Kan-Kan の雑記帳


2003年3月28日

 昨日が今年度最後の編転入考査の合格発表。転校を考えている生徒や再び勉強したいと思っている中退生にはほぼ最後のチャンスです。定員10名。いつものことながら、合格して喜ぶ生徒より、肩を落として去ってゆく6名の姿を見るのがつらい。落ちた子はどうするんやろう、と思いつつ、今日は合格した生徒の対応に追われていました。在校生徒は春休みだけど、教師には春休みはありません。

 忙しいけど四国の老父母も畑も気に掛かるし・・・それで今夜帰省、1泊して31日、月曜の朝帰阪して出勤というハードスケジュールです。故郷の家の庭先の明正寺(みょうしょうじ)桜はもう散り始めているらしい。明日の今頃(午後7時)は「梅錦」を飲んでいること確実です。

2003年3月17日  その2

 戦雲近づく。正義も悪もごちゃごちゃにして・・・。

映画ダイスキ

「ハリー・ポッターと秘密の部屋」

 友人から期限切れ直前の招待チケットをもらって、疲れていたけど大喜びで午後7時にアポロに駆けつける。が、最終上映の「戦場のピアニスト」は満席、「ロード・オブ・ザ・リング」も。ハリポタが空いている。迷わず入場。

 原作は4作まで出版されていて、個人的には1,3作がおもしろいと思っています。その第2作の映画化です。CGは格段に進歩している。古城の寄宿舎も深い森も映像はすばらしい。最後の大蛇もグロテスクにならないすれすれの線でうまく作っている。ただ、うまく映像化したという点で終わってしまった恨みが残りました。映画としての感動が乏しいのです。これは、監督の責任なのでしょう。原作もおもしろい第3作(製作中)に期待。

2003年3月17日  その1

 アーカイブス・・・嫁ハンは「おしん」に。私は「夢千代日記」にはまり気味。テレビドラマは特に時代を反映するものですが、優れたドラマは時を超える見本のようなものですね。

 友人の音楽教師と、彼の尊敬するピアニストを招いて、春の一夜、ピアノコンサートを企画しました。切符の作成から宣伝、販売、会場設営、花束の準備から打ち上げまで、様々なプロセスにそれぞれの大変さとおもしろさがある。幸いたくさんの応援をもらって、満員盛会、赤字にもならず、純利益(少しですが)はネパールへの小学校建設資金への寄付としました。(公務員ですから商売はできませんし、する気もありません。)


 それにしても、間近でみるプロのピアニスト演奏はスゴイの一語。リスト、ショパン,そしてラフマニノフが華麗なテクニックで綴られる。柔らかなタッチと力強いペダルの融合。残音があんなに豊かに、長く響くなんて、初めて知りました。最後の二人の連弾には、長年の友情と交差した音楽人生が伺われて感慨深いものがありました。

 打ち上げの寿司屋でピアニストの金子さんに手を見せてもらって驚きました。小さいのです。でも甲が広い、更に驚いたことには、拳の関節が力を入れると横に倍ぐらいに広がるのです。それで指の届く範囲がぐっと広がる。特殊な訓練をしはったんですかと伺うと、いや、意識して練習するとこの2,3年でこうなったのですとのこと。ちなみに彼は44歳。驚き。

 更に、驚いたことに金子さんはピアノを小学校6年から始め、そして1年後の卒業文集にピアニストになると記したとのこと。高校時代もキャバレーなどでピアノを弾き、やがてプロのクラシックピアニストに。生活も大変らしいが、その心意気やよき。すがすがしい思いに満たされた春の宵でした。

 「菅プロ」とひやかされながら、試行錯誤しつつ、それでもプロデュースする面白さを感じました。また、なにか(出来れば芝居を)やってみたい。でも、落ち着いて楽しめないものなあ。やはり一観客であるのが無難なのでしょう。

今年の日展(3月15日、天王寺市立美術館)

 雨の休日、テニスが出来ないのを見越して、駆けつける。個々の作品が大きくなったのか、美術館の廊下にまで展示している今回の日展。魅力ある大作と空間を埋めきれない未完成品とが混在している感じ。日本画の「めざめ」、工芸の「桜前線」が印象に残りました。それにしても、4時45分に会場を閉めるのは早すぎませんか?

2003年3月15日

 友人の禅寺で座禅をしたとき、聞いた話。寺の跡継ぎである息子さん(次男)がいよいよ本山で修行することになった。入門の儀式として3日以上、寺の門前で入門願い出て座り続けるという。断り続けられ、追い払われても、もちろんあきらめてはいけない。ただ、何度か邪険に追い払われるのは、いったん寺から出して、運動させてやろうという気持ちかららしい。また帰って来て門前に座ればいいのだ。お父さん(友人)は30年前の入門当時、寺の僧に縋り付き、座り続けてしんどかったらしい。その教訓(?)が息子に生きるのだからおもしろい。

 友人の父親、潮音寺当主は92歳。矍鑠としておられたが、3月の座禅におられなかったので伺ってみたら、入院しておられるとのこと。手術に際して胃カメラを飲むとき、入れ歯を外して下さいと言われ、1本以外全部自分の歯ですと答えたら、医者はこけたらしい。お元気で近々退院のご予定とか。長年精進、心身共に鍛えておられる方はすごい!

舞台も大スキ

小林幸子公演

 友人にチケットをもらって初めて梅田コマ劇場に足を踏み入れる。「飛天」の時から行きたかったけど、機会がありませんでした。バブルは弾け、ゴージャス路線から転換し、庶民性を売り物にしているのはいいとして、歌手の公演が増えました。それもいいとして、中身が問題。人気実力演歌歌手なのに、安易な芝居で引っ張り、食事タイムを十分とって、弁当などの売り上げをねらう作戦。

 目玉の後半の歌の部分も期待した分、がっかり。大がかりなエジプト風の出だしから、スペイン、ペルーと舞台、衣装を変えても、歌は明らかな録音でいわゆる口パク。コンセプトが見えない。ゲストの田中健のケーナの演奏さえ録音という省エネ作戦。やっとバンドが登場、でも実際に歌ったのはそれをバックに30分くらい。最後はまた紅白の衣装を見せるという趣向で、また口パクで宙づりのまま幕。

 いくら一ヶ月公演を持たせる為とはいえ、これでは客に失礼というもの。ま、ただやから、これ以上文句は言うまい(十分言うてる?)。しゃべれる人やから、司会もいらない。とにかく構成に難あり。大阪ナンバーワンの劇場がこれでは,関西の今後の興行界は寒いなあ。 

2003年3月13日

最近読んだ本

「光堂」  赤江ばく

 ワンパターンです。

「コラムの逆襲」 小林信彦

 芸能に対する情熱のスゴサに感服。思い入れも強い分一人合点もあるのでは・・・。それはそれでいいけど(笑)。

「運命の恋人」 川上弘美

 恋人が庭の奥の桜の古木の洞に住みついてしまった。そこから彼は会社に通いつつ、二人は逢瀬を重ねる。やがて女は他の男と結婚し、二人の関係は途絶え、子孫が千人を超えたとき、男に会いに行くと・・・。発想がユニーク、豊かで面白い!

2003年3月8日

歌舞伎ダイスキ

「道行恋苧環」(みちゆきこいのおだまき)

 2002年年末の顔見世、第2幕。曽我入鹿討伐の歴史を背景に親子の愛、若者の悲恋が織り込まれた「妹背山婦女庭訓」という複雑、かつ壮大な「王朝もの」の大作の「繋ぎ」ともいえる踊りの人気曲です。

 淡海(藤原釜足の子)という美男に橘姫とお三輪という2人の美女がからむため、毎回、役者の組み合わせが楽しめる舞台です。今回は、時蔵、菊之助、三津五郎という踊れる中堅若手の顔会わせでしたが、イマイチでした。うまいのに、なにか迫力に欠ける。三津五郎はここんとこ大役に恵まれず、くさっているのでしょうか?これを乗り切ってほしいものです。

 それにしても、「岩戸隠れし神様は、誰と寝ねして常闇の・・・」という浄瑠璃の大胆なこと。今でもこんな歌詞は少ないけれど、あの江戸時代にとよくぞと思いました。

2003年3月5日

中国への旅 25

 2000年元旦。姉夫婦は姪の通っていた大学へ。私と甥は曹さん(姪の友人)の案内で天安門へ。天安門広場は爆竹はもちろん、名物の凧揚げも禁止。でも、すごい人出。楼上に登るのにも中国の人はすごいボディチェックを受けている。初日の出を楼上の広いベランダの東側で拝む。拍手を打っていると、不思議そうな視線が集まる。でも、仏像に五体投地している僧もいる。

 故宮はさすがのスケールですが、行く前のイメージが大きすぎて、なんだこんなものかという感じが拭えない。頭の中は宇宙より広い。故宮の部屋数9999室。1万に足らないのは天への配慮とか。「珍妃の井戸」を見れたのが収穫でした。ものすごく小さい丸井戸。あそこへ妃を押し込んだのか・・・。

 一日かかるところを数時間の駆け足で。またあらためてゆっくり行きたい。故宮北側の湖は厚い氷が張っていて、みんながスケートをしている。すごい物売りの攻勢に「無用」とスムースに言えるようになった頃に帰国です。

 昼食は流行のものを食べたいとリクエストして、学生街のシャブシャブ店へ。姉夫婦と落ち合う。らくだの背中の肉、鹿、羊など。珍味。お酒もおいしい。今回の旅はどこでもおいしく食事をいただけました。それにしても中国の都市部(成都、北京)のレストランの女性従業員の待遇のシビアなこと。容姿ではっきりランク付けをして、豪華なチャイナドレスの店頭の案内係からレジ係、地味な装いのウエートレス・・・とユニフォームにも差をつけている。そんな感じをあちこちで持ちました。日本なら問題になるだろうなあ。いつかまた来る機会があれば、もっと気楽な町の食堂や屋台に入りたい。今回はグルメの旅ではありませんでしたから・・・。

 夕暮れの北京空港を飛び立ち、夜の関空へ。街の灯が美しい。天王寺で姉の家族と別れ、嫁ハンの実家へ直行。即、和風の新年会になだれ込む。思えば、慌しく、中身の濃い年末年始でした。

2003年3月4日

 教え子に面会のため少年院へ行く。兵庫県のK市からJRの支線に乗り換え(待ち時間30分)て12分。Y町は駅前に自転車置き場があるだけで商店街もない。バスもない。ちらつく雪の中、駅員に教えてもらった方向を目指してひたすら歩くこと1時間。道端にはいぬのふぐりや梅の花があちこちに咲いている。八幡宮の側の丘の上に翻る日の丸発見、あれだ。大阪を出て3時間かかっていました。

 職員証を見せ、温かい缶入り紅茶を自販機で買う(差し入れはこれだけ許される)。待合室にもう一組のご夫婦がいらっしゃる。ご主人の方が話しかけてこられる。「親はつらいですなあ・・・」「そうですねえ」と話を合わせる。鮮やかなブルーの制服を着た若い職員の方に案内されて面会場所へ。鍵を開け閉めして、待つこと数分。元気な声で挨拶して現れる。うれしそうな笑顔。彼の手を握ると冷たい。そして黒い。かさぶたのようなものも。あ、そうだ、久しく見なかったけどこれは「しもやけ」なんだ。

 鑑別所の時より長い制限時間30分はあっという間。側で職員の方が会話をメモしておられるので、細かい生活のことは聞けなかったけど、被害者のことを思えば、この厳しい環境に同情するより、意志を強く持って、きちんと罪を償い、出院(というらしい)して社会に適応してほしいと思いました。本人は被害者に謝りたいとしきりに言っていましたが、現実にはそれもなかなか難しいようです。別れて面会の棟を出るときも、職員の方が鍵を開ける間、彼は壁を向いて立たされていました。当然ながら自由な行動は許されておらず、面会は貴重な潤いの場のようです。でも、その面会の予約もなかなか取れないのです。今後は、手紙をどんどん出してやって、若葉の頃にまた訪問しようと思っています。



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