Kan-Kan の雑記帳


2004年11月22日

 村田兆治(元ロッテ投手、通算215勝)の語る父親の思い出。お父さん46歳の時の子供(戦争があったので遅くなったのですね)で、可愛がられたらしい。酔って帰ってきて、寝ているのを起こして、あれこれちょっかいを出す(ワカル!)。小5の夏、初めて汽車に乗って、広島球場にナイターを見に連れて行ってもらって、彼の運命は決まる。その場で野球選手になるという息子に、ビールを飲みながら「一生懸命がんばれば、いつかいいことがあるけん」。

 プロ入りして164勝して肘の故障。渡米して危険な賭けの手術をして、帰ってきたら父は危篤の床。腕を見せろと言われて手術の傷跡を見せると、か細い声で「やるやる・・・持って行け。俺の腕をやる。俺の腕を持って行け。」それが最期の言葉だったそうです。


中国への旅3 その17

北京の雨

 天安門広場から紫禁城へ。全世界から観光客が集まって来ている感じ。門を二つ抜けたところで突然の大雨。傘も役に立たず、びしょ濡れになって次の門にたどり着いたら雨上がる。雨に洗われて黄色の瓦屋根が目に沁みる美しさ。これは4年前に着た時よりよかった。でも、ここでも案内は直線的で、また土産物店に連れて行かれたので、私は逃げ出す。

2004年11月21日

 この1週間で近所に2件、ご不幸がありました。夜半の救急車。一家で道に飛び出すと、搬送に手間取っている。2軒となりのおばあちゃんがお風呂で倒れはったと・・・。翌日がお通夜でした。

 その向かいの一人暮らしのご老人が死体で発見されたのが、その翌々日。姿が見えないので、近所の人が見に行ったのです。ガラスが割れていたというので、警察が聞き込みにも来たけれど、新聞にも載らなかったところをみると、病死として片付けられ密葬された様子。屋内で倒れられて、助けを呼ぶためにガラスを割ったところで力尽きたのでしょうか?気の毒なことです。お嬢さんは海外におられたはず。どなたか家に来ておられるけれど、近所も声を掛けられない状況です。

 お二人とも、先週まで、親しくご挨拶を交わしてきた方々なので、まだ信じられません。


往く人 来る人

荻島真一さん(俳優・胆管ガン・58歳)

 「スター千一夜」の司会や「隠密剣士」の主役で知られたけれど、もともと「劇団四季のプリンス」といわれた若手舞台俳優でした。知的で繊細で得がたい役者でした。セリフ劇中心だった四季を離れ、タレントに転進し、四季はミュージカルに移行し・・・若すぎる死に、複雑な思いがあります。


中国への旅3 その16

北京の雨と青空(2004年7月29日)

 「ていしゅう」から国内空路で2時間。北京でうれしかったのはビールが冷えていること。あとの街はほとんど冷えが甘かった。食事は文化だからその土地の風習に従おうと思うけれど、やはり寂しい。洛陽の酒店(レストラン)で一行を代表してそのことを言うと、もっと冷やしたら体に悪いでしょう?と訊かれる。確かにそうかもしれないけれど、ビールはやはりきっちり冷やしたほうがおいしいと思うし、日本人の99,9パーセントはよく冷えたビールを喜ぶと思うよ、ちなみに日本ではビールグラスを冷やすことも多いのですよというと、ヒエーと驚いて、今後、日本人には冷やして出すようにしますと言うてはったけど・・・。どうかな?

 話がそれました。雨模様なのでまず市内観光。胡洞という日本の長屋風の造りの建物がオリンピックに合わせて整備、破壊され消えつつあるというので、オプションで見学を申し込む。案内通訳は李さんという横浜に2年いたという若い美女。蚊にかまれたと白いワンピースの上から腿をぼりぼりと掻きながら、歯切れよい解説。紫禁城近くの保護地区を人力車に分乗して行く。ひとつの玄関、中庭を挟んだU字型の建物群に数家族があるいは一族が、金持ちはそのブロック毎買い取って住んでいる。土地は所有出来ないので、建物を売買するらしい。玄関の造りや装飾で貧富がはっきりするらしい。見かけた一番大きなブロックは大金持ちが所有して愛人を住まわせ、週末にやって来るらしい。

 李さんに貧富の差について訊くと、中国は今、大きな差が生まれつつあります。貧乏人と金持ちは付き合いません。もちろん恋愛はありますが、結婚しても幸せにはなれませんから、周囲が強く反対して結婚することは少ないです、と言い切る。ああこの言葉が50年社会主義を実践してきた国の若い女性から発せられた言葉なのかと嘆息。ものすごい勢いで意識も変わってきているのでしょう。これでいいいのかな。

2004年11月20日

菅家の秋と春

 16年前に和歌山を引き払い、陋屋近く、羽曳野市内のマンションに移ってきた義父母。嫁ハンが一人娘ということもあって、歩いて15分という適度の距離で共に気分よく暮らしてきました。

 その義父(81歳)が発病して、検査、セカンドオピニヨン、投薬治療・・・と重苦しい日々が続いていました。手術を拒否する義父。人生の最晩年をどう過ごしてもらうか・・・家族で支えあい、知恵を出し合っていきたいと思っています。

 そんな中に朗報。公務員を目指して浪人中だった下の息子の進路が決定。今年度最後のチャンスだったので、義父母もみんなも大喜び。

 それで、私に「ドンデン」が来ました。ここんとこ仕事がめちゃ忙しかったこともあったのですが、息子たちのめどがついたと思った途端、なにか急に箍が外れたみたいになりました(もともと外れていたやろとおっしゃりたいのはわかりますが・・・笑)。

 息子のことなどあまり意識していないつもりだったのだけど、一応、家長(?)、保護者として、プレッシャーと責任感に縛られていたんだと、改めて感じた次第です。解放されて体が軽くなると思いきや、逆に脱力感、寂寥感に襲われ、体が重く、その上、過食に走ってしまいました。それが3日ほど続き、今それから抜け出すために自分に禁酒を命じ運動に励んでいます。(いつまで持つやろ?)


中国への旅3 その15

少林寺

 拳法に興味はないけどこれは付き合いで。かなり深く山に入ってゆくと町がある。日本なら高野山のイメージか。若い子がめちゃ多い。学校がいっぱいある。体操服を着ている。演舞場みたいなとこへ連れて行かれて、まず30分くらいの拳法の模範演技(ショー)を見る。少年20名ほどの鍛えられた動きと体だが、まあ平凡。映画で見慣れているからかな。

 そこからさらに、車で5分。少林寺へ。あの「達磨さん」も修行した由緒ある禅寺。確かに修行の場には事欠かない。古木も多く立派な伽藍もあるがここはあちこち改修工事中。それも完全復元と鉄筋をいれて適当に(?)改築しているものがあり、観光客には構わず大きな音を立てて、機材なども運ぶ。日本なら公開時間外にやるか、工事中は公開中止にするだろうに・・・。映画「少林寺」の撮影はここで行われたそうです。リー・リンチェイ(りりしい青年スターだった。現在はハリウッドに渡って、ジェット・リーと名乗る)の名前が懐かしい。

 驚いたことは、先ほどの演舞場のショーも、現在のたくさんの少林寺拳法の専門学校も、この寺とは経営的に無縁であるとのこと。それにしても実にたくさんの若者がこの山の周辺に群れている。聞くと10校あまりの専門学校に全国から何万という生徒が集まって来ているらしい。小学生から高校生くらいまで、大体、赤か青の体操服で、午後5時過ぎなのにグランドを埋めて、それぞれのクラス(?)で拳法の授業を受けている。一番大きな学校は生徒数1万5千人(!)とか。もちろん映画やショーの世界で生きて行ける者は一握り、後の人はどうなるんだろうと訊くと、大丈夫、警察官、ガードマンなどで需要は十分あるんだそうです。納得。

 ここでも山を降りる途中で、バスごと漢方薬研究所とかに連れて行かれ、見たくもないガマの油売りのような、売りつけに会う(もちろん買わない)。

2004年11月19日

 訂正です。先日記述した、藤井寺の「やすらぎの灯りたち展5」で「ステンドグラス作家16名」と書いたのは2名のあやまりでした。後は藤や陶器をなどを使われた、「灯り作家」とでも呼ぶべき方々と教えていただきました。それに、末広章子さんと書いたのは「末友章子さん」のまちがいです。申し訳ありません。ちゃんと案内のポストカードを見ながら書いてこのマチガイ。酔って書くのはいつものことですが、こんなミスは自分でも情けなく許せません。ちょっと当分アルコールを我慢します。

 これも先日の新潟中越地震の記述に対する反響です。次のようなメールをいただきました。遠慮のない人であるのと、貴重な意見なのでそのまま掲載します。ミスター・イーグルさんごめんね。ありがとう。

> 最近は山間部の集落にも衛星を利用した無線が用意されているようです。
> ただ、今回新潟の地震の場合、停電したためそれが使えなかったそうです。
> そうです。自家発電機が装備されていなかったのです。
> 間抜けな非常設備ですね。

 大きな声では言えないけれど(言ってるか!)学校の校門の防犯カメラも機能していないところが多いらしいです。なんの為に金を使っているんやろ?形だけを整えても、実がなければなんの意味もありません。(自省を込めて)


中国への旅3 その14

 穴の生活

 もう100年も地下に暮らす人々。垂直に掘り込んで地下2階位の深さにテニスコートくらいの広場があり横穴があって、一族が住む。階段を下りてその涼しさに驚く。はっきり3〜4度低いと思う。庭に生えた木の下で麻雀や中国式将棋を楽しむ人たち。邪魔しないよう早々に失礼しました。それにしても、地震はないのかなあ。

2004年11月18日

 拉致問題に対する、北朝鮮の不誠実な対応(横田めぐみさんの写真は合成!?)、奈良の誘拐殺人事件(死因は溺死!?あの山麓の街で・・・?)驚きの憤り・・・そして、なにやら悲しい疲労感を覚えるような事柄が続きます。

中国への旅3 その13

ていしゅう(7月27日訪問)

 ここも古都なんだけれど、みどころなしとのこと。古い土の城壁がわずかに残っているというけれど、見てもなにもありませんよとツアーコンダクターは冷たい対応。じゃあ、「古代王朝巡り」の看板はなんなんだと憤慨。イメージだけ先行して、事前調査不足のこちらの姿勢も反省。泊まりに寄っただけの大きな地方都市でした。排気ガスとくすんだ街路樹。西安に比べて、市内を走る車の運転は少しおとなしくなったみたいでした。

2004年11月16日

中国への旅3 その11

インの古墳

 こんなすごい遺跡がさりげなくあるのが中国。古代に滅んだ王朝の墓が発掘され、見事に蘇っている。まずその深さ、地下15メートル、ビル3階の屋上から見下ろす感じ。高いとこ好きな私も足が竦む恐ろしさ。数々の副葬品の周りに生き埋めされたと思われるたくさん馬の骨がリアルに残っている。もがいたあとがある。あと数十センチまで盗掘の穴が迫っていたらしいけれど、ラッキーなことに残された由。ここもまだ発掘作業中でまだどんなすごいものが出てくるかわからないとの説明。でも作業している気配なし。その歴史の深さと余裕(?)にため息が出ました。


行く人来る人(11月14日記入)

 アラファト議長

 ノーベル平和賞を受賞したけれど、中東の平和への道の険しいこと、道筋すら見えません。平和を希求しつつ武力行使もし、大金持で艶聞家…彼の評価は棺を覆った後も当分定まることはないのでしょう。

 南條範夫さん(小説家・肺炎・95才)

 中学のころ読んだ「燈台鬼」(直木賞受賞作)は怖くて印象に強く残っています。希望に燃えて海を渡る遣唐使の若者が、以前、同じく唐に渡って行方知れずの父と無残な再会をします。人気シリーズ「月影兵庫」は読んでいません。国学院大学で金融論を教えておられたのですね。知らなかった。


 岡本愛彦さん(映像作家・前立腺癌・79才)

 なんと言っても「私は貝になりたい」です。BC級戦犯を扱った反戦ドラマの名作を演出して、映画に比べて低いと言われていたテレビドラマの水準を一気に上げました。主演したフランキー堺さんももういません。晩年の著作の題名が「テレビよ奢るなかれ」というのが時代の推移を反映して皮肉です。

 「私は…」の最後の主人公が絞首台に上るシーンの背景に流れた「また会う日まで」(讃美歌405番)が流れる季節がまたやって来ます。


もっと京都

国立近代美術館

 平安神宮の東南、疎水の側に落ち着いたたたずまい。ロビーも広く、見晴らしもいい。さて11月の展示は…「痕跡」現代の前衛的な画家達が従来の常識を覆そうと試行錯誤して、キャンバスからはみ出した活動をまとめている。面白い視点だ。

 キャンバスを切り裂く、アスファルトを塗り付ける、細かい釘を打ち並べて微妙な図形を描く…。

 ビデオやスライドも使われている。砂浜に絵を描く画家の映像と作品。街角に血糊を流して、通りかかった人々の反応を隠し撮りしたスライド(着想は面白い)。でも、女性の肌にカッターで傷つける映像やレイプを扱ったものは別室にしてあるけれど、入場制限すべきだと思ったし、アンディ・ウォーホールのピス・ペインティング、カム・ペインティング(キャンバスに小便や精液をかけてもの)は世の中にあってもいいけど見たくはないやと思います。常設展会場でピカソやモンドリアン、藤田嗣治を見てほっとしました。

 でも、刺激的で面白い2時間の鑑賞ではありました。

2004年11月14日

 朝日新聞の朝刊を開いてびっくり、「紀宮さま婚約」。ところが読売には載っていない。これって朝日の「特ダネ」それとも読売の「特落ち」?どちらにしても新聞界は大騒ぎでしょう。御婚約そのものより、そちらが気になってしまいました。

 でも、紀宮さまのこと、お節介の故郷の母は喜んでいるでしょう。なにせ他所の縁談まで気になる人だからなあ(笑)。これで美智子さまも一安心、いや、まだ雅子さまのことがお気がかりだろうなどと言っている様子が目に浮かびます。電話してやらにゃ。


最近読んだ本

「こんなふうに死にたい」 佐藤愛子

 無神論者だった作者が、いろいろな超絶体験からなにかの存在を信じ始めて行く過程を正直に書いていて面白い。また親友、川上宗薫の死の場面は胸を打つ。

 「・・・私は神の存在を信じるが、私にとっての神はそのように人間を作り、その後は人間のするがままに委せて、ただじっと見つめているだけの存在なのである。神は罰しもしなければ、救いもしない。神の愛を私は信じない。神の意に沿う者も、沿わぬ者も同じように、神はただ見ているだけだ。あるいは神は既にこれからの人間がどうなっていくかを知っていて、そして沈黙しているだけかもしれない・・・。」終章近くのこの文章に共感しました。

「寂聴おしゃべり草子」瀬戸内寂聴

 老いてますますお元気。世界状況に関する批判などはもちろんそれなりに面白いが、なにより今だから語れること、まだ語れないことを含めて、昭和以来の文壇史の裏側が面白い。川端康成との交流、三島由紀夫と川端がノーベル賞を境に決別していったなんて知らなかった。筆者と岡本太郎とのかかわりも。

「河童のスケッチブック」妹尾河童

 寝る前に読み、眺めるのに最適。緻密な絵の楽しさと河童さんの飽くなき好奇心に、明日への活力が沸いてきます。

2004年11月13日

 雑誌「ビッグコミック」が好きです。友人から回って来て、一家で読んで、また別の友人に流れて行きます。四国の母も購読しているらしい。その中の漫画「小早川伸木の恋」が好調です。柴門ふみさんうまい。都会の大病院を舞台に、若い医師を中心とした微妙な恋の行方が丁寧に描かれる。気の利いたセリフが多い。「ウソ泣きと仮病が平然と出来る人間が一気に悪まで転がり落ちることが出来る人間だ」なんてなるほどと思わせられます。

 東京で「木枯らし一号」が吹いたとか。もう初冬というべきですね。でも関西の紅葉はこれから・・・季節感がなんか変です。毎年11月の楽しみ、藤井寺「ゆめいろミュージアム」の「やすらぎの灯りたち展5」。今年も充実した展示でした。16人のステンドグラス作家の中で、今年も末広章子さんは垢抜けたモダンな作風を深化させて魅せてくれました。作者にお目にかかれたのもラッキーでした。


また京都へ行きました

 秋の京都。岡崎、京都市美術館別館の能面展。知人の山本聖山氏が出品しているということもあって出かけました。ひとつひとつは小さなものですが、120ほどの面が並ぶと壮観です。小面(こおもて)、翁、若女、など同じつくりのものでも微妙に表情の違いがあります。山本氏のは孫次郎(まごじろう)という中年の女性の面ですが、微かな笑顔に品があって素敵でした。そういえば長らく能にも行っておりません。

 南禅寺の隣に6000坪の庭園が未公開で眠っていたなんて・・・。きっと維持しきれなくなったのでしょうか、100年ぶりの公開というので出かけました。「何有荘(かいうそう)」。入り口右手にある茶室の額は伊藤博文、やはりただの庭じゃない。疎水から直接引いた豊かな水が大きな落差で落ちて(瑞龍の滝)庭は上下に別れ、下は広い池泉回遊式、上は芝に能舞台、上の庭の草堂の土間から長いトンネルが掘られ、哲学の道や他へ繋がっている。トンネルの中は広く明るく、鍾乳洞の意匠で作られている。明治天皇来訪時、専用の通路だった由。とにかく位置が高く、見晴らしよく、これからの紅葉がさぞ美しいことでしょう。拝観料1000円はちょっと高いけど、楽しめました。こんなものを隠しているんだから、京都は奥が深い。 

2004年11月10日

 日朝協議の行方が心配です。相手の調査責任者さえはっきりしない状況では「前途程遠し」です。自殺?その後に入院?中途半端な報告に振り回される横田めぐみさんのご両親はじめ、拉致されたと思われる人々の家族は本当にお気の毒としかいいようがありません。でも、冷静な粘り強い交渉が今こそ必要です。

 などと言いつつ、警告を無視して航行する謎の潜水艦に対して「そんな失礼なやつは撃沈しろ!」とどなって、息子Bから、「お父さんいつから右派になったん?冷静な行動が大事やいうたん先刻やろ?」とたしなめられて、反省している秋の夕べです。


奈良へ行くなら

 樺の木峠から下市温泉へ

 晴れた秋の一日。旧友達4人と、ハイキングに。下市、上栃原から7キロ歩いて温泉で一杯のはずでした。

 さわやかな風、黄葉、揺れるすすきの穂、花梨の実、烏瓜・・・。すれ違う人もいない気持ちよい秋の山道を歩いていたのはいいのですが、だんだん道が荒れてきて、倒木も多くなり、ハイキングコースのはずのに標識も無くなる。獣の足跡も見えてきて、、クマが出るんじゃないかとの不安も口に上る頃には完全に迷っていました。

 台風の影響だったのですね。無謀でした。歩いて歩いて、最後の山の尾根の別れ道は勘で選び、ひたすら下って、遠くに川音が聞こえても安心できず、人家の屋根が見えたときはほっとしました。たどり着いた中腹の集落は廃屋ばかりで、更に下り、川の畔の「錦」という小さな村に至ってやっと人に出会えました。タクシーを呼んで、それでも下市温泉までたどりついて、温泉に入りビールを飲んだのは執念というしかありません。次回はもっと下調べして行きます。

 それにしても満員だった朝の電車。たくさんのハイカー達はどこへいっていたのだろう。吉野かな?下市温泉も休日なのにガラガラでした



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