Kan-Kan の雑記帳


2004年4月30日

 昨日、奈良・三重に遊びに行ったときのこと。どこの行楽地も駐車場の客引きがすごくなっていることに驚きました。目的地の遙か手前から人が道ばたで手招きしている。何か用かなと思うと、これが客引きなのです。せめてプラカードかなにか持って欲しい。

 ひどいのは長谷寺。確かに牡丹のシーズンなのですが、ものすごい数。その客引きの中にひとりの車椅子のおばあちゃんがいました。にこにこ笑って手招きしていたけれど・・・交通量の多い道端で、なにより危ない。ご自分の駐車場なのでしょうか。複雑な思いでした。

 四国の83才の父もはまっている「冬のソナタ」。主役のペ・ヨンジュンさんも人気。ハリー・ポッターのダニエル・ラドクリフ君に似ています。他に誰かに似ている・・・あ、息子だ、お前、ヨンジュンに似ているぜ、ウソー!と騒いでいると、嫁ハンが、え、ヨン様!と飛んでくる。

 確かに一見似ているが、よく見ると全然ちがう。結論。メガネだけが同じ仕様なのでした(笑)。

2004年4月29日 その2

 みどりの日。見事に晴れた連休初日。あてもなく家を飛び出し、嫁ハンと3月開通した南阪奈道路をとりあえず一路東へ。橿原神宮が終点。途中の二上山、畝傍山はじめ周りの山々が黄緑に輝いて美しい。最高のドライブ日和。更に165号線を東へ向かい、桜井のガソリンスタンドで給油しているうち、ポスターが目に入る。

 「花の郷滝谷」。前から行ってみたかったんだ。場所を確認して走ること30分。「三本松」の道の駅を右に折れて橋を渡り、畑中の道を抜け、木製のゲートを潜り、山間の道を登るとそこが「花の郷」。今は色とりどりの芝桜が満開だが、鉄線、紫陽花、菖蒲(これがメインらしい)、ブルーベリーと続くプログラム。程よい広さ、起伏があり、遊歩道も様々の花々を上手に見せる工夫がなされている。周囲も典型的な里山で美しい。入場料800円は安いと思うけど、今が最高値で、季節によって値段が変動(冬は無料)というのも面白い。食堂で郷蕎麦、草餅をいただいて、満足。人も少なく、連休の穴場と思います。

 その足で更に東へ車で30分。「赤目48滝」へ。不思議に今まで縁がなくて、初めて訪れました。なだらかな平地からすっと入ると、すぐに深山の趣。新緑に覆われた高い岩山が迫ってくる。山の緑、彩る藤の花、木々を漏れ来る光、渓谷の美しさ。滝の滝の程よい距離とそれぞれの滝壺のスケールの大きさ、水の清らかさ。崖、石、岩の見事さ。感動。車谷さんの小説の映画化で改めて脚光を浴びているけれど、ここも人が少なく、ゆっくり楽しめました。嫁ハンの足を考え「布引の滝」で引き返しましたが、是非再チャレンジしたい。入山料300円を取って整備しているのも、現状を考えれば、当然のことと思いました。それにしてもあの深い滝壺で泳いでみたい(できれば寺島しのぶさんと一緒に)。麓の土産物屋のヤマブドウのソフトクリームもおいしい。帰途には往路、目を付けておいた名張市安部田の造り酒屋で、「天下錦」を購入。今度は針インターから西名阪で帰宅は午後4時。往復7時間の初老の夫婦にふさわしいミニドライブでした。

2004年4月29日 その1

 朝5時。ちょっと冷えたけど、爽やかな連休の初日です。近くの高層マンションのガラス窓が赤く染まってきたので、日の出の近いのがわかります。陋屋に陽が射すのはずっと後のこと。

 「緑雨」(りょくう)、新緑の頃に降る雨。明治の作家「斉藤緑雨」の死後100年とか。明治も遠くなりました。

 君子蘭が咲きました。嫁ハンの大学時代の友人が持ってきてくれて、大きくなって株分けして、今年は3つの鉢で花をいっぱいつけてくれた。この花は薄暗がりの中で見ると一層美しいということを発見しました。

 花をくれたその女性は26年前、僕らと一月遅れて結婚、夫婦で親しく付き合ってきたけど、10年前に離婚。今、どうしておられるだろう。花が咲く度に思い出します。

 花も10日以上早い季節進行だそうです。毎年楽しみにしている、河内長野の友人宅の牡丹も、先日訪れると、最後の一輪だけでした。藤も終わりかけ。そのかわり「おおでまり」、「鈴蘭」、「花大根」がきれいに咲いていました。


奈良へ行くなら

 今年最後の花見は当麻寺で。奥の院が庭を整備したのを知らなかった。新しい庭はまだ落ち着いていないけれど、広々として、また周囲の山、特に二上山とマッチして、あと10年すればいい庭になるだろうなあと思われます。八重桜があでやかでした。例によって山門前の蕎麦屋へ。やはり1時間近く待たされたけど、おいしかった。
逝く人

市古 貞次さん(国文学者、心不全、92才)

 「図書総目録」の編纂者。この人の名前に触れないような生活をここしばらくしてきました。国文学部出身として恥ずかしい。雲の上の人の様な存在でしたが、素顔は純文学より、推理小説を愛する気さくな方だったようです。「みんなに楽しく仕事をさせるのが上手な人」という評は得心させられます。葬儀委員長、弔辞は秋山虔さん(80才)。これも、納得。

坂東 吉弥さん(歌舞伎役者、腹膜腫瘍、66才)

 先日松竹座の歌舞伎公演を観に行った友人が「ばんどうきちやさんという人イマイチでした」と報告してくれたので、「彼、先月末に亡くなったんです」というと、あ、やっぱり代役だったんだと納得してました。得難い上方歌舞伎の脇役でした。まだ、若い。座頭の雁治郎さん(「がん」の字が出ません)の気落ちはいかばかりか。

大阪あちこち

 堺の「アスティー山ノ口商店街」に出かける。南海本線堺駅から歩いて10分余、アーケードが整備され、さっぱりしているけど、ちょっと寂しい通り。「ギャラリーいろはに」での知人の彫刻展のオープニングパーティはその通りを堂々と(?)使って飲み食いできるようにしてありました。作品は岩塩と電球を組み合わせたもので、ぼくにはピンと来ませんでした。でも、帰りの阪堺電車が楽しかった。宿院から大阪市内までとことこ走る路面電車は市民の生活に密着していて、家々の晩ご飯の様子まで覗けるようなところもある。風情は違うけど「江ノ電」を想い出しました。少し暑かった夜、窓を開いて、風を受けながら走るのも気持ちいいものでした。また乗りに行きたい。
来る人

嶋 重宣選手(広島カープ、27才)

 10年目に花開いた逸材。本来は投手だったのに、99年に野手に転向後、腰痛、解雇の危機を乗り越えて、今年ブレイク。打率もダントツ、「赤ゴジラ」と呼ばれる人気。それにしても有力選手を金持ち球団に取られても、つぎつぎ選手を養成する広島はえらい!
 

2004年4月19日

 イタリア人の射殺された人質の件、なぜ、もっと大きく報道しないのでしょう。彼にも家族があったはずです。国と個人の問題があったはずです。

 警告を無視して信念を貫く以上、「覚悟」は本人にも家族にもあるべきと思います。

 息子にも、「うちなら心配しつつ、祈りつつ、嘆きつつも、放っておいて下さいと言い、実際、放っておくからな」と言っております。ま、イラクに出かけるだけのパワーがあればの話ですが・・・(苦笑)。


 先週、桜の花の散り際を見たせいか、「潔い」などという死語を想い出してしまいました。もちろん「無駄死に」はいけません。

 行為そのものは立派でも、その底に甘えがあってもいけません。

印象に残った言葉

 「戦争(いくさ)はいやでございます。親孝行ができせんし、なにしろ散らかしますから。」(新内、岡本文弥さん)

逝く人

横山光輝さん(漫画家、焼死、69才)

「鉄人28号」「伊賀の影丸」「仮面の忍者赤影」「三国志」・・・それぞれ懐かしい。病気で動けない身での焼死は気の毒です。

鷺沢もえさん(作家、自殺、35才)

最初、心不全と報道されましたが、とっさに自殺と感じました。そんな危うさがありました。そこも魅力でした。惜しい。

2月に亡くなった元横綱、鏡里さんのエピソ−ド・・・横綱になっても後援会を作らせなかった。「後援会の人に頭を下げることを母にさせたくなかった」ーアノ時代にそれが出来たんだ。60才に元横綱が国技館で行う「還暦土俵入り」は病気で出来なかったが、家で、小学生だった孫二人を太刀持ちと露払いに従えて、記念撮影。笑顔。最期は、希望通り、娘の嫁ぎ先の寺で成人して得度したその孫二人の読経に送られて旅立った。「最高の気持ちだったと思います。なにも思い残すことはなかったでしょう。」という奥様の言葉。幸せな人生。

来る人

稲葉 瑠奈さん(モデル、ピアニスト)

 天はまたしても不公平に二物を与えてしまって・・・。愛嬌もあります。気取った川井郁子さんより大分マシ。

2004年4月13日

 2000年に105才で死去した日本画家の小倉遊亀(ゆき)さんは、晩年「ライバルがいなくなった」と嘆いたそうです。その気概やよし。何十年も正座で描き続けたため、両膝が変形して歩けなくなったとか。その執念もすごい。

 俳優の大滝秀治さんー2年前の秋に京都の詩仙堂でお見かけしたなあ。

 彼の最近の言葉。「稽古はしみこむように、つかる、ひたる、ふける、こめる。そして、にじみ出るような芝居をしたいね」ー授業も同じですね。

 「自信は持っていてもうぬぼれず、謙虚であっても卑屈にならず」ー難しいけど、大事なこと、でもやはり難しい。

 桃井かおりさんー52才。120才の現役俳優が目標とか。「自殺は卑怯だし、早死にはもうできない。ならば長生きしかないでしょう。『着崩す』ならぬ『生き崩す』っていうのがあっても、いいと思うのよね」ー同感デス。

 三木谷浩史(インターネット市場「楽天」会長)。まだ40前か。「ピンクのシャツを、誰に遠慮することもなく着られるような人生がこの先に広がっていると思えば、勉強なんてつらくない」ーと思ってハーバード大へ留学、猛勉強したんですって・・・。まじめな人やなあ。若いときからずっと気楽に職場でピンクのシャツを着ている私はなんなんやろ?

 憲法は「横書き」出来ない・・・理由は第7条と73条に「左の」という部分があるから?なーんだ。でも、これを変えるには気の遠くなるような手続き(最後は国民投票)が必要なんですって。それも不便な話やなあ。

 3月末閉店した京阪樟葉の「松坂屋デパート」の店員さんの言葉「いつかまたどこかで」。


逝く人

芦屋雁之助さん(俳優・鬱血性心不全・72才)

得難い味の喜劇俳優でした。「裸の大将」は好きでなかったけれど、舞台の「おもろい女」の演技は見事でした。森光子さんを相手に、目立たず、引き過ぎず、絶妙の間で相手を立てる・・・。漫才で鍛えた実力はすごいものでした。

加山又造さん(日本画家・肺炎・76才)

京都の西陣生まれ。血が濃いはずです。描かれた天竜寺の天井画(もちろん竜)を拝見しましたが、迫力ありました。「千羽鶴」も好きでした。

2004年4月11日

 イラク人質事件。個人の思い、家族の思い、国家の思い、それぞれが交錯して事態は混沌とした状態のままのようでしたが、突如解放に向けて動き出す。多くの人が深夜から早朝にかけての報道に翻弄されましたが、水面下でどのような動きがあったのでしょう。どちらにしても、今回の事件が平和ボケのわれわれ多くの日本人への厳しいカウンターパンチであったことは間違いないところでしょう。そして、国家とは別の次元で動いている人間(日本人)の存在についも改めて考えさせられました。

逝く人

佐藤尚昭さん(府立守口高校校長、膵臓癌、57才)

 昨秋、発病。抗ガン剤と鎮痛剤を打ちながら勤務。府立守口北高校との統合を控えて、守口高校としての最後の卒業式、引き継ぎ式を3月6日に終えて、3月9日死去。

 奥様の「もう少し、体を大事にして、家族と暮らす時間を持ってくれていればと思う。でも、仕事をやり遂げて亡くなった死に様は彼らしい」・・・無理しすぎたのですよね。57才は若すぎます。

 最後の式辞「りんごの種にしてみれば、枝から離れてポトリと地面に落ちたとき、そこから生きることが始まる。(中略)どうして、種には、一番最後に、最高の栄養が用意されているのか。それは最後に、芽を出す力が必要になるからだ」。彼の播いた種もいつかどこかで芽を出すことでしょう。 

2004年4月10日

 人質事件。こうなることはわかっていたと言いつつ、どうしようとうろたえ、惑い、対策も立たぬまま、時間が過ぎてゆく。そして一方でプロ野球を見、酒を飲み、花を見る。うーむ。

 年度初めのすさまじい忙しさの中で、視野が狭くなって行くのを感じます。言葉遣いも荒くなっています。心遣いが疎かになります。気を付けなければ。走ってばかりではいけませんね。立ち止まって、深呼吸して、周りを見渡さなければ。

 燕がやって来ました。きちんと忘れないで来るものです。燕=「ラ・ゴロンドリーナ」はメキシコでは季節労働の人々も指すようです。「南の国を離れて 燕はそよ風と共に 今年も我が町を 目指して飛んできた 苦しみ悩みを耐え抜いた姿 おお燕 ラ・ゴロンドリーナ 涙を風に投げ捨て 楽しく飛び回れ・・・」昔聴いた懐かしい民謡を憶いだしました。

最近読んだ本

「グリ−ン・マイル 二人の少女の死」 スティーブン・キング

 映画にもなった話題作。これだけ次々ベストセラーを出し続けるパワーもすごいけど、今回は分冊にして定期的に発売という楽しい手法を取っている、その読者に対するサービス精神も人気の秘訣と思います。幼い双子の少女が強姦されて殺される・・・その死体を抱いていた巨漢の容疑者は不思議な雰囲気を持っていた・・・残酷な世界を描いているのにそれほど暗くならないのは、作者の人間に対する温かい眼差しが底に流れているからでしょう。

2004年4月5日

 年に一度の景色を今年も見ることが出来ました。「菜の花や月は東に日は西に」蕪村。帰宅途中、菜の花の咲く大和川の堤で振り返り、川下に沈む赤い夕陽に見とれていて、あらためて走り出すと前方に信じられないような大きな黄色い月が昇ってくる。満月です。桜も満開。東山魁夷の「花明かり」を思い出しました。生きているからこそ味わえる眼福でした。

逝く人

竹本貴史さん(騎手・脳挫傷・20才)

 3月28日、中山競馬第5レースで落馬、馬の下敷きになる。今年3月1日に騎手免許を取得、6日にデビューしたばかり。通算成績15戦1勝。1勝したのがなにより。痛ましい死だけれど、考えようによっては幸せな一生だったのかもしれませんね。

2004年4月4日

 激しく冷たい雨に桜が散ってゆきます。この5日間で3人の訃報を聞きました。友人の父上、母上と、前任校でお世話になり6年前に退職された校長先生。みんなまだお若い。友人の父上のお通夜はちょうど私の父の83才の誕生日の夜で、複雑な思いでした。平均寿命までは生きて欲しいものですね。

 今年の花見はまず早朝、滝谷公園へ。つづらおりの遊歩道が巡る山は桜一色。それから弘川寺へ。こちらも例年より早く満開に。境内の桜は毎年見ても飽きない華やかさです。名所の桜は朝がいいようです。夜の喧噪とバーベキューの匂いにはついて行けません。

 でも、夜桜も見たい。今年は3日夜、富田林のPL教団の敷地内に住む友人のアパートに招いてもらう。PLランドは無くなったけれど、数百本の桜は健在。一般客も入れないので静かに月の下で輝いている。天野酒と窓からの桜に酔いました。


歌書よりも軍書に悲し芳野山  各務支考(かがみしこう)

「太平記」以降も吉野(芳野)はたびたび政治の舞台になりました。秀吉の花見には諸国の武将が参列します。その時の歌。

年月をこころにかけし芳野山

花の盛りを今日見つるかな   秀吉

君が代は先年の春も芳野山
花にちぎりの限りあらじな   家康

千早振る神の恵みにかなひてぞ
今日み芳野の花を見るかな  利家

秀吉は単純に喜び、家康の歌はいかにも口先でしらじらしい。利家は素直に感激しています。


最近印象に残った言葉

 「岸水寄せる」ー(岩手の方言)子どもが目に涙を溜め、今にも零れそうな様子・・・わかりますねえ。

往く人

中谷一郎さん(俳優・いん頭癌・73才)


 水戸黄門の風車の弥七役で知られましたが、本来は俳優座所属の新劇俳優だったのですね。テレビ時代劇で人気が出てしまったことが本人にとって本当によかったことなのかどうか・・・むつかしいところです。



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