Kan-Kan の雑記帳


2005年2月28日

 その発表の瞬間から、スタッフやキャストの人生が大きく分かれる・・・芸術をレースにしてしまうのは問題もありますが、これで小さな作品にも注目が集まり、営業としても成立する。テレビを利用した、映画界の巧妙な生き残りの戦略でもあるのですね。

 第77回アカデミー賞、本命と目された「エビエーター」が発表前半部門を制してこのまま行くかと思ったら、後半どんでん返しが・・・。話題性や宣伝より実質を取ったところにアメリカ映画界がまだ健全(?)であることを感じました(詳しくは別項で)。作品賞候補だった「サイドウェイ」、外国語映画賞の「海を飛ぶ夢」、見たいなあ。


 ふるさと愛媛は昔「石鉄県」という名前だったという記事にトリビア!イシテツ、セキテツ、イシガネとも読んだらしい。その前は「松山県」だったらしい。まあ、愛媛に変わってよかった。名前はやはり大事です。

 正確にいうと、ふるさとは「松尾」という集落です。7つの集落が集まった「歌仙村」(出身小学校は「歌仙小学校」今は廃校)は昔「菊間町」に統合され、「菊間町」は「越智郡」の一部でしたが、この1月に「今治市」に統合されました。「今治出身」とはまだ言えません。「ふるさと」の意識はどの程度まで持てるのでしょう。「四国」の人間という意識もイマイチです。大阪に住んで30年余、「大阪府民」という自覚をもっと強く持つべきなのかも知れません。


映画ダイスキ

アカデミー作品賞は「ミリオンダラー・ベイビー」

 ケーブルテレビのお陰で、今年はアカデミー賞会場事前、事後の様子を見ることもできました。会場前のレッドカーペットでのスター達の入場では、やはり女優さんのドレスが気になります。助演女優賞候補の熟美女、ヴァージニア・マセドンはベルサーチの緑のロングドレスで、もちろんオートクチュールで仕上がったばっかりだとか、若手のスカーレツト・ヨハンセンは借りてきたので返さないといけないの、と正直。リーラ・リニーはウエストを締めているので苦しくて息も出来ない、でも今日はいいの、とこちらも率直。とにかくインタビュー攻勢は日本のマスコミの比ではありません。デザイナーは誰?靴を見せて、とうるさいこと。アクセサリーはほとんどの人が宝石店から借りているのだとわかりました。

 助演女優賞を「エビエーター」でキャサリン・ヘプバーンを演じたケート・ブランシェットが貰い、同作品が美術賞、編集賞も取って、この流れで行くのかなと思ったら、助演男優賞(モーガン・フリーマン)、主演女優賞(ヒラリー・スワンク)、監督賞(クリント・イーストウッド)と重ねて、作品賞(イーストウッドは製作も兼ねている)まで「ミリオンダラー・ベイビー」がかっさらって行きました。今年度のアカデミーナイトの主役は74歳のイーストウッドでした。

 主演男優賞はやはり「レイ」のジェレミー・フォックス。ゴールデングローブ賞の時と同じく、歌も歌い、おばあちゃんの話をして泣かせました。 敗れたけど、ディカプリオ(主演男優賞候補)、素敵なアネット・ペニング(主演女優賞候補)マーティン・スコセッシ(監督賞候補)は何度もノミネートされているのが立派と思います。

 その人気の証しなんでしょう、ビヨンセが主題歌賞候補を3曲も歌いました。印象に残ったのは、昨年亡くなった映画人の追悼コーナー。ヨーヨー・マがバッハを弾いて、故人達の在りし日の映像が流れる。ロナルド・レーガンに始まり、ジャネット・リー、ピータ・ユスティノフ・・・最後はマーロン・ブランド。馴染みの俳優が次々去って行きます。

 きれいな女優さんのオンパレードでしたが、アジア代表(?)のチャン・ツィイーがいつもの華麗なチャイナドレスでなく、黒いシックなロングドレスで登場。彼女もハリウッドに馴染んできたんだなあ。

 作品賞を発表したのは、ダスディ・ホフマンとバーブラ・ストライサンド。これが大物の証明なんでしょう。賞の後のあちこちのパーティ会場でも、ティム・ロビンスがアルマーニのスーツのボタンを失くして、みんなが探したりして、豪華なスター達の人間的な面も垣間見せて、楽しい数時間でした。

 まずは作品賞候補の作品を漁って見たいと思っているのです。

2005年2月26日

 ロケットの打ち上げ成功はよかった。教え子のご主人にロケット関係者がいて、ここ数年めちゃプレッシャーに苦しんでいたようです。そうやろなあ。でも、これからですね。農業はもちろんだけれど、宇宙や深海の上手な利用は今後の大きな課題だと思います。

 「皇室の存在の是非」はここでは置いといて、現在の皇室の「家族として在り方」はいいなあと思うことがあります。長男の嫁(雅子さん)をめぐる問題への様々な発言もそれぞれでいい。昨年の皇太子の思い切った発言、次男秋篠宮の率直な意見、父親である天皇の心配のコメント。先日の皇太子の誕生日のインタビューでの教育についての北欧の詩を引用しての話もよかった。雲の上でなく、それぞれが人間として誠実に考え、ものを言ってはる感じがある。イギリス皇室と比べても、大分まともと思うのです。皇室が存在している以上、これはええことでしょう。

 それにしても、兄弟っておもしろいですね。先月家族旅行したときの事、ホテルのゲームコーナーで息子二人がカーレースをしていました。2台画面を並べて、それぞれが車や部品を選んでスタート、タイムを競うものです。後ろで見ていると、運転免許を持っていない長男は適当に車を選び、飛ばしすぎずコーナーを丁寧に回る無難な走り。一方、免許はもちろん持っている車ダイスキ次男は飛び切りの車を更にチューンナップ、いきなり猛スピードで飛び出して、コーナーを回りきれず転倒。次のレースはさらに性能のよい車で挑戦。今回も大回転、なんどやっても兄に勝てない。その失敗ぶりが面白く、見ている我々夫婦も周りの人も笑い転げて見ていたけれど、本人は悔しそうでした。

 うちの場合は外見は奔放な兄と堅実派の弟なのに、ゲームになるとまた違う面が見えるものです。同じ育て方をしたはずなのに、面白いものですね。


映画ダイスキ

 「オペラ座の怪人」

 見たい映画は一杯あったけれど、今、映画館で見るならコレと決めました。

 20年以上前、ロンドン初演の舞台の大評判を聞いてうらやましいと思いました。アンドリュー・ロイド・ウエーバーの音楽も大ヒット。すごい舞台美術、ヒロインを演じたサラ・ブライトマンのデビューも話題でした。10数年前、劇団四季による大阪初演は近鉄劇場で、期待して行ったのですが、大きさも内容も半端な舞台でした。


 そのウエーバーが長年の夢を叶え総指揮を執った映画版は力が入った豪華超大作でした。まず、導入がすばらしい。再建前の古びて寂れたパリオペラ座、オークションに賭けられた落ちた巨大シャンデリアが吊り上げられると共に光を取り戻し、劇場全体が輝く全盛期の19世紀のオペラ座にタイムスリップしてゆく。華やかで美しいロイドウエーバーの音楽が鳴り響く。その音響も歌声もすばらしい。テンポも快調で3分の2まで進みます。

 映画が失速するのは最後近く、劇場地下の湖の決闘シーンの前後から。それまで様々な映像テクニックもうまくかみ合って陶酔感があったのに、見せ場の地下の湖は、映像で描くと却って作られたセットの感じが出てしまって、こちらが引いてしまうのです。限られた劇場空間の方が想像力をかきたてられるというこの矛盾。もちろん文章もそうですが・・・。マスクを取った怪人の素顔も、メークはうまいけれどあえて見せない方がよかったと思うのです。

 製作者があえて歌える人材を選んだため、ほとんどスターはいず、その分、新鮮な顔ぶれ。ヒロインのクリスティーヌを演じる女優さんは17歳とは思えない成熟した容姿とすばらしい歌唱。怪人役も2枚目役も演技も歌もがんばっている。しかし超アップのある映画ではやはりしたたかな顔、存在感も必要。怪人の孤独と苦悩を表現するにはアントニオ・バンデラスかジェラール・ドパルデューあたりを起用すべきではなかったでしょうか。

 完成度の高い舞台ミュージカルを映画化するには「シカゴ」くらいの思い切った改変が必要なのでしょう。2年前のオスカー作品賞「シカゴ」は2人ヒロインをひとりに、ミュージカルシーンもすべてヒロインの妄想であるような仕掛けに変えていました。「大作」ですが「名作」には届かず、「佳作」の印象に終わったのはそのあたりが原因ではないでしょうか。しかし、音楽を聴きに行くだけでも十分価値のある映画です。 

2005年2月24日

 昨日の入試は無事終了。ただ、インフルエンザに罹ったまま受験しに来た生徒がいて、そのため別室受験させ、その試験監督をしたので、伝染、発病しないか心配。手洗い、うがいして夜は早めに休んでいます。今日は採点日でしたが教師はインフルエンザで2名ダウン。

 春一番が吹いたのに、まだ寒さは続きそうです。「春一番」はもともと九州長崎の漁師さんの言葉で、春先の南からの突風で大勢亡くなった海難事故の教訓を伝える言葉だったそうですが・・・。木枯らしは「1号」、春風は「一番」なんですね。

 「疑惑のフィルム」の真相解明。上の息子のずっと前の彼女だったそうで、息子はちらっと見ただけで、受け取ろうともしません。こんな大事なものをええかげんに扱うとはホントに情けない。それに小事が大事を招くのだ(?)ときびしく説教、現像代金の920円もきちんと徴収するつもりです。それにしても、写真のあのお嬢さん、どうしているんだろう? 

2005年2月21日

 物忘れの話、思い出しました(苦笑)。先日、家のあちこちを片付けていて見つけた現像前のフィルム1本。誰のものかわからない。私はデジカメに変えて3年余りだからそれ以前のものか・・・しばらく寝かした後に思い切って現像に出しました。そそくさと取りに行ったら、なんと20代くらいのきれいな長身の女の人が写っている。どこかの公園(特徴のない普通の郊外にある公園)みたいだが、見覚えなし。24枚すべてひとりで写っていて、こちらに笑いかけている。写真屋に確認しても私が渡したものにマチガイないという。

 上の息子の以前の彼女とも違うみたいやし、持ち帰って嫁ハンの疑惑のまなざしを受けながらじっと息子の帰りを待っています。下の息子にも一応確認しなくては・・・。自身の「大事なこと」をスコーンと忘れているのでしょうか・・・?コワイ。

2005年2月20日

 もの忘れが激しくなってきています。たまに百均ショップに行くのが楽しみ(ちなみに上の息子は、あそこで買うと物を大事にしなくなる気がすると行って寄り付かないーそれもわかるけれど、やはり便利で、それに新製品が次々出てくるのが面白い)なのですが、先日買い物をして、その2日後、何を買ったか思い出せないのです。

 ひとつはツールセット(これに切り抜き用グッズを入れていますー便利)、ところがもうひとつ、何を買ったのか?確かに210円払ったのに・・・。ずっと、考え続けてやっと思い出したのが5日後、ハンドソープの詰め替え用を買って、すでに洗面所の引き出しに入れてあったのです。

 ここまでは導入、「もの忘れ」の話を書こうと思っていたのに、肝心の話題を忘れてしまいました(苦笑)。また、数日後思い出したら、書きましょう。


行く人

アーサー・ミラー (作家、うっ血性心不全、89歳)

 アメリカの知性でした。その反骨精神が好きでした。日本では滝沢修さんの舞台で知られた民芸の舞台「セールスマンの死」が有名ですが、マッカーシズムにも屈せず、仲間も売らなかったのが、同じ演劇人でも、仲間を売ったエリア・カザンとの大きな違いです。9・11の後でも、戦争に傾く世論を批判,最後までその生き方に一貫性がありました。

 マリリンモンローとの5年間の結婚も有名ですが、あの知性でもってしても、モンローの危うい心は支えきれなかったのが男と女の難しさ。モンローはその後、野球選手のジョー・ディマジアと結婚します。でも、ミラーがモンローの為に書いた「荒馬と女」は彼女を活かし、クラーク・ゲーブルの遺作にもなって映画史に残っています。


来る人

岡本知高さん(ソプラニスタ)

 男性ですがソプラノの領域の歌を歌う。その巨体と、豪華なファッション、愛嬌のある人間性で最近の注目株。なめらかな声と声量に迫力あり。

オダギリ・ジョーさん(俳優)

 今注目の若手俳優。「新撰組」でも活躍したらしい。映画「血と骨」でたけしの息子を演じて日本アカデミー賞の助演男優賞を受賞。長身、小顔、頭の半分はスキン、裾を絞ったスーツで授賞式に臨む・・・新しい個性の登場です。


最近の言葉から

 「モラル・ハラスメント」

 目に見える、体に残る暴力でなく、些細な言葉や態度の繰り返しで相手を追い詰める「隠れた暴力」。最近欧米で認められてきているという。確かに存在しますよね。

 「高目安定の男」


 漫画家の倉田真由美さんが楽天の三木谷社長を評して。「子供の頃から勉強が出来、まじめでそれなりに快活で・・・、減点法でゆくと限りなく満点に近いけれど、一緒にいると自分も高目安定を強いられる・・・楽しくないのだ。面白味のある男でないともはや女心は揺れないのである」そうです。なるほど。確かにホリエモンの方が面白いだろうなあ。

2005年2月19日

 アメリカ、カンザスシティの出来事。交通事故(加害者は飲酒運転)に遭い、全身マヒになって21年ぶりに意識と言葉を取り戻した女性サラさん(38歳)の話は、世界中の多くの人を勇気付けるものです。それにしても両親が生きていてよかった。父親の「これで再び神を信じられる」という言葉が胸を打ちます。

 月に一度の嫁ハン孝行、京阪神ホテルツアーは「神戸ポートピアホテル」へ。インターネットの割引に釣られて行ったので、正直期待していなかったのですが、これが驚きの収穫。心配りの行き届いたホテルで従業員の意識も意気も高い。ポートピアランドも健在(?)。神戸、ポートアイランドは元気でした。神戸空港は、その建設に批判はあるでしょうが(私も共感する点あり)、地元神戸の起爆剤にはなりうるのだなと感じました。ポートピアホテルの31階から、布引ハーブ園から、見下ろす空港島は確かにロケーションとしても魅力的です。ポートライナーは着々と南に延伸中。来年開港時に、も一度訪れて見たいと安直にミーハーしてしまいました。


最近読んだ本

 「ハリーポッター・不死鳥の騎士団」

 第5作はなかなかの面白さです。日本語訳もこなれてきて、あちこちに撒かれていた謎も少しずつ解明されて、あと2作で終わるのが惜しい気もします。でも戦闘シーンにもっと迫力と広がりが欲しい。「魔法省」の中での戦いというのがなんだかせせこましいのです。折角の魔界の話なんだから、どんなことも出来るはずです。動きの限界を超え、時空間も広げ、大空や大海や闇の大森林、幽谷なども舞台にしてほしい。


関西あちこち

 神戸ポートピアホテル

 開業して20年を超えるホテルですが、最近リニューアル。設備も一新してめちゃよかったです。室内の様々のグッズが充実していて、浴室が特にいい。

 いつもホテルのバスタブにあるカーテンに不満があったのです。その閉塞感も嫌だけれど、ご存知の方も多いでしょうが、映画「サイコ」の有名なシャワーシーン、いきなり何者かがナイフでカーテン越しに襲ってくるという不安感があったのです。それに暗い。

 その点、このホテルは開閉式ガラス戸になっていて、明るく開放感あり。チェックインが遅くなったのですが、そのせいか部屋のグレードを上げてくれるというサービス。また、朝食バイキングのメニューも充実していました。先月行ったUSJのホテルがイマイチだったのでその企業努力が光って見えました。これで一人7500円というのは本当に安い!

 布引ハーブ園

 歌舞伎などでは知っていたけれど、行ったことはなかった「布引の瀧」を初めて見ました。それも空中(ロープウェイ)から。美しい瀧です。その更に上の山に造られたハーブ園は神戸の街並と空港島を含む3つの島が見下ろせる絶好のロケーション。ハーブをふんだんに使ったレストランのランチもおいしい。梅と菜の花がひっそり咲いている。雨で人が少なかったのもよかったです。それにしても「新神戸」というビッグターミナルから数分でみどりにつつまれた自然の深い懐へ辿り着けるー神戸という街の魅力を再認識しました。

2005年2月16日

 何人かの方から、共感やらお叱りやら励ましのメールをいただきました。確かに、教育現場は厳しいけれど、短絡的になってはいけませんよね。

 驚いたのは四国の母からの電話。ホームページも見ていないのに・・・「あなたはすぐぶつかってゆく。気をつけなさいよ!」と釘を刺されました。なんでわかったんやろ?でも、いきなり後ろから刺されたら防ぎようがありません。

 「ゆとり教育」がわずか数年で見直される気配。総括も反省も、もちろん提案者の釈明や責任の所在も曖昧なまま、変わってゆく方針なんてあるんでしょうか?教育は国の根幹のはず。担当が代わったからと平気で言える「えらいさん」たちの神経が怖い。

 そういえば大阪市のこけまくっている第3セクターの責任者も見たことがありません。ずらっと並んで曖昧に頭を下げるのではではなく、直接の担当や最高責任者が出てきて、きちんと説明し、お詫びする、今後の対策を述べる・・・そういう「かたち」はきちんととるべきと思うのです。

 「えらいさん」といえば、NHKの海老沢前会長を思い出しました。辞任の日の朝インタビューに「赤城の山も今宵限り・・・」と答えていました。あの国定忠治のセリフは「かわいい子分のてめえたちとも別れ別れになる門出だあ」と続くはず。「やくざの子分」扱いにされたNHKの職員の気分はどうだったんでしょう?組織によいトップを造るのはもちろんわれわれ一職員の責任でもあるのですが・・・。

2005年2月15日

 少年は殺す気はなかったと供述しているらしい。人を刺身包丁で背中から刺しておいて・・・なに言うとんねん!!

 「安全対策を」と言いつつ、一方で「開かれた学校を」と唱える・・・そんな半端な対応のツケがきっちり来ています。姉の努める小学校にもモニターがあるそうですが、誰も見ない職員室の隅で映像が光っているそうです。小学校の職員室に教師がいることはそんなにありません。みんな教室に出払ってます。

 うちの学校にはモニターもありません。出来るだけ校門に教師が立っていますが、隙間を縫って不審者はしょっちゅう入って来ます。第2、第3の事件は確実に起こる予感があります。まだ死にたくはないけれど、生徒や若い教師が殺されるより、自分が死んだほうがましなんて、やけっぱちな気分になって来ています。

2005年2月14日

次々いろんなことがあって、マスコミも人々も事件を忘れやすくなっていませんか?
「忘れなければならないこと」と、「忘れてはならないこと」までボーダーレスになってきた時代のように思います。


と、12日にここまで書いてそのままにしていて、2日たったら、
また、「小学校に乱入、教師が刺殺される事件」の発生です。

寝屋川の小学校、女性教諭も重症と聞いて、急いで姉の携帯に電話すると繋がらない。

その後のニュースで姉の勤務先とは違うとわかって少し安心しましたが、何度も電話して、夜、疲れて帰ってきたところをやっとゲット。

事件があったのは隣の学校らしいけど、被害者の先生は姉の同僚のご主人だそうです。放課後、姉達が会議していたところに電話があって、奥さんは急いでタクシーを呼んで、高槻の救命センターまで走ったらしいけれど、間に合わなかったそうです。姉は校門まで送ったそうです。タクシーがなかなか来なくていらいらしたらしい。(誰か車で送ってあげたらよかったのに。あ、今は車通勤がないんだ)

事件の詳細はまだわからないけれど、生徒に被害が無かったのだけが救いでした。それにしても痛ましい。

最初に書こうとしたのは、幼児刺殺事件のことでした。包丁を振り回す事件が続きます。模倣犯かどうか安易に言えないけれど、安易に人を殺す事件は、流さず、ひとつひとつきちんと原因解明、対策まで行って、それを公表すべきですね。

2005年2月9日

 昨年から怒りというより、えーっと思う事件が続きました。幼児刺殺事件に至っては何をか言わんや。「仕事が決まらないでむしゃくしゃしていた」という理由で殺されたのではたまりません。2月10日が1歳の誕生日、「いないいないばあの時に目よりも耳を押さえていた」、という通夜の席のお父さんの述懐にその仕草が浮かんで、涙がこぼれました。可愛い盛りだったでしょうに。

 「どうせ死刑になるんだから反省しない」という奈良の誘拐殺人の小林容疑者の話。そんなら早くやっちまえと叫んでいたら、息子(一応、法学部卒)にお父さん最近過激やで、人ひとり殺したくらいではめったに死刑になりまへんとたしなめられる。そんなら、四国に送れ、みかん山の倉庫に閉じ込めて餓死させてやる、と息まいて、息子に匙を投げられました。反省。

 サッカーのワールドカップ最終予選、初戦、辛勝。北朝鮮チームの気迫にはものすごいものがありました。かつて日本選手がインタビューで「韓国の選手は泣きながら喰らいついて来るんです」と述べていたのが印象に残っています。北朝鮮の選手はそれ以上だったかもしれません。ゲームを楽しもうとよく言う日本チームの選手と別の次元で戦っていたようです。それがいいかどうかは別の問題ですが・・・。 

2005年2月6日

 数打つと当たる。インターネットで応募した「土佐鶴しぼりたて新酒」プレゼントに当選して、先日一瓶送られてきました。あまりにフレッシュな新酒より落ち着いた古酒が好きな方ですが、さすがに老舗の味。高知は地酒の供給率が全国で唯一50パーセントを超えている県だそうですが、酒好きの県民性はもちろん、企業努力もすごいと思わされました。パンフレットやインターネットのよる販売戦略が充実しています。太平洋の魚に合わせてちょっと大味と思って敬遠していたのですが、土佐の酒を見直しました。

 休日の朝の楽しみはまず、マッサージ。近年、肩こりや腰のだるさを感じるようになりました。自転車で5分余りの小さな整骨院。いつも電動車椅子で通ってきているおばあちゃんが今日は歩いて来てはる。やっとリハビリの成果が上がって、歩けるようになりましたとおっしゃる。えらいですねえ、でも、こけませんか、と問うと、よくこけますよ、でもゆっくり起きればいいのです。時間はたっぷりあるのですからと笑いはる。朝から名セリフを聞かされたようでじんときました。どうぞ骨折に気をつけてと言って別れる。

 揉んでもらって、仕上げのローラーに乗ってうとうとしていると、とことこ歩いてくる可愛い足音が。目をあけると目の前に女の子。整骨院の末っ子のお嬢さん。みかんありがとうございますと挨拶してくれる。受付に置いておいたのに気づいたらしい。ええしつけしてはるなあ、とうれしくなる。また、持って行こ。朝からいい気分にさせてもらって210円は安い。


行く人

桜むつ子さん (女優、肺がん、83歳)

 小津安二郎監督の作品の名脇役。下世話の下町のおばさんを演じて絶品でした。


来る人

シャラポワ

 東レパンパシフィックオープン優勝。東京まで見に行った友人が感激していました。顔が小さい、スタイル抜群、笑顔もいい、しゃがんだらおっぱいが見えたと・・・。ゲームはよく憶えていない。こまったやつです。

ナスカ、カストロマノフ(ロシアのスケーター)

 フギアスケートアイスダンスの第1人者。美しい男女がひしめくアイスダンスの中でも特に美しい。「トスカ」のアリアに合わせて、情熱的に、ロマンチックに踊る。アクロバチックなペアにはない優雅な美しさに溢れています

ジェレミー・フォックス

 ゴールデングローブ賞のミュージカル、コメディ部門で主演男優賞を受賞し、今、乗りに乗っている若手アフリカ系俳優。アカデミー賞でもレナードディカプリオと本命争いの気配。ゴールデン・・の授賞式でも明るいパフォーマンスで大喝采を受けていました。主演した「レイ」のセリフを引用して、「人生はピアノと一緒、一生懸命練習して正しく弾くこと・・」見事なスピーチでした。でも、最後のおばちゃんに感謝の言葉を述べ「天から見守ってくれるなんて今まで信じていなかったけれど」と言ってしばし絶句、「今は信じています」と述べて、観客のもらい泣きを誘いました。どんな人生があったのでしょう。

2005年2月3日

 節分です。鰯、太巻き、豆。夕食時、一応きちんとセットでいただきました。それぞれ、商戦に乗せられている気もしますが。

 さすがに「豆まき」はしませんでした。息子二人が幼い頃は大騒ぎして、撒いていたなあ。鬼役は痛かった。あちこち豆だらけで、それを踏んでつぶして、あとの掃除が大変やったと懐かしく思い出しつつ、夫婦でぽりぽり豆を齧りる。太巻きは大きすぎるからとあらかじめ切って、西南西とやらの恵方もええ加減にして・・・。

 それでも、おとうさんずいぶん伝統行事に拘っているねえ、と上の息子に言われる。

 ま、年の所為かも知れませんが、自分の感覚に合う行事は続けて行きたいと思います。それにしても、息子ばかりなので雛祭りは長年していません。私の男雛もあるのに・・・。今年あたり嫁ハン(一人娘なのでそのまま持って来た)の分も出してやろうかと思っています。そうや、田舎の大きな桃の木の花も咲いたら幾枝か送ってもらおうか、そんなことを思うのも春近いからでしょうか。



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