Kan-Kan の雑記帳


2005年10月25日 その2

追加と訂正です。

うっかりしていました。阪神地元優勝は2連敗の時点で消えていたのでした。さらに、明日負けてしまった場合、やけになったファン(とは思わない、ただの騒ぎたがりのアホな連中)が暴れる心配があるので、道頓堀は厳戒だそうです。

2005年10月25日 その1

 イキのよいロッテ選手の動き。魅力的な選手達も名前も顔もプレーオフで知ったばかりです。勢いはシリーズでも止まりません。3連勝。これで阪神の地元優勝はなくなり、道頓堀近辺の警備に当たる下の息子はホッとしているようです。

 今日非番の上の息子は、宴会ですと夕食後に出かけようとする。何時から?11時半から。(ホテルやもんね)早い忘年会か?いや、。歓送会。ちょっと待ち、歓送会とはいいまへんで。じゃあ、何?考えてごらん?送別会?そう、歓んで送ってはあかんのやで、別れは惜しむもの、と言って送り出す。今夜は帰って来ないでしょう。

逝く人

根上淳さん(俳優 脳梗塞 82才)

 演技の幅の広い個性的な俳優でした。ペギー葉山さんとの結婚生活は40年とか。42才での結婚とすると再婚だったのかなあ。ここ数年はペギーさん(シゲ子さんというのですね)が介護してたそうです。 

2005年10月23日

 ディープインパクトもロッテも強いですね。

 嫁ハンがいない週末の夜。寿司パックでも買おうと息子と出かけたスーパーで、魚屋のコーナーで「活ずわい蟹」に出くわしました。780円の表示に惹かれて立ち止まる。脚がまだ動いています。持ったらやや軽いので、ちょうど居合せたにいちゃんに、まだ奥にある?と訊くと、ありまっせ、と素早く5杯ほど持ってきてくれる。一番重いのを2杯買って、義母のマンションに持ち込む。


 大鍋で、塩を多めに茹でること20分。色もきれいに紅くなって、湯気が立ちあがるのを見たら、禁酒の誓いはどこかにぶっ飛びました。蟹味噌がイマイチで全体の身も少なめでしたが(なにせ780円)、脚の部分のおいしいこと。にぎやかな母もこの夜は静かでした(笑)。


最近見たビデオ

 「ゆず」コンサート

 実は恥ずかしながら、初めてこの二人の顔を認識しました。知っている曲も3曲だけ(でもそのうち2曲はカラオケで歌えます)。人気があるとは聞いていたけれど(紅白歌合戦にも出ていたようですが、出演時間帯にはもう酔っ払っていたし・・・苦笑)。

 ステージはなんと横浜国際競技場。W杯で決勝の舞台になったところですね。5万人を超す大観衆を前に、弾ける笑顔で飛び出してきた二人はまだ童顔の残る若者。たしかストリートバンド上がりと聞いたのですが、わかりやすい、乗りやすいリズムとハーモニカ(?)、声も怒鳴るのではなく、目一杯歌い上げているのがわかって好感が持てました。

 歌詞の内容も、シンプルで、彼女へのひたむきな想い、失恋の悲しみを歌って、毒がない。不倫もどろどろした裏切りもあまりないみたい。少年ぽくて性の匂いが薄いのも却って人気の原因なのかも知れません。

 それにしてもこのノリの良い大観衆は何?と考えてしまう。やはり仕掛け人がスゴイのだと思い至りました。円形の大きなエプロンステージを付けて、まんべんなく客にサービス、ゲストにさとう珠緒とルー大柴(この人選もウマイ)を迎えて、学園風ミニミュージカルを演じさせたり、ダンサーもスクールメイツ風でもジャニース系でもなく、体育会系のノリでジャージー姿で踊る男の子達を配する。

 アテネ五輪の放送テーマ「栄光への架け橋」を歌う前に、アーチェリーの銀メダリスト山本先生が登場してステージの的を射て(人気ドラマ「義経」の扇の的も意識しているのかな)、盛り上げる。観客の層(おそらく10代後半から30代の家族連れまで、わりあい真面目そう)と好みを知り尽くした演出で見せます。

 アマチュアの雰囲気をきれいに遺しつつ、プロのステージを見せる。「ゆず」の成功はこの優れたスタッフを持っている点にもあるのだと感じた80分でした。


最近知った言葉 (10月22日記)

 インバウンド 外国人の(日本)国内旅行

 アウトバウンド 日本人の海外旅行


逝く人

 宮城けんじさん(漫才師 肺がん 81才)

 漫才コンビ「Wけんじ」のつっこみとして60年代から一世を風靡しました。長い芸能生活でした。99年にパートナー、東けんじさんを失った後も活動を続けておられたそうです。


来る人

 露の五郎兵衛

 露の五郎さん(73才)が元禄の落語家の名跡を300年ぶりに復活襲名。もちろん落語界が歌舞伎の坂田藤十郎の復活(11月末から南座)に刺激を受けたということでしょうね。襲名の話は「家賃が高い」身に余る、と言って最初、辞退したそうですが・・・。膝がお悪いので、床机にすわっての口上は、上手に米朝さん(79才)、下手に春団治さん(75才)。大病を克服し、昨年洗礼を受けて、思うところがあったのでしょうか。意気軒昂ではありますが、お体が心配です。披露公演のネタは「浮世床」。

2005年10月22日

 よく校舎に蝶やとんぼ、雀などが飛び込んで来て、出られなくなっていることがあります。いつも気になって、追い掛け回して逃がしてやるのだけれど、時間などの関係や状況で、できないときもあります。先日、蝶を逃がしてやったら、弱っていたらしく、ふわふわあぶなっかしく飛んで行きました。見送っていると、隣の中学校の体育館の窓から入って行ってしまった。学校が好きなやつだったのかも。でも、少しがっかりしました。

 昨夕、薄暗くなった廊下を歩いていると、突然足元からばたばたと大きな羽音が。驚いてよく見ると鳩です。これも迷い込んで出られなくなっていたらしい。こちらも用があって急いでいたし、手近な窓を急いで開けて逃がそうとしたのですが、そのタイミングが最悪でした。

 勢いよく開いた窓の枠と柱の隙間に、逃げようとした鳩が飛び込んでしまって、グシャといういやな音。小さな鳩の頭をはさんでしまったのです。ばたっと下に落ちて、ばたばた羽根を打って、全身の羽毛を総立ちにさせて・・・やがて羽根が動かなくなり、羽毛がしずかに元に戻りました。そして、鳩の頭の部分から赤黒い血が流れ出す。その間数分。じっと見つめているしかありませんでした。殺してしまった・・・。

 吐き気がこみ上げてきました。でも、始末をしなければ。部屋に引き返してバケツと袋を持ってきて、屍骸を袋に入れ、水を流して床を洗う。とろりとした濃い血、これがなかなか取れない、流れない。

 子どもの頃、鶏を飼っていて、客があると、卵を産まなくなった鳥から近所の鶏をツブしてくれる小父さんとこへ持っていったりしたけれど、自分で手を下したことはありませんでした。不思議な衝撃を受けた一夕でした。


音楽の秋

喜歌劇「こうもり」

 大阪芸大60周年の「舞台総合芸術の夕べ」から。第2幕の舞踏会のシーンを中心に構成。フェスティバルホールの広い舞台に、オルロフスキー公爵邸の階段を正面に見る大広間のセットを組んで50人以上の着飾った紳士、淑女が並ぶ賑やかな舞台。

 進行は芸大教授でもある俳優の浜畑賢吉さん。お話は、身分や立場を偽って舞踏会に繰り出した男女、夫婦のすれ違い、勘違い、というよくあるパターンなのですが、シュトラウスU世の音楽でひっぱります。芸大のOBの現役オペラ歌手総出演(?)でみんな熱演。

 記念公演なので、間にガラ・パフォーマンス(余興的出し物)として芸大教授の演奏が入る。川井郁子さん(美形、NHKが好きなひと。テレビではいつも唇を半開きの表情の演奏がアップになるので、私は見とれ、嫁ハンは毛嫌いしている)がジプシーのヴァイオリン弾きという設定でなかなか見事な演奏。でもあとの教授二人の歌唱、「お蝶夫人」のしまりない着物姿(同行の友人の怒ること・・・)や、「マイフェアレディ」の映画のヘプバーンと同じ白いドレス(着たの?着せられたの?どちらにしても気の毒)、OBダンサーによるグラン・パ・ド・ドゥには閉口しました。

 なんとか「舞踏会」も終わったのですが、はやり残念なのはムード、華やぎに欠けること。キャスト不足で端の出演者にまで演出が届いていない。ドレスも形、色まちまちで、男性は貸衣装みたい。このあたりはタカラヅカにやってもらうとやはり見事です。でも、もちろん残念ながら、本場の歌劇場の、自前の裁縫工場を劇場内に持ち、何千着という在庫を持つスケールには及びませんが・・・。オペラは金がかかり、なかなか上演すら難しい。芸大は果敢にがんばっており、来春にはモーツァルトの「魔笛」に挑戦するようです。

 それにしても、歌舞伎もそうですが、現代、4時間近い公演は長すぎる。終了は10時前。後ろのおばちゃんは足が痛いと通路に座り込み、飲みにゆく時間が少なくなったと私の同行のメンバーは騒ぎ・・・。ま、招待券ですから、これ以上は文句は言いまへん(十分言ったって?)。 

2005年10月20日

 観世流能楽師 大西智久さんが難曲、三老女のひとつ「姨捨」をはじめて舞うという(先日の朝日、夕刊)。今月29日、大阪能楽会館。

 演じ方に悩んで、曲の舞台となった長野県姥捨を訪れ、丘で月を見ているうちに、「捨てられた老女の悲惨な面影は去り、自然と同化した清々しさが残り」自分の姥捨が見えてきたとのこと。毎日筋肉トレーニングをしていて、衰えが来たら潔く身を引きたいというが、これから老女もの後2曲(「桧垣」「関寺小町」)に挑むという。

 お父様の大西信久さんは、八十才の死の直前まで舞い(最後に「関寺小町」)、観世流二百十番全曲を完演したものすごい人ですが、父子の違った生き方もまたいい。それにしても、能の舞台もまた一期一会だなあと感じます。29日、行けないのが残念。

2005年10月18日

恐竜「スー」は享年28歳だって・・・。恐竜の平均寿命ってどれくらいだったのだろう。

「ファスナーを静かに開けてゆくがごと 小舟の水脈(みお)が 秋の湖(うみ)ゆく」

朝日歌壇から。5席くらいだったけれど、うまい比喩だなあ。

「むくつけき木の紅の 林檎かな」

これは朝日俳壇の1席。いい句だとおもうけど、やや「あざとい」かも。

ロッテはすごい!王監督はちょっと気の毒やけど、このプレーオフ、ボールゲームを堪能させてもらいました。

「ナノテクノロジー」・・・超微細技術
「リデュース」・・・ごみ発生抑制

このあたりは、やはり日本語に言い換えてもらってよかった。


 休日の昼、故郷から新米が届きました。30キロ。さっそく車に積んで臥龍橋を渡って壷井の村へ精米に持って行く。夕刻、水分を控えめして炊く。そして、ほこほこしたおいしいご飯が炊き上がりました。両親、弟夫婦に感謝。

 故郷の村の小さな盆地内に、分散して4枚、小さい田んぼを耕作しているのですが、この冬、そのうちの3枚が道路拡張の為に潰される事になり、来年からは実家の分で手いっぱいだろう、もう送ってくれなくていいよと言い送っています。(でも、送ってくるやろなあ)

 思えば18で故郷を離れて、三十年余、毎年数回に分けて、ずうっと送り続けてくれたんだ。お金の無いときは本当に助かった。車を運転しない父は、自転車の後に30キロの米を載せて、毎回、町まで4キロ漕いで運んでくれたはず。

 それだけで、もう返しきれない程の恩をもらっていたのだと、この年齢になってつくづく感じます。それに稲作は本当に重労働、そろそろ解放してあげたい、卒業してほしい、と思います。(でも、体が動く限りは田んぼに出るやろなあ)

 その夜は今年、はじめてのごはんの「お代わり」をしました。おいしかったです。

2005年10月17日

 なんで今頃、こんな形で参拝をしたんだろう?

 どういう読み、ビジョンがあるのか、国としての独自性はあって当然だが、対アジア外交におけるどういう長期展望があるのか、首相は言わないだろうけれど、知りたいと思う。

 先週、中国の小学校へ今年2回目の絵本郵送を行ったばかりです。1回目届いたという返事はまだありません。

 もっと地道に国交回復の努力をしてきている人はあちこちの国に多いはず。それらのはるか上空での高度な政治的判断ってあるのだろうか・・・。空しく、空恐ろしい気持ちがします。

2005年10月15日

 偶然ながら我々夫婦は同じ誕生日。子育てに忙しい時は祝いどころじゃなかったけれど、息子たちの片がついてきた近年に食べに行くことから始め、昨年はリーガロイヤルの割安宿泊をゲットして、デパ地下で買った食糧を持ち込んで二人で宴会をしていたら、聞きつけた上の息子がケーキの差し入れをしてくれて、嬉しかったりした記憶があります。

 今年は下の息子も就職したし、週末なので小旅行でもと思っていたら、息子たちがホテル宿泊をプレゼントしてくれるという。息子の勤務するホテルなので、こちらも家族割引きがあるのだろうと、気楽にありがとうと受けて、折角だからと時間休暇をもらって早めに出かけました。

 チェックインに少し早かったのですが、案内されたのが34階のクラブフロア。これがエレベーターで専用キーを使う不思議な空間で、広い優雅なスペースに落ち着いた英国風インテリア、美しい笑顔のスタッフ達(この人たちもコンシェルジュというらしい)、軽食にドリンク食べ飲み放題。これで無料。どうもおかしいと思っているうちに和服の若い女性に案内されたのがやはり専用キーを使って1階下のなんと「コーナースイート」でした。以下は、スミマセン、息子のホテルの宣伝になりますが、「旅」のコーナーで。


「ホテル リッツカールトン」(10月15日記

 このホテルは上の息子の勤務先で、レストラン、飲食関係の入っている5階までは何度か行きました。今回初めて宿泊して客室が24階以上に置かれていることを知りました。つまりその階まではオフィスが入っているのです。大きなホテルと思っていたけれど、実際そんなに客室数は多くないのです。

 33階から35階はスイートのフロアで、ルームキーをエレベーターの階表示のところに差し込んで行く仕掛け。この3階分の宿泊客は34階のクラブフロアに自由に出入りできるようです。1日4回の食事の入れ替えがあり、午後8時からはアルコールも出ます。もちろんこちらも無料。連泊してこのフロアでのんびり読書するなんて夢だなあ。


 宿泊したコ−ナースイートは東南の角部屋。部屋に入ると控えの間があり、そのテーブルに大きな皿、白い薔薇の花びらを散らした中にチョコレートの盛り合わせ。傍にスタッフ20名からの寄せ書き。うれしくおいしくいただく。テレビなどの器機は衣裳ダンスと思った木製家具の中に入れられている。ベッドルームはガラスばりでボタンを押すと南西2面のカーテンがざーと開いて、大阪湾に至る市内西部の景色が見渡せる。夜景も美しい。でもなによりトイレが2箇所あるのがうれしい。

 クラブフロアに味をしめて、夕食もそこで済ませ、ビール、ワイン、ウイスキーのお湯割りと、しっかり飲んで、10時頃部屋に帰り、広いバスにゆっくり浸かっていました。ここにはバス用の枕があり、これが気にいってのんびりしていたところにチャイム。はて、チョコの差し入れはいただいたし、さては、これは今夜このホテルにいる事を知っている悪友の○○だ、今夜も市内で飲んでいると言っていたから酔って乱入してきたのだろうと思って、驚かせてやろうとバスタオルを腰に巻いただけの格好で出てみると、ケーキを奉げたフロアスタッフと、その後ろに、ピンクのテーブルを持った今日非番のはずの上の息子と、その後ろに赤い顔をした下の息子(宴会中を上の息子に呼び出されたらしい)。呆然としてる私、慌てて寝室に逃げて身づくろいする嫁ハンを横目にさっさとパーティの準備をはじめる3人。

 ピンクのクロスが掛かった携帯テーブルに赤い薔薇の花びらとバースデーケーキ。ケーキをあてに家族4人で息子達の終電まで、また宴会をしてしまいました。

 翌朝の「スプレンディード」の朝食バイキングは評判通りのおいしさ。それにしてもスタッフの気配りと笑顔に感嘆。なにか頼もうとするとすぐに「はい、菅さま」名前を呼んで来てくれる。お誕生日おめでとうございます、とあちこちで言われました。これは息子の関係というのではなく、ある面怖いけれど、客の情報を迅速に流すシステムができているということなのだそうです。

 それにしても、訓練されているとはいえ、いい笑顔の若いスタッフのきびきびした動きの気持ちいいこと。学校生活に疲れた時、「癒し」にまた行きたい。

 誕生日記念に、私はホテルでバス枕とテニス帽子を、嫁ハンには思い切ってハービスエントの「スワロフスキー」で舞台用にクリスタルのイヤリングを買う。でも値段が私の分の何倍もしたのは、ちと悔しい。

 息子達に感謝。思えばこれまで20数年間、たくさん投資してきたのだから当然とも言えますが、そうは思えない、単純に喜ぶところが親バカなのでしょうね。

2005年10月13日

 冴えた11夜の月が美しい宵です。うす暗い部屋に帰り着いて、室内灯を灯すと同時に着信アリ。いきなり「カエッテキタネエ」。どこのストーカーかと思ったら義母でした。引っ越して、義母のマンションとは500メートルほどの近くとなり、どちらも上階なので灯りがよく見えるのです。

 それにしても、電気が点くのをじっと眺めて待っていたのかしらん、向こう気の強いおばはんも寂しいのかなと思って、銭湯に行きがてら、四国から届いたばかりの栗、茄子、早稲蜜柑などを届けることにする。小さな夕餉の膳に向かっていた義母は、喜んで部屋の模様替えのプランを滔々としゃべる。なんや元気やないか・・・。

 そこへ電話。義父の生家の天満の大おばあちゃん(養子さんの未亡人、103歳)が亡くなったという。老衰とのこと。年に不足はないけれど・・・。何度かお目にかかったけれど、闊達な方でした。感傷より、義父の出生の秘密を知る人はこれで2人になってしまったなあと思う。義母は先週の49日の法要で着た「黒」を仕舞わなくてよかった、とつぶやいています。

2005年10月12日

 豪華客船、「ダイヤモンド・プリンセス号」が大阪港に入港したとのニュース。11万6千トンというのはすごいなあ。タイタニックの倍あるのですね。船旅は憧れだけれど、船によっては等級がきちんと決められて、船内での行き来すらも出来ないとか。そんなのいやだなあと思うので、今は船旅は老後の楽しみのリストの下位に下がってきているのです。ダンスもずっとやっていないし、服もないし・・・もちろんお金もかかるし。

 でも、やはり海への憧れは捨てきれない。夏が遠ざかるにつれて、潮の香りが恋しくなります。今年は一度も夏の海に触れなかった・・・。


最近読んだ本(10月12日記)

 9月号の「御宿かわせみ」

 「二人伊三郎」 現代の何十倍も危ない江戸時代の船乗り。北廻船や樽廻船に乗り込む男達は常に死の覚悟と共に、また現世での栄達を思う気持ちが強くあった。たまたま噂に聞いた、気の毒な男の身の上話を、己のものにしてしまった二人の男にそれぞれ訪れた人生の転機は・・・。今回、「東吾」と「るい」に活躍の場はなく、ほろ苦い結末が人の世のやるせなさを感じさせます。

 「午後の居場所で」  落合恵子

 ようがんばらはって、えらい!懐かしい文化放送DJの「レモンちゃん」は今や立派な作家です。言葉の遣い方も、おしゃれで気配りが効いて・・・。

 「レイプ」はこの人が定着させた言葉だけれど、最近は「強姦」と言い換えてはる、その見識もえらい。今回の「元気疲れ」という言葉も説得力があるけれど、やはりどこかがんばりすぎてはるようで・・・。読んでいて少し疲れる。

 一緒にいたら、同性ならいいけれど、その気配り故に、男性にはかなりしんどい女性かもしれないなあと感じます。

2005年10月10日

 義父の49日を大阪市内の菩提寺で、例によって家族だけで行いました。法要の後、境内の墓に納骨。石屋さんは若い女性。ポーチを腰に、気持ちよくテキパキと動いてくれる。大阪では骨壷から木綿の袋へ遺骨を移して、地面の露出した石室に入れるのですね。先年納骨した義祖父、祖母の遺骨も袋が失くなって骨が土に還りつつありました。

 なるほどこれは知恵だなあ。四国では骨壷のまま石室に入れるので、石室内の場所がなくなりつつあります。私の入る場所(スペース)は一応決まっていて、まだ残っているそうですが・・・(笑)。

 義母は納骨前に少し骨を小さな箱にもらっていました。ペンダントに入れるそうです。いつでも話しかけられるようにとのことですが・・・。あれだけ生前激しい喧嘩をしていたのに・・・毎回、仲裁に入って、振り回されたこちらとしては複雑な思いです(苦笑)。ま、彼岸、此岸に分かれれば、喧嘩も出来ず、ええとこだけ思い出に残るのかも知れません。棺を覆わなければわからないことも人生にはあるのですね。

 「精進落とし」は少人数だからということもあって、張り込んで大川に臨む料亭で。でも、警察官である下の息子は法要にも此方にも間に合いませんでした。あとで聞くと、所轄で乳母車に入った女児の死体が発見されたからとのこと。釜ごと来た松茸ごはんの残りをおにぎりにして持って帰りたいというと、やんわり断られました(当然ですねー苦笑)。

 息子は翌夕ヘロヘロになって帰ってきて、ご飯も食べないで眠ってしまいました。事件はどうなったのか訊きそびれました。

2005年10月8日

 久々に能に行ってきました。大槻能楽堂、10月の定例公演は「井筒」。シテ(主役)は「能楽界期待の星」といわれているらしい上田拓司さん。疲れていたので見ながら寝てしまうかなと心配したのですが、緊迫感のある舞台に感動、堪能させられました。

 「井筒」は高校の教科書に必ず載る「伊勢物語」の有名な段に材を得ているのですが、構成がシンプルで見事です。旅の僧がいにしえゆかりのある地を訪れ、そこに残る霊と交感するというパターンは同じで、ここは大和の在原寺。業平の墓に参った僧が出会った里女は、実は自分は業平の妻であると語り、姿を消す。その夜の僧の夢に、夫業平の形見の長絹を纏った妻が現れ、井筒を覗いて夫の面影を求め、夫を慕う舞を舞って夜明けと共に消え失せる・・・。

 筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生ひにけらしな 妹見ざる間に

 以前から元の歌の第4句 「過ぎにけらしな」 が変えられてるのを不思議に思っていましたが、今回謎が解けました。終盤でのシテの独白「生ひにけらしな」「老いにけるぞや」(年をとってしまったよ)の掛詞を生かすためだったのです。つまり、愛する夫(業平)に先立たれた老妻の妄執がこの言葉に収斂され、それがこの演目の狙いだったのです。背景に伊勢物語での裏切られてもひたすら夫を思う妻のエピソードが生きています。

 昔見た時は、ぼーっとしていて、前半は里女(業平の妻)、後半は業平と思い込んで見ていましたが、実は一貫していたのです。シテは、女であるが男の姿に身を窶したサマを演じなければならない。歌舞伎で言えば、「女形が男装した女性を演じる」という難しい役。上田さん力演でした。

 能の豪華な衣裳の美しさはいうまでもありません。紅入唐織、縫箔腰巻の見事さ。笛、小鼓、大鼓もすばらしい演奏でした。若いときにはわからなかった意味合い、楽しさ。50過ぎまで生きていてよかったと思うのはこういう時です。

2005年10月6日

 誉田のだんじりが終わり、今度は古市の秋祭り。試験引きが終わり、本番の8,9日を控えて、毎晩お囃子の練習が続いています。私は毎晩、近所の整骨院にマッサージに通い、電気マッサージを受けながら祭囃子に耳を傾け眠ってしまいます。

 腰痛はほとんどよくなりました。テーピングも今日で取れて、湿布も一日一回になりました。

 マンションから古い町並みを見下ろすと、南北に数百メートル、二筋、高提灯(御神灯)が揚げられて壮観。ネオンなんかよりずっときれいです。

 格子造りに  御神灯下げて
 兄貴ゃうちかと  姉御に問えば
 兄貴ゃ 二階で 木遣りの稽古
 音頭取るのは ありゃ うちの人
 えんやら えんやらや    (木遣りくずし)

 粋な兄貴も姉御もどこへ消えたのでしょう?デレーッと服を着て、だんじりを引きながらタバコを喫い、チューインガムを噛んで、道端に唾を吐く、薄汚い奴らがうろうろしています。きりっとした若者もどこかにはいるのでしょうね。


最近読んだ本(10月6日記)

 「生き残り」 山口瞳

 この人の人柄も、小骨の多い文章も好きではありませんが、世の中、こんな偏屈な口うるさい爺さんがいてもいい。いや、いたほうがいい。時々エッセイを読んで、抵抗しつつ頷かされることがあります。遠慮、はじらい、引き際なんて言葉がまだこの人までは生きていました。 

2005年10月4日

 1昨日に我が家の南北で起こった事件。まず、南。喜志のドラッグストアの店主が刺殺される。犯人は先日解雇された元店員(19歳)。横領した店の品の弁償を要求され逆恨みしての犯行。逃走中に交通事故を起こして、家から500メートルの城山病院のところで逮捕される。なにをかいわんや。殺された店主、気の毒。

 ちょうどアメリカの短編「母の生活の歳月」を読んでいました。ドラッグストアの店員である主人公は店の品を横流しして店主に見つかり、母に連絡される。深夜に駆けつけた母の毅然とした姿に・・・という話で、この事件との対照を思ったことですが・・・。

 一方北側。道明寺の住宅地に猿が出没。警察、消防団員ら数十人による追跡を振り切って、猿は家から300メートルの応神天皇陵に消える。捕まらへんやろなあ。

 朝日歌壇の今週の一席

八十年 働き者でありしこと 忘れそうだよ ごめんね 母さん (岩永さん)

 認知症が始まったお母さんを介護しているのでしょうね。

十席

 雨雲に 吾妻は見えず 山中の 阿部氏の無事を ただ祈るのみ


9月31日の福島県の新聞に載ったという遭難の記事。投稿者はその友人でしょうか。阿部氏は助かったのかなあ。

2005年10月3日

 腰痛になって1週間が経ち、痛みもやや和らいできました。それよりこの不自由さに慣れてきたのが恐ろしいというか、人間の適応性というのはすごいと思います。

 ベッドからの起き上がり方。ゆっくり俯いて、尺取虫のように身をかがめ膝を曲げてから、後ろ向きにゆるゆる降りる。洗顔も上半身を倒すのではなく、膝を曲げて顔を下ろしてゆく。

 靴下は椅子に座って小さな台に足を乗せ、爪先に引っ掛け、ゆっくり引き上げてゆく。靴は横向きにして、手すりをもってしゃがんで履く・・・。息子の、おとうさん、仕草がオカマっぽくなったよという揶揄も、あらそうかしら、と受け流し、嫁ハンに頼らず、早めに起きて、今日はここまで出来たという達成感を持つようにしています。


 そんなことしながら、これって、老後や、将来障害を持った場合に備えてのシミュレーションではないかと思い至りました。でも、これはまだ50代だから、体力がまだあって、怪我からの早期回復を見込めるから、できることかもしれません。もし80代ならどうだろうと、最近弱ってきた田舎の母の体調と心境を思います。

2005年10月1日

 下の息子は、阪神優勝の騒ぎの警備から、疲れきって帰ってきました。息子はまだましだったようですが、2昼夜勤務という人もいたそうです。「みんな立ちっぱなしで腰が痛くて、腰を押さえて、お父さんみたいな格好で帰っていった」ということです。泉南に住む同僚の方は、何人も電車で寝過ごして和歌山まで行ったとか。ほんまに気の毒な話です。

 戎橋を封鎖したけれど、群集が溢れて、御堂筋を塞いで大渋滞になってきたので、午前3時に戎橋を解放したのだそうです。それでその後バリケードを越えて道頓堀に何十人かが飛び込んだようだけれど、より危険だったのは電柱に攀じ登る連中だそうです(若い女の子もいたらしい)。酔っ払っているので危ないことこの上ない。実際落ちて怪我したヤツもいるらしい。もー、話を聞いていて、あほらしいというか、平和というか、こんなことに貴重な時間や金(税金)を遣う必要があるのが情けない。



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