Kan-Kan の雑記帳


2002年6月24日

 ワールドカップも大詰め近し。日本が負けたのは残念ですが、トルコは強かったですね。韓国の粘りはすばらしいものです。日本の応援ムードもなにかふわふわしたところがありました。クールだ、闘争心に乏しいなどと言われてますが、逆に日本の平和な状況の表れのようにも思います。

 それでは国際競争に勝ち残れないって?いいじゃありませんか。無理して先頭を走らなくても・・。今こそ、足元、教育や環境を考える好機です。

 花菖蒲の時期が過ぎて、紫陽花が盛りです。夕顔の苗を買いました。いよいよ夏です。

2002年6月15日

最近読んだ本

「日本語のこころ」  日本エッセイスト・クラブ編

 毎年楽しみにしている、年間エッセイのエッセンス。2000年度の分。有名無名の人々の感性の展示会。よく授業の教材に使わせてもらいます。今回は山田太一さんが友人夫婦の離婚にふれた「言ってはならないこと」、中野翠さんが島田正吾さん宅訪問の印象を綴った「会いたかった人」が心に残りました。

「101個目のレモン」 俵 万智

 正しくは「檸檬」とすべきだったのでしょうが・・ベストセラーになるべき作品としてはこう表記するのでしょう。題名は、梶井基次郎の名作「檸檬」の解釈が100通りあるなら、さらにもう一個を目指したいという、意味深いネーミング。年月を経て、擦り切れず、ますます磨かれてゆく筆者の感覚は冴えています。図書館に返したけど、これは買おうかなあ。

「30年の記憶」  岸 恵子

 もう、女優(昨年度モントリオール映画祭主演女優賞)というより、立派な文筆家です。40年以上の経歴をあえて30年と刻んで、記録より記憶に従って人生を振り返る。鶴田浩二との恋、パリでの生活、国連親善大使としての働き・・・飾り気無く、自分に正直に書かれているのがなんと言っても胸を打つ。ようやるなあ、タフだなあと思う。また、タフでなくてはここまで生きてこれなかったのでしょう。出てくる人物が多国籍、そして多彩で強烈な個性に彩られているのがいい。情緒過多の文章に疲れる部分もあるけれど、中身は濃いです。
もっと京都

 5月の南座、歌舞伎公演は昨年亡くなった中村歌右衛門の追善興行で、彼の第2の芸養子、中村歌江の中村魁春(かいしゅん)襲名披露を兼ねていました。魁春というのは歌右衛門の俳号で、これを歌江が継いだということは、歌右衛門の名跡を本家の中村しかん(歌右衛門は先代の弟でした)に返すということの表明でしょうし、これで次の7代目歌右衛門は、おそらくしかんの息子、中村福助が継ぐであろうと思われます。

 名女形の追善だけあって華やかな舞台でした。玉三郎や鴈治郎が花を添え、しかんや橋の助の本家筋、歌右衛門の長男(芸養子)の梅玉の力演もあって、見ごたえありました。

 それにしても、玉三郎の美しさ。僕と同い年で50を超えたのに、容姿でも魅せます。かつて32年前に、歌舞伎座で初めて歌右衛門を見たとき、今の玉三郎くらいの年でしたのに、もう初老の印象があって、舞はすばらしかったけど、美しいとはいえませんでした。それを思えば・・・スゴイのひとこと。

 舞台を堪能して、その余韻でやはり祇園で飲みすぎてしまいました。千秋楽の前の日で、しかんさんの行きつけの店だったので、現れはるかなと楽しみにしていたのですが・・・。

 そして、後日、鴈治郎さんのスキャンダル発覚。19歳の芸妓さんとの密会写真。笑ってしまいました。この時の舞台で、「藤娘」をあでやかに踊っておられたのです。お元気なことです。

2002年6月14日

 サッカー一色の一日でした。学校と長居競技場がわりと近いので、朝からへりコプターや小型飛行機が飛んでうるさいこと。到着する選手を一目見ようと、詰め掛ける生徒も。そんな中でチケットを手に入れたのに残っているS君。どうしたん?ときくと、6時間目の体育が終わってから駆けつけますだと・・・。もう、遅れるやんか。(キックオフは3時半)めちゃ真面目、えらいと褒めたけど、自分なら朝からつめて、ムードを味わっているやろなあ(笑)。

 友人が日帰りで大分まで見に行ってきたとのこと。イタリアvsメキシコだったけど、その場でしか味わえないものがあったとか。警備体制や、誘導の緻密さも賞賛してました。そして、メキシコの人々の陽気な応援ぶりに惹かれて、すっかりメキシコファンになっていました。日本の女の子達がイタリア(男前軍団)ばっかり騒ぐのはどうかとぼやいてもいましたが・・・。

 ま、日韓両国決勝トーナメント進出で大会が一層盛り上がったことは事実で、おめでたいこと。エビスビールで祝杯を挙げました。

 それにしても、サッカーに紛れて、北京の韓国大使館への駆け込みをめぐる、中国側とのトラブルは見逃せません。もっと大きく取り扱うべきだし、日本領事館の事件がうやむやになっているのも気になります。

2002年6月10日

 サッカーW杯の日本、初勝利に沸いた9日。道頓堀に130人飛び込んだんですって。ま、モスクワでは死者もでたらしいから、ましかも。それにしても騒ぎすぎのようで、集団心理の怖さを感じます。戦争にもあんな感じでなだれ込んでいったのだろうか。

 14日の長居競技場、対チュニジア戦のチケット(明日、残席発売とか)をなんとかしたいと職場でも大騒ぎ。役員として長居競技場へゆく友人は、ゲームの見られないところで、パンフレット販売などをするそうですが・・・それも辛いやろなあ。大分や韓国に見に行く友人もいます。

 それにしても、サッカー観戦はテレビでも疲れます。45分間、トイレにも行けないし、よそ見もできない。あっというまに状況が変わる、そのめまぐるしさ。プレーもスピードもすばらしいけど、おちおちビールも飲めません(笑)。視線をテーブルに落としている間に、点が入ったりして・・・。

 やはり、スポーツ観戦には野球や相撲が向いているのでしょうか。間(ま)が欲しいのですよね。

2002年6月8日

 7日、金曜日の夕刻、天王子にある大阪体育専門学校へ。学校見学の下見です。最近は体育系のインストラクター養成を目指す専門学校が出来てきています。2年間でフィットネストレーナー、スポーツプログラマー、水泳、テニス、エアロビック、アスレチックなどの指導員などの資格を目指しています。打ち合わせを終えてロビーにいると、授業を終えて出てきた生徒達とすれ違う。それぞれ、こんにちわというさわやかな挨拶が印象に残りました。

 となりは夕陽丘予備校。こちらにもたくさんの若者が。でも少し表情が暗い。確かに、浪人達にとって今が精神的にもしんどい時期でしょうね。近くの公園でブランコを漕いだり、話し込んだりしているしている姿を見ながら東へ。愛染さんはもう門が閉まっている。平日は4時までらしい。

 北に進路を変えて、国際交流センター(建物も樹木も落ち着いてきました)を横目に上本町に向かって歩く。あちこちの公園にはたくさんのブルーシートが。自分自身もホームレスになりそうな気がするけれど、こんなに増えてゆくとどうなるんだろうと思ってしまいます。ひとりのホームレスの方はハンモックを吊って、木陰で読書中。ちらっと表紙を見ると松本清張の「球形の荒野」でした。

 都ホテルのエレベーターに乗って22階まで行って、大阪湾に沈む夕日を見てから、最終目的の南海飯店へ。ここでの恒例の職場の仲間での「餃子の会」に出席するのです。この日は14名参加。サッカーのイングランドvsアルゼンチンを気にしながら、餃子だけでビールを飲み続ける。2時間ほどで前回の記録71人前を更新、75人前で、今日はこれくらいにしといたるということに。

 まだ、パフェを(それも鶴橋の有名な店のめちゃ大きいヤツー笑)食べに行くというおそろしい連中(若い!)と別れて、めずらしく真っ直ぐ帰宅してサッカー観戦。ベッカーが確実に大会の顔になってきましたね。

2002年6月6日

 いやあ、さすが世界のトッププレイヤー達。ドイツの猛攻をしのぎ、ロスタイムで追いついたアイルランドの粘りと執念はすごいものがありますね。精神的にタフだし、安定している。ベルギーと引き分けた日本はよくがんばったと思いますが、精神的にまだムラがあるように感じました。点を入れられるとすっと落ち込むみたいな・・。稲本とか、大分世界でもまれて逞しくなったようですが。

 それにしても、小野のスキンヘッド以外、ほとんど茶髪。これには慣れましたが、戸田の赤い髪にはなじめないなあ。古いのでしょうか?

 国対抗で燃え上がっているけれど、実際は国の壁も無くなりつつある・・・二つの国籍を持つ選手も多く、出場するために国籍を取るのも当たり前になっている。W杯ってなんなんだろうとも思います。

 ひと月前の読売新聞で読んだ話。サッカーボールの大半は今、政情不安定なインド、パキスタンの両国で作られている。それも「児童労働」で。一万人を超す子供が、遊べず、学校にも行けず、硬い革のボールを縫う辛い作業で、一日、三個。日給が日本円で50円。それで家族を支えているのだそうです。FIFAでも問題にしているようですが、それらのボールを排除すると、彼らは生きてゆけない。ごみ漁りや、売春している児童も多いとか。ユニセフの調べで、世界中の児童労働者は2億5千万人とか。

 疲れて縫いかけのボールにもたれて眠っている子供の写真を見たことがあります。芝生の美しい豪華な競技場での華麗なプレーをビールを飲みつつ、楽しみつつ、でもそのサッカーボールを縫っている子供達のことも忘れずにいたいと思います。

2002年6月3日

 友人からチケットをもらって、Jウォークのコンサートに行ってきました。嫁ハンは大ファンだそうですが、僕は数曲知っているだけで、メンバーの名前も知らない。おじさんグループで幅広い人気があるとは聞いていました。でも、大音響に、総立ちという最近のコンサートシーンにしり込みしていて、嫁ハンに勧めたのですが、体調がイマイチということで、期待もせず、テニスの後の、重い足を引きずって、フェスティバルホールへ。

 満員。年齢層高し。スモークが焚かれたむき出しの舞台。登場していきなり歌い出したのが、なんと「慕情」。見事なハーモニー。若いボーカルが加わったとは聞いていたけど、その高く澄んだ声と、あの深い声がミックスしてあの聴きなれた曲が新鮮に胸を揺さぶりました。
 4月発売の新しいアルバム「Asia」を中心としてじっくり聴かせる構成。
 メンバー(6人ということがわかった)のトークもたっぷりで3時間あっという間でした。

 アンサンブルがよくて音楽に賭けるひたむきな気持ちが伝わってくる
 総立ちの時間も短くてよかった。
(あれはキライ、周りの迷惑を考えていない)
 アンコールもたっぷりで堪能させられました。

2002年6月2日

 月一の日曜早朝座禅から帰って来ました。潮音寺は紫陽花が咲き始めていました。でも、今日は不調。体のあちこちが痛み、いらぬところに力が入っていることがわかっていても、直らない。頭が垂れてくる。

 そんな時もある、痛みを感じる、悩めることが生きている証、幸せな状況なんだと思い直して、少し落ち着く。でも、珍しく汗をかきました。

☆花・はな

 白内障の手術を終えた義母の退院祝いを兼ねて、藤井寺の城山古墳の花菖蒲園へ。さまざまな紫、そして白、黄、の花々が梅雨前の日差しを受けて、光っています。午後訪れたので、少し勢いがなし。やはり、午前に行くべきでした。曽野綾子さんも書いていますが、白内障の手術後は格段に(昔のテクニカラーのように?)自然が美しく見える時期なのだそうです。

 市が管理しているので、無料。駐車場もあります。となりの蓮池ももうすぐ見ごろです。身近なおすすすめスポットです。

2002年6月1日

 2年ぶりの蛍狩りは、好天に恵まれました。2年前は雨の後で、足元が悪く、蛍も多く川端の枝に泊っていました。あの時は嫁ハンの手術の前だったなあと、ちょっと感傷的になる。2人で手をつないで見たっけ・・・。2年経っても、山道も、谷川もほとんど変わっていない。枝や葉の下で光っていた蛍が、日没とともに川面に飛び出してくる。今は源氏ボタルの季節で、数は多くないけど、光が強く、大きい分だけ迫力あり。約1キロにわたる「鉢が峰」の渓流沿いに延べ100匹ちかくいましたか・・・。滝畑や日野でも見たけど、あれだけの数の蛍を見たのは40年ぶりと思います。

寂しさは  1尺消えて   行く蛍


 来週くらいから、平家ボタル、そして姫ボタルが加わって、もっと豪華な乱舞になるとか。でも、天候に左右されます。蛍は成虫になってからは口はあるのに、食を摂らず、2週間ほどで死ぬまでに、子孫を残すことのみ考えて、生きるそうです。そういえば、光る二つの影が空中でぶつかり、河原へ落ちてゆきました。どうしたのかと同行のホタル博士に聞くと、交尾しているとのこと。水に落ちたらどうするんじゃ?と心配すると、あちらも必死でそれどころではないのだと。蛍は清流には住まず、少し栄養のある(生活廃水など)水に住むという。いずれも身につまされる話でした。



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