくれた友人(正確には友人の友人)のマンションは趣味のよい3LDKの住まいで、持って行った羽曳野の酒と、用意してくれていた瀬戸内の魚(鯛、アナゴその他、料理は料亭の味を超えていた)で遅くまで盛り上がる。良い人々との新しい出会いが、生きていてよかったなあと思わせてくれます。例によって後半憶えていないのが、残念。

2002年11月7日

大阪よいとこ

上町台地南部

 11月2日、文学散歩と称して、大阪市内を歩く集いに参加。住吉大社に集合して、帝塚山古墳、阿倍野神社、天神の森、天下茶屋跡、聖天山古墳、正円寺、松虫塚、安倍清明神社、北畠顕家墓所、梶井基次郎終焉の地と歩きまくる。安倍清明ブームもあって、関連の地はかなり人が来ているみたい。すべて、住宅地になって、昔をしのぶのはちと苦しいが、文楽や、昔サーカスなどで親しんだ信太山の伝説の地を歩くのは楽しい。清明の父親の「保名(やすな)」の名前を付けた郵便局があるのも面白い。

 「あべの」(いろんな漢字があるので、最近はひらがなになっているらしい)で解散。3時に終わったのに、家に帰ったのが12時なのは何故?
   歌舞伎 カブキ

平成中村座「法界坊」

 11月3日、この秋の話題、平成中村座に行ってきました。扇町公園内に出来た仮設テントの小屋は、木を多く使って、江戸の風情をたっぷりうまく取り込んだ造り。その小ささがいい。舞台の中も見える2階席(桜席)を取ろうとしたが、かなわず(キップが取れただけでもラッキー)、それでも2階上手の席で8000円は安いと思わせる舞台でした。ちなみに2階正面はお大尽席で3万円、そのかわり食事、役者(勘九郎じきじき)のもてなしサービスつき。

 舞台と客席が近く、役者も乗りやすく、大熱演で、勘九郎は縦横無尽の活躍。「法界坊」という小悪党を愛嬌たっぷりに演じきりました。熱気溢れる芝居で、客席は大のり。異例のカーテンコールまである始末。ひとえにアングラ出身の串田和美さんを監督に迎え、笹野高史という歌舞伎外の役者まで呼んで、勝負をかけた勘九郎の意欲の結実といえましょう。乗せられ過ぎましたが、行ってよかった。

2002年11月5日

 金剛山に初雪。夏から一気に秋を通り越して、冬がやって来るのでしょうか?2年前までは、葛城、金剛を左手に、岩湧山を正面に見ながら通勤していました。冬はそれぞれに雪をいただいた姿を楽しんでいました。今は、大和川を越え、川面を飛翔する渡り鳥たちをワォッチングしています。これも楽しい。

 夜、BSでジェニファー・ロペスのライブを観る。淡いピンクのロングドレス、深いスリット、高いヒール、豪華な金のネックレスと揃いのピアス、大きな白いバラのコサージュ・・・美しい、今を盛りと咲き誇る大輪の花のような艶やかさ。能の「時分の花」(若さ、素材の美しさ)とも少し違う、若手から、実力派に変わりつつある時期の、自信と余裕を持ち始めた、また若さもしっかり残した、桜なら「八分咲きの見ごろ」といったところでしょうか。観れてよかった。

映画ダイスキ

「歌えフィッシャーマン」

 珍しいノルウェー映画。これもチケットをもらって(最近、映画ファンということが浸透して、あちこちからいただく・・・嬉しい限り)梅田シティのシネ・リーブルで見る。本国ではすごいヒットを記録したらしい。

 ノルウエェー北端の人口1200人の小さな港町。かつて栄えた町も、缶詰工場の閉鎖が相次ぎ、過疎化の波の中にある。その町の男声合唱団、これが主人公達。なんと93歳と87歳の兄弟が中心で、平均年齢も60を超えている。ほとんど、リタイアしているが、それぞれ波乱の人生を送り、今でもいろんな問題を抱える。指揮者は車椅子の男性。みんな声はさすがにかすれてはきているが、元気で色気もたっぷり。政治問題で激論を交わしたりもする。各人へのインタビューとロシアへの公演旅行などを追うドキュメント。

 その間に歌われるたくさんの歌が胸を打つ。吹雪の中で、灯台で、雪道で、歌声を掻き消すぐらいの風と波の音が、同時に録音されすごい迫力。岸を襲う冬の波の映像がすさまじい。その厳しい自然を、世界で一番美しいと手放しで賛美する老人達。

 「コロブチカ」、「谷間のキャンプ」など懐かしい歌も何十年ぶりに聞いて、感慨に浸っているうちにクレジット。あの吹雪の中の歌声と老人達の明るい表情がいつまでも心に残ります。今でも、歌ってはるんやろなあ。それにしても、日本題名はイマイチです。

2002年11月4日

 松井は喜んで、大リーグへ送り出してあげたいと思います。松井もファンの皆様に申し訳ないと、泣きそうに謝る必要ない。(ま、その姿勢がファンに支持される所以かもしれないけど)世界に通用する人は世界に送り出してあげましょう。近鉄の中村ノリヒロも、どこへでもいきなはれという感じ。

 その分、日本のスポーツ界もその他の世界も、外国人枠などとっぱらって、どんどん人材輸入してもいいのです。外国人の関取や歌舞伎役者が出てきていいと思います。


映画ダイスキ

「OUT」

 友人からチケットを貰って、ひさびさ、梅田ピカデリーで(最新音響・・・リニューアルしたばかり)で鑑賞。よく出来たブラック・コメディです。フィルムノワール(犯罪映画)としても、女性映画としても及第点です。笑わせてもらって、うならせてもらいました。

 夫の家庭内暴力に悩む若妻(西田尚美ーナカナカがんばっている)が、短絡的に夫を絞め殺してしまう。その死体処理を、働いている弁当製造工場の先輩のしっかりした主婦(小金を同僚に貸して、がっちり儲けてもいる・・しかし家にはリストラの夫と、ものを言わない思春期の息子がいて家庭は冷え切っているー原田美枝子が堂々の力演)に相談したことから、話は一気に展開、職場仲間の「師匠」と呼ばれるベテラン(未亡人で義母の介護をしている下ネタ好きの元気な主婦ー倍賞美津子、名演)や、ブランド嗜好が嵩じて、サラ金に追われるハイミス(室井滋ーウマイ)を巻き込んで、とんでもない事態に。女優たちも見事に息の合った演技ですばらしい。最後にちらっと吉田日出子(個人的に昔からスキ)が顔を見せる豪華版。

 香川照之、間寛平ら助演の男優陣もいい。細かい不満(各家庭の描き方の荒さ)もあるけど、2時間をだれず一気に見せる平山秀幸監督の腕は確かです。桐生夏生の原作も読んでみたくなった。



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