Kan-Kan の雑記帳


2003年7月31日

舞台がスキ

「オケピ」

 今やミュ−ジカルの拠点となった、東京青山劇場からの生中継。それも千秋楽。作演出の人気作家、三谷幸喜自ら解説という異例ずくめ。初演とはメンバーも変わり、歌も一部変わっているという話ですが、正直、期待はずれでした。うまく作っているのだけれど、松たか子から引き継いだ天海祐希もがんばっているけれど、布施明の力唱もあるのだけれど、人間ドラマとしての掘り下げが浅いから、感動に結びつかない。オケピ・・・「オーケストラボックス」の中の人々を描くという優れた着想なのに。残念。

「ベルサイユのバラ2001 アントワネットとフェルゼン編」

 見逃していた宙組公演を衛星放送で。今、「ベルバラ」のこのバージョンをいちばん演じられるのはここのトップコンビ。花総まりさん(自身も皇族の血を引くらしい)は貴婦人を演じれば、今、タカラヅカ随一の娘役.首から肩、腕への線がめちゃ美しい。「エリザベート」も良かったが、アントワネットははまり役。フェルゼンの和央ようかさんも長身で、二人が並ぶと見事です。再演を重ねて、磨き上げられた舞台は、お約束の連続で、しっかり感動させてくれました。フィナーレでの「バラのタンゴ」や大階段のデュエットも期待を裏切らない。豪華で美しい。タカラヅカはこうでなくっちゃ。

「オイル」

 野田秀樹はどこまで進化するのか。エンタテイメントを外さないで、しかも社会性を深めてゆく。「原爆」をテーマにしても、広島でなく、出雲地方を舞台に、古代神話、そしてオイルという切り口でくるから、負けます。野田グループに初出演の松たか子、藤原竜也、小林聡美がフレッシュ。特に、松たか子は見事な演技で、舞台を支配していました。すごい舞台女優になるかも。

2003年7月30日  その2

最近読んだ本

「本が好き 悪口言うのはもっと好き」  高島俊男

幅広い視野と、知識(特に中国文学)をもとに国際化社会とやらを痛快に斬る。でも、切り口は丁寧でキレイ。

「スプーン1杯のビール」 立松 和平

もちろん落合恵子さん(「スプーン1杯の幸せ」の作者)には了解を取ってある由。お父さんの膝で一杯のビールをスプーンで嘗めさせられた酒の原体験から、釣り、放浪、中上健治との交流など幅広いエッセイ。福島泰樹という歌人をこれで知りました。

「あれも嫌い これも好き」 佐野洋子

絵本作家として著名だけれど、その感性はさすが。自分を語って、人間の本質にせまる。ユーモアもたっぷり。おもしろい!

「娘と私と娘のムスメ」 佐藤愛子

ここまで自分と自分の家族をギャグに出来る才能は作家として当然とはいえ、やはり関西人独特のものと思う。女性誌に連載したものですが、娘の結婚式のシーンで、来賓席の遠藤周作に「退屈や、おもろして!」と使者を送り、「なんぼ出す?」と返ってくるあたり笑わせます。もちろん遠藤のスピーチは大受けで厳粛な式は一変します。

「人々のかたち」 塩野七生

「古代ローマに嵌ってはる人」と思ってました。すごい映画ファンでもあったのです。独特の視点から繰り出す、映画論、俳優論はめちゃ面白い。付箋を30カ所も貼ってしまいました。

 

2003年7月30日  その1

 母校が甲子園出場を決める。。愛媛県大会、準決勝がすごかった。松山商を相手の逆転につぐ逆転劇。「熱闘甲子園」を見つつ、熱くなりました。決勝の対宇和島東戦は快勝。

 甲子園出場はうれしいけど、これからOB向けの募金が廻ってくるんだなあ。へそまがりの私は前回「硬式野球部だけ特別扱いするのはおかしい」などと言って、夏季国体に出場したボート部に寄付したりしたのだけど、甲子園出場寄付金名簿に名前が載っている。おかしいと思ったら、父が「一次募金の名簿に名前が無かったから、一緒に出しておいたぞ」だと・・・。父も同窓なのでした。まったく、親心というものは・・・。今回はどうしようかな?

 34年前(高3の時)の出場の時もベスト4でした。夜行の船で応援に行ったなあ。体育の授業で一緒で4番、サードだったK君、卒業後、阪神球団に入ったけど、1年で辞めたらしい。あれからどうしているやろう?クラス会にも顔を見せません。

2003年7月29日

行く人来る人

鈴木明さん

 ノンフィクション作家。20代の頃に読んだ「南京大虐殺のまぼろし」「リリーマルレーンを聴いたことがありますか」・・・新進気鋭の作家と思っていたら、もう77才だったのですね。あれから30年、経っていたのです。心不全。

ジョン・ジュレジンジャー監督

 「真夜中のカーボーイ」は学生時代、有楽町で見ました。ダスディ・フォフマンとジョン・ボイドの名演。ニューシネマ時代の代表作であり、彼はその旗手。暗くて野卑な世界を描いても格調がありました。サスペンス映画「マラソンマン」での歯医者の道具を使っての拷問シーンはこわかった。いかにもイギリスの監督という感じを最後まで残していました。こちらも77才。死因不明。エイズかなあ。

ボブ・ホ−プさん

 アメリカのマスコミは大騒ぎ。森繁久弥と西田敏行の中間くらいのイメージかなあ。歌って踊れて、明るく、達者で・・・アカデミー賞授賞式の司会者としてのイメージが強かった。アカデミー特別賞など受賞しているが、演技賞は一度ももらわなかったのは皮肉。グレゴリー・ペックがリベラルだったのに対して、こちらはジョン・ウエインとならぶタカ派でした。その愛国的発言が個人的には気になったけど、アメリカ国民に愛された大きな理由かも。100才。もう、功なり名を遂げての、大往生です。フルバンドのジャスの演奏で明るく送ってあげるべきでしょう。 

2003年7月27日

 韓国の画家、「任(イム)正せき」さんの個展に出かける。天王寺、「ART SPACEK」。京都芸大の大学院を去年卒業しておられて、もう4回目の個展とか。日本語もめちゃお上手。20代後半か、笑顔のさわやかな好青年。

 作品は画廊の白い壁に(あえて計算したと言ってはった)白を基調とした大きいキャンバスに針金、束ねた糸をにかわのようなもので塗り込めている。画面の中央や下に椅子や梯子がさりげなく描かれて、これが彼の心象風景なのだろう。トラブルを抱えつつ、前向きに、上昇志向を持って、明るく進んでゆく・・・。そんなところかな、ちょっとまぶしいけど・・・。

 釜山と京城から同距離4時間くらいの地方都市で、講師などをしつつ創作活動をしてはるらしい。

 同行の彫刻家の友人に、彼はどうなんだろう、と問うと、伸びるんじゃないかなあ、受け入れられる素地があるよ、ということ。うーむ、そのあたりの売れる売れないの境界がよくわからない。

2003年7月26日

 久々、富田林の「らんかん」で嫁ハンとモーニング。ここのグリムセットはお得でおいしい。僕らはミクルティで。多種多様な焼きたてパンが売り物ですが、くるみパンが今日は、ことのほかグー。そして、青空。二上山、葛城、金剛の山並みが一望のロケーション。BGMはラフマニノフ。幸せをかみしめるひとときです。かつての同僚に10数年ぶりに出会う。いい朝でした。

 新しい店を発見。上の太子に出来た「アスカガーデン」。6月にカフェテリアがオープン。推古天皇陵が望める池の上に張り出したオープンテラスが気持ちいい。ここのワッフル(少し甘いけど)を食べに2度行ク。そして、喫茶軽食コーナーに続き、7月隣接する邸内(豪邸)に本格的レストランがオープンしたというので、某日曜日、義父母を誘ってランチ(980円)を食べに行く。落ち着いた構え。隣ではお見合い中。耳がダンボ。オーナーにも逢えて、お話を伺う。腰の座った方です。場所は竹内街道と南河内グリーンロードの交わる所を南に折れて、200メートルほど。こんな店が増えてくるとうれしいな。 

2003年7月25日

 天神祭をテレビ中継で見ながら、ビールを飲む。「ますだおかだ」が天神橋筋商店街から中継、寿司屋に寄って天神寿司を紹介する。寿司のネタ(梅はもちろん入っている)の説明はいいけど、折角の盛りつけ(天神さんの紋所に合わせてある)に触れなかったのはもったいない。ディレクター、何しとる!

 祭りダイスキ人間なのに、天神祭にだけは縁がない。ずっと合宿と重なったり、所用が出来たりして、一度も「船渡御」「花火」を見ていない。今年こそと思ったけど、嫁ハンの体調がイマイチで見送る。祭はひとりではさびしい。「来年こそ行くぞ」、そんな行事がいくつかあってもいいと思います。 

2003年7月24日

文楽も好き

 ここ1,2年行っていない文楽。無料の教室案内があるというので早速ファックスで応募。見事にゲットしたのはよかったのですが。

 今回はがっかり。親しみやすい五条橋(義経、弁慶の立ち回り)で幕を開け、それを使って、義太夫、三味線、人形の説明、客席の高校生(この日は京都外大の付属高校の生徒)を舞台に上げ、義太夫の一部を語らせるのですが、これはちょっと無理。よほど力量のある司会者でなければ、難しい業です。

 眼目は最後の「恋女房染分手綱」(こいにょうぼうそめわけたづな)でした。別名「重の井の子別れ」といえば、昔は泣かせる演目の上位にあったのに、実際、若いときは見て泣いた(周りも泣いていた)のに、今はしらっとしているのはなぜ?

 ひとつは語る太夫の力量。もひとつはテーマの古さでしょう。丹波の幼い姫が江戸に嫁ぐ日、その供をする乳母の「重の井」の前に、かつて別れた息子、三吉が馬子として登場する。しかし、立場上、母とは名乗れず、こころを鬼にして冷たく追い返す。三吉は泣く泣く馬子歌を歌いつつ去って行く。封建制の非情を訴えるには、今はあまりに豊かで平和で、ぼんやりした人権意識が世界を覆っているからかもしれません。

 その夜、また行き付けの天王寺のすし屋、「三吉」で飲んだくれてしまいました。

 あ、その「三吉」がテレビ番組「魔法のレストラン」で取り上げられて、間寛平たちが取材に来て、10日に放映されたそうですね。なんでだろう?大将本人も首をかしげてました(笑)。

 「03・夏・彫刻展」が、今年は、6月にオープンしたばかりという「吹田歴史文化町づくりセンター」で開かれるというので、7月14日、ちょっと遠いけど友人と出かける。JR吹田から歩いて10分余、高浜神社の南、このあたりから校外の住宅地という感じ、奇麗な花を咲かせたこじんまりとした美容院とか、落ち着いた家並みが続く。センターは昔の庄屋の屋敷を移築、改造したもので、内部の作りは昔のまま。まず、土間を上がった板敷きと続きの玄関の間(合わせて20畳くらい)で大阪彫刻家会議の会長の講演。これが意外に(失礼)面白い。あらゆるものを題材にしてきた人で、カイワレとかホタルを使った作品の苦心談などを語る。結論は、すべての作品で素材にこだわるべき、いいものを使わないと結局、手間がかかるという説には説得力あり。あらゆる道に通ずる話かも。

 30分の講演の後、広い土間でオープニングパーティ。ビールをいただき、漬物がおいしいので、これ会長の手作り?と尋ねると正解。
 土間の「おくどさん」の上に会長の作品のねずみが…。おもろい人や。

 蔵を改造した展示コーナーには、ピアノもあり、ミニコンサートも開けるが、楽器を表に出せば、中庭でかなりな規模のコンサートも開ける様子。ビール片手にあちこち見学。座敷はさすがに凝った造りで三方が庭という贅沢さ。

 いつも一次会で抜けるオープニングパーティなのに、ついつい面白くなって、彫刻家の人たちと吹田の居酒屋で盛り上がってしまう。初めての町っていうのはいいなあ。ちょっとトキメキます。

世界水泳選手権

 北島クンもすごいけど。山本貴司くんの200メートルバタフライ銀も立派!彼の泳ぎは高校時代からなみはやドームで見てきた(あのころは水泳部の顧問でした。彼は近大付属高校)ので親近感あり。大阪弁での対応もいい。翌日、仕事の帰りに早速、柏羽藤クリ−ンピアのプールに泳ぎに行った私は、やはりミーハー?

2003年7月23日

今日印象に残った言葉

「アン・パピヨン・エ・パルティ」

 モデル松本弘子さんのパリ郊外の教会の葬儀で、神父さんが。「美しい蝶が去っていった」。こんな美しい言葉で送られて、「東洋の宝石」は本望でしょう。

「人生は、尽くす、耐える、味わう。これからは味わう番」

 先日、85才で亡くなった元日本ガイシ社長の竹見淳一さんが、75才ですべての公職から身を引いた時の言葉。晩年は京、奈良を巡っていたそうです。お別れの会には2000人が参加したが、えらいさんのスピーチは無く、祭壇を飾ったのは自宅の庭の紫陽花だけだったとか。故人の遺言のよし。立派。

2003年7月22日

 三者懇談の時期。「先生、懇談に息子連れて来ていい?」「ああ、いいよ。お母さんが見てはるから、代わりの人がおらんよね。」「そう、ありがとう、よかった、助かるわ。」、というわけで、長い教師人生で初めての、親子三代面談と相成りました。生後九ヶ月の息子を連れてきた生徒、三十代のおばあちゃんを前に、どうも収まりが悪い。それにその男の子がめちゃ可愛い!!抱かせてくれと頼んで、こちらが抱いてあやしながら懇談。どうしても、子育ての話になる。あ、そうそう、英語の成績がねえ、などと軌道修正をしつつ、あっというまの一時間。子供の父親とは結婚しないという十七才の母親。これからの生活は厳しいんだろうけど、なんとかがんばって卒業してほしい。おっとりしていた生徒が母親になって、俄然たくましくなって来た。母は強し。次回の面談も子連れに決定!なんせ、あのボクにまた会いたい!

 夜、息子に電話して、早く孫がほしい、できれば男の子をというと、お父さん何考えてんねん、僕はまだ大学生やでと叱られる。反省。

 折角、たくさんの人から絵本を寄贈いただいて、中国に送ったのに、返事がない。まず着いたという確認が取れなければ、次の便は送らないというのが私の方針。手紙、ファクスをあちこちへ送って、やっと中国楽山人民政府から返事が来ました。ファックスをもらって、該当の小学校に連絡をとったが、学校はすでに、夏休みに入っていると・・・。おいおい、送ったのは三月でっせ。船便で一ヶ月かかると聞いてましたけど・・・。ま、これが中国風かも。いきらないで、気長に付き合います。家にはまだ絵本がダンボール四箱残っているのですが・・・。


今日、印象に残った言葉

 男に心から愛された経験を持つ女は一生孤独に苦しむことはない、と言ったのは詩人のリルケだったが、心から女を愛した経験を持った男の場合も、同じであるかもしれない。(塩野七生) 

2003年7月21日

 知人の息子2人がダンスの道に入り、ダンサーであり、振り付けもして、教えもしている。そのカンパニーの公演があるというので、心斎橋へ。アメリカ村の真ん中のビルの地下2階。階段を降り始めるとシンナーの強い匂いが・・・(これは近所の店の改装中の為とあとで判明)。身構えて店にいると、小学生から20代初めまで、若い子がいっぱい。場違いなところへ来てしまった感じ。昔のディスコ、今のクラブの造りで、フロアでダンスシーンがあるという設定。

 始まったけど・・・、「ダンス」(踊り、舞)と「振り付け」は全く別物ということを、30年ミュージカルや、タカラヅカや歌舞伎を見てきた自分には少しはわかるつもり。でも、この若い主催者達はわかっていない。アメリカ留学したというが、動きに日本拳法が少し入っているくらい。ほとんどコピー。独創性がない。だから胸を打たない。凡庸な振り付けでも、優れたダンサーなら活かしようもあるが、それも望めない。たとえば渋滞を表すのに、なぜタクシー運転手と乗客のいらだちという平凡な形でしか、表せないのか。通行人、待ち合わせの恋人達、契約を急ぐ営業マン・・・いっぱいイメージは浮かぶはずなのに・・・。

 時間の無駄はいやだから、一幕で店を出る。天王寺美術館の関西美術展で口直し。昨年、1席を取った友人の彫刻作品は、今年は無鑑査で、読売新聞本社賞。やわらかい光を放っている。洋画はイマイチ。日本画、書がいい。ちょっと気が凪ぐ。

 更に近鉄あべの店で日本の職人展を見る。手書き友禅、竹細工・・・職人の顔には共通点がある。衝動的に山梨の水晶細工のイヤリングを嫁ハンに買ってしまう。これも、ダンスの鬱憤晴らしかも。 

2003年7月19日

 新しい宝石「ラズベリル」。昨年マダガスカルで発見されたものが日本デビュー。紫がかったピンクで1カラット数万から十数万とか。宝石ダイスキ人間としては、早速デパートの宝石売り場に見に行こうと思っています。手は出ないけれど、見ているだけで豊かな気分にさせてくれるものが貴金属にはありますね。

 「美術展のオ−プニングパーティ荒らし」という「趣味の悪い趣味」もだんだん板に付いてきて、今回は7月7日の「きままな彫刻展」。ターゲットは茶屋町画廊。

 ところが、仕事で出遅れて、たどり着いたのがオープニングの30分後。ビールが残っていない!仕方なく(?)残っていたウイスキーの水割りをビール感覚で飲んだものだから、すぐにできあがってしまい、2次会、3次会、4次会は覚えていないというていたらく。

 後で聞くと、えらそうに、最近の作品は小さくまとまってインパクトに欠けるんじゃないかなどと専門家に噛みついていたらしい。反省。でも、思い返せば、確かに、思い切って自分の思いをぶつけたものが少ない気がします。評価なんて後からついてくるものなのに・・・。

ふるさと四国

 6月末の週末、祖母の25回忌に帰省。夜行のフェリーで早朝帰宅して、準備をする。あちこちから親戚が集まってくる。松山観光港へ北九州の叔母を、迎えに行く。港を見下ろす港務所2階デッキにカフェTリアが出来て、いい感じ。瀬戸内海は朝凪。嫁ハンとお茶しながら待つ。やがて高速艇が現れ、荷物をいっぱい持った叔母が降りてくる。めいっぱい手を振っている。3年前に叔父を亡くして落ち込んでいたけれど、元気になって若返ったみたい。

 実家に送って折り返し、今治から駅に着く伯母を迎えに。JRの無人駅に着いた2両編成のディーゼル車から降りてきて、線路に降りようとするので慌てて止める。今は陸橋がある。昔は線路を通れたのにと不満げな伯母。法要を済ませて、墓参りをして座敷で会食。昔話に花が咲き、大笑いもたびたび。父は上機嫌で、最後の挨拶で次回の33回忌までがんばると宣言。その時は90才だけど。

 こんな面白い法事は初めてじゃったというありがたい(?)コメントを残した伯母を駅に送って、祭壇を片づけて、品目別に梱包して納戸に納めて、終了。九州の叔母は1週間くらい逗留するらしい。後を弟夫妻に頼んで土産をいっぱいもらって帰阪の途へ。なごやかな集まりだったけれど、別れはやはり切ない。このメンバーが集まることはもう無いのだと思われました。祖母の親戚筋もこれで本当に遠くなって行きます。 

2003年7月18日

 前にもこの欄で触れた、通勤路にある集落の中のたった一軒の店、仕出し屋さんのおっちゃん。ひと月ほど入院してきますとい言って店を閉めてからもう半年、毎日閉まったシャッターの前を通りながら、気にしていたら、先日、店の前に立っていた。自転車、急ブレーキ。引き返す。どうしましたん?いや、胆石の手術をしたんやけど、まだ、腹が痛くて、これからまた病院へ行くんやと。元気だった面影はなく、顔色も青白い。背中も痛いという。膵臓かもしれないねえ、僕も昔やったからというと、詳しく話を聞きたがる。最後に、にいちゃん(私のこと)俺、癌やろか?癌はこわいよなあと真顔で問われる。僕もただの膵臓炎やったで、気を付けてと、慰めにならない言葉をかけて、別れてしまったけれど・・・。

行く人来る人

 小松方正さん、名古屋章さん しぶい役者が消えてゆきます。名古屋さん、藤村有弘のあとを受けた「ドンガバチョ」の声はどうなるのだろう?

 ベニー・カーターさん ジャズ、 アルトサックスの名手でした。95才。

 コンパイ・セグンドさん  キューバの歌手。近年「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のアルバム、映画で脚光を浴びました。こちらも95才。
映画ダイスキ

 ロード・オブ・ザ・リング

 これもやっと見れました。ほんとは映画館で見たかったけれど。壮大なファンタジーノベルがこれくらい丁寧に映像化されるとは。コンピュータグラフィックの目覚ましい効果に見とれます。長編を手際よくまとめた監督の腕も確か。映像処理に目が行きやすいけれど、やはり役者。新星、オーランド・ブルームはブロンドの髪を翻した弓の名手で、場面をさらいます。3作(2作目も公開済み)続いて製作されるので、楽しみです。

 小早川家の秋

 25年ぶりにテレビで見る。小津安二郎の佳作。造り酒屋の放蕩な主人(先代、中村雁治郎、絶品)の晩節を中心に、死んだ長男の未亡人(原節子)とその見合い相手(森繁久弥)、家を継いだ長女(新玉美千代)と養子(小林桂樹)、次女(司葉子)と恋人(宝田明)、などがおりなす人間模様。その他、杉村春子、三宅邦子、浪速千恵子・・・すばらしい美女、演技者、スターが揃って、小津調の落ち着いた画面とセリフまわしと、ゆったりしたユーモア。最後に農家の夫婦の役で笠智衆と望月優子が。なんとも贅沢な映画でした。
フォーエバー・タカラヅカ

「野風の笛」「レビュー誕生」

 タカラヅカの熱狂的ファンである友人が取ってくれたプラチナチケット。花組公演。今回は専科の轟悠(とどろきゆう)さんの参加で分厚い舞台に。作品としてはどちらも完成度がイマイチで不満は残るのですが、花組新トップの春野寿美礼(はるのすみれ)さんの爽やか、華やか、フレッシュな魅力満開(立ち姿が美しい!)で、行ってよかった。花組はいつも期待を裏切らない。そして、宝塚の街・・・花の道、劇場、広いロビー、赤いカーペット、溢れる音楽・・・総合的な癒しの空間なんですね。
最近読んだ本

「生きた書いた愛した」

 瀬戸内寂聴の対談集。題は、スタンダールの墓碑銘そのままで気になるけれど。対談相手が豪華。特に河盛好蔵、里見とんとの対談がど迫力。文学史のテキスト3冊読むより、文壇史がわかる気がする。思い切りぶつかって、挑発してゆく瀬戸内さんのインタビュアーぶりもすばらしいが、それをかわして、谷崎潤一郎さんは?という問いかけに「うふふ」と笑って答えない里見もすごい。
 

2003年7月16日

「山口、萩往還マラニック250キロ完踏記」

 47時間かけて走り、歩き・・・不動富成さんは、行きつけの飲み屋の常連さん。高校教師。それにしても、足はもちろん全身の痛みと、疲労、なによりリタイアして楽になりたいという自分の気持ちと戦い続けることのすごさ。たくさんのボランティアや、先輩、知り合った仲間に引っ張られ、はげましあって壁を越えてゆく。自分を見つめてゆく。人と繋がってゆく。「走りながらだんだん自分が丸裸になってゆく」というのはわかるような気がする。「素直に涙が流れる」というのも。完踏後、2,3日で「また走りたくなる」というのも。率直な表現が心を打つ。

 でも、もう自分は走らないだろうなあ。人生に一度はマラソンを走ってみようと思ったこともあったけど。今はそのためのトレーニングの時間にテニスをし、本を読みたい。人生をどう使うのか、どこに自分を見いだすのか、どこで見つめ直すのか、そんなことを考えてしまいました。それくらい、普段は突き詰めて考えることがなくなっているのでしょう。

2003年7月15日

 6月某日、ひょんなことから、ボランティア部の顧問に頼まれて、一緒に部員10名と留学生4人を連れて、東映京都撮影所を訪問することに。私が選ばれたのは、京都と映画に詳しいだろうと思われたためらしい。ま、過大評価はこまるけど、撮影所に入れるのはチャンスだし、「日本一の斬られ役」として最近脚光を浴びている、福本清三さんにインタビューできるというので、二つ返事で了解。

 当日は快晴。映画村で遊んで、午後、撮影所へ。会議室で福村さんと対面。さっそく彼を囲んで質問会。画面で見るよりほっそりしてはる。170センチくらいか。シャイな方で小声で、でも一生懸命早口に答えてくれる。つっこんだ質問をする生徒もいるし、日本語の十分でない留学生もいるので、司会する立場としては気を遣ったけど、内容のある話を聞けて面白い90分でした。不器用で、役者にはなりきれなかったけど、それゆえ、ひたむきに自分のやれることを誠実にやり通してきた40年の重さ。でも、初めてセリフをもらい、うれしくて、一生懸命練習して行って、本番でそれがとうとう言えなかったという若い日の体験は辛かったろうと思う。

 「いつもだれかが見ていてくれる」という彼を描いた本を事前に読んで行ったのですが、テレビで取り上げられる以前から、隠れたファンがずっといて、最近はファン達によるHPも立ち上がっているようです。

 インタビューの後、特別に「俳優会館」を案内してくださる。昔から一度来てみたかったところ。1階は床山や衣装室、2階はかつて市川右太衛門、片岡知恵蔵、中村錦之介、大川橋蔵、美空ひばりらキラ星の如く輝いたスターたちがいた個室が並ぶ。今はみな故人となり、現在は真ん中の部屋に高倉健の名札が。最近映画を撮っていないけれど、いつでも来られるように空けてあるそうです。そのまわりの部屋には高橋英樹、北大路欣也、名取裕子、松平健などの名前が・・・。こっそりトイレも覗いてみる。やはりウォシュレット。3階がいわゆる大部屋。2階の一部屋にあたるところに5人から8人くらいがおられて、10部屋くらい。昔はすごい人数だったらしい。福本さんの名札もかかっている。4階が大部屋俳優達のトレーニングルーム。昔は、役をもらうため、この窓から飛び降りたりしてアピールをしたそうです。

 撮影が終わり、今、編集中のハリウッド映画「ラストサムライ」(年末公開)でトムクルーズと共演している福本さん。トムの印象を伺ったら、やはり身長は彼と変わらないらしい。でもすごくきさくで、また、熱心らしい。殺陣がうまいのにも驚いた由。撮影に入る前に半年間トレーニングを積んできたとか。やはり、どの世界でもプロは違います。

 新鮮な体験をした京都の一日でした。

2003年7月13日

映画ダイスキ

めぐり合う時間たち」

 やっと見ることが出来ました。友人からもらったリピーター券を使って1000円。良く出来た脚本、今をときめく名女優3人の競演、「リトルダンサー」の俊英スティーブン・ダルトリーの冴えた演出。バランスのとれた作品なのにいまひとつ、感銘が薄かったのはなぜか?

 こちらがモチ−フである「ダロウェイ夫人」を読んでいないこと。またピュリツァー賞とフォークナー賞をダブル受賞した(知りませんでした)マイケル・カニンガムによる原作も読んでいないこともあったかもしれませんが…。

 でも、この映画、バランスを取りすぎていると思うのです。3人の女性を均等に、テンポも同じ、時間までピシャリと分割されている。地味で重い内容ですから、演技のできるスター女優の競演で映画としては引っ張れますが、劇場映画としては、あれ以上はしんどいのでしょう。でも、もっと長時間ものに、たとえばテレビのミニシリーズにでもすれば、もっと感動は深まったと思います。

 やはり異なる時代を生きる3人の主要人物のうち、主婦ローラ・ブラウンをじっくり中心に据えるべきではなかったでしょうか?彼女の苛立ち、不安、家を出るまでの葛藤が説得力を持って描かれていないから、それ以前の作家バージニア・ウルフや、以降の現代の編集者クラリッサの苦悩の類似点の相違点が浮き上がりません。

 「女性同士のキス」や「花」、「ケーキ」をうまく使ってはいるのですが、ちょっとあざとい。

 でも、カメラもいい。脇役も(子役も)。ローラの夫のジョン・C・ライリーは「シカゴ」でもヒロイン、ロキシーの夫を演じていました。(彼は「ギャング・オブ・ニューヨーク」にも出ていた。今年のオスカー作品賞候補5作の内の3作に出演。すごい売れっ子です。)個人的にはクラリッサの同性愛の恋人を演じるアリソン・ジャニーの存在感に惹かれました。娘役のクレア・デーンズもよかった。

 ちなみに今回、千日前、弥生座は観客3名。クレジットが終わって、場内が明るくなると私ひとりでした(苦笑)。

2003年7月11日

 3日早い「巴里祭」。本場は「7月14日」という革命記念日で軍事パレードなどあるようだけど、日本では名画の影響もありシャンソンフェスティバルの趣。その「大阪巴里祭」を見にNHK大阪ホールへ。嫁ハンが出演しているのです。今年は趣向を変えて、3部構成。ダンスや芝居仕立てなど、演出に凝っている。嫁ハンの出番は3部。幕開きはパリのカフェに人々が集う街角のセットから。椅子に座ってコートを羽織っている後ろ向きの女性とコートに見覚えがある。あ、あれは俺のコートや。1曲目が終わり、人々が去り、コートを脱いで、ドレス姿になった嫁ハンが振り向いて「愛の追憶」を歌う。第2次大戦、占領下のパリでドイツ兵を愛してしまったフランス娘の悲劇。32年前に東京の日生劇場の越路吹雪のロングコンサートで聴いた懐かしい歌。あのときは学生だった。帰りの運賃が足らなくて2駅歩いたっけ。そんなことを思いながら、感慨深く聴いていた。同行の社会科教諭Nさんが「いやあパリ祭にはもっともふさわしい曲だったですねえ」と言ってくださる。大舞台なので華やかな衣装で抽象的に愛を歌い上げる、そんなステージが続いていたので、ドラマ性のある歌が新鮮だったのかもしれません。

 フランス人の出演者は2人。NHKフランス語講座のドミニク・シャニョンさん、三十前の青年で好感の持てる歌いっぷり。メーンゲストはパリから来たアンヌ・リーブさん。名前は知らなかったけど、めちゃうまいと嫁ハンが言っていたのは本当だった。バラ色の人生、パダンパダンなどスタンダードをきれいに歌う。最後の「黒い鷲」は圧巻でした。

 二十数人の出演者の中でもう一人、気になっていたのは廣畑涙嘉(ルカ)さん。同志社の院の神学修士課程を出た、れっきとした牧師さんなんだけど、先日、性転換をして女性になったばかり。まだヒールでの歩き方も板に付いていないけれど、肩の刺青を見せ、深いスリットの入った赤いドレス姿は、体格がいいだけに迫力あり。チャペルの下でスナックを営業しつつ、布教活動をしているそうで、ここまでやらはったらもうご立派としかいいようがない。更衣室は今回から女性の方へ。嫁ハンは黒いレースの下着姿も拝見した由。一度そのスナックへ行ってみたい。

 終演後は天王寺「安里山」(アンリーシャン)の台湾料理で軽く飲んで11時頃帰る。嫁ハンが打ち上げを終えてタクシーで帰ってきたのは午前3時でした。 

2003年7月1日

行く人来る人

マルク・ビビアン・フォエ選手

 カメルーンのサッカー選手。フランスでのコンフェデレーションズカップの準決勝、後半遅く、ゴールエリア付近で、長身の彼が崩れるように倒れたのが見えました。まさか、そのまま亡くなるとは。28才。3人のお子さんがいるようです。カメルーンはこの大会、準優勝でした。

松本弘子さん

 60年代、田舎の小学生だった私にも、雑誌のグラビアで見る彼女は鮮烈なイメージでした。ピエール・カルダンに見いだされて渡仏、日本人初、パリコレのモデルになる。濃いメークとおかっぱ頭、身長164センチ。この人の跡を受けたのが山口小夜子さんですね。67才。パリの病院で癌で死去。素敵な女性でした。

ヒューム・クローニンさん

 俳優。ヒチコックの「疑惑の影」に出てはったけど、イメージが強いのは、晩年の「コクーン」での奥様の名女優ジェシカ・ダンディ(「ドライビング・ミス・デイジー」でアカデミー主演女優賞)との共演。UFOの出現で元気づく老人ホームの一員を軽妙に演じていました。しぶいおじさんと思っていたけど、若いとき、ブロードウェイでは「ハムレット」の主演で鳴らした名優だったのだそうです。この人も癌、91才。

キャサリン・ヘプバーンさん

 我が家のトイレの、一部の人々に有名な映画の張り紙の数々。その真ん中にあるのが、この人の「旅情」のラストシーンの表情。見事な映画(デビット・リーン監督)、演技でした。アカデミー主演女優賞4回がいつも言われますが、ピークは2回目の「冬のライオン」でしょう。後の受賞作では、「招かれざる客」も「黄昏」も名演技だけど、主演ではなかったように思います。率直な生き方が、生前は反発を呼び、死後は高く評価される・・・あちこちにそんな人がいますねえ。

Sさん

 新聞の夕刊で見かけた交通事故の記事。新御堂でバスと乗用車が衝突。ひとり死亡。なんとなく記憶にあるような名前。一度飲んだ事がある友人の友人では・・・。ためらいながら電話してみる。数回のコールの後、出てきた友人の第1声は「ゴメン、今、通夜から帰ってきたところ。」43才。昨年、たまたま居酒屋に居合わせて、紹介され、一緒に一夜、にぎやかに騒いだのです。彼は一人息子。子供も息子一人。お母さんもショックで意識がないとか・・・。痛ましい。




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