Kan-Kan の雑記帳


2005年12月31日

 30日、四国から帰って来ました。餅を10臼つき(今年は器械です)、畑仕事、掃除、そして門松とり。これが大変でした。今まで父がやってくれていたのですが、もう年なので頼むといわれて、よっしゃあと出かけたのですが、門松に雄松と雌松があることも知りませんでした。村の最奥の森まで出かけて、獣道を歩きながら、檻に入りそうになったり(猪の罠でした。入っていれば今頃凍死死体で発見されているかもー笑ー)しつつ歩き回って、やっとゲット。今もあちこちぶつけた足の傷が痛みます。

 マンションに変わってよかったことはコンパクトで掃除が簡単なこと。今日半日でなんとか終了。下の息子(警察)は昨日からの24時間勤務から夕方帰ってきて、そのまま爆睡。寝る直前の会話は、めしは?いらない!そばは?いらない!ぜんざいは?残しておいて!明日も朝5時過ぎに出勤するとのこと。

 上の息子(ホテル)は4日までは帰れないと思いますと言って着替えを一杯持って出かけました。どちらも仕事が忙しいんだ。

 夫婦で紅白歌合戦を見ています。めちゃ華やかですね。昭和20年代、番組開始当初、まだ正月に行われていたとき、出演予定の松島詩子(うたこ)さんが会場に向かう途中で交通事故に遭い、急遽、家で新年会をしていた越路吹雪さんが代役で出演、ほろ酔いで歌った「ビギン・ザ・ビギン」が大評判になったなんていう話を聞いたことがあります。故郷の母はひとりで紅白を見ているとのこと(父もすでに爆睡中)。番組が終わったら義母のマンションに様子を見に行きます。

 息子達が見たがっていたプライドたらK1とかはその区別もつきません。思えばもう50年以上、紅白を見ながら年を越しているのです。いろいろ言われていますが、こうなったらやはり放送文化のひとつの歴史ですね。

 怒り納めは、マンションのエレべーターで。1階に降りてきた台のドアが開き、小学生の男の子が降りるとき各階のボタンを全部押しおいてワーと言いながら飛び出してきたのです。むかっときたので、首根っこを掴んでチョイ待ち!後から乗る人に迷惑やろ、なにするねん!と怒鳴ってやりました。震えていたけど、ひげのこわいおっちゃんがおるという評判が立ったりして・・・(苦笑)。

 笑い納めは大掃除。夫婦揃ってドジなので失敗ばかり。網戸の掃除で向こうにいる嫁ハンがスプレーをかけたらこちらの私の顔を直撃。音楽にあわせて窓ガラスを磨いている私の腰つきがおかしいと嫁ハンが笑い転げている。ま、平和な大晦日です。

 買い物納めは富田林の「キタモンヤ」で。明治から続く衣料中心の店で、最新ファッションからモンペまでいろんなものがあります。友人(美女!)が店長です。私が買ったのは腹巻。これも祭り用(金ラメ入り!)はじめ多彩なものがあり、迷いましたが、嫁ハン以外に見せるものではないので地味であったかいやつを選びました。これで厳冬を乗り切ります。

 いろいろあった2005年もあと3時間余、みなさまお騒がせいたしました。ご愛読ありがとうございました。来年もよろしく。どうぞ、よい年をお迎えください。

2005年12月26日

綿作り

 江戸時代に隆盛を極め、明治に廃れた河内木綿の復活を期して、平野区役所で苗を 配布していたので、5月、40株ほどもらいに行きました。校庭の隅に植えて、水遣りすること数ヶ月、花が咲き、白い羽毛を纏った実がつきました。でも、それからどうしたらいいか・・・区役所に相談しても埒が明きません。途方に暮れていたら、そこに救いの神。八尾のあたりで個人的に綿栽培して、木綿再興を期しておられた寺尾さんとおっしゃる方がいるという情報を持ってきてくれた人がありました。

 その情報を手繰ってゆくと、「八尾市立歴史民俗資料館」に行き着きました。寺尾さんはすでに亡くなっておられたけれど、その遺志と資料道具などを活かして、河内木綿の歴史と道具などを展示紹介、実地体験などもさせてもらえるとのこと。

 早速、採れた綿の一部を持って、同僚二人と出かけました。担当の方が非常に親切に対応してくださり、糸繰りから紡ぐまでの工程を丁寧に教えてくださり、おまけに器具を無料で貸してくださることになりました。

 勇躍、借りて戻り、職場でメンバーを集めて綿繰り作業をやりました。普段お茶に使う、作法室を会場に、2日間、延5時間くらいできれいな、それこそ綿雲のような綿が取れました。最後の糸にする工程が難しくて、種を取って繊維を揃える段階までにしました。一抱えほどの綿を義母に渡すと喜んで、今、クッションになりつつあります。

 綿に包まった種はなかなか取れません。それを樫で出来た絞り機(昔、洗濯機についていたような)にかけるときれいに実だけ取れます。(それを絞って油にしたらしいー綿実油―めんじつゆ)また、綿の実はあのしろい羽毛に包まって、あちこちへ転がってゆき、冬を越すんだ、たんぽぽと同じなんだと感服。

 日本の綿は繊維の関係で、明治に到来した紡績の器械に乗らず、西洋綿に駆逐されたんだということも知りました。いろいろ学んで楽しんだ綿作り体験ではありました。実がいっぱいあるので、来年もやらなければならないかなあ(畝つくり、水遣りが結構大変)。欲しい方には実を差し上げますよ(笑)。

シャラポワ

 テニス好き仲間6人で、21日、大阪城ホールへエキシビションマッチを観に行きました。自らデザインしたバッグなどのファンションショーとダブルスとシングルスの試合。これで7千円は高い・・・。でも8,500人くらい入ったらしい。

 18才、183センチの人気プレーヤーはさすがに見栄えがします。前日着いたばかりで、かなり疲れていたらしく、シングルスでは杉山愛ちゃん(こちらはしっかり準備、スポーツジムのインストラクターみたいな体型と動きで見事でした)に完敗でした。

 全豪オープン前なのに、日本に荒稼ぎに来たのかとちょっと意地悪な見方をしたのですが、報道によると、昼間は病院に長期療養中の子供たちを見舞ったり、翌日は子供向けテニス教室をしたりと、いろいろ社会活動もしていったらしい。

 彼女自身がチェルノブイリ近くの農村で生まれ、シベリア移住後も貧しい少女時代を過ごしたらしいので、意識も高いのかなと思い直したりしています。全豪オープンの後の東レ・パンパシフィックオープンにまた来日するらしいので、今度は元気なプレーを見せてほしいものです。

顔見世

 歳末に京都へ通うのもこれで20数回になるのでしょうか。今年は坂田藤十郎の襲名披露も兼ねているので期待して出かけました。印象は、年々、地味に寂しくなってゆく顔見世に歯止めはかからなかったという感じです。東西の大顔合わせ、年末の京の華やぎという風情はありません。演目の組み方やちょっとした工夫の問題でもあるのでしょうか。

 夜の部でした。最初の「引窓」は大好きな出し物なのに、急いでまとめた印象。せっかくの良く出来た心理ドラマのはずが、親子の情愛、哀しさが浮き上がりません。中村梅玉も片岡我當、東蔵、扇雀(今回がんばってます、やっと出てきた?)も好演なのに・・・。時間を制限して、セリフや間をはしょっている感じです。残念。

 「口上」は華やかな舞台装置。藤十郎に合わせて、紫の襖や藤の花があしらわれて美しい。雀右衛門はじめ仁左衛門、菊五郎、吉右衛門と役者は揃っているのに弾まない。みんなまじめ。もっと遊びがなくては・・・。

 眼目の「本朝廿四考」はさすがに新・藤十郎が八重垣姫をきれいに演じます。70代にはとても見えない。人形振りの所作も見せて力演なのですが、登場人物も少なく、やはり地味な印象。

 最後は若手による「相生獅子(あいおいじし)」と「三人形(みつにんぎょう)」今回唯一堪能したのが「相生獅子」でした。尾上菊之助が文句なしに美しい。姫から獅子の精に変身しての「クルイ」まで見事に舞いました。正統派女形の後継者はこの人です。

 やはり70代での、それも231年ぶりの大名跡の復活に無理と不自然さがあったのではないでしょうか?長年の宿願であったそうですが、もっと若い、せめて50代でやるべきでした。いまさら「山城屋」を名乗る必要があるのか、鴈治郎の名前はどうなる、本人の意欲と反対に、その戸惑いが周囲に残っているような舞台でした。

 あ、もちろん扇千影さんも来てはりました。去年はSPひとりを従えて、スーツ姿でしたが、今年はあでやかな着物でロビーで挨拶をしてはりました。

もっと京都

 きれいに晴れた25日の京都。四条から歩きはじめて、まず「六角堂」、「紫織庵」の冬拵えは見事、「晴明神社」は期待していなかったのですが、あれはねえ。ずっと北へ上がって、「宝鏡寺」の傍を抜け、表千家、裏千家の「不審庵」「今日庵」の通りへ。もちろん中へは入れませんがちらっと見た(実は数歩入った)だけでもものすごく手入れの行き届いた趣のある風情がうかがえます。

 その隣の「本法院」へ。「三つ巴の庭」は光悦の趣味らしいけれど、なにか奇をてらった感じでしっくりきませんでした。気になったのは小さな「十(つなし)の庭」。庭石が9個置いてあるだけ。訊ねてみると、ひと、ふた・・・ここのつ、十は「つ」がつかないからだそうです。10個目の石はあえて置かず、置かない、見えない、ないものが大事なのだという、「星の王子さま」と同じようなコンセプト。なるほど・・・。

 雪は残っていましたが、風もなく、好天にめぐまれた京の一日歩きでした。

映画 「sayuri」

 異論はいろいろあるだろうけれど、ロブ・マーシャル監督なので思い切って見に行きました。確かに欧米人から見たエキゾチックな日本らしき国のファンタジーと見ればいいのでしょう。アバウトな私は割り切って見ましたが、衣裳、風俗、言葉のほか細部にいたるまで気になる人はいるでしょう。映像はシャープで演出の歯切れもいい。

 昭和初期(?)貧しい漁村から祇園(?)に売られてきた娘が、絶望の中で励ましてくれたやさしいひとりの男性の面影を胸に、その男性に会うために、美しさを武器に芸者として上り詰めていこうとする。しかし戦渦に飲み込まれ・・・。

 なにより女優陣ががんばってます。主演グループを構成する、チャン・ツィーイーはもちろん、今が旬の女優さんで、人気実力美しさとも、主演女優として堂々たるものです。でも、ちょっと険があります。

 本来なら日本人女優がやればいいのしょうが、今は確かに20代前後の人材がいません。オーディションで選ばれなかったのだから仕方がない。日本の若いきれいな女の子はみんなフィギアスケートをやっているのかなあ(笑)。30年前なら島田陽子さんがやれただろうに・・・。敵役のコン・リー、姉さん芸者のミシェル・ヨーも適役、好演。いや、オーデションで選ばれた女将役の桃井かおりさんも、ヒロインの同僚役の工藤夕紀もそれぞれ見せ場をもらい、すばらしい演技で一歩もひけを取らず、なおかつアンサンブルも見事です。

 男優陣は添え物(笑)。渡辺謙さんが「いいおとこ」をさりげなく演じています。

 映画としてもうまく出来ていますが、「ひとりのドラマチックな女の人生」でいいのに、「これが芸者の在り方」みたいなまとめ方をしているのは、かつてのベストセラーの映画化であるとしても、ちょっとずれているように感じました。

2005年12月23日

 上の息子は昨日は午前3時に帰宅、朝は7時に出勤。いくらホテルが忙しい時期とはいえ、体が持つのか心配です

 今は久しぶりに家族4人が揃っての夕食。それも今年最後とわかっているので今夜はご馳走。とっておきのシャンパン、ヴィンテージ・リザーヴを開けて、ケーキを切って一足早いクリスマスパーティ。上の息子は29日まで帰れませんと言ってますが・・・。下の息子も歳末警戒に入る様子。今年は寒いから細い体が凍えないか心配。皮下脂肪を分けてやりたい。


 皮下脂肪といえば、11月からやっていた職場のダイエット競争が昨日終了。各自体重の3パーセントを30日で減らすというノルマに挑んだ12名。私はかろうじて2,5キロの目標を達成。でも昨夜一晩でリバウンドしてしまいました(苦笑)。

 今日は昼間、前任校の教え子10名との恒例の「勉強会」と称する飲み会。私の授業もあったのですが、最近建築事務所を開いたヤツ(2級建築士)の建築業界裏話が面白かったです。姉歯は氷山のほんの一角。このあたりの建設会社も工務店もすべて金と、それを得るためのごまかしで動いている。じゃあ、われわれ素人はどうすればいいの?「口コミでまともな業者や職人を探すしかないです・・・」。ウーム。


逝く人

仰木 彬さん(元オリックス監督 70才)

 突然の死と思って驚いたのですが、実は肺がんだったようですね。重病をおして監督という激務をこなしてはったんだ。勝負にこだわったのはもちろんだけれど、まず客を楽しませようというサービス精神が旺盛なところが好きでした。それをスマートなやりかたで出来る稀有な人でした。

藤木悠さん(俳優  多臓器疾患 72才)

 朴訥で一本気な男を演じて、味がありました。いつまでも「好青年」と思っておりましたのに・・・

2005年12月19日

 20年余り、写真年賀を続けて来ました。当初は白黒で、カメラに詳しい友人の協力で自家製だったのです。3年目からカラーに変わり、フィルムを持ち込んで古市駅前の写真館に印刷を頼むようになりました。当時はまだ写真年賀は珍しく、ふるさとを離れているので、なかなか遇えない愛媛の友人、親戚や、全国に散らばった学生時代の友人には喜こんでもらったものです。

 写真年賀が普及して珍しくもなくなり、また製作も手軽になった昨今ですが、もう我が家の歴史そのもの、年中行事になって、いまさら止めるのもなあ、という感じです。また、玄関に飾り続けてきたので、こうなったらどこまで飾れるかやってみようという気もあります。今年までずっと不幸ごとがなく、喪中欠礼を出さなかったこともあるでしょう。

 もうひとつ、写真館の元気なおじさんの存在もありました。いつも笑顔で声を掛けてくれて、年末に写真をいくつか持ち込むと、待ってましたとばかり、今年はこれがいいですよ、こうしましょう、ああしましょう、とレイアウトまで気にかけてくれました。

 今年は喪中で年賀状印刷はパスすることを言わなきゃ、でも最近見かけないなあ、と思ってちょっと店を覗くと、やはりおられない。若い衆が顔を上げて、あ、お待ちしておりました。実は専務(専務さんだったんだ、確かにチェーン店ではある)が先月亡くなりまして・・・。え!?お元気そうだったのに、どうしはったん?と問うと、脳溢血でした。朝、いつものように元気に起きて来まして、急に気分が悪いから少し休むと横になって、そのままでした。いつもお宅の写真年賀、楽しみにしておりました。長い間、ありがとうございました・・・。感じのよい若い衆の言葉でした。

 我が家の写真年賀の一区切りと、写真館のおじさん(実は私より若かった!)の最期が重なって、不思議な感慨があります。そうだ、ちょうど25年間のお付き合いだったんだ・・・。しみじみ寂しさを感じます。

2005年12月17日

 赤い十六夜の月が信貴山から上ってきました。強い風が吹いて、大阪市内のビルが今日はよく見えます。あの中のひとつに上の息子の勤めるホテルがあるのだなあと思って眺めています。今夜も帰りは遅いのでしょう。

 下の息子は昨日はじめて「検死」に立ち会ったそうです。殺人事件ではなさそうで、浴室での変死らしいのですが、女性の全裸死体を前にして強烈な体験だったらしく、ショックもあったようです。どの仕事にもしんどさは付き物ですが、人間の暗い部分に接することが多い職業は大変だと思います。もっとも下の息子はその話を、一家4人がめずらしく顔を合わせた朝食の席でしたので、上の息子に叱られていました(苦笑)。それでも、めげずに朝食を平らげていましたから、親としては内心ほっとしたことです。

 子供達はばたばた飛び出して行きましたが、私の土曜の朝の楽しみはゆっくりした食事と新聞小説(土曜掲載)の「ミーナの行進」。小川洋子さんの文章が好きです。物語は大詰めの気配。終わるのが寂しい。


スケートは見るのも滑るのもスキ

 今、氷の上が熱い。先週からのフィギアスケートの盛り上がりはすごくて、大阪でのNHK杯から舞台を東京に移して、グランプリファイナル。難しいジャンプがあるというメンタル面の大きく作用する競技なだけに、いろんな面で見ごたえがありました。

 オリンピックの代表枠が一つしかない男子は、先週、思い切って滑って、勝って大泣きした織田信成(信長の末裔)くんが、今回は守りに入って堅い演技で点を伸ばせず、先週、ぎこちない滑りをした高橋大輔くんが、今週は攻めの滑りで逆転。さて、選考はどうなるか?滑りの美しさは高橋くんだと思うのですが、織田くんの勢いも捨てがたい。それにしても、長年男子スケート界を支え、今季で引退する本田武史くんの先週の滑りは気の毒でした。怪我に泣かされ、最後はステップでも躓いて・・・。新旧交代が進みます。うちの学校にも、フィギアスケートをやっている男子(インター杯で16位)がいるんだけどなあ。

 すごいのは日本女子フィギア界の充実ぶりです。世界でランキング上位の6人しか出られないグランプリファイナルに3人も出場。その中に荒川も村主も恩田も入っていないという層の厚さ。人気のミキティこと安藤美姫ちゃんは4回転にトライしたものの失敗、成長著しい中野友加里さんはきれいな滑りで3位に。そして、完璧演技の女王スルツカヤを抑えて優勝したのはなんと15才の少女、浅田真央ちゃん。ピンクのコスチュームで「くるみ割り人形」を軽やかに舞いました。平成生まれなんですね。まずそのことに驚いていました。 

2005年12月16日

 マンションに転居した途端に沸き起こった強度偽装マンション問題。さっそくロビーに、「このマンションは今、名前が挙がっている建築士、設計士、建築会社とは一切関係ありません」という張り紙が出ましたが、まだまだ出てくる新事実。安心はできません。

 知り合いの設計士に訊いたら「構造計算書って、普通の個人の家でもこれくらい(親指と人差し指で示すー4から5ミリくらい)、マンションなどのビルに至ってはこれくらい(5センチ以上)なんやで、読めるかいな・・・」「でも、読まんとあかんやろ?」「うん、最近はお客さんも読もうとする人が増えてきたわ」。とにかく、国会であほな質問している時間に、強度偽装の竣工済みマンションを調べ上げて、全リストを公表することが大事です。


大阪ええとこ

 まだ寒波が来る前、先月末のある夕方に、天満橋から肥後橋まで歩きました。大川端の桜紅葉が美しい。中ノ島の薔薇園もまだ花を残しています。赤、黄も鮮やかですが、「オードリー・ヘプバーン」とか人名のついた白いばらが目を引きました。それらの白薔薇の中でひときわ輝いていたのが「ホワイトクリスマス」という名の薔薇。大輪でかすかにピンクが入ってやわらかそうで、暖かな感じ。人も居ない公園で写真を少し撮りました。

 大川に架かる橋はどれも立派で美しい。(京都も見習うべきです。)暮れるとライトアップされてなお見事。ネオンでなく、ビルに点る灯を映した川面も昼間見える汚れを見せず清潔に見えます。第3セクターなどでいらぬ金を浪費しないで、街や川をもっと整備して、京都に負けない観光都市として立ってほしいものです。

2005年12月13日

 寒がりなので、昔は冬がいやでした。年を取るとともに寒さがこたえる筈なのに、今はそうきらいでもありません。なぜなら、近年、時間が経つのが早すぎて、あっという間に春が来ることがわかっているからです(笑)。

 寒波とともに本格的な冬到来ですが、秋の名残もあります。夏場、雨が少なかったので実が小さいという今年の銀杏。今時分の酒のあてには最適でおいしい。普通はフライパンで炒るのですが、これがけっこう難しい。新聞でうまい方法を発見しましたー銀杏を封筒(銀行の封筒が丈夫でいいらしい)に入れて、レンジで1分間、チン。ナルホド。 

2005年12月12日

 東京では昨日、例年より早い初雪。大阪も明日くらいに降りそうとのこと。寒がりやけど、「暖冬」と言う言葉は半端でいやです。「冷夏」も同じ。やはり寒いときは寒くて当然。防寒には目一杯気をつけます。

 今日は8月に亡くなった義父の82回目の誕生日でした。義母のマンションに帰りによって、線香を上げ、赤飯をいただく。寄せ鍋と焼き鳥も。車なのでお酒はがまん。仕上げは義父の好きだったぜんざいで。帰りしなに義母が、かんちゃんだいじょうぶ?なんで?この小豆、賞味期限過ぎとったのよ!もー・・・。

 帰宅して寝屋川の叔父に電話。こちらも今日が誕生日。糖尿病でインシュリンを打っていると聞いていたので、まさか誕生祝で飲んでないやろね?と訊くと、もちろん飲んでるで、飲まなかったら死ぬ、と言ったら、医者が一杯ならいいと言ってくれた、ととぼけている。一杯で済むはずがありません。もー・・・あっちもこっちも疲れる人らや(苦笑)!

 新聞記事から・・・幕末の大老、井伊直弼は彦根藩の部屋住みの時代「ちゃかぽん」と仇名で呼ばれていたそうです。お、和(謡曲)に打ち込み、「埋もれ木の館」で青春、青年時代を過ごしていたのです。長野主繕と知り合い、年上の美女、村山たか女に翻弄され・・・そのまま琵琶湖の畔で朽ちてゆくはずが、やがて、歴史の歯車が廻って、それぞれ表舞台へと飛び出してゆく。人生って不思議なものですね。 

2005年12月11日

 今年は例年より大分、忘年会を絞り込んだはずなのに、なぜか毎週続きます(苦笑)。

 そのうちのひとつ。クリスマス飾りの美しい京橋の、暗い裏道にある名物屋台「とよ」で若い友人達4人と宴会。大きな木の下、小型トラック二台の荷台が料理カウンターになり、数台並べられた簡易テーブルに4,5人ずつが群がる。いつも満員、お任せコースは中皿にトロ、イクラ、雲丹がたっぷり盛られてくる。それで1人前。私は焼酎のお湯割り。寒空の下なのに、見知らぬ者同士が大勢で身を寄せ合ってわいわいやっていると、暖かな気分になる。

 見上げた夜空に、高層マンションが見える。あ、あそこの30何階に友人がいたな、と電話。降りておいでというと、ほいほいやって来た。また、盛り上がってしまう。若い人の体力には敵わないので、11時前にお先に失礼(連中は河岸を変えて、2時過ぎまで飲んでいたらしい)、阿倍野の路地裏のいつもの店で網を張っている友人に顔だけ見せて(あ、1杯だけ飲んで)終電に飛び乗る。前前前任校の友人と乗り合わせる。彼も忘年会帰り。いろいろ友人達の情報交換をしたらしい(?)。

 古市駅のホームで今度は下の息子に会う。こいつも宴会で終電。一緒に帰宅したのは1時前。そして、上の息子がタクシーで2時前に帰ってくる。こちらはホテルが忙しいらしい。ちゃんと従業員用ベッドもあるのだから泊まってくればいいのに、というのに、家でシャワーを浴びて、自分のベッドで寝たいという。高いタクシー代遣って・・・変なヤツ。結局2時過ぎから一家4人でビールとお茶とジャガリコでわいわい。これが最近の菅家の週末の夜の定番です。なんちゅう家やろ(苦笑)。


たまにはテレビも

 NHKアーカイブス「シルクロード」最終回は第1回シルクロ−ド「遙かなり長安」の25年ぶりの再放送。なつかしい。よく憶えている部分と、まったく憶えていない部分があります。

 憶えていなくて今回印象に残ったのは・・・西方の小国に嫁ぐ長安の姫が、持ち出しを禁じられていた繭を持参することを婚約者の国王から乞われる。姫は禁を犯して、髪飾りに繭を潜ませる。それを記した絵が砂漠から見つかったというエピソード。遙か昔の姫の心を思います。

 長安はシルクロードの始点で終点。昨年訪れた、現在、西安となった街を思い出しました。いくつかの建物以外に長安の栄華を偲ばせるものはありませんが、大雁塔から眺めるヨーロッパ方面に沈む夕陽や、インドに連なる南の山並みに、歴史と地理のものすごい深さと積み重ね、はてしない広がりを感じたものでした。

2005年12月8日

 パール・ハーバー、開戦記念日、というより、近年はジョン・レノンの命日と言われます。昭和も遠くなりにけり。私たちの世代はビートルズに拘る人が非常に多くて、大変。なにが「愛と平和の詩人」だ、彼はロックンローラーだと、言う人もいます。そのとおりなんでしょう。「イマジン」がもてはやされますが、この歌はオノ・ヨーコさんの詩集「グレープフルーツ」に触発されて書かれたものだそうです(朝のラジオからの受け売り)。「地下水の流れる音を聴け」から、「読後この本を燃やしなさい」まで、500部発行した詩集が、やがて世界に拡がり、この歌に結実するのです。

 私が18才で東京に出た時、オノ・ヨーコさんはもう日本を飛び出した後だったけれど、「小野家(三菱の大番頭で「小岩井」の「小」ですね)のお嬢サン」で「「学習院の女王」の伝説はまだ残っておりました。それから数年後、ジョン・レノンと結婚、ビートルズの解散・・・2人はよく来日して、京都にも家を持ち、東京都内で見かけたという話もよく聞きました。

 ジョンは息子が生まれて、しばらく主夫業をしていました(「息子は産めなかったがその骨は僕が作る」と言って)が、息子に、お父さんってビートルズだったの、と訊かれてカンバックを決意したそうです。そして5年後・・・。

 クリスマスパーティには「ハッピー・クリスマス」を歌いたいのですが、これが難しい。

 上の息子は東京のホテル勤務時代、食事に来られたオノ・ヨーコさんに遇ったそうです。「めちゃ、オーラがあったよ!」と電話の声が弾んでいました。


灯り

 「やすらぎの灯りたち」

 今年も、藤井寺、「ゆめいろミュージアム」で11月に開催されました。義父の百ヶ日の法要が終わった後、「精進落とし」の前に、義母、嫁ハン、息子を連れて訪れました。

 古い町屋を改装した広い空間に、たくさんの「灯り」が夢のように点っています。お目当ては、末友章子さんのステンドグラス。ますます洗練されて、ステキでした。退職して、いつかホンモノの会員制バー「KAN,S BAR」を開ける時がきたら、彼女の作品をカウンターに飾りたいと思っています。御本人と約束しちゃいました。その時はみなさん、おこし下さいね(笑)。 

2005年12月7日

 下校時にグループと離れ、ひとり石を蹴りながら帰る男の子を見かけました。そんな子がいてもいい。寄り道して犬を触ってもいいはず。昔もそんなことが下校時の楽しみでした。でも、今は叱られるのでしょうね。痛ましい広島の事件があってから、この周辺の小学校でも、下校指導が徹底されるようになってきました。

 昔なら事件が起こってから指導してもなあ、と言われたのに、今はすぐに真似するヤツがいるから一層注意しなければ、に変わってきました。その矢先の栃木の事件です。どちらも大胆というか、無残というか、非常識というか、日常の生活から一気に凄惨な行動にワープしてしまう、その怖さを感じます。

 警察官である下の息子の同僚の話。書店で万引きがあって、通報があり、店員に取り押さえられた容疑者を引き取りに行き、交番に連行する途中、いきなり容疑者にナイフで刺されたのだそうです。大きな怪我には至らなかったようですが、「万引き」からいきなり「警察官傷害」へ。その大きな(と思う)溝を、一気に飛び越える怖さ。

 息子の体も心配ですが、われわれの周囲にも不可解な悪意が渦巻いているということでしょうか。子供に、人を疑うことをまず教えなければならないとは、つらいことです。

2005年12月6日

 「新しもん好き」です。早速、話題の「あまおう」をゲット。きれいに包装された高級苺です。一粒100円以上。家族で群がって、数を数えて、分配の上、ゆっくりほうばる。懐かしいすっぱさと甘さが同居していて、さすがにおいしい。でも、私は昔、山のイチゴ畑で食べた土の附いたヤツの方がおいしかったなあと思うけれど、それは口には出しませんでした。

 ホテル「マンダリン」が2日、東京日本橋にオープン。昨年、息子が最後まで受けようか迷っていたホテルです。最近は「ビルの高層階に小規模で」というのが流行りみたいです。どこも、きめ細かいサービスが売りなのですね。ホテルウォッチャーとしては行って見たいけれど、値段も高い。。HPを眺めるだけで我慢します。

 噂に聞いたミラノのカフェ「コウ゛ァ」(1817年、スカラ座前にオープンしたイタリア最古のカフェ)も有楽町に日本1号店を開く。こんなニュースを聞くと、ますます東京へ行きたくなります。大阪も好きやけど・・・。

 でも、大阪にも「猫カフェ」があります。昨年から次々オープン、最近は週末は入店待ちがある店もあるとか。1時間600円くらいで猫に触り放題。服に附いた毛を取り除くローラーも貸してくれるらしい。これも行ってみたい。ちなみにドッグカフェはもっと以前からあるようです。


逝く人

 原ひさ子さん(女優、心不全、96才)

 脇役だけど光るおばあさん役で強い印象を残しました。前進座の舞台女優から映画、テレビに進出。コンスタントに活躍、最後まで現役でした。今年公開の映画「サヨナラCOLOR」にも出ていたのですね。すごい。

2005年12月4日

 寝床で本を読んでいて、ふと自分の手に見入る。皺が増えて、染みが浮いて、かさかさしている。季節のせいもあるけれど、年齢を感じさせられます。体のあちこちが徐々に衰えてきています。体が硬くなっています。テニス仲間の体の柔らかい友人を見習って、寝る前に20分間のストレッチを始めました。2週間続けてきて、確かに半身が少し曲がるようになり、眠りが深くなった気がします。

 12月の座禅は急に冷え込んだ今日の朝7時。友人は本堂が寒くて集中出来なかったとぼやいていたけれど、私は大丈夫。今年初めてのパッチを履いて、背中にカイロを貼り付け、「寒がり」は準備万端。昨夜の忘年会の酒が体にほんわか残っているのもいい(笑)。厳しいけれど、座禅は真夏や真冬が似合うように思います。でも、この装備は邪道かも・・・。


 鳥取や兵庫北部で初雪。明日は大阪か。いよいよ冬の到来です。でも、座禅を終えて門を出るとき見上げた辛夷(こぶし)はもう堅い小さな蕾をつけていました。一方で、もう春の準備も進んでいるのです。こちらは明日の会議の準備に汲々としているというのに・・・。緩やかに進む自然の移り変わりの方が、人より確かな歩みをしているということですね。 

2005年12月1日

 「車椅子バスケット」というものを間近に初めてみました。パラリンピックに出場してはるという、本格的な選手の方たちによるアピール。バスケット用の車椅子を使わせてもらったけれど、軽くて、動きやすくて、めちゃ楽しい。足が不自由だから、車椅子を使うというのではなくて、ひとつの道具を使う競技として十分楽しめます。見るより参加する方がはるかに面白い競技と認識を新たにしました。車椅子もバスケット用にさまざまに工夫が凝らされている、一台40万以上するらしい、耐用年数は2,3年とか。でも、もっと安くして普及したらいい。スピード感もあって楽しめます。

 それにしても、「障害者」という言葉の使い方の難しさ。明るくバイタリティに富んだ6人の方々(海外でチームに所属してがんばっておられる方もいる、結婚して三つ子がいる方も・・・)を目の前にしていると、無気力で不健康な生活をしている者の方がはるかに障害を持っているように思えるのです。

 「出来ないことを数えるよりも、出来ることを数える」という言葉も、素直に胸に響きました。

 中学以来の親友と呼べるやつが4人います。そのうちのひとりは、この夏父親を、もう一人は孫を、そして今日、9月に次男を亡くしたという便りがまたひとりから届きました。次男を亡くしたという友人(愛媛で教師をしています)は結婚も出産(男2人)もすべて私と同時期だっただけに、なんとも言えず、ショックです。

 20年前、夏休みに家を覗いたら、友人は留守で、家に居たその子と「ミックスジュース」の歌を歌って遊んだのに。人見知りをしない可愛い子でした。電話もできません。その子が発病してから、10年あまり、だんだん連絡を取りにくくなっていました。うちの同年の息子が元気なだけに、申し訳ないような、話しづらいような気がしてしまうのです。親族以外に知らせず、家族だけで見送ったそうです。今夜は手紙を書こうと思います。

 それにしても、5人中、私を含め4人が喪中欠礼を交し合うなんて、なんという年なんだろう。



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