Kan-Kan の雑記帳


2003年4月28日

映画ダイスキ

 やっと今年のアカデミー作品賞「シカゴ」を観ることが出来ました。アポロでの待ち合わせに嫁ハンが遅れ、満席になったため、急いで地下鉄で道頓堀の角座に移動する。こちらは席に余裕あり。ホップコーンを買い込んで席に滑り込む。

 よく出来たミュージカル映画です。2時間20分が短く感じられる。冒頭のキャサリン・ゼダ・ジョーンズ(アカデミー助演女優賞ー納得)の舞台シーンからスゴイ迫力で一気に画面に引きずり込んでゆく。場面カットとクローズアップを多様できる映画の特質をうまくつかったロブ・マーシャル監督(振り付けも)の腕は冴えています。信じられないけど、これは実話を元にしていて、2度も映画化され、舞台のボブ・フォッシー版という決定的な名作の評価もあるのに、それに負けずに映画としてのミュージカルの傑作に仕上げています。

 出演者達が体育会系クラブの合宿のようだったという、数ヶ月に及ぶダンスと歌のレッスンがうまく生きて、勢いのある画面が続きます、なにより出演者全員がカラダを張って見事に歌い躍る(吹き替えなし)。キャサリンやリチャード・ギアは、舞台ミュージカルの経験があるとしても、主演のレニー・ゼルウィガーがめちゃがんばって、可愛い悪女を好演し唄い踊っている。マリリン・モンローをモデルにして演じたとか。

 衝動的に犯した殺人を悔いることなく、それを売り物にショービジネスの世界でのし上がってゆこうとする女性2人のバイタリティ、それを産んで行くシカゴという街の退廃とパワー。したたかな女性看守、ヒロインの人の良いの亭主(彼の唄う「ミスター・セロファン」は素敵なバラード)、かっこいいピアニスト・・・、登場人物も脇役まで魅力的です。ヒューマンな感動はないかもしれないけど、アメリカという社会の芸能の底力を見せつけられた思いです。観て損はありません。

2003年4月27日

 急に足が痛くなって、とうとう医者にゆくはめに。右足親指の付け根が腫れ上がって、熱を持っている。てっきり骨折(酔ってどこかで打ったか?)と思い、整形外科に。いきなり痛風とちゃいます?と医者にいわれ、まず血液検査から。あれ?尿酸値は正常です。やはり骨折?いやレントゲンでは異常なしです。それでは・・・外反母趾です!えー!そうか、先月、3900円で買ったトレッキングシューズ、なにやら痛いと思っていたけど、あれが原因だったのかと思い至る。靴はよい靴をきちんと履くことー紐を強めに結んで足を靴の中で遊ばせすぎない、今まで、すっと履いて紐などゆるみっぱなしだったーいろいろ教わって反省。そのあとリハビリの仕方を学んで帰る。診察を入れて3時間コース、3700円。靴代をけちるのではなかったと改めて後悔。でも、骨折ではなかったし、これで安心して飲めると、痛む足を引きずりつつ、いそいそビールを買いに行って乾杯。嫁ハンはあきれ顔。

 某日、朝、通勤途中にめちゃかっこいい紳士に出会う。40過ぎか、髪を薄く茶色に染めて、ブレザーからパンツまで茶系で統一。カバンは黒のお洒落なもの。そして歩くのがめちゃ速い。気を付けてみたら姿勢と歩き方がきれいなのだ。ハンサムというのではないが、思わず見とれてしまいました。いつも女性に目が行くのに、こんなことは珍しい。寝乱れぼさぼさ頭の我が身を顧みて、しばし反省。

 某日、夜、昨年末の中国旅行でお世話になった通訳の方(王さんという)が日本に来ていて大阪に寄るというので、姉夫婦と天満橋のホテルまで会いに行く。10日ほど前から、千葉県の市川市に四川省からの研修見学ツアーの付き添いに来ていて、最後に京都、大阪観光するらしい。7時にロビーで落ち合い、カフェでお茶する。新型肺炎は大丈夫?ときくと、われわれは検査も受けて、大丈夫でしたが、帰りの香港経由のルートがだめになって、今日は自分は観光どころでなく、切符の手配で大変でしたと疲れた様子。中国での写真の交換をし、預かってきてもらった小学校からの礼状などをいただく。

 旅行団長にも紹介される。36歳の美しい女性。でも楽山市郊外の20万人ほどの「区」の長らしい。お若いのにすごいですねと言うと、いえいえ、使われているだけですと謙遜。帰ったらまた新型肺炎対策で大変なんだろうな。 

2003年4月13日

歌舞伎ダイスキ

 1月26日、新春歌舞伎の千秋楽に走り込んで見ました。中村魁春の襲名披露公演ですが、眼目は仁左衛門の「義賢最期」。木曽源氏の華々しい活躍を見事に演じきりました。孝夫と呼ばれていた彼が初めて認められた舞台で、大阪ではずいぶん久しぶりの上演。最後の「階段落ち」では、本当に立ったまままっすぐ前に倒れ落ちるのが迫力。

 魁春は「道成寺」をたっぷり。普通略されやすい花道の振りもじっくり踊り、後半までダレませんでした。相変わらずきれいな舞台です。でも、魁春は「松江」時代の美しかった容色が少し衰えたように思います。これから芸で勝負。女形は大変です。

もっと京都

 3月末の土曜日、結婚25周年ということで、共済の宿に泊まれるというので、いそいそと京都へ。伏見で和食を、それから夜の祇園を夫婦でうろつき、行きつけの小料理屋に初めて嫁ハンを連れて行く。ほろ酔いの嫁ハンは「本妻です」とわけのわからん自己紹介。女将さんに気に入られ、白魚の躍り食いをご馳走になる。ぷちぷちしておいしい。

 翌日は初めてトロッコ列車に乗り、亀岡へ。好天に恵まれたので、保津川下りを選ぶ。前日までの雨で水量が多く、2時間のコースを1時間半で嵐山へ。期待以上のスリルと景観。山々の緑と岩の組み合わせ。花の頃や紅葉はさぞ美しいことでしょう。でも、この季節ゆえに待ち時間もすくなく、船頭さんの語りも楽しく、思いがけない大満足の小旅行でした。

 今年最後の花見は大宇陀へ。昨年初めて訪れて良かった「又兵衛桜」を見に嫁ハンの両親を連れて。朝7時過ぎに出て、西名阪の天理インターから桜井を抜けて、8時半過ぎには到着。山里はまだ桜が満開で、あちこちの山の桜が美しい。しかし、もう車もいっぱい。カメラがずらり。10万人位が花の季節に訪れるとか。花の周囲はきれいに整備され、去年あった仮設トイレはきれいな公衆のものに。テントには村の人が特産品や飲食物を並べている。それにしても、後ろの桃そして黄色いレンギョウの花を背景に古い石垣の上に立って、薄いピンクの色を滝のように垂らした名桜(樹齢300年とか)の姿は確かに見事。それにしても人の姿の多さ。高価なカメラの放列、ひたすら観賞中心で、飲んでいる人はほとんどいない。正確には義父一名(笑)。大群衆に圧倒されて、桜は少し元気がないように見えました。

 せっかくだからと大宇陀ツアー。近くの松源院は非公開だけど、実に美しい寺です。屋根瓦と甍の配合が見事で周囲の景観と美しくマッチしている。

 そのお隣の天益寺(てんやくじ)にも垂れ桜が。こちらは樹齢100年とか。でも人も少なく、山の斜面の民家のような坊の前にすっと立つ姿はこちらの方が個人的には好ましいなあ。義父は勝手に「次郎兵衛桜」と名付けて悦に入っている。寺は本堂もなく、今、再建運動をしているみたい。

 そこから5分、徳源寺。こちらは石段の上の古い立派な寺で本堂では法要が営まれていた。矢場もあってベンチなどもある。紅葉も美しいだろうと思う。

 桜井に引き返して「安倍の文殊さん」へ。こちらは平地なのでもう満開を過ぎていて花吹雪。池には花筏が。下の息子の就職試験合格を祈願して、帰路につく。若くないのでもう1カ所廻ろうとか思わない。むさぼらないのが最近のやりかたです。それで、昼頃には義父母の家に帰り着いて、よかったなとみんな大満足。ところが、それから夜まで宴会をしてしまう。これはちょっとやりすぎたみたい。 

2003年4月11日

 新しい年度になって、電車やバスに乗り合わせる客もメンバーが変わり、新鮮なような、寂しいような複雑な思いです。職場もメンバーが変わり、イメージ一新です。通勤途上の仕出し屋さんはまだシャッターが上がりません。入院してはるというご主人、大丈夫かな。

 今年の桜は5日に、まずは昔の仲間5人と滝谷公園から。あいにくの雨。公園前の旅館で弁当を作ってもらい、二階のストーブをつけた暖かい部屋から雨の桜山を眺めつつ、焼酎を飲みまくる。メンバーのひとりが昔、その旅館前で、夏のお不動さんの日にかき氷を売っていたという縁。宴会後、雨の上がった夕刻、山を散策したらしいけど、酔っぱらってあまり覚えていません。人が少なかったのはよかったという記憶があります。

 翌日は河南町、弘川寺。ここは毎年訪れているけれど、今年は初めて日曜に行ったので、寺には車で入れず、手前の桜坂の小学校の校庭が臨時駐車場に。そこからマイクロバスで寺まで送迎してくれる。花はいつものように美しいけれど、本坊の庭のソメイヨシノはちょっと元気がありませんでした。裏山の山桜の大木はさすがに見事。茶がゆの接待やよもぎ餅もおいしかった。嫁ハンが都合あって、義母を連れて行ったのですが、大喜び。あちこちで知人に出会う。往復の南河内グリーンロードから望む山々の花にレンギョウや桃が混じっているのも明るく美しく、気持ちの良いドライブでした。

もっと京都

 暮れの顔見世の後に、友人の昔の教え子が女将をしているという和風旅館に泊まる。2度目に挨拶に現れた女将が丁寧に包んだガラス容器入りのチョコを見せてくれる。なんとノーベル賞のメダルをかたどったもの。これは新聞で見た、あの田中耕一さんのスウエーデン土産ではないか。わけを聞くと、女将の娘さんが田中さんのマンションの隣の部屋に住んではるらしい。そのお裾分けだとか。

 翌日、四条から清水寺を抜けて「歌の中山」へ。途中で上空のヘリがうるさいなと思ったら、後で聞くと四条の信用金庫に強盗の立てこもり事件があった由。その側を数分違いで通り抜けて来たらしい。「歌の中山」と呼ばれる清願寺は、観光客は少ないけれど、道路の拡張により、昔の鄙びていたという面影は失われていました。平家物語のヒロインの一人「小ごう」の墓(嵐山にもありますが)はひっそりと境内にありました。

 市内をあちこち歩く。藤原俊成の旧居の跡はビルの片隅に小さく社が残っていたのみ。でも、あの有名な薩摩守忠度が平家一門の都落ちから危険な都にただ一騎引き返して、歌の恩師であった俊成に歌(後に千載集に詠み人知らずとして載せられた「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」)を託したのはここだと思うと感無量でした。俊成の息子、定家もここでそれを見ていたはず。突然、昔(40年前)教わった歌がよみがえりました。

 「更くる夜半に門を叩き 我が師に託せし 言の葉あはれ いまわの際に 結びしえびらに 残れるは 花や今宵の歌」

 私がいきなり歌い出したので友人もびっくり。俊成の「気」が思い出させてくれたのかもしれません。あんな古い歌を一気に思い出すなんて・・・不思議な体験でした。ちなみに「花や今宵」は忠度が一ノ谷で敗れた時、えびらに結んでいた歌(「行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし」)を指しています。 

2003年4月5日

今日の言葉

「養花天」(はなぐもり)ー曇りどころか大雨になっちゃいました。

「雛嵐」(ひなあらし)ー新聞で山陰の風習と載っていましたが、四国にもありました。月遅れの雛の節句(4月3日)に村中で座敷に雛飾りをして、子供達が家々をはしごして、お菓子などを振る舞われることを言います。桃の花が満開で懐かしい光景。白酒はおいしいと思わなかったけど・・・。

「森の耳」ー耳の形をした木の根っこのこと。子供が悩みがあると、森に行きそれに語りかける。一緒に行ったおじいちゃんが歩きながら、森の精霊の(もちろんおじいちゃんの)答えを教えてくれる。テレビで耳にした言葉。生活の深い知恵ですね。

2003年4月4日

 「戦場中継」を「劇場中継」と間違えた平和ボケ日本のまだボケている私です。それでも次々増えてゆく犠牲者。独裁的リーダーに振り回されているにしても、大人にはそれなりの責任があると思うけど、罪もない子供たちが死んでゆくのはやりきれないものです。

 この春はなんだか花見を楽しむ気分になれない・・・などと言いつつ、開花具合が気に掛かり、誘いに乗ってしまうこれまた不謹慎な私です。

 3月28日、金曜日の夜、22時40分の六甲アイランドフェリー乗り場がにぎやか。おそらく近畿の大学を卒業して故郷(四国)に帰るのであろう大学生(背の高いがっしりした体つきの男性ーおそらく体育クラブ系)を送る若者の一団30名ほど。はじめ騒がしいので、酔っぱらい達かと眉をひそめて車の中から見ていたが、そのうち彼らが歌いだした歌が「スタンドバイミー」、これがなかなかのハーモニーで、ここからぐっと引きつけられた。歓声、贈る言葉、記念撮影、やがて乗船した彼を追って、桟橋に走り、並ぶ同輩、後輩達。上部甲板と桟橋でエールの交換があり、ドラが鳴り、蛍の光が流れ、船が埠頭を離れる。手を振りながら堤防を走る若者達。暗い堤防は夜の闇に消え、神戸の夜景が遠ざかる。見送られた彼は手すりに凭れたたまま身動きもしない。彼はきっとこの光景を一生忘れないだろうと思う。少し離れたデッキでその姿を見ていて、船の別れはいいものだなあと改めて思った。そのとたん、泣いているのかと思った彼がずっと携帯で話しているのに気づいた。今別れたばかりの友人達としゃべっているのだ。ちょっとがっかりしました。



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