Kan-Kan の雑記帳


2005年5月28日

 太宰治の好短編「葉桜と魔笛」で、山陰の町に住むヒロインが怯えた「地獄の底から聞こえてくるような」どーんという音は、軍艦の放った大砲の音でした。日本海海戦から100年。

 第2次世界大戦からも60年。ミンダナオ島で生存していたという元日本兵の人生を思います。

 先週末、晴れた土曜の午後にたまたま見に行ったオープンハウスに惹かれて、とうとう買うことにしました。やっと、家のローンが終わり、息子たちの学費から解放されたところのエアポケットにすーっとその物件が入ってきたようです。

 一戸建てに住んで26年、近所ともうまくゆき、念願だった蔦も伸びて楽しんだけれど、あれこれ荷物も溜まり、中古だった家も老朽化してきました。どうせ大幅な改築か、建て替えが必要な時期が迫っていたので、老後に備えて、便利でバリアフリーのコンパクトなマンション住まいをと決断しました。

 でも、またローンを組んで、引っ越して・・・それを思うとちょっと気も重いけれど、出来るのは今のうち。がんばります。

 それにしても、今の家が無事売れるかしら?27年前は「薔薇屋敷」と呼ばれ、上品な老夫婦が住んでおられた家だったそうです。薔薇が美しかったという庭は分割されて3軒の建売住宅となり、私は残ったその母屋だけを買ったのですが、蔦を生い茂らせ、怪しげな人物が出入りしたため(?)、近年、子ども達から「お化け屋敷」と呼ばれていました。もう土地値しかないだろう、売れても取り壊されるだろうと思うと、建てられた人や「家」には悪いことしたなあという気もしています。複雑な心境です。

2005年5月22日

 故郷から電話。家の門に巣を作って子育てしていたツバメ何組か、土曜の朝、異常に騒ぐので見に行くと蛇に襲われている。父が奮闘して、なんとか蛇を追い出したらしい(殺さず、川に逃がしたそう)が、巣から落ちた(襲われる前に親鳥が落とした)雛2羽が無事育つかどうか?心配しています。

 友人がラケットのようなものを持って扇ぎながら歩いている。なんやそれ?これが最近流行(?)「蚊取りラケット」なんだよ。電池で熱を発しており、それで蚊を殴打、撃墜するのだそうだ。ナルホド!蚊取り線香よりアクティブだ。やってみたい。ホームセンターで500円くらいとのこと。


ビデオでガマン

「ミモザ館」(1934年)

 伝説のフランス映画をやっと見ました。南仏ニースのカジノに近いアパート「ミモザ館」の女主人は、もとオペラ歌手志望だった粋な女性。子どもはいないが、カジノの勤める気のいい夫と平和に暮らしている。あるとき、犯罪を犯した宿泊客の息子を預かったことから微妙に人生を狂わせて行く。美しく成長した養子に母性を越えた愛情を持ってしまい、その養子の恋にも干渉するようになる。そして悲劇が・・・。

 年齢不詳の美女、フランソワーズ・ロゼエが大芝居をする、よき時代の佳作。それにしてもモノクロの画面だからこそ、これはどんな色のドレスなのだろうと想像する楽しみがあります。監督は名匠ジャック・フェデー。主演のロゼエの夫でした。キャストとスタッフも(子役以外)ほとんど故人だそうです。

 「ミモザ」は房アカシア、春に黄色い花をつけます。

2005年5月19日

 「なんじゃもんじゃ」の花探勝ツアーがあるみたい。モクセイ科のヒトツバタゴ、愛知・岐阜と対馬の一部に分布するという「雪の花」。見てみたい。

深見けん二さんの句からー
 藤房の中に門灯点りけり」 
 亡き友に語り掛けつつ春惜しむ」

 句集に並んでいると、その背景がくっきり浮かんできます。法要に亡き友の家を訪れたのでしょう。晩春の宵、友の丹精した藤が見事に咲いています。

 NHKの「その時歴史が動いた」を見ていたら音楽谷川賢作とある。あれ、これ俊太郎さんの息子?と嫁ハンに訊くと、そうだという。

 ちょうど谷川俊太郎さんへのインタビュー記事を読んでいました。
 ご自分の詩について「詩を理屈で分析したって意味が無い。食べ物でいえば、成分がどうのこうのより、おいしいかまずいかです。詩も分析するのではなくどう感じるかですよ。」

 息子さんについて、出てきました。
 「息子が高校を出て、大学へ行かない、自分は音楽が好きだから音楽の道を歩みたいと言い出したときは、こころから安心しました。ああ、もう好きなものがあるんだって。だったらそれをバックアップすればいい。だからそうしているだけです。」
 「親が子どもの学歴や習い事にしゃかりきになるなど、もつれた関係になるのは不安だかでしょう。親は子どもが野垂れ死にしてもいいやという覚悟から始めないと。親はみなそれを恐れているんですよ。覚悟ができると子どもに伝わり、事態は変わります」

 まず、自分が幸せになろう、それは積極的な意思で努力がいる孤独なものだと言う。説得力あり!共感。

2005年5月18日

体重に余分は持たずかもめどり空飛ぶものは潔くして

村上章子さんの歌集「風の城」より。潔く、ダイエットに励みます。

カタクリ、エンゴサクなどの可憐は花々はスプリング・エフェメラル(春のはかない命)と呼ばれる・・・

友人が先月、葛城山でカタクリを見たと喜んでいました。

テッセンとクレマチスの違いがわからなかったのですが、テッセンはクレマチス科の特定種なのだそうです。ちなみに大輪の美しいカザグルマもクレマチスの仲間。

 花にも流行があるのですね。テッセンは今、人気の花と言えるでしょう。

中原中也の詩「サーカス」の有名な一節、
『幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました』
について、小池民男さんが書いています。

「なぜ『茶色』なのかずっと気になっていた。ある会合で話題になって、評論家の加藤周一さんが『僕はセピア色だと思うんですと』語り始めたら、音楽評論家の吉田秀和さんが『それはちがいます』と遮り『中原の頭にあったのは中国の大地や砂塵でした。本人から聞いたのだからまちがいない・・・。』吉田さんは満州事変の勃発も中原の下宿で知ったそうだ。」

 ナルホド。音楽評論家の吉田さんが、というところがいい。それにしても広い付き合い。長生きしていただいて、歴史的意味があります。私もあの詩は加藤周一さんのように思っていました。

2005年5月17日

 家から2分の「白鳥陵」(ハクチョウリョウ)はヤマトタケルが葬られているという伝説の前方後円墳。1キロ北西の応神天皇陵(古墳面積では世界第2位)にはスケールで及ばないけれど、歴史の町、羽曳野の中心をなす立派な古墳。近鉄古市駅に近い古墳の東側は家が迫っているけれど、西側にはまだ田畑があって風情があり、市民の散歩コースでもありました。先日行ってみたら、すべて宅地造成されてもう家が建ち始めている。驚きました。二度とあの景色は戻って来ない。寂しい。

 羽曳野市は先年、竹之内街道のポイント、歴史的建造物で両替商であった「銀屋」を買い取れないで、宅地にしてしまった例があります。またまた後世に禍根をの残してしまったなあ。市民として情けない。立派なホールやパイプオルガンもいいけれど、もっとすでにあるすばらしい遺産を守ることに神経を遣ってほしいものです。

 ×の×は「バツ」が一般的な読み方で「罰点」と漢字で書き、「ぺケ」は実は外来語なのですって!中国語で「良くない」という意味の「不可」からきたそうで、江戸末期に横浜で使われたのがはじまりだそうです。知らなかった…。


久世光彦さんのエッセイからー

 325日、『放浪記』のはねた芸術座の楽屋を森繁久弥さんが訪れた。ロイヤルブルーのカシミヤのジャケット。迎える森光子もすばやく古代紫の着物に着替えている。楽屋の廊下から拍手に迎えられ、中に入って手を取り合って見詰め合う、二人の目が潤んでいる。口をきったのは森繁さん「きれいだね」。いい芝居を見ていたようだったと周囲の話。楽屋見舞いのお礼はエルメスの水色のネクタイ、森繁の好きなヨットが描かれていた…。」

 すべてに行き届いた老人の、失礼、大人の付き合い。戦後の演劇界で闘い抜いた、ふたりは戦友でもあるんだ。こんなに見事に年をとりたいですね。ちなみに森さんは四国の母と同年の84才。舞台上で跳んだりはねたり、前転までしはります。すごい。

 学生時代に通った芸術座も327日で閉館しました。寂しい。でも、平成19年に再建され、その柿落しも「放浪記」に決まっているそうです。これもすごい。

2005年5月16日

 北海道は桜の季節、そして本物の吹雪も。何年か前に東京でありましたが、一度、雪の中の桜も見てみたい。でもやはり陽春の空に似合う花なのでしょう。ストーブを焚いたビニールハウスの中から外の桜を見ている花見の図がありましたが、やはり寒々とした感じでした。

 蒲公英(たんぽぽ)や日はいつまでも青空に(中村汀女)

倉本聡さんの回想から

 ・・・いつの間にか目線が高くなって、「いい作品を書いたんだから、さあ、見ろ」という態度になっていた。「テレビは多くの人が茶の間で見るものだから、土足で踏み込むのでなく、『失礼します』と靴を脱いで、そっとお邪魔しなければいけない」との姿勢を忘れてたんじゃないか…。

 彼もいろいろぶつかって、傷ついて、気づいて・・・作品に深みが生まれたのですね。その不器用さがいいと思います。


来る人

 小池 光さん(歌人)

 中年は せんなきものぞ 家出して 6時間過ぎし 猫を案ずる

 斉藤茂吉短歌文学賞とちょう空賞をダブル受賞。高校の物理の先生。

 「よく斜に構えていると言われるが、違います。異なる角度の正面から見ているつもり」おもしろそうな人だ。

2005年5月15日

 「5・15事件」も遠くなったようです。でも、また「問答無用」の風潮が出てきているようで気になる時勢です。

 ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世の死を機にそれを廻るさまざま情報、評論からいろんなことを知りました。彼の生まれたポーランドの古都クラクフのすぐそばにアウシュビッツがあったこと。独軍の進行で大学は閉鎖、石切り場で働き、地下活動で神学を学ぶ。自身へのテロで負傷しても屈せず、イラク戦争にも反対した信念と行動の人…。

 「ドナドナ」というフォークソングは市場へ引かれて行く仔牛を歌ったものと思っていましたが、あれは実は収容所に連行されるユダヤの人々を歌ったものだったのだそうです。目からうろこ。そうかーー!そうだなあ…。

 バチカンはスイス人の衛兵によって守られているんだそうです。そういえば、高校時代に習ったような気がします。


行く人

 ポール牧さん(タレント、自殺、63才)

 1941年、北海道の禅寺に生まれ、10才で得度、58年に上京、タレント活動を経て、1996年に再得度、仏道は彼の人生にどんな意味を持っていたのだろう。「北海道の禅寺」というところに、その鍵があるような気がします。

 高田渡さん(フォーク歌手、死因不明 56才)

 公演先の釧路で体調を崩し、入院中だったらしい。代表曲「自衛隊に入ろう」は不思議に今でも歌えます。我々が「自衛隊に入って花と散れ」という印象的なフレーズは軍歌の「散兵戦の花と散れ」のパロディだということがわかる最後の世代なのでしょう。反戦歌手というレッテルを嫌って、近年はこの歌を歌わなかったという気持ちもわかるような気がします。彼は「歌唄い」だったのです。

 藤田湘子(しょうし)さん(俳人、胃癌、79歳)

 愛されずして沖遠く泳ぐなり

 「馬酔木」編集長。旧国鉄の職員でもありました。自宅は横浜、青葉台、美しが丘。どのようなところなのでしょう。

2005年5月14日

 「パリパリレタス」ってのが出回っています。パリパリ感があるのに水分もある。こんなのをよく作り上げたものです。サラダに良く合い、おいしい。でも、どこか人工の味でもあります。虫の気配もない。それが寂しいと思うのは古い人間なのでしょうね。

 5月の「うつぼ公園」は美しい。まだあちこち工事中ですが、バラ園は満開。「セレッソ」という薄紅の品種の気品ある美しさに惹かれました。黄色い薔薇(花言葉に「浮気」とありますが・・・)にも。


 公園の南にある小さな画廊。工芸作家、松下絹代さんの個展。懐かしいお名前はきっと両親が名女優、田中絹代さんのファンだったのでしょうかと伺うと、それもありますとのこと。パステルを使った、鮮やかな絵や工芸。若々しくて勢いがありました。

 公園を抜けて歩いて10分、中ノ島のホテルで歓送迎会。楽しく盛り上がりつつ、寂しさも感じるのがこの種の会。帰りは終電になりました。


最近読んだ本

「青梅雨」  永井龍男

 今まで敬して遠慮申し上げていた短編の名手の作品集を初めて読みました。感激。

 冒頭の一行で読者を掴むうまさ。「おい、ちょっと来てみろよ」「約束の日より二日遅れて、畳屋は歳末の二十九日に来た」・・・さりげない自然描写の過不足のないこと・・・「梅雨に入がけのぬか雨が、破れ垣一面に毒々しくはびこり、立ち木から立ち木へからんだ藪枯らしの葉を濡らしては、明るく止む」・・・に唸ります。

 短編は向田邦子さんがうまいと思っていましたが、この人に比べたら娘っ子。さりげない日常を描きながら、人生の切なさ、きびしさが滲む。特に表題作、一家心中する家族の最後の夜を明るく描いた「青梅雨」に感銘がありました。

2005年5月11日

 JRの脱線事故の時の病院の動きが注目されています。特に、兵庫医大病院の対応。はじめ40人くらいの怪我人がいて搬送するという連絡。すぐ受け入れを決めたが運び込まれ始めると100人を越え、しかも40名以上が重傷。でも、たじろがない。到着した救急車にまず医者が飛び込み、症状によって3つの棟に振り分ける。軽症の人は広いロビーを開放してそこで処置を始める。怪我人は無制限に引き受けると宣言して、外科のみならず、内科、皮膚科、歯科、眼科も動員して対処する(確かに大怪我の場合、当然ですね)。大震災の教訓を活かす為に10年間訓練を重ねてきたのですと科長。これぞプロ。こんな病院にお世話になりたい。

 JRの対応が追求され、プロとしての心構え、対応が改めて問われた事件でもありました。それにしてもJR職員への暴行や暴言、ましてや置石にいたってはもっての外です。


愛・地球博

 寒い土曜の夜から行ってきました。話題の映像はイマイチだったけれど、やはりたくさんの国々のパビリオンが見ていて楽しかったです。固定されていたイメージが変えられた点も多々ありました。展示にその国の力の入れ方や売り方が見えて面白い。30ほどのパビリオンを廻ってクタクタでしたが、その国の人や衣装を見ただけでも収穫でした。それにしても中東の国の女性の深い目の色。思わず見とれて、嫁ハンに耳を引っ張られました。


ビデオで我慢

「アバウト・シュミット」

 そこそこの企業の重役を定年退職した主人公が、その直後に妻を失くし、一人娘の結婚には反対したけれどあっさりかわされ、自分の無力と孤独をかみ締める。

 鼻持ちならない主人公をジャック・ニコルソンが絶妙に演じます。怪物を演じてもおバカを演じてもあざといほどうまい。

 気まぐれで応募してアフリカ難民の孤児の里親となり、その子に送る手紙に本音をぶつけ、返事の、手を繋いだ親子の絵に涙ぐむ・・・企業戦士で鎧で身を固めていた主人公が裸の人間にもどってゆく過程がさらりと描かれた佳作です。こういう地味な作品がヒットしてオスカー候補になる(昨年度)・・・アメリカ映画の底力を感じます。

2005年5月6日

 出勤中に事故に遭った電車に乗り合わせたJR職員は、職場に遅刻して処分されることを怖れ、または出勤の指示を受け、そのまま出勤し、結果的に処分される、その皮肉。

 災害などで生き残った人が陥る「サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)」という言葉を知りました。阪神淡路大震災の時もそうでしたが、生き残った人々は幸運であるなずなのに、反面、家族や友人・知人を失った悲しみ、救えなかった後悔にこれからの年月を苦しみつつ生きなければなりません。むごいことです。


行く人

(国語教育研究家クモ膜下出血 98才)大村はまさん

 教師にとって(特に国語の)特別な存在でした。52年間、教壇に立ち、ひとりひとりの生徒に応じた教材を作る、「単元学習」を編み出す。

 その言葉からー「熱心、結構です。いい人、当たり前です。悪い人だったら、たまったものではありません・・・教師という職業の拠って立つものは何か。子どもに生きてゆける力をつけること、そのための技術を持っていること。それを忘れたいい人は困るのです」

 「教師がいじったからといって、個性がこわれたりしません。戦後の教育で最大の失敗は教師が教えなくなったことだ。子どもの個性・主体性を尊重するという言葉が、教えることを背後に押しやっていった」


ジョン・ミルズさん(英俳優、病名不明、97才)

 英国演劇一家の長老。名作にたくさん出ていますが、1970年のデビット・リーン監督の「ライアンの娘」で演じた知的障害者の演技は特に印象的でした。断崖の上に立つヒロインのパラソルが風に飛んで・・・崖下にいたジョン・ミルズ扮する老人が拾い上げる・・・ファーストシーンから見事な映画でした。

2005年5月5日

 またひとつ  増えてうれしき  鯉幟

 4月初めからうれしそうに靡いていた家もありました。若葉の中に、5月の風に、似合います。

 農業をしている教え子からの情報。「柏餅」は田植えの目安。餅の大きさは一定だから、柏の葉の大きさで微妙な季節の推移がわかる、柏の葉が小さな(餅が大きくはみ出す)時は、気温が低く、田植えを遅らすのだそうです。ヘエーーー!


近畿あちこち

和歌山マリ−ナシティ

 いつでも行けると思って、機会を逃していました。確かに近いのですが、やはり黄金連休、渋滞に巻き込まれて2時間以上かかってしまう。やはり家族連れで一杯。「ポルト・ヨーロッパ」と呼ばれる欧州の街並みを再現したイベントゾーン、「黒潮市場」という食事、土産ゾーン、遊園地ゾーン、釣りゾーン、ホテル、マンション、ヨットハーバーなどのゾーンが海南市沖の埋立地にコンパクトに揃っています。

 目的はポルト・ヨーロッパだったので、ぶらぶら歩く。USJのアーリーアメリカンタッチとはまた違う、路地のつくりなどに風情あり。もう少し花など工夫すればさらにいいのに。黒潮市場は活気があるというより人が多すぎて、売り物の、買って焼いてというコースは諦める。街並みの外れの石段や運河沿い(水がまだきれい)のベンチでサンドイッチなどを齧り、アイスクリームを舐め(こういう時の買い物に息子たちが役に立つ)、2時余りで退却。私は夜まで残って花火を見たかったのに・・・。


 ほとんどの乗り物は90分から200分待ち。並んでいるみんな、辛抱強いなあ。私だけが座席が回るジェット・コースターに乗りたがったのだけれど、これも120分待ちということであとの3人に却下されました。

 嫁ハンと息子たちが喜んだのは、ロイヤルパインホテル。見かけは小さなホテルなのに、中に入ってみると結構凝っている。実はホテルは小さな運河を跨ぐ構造になっていて、南側に広く芝生が開け、カフェテリアもある、庭中の運河に架かる橋を渡って行くと、広いプールとその側にバーやレストコーナー、その向こうはヨットハーバーで豪華なクルーザーがたくさん停泊している。プールに足を漬けたり、ひとつひとつのクルーザーをウォッチングしながら、あれこれ言いつつ、桟橋を歩いてゆくのも楽しい。どんな人が所有しているのだろう。

 また、あらためて、訪れてゆっくりしてみたい。混まなければ1時間で行けるリゾートです。


行く人

テレサ・ライトさん(米女優心臓発作 86才)

 名女優でした。ヒチコック監督の「疑惑の影」の演技が印象的でした。97年の「レインメーカー」に出ていたのに気付きませんでした。晩年まで現役だったんだ。

丹羽文雄さん(作家、100才)

 ダンディな文壇の長老逝く。大流行作家だったけれど、1986年にアルツハイマーを発病してからが気の毒でした。介護の2年目の奥さんが倒れ、認知症になり、夫の若い日の女性関係を責め立てる。夫は徘徊を始める。料理研究家の長女が介護を続けたが2001年に心臓発作で急死。その後は入院生活。こんな話を知ると、適当な時期にキレイに死ぬことの難しさを感じます。

マリア・シェルさん(オーストリア女優、肺炎、79才)

 この人も伝説の女優の一人。1956年の「居酒屋」の名演が有名ですが、1978年のアメリカ映画「スーパーマン」にスーパーマンの両親の役でマーロン・ブランドと特別出演して貫禄でした。

2005年5月1日

脱線事故で心に刺さったあれこれ

 被害者の家を廻るJR社員達。大変だけどやらなければならない。「気持ちです」と差し出す香典を、辛そうに「気持ちだけいただきます」と受け取らない遺族。わかります。

 トラック運転手の息子をなくした父「かわいくてしゃあない息子やった!なんでや!」

 妻をなくした夫「一生懸命生きてきて、幸せだったのに・・・JRも憎いけれど、神様がもっと憎い」

 暗闇の事故車内で生存者が聞いたという叫び「こんなところで死ぬわけにいかないのです」。

 スキー・ジャンプの選手だった甲南大学生、四家高志さんの葬儀で、お父さんの出棺時の挨拶。

 「四家高志、ただ今より天国へ向かって大ジャンプを行います」。全国から集まったジャンプ仲間が泣いたそうです。



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