Kan-Kan の雑記帳


2003年5月28日

 いつの間にか薔薇が散っています。毎年楽しみにしている裏の家のピンクの薔薇、お隣の赤い蔓薔薇。どちらも盛りを過ぎました。京都、嵯峨野の「ラビアンローズ」という喫茶はどうしているでしょう?もちろん、シャンソンの「薔薇色の人生」にちなんだネーミングです。

 一年で薔薇の咲く季節しか営業しない薔薇尽くしの店。店の周囲のローズガーデンもいいけれど、店のすべてが薔薇にこだわっているのがいいのです。薔薇がいっぱい活けてあるトイレが懐かしい(?)。何年か通ったけど、やはり遠い。もと高校教師(?)というマスターはもうご高齢のはずだけど、今年も営業しておられるのでしょうか?

もっと京都

 今年も懲りもせず行きました。葵祭り。やはり雨。それでも雨をついて歩き始める平安の行列。今年も、行列の中にガムを噛んでるヤツや茶髪がいたのは残念。葵祭の時くらい、いくらバイトでも一日くらい黒く染めや!主催者もそれくらいの指導はすべき。これはおっさんの戯言かしら。葵の葉を髪や車にかざす、その牛車が登場したところで、仙洞御所へ。

 3ヶ月前に予約していたのです。3度目だけどやはり藤の盛りには逢えなかった。広大な庭の南の池の中之島に渡る「八つ橋」を覆う藤棚。陸側は下がり藤、池側は上り藤。どちらも今年は早かったようです。新緑や苔が美しい庭を満喫。でも、案内の宮内庁の職員の尊大な態度にはいつもながら辟易。これがなければと思います。鴉の襲撃におびえているというのは気の毒やけど。

 拝観を終え、行列を追っかけて行った下鴨神社で祭りの中止を確認。潔くあきらめて、銀閣寺前の「白沙山荘」を訪れる。画家、橋本関雪の個人的趣味の屋敷と庭。雨の庭は作りとしては雑多だけど、静かでいい。ちょうどロケに来ていたNHKのスタッフに後ろ姿で入ってほしいと言われて、カメラに背を向けてポーズを取ったのだけど、どのような番組だったのでしょう。もし見たら教えて下さい。

2003年5月14日

映画ダイスキ

「ムーランルージュ」

 今年のアカデミー賞を獲った「シカゴ」というミュージカル復活の潮流を作ったといわれる昨年のオスカー候補作。やっと見られました。これがまたダイナミックな良くできた作品。「シカゴ」のロブ・マーシャル監督が斬新でもミュージカルの正道を行っているとすれば、こちらはより破壊的。

 19世紀末のパリのナイトクラブというよりミュージックホール「赤い風車」を舞台にしながら、幕開きはなんと「サウンド・オブ・ミュージック」・・・。マドンナやエルトン・ジョンなどの現代の名曲をちりばめ、CGも多用しながら、めまぐるしいカメラワークでぐいぐい引っ張ってゆく。毀誉褒貶があったのはもっともですが、これぐらい弾けると面白い。そしてお話は美しい薄幸の踊り子と純真な青年詩人の恋というめちゃクラシック。まさに「椿姫」です。結末もお約束通り。でも、それでしっかり魅せる。ニコール・キッドマンは自身で唄い踊り(骨折していたらしい)、その魅力を存分に見せつけます。

 「シカゴ」が「見事」なら、こちらは「天晴れ」と言いたい出来でした。ミュージカル映画復活に乾杯! 

2003年5月4日

 サハラ砂漠に住む小さな狐、「フェネック」。臆病で警戒心が強く、すぐに砂に穴を掘って潜り込む。その穴に砂嵐が運んで来たほんの少しの水分と植物の種が宿り、芽を吹き、砂漠を緑化してゆく。不思議な自然の循環。

 メキシコの古代都市国家「テオティワカン」(「神々の聖地」の意とか)。太陽と月の巨大なピラミッドには、今年の春分の日に100万人の参拝者があったとか。紀元前2世紀から栄え、紀元7世紀頃に謎の滅亡を遂げる・・・文字を持たない文化の興亡は、より謎を秘めて面白い。発掘調査で発見された人骨の胸に翡翠のペンダント・・・それは1000キロ離れたマヤ文明の遺跡にあったレリーフに描かれてあったものと同じとは。

 テレビドラマは疲れるので、ついドキュメンタリーなどを見てしまう。年なんでしょうか?それにしても、テレビ番組は旅とグルメと温泉とサスペンスと家のリフォームの花盛り。これってやはり恐ろしいくらい平和な証なのでしょうね。幸せな時代と場所に巡り会えたものです。

もっと京都

 「西山アトリエ村」。その存在すら知らなかった。嵐山の南、花の寺(勝持寺)や善峯寺のやや北の、山奥というより山の上に拓かれた芸術家の集落。嫁ハンの高校時代の友人の彫刻家がそこに住み着いて20年、村長格らしい。偶然、嫁ハンのライブでお会いして、話を聞き、面白そうというので「アトリエ村展」を毎年連休に開催しているというのに行ってみることにしたのです。今年で16回目らしい。

 午前9時、阪急「桂」駅から西に向かう。洛西ニュータウンを抜けて、桂峠に続く狭い谷間に入る頃、成章高校の脇、京都霊園の側に急な山道が見える。京に住む義兄が車で送ってくれたのですが、それからの九十九折りの坂道はかなりなもの。案内にバス停より徒歩40分と書いてあったけどこれはハイキングというより登山かも。普段は私道として一般の人は入れないらしい。山の新緑、それに藤の花が美しい。背後に京都の見事なパノラマが広がる。

 たどり着いた山上に拓かれた村は予想以上に大きい。光悦村のようなこじんまりとしたコミューンかなと思っていたのですが、それぞれたっぷりした敷地に、100戸くらいが思い思いに意匠を凝らした住まいを作っていて、それを見るだけでも楽しい。淀競馬場へ天皇賞を見に行く姉夫婦と別れて、嫁ハンと歩き出す。今回は約30戸のアトリエが公開しているという。自宅や工房を開放して自作を展示、即売会やもてなし、即席屋台や太鼓などの演奏もあり、結構たくさんの人出です。

 まず、友人の彫刻家「貴志カスケさん」の家に。ここはブルーの3階建て。どこの家も釜や工房があるので二軒分くらいの大きさ。ペンキはたいがい自分で塗っているみたい。貴志さんは髭を伸ばし、作務衣であらわれる。彼の作品「束縛された内蔵」は隣の空き地に。3メートル四方の木枠の中に赤い内蔵を表す大きなパイプが絡み合っている。奥さん(工芸作家)の皮革作品をいくつか買わせてもらって、見所を教わって、ぶらぶら村内散策。鋳物、絵画、陶芸、染色とバラエティに富んでいる。

 正直、興味を引かれたものとそうでないものの差がはっきりありましたが、楽しみつつあちこち見て、昼食は道端のテラスで、ここで作られた「筍すし」と焼き鳥、そしてもちろん生ビール。小学生たちも手伝っているので、学校はあるの?と聞くと山の下までスクールバスで通っているということでした。市内より花見も10日以上遅かったという。日の出がすばらしいので、元旦は京都市民の方も大勢来られるらしい。こういう場所でこういう生活、暮らしもあるんだなあと思う。ガスはむろんプロパン。トイレの水洗も雨水を利用しているとか。どこの家にも広い庭と家庭菜園がある。でも、もちろん作品を売るだけでは生活は厳しくて、副業を持っている人がほとんどのよう。しかしやはりうらやましい気もする。ただし、この行事にしても、個性的な人達をまとめるのは大変だろうなあと思う。自分の中には「芸術家ってあまり群れない、孤独である」というイメージがまだ拭いがたくあります。ちょうど客を送って上ってきたNKタクシーを拾って山を下り、今度はバスで桂へ。

 自宅に着くと3時前で、天皇賞をテレビでじっくり見る、観客7万人とか。当てれば祇園に招待などと言っていた姉夫婦は見事に外したらしい。たっぷり非日常と森林浴を楽しんだ京の休日でした。また来年も行ってみようと思っています。 



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