Kan-Kan の雑記帳


2005年1月31日

 中尊寺ゆつこさん死去の報に急いで彼女のHPを開く。トップページに「中尊寺ゆつこは1月31日午前8時45分永眠いたしました。長年のご声援ありがとうございました」の一文が。まだ42歳。S字結腸癌とか。お子さんもまだ小さい。いたましい。

 下の息子は今日巣立ち、義父も今夕入院しました。

 義父は昨秋10月に病名を告げられてから、手術を拒否しつつもきちんと医師の指示を守り、あれほど好きだった酒も全くたしなんでいません。手術すればまた飲めるかもしれませんよという婿(私)の言葉にも耳を貸さず、思い出したように石切さんでお百度を踏んだり(石切さんは「でんぼ」の神様でもあるらしい、確かに「癌」も「でんぼ」の一種かも)していました。先週は夫婦で6日間、三朝温泉に湯治に行っておりました。ラジウム温泉が効くのだそうです。1泊5000円の気持いい宿だったようです。明日からの点滴がしんどかったら、病院を抜け出してまた三朝へ行くとか・・・。こちらは82歳。もう好きにさせてあげたいと思っています。

 したがって義父のマンションの酒専用の冷蔵庫はぎっしり詰まっているものの、飲み手なし。そして、ここはなぜかやはり私の出番ということになるのです。

2005年1月30日

 明日、巣立つ下の息子。バイトも終わり、あちこち旅行もして、今が人生で一番気楽な時なのでしょう。テニス仲間が息子さんにと「忍耐と努力と勇気」という言葉をメールで送ってくれました。息子に見せると、「確かに忍耐が第1だなあ」とつぶやいていました。

 大学を卒業して10ヶ月、なかなか就職が決まらず、息子も家族もしんどい時もあったけれど、週末には一緒にテニスも出来て、楽しい時期でした。にぎやかなやつだったから、明日から寂しくなるなあと嫁ハンと嘆じています。

 中村七之助が公務執行妨害(飲酒でタクシー運転手とトラブル。駆けつけた警察官に暴行)で逮捕される。この春、勘三郎を襲名する父、勘九郎の苦衷を思います。悲しみと怒りの記者会見でした。酒には気をつけよと息子に言うと、それはお父さんのことやでと返されました。


行く人、来る人

 アルフレッド・ハウゼ (タンゴのバンドリーダー、死因不明 84歳)

 コンチネンタルタンゴの第1人者。彼の楽団の「真珠採りのタンゴ」は大好きな曲でした。タンゴはちょっと習ったけれど、めちゃ難しい。でも死ぬまでに一度この曲か「ジェラシー」でかっこよく踊ってみたい。

来る人もたまには

 七帆 ひかるさん (タカラヅカの研6ー初舞台から6年目の生徒さん)

 身長175センチ。宙組の若手のホープ。「ホテルステラマリス」の新人公演に主演。未来のスターの座は確実みたいですね。

 白岩玄さん(作家 21歳)

 大阪のデザイン専門学校生徒で京都在住。「野ブタ。をプロデュース」で昨年度の文芸賞を受賞。いじめられっ子の太った転校生を級友から愛されるようにプロデュースする男子高校生の話らしい。面白そう。文学にこだわらないその生き方もいいかも。 

2005年1月25日

 一月も末になって、日々、日が長くなってきたなあと思います。単純に嬉しい。あちこちから梅の便りが聞かれます。菜の花便りも。蝋梅はもうあちこちで黄色い花を見せています。淡路では水仙と菜の花が今、売り物のようです。「菜の花の沖」の舞台でもありますから余計です。滋賀の守山の菜の花もよく取り上げられていますね。

 年々、黄色い花が好きになってきました。なぜでしょう。

 前回、鰆のことを書きましたが、木の春は「椿」なんですね。冬の花のイメージが強いけれど、これは旧暦との季節感の違いなのでしょうか?


最近読んだ本

 「供物」 浅田次郎

 東京近郊の都市で裕福な生活を送る中年主婦の主人公には、家庭内暴力に苦しめられ離婚した辛い過去があった。その前夫が死に、葬式に来てくれと言う案内を受けて、悩みつつ現在の夫に薦められてひさしぶりに昔住んでいた町を訪れる。高級ワインを買い、雪の橋を渡り、かつて住んだ町工場である家を訪れると・・・。

 みえみえの話なのに、最後まで引っ張って行く。登場しない今の夫のやさしさ、その経歴などが隠し味となって話に厚みを与え、最後の雪の橋での親子の30年ぶりの再会と別れのシーンが切なく盛り上がる。軽トラックで追いかけて来た息子。でも、送って行くとも、引き返そうかとも言わないその聡明さ、ワインをいただきますと言って笑って去って行くそのやさしさ。

 小道具も完璧。でも浅田次郎さんあざとい。うますぎる。


映画ダイスキ

 「HERO」

 「LOVERS」(今年度ゴールデングローブ賞外国映画賞を逃がす)を見て、まあまあだったので、少し期待して見ました。その「LOVERS」の前作で文芸映像作家(変な表現ですが)チャン・イーモウの武侠映画の第1作です。

 始皇帝暗殺を狙う名うての刺客達の真の姿とその意図は?ジェット・リー、マギー・チャン、トニー・レオン、チャン・ツィイーら新旧のスターを揃えて、華麗な色彩美溢れる映像で魅せる。特に九塞江にロケした水上決闘シーンは美しい。

 でも、真相を探る過程での回想シーンが前半ややこしくて、ちょっと混乱する。後半持ち直すだけに残念。

 その映像美だけでも一見の価値はありますが、これが監督の本来の持ち味とは思われません。それにしても、自己犠牲も覚悟して、確執を捨てて平和を目指そうという美しいエーマは日中両国の首脳に見て心に刻んでほしいものです。今あえてそのエーマを打ち出す気持ちはわかるけれど、現実はあまり複雑で醜い。

 「ハリーポッター アズカバンの囚人」

 原作はこのシリーズの中でも特に面白かったのですが、映画はその上手なダイジェストに終わってしまいました。監督が替わり、暗いミステリー色は深まったのですが、人間が描かれていないことと、ファンタジーらしい心弾むリズムがないことが残念です。

 折角の魅力的な登場人物やキャラクターが躍動しません。エマ・トンプソン、ゲーリー・オールドマン、ジュリー・クリスティーなど顔を揃えたイギリスの名優がもったいない。原作にこだわりすぎず、映画的な省略と誇張があっていいのです。

 それにしても子役達も大きくなりすぎました。ハリーはもう青年の風情です。次作はもう撮影中ですが、ここらで大転換をしないと、このシリーズはじり貧になってしまいそうです。

2005年1月23日

 息子2人が不規則な勤務の職業に就くことがはっきりしたので、親子4人で行動できるのもこれが最後やろ記念旅行をしよ、という上の息子の提案に乗って行き先を探していたら、それはええことやと友人が徳島のリゾ−トを紹介予約してくれました。これが大ヒットでした。

 22日、天気予報は曇りだったけれど、晴天。大騒ぎで出発。事故渋滞の神戸を抜けるまでは私が運転、月見山を越えてからは下の息子に運転を任せる。明石大橋を渡ってドライブインで鰆(さわら)寿司と明石焼きを買って、後部座席で飲み始める。気楽なものです。淡路島を南下、「イングランドの丘」で遊んで食べて、鳴門大橋を越えて20分。家から180キロ。たどり着いたリゾートホテルは期待をはるかに上回る施設で大満足でした。(詳しくは別項で報告します)

 下の息子が「おとうさん、こんなとこに何日もいたら僕らはだめになってしまうね」と言う。ナットク。また何年後かに来られることを期待して、この2日間のことは忘れてまたがんばろうなと言ったことでした。

 子供達が成長し、自分達も元気で、また両親が4人とも一応まだ健在でいてくれるからこそ出来るこの行楽。今が人生最良の時期なんだろう。息子の結婚や自身の退職は、めでたくてもおそらく寂しさが伴うだろうと思います。次に無条件で喜べるのは孫の誕生かなと言って、息子達から気が早いと呆れられました。



近畿あちこち

「イングランドの丘」

 淡路島の中部、洲本の近くにあるとは聞いていたけれど、初めて訪れました。実は東浦の「花座敷」に寄るつもりだったのですが、高速でインターを折りそこね、目的地を変更したのです。まったく期待していなかったので、意外な収穫でした。まず、結構広い。2つのゾーンに別れていて、無人バスが送迎してくれる。

 湖水地方を模写した(ちょっと大げさ)イングランドエリアは池と羊の丘、いろんな英国風(趣味はいい)施設が点在してええ感じ。息子達の嫁ハンは足漕ぎボートに乗り、私は馬に乗る。羊に触れたのも久しぶり。


 引き返したグリーンエリアの売り物のコアラ館は立派な施設でした。1日16,7時間寝眠るのですね、意外に大きなコアラはほとんどユーカリの木の股で眠り込んでいました。夏は800円、冬は400円という入場料は良心的、いや、やっていけるんかなと心配です。従業員の方の対応もいい感じでした。

「鳴門のリゾ−ト」

 鳴門インターから海岸線を車で少し走る。山が海に迫る典型的な瀬戸内の海岸脇に急に豪華な洋風の門が現れる。往き過ごして引き返し、そこを潜って桜並木に導かれて急峻な山道を一気に5分あまり登ると、尾根づたいに4軒の南欧風の建物が次々現れます。その周りは広大なゴルフ場。

 会員制のリゾートなのです。会員である友人の計らいで一番奥のゲストハウスへ。また大きな門を抜けて車で1分、尾根の高みに6階建ての瀟洒な建物、噴水と花に縁取られた車寄せに着く。ドアマンに迎えられ、木製の2重の自動ドアを抜けると重厚なロビー。正面は大きなガラス窓、瀬戸の海が遥か下一面に拡がる。とんびが下方で舞っている。ロビー右手に図書室とプールバー。左手に談話室(コーヒー等飲み放題!)、宿泊した303号室には3部屋あり、真ん中のリビングには応接セットが2つ、それを挟んで和室と洋室の寝室、トイレは2箇所、シャワー室とバスと屋外に臨むジャクジーがある。ベランダの下には海を見下ろす断崖の上にプール。テレビは各部屋とジャクジーにあわせて4台、これほどの客室は初めてでした。でも、キッチンのある部屋もあるらしい。感嘆。従業員は皆、イヤホーンとマイクを付けていて、緻密に送迎などの連絡を取ってくれる。

 他の3つの建物、本館、とアロマ館(大浴場とエステ)、クラブハウスとはピストンバスと随時の送迎車で結ばれて、自由に行き来できます。クラブハウスでイタリアンの夕食、もちろんワインも。その後アロマ館で入浴。露天風呂のジャグシーで空を見上げると星月夜。季節柄、漁り火は見えず、暗闇と静寂の世界。その後本館のラウンジでピアノ演奏を聴きながら4人でカクテル。ゲストハウスに帰ってまたジャクジーと持ち込みのビールと焼酎で家族宴会。朝は和洋中のバイキング。小雨の中、ゴルフ場ではもう早朝からプレーが始まってました。

 週末でこのリゾートは満員だったようです。でもそれを感じませんでした。施設を一箇所に集めず、あえて分散させることで、より静かさを保っているのでしょう。残念だったのは本館の家族連れの子供達のマナーの悪さだけ。

 分不相応な贅沢でした。これで普通のホテル並の料金。もちろん高額の年会費を払っている友人のお陰です。ま、現実とあまりにかけ離れていたので、立ち去る未練もありませんでした。写真も写しませんでした。いい夢を見たと思って、また明日からがんばります。

2005年1月21日

 長原長吉のコンビニの早朝の殺人事件の被害者は生徒の保護者でした。店員として店を開けるためにシャッターを上げたところを襲われたのでした。痛ましく気の毒としかいいようがありません。
 昨日20日、指名手配されていた容疑者が逮捕され、少し胸が凪いだのですが、再び被害者宅へマスコミが押しかけ、感想などを聞きに来ているとの事。腹立たしく、また怒りがこみ上げてきました。

 中国で殺された姪の事件の時も同じでした。感想などどうでもいいではありませんか。被害者側の人権は本当に無視されていると思います。そっとしておく配慮がほしい。

 先週の新聞に別の殺人事件の被害者の家族が、検死の結果、荒っぽく縫合された死体を返され、寝台車も、業者を警察で教えられて家族が手配し、縫い口が開かないかと心配しながら家まで運んだという話が載っていました。せめてその手配、費用を自治体で実行、負担しようとする動きがあるそうですが、実施されているのはまだほんの一部の地域なのだそうです。加害者は無料の護送車です。被害者側の何百倍の費用を加害者側に費やす(たしか600億円とか)社会のありかたはなにか不自然に思えます。

 母親(44歳)を失った生徒の今後のケア、コンビニの近くに住んで現場を見てしまい、すごいショックを受けている生徒・・・そのケアに気を配らなければと思います。

 明日は姪が殺されて7年目の命日です。ふるさとの母の部屋の日めくりはその日のままで止まっています。この冬に帰った時に整理しようと思ったのですが、今年も出来ませんでした。

 年明けにノロウイルスに罹った若い元気な友人の話。2日と休まないやつが4日も休んだのでさすがに心配したら、高熱と下痢で大変だった由。医者に行っても、治療法がなくて、水をたくさん補給しつつ寝ている以外にないのだそうです。たくさんのお年寄りが亡くなったのは高熱による体力消耗なのだそうで、こわいものです。今が旬ですが、冬の味覚、牡蠣は必ず充分火を通すようにしていましょう。(友人の場合は海老が原因ではと言っています)

 前に紹介した藤井寺の小さな店「薫」にも正月が来ました。相変わらず客は来ないけれど、メニューを「どてやき」ひとつに絞って、ことし82歳のおばちゃんはがんばってはります。カレンダーと日めくりを持ってある宵訪れ、掃除を手伝って、年始の一杯を飲んで、どてやき5本食べて500円払って帰る。最近はなかなかお金を払わせてくれないので困ります。


最近読んだ本

「怪しい来客簿」  色川武大

 泉鏡花賞を受賞した自伝的短編集。無頼派、ギャンブラー、またジャスへの深い造詣、そしてナルコレプシー(睡眠発作症)やその治療のための薬の副作用、その複雑怪奇な色川ワールドの醸し出すシュールな世界感覚に幻惑されます。世の中にはこんないろいろな人がいるんだとしみじみ思わされます。


関西あちこち

 師走の慌ただしい一日に、酒好きの友人の音頭で、職場の飲んだくれ連中10名余が集まり、灘の酒蔵巡りに繰り出す。阪神「今津」駅から歩いて、大関、白鷹、沢の鶴、福寿、瀧鯉、白鶴、菊正宗、浜福鶴と廻る。参加者それぞれ肴を持参して、蔵ごとに試飲して仕入れた酒を途中の公園で飲み交わして盛り上がる。寒空の下でも、みんな元気(当たり前)。たくさんの酒が飲め、しかも肴も豊富とあって、これは絶妙の企画としかいいようがない。また来月行く予定です。

 夫婦関係維持のため(?)、ふた月に一度くらい行っている、阪神間ホテルツアー。インターネットで安い時期とホテルを調べ、食事飲料持込でのんびり週末を過ごす・・・子供が成長して、じいちゃんばあちゃんが元気である今だからこそ出来る楽しみ。ひとり7000円が経費の目安です。
 1月は、「ホテル日航ベイサイド大阪」。USJの傍に3年前に出来たやつ。オ−プニングに冷やかしに行って以来です。今回は雨でもあったので、USJは止めて、あえて売り物の31階の温泉「コクーン」に入ってゆったりするプラン。デパ地下で試食しつつ、あれこれ買い込んで、部屋で酒盛り。ここのホテルは冷蔵庫からっぽ。氷は各階のエレベーター横に常備。これもある面便利です。客はみんなUSJに行っているのでホテル内はめちゃ静か。結局夕方から朝まで爆睡してしまいました。ただ、場所柄31階から眺める夜景はイマイチ、温泉はちょっと手狭感が残るのが残念。ドリンクバーや夜景を眺めるアベックシートはもっとゆったりと造って贅沢感を味わいたいところです。今回は温泉入湯料金を入れて一人8000円。近かったし、ま、いいかっ。

2005年1月15日

 新年の楽しみは、友人の彫刻家のグループ展。そのオープニングパーティに出かける。老松通りのマサゴ画廊。そして歩いて茶屋町画廊へ。バラエティに富んだ作品群とたっぷりの酒。でも、いつものようには心弾まない。なぜか?日々、創作にいそしみ、精進する人々と同時代に生きているのに、自分は酒に溺れ、向上心を失ってきていることを妙に思い知らされたのです。

 ある作品は、想像上の深海魚を鉄板を見事に溶接して造ってある。その作家に伺うと、自分の鉄工所で毎日15,6時間働き、その作品はやっと得た休日に工場に出て、半日で仕上げたものだとか。でも、その精巧さ。毎日頭の中で作っていたから、すぐ出来たという。その情熱・・・。

 その後、阿倍野の馴染みの店での、馴染みのメンバーとの語らいでも、ずっと気になって騒げませんでした。

2005年1月10日

 この連休でやっと年賀状も一段落。海外旅行組が年明けに出してくれた分の返事が残っていたのです。賀状は身近な人には確かに不要かも知れないけれど、遠方に住む友人や親戚には年一回の貴重な消息交換です。

 年のせいか昨年も身辺に訃報が多かったです。先日、近所のおばあさんに道で話しかけられました。最近どこそこのおばあさん見かけないねえ、元気かしら?そう問われても、気の弱い私は、この前その人のお通夜でお会いしたでしょうとは言えないで、そうですねえ、名古屋のお嬢さんとこでも行ってはるんとちゃいます?と誤魔化してしまいました。ホントはもっと遠いところやけど。


たまにはテレビも

 昨年の話ですが、第56回エミー賞(テレビ番組のスタッフ、キャストに贈られる賞)の授賞式の中継は楽しかったです。人気のブラッド・ピット、ジェニファー・アニストン夫妻(さっき離婚のニュースが飛び込んで来た)の登場にファンも熱狂。女優さんたちの華やかなドレスが美しい。シャネルもあったけれど、目だったのはオスカー・デ・ラ・レンタのドレス。こういう場で今人気のブランドがわかります。

 今回の話題はミニ・シリーズの主要11部門を受賞したドラマ「エンジェルス・イン・アメリカ」。もともと舞台劇で日本でも上演されました。エイズという重い主題を正面から堂々と描いているのですが。スタッフ、キャストがすごい。マイク・ニコルズ監督、アル・パチーノ、メリル・ストリープの主演という映画でもめったに出来ない顔合わせ。

 そのメリル・ストリープの受賞スピーチが見事でした。神妙そうに俯いて、私は過大評価されていると思うことがあります、と小さな声で語り始めると、賞女と呼ばれる大女優がなんで今更とどよめきが起こる。そのあとすぐに悪戯っぽく笑って、でも今回は別、自信をもっていただきますと続けて、みんな安心して笑いながら大拍手。主演賞各候補者をねぎらい、ごめんなさいねと謝り(メリルと一緒に候補になれただけで光栄だけど)、同じドラマで候補になったエマ・トンプソンには、エマはいいの、悔しがってらっしゃい、と憎まれ口をきいて更に笑わせる。貫禄でした。

 その「エンジェルス・イン・アメリカ」が年末放映されたけれど、毎週土曜日だったので忘年会で半分くらいしか見られず、ザンネーン!エマ・トンプソンの役は、実は時々幻想シーンで登場する天使だったんですね。メリルのジョークもこれを指していたのです。一緒に見ていた息子は、ずいぶん不細工な天使やなあと失礼なことを言っていましたが、エマも現代イギリスを代表する名女優。わずかの出番で主演賞にノミネートされたのはさすがです。

 当夜のベストドレッサーはシャロン・スト−ン。日本でも放映中の「プラクティス」でゲスト出演賞を受賞(たまたま以前放映時に見ていたのですが、頭脳明晰すぎて孤立して行く弁護士を演じて秀逸でした)。ラベンダー色のセクシーなドレスが素敵でした。

2005年1月8日

ふるさと四国 3

 12臼の餅つきも無事終えて、生ごみを埋める穴も大きい目のを2つ、前の畑に掘って、買い物をし、墓参りし、正月飾りをして、夜のフェリーに乗る。いつもながらあわただしい年の瀬の帰省でした。

 船中の風呂に浸かって、遠ざかる今治の夜景を見ながら、体調がイマイチで父の晩酌の相手を十分してやらなかったけれど、母の話もたっぷり聴いてやったし、正月を過ごさないのは勘弁してもらうとして、お年玉もあげたし、ま、親孝行出来たんちゃう、とひとりで自画自賛。

 それでも、父は最近血尿がでたと言っていたし、母はこのひと月に2度も転んだと言って顔を腫らしていたし、心配、心残りは尽きません。私が退職するまでどちらかでも生きていてくれたら、四国と大阪と半々の生活をしてもいいな、などと具体的な考えが浮かんだのもこの時でした。

 それには自分が先に逝ってはいけない。まず、健康の留意して4人の親をきっちり見送らなければ。節酒。休肝日を作る。これが2005年の大きな課題となりました。

2005年1月7日

 年末に東南アジアに旅行した友人達。ベトナムへ行った者は無事帰国、ラオスへ行った者はまだ連絡なし、とどめはタイへ家族旅行に行った友人。12月26日に娘さん達がプーケットへ行きたいと行ったのに、親(友人)が強引にタイ式マッサ−ジを選んで、これが正解。一家は津波に遭遇しなかったのだそうです。タイでは臨時ニュースもなくて状況がわからず、日本に電話したら、双方の実家が大騒ぎしていた(当然)とのこと。帰国したら、関空に報道陣が待ち構えていて、ビデオはないか、写真はないかと迫られたそう。それにしても命拾いでした。

 取り残された少年、全滅の家族、島ごと消えた村・・・悲痛なニュースが続きます。死者も14万人を超えて史上稀に見る自然災害といわれています。でも、考えてみれば、最近まで続いたコンゴ内戦の死者は400万人とか。人災の方がはるかに恐ろしいものではあるのですね。


ふるさと四国

 リンダさんの怪我は、梯子から転落したものらしい。母屋だけを借りていたのに、好奇心旺盛な彼女は、約束を破って、隣接している蔵や納屋の冒険をしたらしい。右腕骨折と打撲でダウンしているのだとか。村の人が交代で、身の回りの世話をしているらしい。かなり落ち込んでいるらしく、一度迎えの車が来て、通院するところを見かけたけれど、うつむいて元気なさげでした。お気の毒。

 気になっていた裏庭の檸檬の木。台風19号の突風で倒れたと聞いていたので、覚悟していたけれど、どっこい生きていた。折れたのではなく、根こそぎ倒れたのでわずかに根が切れないで残っていて、これががんばって、たわわに実をつけている。そして倒れたまま新しい芽は空に向かって伸びかけている。感激感動。

 でも、倒れたその木が裏庭を塞いで、車を入れられないので、可哀想だけど、まず木の上部を切ることにする。母が「お清めを」と言うのも聞かず、のこぎりと鉈、剪定鋏で作業にかかるやいなや、檸檬の枝の長い棘が右指の背にグサリ。たちまち腫れ上がる。(それから2日ほど中指が曲がりませんでした。)母が慌てて塩を撒いて、作業再開。なんとか駐車スペースを作ったのですが、あの木はなんとか起こしてやりたい。春に帰省したら、土木関係の友人と相談してみます。ちなみに、この怪我が2004年の怪我のし納め。毎年田舎で指を怪我するのはもう恒例(昨年は搗いたばかりの餅に指を突っ込んで火ぶくれ)で、母も呆れています。


往く人 来る人

奈良崎 忠雄さん (元 関脇出羽錦 すい臓がん 79歳)

 小さい頃かすかに見た記憶が・・・。初代の若乃花らと対戦していました。39歳まで土俵を勤めていたそうです。幕内在位16年余というのもスゴイ。 

2005年1月3日

 初詣は誉田八幡と道明寺天満宮をはしご。誉田八幡は人出は少なめ出店3軒。道明寺天満宮は3日の夕刻なのに、臨時駐車場も満杯、出店もずらっと並んでいて歩くのが大変なくらい。おみくじは小凶。ま、いいかっ!隣の道明寺に抜けて、その閑寂さにほっとしました。名物の花梨の木に実がひとつ残っている(残している)。梅はすでに小さな蕾をつけています。

 年賀状は嬉しいけれど、年末に喪中欠礼の挨拶が数多く届くようになったのも加齢のなせる業?昨年末の驚きは知人のお父様。お元気だったのに、なんと親戚の結婚式披露宴でステーキを喉に詰めて亡くなられたとのこと。新郎新婦はじめ親族ご一同の驚きはいかばかりか・・・めでたい席は一転、通夜、葬式に。人生は悲劇喜劇をない交ぜにして、あっという間に人をさらって行くときもあります。


往く人 来る人

アーティ・ショーさん(ジャス・クラリネット奏者 死因不明 94歳)

 年末の30日に死去。「ビギン・ザ・ビギン」 「スターダスト」は不朽の名曲です。自ら衰えを感じ、44歳で楽器を置いた潔さもすごいけれど、なんといってもその艶聞(スキャンダル)。8回の結婚相手の中にはエバ・ガードナー、ラナ・ターナーというハリウッド史上で1,2を争う美女が二人もいるのだから・・・まあすごい人ですわ。うらやましい。(嫁ハンには内緒)

2005年1月2日

 大晦日の夜は我々親は紅白歌合戦、下の息子は格闘技、ホテルに勤める上の息子が帰って来たのが午前2時半。ホテル(息子のホテルは12月に食中毒を出して余計大変やったみたい)は正月はめちゃ忙しいのですね。それから家族4人で新年のお祝いをして、眠ったのは朝方でした。

 雪の元日というのは久しぶりです。清潔感があってつきづきしい。そして2日は快晴。いい正月です。今年は酒を控えていたので、まだ意識があり、テレビをたっぷり楽しみました。

 箱根駅伝、富士が美しい。4年生ランナーに心が行きます。この選手は4月から中国電力に、秋田市役所に就職が決まっているとか、そんな解説を聞くと、最後の箱根なんだ、どんな気持ちで走っているのだろう(本人はひたすら必死だろうけれど)などと感慨にふけってしまいます。

 ウィーンフィルのニューイヤーコンサートはマゼールの指揮でした。未曾有の津波災害に配慮してか、会場は例年より地味。定番のラストの「ラデツキー行進曲」もなくて、ちょっと寂しい演奏会でした。


 タカラヅカもいつもの生中継は無くて、昨年4月の雪組公演の放送。。「タカラヅカ・グローリー」。初舞台生のお披露目と、評判を呼んだ90人のラインダンス、そしてこちらは、定番大階段での黒燕尾服の群舞が見られて幸せでした。でも、今回は振り付けが単調。折角のすばらしいメンバーの技量を活かしていなかったのが残念。スター達の歌唱もイマイチでした。

 その後の映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見て、ひたすら感動。高校時代からもう何回も見ているのに、いつも新しい発見があり飽きません。泣いてしまいました。

 タイ在住の友人を持つ友人からのメールによると、まず国内から津波災害にすごい援助金が集まっているとか。国王が9千万、首相が2千万の寄付をしても、金持ちの首相にしては少ないという批判が高まっているそうです。急に潮が引いて、珍しい自然現象だというのでみんな海を見に行ったそうで、国王の甥がジェットスキー中で亡くなって、王位継承者がいなくなったことも大きな問題になっているとの事。周辺国を合わせて11万を越すという死亡者に茫然としていましたが、外から見えないいろいろなこともあるのですね。

 初芝居、今年の年末に坂田藤十郎を襲名する中村鴈治郎の「男の花道」。好きな話、鴈治郎は大熱演だけど、幕切れに感動なし。映画「踊る大捜査線・レインボーブリッジを封鎖せよ」は「組織と個人」がテーマだったのね。でも、脚本、演出がイマイチでした。


ふるさと四国 1

 12月末、早朝5時10分に今治港に着く。まだ暗い。新しく出来た山中を抜ける農免道路を走ると30分足らずで実家に着きます。真っ暗な山道は少しこわいけど(猪、狸の飛び出しが今年は特に多い)、時折現れる集落にクリスマスのイルミネーションがあるのが嬉しい。クリスマスはもう終わったやろ、などと一人で突っ込んでいるうちにふるさとの村への峠に至る。カーブを回って、小川を渡って実家の前まで来てびっくり。

 2軒川下の屋敷が屋根から庭木に至るまで全面の派手なイルミーネョン。赤青黄白・・・ツリーもある。数年前に子供のいない老夫婦が相次いで亡くなって、空き家になって、近くの町の短大のカナダ人講師、リンダさんが借りて一人で住んでいると聞いたけど、これはスゴイ。

 荷物を降ろし、仏壇に手を合わせるのもそこそこに、暗いうちにと、も一度見に行く。これは金も手間もかかっている。羽曳野にもこのクリスマスにはいろいろイルミネーションがあったけど、母に聞くところによると、クルスマス当日には村の人を招待してパーティもあったらしい。ところがリンダさんは怪我をして臥せっているとのこと。なにがあったんやろ?(つづく) 



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