Kan-Kan の雑記帳


2004年2月29日

 明日はアカデミーナイト。今頃、映画人がハリウッドに詰めかけているころでしょう。ミーハーの我々夫婦は、当夜のスター達のファッションが楽しみです。渡辺謙のライバルというより助演男優賞の本命、ティム・ロビンスはパーティも入れて3着用意しているようです。まして、女優さんは・・・。最近、ジュエリーはレンタルが多いようですが、流石にドレスは自前。ギャラより高いものもあるとか。戦争があって(今も?)地味だった去年に比べて、レッドカーペットも復活、華やかな夜になりそうです。

最近読んだ本

「十一番目の戒律」ジェフリー・アーチャー

 題名はCIAの「汝、正体を現すなかれ」という掟から。英国の下院議員でもあった作者の政治サスペンスはいつもリアルで、そのくせ娯楽性もたっぷり。ホワイトハウスとクレムリンでの話を同時並行させて、混乱をきたせない語り口のうまさ。魅力的な人物達、男の友情と家族愛、祖国愛、組織の非情さ。ただし最後の美しい「どんでん返し」が、私には不要に思えました。最後にサスペンスがファンタジーにスライドして、読後感が軽くなってしまいました。でも、極上のスパイもの。お薦めです。

2004年2月26日

 2・26事件と言われてすぐに連想するのは、雪、三島由紀夫の「憂国」、青年将校達・・・。でも、上官に引きずられていった多くの若い兵士のことが忘れられていますよね。処刑された首謀者たち以上に悲惨な運命が彼らを待っていたのです。

 今年はまた慌ただしくて、梅見に行く余裕がありません。暖かい日が続き、さまざまな花のつぼみが一気に膨らんでいるのに。

 アカデミー賞の発表、近づく。渡辺謙さんの話題で盛り上がっていますが、来夏公開の「バットマン」の新作に悪役として出演とのニュース。これで名実ともにハリウッドスターです。

2004年2月21日

 テレビの威力に改めて驚きました。まさかと思ったのですが、14日、酒蔵で取材を受けた分が、20日のMBSの「VOICE」で放映され、私がしっかり映っていたということでの騒動の顛末です。

 私は仕事で見られなかったのですが(放映時間の6時頃は実際、忘れていました)、7時頃、職場からカエルコールをすると、嫁ハンがあなた大変よ!なんやねん?テレビの話よ!ええ?あ、写ったんかいな!あちこちから電話やファックスやらでもう・・・というやりとりから始まりました。まず、番組の最初にフラッシュで私の顔が流れた時点で、自宅に電話が入り、いそいでテレビをつけたら間違いなく見慣れた酔っぱらいが写っていたそうです。嫁ハン驚く。

 8時前に帰宅したら、また、電話やらなにやら、皆、笑いながら、見たよお〜と言うのが腹が立つ。一緒に行ったメンバーや職場の仲間は知っていただろうけれど、意外なのは、ここ数年会っていない友人達も偶然、見ていたのですね。滋賀県から和歌山まで(四国で放映されていなくてよかった、親が見ていたら勘当されるやろ)、食事中、仕事の最中(額縁を作っている友人は仕事場でテレビをつけっぱなしにしているんだが、懐かしい声に振り向いたら・・・)とか、帰宅中の車のテレビに突然酔っぱらったおまえが映って事故を起しかけたという苦情まで、電話は10時頃まで続きました。もちろんメールも。でも、久しぶりの友との会話は嬉しかった。その点は感謝。それにしても、あの時間帯、意外にたくさんの人が見ているのですね。

 堅いことを言おうとは思わないけれど、肖像権の問題はありますね。数年前に、朝のテレビのさりげない街頭中継の中に、東京出張のはずお父さんが、札幌でどこかの女の人と映っているという問題がありました。今回も、取材は14日の土曜日で休日だったけど、放映は20日の金曜日、平日なので、その日の昼から飲んだくれていたと思った人も何人かいたようです。問題になるのではと心配して下さった方もあるのでこの場で確認しておきます。休日職場の仲間と出かけておりました(笑)。

 私が見ていないと知った友人が、わざわざ録画した分を届けてくれました。見ました。もうーーー「恥ずかしい」のひとことです。なんちゅう酔っぱらいや!

最近読んだ本

「定本 岳物語」  椎名誠

 小中の教科書にも載せられている、人気作品。小学校から中学校にかけての息子の成長を、同じガクという名前の犬や、友人との交流をまじえてユーモアたっぷりに描かれる。そこには「あらまほしい少年像」に対する作者の夢が込められており、意外なことに曾野綾子さんの「太郎物語」と非常に似ている。でも、それぞれ、モデルとされた本人は辛いだろう。これは定本なので、その後の岳クンの人生経路や、本人の文章も添えられているので、より興味深い。小説特有の強調、省略があり、作品では除かれていた長女の存在が、実生活では(岳くんの人生にも)大きかったことがうかがえます。

「京都・知の情景」 澤田ふじ子

 江戸時代に生きた京の哲人、神沢杜口(かんざわとこう)の生き方を例に、現代人のあり方をさぐるエッセイ。40過ぎに隠居し、蒲柳の質だからと京を歩き回ったかれの見聞は膨大な覚え書きとして残り、内容的には徒然草にも匹敵するといわれる。

 若隠居というのがいいなあ。ちなみに、私の故郷の実家の屋号も「隠居」なのです。江戸時代にご先祖が松山から高縄半島の山村に隠棲してきて子孫を作ったらしい。村娘に手を付けたのかなあ。隠居願望は血筋なのかもしれません。

「知恵ある人は山奥に住む」  高橋義夫

 都会育ちが田舎の暮らしにあこがれるのはよくある話。でも、厳しい自然と、窮屈な地域社会にとけ込むのは難しい。筆者は直木賞をもらう前、すなわち売れてない時分から、東北を中心に根気よく田舎暮らしを模索する。月山のふもとの町に10年以上暮らし、もう根付いてきている。「10年いい人を演じ続ければ受け入れられる」と書いてあるが、確かにそうでしょう。いい人も10年演じられればホンモノです。そして一度受け入れられたら、めったなことでは弾かれない。「よそものがはいっちゃダメだと拒否されても、いつのまにか住みついてしまう、そういうたくましくて知恵のある人が山奥に住む」ー私は都会と山奥と海岸とそれぞれに住みたい。 

2004年2月18日

 昨日の記事の訂正です。NBSはMBSの間違いでした。お詫びして訂正します。新聞でNBCの記事を読んだのが印象に残っていたのでしょうね。早速メールでご指摘頂きました。ありがとうございました。公開していない、こんなささやかなHPも、毎日見てくださっている方があるのです。うれしい限りです。

 目を閉じると、頭の中に暗黒無限の宇宙が拡がる。その中に小さいブラウン管のような明るい四角の画面が見える(?)。意識を集中して拡大すると、青い海の波打ち際に群れ飛ぶ無数の白い鳥。カモメかアジサシかアホウドリか。激しい風に煽られて必死で宙に留まっている。あれはいったい何なのだろう?

最近読んだ本

「鬼平先生流 男の作法、大人の嗜み」  佐藤隆介

 個人的趣味を、師匠の池波正太郎の生き方にまぶして語る。なるほどと頷く点も多々あるけれど、どこかに東大出であることを意識しているのが鼻につく。ちなみに池波正太郎氏は小学校卒。読後、早速、京都「ぴょんぴょん堂のぽち袋」を手に入れようと手配中。 

2004年2月17日

 14日、職場の仲間12名と灘の酒蔵巡りに行って来ました。阪神今津から、歩いて「日本盛」、「白鹿」、「白鷹」、魚崎から春一番の吹く中を「櫻正宗」、「浜福鶴」(ここの利き酒は最高)、「菊正宗」、「白鶴」、「瀧鯉」、と巡ってそれぞれ利き酒して、少しずつ酒を買い、ところどころの公園で飲んで、最後は「福寿」で酒蔵を見学の上、しっかり試飲する。

 たまたまNBSが「福寿」に取材に来ていて、インタビューされてしまったのですが、ほとんど意識朦朧だったので、心配。20日の「VOICE」で放映されるらしい。昨日、知り合いのNBSのカメラマンに頼んでカットしてくれるよう頼んでおいたのですが、どうなりますか・・・。

 それにしても。醸造元は震災でそれぞれ大きな傷を負ったのに、なんとかがんばってはる。その心意気と味に酔って、さらに梅田、天王寺、古市と飲んで廻ったのにはさすがに自分でも感心。よう飲むやっちゃ。飲みながら酔いが醒めてゆく感じがなんともいいんだなあ。

 15日、以前この欄でも触れた禅寺の友人の父上が逝去。93才。早春の宵、通夜に訪れた寺の前には大きなテント。「山門不幸」の立て札を過ぎて焼香に向かう。境内にはまんさくと梅の花。祭壇の右手に本山からの僧達、左手に住職である友人と本山で修行中の息子さんが。多くの方に送られて、これはこれで仕合せな最期だったのかも。早朝座禅でいつも拝見していたがっしりした背中ともお別れです。

2004年2月16日

歌舞伎ダイスキ

寿初春大歌舞伎 松竹座 昼の部

第1幕  「南総里見八犬伝」

 楽しい古典活劇をどう舞台で見せるか?期待して行きました。天守閣上での乱闘は定型的で面白みに欠けましたが、捕り方はじめ大人数が華やかな衣装で揃うと、舞台に新春らしい華やぎが溢れる。出番は少ないけど、伸二郎、愛之助、進之介ら若手にはもっとがんばってほしい。

第2幕  「土蜘蛛」

 源頼光と彼に取り憑く妖怪を描く舞踏劇。中村吉右衛門が堂々とした存在感を見せつけます。

第3幕  「封印切」

 これがよかった。雁(字が出ません)治郎の中兵衛はすばらしいの一言。敵役の八右衛門の我當も富十郎の代役とは思えない出来。特によかったのは秀太郎、茶屋の女将という脇役だけど、中兵衛をさりげなく気遣い見守る姿勢をさりげない動きに滲ませてしっかり場面を締めて、これが舞台の完成度を高めました。残念なのは梅川の翫雀、めったにやらない女形が身に付かず、忠兵衛が命を賭ける女にはとても見えない。でも、それを差し引いても見事な舞台でした。

2004年2月13日

 平成15年 顔見世 夜の部

第一幕  一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)

 源義朝の未亡人、常磐御前を妻に迎えた公家の大蔵卿が、平家を欺くため阿呆を装う。謀反の家臣に対して、きっと颯爽とした本性を表し、事を収めた後、再び造り阿呆に戻るところの仕分けが見所。仁左衛門の大蔵卿は安心して見ていられます。雀右衛門は十二単衣が重たそう。

第二幕  英執着獅子(はなぶさしゅうちゃくじし)

 とある城の大広間、美しい姫がうたた寝の後、蝶に誘われ踊りながらいつしか獅子に変身してゆく。能を下敷きにしたいわゆる石橋(しゃっきょう)物ですが、中村雁治郎があでやかに踊ります。はじめの赤姫(赤い長振り袖の衣装の姫)も美しく、客を引きつけるのですが、後半の獅子になると、手足の短さが妙に見えすぎて、ちょっと興ざめでした。

第三幕 吉田屋

 夜の部はこれが目当ての客がかったはず。その期待を裏切らない出来の舞台でした。年末にふさわしく華やかな狂言で、毎年のようにかかる演目ですが、今回は最高。落ちぶれて紙衣で登場する伊左衛門に扮する仁左衛門、大店を勘当された若旦那の粋と品が漂う出が見事。ええかげんな男やのに憎めない。みすぼらしい(どこが?!)紙衣は紫に黒、金の字で屋号の松嶋屋の書き込みも。相手の夕霧太夫がそれを上回る豪華版、玉三郎の打ち掛けと美しさにどよめく観客。コミカルなやりとりのあと、勘当を許されて、身請けの千両箱が運び込まれ、更に玉三郎が衣装を着替える新演出のサービスもあって、舞台も客も年月を隔てても同じ新春を迎える喜びと共有しつつ、幕が閉じられます。目のご馳走でした。

第四幕  華果西遊記(かかさいゆうき)

 これが拾い物でした(失礼)。病気休演した猿之助も弟子達が踏ん張って、幹部俳優が出演していない一幕なのにこの活気。天竺に旅する三蔵法師一行と彼らを悩ます妖怪たちとのにぎやかなやりとり。手品あり、京劇風アクションあり、宙乗りありで、観客席は大喜び。特に人気の市川右近はいきいきと動いて悟空を演じきり、堂々の看板役者ぶりです。申年を迎えるにふさわしい演目でした。

2004年2月12日

 今日印象に残った言葉

 「ただ生れて死んでゆくまでの間を、気持ちよく、おてんとうさまに恥ずかしくなく、石の裏にも、木の陰にも宿っている精霊たちの言葉を聞くことが出来るような自分でいること。この世が作った美しいものを、まっすぐな目で見つめたまま、目をそらすようなことに手を染めず、死ぬことが出来るように暮らすだけのこと。それは不可能ではない。だって、人間はそういうふうに作られてこの世にやってきたのだから。」吉本ばななさんの連載小説の一節から。

 往く人来る人

 手塚しげおさん 歌手、俳優 2月4日死去 肺ガン 62才

 アイドルグループ「スリー・ファンキーズ」の一員でした。もう62才だったのです。でも若い死です。最近は北新地のクラブマスターだったとか。

 桐竹一暢(いっちょう)さん  文楽人形遣い 65才

 ベテランというより中堅でした。地味だけど堅実で丁寧な動き。貴重な女形の遣い手で、これからの人でした。玉男、蓑助さんたちの嘆きはいかばかりか・・・。大阪狭山市くみの木の人だったのですね。斎場もよく知っているところです。告別式は24日とか。

 江口乙矢さん  舞踏家 肺炎 92才

 30年前に大阪市内のどこかの劇場で見ました。もう60を過ぎておられたけど、ご自分の舞踏団を率いて、群舞で見せる場面が印象に残っていますが、一場だけ奥様と組んで踊られました。エロチックな舞台でした。関西でモダンダンスを根付かせた功労者だと思うのですが、青森出身だったと死去の報で初めて知りました。たしかにどちらかといえば、軽快というより、台地に根ざしたような、骨太な振り付けが多かったように思います。それはそれで味がありました。

2004年2月1日

 あっという間に2月。祇園の舞妓はんの花かんざしも梅に変わって。もう、装いは春です。

 1月中旬、年若い同僚のお父様が亡くなられました。癌で発病から数ヶ月の死。朝、職場で知らせを聞いて、翌日のお葬式にはどうしても出られないので、今日行こうと決意。授業を終えて、3時の地下鉄に飛び乗りました。

 同僚の実家は滋賀県木ノ本というところ。。仲間がダイヤを調べておいてくれたのでスムーズに新快速に乗り換えてて、長浜まで。途中何度も携帯電話で香典の追加立て替えを頼まれる。長浜で金沢行きに乗り換えて数分、車内放送と共に車両内電灯が一時一斉に消える。交流から直流への電流切り替えらしい。外の雪景色がふわっと浮き上がって、車内にどよめきが起こる。10分余りで木ノ本へ。6時15分。初めて訪れた琵琶湖北東岸の旧い宿場町。石畳の道は撒水されて、歩きやすい。うだつの上がった瓦葺きも旧い町屋が続く美しい通り。10センチ位の積雪。杉玉が下がっているのは造り酒屋だろう。「七本槍」と書いてある。秀吉の「賤ヶ岳の戦い」はこの近くなんだろうな。こんなときでなかったらゆっくりしたい町だ。

 友人宅まで早足で10分。赤い防寒具を気にしながら預かってきた香典40部を渡しお悔やみを申し上げる。故人はまだ61才。定年退職されたばかりで、友人の「悔しい」と言うことばに胸を衝かれる。ご家族、親族の情のあるご挨拶を受ける。でも、お通夜の席を中途で失礼して駅に向かい、午後7時46分の電車で大阪へ向かう。これに乗らないと次は九時で、その日の内に帰れない。でも、私の四国の実家より便利です。

 寒かった新快速の車内が、京都を過ぎて混んできて暖かくなり、眠くなって、大阪駅で乗り過ごすところでした。家に着いたら11時。正味八時間のミニ旅行でもありました。


 平成15年 顔見世 昼の部 第4幕 雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)


 春先の寒い夜、御家人崩れの浪人、直次郎が、追っ手の目を避けて、江戸の外れ、入谷を訪れる。ここに愛人である吉原の花魁、三千歳(みちとせ)が養生しているのだ。袷を尻はしょり、半天に手ぬぐいで頬被りという寒そうな姿は、惨めなはずなのに、片岡仁左衛門がするとかっこいい。

 有名な蕎麦屋の場面では、その食べ方、立ち居振る舞いの美しさが際だちます。この演目が舞台にかかると、小屋の周りの蕎麦屋が繁盛するという話も納得。ただし、相手の三千歳役の雀右衛門が歳なので、ふたりのからみが美しくない。情感が出ず、感情移入できない。最後に逃げて行く直次郎の「三千歳、もうこの世じゃ会わねえぜ!」という絶叫がいまいち心に滲みません。残念。気の毒だけど、三千歳は玉三郎がやるべきでした。 



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