Kan-Kan の雑記帳


2005年11月30日

 最近知った言葉ー「舞台風」ー幕が上がった時、人いきれで気温の高い客席に舞台から吹き降ろす風のことー大入り満員の劇場が浮かびます。

 南座で坂田藤十郎の襲名披露公演始まる。所縁のない大名跡襲名の是非はまあ置いて、円熟の鴈治郎改め藤十郎の演技が楽しみです。いよいよ師走。加茂川にはユリカモメが舞っているのでしょうか。

2005年11月29日

 朝焼けが石川の水面に反射してきれいです。雲ひとつない二上山の右肩の空に、ガラスの破片のような新月前の月が上がっています。

 朝刊の一面は「広島の女児殺害・遺棄事件の容疑者逮捕へ」。近所に住む男性らしいけれど、アリバイがないとのこと。証拠はあるのかなと思いつつ、急いでテレビをつけると、「ペルー人の男性を逮捕」の報。もう、写真も出ている。

 迅速な捜査、事件解決は大切だけれど、急ぎ過ぎないことも大切だと思います。

 マンションなどの耐震強度偽装問題の衆議院委員会での参考人質疑。役者が欠けている(姉歯建築士は欠席!)けれど、出てきた顔ぶれはどれもクセあり。入居者やホテル利用者の立場より、自社や自分の立場の保守に拘っている感じが露骨で、言葉に重みがない。仕立てによいスーツのみが目に残りました。

2005年11月26日

 秋晴れの土曜日の朝。今日が「紅葉狩り」の最後のチャンスと思いつつ、パソコンに向かっています。暖かいミルクティ、珍しくプラシド・ドミンゴなど聴きながら、ボーッと金剛、葛城を眺めつつ、出かけなくてもこれはこれでええなあ、とダレています。

 洗濯ものがよく乾くのがうれしい。家族4人分の秋冬ものというのは結構あります。息子二人の分は、区別がややこしいので、私は大雑把に畳んで、どちらかの部屋に放り込むのですが、嫁ハンはクンンクン匂いを嗅いで、識別してる。雑なくせに妙なところで細かい。洗った後でも微かに体臭が残っているのだそうです。下の息子の方が、兄より少し体臭が強いらしい。ま、訓練などで汗をいっぱいかくからでしょうが・・・。

 大阪芸大の60周年記念行事も大詰め、25日の宵、「ジャスポップスコンサート」ヘ行ってきました。前回のクラシック版でズッコケたのですが、今回は大正解、楽しい一夜でした。


 まず構成がうまい。大芸大のポップスオーケストラの演奏、卒業生(知らなかった)の高野寛さんの歌から大橋純子さんのミニコンサートまでが第一部。特に大橋さんは歌手生活31周年を迎えたと思えない、変わらぬ見事な声量と表現力で聴かせました。

 黒いパンツと銀のラメの入った白いレースのノースリーブの長い上着、イヤリング、ネックレス、ブレスレット、そしてヒールはすべて銀。小さな体が大きく見えます。昨日からリハーサルを重ねたというオーケストラを従えての熱唱は見事。「シルエットロマンス」などのオハコもよかったけれど、最後のポ−ル・マッカートニーの「マイラブ」は客の心をを完全に掴みました。

 休憩時間にワインを飲んで、第2部は「北野タダオとアロー・ジャズオーケストラ」の軽快な演奏から。ドラムが華やか、ベースがシブイ、でもトロンボーンが好きだなあ。前田憲男教授が出てきて、これも慣れたもので軽妙にジャズの歴史を「枯葉」の6種類の演奏に乗せて説明する。ダンスホールの伴奏音楽からデキシーランド、スウィング、ビーバップ、ビッグバンドになってミラーサウンド、ラテン風まで。

 南北戦争で解放されたアフリカ系アメリカ人の人々が野球の音楽の世界に流れ込み、最初楽譜が読めなかったことから、アバウトな演奏をし、それが面白かったことからアドリブや掛け合いが生まれ、やがて洗練され音楽性が追求されてゆく、それがめちゃよくわかる。盛り上がったところでオーケストラボックスがせり上ががってきて、「ウィ・スリー(前田憲男・猪俣猛・荒川康男)」が目の前で演奏(席は4列目でした)。もうお年なのに、実に楽しそうに、嬉しそうに、でも余裕を持って笑顔で、迫力の演奏。4分の5拍子の「テイク・ファイブ」を堪能しました。あんな老人、かっこいいなあ。なりたいなあ。客席からも盛んに声が飛んでいました。

 最後に私のようなものの為に(?)サテン・ドールの登場(待ってました!)。3人共、肩を出して、体にぴったりした明るい赤のロングドレス(デザインは少しずつ違う)に深いスリット。歌もめちゃ巧いけれど、ステージングがいい。特に一番右のショートカットの女の子(人)、ステキでした。最後に「サニーサイド・オブ・ストリート」で締めて2時間半。

 3時間を越してなおかつ消化不良だった前回と違って、遣りすぎず、しかもたっぷり満足させる・・難しい業が成功していました。舞台監督にも拍手。大満足。そのあとアベノの路地裏で沈没したのは言うまでもありません。

2005年11月23日

 広島で小1の女児、絞殺される。白昼の出来事。

 先月、道頓堀で乳母車に乗せられていた女児の死体遺棄事件件も気がかりです。あの時は、下の息子の担当地区で、息子が乳母車ごと抱いて霊安室に運んだそうですが・・・。

 怨恨とか、愛憎のもつれとか、金銭トラブルとかいうのではない、罪もない幼い命をなんで奪うかなあ?人間の心に暗部があることは50年生きてきて、よくわかっているつもりなのに、それでも溜息をつくことの多い昨今です。

 紅葉の見ごろを迎えて、ライトアップもさかんです。青空の下のもいいけれど、黒い夜空に浮かぶもみじの赤もいいですね。生中継される京都のそれをテレビで横目に見ながら、仕事でパソコンに一日向かっていた、晴れの「勤労感謝の日」でした。

 今年の日仏協会の「ボージョレーヌーボーを味わう会」は、会場を変えて、「阪急インターナショナルホテル」で。今年は気合を入れて、私はスーツ(昨年はブレザーで恥ずかしかった)に派手なネクタイ、嫁ハンはチャイナドレスで。でも、さそったテニス仲間のカップルには負けました。友人はタキシード、彼女は黒いカクテルドレスで登場。見事でした。

 今年の味はまろやかで、飲みやすい。でも、会場があきまへん。料理の味はいいけど、量が少な過ぎる。デザートも。ワインは飲み放題なのに・・・。会場のインテイリアもイマイチ。なんや暗いムード。

 阪急インターナショナルといえば大阪を代表するホテルじゃなかったん?しょぼいぞ!昨年までのハイアット・リージェンシーホテルのほうがはるかによかった。来年度はホテルを聞いてから出欠を考えようと思います。 

2005年11月19日

 あちこちから初冠雪のたよりが届きます。急激に冷え込んできて、これで紅葉も一段と進むことでしょう。

 喪中欠礼が届いた松山の友人と、やっと連絡がとれました。お孫さんは生後11ヶ月の男の子だったそうで、内臓が弱かったらしいけれど、突然死だったらしい。息子さんは年はウチの上の息子と一緒。もちろん初孫。人生何が起こるかわからないねえ、とお互いため息をつくだけで、慰めようがありませんでした。


「あすくの里」見学

 羽曳野市飛鳥町に今年の4月に出来た、ろうあ高齢者特別養護老人ホームへ見学に行ってきました。前任校でお世話になった先輩教師が聾学校校長を退職後、ここの理事長をしているのです。今回所長さんとお二人で丁寧に案内していただきました。大阪で唯一の施設。もっと早くできてもよかった。多くの人の協力を得ての、募金、国や府、地元との折衝・・・気の遠くなるような複雑、煩雑な過程を経て、設立。この秋には満床になったようです。そのご努力に頭が下がります。

 80人の入居者を4つのグループに分け、食堂も分けるなど、建物の構造や部屋の配置などにも、さまざまな工夫がなされています。ノックの音が聞こえないから、ドアの傍のボタンを押すと、室内で表示灯がくるくる廻る。浴室の洗い場の手すりの形や、入浴するためのリフトなど、工夫と費用も掛かっています。80人と聞いていたので、も少しこじんまりとした施設かと思っていたら、広々として、日当たりの良い明るい環境なので驚きました。

 聾唖の方は障害が見えにくい分、介護認定の度数も低く見積もられ、また入所者には体力や行動力もある方が多いため、余計に人手がかかるという点にも気づかされました。人件費の問題、若いスタッフの育成・・・問題は山積しているようです。これで運営、経営してゆくのは大変だろうと思われます。でも、責任者のお二人ともめちゃ明るくて前向き。元気な60代の気概に圧倒されました。

 デイサービスは付近の一般の方も利用できます。地域に根ざしつつ、聾唖者対象というカラーを守って行くために、これからもいろいろ手を加えてゆかれるのでしょう。市民ボランティアの取り入れも視野に入れられているようです。いつか、たとえば、送迎サービスの運転手とかで、お手伝いできれば、と思いました。

 「あすくの里」と言う名前は、この施設が「近つ飛鳥」の地にあり、飛鳥が「あんすく」と呼ばれていた時代もあったことから、「安心して健やかに暮らせる」意味を込めて名づけられたものだそうです。近鉄南大阪線、「上ノ太子」駅から徒歩7分くらいです。電話は0729−57−1763。


「故郷の人々」

 今夜、NHK「新日本紀行ふたたび」で故郷、菊間町の秋祭りが取り上げられていました。30年前に放映されたものに今年の映像を加えて編集してありました。祭りのハイライトのひとつ、「お供馬」という、少年が馬に乗って境内を駆け上る行事に焦点を当ててあるのです。走る馬が2頭にまで減って、存亡の危機に陥った30年前。なんとか馬を借りて凌いだ時の映像が懐かしく流れます。当時まだ独身で、柏原の一人暮らしの部屋の小さなテレビで見た記憶がはっきりあります。

 30年前のドキュメントの中心人物だった菅肇(はじめ)さんは私と同じ村で、屋敷はウチから300メートルくらい。あの時2頭残った馬の所有者でしたが、娘さん3人で、息子がなく、馬の乗り手は親戚の男の子でした。村有数の旧家(屋号は「こうら」)だったけれど、肇さんは十数年前に亡くなり、奥さんは昨年施設に入り、家は今は空き家。それをあのとき8歳だった乗り手が訪れる。家は荒れて、馬小屋に錆びた蹄鉄が残っている・・・。

 懐かしい景色、顔ぶれが次々出てきて、あっという間の40分でした。この秋祭りは500年の歴史を持つ行事(「お供馬」以外に「神輿」、「牛鬼」が見もの)で、県の無形文化財でもあるのですが、人口の減少、生活環境の変化の中で維持してゆくのは大変です。今年は18頭にまで増えたとありましたが、予断は許されません。登場した若い少年達の明るい表情が救いでした。

2005年11月15日

 満月に近い月が東の空に懸っています。帰宅途中、大和川堤を通りかかると、水面に月光が反射して銀色の波打つ帯が輝いていました。月は、中秋よりこれから冬にかけての方が、冴えて美しいと思います。寒いけれど・・・。

 四国の母はかなりのミーハー。美智子皇后のファンでもあります。お母さんにくらべて地味な娘さんじゃね、と常々言っておりましたが、数年前、紀宮さんが四国に来られた時、たまたま大島で至近距離でお会いすることがあったらしい。可愛らしい、感じのいい娘さんじゃった、と俄然紀宮ファンに転向、ええお婿さんを探してあげんといかん(いくらお節介でも、貴女の出番じゃないやろ?)とほざいておりましたが、今日、華燭の典。さぞ入れ込んでテレビを見ていることでしょう。


 やはり地味な式、ドレスでしたね。いい感じでした。レセプションでお召しの和服がお母様の皇后のものだと聞いて、ちょっとじーんと来ました。記者会見での「こころ穏やかな静かな家庭を作りたい」のところで「ウチはこころ騒ぐ喧しい家庭やね」と当然のことながらツッコミが入りました。

 結婚の気配すらないウチの息子達。特にホテルに勤める上の息子は、不規則な生活が心配です。だいたい終電で午前一時に帰ってきていたのですが、それも出来なくなって、ホテルの従業員ベットに泊まることが増えてきました。それでも、たまに2時、3時、4時ころにタクシーで帰ってきます。ゆっくりシャワーを浴びて自分のベットで眠って、お母さんの作るバナナジュースが飲みたいらしい。家での滞在時間は数時間。ええ加減で親離れ、家離れしなはれ、ホテルでもおいしいモーニングが出るやろ、と言うのですが、あきません。

 家賃を上げて出てゆくきっかけをつくってやろうかとも思うのですが、息子の帰りが気になって、何度も目覚めてしまうコチトラも子離れが出来ていないのかもしれません(苦笑)。これでは結婚はまだ先かなあ。上の息子の年には私はもう、結婚していたのですが・・・。ま、気にせんときましょ。ちなみに黒田さんは40才でしたっけ・・・。

2005年11月14日

 あわただしい日常に追われて、しばらくHPの更新をしておりませんでした。やっと一段落ついたら11月も半ばです。

 東京では木枯らし一号が吹いたとか。ご心配いただきましたが、ぎっくり腰もほぼ完治しました。復活したテニス前後のストレッチにももっと気を入れて、苦手な寒い時期を乗り切りたいと思っています。

 この10日間の間に、まず本田美奈子さんが亡くなって驚きました。アイドルからミュージカルスターにそして近年はクラシックにまで活躍の場を拡げていました。あの細い体であの見事な声。きっと血の滲むような努力があったのでしょう。

 そして、桂吉朝さん。米朝さんの後継者というより、上方落語の真のホープでした。

 これからという人がばたばた倒れて逝きました。どちらも頑張りすぎたのではないでしょうか?がんばったからこそ、次代のエースとしての地位を確立したのでしょう。でも、、期待されながら、その時が来る前に去って行ってしまう。志ん朝さんもこれから円熟期という時に亡くなられたのでしたね。

 追悼客の「悔しい、空しい、寂しい」という言葉が胸に沁みるそれぞれの葬儀でした。

 10月に書いた記事ですが、先月のタカラヅカの公演で退団を表明した、次代のトップといわれた若手スター、「月舟さらら」さんは寿退団だそうです。これもなんや悔しい、もったいないなあ。


 喪中欠礼の葉書が届く時期になりました。親を見送った友人、知人が多いのですが、驚いたのは2日前に着いた中学時代からの友人、Kくんからのもの。松山に住んでいるのですが、「孫の○○を亡くしました」とあります。仰天して、すぐ電話をしたのですが、誰も出ません。朝に夕に何度電話しても同じ。故郷の町にも情報は入ってないようです。心配で胃が痛みます。

2005年11月3日

 金星がきれいですね。大阪なのに故郷で見た時より大きく輝いて見えると思っていましたら、理由がわかりました。近年進んできた老眼と乱視のせいだったのです。目を細めるとひとつに見えるけれど、そのまま見るとダブって見えます。たしかドイツの詩人が「金色のミツバチ」に喩えていましたが、まさにその風情。詩人もきっと老眼だったのでしょう(笑)。

 メキシコ原産の話題の植物「グランパラリーフ」。青リンゴのようなさわやかな酸味が持ち味で、カルシウムとマグネシウムに富むという。絞って焼酎に入れてもグーとか。早く手に入れてみたい。

 沖縄産という豆腐を食べました。餅のようなねちっこさ。味はおもしろいけれど、付けてあるタレが甘くてちょっといただけない。年のせいか、やっぱり豆腐はさっぱりしていなくてあきまへん。

 阪神4連敗の夜、厳戒体勢の道頓堀に群集は現れず、警戒していた下の息子も、拍子抜けで帰ってきました。でも、親としてはほっとしたものです。甲子園に応援に行っていた友人に聞くと、帰りの満員の阪神電車も静かなもんやったで、ということです。あれだけ見事にやられたら暴れる元気も出なかったのでしょう。却って、優勝パレードが盛り上がるのか、といらぬ心配してあげている今日この頃です。

 元近鉄ファンの私は、田尾監督解任で今季応援した楽天も見限ったし、来季はしゃあない、オリックスでも応援しようかと思っています。それにしても大阪にプロ野球チームがないのは寂しいですね。



最近読んだ本(11月3日記入)

「淳之介さんと私」  宮城まり子

 超のつく人気作家と人気女優の不倫の恋の30有余年。はっきりしてという愛人のまりこさん。離婚するなら子どもを殺すという本妻。身動きとれない淳之介。その中で名作は生まれ、ねむのき学園は立ち上げられ・・・まあ、淳之介に言わせると「女としてのすべての要素を持っている」(嫁ハンにいわせると「持たざるを得なかったのよ!」)というまり子さんのものすごいパワーに感服。後半の看病記にも考えさせられます。

 前回触れた根上淳さんは初婚だったそうです。

「気まずい二人」  三谷幸喜

 人気脚本家の対談集。尊敬するニール・サイモンの「おかしな二人」を意識しているのでしょうね。あえて、口下手を表に出して、そこから生まれるチグハグはおかしさを狙っていたのでしょうが・・・ちょっと空回り。


もっと京都

冷泉家

 4年ぶり2度目の公開は今度は予約なしの一般公開。どがいなるのか心配しましたが、行ってみて安心というかがっかりというか。門から庭を廻って、開け放された部屋を覗くだけという簡略コース。これで800円はちと高い。でも、廊下や桟にも数百年の重みがある。東の庭先の梶の木の葉っぱが和歌をしたためるため植えられていたなんて初めて知りました。

 それにしても周囲の同志社大の高い建物が邪魔。特に東側。月見の宴もビル越しの名月を詠っていたのですね。それくらい大学側は気を遣うべきと思います。

相国寺(しょうこくじ)

 御所の北にある大伽藍。方丈の裏庭園はやや大雑把。見事だったのは法堂の建物と天井画の鳴き龍。下で手を打つときれいに響きました。水上勉さんの「鴈の寺」のモデルになった瑞春院は残念、改装中でした。


近畿あちこち

石山寺

 友人達と文学散歩を兼ねて3年ぶりに訪れました。紅葉にはまだ早かったけれど、却って人も少なく、酒を飲みながら、ゆっくり歩くことが出来ました。

幻住庵

 芭蕉がしばらく身を寄せていたこともある庵。石山寺から徒歩約30分。木立の中の小さな建物ですが、今は整備されています。昔は木々も背が低くて琵琶湖が望めたのでしょうか。

義仲寺(ぎちゅうじ)

 ここと今井四郎兼平の墓が今回の眼目でした。今は町なかにありますが、昔は鄙びた風情があったことでしょう。義仲の墓の傍に遺言通り芭蕉の墓が。3人の墓にはそれぞれ酒を手向けておきました。

大津の古い町並み

 琵琶湖沿岸は新しいビルが並んで再開発が進んでいますが、少し歩くと古い町並みが続いています。でも空き家も目立ちます。

 大津事件の現場を始めて見ました。襲われたロシア皇太子は後のロマノフ王朝最後の皇帝ニコライです。彼を襲った巡査が振りかざしたサーベルについた血痕が、後に皇帝一家の刑死、行方不明の皇女アナスタシア(映画「追想」のモデルですね)の生死判定の決め手になったと、同行の社会の先生から伺いました。すごいなあ。

 いかにも古くて味のある和菓子の店で饅頭を立ち食い。歩き疲れた舌に沁みる甘さでした。



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