Kan-Kan の雑記帳


2006年10月30日 その2

映画ダイスキ

 「トンマッコルへようこそ」(10月28日、シネ・リーブル梅田で)

 話題の韓国映画は、南北問題を背景になかなかよく出来たファンタジー。朝鮮戦争の末期、戦闘機の墜落で一人の米兵が、また、戦闘の混乱の中で部隊から逸れ、深山に迷い込んだ南北それぞれ数名の兵士が、世間と隔絶された平和な山村―もちろん桃源郷のイメージ―で鉢合わせする。戦争はもちろん世間の情勢もしらない純粋(トンマッコル)な村人との平和な生活の中で、やがて、同じ民族が、同じ人間が、いがみ合い殺しあうことの無意味さに目覚めてゆく・・・。

 最初の激しい戦闘シーンと平和な山村の暮らしのギャップがユ−モアを交えて描かれて、4分の3まで絶好調。俳優陣も好演。でも、最後に厳しい現実を持ってきて、戦争映画に戻り、主人公たちのヒロイックで無惨な死に繋いでゆくのは、韓国映画お決まりのサービスとエンタテイメントとしても、後味として苦すぎる。

 北朝鮮の核実験を背景に太陽政策の見直しを迫られる、フイクション以上に厳しい現実があるのだから、ここはそのままファンタジーで通した方が却って平和の意味を際だたせてよかったと思うのですが・・・。双子の老人と思われる村人が歌う民謡は、南北統一の願いの切ない思いの象徴なのでしょうが、現時点では空しく響きます。

 もちろん平和ボケした日本で見るのと、韓国で見るのとは当然違ってくるものでしょう。大ヒットの背景の微妙な世論の動きも気になります。

2006年10月30日 その1

 先週末。好天に恵まれました。ふるさとは秋。彼岸花は終わり、コスモス、そして実家の周りはピンクの花がぎっしり。昔からガンガン草と呼んでいましたが、正式にはセイヨウカタバミというようです。細い茎に五弁の薄い花びらが可憐です。

 土曜の朝に着いて、一休みしてから先週刈り取りして稲木に干してあった稲の脱穀。これが久しぶりの仕事でこたえました。稲木から稲束を降ろして脱穀機に運び、脱穀された実―籾を運び、業者に頼んで籾摺りをしてもらう。一方で、残った稲藁―藁をまとめて束ね、あちこちの畑に運んで肥料とする・・・本当に稲作は最後の最後まで果てしない作業が伴います。

 最近は便利な脱穀機が出来て、昔とは雲泥の作業の差がありますが、それでもかなり足腰にきました。あと、ぶどう棚のカラスよけの網を外したり、庭木をさわったり、両親の懸案事項あれこれを片付けて、土産をいっぱいもらい、日曜の夜のフェリーに乗って月曜の朝、帰阪。家に着いて荷物を置いて、即出勤。ハードだけれど、中身の充実した帰省ではありました。

 いままでフェリーは2等室で雑魚寝状態でしたが、先回から800円追加してB寝台に変更する。これだと消灯もないし、着替えも気楽、エンジン音をBGMに小さな揺れをゆりかご感覚にゆっくり眠れる・・・どうして長年思いつかなかったのだろう(苦笑)。ついいでに、インターネット割引よりJAFの割引の方が大きいことも今回知りました。もっといろいろ手を使わなければ・・・。

 12月の帰省の時はもっと要領よくしよう。父は農作業が一段落して安心したのか、火曜日から萩、津和野へ一人旅に出かけたようです。母はもう、足が悪いので長旅は無理なのです。

2006年10月26日

 四国の報告が遅れていますが・・・。ぼちぼちと・・・。

 日本ハムの優勝はおめでたいけれど、新庄よりヒルマン監督を先に胴上げすべきじゃなかったかなあ。

 そんなことより、今日は長年、教員採用試験にトライしてきた元教え子兼同僚の講師が、晴れて合格。うれし涙に暮れ、美酒に酔いしれました。

2006年10月20日

  「里の秋」の話を職場ですると、「栗の実煮てます囲炉裏端」の部分を「栗の実似てます」と思い込んでいた同僚がいました。彼は大阪市内の出身なので、囲炉裏も栗の実を煮て食べるのもあまり縁がなかったのでしょう。歌の栗はドングリと思っていたそうです。

 静かな秋の夜、母と二人で過ごしつつ、南方戦線から帰ってくるであろう父を待つ思いを、娘の立場で詠ったものでしょう。昭和20年、21年頃の秋なのでしょうね。帰って来なかった父も多くいたはずです。

 今、思い出しました。2番の歌詞に「ああ、父さんのあの笑顔 栗の実食べては 思い出す」とありましたから、父親は栗を連想させるので、あながち同僚の思いもわからないではありません。

 今は囲炉裏はありませんが、栗畑はあるので、田舎ではたっぷり栗を煮ます。85才の母が用意して待ってくれています。今から帰省します。

2006年10月18日 その2

 「フラフープ」がまたブームなのだとか。48年ぶり。懐かしいけれど、もう出来へんやろなあ。昔は首や、腰で2,3重でやったものでした。腸捻転になるとかと横やりが入って、廃れた記憶がありますが・・・。今は、内側にでこぼこがあって、ダイエットにいいという評判だそうです。

 大日のチーズ館は大評判で、休日は入場30分待ちだとか、友人が情報を送ってくれました。ありがとう。

 息子のホテルでの感慨に反響あり。言葉を補えば、私は小心者で、幸せを満喫、むさぼることが怖いのです。程々に引き上げる、人生もそれがいいのではと、かねてから、隠居、早死に、を唱えているのですが・・・(笑)。なに言うてるのん!というお叱りや激励もまた嬉しく、もう少し、がんばろうかと思う・・・人間って面倒なものです(苦笑)。でも、基本は変わりません。

 校外学習で養護老人ホームを訪問。初め固くなっていた無気力な生徒が、高齢者の方と笑顔で話し出したことに感激。行ってよかった。平均年齢82才。男女比は2:8。最高齢は104才のおばあちゃま。長生きの秘訣は、と伺ったら、補聴器なして「クヨクヨしないことよ!」と即座に返されました(笑)。


最近読んだ本(10月18日記)

 「パイナップルヘッド」 吉本ばなな

 2年前から1年間に渡って「アンアン」最終ページに掲載されたエッセイ。そう、あの林真理子さんがかつて持っていたコーナーですね。結婚してひと味変わったばななさん(なんでパイナップルやねん?)は意識的に、ミーハー、下世話な路線で迫る。「トイレで本を読んでいて・・・」などと以前は書かなかった。彼女もイタリアに嵌っているのです。でも、さっと出かけるのが根本的違い。いいなあ。

2006年10月18日 その1

数年前に藤井寺の「ゆめいろミュージアム」知り合って、それから密かに応援しているステンドグラス作家、末友章子さんの作品展です。東京(ギャラリー同潤会!)は行きたいけれど、ちょっと無理なので、京都へ行きたいと思っています。みなさんも是非。

どちらかというと、「ほのぼの」というより「凛とした」感じ。末友さんも素敵な方です。


2006年 modern展 今年は京都東京の2会場で!

modern展 とは?
2004年より、作風は違えど、同じ想いを持った4人のステンドグラス作家によって始まった
グループ展。この度は第2回目となります。   modern展→
HP

クリックで拡大
※ DMをご希望のかたは、左メニューお問い合せより
メールにてご連絡下さい。



※両会場とも、末友は期間中、在廊予定です。

in 京都

会期 10月24日(火)〜10月29日(日)

時間 12:00−19:00 
             最終日17:00まで

会場 丸太町・江寿画廊   
    住所:京都市中京区丸太町通
                 寺町西入ル
           075−256−4707

    
in 東京

会期 11月9日(木)〜11月14日(火)

時間 12:00−19:00 最終日17:00まで

会場 表参道ヒルズ内・
ギャラリー同潤会  
    住所:東京都渋谷区神宮前4-12-10 表参道ヒルズ同潤館 2F 03−5410−0660



2006年10月16日

 土日と出勤して必死で仕事を片づけ、日曜の夕方から息子のホテルへ。夫婦一緒の誕生日をふたり息子が一気に祝ってくれるのです。

 ホテルの34階のクラブラウンジ。飲食フリーでくつろげる空間。シャンパンを御願いしたらなかなか届かない。変だなと思ったら、きれいなグリーンのリボンが結ばれたシャンパングラスが登場、ちゃんとわかってはったんだ。従業員は皆若い。

 息子の友人が何人もいて、おめでとうございますと声を掛けてくれる。

 暮れなずむ大阪市内、輝きを増す夜景を眺めながら嫁ハンとしっかり飲む。やがて息子達が登場。下の息子は徹夜明けで眠そう。

 乾杯して、部屋で下の息子は仮眠を取って帰ってゆきました。嫁ハンも酔って寝てしまう。私はプールでひと泳ぎしてから再びクラブラウンジへ。ナイトキャップタイムで、酒やアテも変わっています。照明もぐっと落とされた部屋の窓際でひとりウイスキー(バランタイン)を飲む。仕事も区切りがついて、心配事も一応なし。ぼんやり外を眺めて、幸福感に陶然として来て、ふと、もういいや、と思いました。

 小さい頃、ネオンもない山の中の小さな村で都会の暮らしに憧れていました。摩天楼の上階で洋酒を飲むのが夢の一つでした。

 もういい、憧れていたことが出来た、ここに居ちゃいけない、もうそろそろ引き上げなけりゃ、そんなことを思いました。若年退職する親しい友人の事が頭にあったのかも知れません。

 すっかり酔っていつの間にか部屋に帰って寝てしまう。広くて気持ちのいいベッド。でも、こんな時に見る夢は、普段見ない仕事の(それもうまくゆかない)夢ばかりでした(苦笑)。おまけにすごいイビキで夜中に嫁ハンを起こしたらしい・・・。

 月曜は前半休をもらって、昼に職場に駆けつける。二日酔いでしたが、めちゃ元気ではありました。 

2006年10月15日

 12日は深い朝霧がきれいでした。山も町並みも見えず、「白い闇」の向こうから、オレンジ色の朝日が昇る。

 「豊饒の海」って「月面の不毛の荒野」の逆説的表現だったのですね。読売新聞連載のドナルド・キーンさんのエッセイで知りました。不明でした。恥ずかしい。キーンさんは三島自身から聞いたらしい。でも、これで「天人五衰」の最後の寺のシーンと全体の構成の意味がやっと読めました(今頃ー苦笑)。

 その「月修寺」のモデルといわれる「月心寺」に行ったことがありますが、趣きのある庭なのに、近くの高速道路の騒音がうるさくて、がっかりした記憶があります。

 「庭は夏の日ざかりの日をあびて、しんとしてゐる。・・・・」「豊饒の海」完。昭和45年11月25日

 あの日、三島はこの最終稿を机の上に置いて、市ヶ谷へ向かった(最後までドラマチックな自己演出)のですが、実は3ヶ月前に出来上がっていて、キーンさんに読むかと訊いたらしい。でも、断ったのだそうです。その友人ふたりの心理の綾がおもしろい。

 それにしても、三島由紀夫の作品は好きだけれど、人間・友人として付き合いたいとは思いません。いろんな人が書いているけれど、あの、レストランや料亭で周囲の人が振り向く高笑い、どこでも上座にどかっと座ってしまう、高価なおいしいものだけたくさん注文する感覚・・・こちらの感性が疲れ果ててしまうと思います。

 でも、すぐにきちんと礼状を出す、約束の時間をきちんと守る点は見習いたい。

2006年10月13日

 幼い時に両親が別れ、長年父親とふたりで暮らしてきた生徒。父親がこの夏病死。祖父母もいないらしい。さて、保護者をどうするか?遠縁の方の助けで家を処分、一人暮らしを始めたが、なかなか学校に来られず、今日、久しぶりに登校。元気そうに振る舞っていたけれど・・・。まだ18才。肉親の縁が薄い子は見ていて切ない。

 「孫の日」というわけのわからんものが出来ているらしい。しかも我々の誕生日とは!

 ま、いいか。「2006年度・孫へのメッセージ大賞」は奈良市の堀田さん(60才)。応募は二千通とか。

「曾祖父母 祖父母 両親ら10に余る財布に恵まれた初孫よ、どうか米一粒を大事にする人に育ってくれ じいは何でも買うたるけどな

 稲穂の揺れる田の前での堀田さんと孫の琴ちゃんの写真もついています。

 オフィスが静かすぎるとの「日経新聞」の記事。それぞれのブースでパソコンに向かい、互いの連絡も会議も画面に向かって。「フリーアドレス」といって、机も与えられず、共通テーブルの空いた席で仕事する部署もあるらしい。上司は部下を人前では叱らない、注意できない。人間関係も希薄、同僚の連帯もなく、悩みは内向する。ある程度の混沌の中でこそ、人は生き生きと動くのではという論旨に賛成。


最近読んだ本(10月13日記)

 「ひとりで暮らして気楽に老いる」 吉沢久子

 「暮らしの手帖」のエッセイも好きでしたが、おしゃれで、賢くて、しかも毅然として、かっこいい老婦人のイメージ。あえて一人暮らしを選び、自身の老いの過程の中で、戒め、注意すべき点を淡々と記す。「足を使ってしまう」ことを自戒・・・確かにちょっとゴミ箱を動かす時など足で蹴ったりする、屈むのがおっくうになるのですね。いろいろ参考になりそう。

 評論家の古谷綱武さんの未亡人であられることを初めて知りました。

2006年10月11日

 核開発なんてどこの国でもやめてほしいけれど、まして、上意下達の国だものなあ。恐ろしい。でも、危ないもの造るな!と持っている国が強説しても説得力ないよな。ここは日本みたいに、核を持たない、しかも唯一の被爆国が大騒ぎすべきと思います。

 といいつつ、実は日本でも密かに核開発なってやってたら、もう・・・暴れるよ!

 松坂投手が大リーグに北朝鮮じゃなかった、挑戦。お待たせ。頑張ってね。

 ディープ・インパクト今年で引退。種馬になるんだと・・・。急がなくてもええのに。やはり若いほうがええんやろか?いや、俺だってどこへだしても、まだいけるで!と叫んでいたら、嫁ハンからパンチが飛んで来ました。


最近読んだ本

 「まほろ駅前多田便利軒」  三浦 しをん

 135回直木賞受賞作東京のはずれに位置する‘まほろ市’の駅前にある便利屋「多田便利軒」に舞いこむ依頼はどこかきな臭い。多田と行天コンビの魅力満点の連作集まほろ市は神奈川にはりだした東京南西部最大の街。神奈川や八王子からヤンキーたちがくりだし、繁華街の一すじ裏には“ちょんの間”があり、暇をもてあました金持ちが妙な道楽をする。外界から異物が流れ込む混沌と平凡な日常のリズムが奇妙に両立するこの街で、多田と行天の便利屋コンビがまきこまれる数々の事件とは……。(インターネット「直木賞」より)

 東京郊外の衛星都市、まほろ市( 町田市がモデルみたい)の便利屋という職業を通して、現代を切り取るというより、実は人物設定に深い仕掛けがあるようです。

 高校時代の同級生だった、行天、無口で無表情な男が一度だけ「痛い」と言った。休み時間にふざけていた多田がぶつかって、カッターナイフを使っていた行天の小指を落としたのだ。小指は手術で繋がったが・・・。

 卒業以来久しぶりに出会った行天は饒舌で切れやすい不可思議な男、しかも浮浪者に変身していた。転げ込まれる形で一緒に便利屋をすることになった、二人は仕事を通して様々な人(家族)に関わってゆくが、そのベースには、切れた血は再び繋がるか、というモチーフが潜められているようです。

 もちろん、多田と行天の私生活の行方も心配させられます。三浦しをんさん、やるなあ。 

2006年10月10日

 お祭り済んで日が暮れて・・・

 美空ひばりの「お祭りマンボ」が好きでした。歯切れのよい歌。ワイショイ、ワッショイと乗りながら、最後に祭り狂いのおじさん、小母さんにほろ苦い結末が来て、「いくら泣いても、後の祭りよ〜」とベタに締める。

 古市の祭りも,盛り上がって,8日無事終了。先週、町内の喫茶店の入り口に木の囲いが出来たので、あ、民芸風に模様替えかと思ったら、地車対策だったのだ。8日は夜遅くまで練り歩いて騒いでいたけれど、9日は朝早くから、若い衆も揃って片づけていました。町内の掃除も。まだまだ捨てたもんじゃない。3連休でよかったのかも。それにしても、この数週間の提灯の電気代だけで数十万円するそうです。

 でも、10日も朝から、紋付き羽織の10名ほどが笛を吹きながら門付けをしていました。まだ後の行事があるのでしょうか?また、訊いてみなくっちゃ。古い町は奥が深い。

 下の息子は「御堂筋パレード」の警備。クタクタで帰ってきました。


最近読んだ本(10月10日記)

 「たかじん胸いっぱい」  やしきたかじん

 「商店街の見える家」、という副題がついている。つっぱって、むちゃやってますが、自分も言っているように基本的には「気の小さい真面目なとこのある男」、もっと言えば「ボン」なんですね。育ちもいい。そこが、深さに繋がって行かないことを本人も知っているようです。

 人に弱みを見せられる、滅茶苦茶しても、いいスタッフが離れない・・・。東京へ打って出ても、いやになってすぐ帰ってくる、帰ってくる事が出来る・・・彼のええとこと、同時に限界がそこにあるようです 

2006年10月9日

 秋晴れ。友人と郊外のカフェでモーニング。2時間ほどしゃべり倒す。話しているうちに、旅行、家族の話から、本の話まで次々話題が湧いて繋がってゆき、飽きない。老後に備えて(笑)、こういう共通の話題をもてる友達がいることは嬉しいし、絶対大事にしたい。

 風に吹かれて、サイクリングしたかったけれど、昨夜の友人宅でのバーベキューの疲れ(二日酔いとも言う)が残っていたので諦めて、家に籠もって住所録の整理。学生時代の友人の年賀状を見て無性に懐かしくなり、埼玉まで電話してしまう。弾んだ声で出てくる。でも。パソコンで検索して偶然見つけて、私のhpを見てくれているらしい。知らなかった。こちらの生活は筒抜け(苦笑)。彼はお嬢さん達がもう自立して、今は奥さんとふたり暮らしらしい。また逢おうねといいつつ、もう何十年逢っていないのだろうと思う。でも、近年中には絶対逢おうと思いました。

 中国帰国子女(うちのクラスには3人います)のひとりの生徒が大学のAO入試に通ったとケイタイに電話をくれる。おとなしい子で、日本語が不十分。どちらかといえば暗い。中国人仲間とも日本人生徒とも付き合いがなく、心配していました。

 この夏休み、入試に向けて2000字の論文と面接の集中指導をしました。意外によく登校して食らいついて来て、最後は表情が明るくなり、笑顔を見せるようになって、先週の面接試験後も「自信ガアリマス」とメールをくれたので、却って、あかんかったらがっかりするやろなあ、また暗くなるかも、と心配していました。

 でも、彼にこれだけ自信がついたのは収穫で、もし不合格でも、がんばった意味があったなと思いなおしていたところだったので、嬉しかったです。これが教師の醍醐味、協力してくれた同僚にも大感謝です。

 夕暮れの空はきれいな鱗雲。空に白い道が出来ています。関空からのジェットがそれを横切ってゆく。西の空は朱とクリーム色と紫色とグレーが薄い青空に溶け込んで、なんとも言えない色合い。椅子を持ち出して30分ほど眺めていました。こういう時にタバコを喫いたいと思う。

 京都・鳥羽の「おせき餅」をいただく。こしのある餅と大納言の組み合わせがなんとも言えず絶妙で、いかにも秋にふさわしい風味。おすすめです。 

2006年10月7日

 月明かりの元、古市秋祭りが賑やかです。昨年は引っ越しと喪中ということもあって、しっかり見られませんでした。今年は白鳥神社へもお参り。夜店も30店あまりで明るく、神社の薄暗い境内から眺めると、木々の間に門前の色鮮やかな店と人の動きが浮き上がってきれいです。

 就職戦線は今年もまだまだ厳しい様子。特に女子が。かなり準備や練習もしたけれど、やはり学科試験や面接での印象、欠席状況などが響くようです。10月に入って2社目を受験する生徒も出てきました。


連休初日の朝

 「今はもう秋  誰もいない学校 知らん顔していよう  電話が鳴り続けても」・・・『誰もいない海』

 というわけにもいかなくて(学校はコンビニと同じ24時間営業と思っている方も多くて、休日、夜間、とんでもない時間に相談やら苦情やら入ったりします、でも今は時期が時期だけに)、受話器を取ると・・・いきなり

 「菅先生いますか?」「『いらっしゃいますか』やろ?あ、僕やけど、○○、どうしたん?」「△△専門学校合格しました!今、通知が届きました。」「ワー、それはよかった!おめでとう!よしよし、ところで、なんで僕が学校にいるとわかったん?」「いや、とにかく学校へ連絡せんといかんと思って・・・誰かいてはったら、伝言御願いしようと思って・・・」

 こういう偶然もあるんだ。で、気分よく仕事して、午後からテニスに出かけたら・・・ボロボロでした(苦笑)。

2006年10月6日

 雨が降って、上がって,強い西陽が差して、また曇り、「中秋無月」と諦めて、アベノで大騒ぎしておりました。10時過ぎに店を出ると、ビルの谷間、中天に見事な月が懸かっています。サプライズ。仲間5人、茫然と見上げておりました。

 帰宅して改めて、14階の非常階段の上からじっくり眺める。雲のない南河内の空に煌々と照る月。冴え冴えとして美しい月でした。

 最近腹立つこと。中退して、また、卒業してすぐに子供を産んで、学校へ見せに連れてくる生徒。赤ちゃんは好きだけれど、仕事の場に連れてきて、いかにもええことしたみたいに見せびらかすのが気にいらない。昔は抱いたりしていたけれど、最近はあやす気も起こらない。

 で、話を聞くと、子育てが大変じゃの(当たり前じゃ)眠いじゃの(トーゼン)相手(結婚していない場合も多い)が非協力的だの、愚痴を言い始める。しばらくしたら別れたとい報告。子育ては、まだ若いじいちゃん、ばあちゃん(ひいじんちゃん、ばあちゃんも若い!)に任せて働きたいとか・・・。ええかげんにせえ、と思う。子育てって大変なんだ。その覚悟がないなら子供を作るな、と言いたい。でも、こんなことを言うとあちこちから猛反発がくるのでしょうね(苦笑)。

 三年前に担当した生徒、覚悟して未婚の母となり、一年休んで、子育て。そのあと復学。

 無事卒業しました。授乳に帰宅していたし、保護者懇談時は私が赤ちゃんを抱いて、生徒(母親)、母親(おばあちゃん)と懇談。でも、中途半端じゃなかった。弱音も吐かなかった。今は子供を保育園に預けて働いているらしい。元気かなあ。

2006年10月5日

 くたくたに疲れて帰ってきて・・・。誰もいいない部屋。黙々と冷蔵庫からアテを出し、ビールを出して、テーブルに座る・・・。

 その次の瞬間、顔がほころび、気持ちがほぐれ、笑顔になっている自分に呆れます。先刻までの不機嫌はどこへ行ったの?世間の雑事は、ま、いいかっ!これだから30年余り持っているのでしょうね。

 「ミックスジュース大阪産」とは知らなかった。売れ残った果物を捨てるのはもったいないという倹約意識と昔からの「混ぜご飯文化」がそれこそミックスして生まれたもの。

 牛乳をベース、みかんや白桃などをミキサーにかけ、最後に細かく砕いた氷を入れる・・ナンバの喫茶店が発祥だそうです。ナルホド。オリジナルをその店で飲んでみたい気がします。


最近印象に残った言葉

 岩城宏之さん「肩の力を抜くためには、まず、有り余る力がなくてはいけないのだ」

 人生を、音楽界を走り抜けた人だから、説得力があります。


最近読んだ本

 「閉店まで」(第18回自由都市文学賞受賞作) 下川 博

 あちこちに文章のうまい人が埋もれているものですね。

 潰れかけたビデオショップを舞台に、古きよき映画全盛時代へのオマージュがひとつ。映画ファンの老人が語る映画評がおもしろい。懐かしい。

 ショップ店長の主人公と家族(特に娘)とのつながり、冷えた妻との関係、今は亡いよく出来た義母がキーパーソンでうまく描かれているのがふたつ。

 最後の年末の閉店間際のドンデン(この場合は奇跡?)はきれい。これはクリスマス・ストーリーの定番でもあります。これが三つ。うまい!

2006年10月3日

 昨日、骨董の偽物の話を書きましたが、本物とニセモノってなんでしょうね。大家、名人、名作、ブランドというものがあるからニセモノがあるのかな?名人にも失敗作、駄作はあるでしょうし、ブランドも潰れるご時世です。

 本物の政治家、教師・・・っていう表現もややこしい。どこかでランク付けや評価に拘っているところがあります。もう、年だし、そろそろそういうところから解放されて、気楽にやりたいけれど、宮仕えしているあいだはそうもいかないみたい。

 管理職による授業参観もまた週末から始まるようです。ごくろうさまです。いつでもいらしゃーい(三枝かいな?)

 昔は酒の器やグラスに拘っていたけれど、最近なんでもいいと思うようになりました。ま、嫁ハンがよく割ってくれたこともありますが・・・(苦笑)。もう、缶ビールはそのまま、酒もその辺にあるグラスで適当に飲みます。ぐうたらになっただけかも知れませんね(笑)。

2006年10月2日

 10月、息子たちは衣替え。私はまだ半袖、ハーフパンツです。通勤サイクリング時、下半身だけ長ズボンに変えました。

 先々週、気温が29度あった日の夕暮れ。河南町の町はずれ。大きな倉庫のような工場の入り口のシャッターが全部開いて、従業員らしき人々がわらわらと出てくる。机、テーブル、椅子を持ち出す男性。事務員らしき女性がテーブルクロスを上に敷く、もうおつまみの袋の封を切っている人。サーバーを運び出す人。みんないそいそと嬉しげに立ち働いている。工場前のパーキングで即席のビアガーデン開幕です。ええなあ。いかにも仲の良い職場の雰囲気。飛び入りしたい気持ちを抑えて通り過ぎました。

 古市は1日が雨の中、地車(だんじり)の試験引きでした。7,8日が本番です。この3週間は祭り一色。毎夜祭囃子が聞こえてきます。一日毎に秋が深まる気配。

 今夜の献立は、いわしのつくねを入れたスープに秋刀魚、きんぴら、大根煮・・・休肝日のつもりが、やはり日本酒を飲んでしまいました。(苦笑)


最近印象に残った話

 骨董にも造詣が深いコピーライターの仲畑貴志さんの対談から。

 故くなった白州正子さんとも親交があり、あるとき欲しくてたまらなかった「まだら唐津」のぐい飲みをもらった。

 最初は嬉しくて毎日それで飲んでいたけれど、ある時「なんか変だぞ」と思ったら、偽物だった。正子さんに「これ偽物じゃないですか」と言うと、ばれたか、という感じで「へへへへ」って(笑)。試されたんですね。

 僕は白州正子がくれたものだから間違いないと思って使っていたけれど、やはり毎日使うと「これは違う」とあるとき気付く。それまで見目麗しく見えていたものの一変するときの怖ろしさといったら・・・。

2006年10月1日

 朝座禅、薄暗い山門前に着くと、白いモンシロチョウほどの大きさの蝶が数百、狂ったように舞っている。なんとも不思議な不気味な風景。友人が横溝正史の世界やなあ、と呟く。地面に墜ちて、もがいているものもいる。山門の扉に取り付いているのをよく見ると、羽を開いたまま留まっている。蝶ではなくて蛾でした。蛾にしては羽が薄く、白に黒い縁取りがあって美しいけれど、小雨の仲で乱舞している様子はやはり異様でした。

 よく見ると、寺の周囲の桜の木々枝先に葉がない。これは毛虫が異常発生して食い尽くしたもののようです。今年は毛虫が多かった。桜はたしかに虫に弱い樹木ですが、昔から寺社の桜は強いといわれていたのに・・・。環境が変わったのかも知れません。

 夕暮れの石川河川敷。サイクリングロードの傍の藤棚の下を通りかかると、80過ぎとおぼしき老婦人がぽつんと座っている。老婦人は皆、母に見える。曲がった小さな背中。白く薄くなった髪。額や手の皺、弛んだ頬・・・。もう肌寒いから家に帰ったらいいのに、と思いつつ、自転車で走り抜けながら思わず小さく「かあさん」と呟いてしまった。

 直後に、後ろから「はい!」という大きな返事。その声の大きさにびっくりしました。しまった、聞こえたんだ、恥ずかしく、申し訳なく、振り向かず、スピードを早めて一目散に帰宅しました。まいったなあ。

 チーズケーキのテーマパークが守口市大日の「イオン」内に29日オープン。全国から200種類のケーキを集めているらしい。友人の奥さんが今すぐに連れてゆけとギャーギャー言っているらしい。そんな話を帰ってすると、うちの嫁ハンも行きたいとギャーギャー喚く。女の人ってチーズケーキが好きなのね。

 サントリーウィスキーの「響30年」が国際大会「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ」で最高賞を受賞。「複雑なフレーバーと余韻」が評価されたんだと・・・。よーわからん。一度飲んでみなきゃ・・・。

 藤井寺市民会館のギャラリーに「市書作家協会展」を見に行く。書のわからない私にもレベルの高さは感じられる。つい字体より、書かれた言葉の内容に拘ってしまうのが自分ながら情けない。友人でもあり禅寺の住職M氏の書は山頭火の「鉄鉢の中にも霰」。うすく、かすれて、しかしまとまって・・・山頭火の句にしてはあまりに端正、キレイで洗練された書でした。


映画・演劇ダイスキ

 キャスティングの話に感想などいただきました。ミスキャストという問題もあるけれど、俳優の意識の問題もあると思います。

 美人女優の誉れ高いニコール・キッドマンは「めぐりあう時間たち」でバージニア・ウルフを演じるため、あのきれいな鼻に付け鼻をして、別人に見えました。モデル出身のシャーリーズ・セロンは「モンスター」で10キロ太って、肌も荒らしました。のけぞりました。

 反対に、いわゆる美人と言われる人でなくても、杉村春子さんや太地喜和子さんは、「鹿鳴館」の影山公爵夫人や「華岡清州の妻」のお継、「近松心中物語」の梅川などで美女を見事に演じきりました。

 演技というもののおもしろさ、難しさでしょうか?もちろん舞台と映画の違いもありますが・・・。でも、今、宮沢りえちゃんに付け鼻や肥満を望む人は少ないでしょう。最近舞台女優としても認められつつありますが、今は美しい盛り。りえちゃんにしか出来ない美しい役を演じていていいと思います。なりふり構わず演技派を目指すのはもう少し後でもいい。だから出演作を選んでね。


もっと京都

 秋の晴れた一日。バスで亀岡へ抜け、トロッコ列車で嵐山。そしてサントリービール工場見学という流れ。


 亀岡に抜ける山道の彼岸花とコスモスがきれいでした。

 トロッコ列車は相変わらずサービス過剰でやかましい。車掌さんの歌は不要(前回は中島みゆき、今回は美空ひばり)静かにしてほしい。保津川下りは再開されていましたが、一部は舟の乗り換えをしていたようす。紅葉にはまだ早いけれど初秋の風がさわやかでした。

 嵐山は川岸を散策中に向かい岸の茶店に渡るボートを発見、自分たちで漕いで往復するのです。もちろん無料。ビールとおでんで3人1000円は安い!久しぶりにボートを漕いで楽しかったです。豊かな水と緑と見事な橋、それを包む歴史。やはり定番ながら名所だけのことはあります。修学旅行生が多かったけれど、あまり楽しそうには見えなかったなあ。本当は大人が楽しむところなのでしょうね。

 サントリービール工場は清潔できれい。案内嬢も。プレミアムモルツをしっかり4杯試飲して大満足でした。



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