Kan-Kan の雑記帳


2006年2月28日

 26日に書き漏らした、「リュージュおばあちゃん」アン・バナシーさんの年齢は53歳でした。孫がいるかどうかは知りませんが、53歳でおばあちゃんと呼ぶ(それも新聞の見出しで)のはやはりどうかと思います。

 寒さが戻ってきた朝。面倒くさがりやはだめですね。コートの前を合わせないから余計寒い。剥き出しの手も冷たい。シャツのボタンを一番上までとめて、コートをきちんと着る。かばんを肩に掛け、手をポケットに入れてみると、全然違います。手袋も持っているのに・・・。なんで今までこういうことをやらなかったのだろう。

 今年は石川啄木の生誕120年にあたるそうです。生まれは明治19年の2月。流浪、極貧のうちに死に、その後、妻節子ほか子供たちも次々早世して、すぐに石川家は絶え、函館の郊外の岬に一族の寂しい墓があるだけです。太平洋が見え、彼の詠った砂浜が見える景色のよいところでした。今でも花束が絶えません。死後に売れまくった歌集の印税はどうなったのだろうと下世話な庶民は考えてしまいます(苦笑)。


 彼の歌

一度でも われに頭を 下げさせし 人みな死ねと 祈りてしこと


「天才の傲慢」と切り捨てるのはたやすいけれど・・・。

一晩に 咲かせてみむと 梅の鉢を 火に焙りしが 咲かざりしかな

 いずれは開くものを・・・。早熟の歌人は明治26年春、梅の散った後、肺結核で亡くなりました。享年24才。


映画館でみたいけれどテレビ放映で我慢

「僕の彼女を紹介します」

 勝気で向こう見ずの元気な婦人警官と、気のいい女子高の理科教師の恋。強引な彼女に引っ張り回されてゆくうちに惹かれてゆく恋模様が軽快なコメディタッチで描かれます。


 でも、そこは韓国映画。ものすごいスピードで捕り物やら交通事故やら次々事件が起こり、やがて銃撃戦による悲劇に発展。最後は「49日」の昇天前の奇跡の対面(ここは「ゴースト」のパクリ)まで強引に引っ張ります。

 えー、そんなんありか!という点も押し切って行く、骨太な感じが今の韓流の勢いなのでしょうか?逆に日本映画に失われつつあるものでしょうか?日本、あるいは欧米の映画のええとこ取りも臆面もなくやるパワーはやはりすごい。映画としては長すぎてもう40分ほど切ったら傑作になっていたかもしれないと思います。

 ヒロインはとても魅力的です。でもキスシーンひとつないのは物足りません(笑)。

2006年2月26日

 東風(こち)吹かば 匂ひ起こせよ 梅の花・・・春の近さを感じます。

 激しい東風が吹く2・26でした。どうしても雪の帝都の事件というイメージがあります。4年前に亡くなった歌人の斉藤史さんはその育ち(父上は軍人で歌人の斉藤りゅう)から、事件に関わった多くの青年将校と幼馴染でした。

 その友たちは逆賊として処刑され、父も位階勲等を剥奪され禁固刑。事件を機に日本は更に軍事大国への道を急ぎはじめます。

 それから60年余が過ぎ、史さんは宮中歌会始の召人に選ばれて論議、話題を呼びました。その時の歌

 野の中に すがたゆたけき 一樹あり 風も月日も 枝に抱きて

 万感の思いが籠もった歌です。でも、毎年書いているのですが、私は青年将校たちのことよりも、それに率いられた名も無き兵士達、事件後処刑はされなかったけれど、大戦がはじまると総て最前線に送られ、ほとんどの人が還らなかったそうです。そのことも言い続けていかなければならないと思います。


 トリノ五輪もおしまい。新聞に載った周辺記事から二つ。

 バージン諸島から参加したリュージュのアン・バナシーさん。試合前日の練習で氷壁に激突、右手首骨折で欠場。30歳からリュージュを始め、今回6度目の出場で、普段はクラブ歌手。「次は私がコースを壊してやる」と意気軒昂だそうです。リンパの病気を克服、膝も12回手術しているとか。元気です。でも見出しが「リュージュおばあチャン」というのは失礼でしょう。

 トリノはかつてはイタリア王国の首都、今は巨大自動車産業フィアットの企業城下町ですが、そのフィアット社の幹部用駐車場には独仏の高級車がずらり。戸惑うマスコミ関係者に副会長は「だれでも好きな車に乗る権利がある」と軽くコメント。イタリア的寛容なのであろうかという記者のコメント。私の教え子の勤めているディーラーでは社員はすべてその社の車に乗っているそうですが・・・。イタリアって国、好きです。

2006年2月25日

 金メダル、荒川さんきれいでした。フリーでは完璧ではありませんでしたが、音楽(「トゥーランドット」ー開会式のフィナーレでパバロッティが歌ったあの曲と一致していたのも幸運な一致です)にもうまく乗って、伸びやかな滑りでした。日本人ばなれしたスタイルもポイント高し。でも村主さんの滑りも見事でした。独特の世界を造っていました。彼女の演技が最終滑走者のスルツカヤにプレッシャーを与えたように思います。

 スルツカヤはもう峠をこしていたのを、ロシアのフィギア完全制覇(ペア・アイスダンス・男子シングル・女子シングル)の切り札として期待され、ここまで持ちこたえてきて、その外的内的プレッシャーに最後に押しつぶされたのでしょうか?ちょっと気の毒にも感じました。アメリカのコーエンも同じ。いつもの通り最後のフリーでミスして銀に終わりました。そういう人もいます。でも、アメリカの選手はいずれもミスしてもその後の滑りがよく、攻めて出る姿勢が見事でした。

 スルツカヤの演技が終わって採点結果が出るまで待ったので、いつもの電車に乗れず、非番の息子に車で学校まで送ってもらいました。

 嫁ハンに友人でファッションに詳しい人によると、荒川さんのコスチュームにたくさん付けられてきらきら光っていた「石」、お母さんの手作りらしいですが、あの石は一個100円するそうです。となると、一着10万円以上の衣裳だったのですね。ちなみに、ペアのアメリカの井上さんは、アルバイトをしながら生活費を稼ぎ、衣裳は自分で縫ったそうです。

2006年2月23日

 昨日書いた建造中の豪華客船の名前は「ジェネシス」でした。

 フィギア女子シートプログラムは見ごたえありました。プレッシャーから転倒する人、それを乗り越えて見事な演技をする人、みんな緊張しているのが伝わってきます。はやり特別の舞台なのですね。安藤さんはがちがちでした。無理もない。ちょっと守りに入った女王スルツカヤをおさえて、アメリカのコーエンがきれのいいスケーティングを見せてトップに立ちました。

 荒川さんはよかったですが、ショパンの音楽とスケーティングが合ってないように思いました。嫁ハンは村主さんのファン。独特のムードある演技を楽しんでいました。

 明朝、いよいよフリー。なにがあるかわかりません。大きな期待を重圧として、気の毒がる人もいるけれど、こういう晴れ舞台に立てることが、その道をゆくものとしては喜びと感じていいのではないでしょうか。

 嬉しかったのは、リアシェンコさま(ウクライナ)に会えたこと。長野五輪の可憐な花は年齢を加えて、ちょっと萎びてはりましたが、ベテランらしい確実で気合の入った演技でした。


最近知ったこと

 養蚕で繭から糸を採るとき、中のさなぎは死んでしまう。そして鯉の餌になる。振袖一式で蚕1万匹が死んでしまう。いや殺されてしまう。「こころして着るべし」ですね。


最近印象に残った言葉

 「マラソンの給水所のような文学が、もう少しあってもいいと思うのです。スポーツドリンクだけでなく、みんなが飲んでもおなかを壊さないような水と、スポンジが置いてあるような・・・。」(若手の作家です。名前は失念しました)

2006年2月22日

 豪華客船への憧れは小学生の頃からありました。よく写真やポスターを集めたものです。大西洋航路の時間を競う、ブルーリボン賞(こちらが本家)というのが話題でした。タイタニックの沈没もその中で起こった悲劇ですが、豪華客船を舞台した映画、ドラマも数多くあります。(「歴史は夜つくられる」「さすらいの航海」「ポセンドン・アドベンチャー」・・・)

 近年、大阪港にも何隻か寄航していますが、なかなか見に行けません。最近ますます巨大化して、「動くホテル」というより「動く街」のようです。嫁ハンの友人がショーのスタッフとして乗り込み、オーストラリア近海で発病して、船内の病院とニュージーランドで治療を受けて帰ってきたなんて話も数年前にありました。

 現在、世界最大の客船は「クイーン・メリーU世」(15万1400トンー客数2620人)アメリカのカーニバル社が運航しているのですが、そのライバル、ロイヤル・カリビアン・クルーズ社が、22万トンの建造を発注したそうです。全長360メートル、乗客数は5400人(故郷の町の人口を上回る!)。2009年秋に完成するそうです。建造は北欧の会社。また、船を観賞する楽しみが増えました。

 帰省するときのフェリーに乗るのでも楽しみなのに、豪華客船ってどんなにいいだろう。でも、欧米の客船は等級による差別(区別?)が厳しいというので、定年後の楽しみのクルーズは日本船で行きたいと思います。それまでは生きていなきゃ。


ゆく人


加藤芳郎さん(漫画家 呼吸器不全 80才)

 ナンセンスで乾いた笑い。ユーモア、明るさ、面白さ、よい意味で日本人の漫画と笑いとおじさんの枠を拡げてくれました。NHKの「連想ゲーム」の男性組キャプテンとして軽妙な言動も素敵でした。素顔もあのままの人らしく、サービス精神が旺盛。気を遣うくせに、気を遣われるのがいやだったみたいですね。葬儀もお別れの会もなし。出征の壮行会で落ち込む周囲に対して、自らはしゃぎまくって、会を盛り上げたという逸話もあります。

戸部銀作さん(歌舞伎演出家、演劇評論家  呼吸器不全 85才)

 それまで座頭の役者が仕切っていた歌舞伎の世界に、演出を持ち込み、あたらしい命を吹き込みました。市川猿之助の宙乗りを仕掛け、スーパー歌舞伎への道をつけました。

 奥様は59歳、長男は22歳。最後の言葉は「お母さん、生んでくれてありがとう」。充実した人生だったんだ。

2006年2月21日

 スピードスケートで初のアフリカ系アメリカ人の金メダル。これからどんどん増えてくるでしょう。でも、フィギアスケートもアフリカ系の選手はフランスのボナリー以来しばらく出ていません。ジャンプ競技や夏の大会の水泳でも優れた身体能力を発揮するはずです。キング牧師夫人が先月亡くなられました。受け継がれた運動は、意識変革は、少しずつ進んでゆくのでしょう。オリンピックは4年毎だけにその目安にはなりやすいですね。

 以前、「オリンピックは個人の対戦の場のはず」とこの欄で書きましたが、団体種目もあり、個人のメダルでも国歌、国旗が掲げられ、流れる。ナショナリズムの発揚の場には他ならないことを、今更ながら改めて確認。訂正します。

 アイスダンスフリーは美しかったけれど、だんだんアクロバチックな要素が増えてきて、転倒も多くなり、本来の優雅さが失われてきているようで残念です。いよいよ女子のフィギアシングル。スルツカヤ選手の優位は動かないところですが、さて、どうなりますか?

2006年2月20日

 エジプトの「王家の谷」で未盗掘の墓が発見される。ツタンカーメン以来の大発見とか。まだあったのですね。中国やその他の(もちろん日本も)の土中にもまだまだ沢山の文化的秘宝があるのだと思います。地上のものは儚く消えても、土の中はタイムカプセルなのです。まして、地上に1000年以上前の建物が残っている日本(特に奈良、京)なんて、奇跡の国、都だと思います。

 嫁ハンは今日、セカンドオピニオン(?)を求めて、H病院婦人科K先生の元へ。複数の方のご推薦をいただいて、HPで調べてみると、女医さんで、有名女優と同じ名前。写真を見ると知的な美女。絶対ここにしよう、診てもらおう、とリキが入って、息子にお父さん婦人科やで、お父さんは診てもらえへんでと念を押されたけれど、そんなことどうでもよろし。

 検査の結果、心配した卵巣などには異常がなく、鉄分の吸収障害ではないかという見立て。もうしばらく投薬によって変化を見たらというアドバイス。それに従ってみようということになりました。 

2006年2月19日

 滋賀の園児殺害事件、「ふたりが憎かったからではなく、身近に居たから殺した」という容疑者の供述がもし本当なら、親の気持ちは余計にやりきれません。

 道明寺と、道明寺天満宮に寄ってみました。梅は2分から3部咲き。紅梅が少し早いようで、すでに見ごろの木が何本かありました。東京歌舞伎座の3月公演で「菅原伝授手習鑑」の「道明寺」の段が上演されるそうです。となれば、吉例ですから、主演の仁左衛門さんが近々お参りに来られるはず。楽しみです。


大阪あちこち

「初芝周辺」

 南海高野線は金剛駅以南は結構行っているのですが、大阪狭山市から難波まではほとんど知りません。車の一年点検で初芝に行ったのを機会に、2時間ほど歩いてみました。310線沿いはパチンコ店やら大型工具店やら自動車関係やらの大きな店舗の間に飲食店や外国人ショーパブなどが混在、309と比べて雑然としたイメージです。

 でもそこから30メートルほど東に入ると、西高野街道がしずかに南北に伸びています。歴史ウォーキングを意識して道路が整備されているのは2キロほどでしょうか。、「片上」さんと標識のある由緒ありげな豪邸が多い。「左手」さんという名前も。庚申さん、お地蔵さん(それも黄地蔵とか赤地蔵など)も点在。昔は大きかったであろうと思われる寺も。

 うれしかったのは酒屋が多いこと。店は少ないのに、なぜか酒屋(それも古い!)だけは視野に途切れなくあります。今度は車を置いてきて、酒を飲みながら歩きたいと思いました 

2006年2月18日

 滋賀の2園児殺害は残忍でむごい事件。動揺、反響が大きいのは当然ですが、憶測でのコメントや報道は考えなければならないと思います。それにしても、園児を殺された家族はたまりません。

 休日の朝の新聞の大量のちらしはうんざりもするけれど、おもしろい。特に建築関係は見てしまいます。今回目に付いたのは分譲住宅の案内での「構造見学会」。時代ですね。基礎工事から見せるのです。なるほど。笑ってしまいました。たこ焼き屋も出るらしい。

 早起きして、「フィギア・アイスダンス・コンパルソリー」を見ています。アイスダンスが好きなのは、とにかく美しい。特に女性が。ペアではリフトやスローイングがあるので大男と小さな女性の組み合わせが多いのですが、アイスダンスは女性も大きく、衣裳も華麗で楽しみ。それを支えるのが男性の黒い燕尾服だということに最近気づきました。

 それは先日、グラミー賞の授賞式中継を見ていて思ったのですが、アカデミー賞に比べて地味に感じる、女性は同じようにドレスアップしているのに・・・歌手と女優の違いか、そうでもないみたい・・・これは、男性の服装によるものだとわかりました。男性歌手の個性的な装いが揃うと、却って女性歌手の衣裳を邪魔するのですね。

 アイスダンスの話でした。コンパルソリーは同じ音楽(今回の課題はワルツ)で、同じステップを踏んで広いリンクを2回廻る。2周目も全く同じ軌跡を造るというのがすごい。シンプルですが、盛装した舞踏会を見るようで楽しいものです。でも、前のカップルの女性が落としたらしい、スパンコールかなにか、衣裳の一部にひっかかって転んだ組があったのは気の毒でした。

 競技の中継が終わったら、朝6時。今日も「明けの明星」がきれいです。 

2006年2月17日

 ゴールデングローブ賞(ロサンゼルス在住の外国人映画記者が選ぶ映画賞)の授賞式の中継録画を見ました。アカデミー賞の前哨戦として有名ですが、大劇場でのスーパーショー&セレモニーという趣のアカデミー賞と違って、テーブルにシャンペンが付くディナーショーの雰囲気で、くだけた楽しさがあります。

 注目の衣装、今年はベテラン女優のがんばりが目立ちました。オープニングのスピーチは「シカゴ」で看守長を演じていたクイーン・ラティファ。さすがのボリューム、貫禄です。ジーナ・デービスとか、メラニー・グリフィス(彼女の娘がこの夜のアシスタントレディ)そしてフランスからカトリーヌ・ドヌーブ(やっと容色の衰えが見えます。でもお化けのように美しい)若い女優さんのスタイルや肌もきれいけれど、やはりゴージャスな宝石やドレスは気合い、貫禄、年期が必要と感じさせられました。

 でも、毎年一緒に見て、あれこれ言い合う嫁ハンが入院中だったのでつまらなかった。やはりこういうものは、ミーハーが揃って、言いたい放題言いながら見るものです。

 肝心の映画です。今年のアカデミー賞はこの時受賞した「ブロークバック・マウンティン」と「ウォーク・ザ・ラインー君に続く道」を中心に回り、「ミュンヘン」、「グッドナイト&グッドラック」がどう絡んでくるかのようですね。

 ここまで書いて、園児殺害事件を知りました。まだ、どんな事情があったのかわかりませんが、刺身包丁で20箇所も刺すなんて・・・。危ないから保護者による送迎を始めたはずなのに、その保護者が犯行に及ぶとは・・・。


最近読んだ作品

「空中ブランコ」 奥田英朗

 飛べなくなったブランコ乗り、先端恐怖症のヤクザ、スローイングが出来ない野球選手・・・それぞれ切実な悩みを持って訪れるそのノプロを迎え入れるのは型破りの精神科医、伊良部。幼児性を残したそのユニークな対処法は、いつしかその道の本質と病理を抉りだして、患者を快方に向かわせる。

 直木賞を受賞した快作。そのキャラクターの造型のうまさはもちろん、なにより人間や社会、職業に関する造詣の深さ、確かさがすばらしい。ユーモア小説を突き抜けています。

 テレビ化されて、阿部寛クンが主役を熱演していましたが、本来2枚目の役ではありません。金田一耕助にしても、映像化されると、どうしてもビジュアルに流れてしまいます。そういえば、「犬神家の一族」再映画化されるそうですね。90歳の市川監督、60代の石坂浩二さん。どうなるでしょう?

「なんくるない」よしもとばなな

 沖縄を舞台にした連作。微妙な人間関係のずれからくる疲労感や、現代都会生活の垢や灰汁をすーと流し、掬い取る、それは沖縄の海と空気なのかもしれない。作者も編集者に無理に引っ張って行かれて、嵌ってしまったのだそうです。

 観光用キャッチフレーズには動かなくても、ばななさんの精緻な語り口にかかると、人間は再生できる、人生は捨てたもんじゃないと思えてくる。おすすめです。沖縄に住みたいとは思わないけれど、ゆっくり滞在したいと思いました。

2006年2月16日

 嫁ハンが退院したので、早速、あちこちから宴会のお誘いをいただいています。うれしけど、弾けそうで怖い(苦笑)。

 で、この4週間飲まなかったかというと、外で飲まなかっただけで、あやうくキッチンドリンカーになりそうな時がありました。なにやかやと、キッチンに居ることが多く、前に述べましたように、我が家のキッチンは対面式でそのままテレビも見ることが出来ます。

 料理(簡単なもの)をしながら、テレビを見ながら、小さな腰掛に座って新聞を広げながら・・・目の前のカウンターに焼酎、後ろのレンジの横に日本酒、左手の冷蔵庫にビール、と手軽に手が届く範囲にあるのです。つまみも簡単に出来る。これが嬉しい(笑)。ついつい過ごしてしまい、自分ひとりの時は、そこで出来上がってしまうこともしばしば。部屋を移動するときも、グラスを持って動き、風呂を洗うのも、洗濯物を畳むのも飲みながら。さすがに胃がもたれてきたような感じなので、これではあかんと思い、嫁ハンの退院を潮に、居間以外では飲まないようにしています。


最近 気になった言葉

 十三(じゅうそう)・・・淀川の13番目の渡し(どこから数えるのやろ?)だからと最近知りました。大阪へ来たとき、読めなかった地名のひとつです。

 雨風(あめかぜ)・・・酒も、甘いものもいけること。「両刀遣い」という言葉がセクシャルな誤解を生むからでしょうか。で、雨と風、どちらが酒なのでしょう。やはり、風?

 エストレリータ・・・ラテンの名曲としてこの言葉は知っていましたが、スペイン語で「小さな星」という意味とは知らなかった。美しい響きの言葉です。

2006年2月15日

 スキージャンプの原田選手の失格が論議を呼んでいます。わけわからんきびしいルールだ、という擁護論や、本人の自覚が足らんという非難まであります。個人的には、やはり本人や周囲の不注意かな、と思っていましたが、昨日、ラジオであるスポーツ評論家がこういう意見を述べていました。

 なぜ、素直に非を認めて引き下がったのか、わずか200グラム、外国のチームなら、計量の器具や仕方にクレームをつけて、うやむやに持ち込むことが出来たはず。語学力を含め、本人やスタッフの姿勢の問題だというのです。

 そうか、判定にクレームをつけて、それをひっくり返した例は確かにいっぱい見てきました。「潔い」ことをよしとして来たわれわれのあり方は、ある面幼い、弱さに繋がる点もあるのかも知れません。


最近気になった言葉

「三島うど」

 ウコギ科の多年草。ほっておくと2メートルにもなるが、茎が柔らかいので、木材としては使用できない。それで「大きいばかりで役に立たない人間」の意になりました。昔、比較的背が高かったので、こう呼ばれるのが恐怖でした。

 茨木市の太田地区で栽培され、江戸時代は1年つくれば家が建つと言われたらしい。今は小売店には並ばず、贈答用の高級食材になっているらしい。(朝日新聞から)

「プラダー・ウィリー症候群」

 染色体の異常により、1万から1万5千人にひとり発症。満腹中枢に障害が出て、過食が始まり、やがて糖尿病になる確率が高い。

「数学五輪」

 国ごとの数学力平均なら指折りの日本だが、個人戦では最高8位どまりとか。ダントツは中国。発想で解くアメリカ、論理のドイツ、直感のイタリア・・・教科書に即したまじめで地道な解法が日本だそうです。「日本の学校は英才教育をいやがるから、飛びぬけた才能をさらに伸ばす場がない」というも・・・。

2006年2月14日

 13日ラジオ(毎日放送)を聴いていると、いきなり中断しました。約5分間。ときどき、あわただしく言い合う声が入り、場つなぎの音楽が入り、現場は大混乱の様子。すわ、事件か?とこちらも緊張と期待(?)。しばらく後に、単なる器材の不調からということで、スタジオを変えて放送。こんなこともあるのですね。でも、アクシデントは聴いてるほうは面白い。

 14日、未明の空は今、明けの明星が美しい。やがて二上の山の端が赤らんできて、きれいな朝焼けが見れました。

 早起きしてフィギアスケートのペアを見る。井上、ボールドウィン組はスロートリプルアクセル(3回転半)は今度は失敗しましたが、力の入った演技でした。7位。すごかったのはかつての世界チャンピオン中国の申、趙組。男性が昨夏アキレス腱を断裂したのに、力強い演技を見せてなんと3位に入る。その後にロシアペア、タナチア、マキシム組が美しい完璧な演技。プレッシャーを跳ね返す精神力もすごい。こちらが金メダル。

 最終演技は中国の張ペア。これが、演技開始早々に4回転のスロージャンプに挑戦。失敗して女性が負傷するというアクシデント。場内騒然。演技中止と思ったら、それでも続行。見るからに痛々しい感じでしたが、見事に滑り終えて、結果的に銀メダル。その執念に感嘆。場内もスタンディングオべーション。採点も少し甘かったようです。

 今回よかったと思ったのは4位になった中国のペア(漢字が出ません)。いつも他の華やかな二組の陰に隠れて地味目だったのですが、今回は一皮もふた皮も剥けたすばらしい演技でした。音楽は「オペラ座の怪人」。本当はこちらにメダルをあげたかった。実績やその場の雰囲気、滑走順も影響する競技なのですね。

 朝から興奮したので、風呂に入って気を鎮めてから出勤しました。

 嫁ハンは本日、無事、一応退院。来週、他の病院でセカンドオピニオンを受けるつもりです。 

2006年2月13日

 朝のラジオで、早稲田ラグビー部の快挙(学生チームが実業団チームに久々の勝利)と監督の指導法に触れて、「夢・目標・努力」という言葉が語られていました。それまで夜10時までやっていた練習法を改めて、練習は毎日2時間とし、各自に詳しいデータを渡し、具体的目標を持たせると、自然にやる気を出してくる・・・。

 「夢・目標・努力」という手垢のついた言葉がやけに新鮮に響いたのは、それから遠ざかっていたからでしょうか。反省。確かにこちらの指導法によって活きる生徒はもっといっぱいいるはず。気を取り直してもっときめ細かい対し方を考えなければ。

 でも、夢を持つこと自体が難しいのです。世界を広く見ていないから、憧れ、うらやましい、やってみたい、なりたいと思うこと、もの、仕事、職業が少ない。

 で、夢を見つけても、こういう課程が必要で、こういう努力をしなければならない(それには経済的問題も、我慢も伴う)とわかると、もうええわ、しんどい、とやる前から諦めてしまう。早稲田の学生のように、自分を奮い立たせることができるのも、ひとつの大きな能力のように思います。

 こういう仕事をしたいなら、大学や専門学校へ行ったほうがいい、高校卒業資格が必要、あるいは、あった方がいいとわかっても、その努力ができない。高校卒業もする気がない生徒が増えてきています。(以前は勉強はいやだが、卒業だけはしたいという生徒が多くいました)平和な日本が生んだ、ある面不幸な状況です。

 昨年2回絵本を送った中国の小学校からやっと返事がきました。11月の日付があるのはどういう手間がかかったのでしょう。内容は通り一遍の感謝状でしたが、日本語で書かれていました(こちらが送った文章は中国語)。

 中国、楽山の小学校を訪問したとき、全校生の歓迎を受けたのですが、一人っ子政策の余波か、あるいは経済的事情か、学校に通えないので、校内に入れず、校門の外からうらやましそうに眺めていた子供たちの顔を思い浮かべています。

 嫁ハンは今日の血液検査で、ヘモグロビンの数値が基準最低値の8をやっと超えたというので、明日一応退院できることになりました。多くの方にご心配かけました。ありがとうございました。

 ただ退院してからの養生が大切と思います。気をつけます。

2006年2月12日

 夜中にモーグル競技をラジオで聞いていました。映像がないほうが却って興奮します。上村愛子選手、残念でした。朝テレビで見ると、上村選手らはきれいに滑り、メダル取得選手はどちらかというと、雪を削って乱暴に豪快に滑っている感じです。迫力が違いました。

 ジャンプの原田選手の失格。ベテランでも体調(体重)管理出来ないことがあるのですね。

 バイアスロンは厳しい競技。走って来て、すぐに息も整えず的を撃つ。外すとペナルティがつく。でも、本来、雪原での猟は、そうだったのでしょう。菅(すが)選手が今大会もがんばってはりました。同姓(?)のよしみでつい応援に力が入ります。

 お目当てのフィギア・ペアは中国勢とロシア勢の激突。体育系(?)で力強い3組の中国ペアとバレエ系(?)で優雅なロシアペア。ショートプログラムでは互角でした。アメリカの井上・ボールドウィン組もすばらしい演技、五輪史上初のスロートリプルアクセルを決めました。フリーが楽しみです。

 でも、本来は個人の戦い。国別のメダル数を競うのは本来ではありませんね。


逝くひと

藤田元巨人監督(72歳、心不全)

 先輩でありながら、長嶋、王という後輩の2人のスター監督の後を受けて監督を務め、火中のクリを拾う形でありながら、日本一にも輝いた人。安藤元阪神監督が「リーグ優勝をするなら、投手の2人くらい潰さなければだめ、でも、彼はそれをしなかった」とコメントしていました。自身が酷使され、肩を壊した轍を踏ませなかったのもえらい。辛抱強く選手を使ったのも有名です。「球界の紳士」と呼ばれましたが、「瞬間湯沸かし器」とも呼ばれたそうです。粘り強さと短気とが共存していたのですね。 

2006年2月11日

 昨夜はBSで「天保12年のシェークスピア」を2時過ぎまで見てしまいました。井上ひさしと蜷川幸雄の初顔合わせ。役者も唐沢寿明、高橋恵子(きれい)、夏木まり(うまい)、篠原涼子(いまいち)、白石加代子(サスガ)、藤原竜也・・・と豪華版。「マクベス」、「ハムレット」、「リア王」、「リチャード三世」などをうまく取り込んで、江戸時代の一地方のどろどろした人間関係を描いて、なおかつ普遍性をもたせる。スピーディーでインパクトのある舞台でした。ミュージカル仕立てですが、あえて巧く歌わせないのもいい。

 早朝、枕元のラジオをつけると、「アイーダ」の行進曲が流れてくる。オリンピックだ。眠いけれど、起き上がって着替えてテレビを点けると白いセーターのオノ・ヨーコさんが出てきてメッセージを読み上げ、「イマジン」が歌われていました。聖火もきれいに点火されて、盛り上がっています。

 エンディングに近いのでしょう。真紅の大きな幕が開かれて、ステージにパバロッテイが登場。歌はもちろん十八番の「誰も寝てはならぬ」。衰えたとはいえ、すばらしい歌声にうっとりしていたら途中でブツッ!NHKのニュースに切り替わりました。7時をかなり過ぎていたとはいえ、あの短い歌、それも名テナーの絶唱をぶち切るとは・・・怒り心頭でフキンをテレビに投げつける。きっと日本中の音楽ファンが怒ったことでしょう。

 「オリンピックや甲子園がスピーツをゆがめている」と、普段から公言しているのに、始まったら見てしまう。われながら節操のないミーハーです(苦笑)。

 夜に開会式の録画編集版を見直す。さすが美術と音楽の国、構成、演出、演技とも見ごたえありました。選手の入場行進のプラカード持ちの女の子たち、めちゃきれい。オリンピック旗を持って入場したソフィア・ローレンが依然として美しい。パバロッティの歌も最後まで聴けました。

 でも、年のせいか、ちらっと見える、警備、道具の出し入れ、連絡、人の整理など、華麗な舞台の裏のスタッフの動きに目が行き、その努力、苦労を思ってしまいます。それを束ねるメーンスタッフは疲れきっているだろうなあ。行事はプランニングから始まって開幕までの準備が大変なのですね 

2006年2月10日

 届いた20枚の賀状の中に「お年玉」の一等(ハワイ旅行?)が2枚も当たっていた夫婦が話題になっていますが、すごい確率の幸運もあるものです。ペア券なので、親御さん夫婦(どっちの?)と4人で行かれるそうです。

 くじ運はいい方だと思っていました。小学校の時、町内の福引で「金比羅さんへのバス旅行」が当たって、おばあちゃんと一緒に参加したことがあります。まめに出す映画の試写会や招待券プレゼントはわりと当たるほうだし、昔、ホテルの年越しパーティのビンゴ大会で宿泊券や自転車が当たったこともあります(これはパーティに連れて行ってくれた義父母にプレゼント)。先述の「お年玉」で「ふるさと小包」が当たって、「かにちり」をゲットしたこともありました。

 でも、肝心ねらい目の「ジャンボ宝くじ」はかすりもしないなあ。これは小さな幸運に甘んじているからかも。ま、それくらいがいいのかも知れません。

 年末に帰省したとき、故郷の町で宝くじ一等に当たった人がいて、これが押し寄せるわけのわからない寄付依頼というか強要の対応に追われて、世間を狭くしているとのことでした。黙っていられないのは人情でしょうが、狭い田舎では噂も長持ちして大変なことです。

 でも、やはり来週発売のグリーン・ジャンボは買うつもりです(笑)。

 嫁ハンは来週一応退院できるかな、というところ。料理は100倍彼女が上手ですが、掃除や整頓は私の方が上。この3週間余りで片付けまくっていたのですが、退院してきた嫁ハンが気イ悪せんように、そろそろ散らかして元に戻そう、いや、もちいと汚しておこうと思っています(苦笑)。

2006年2月9日

 鳥辺山 谷に煙の 燃えたたば 儚く見えし 我と知らなむ

 更級日記に出てきた古歌。
京の東山、昔の斎場、鳥辺山のあたりから立ち上る煙を見たら
はかなげであった私がとうとう亡くなったと知ってほしいよ、の意でしょう。


 S先生は決して「儚くは見えない」、元気な方でしたが
もう、煙になってはるんやなあと、雪空を見ながら思った午後でした。

 嫁はんの隣室のおばあちゃんがいつの間にかいなくなってはる。
看病していた初老の息子さんらしき方も、もちろん見えない。
気になって、看護士さんに伺ってみたら
退院されましたとのこと。
でも、かなり重そうに見えたけれど・・・転院だったのかも知れません。

 ナース・ステーションが近かったからでしょうか、
急に部屋を替わってくれと言われ、ベッドごと、一部屋隣へ

たくさんの器具ごとご老人が運ばれてきて
ばたばた人の出入りがあって
4時間後には亡くなられた様子で
また、ばたばたがあった後、静かになりました。
儚きは人の命です。

2006年2月8日

 S先生の通夜。参列者焼香は30分過ぎても終わらず、メモリアルホールに入りきれなかった人が表に溢れました。この大勢の弔問客は故人のお人柄ですね、の声に、それもありますが、それだけお若かったということですよ、と返す声。確かに高齢になるにつれ、知人、友人は先に逝き、人間関係は少なくなってゆくものです。66才は若い死です。若すぎる死でした。

 通夜の始まる前に、奥様が寄ってこられて、手を握って、あなたにいただいたお見舞いの葉書、今日届いたので、先刻お棺に入れたのよ、よろしかったかしら?とおっしゃる。もちろん、でも、お体大丈夫ですか?と問うと、ここでがんばらなきゃあね、とおっしゃって少し微笑んで去ってゆかれました。やつれておられました。

 友人達を拾って車を運転して行ったので、酒も飲めず。家に帰って、飲もうとして、台所に置いてあったスープをひっくり返してしまう。床がベタベタ。わけもわからず腹が立って、しばらく座り込んだ後、夜の10時過ぎなのに、がむしゃらに掃除を始めてしまいました。階下の人、ごめんなさい。

2006年2月7日

 朝、9時20分、職場に、2日前にお見舞いしたS先生の訃報が入る。涙が出てきたので、冷たい水で顔を洗って授業に向かう。気合が入りました。

 放課後、退職された後の6年間であちこちに散らばった仲間に電話連絡。突然のことなので、みんな絶句。

 66歳。公立高退職後、私学に5年勤務され、昨春そこを退職。これから人生の収穫期に入るところでした。初孫の宮参りも済んだばかり。孫の成長、旅行、酒・・・楽しみが山積していたのに・・・。


 夜、あちこち電話やメールで明日の通夜、明後日の告別式の連絡をして、気が付くと11時。ぐったりして、酒を飲む元気もありません。息子が風呂を沸かしてくれた気配です。

 嫁ハンは昼間に、外出許可をもらって、タクシーで一時帰宅、ファクスなどを送ったらしい。復帰後の仕事の段取りをしているようです。今は仕事より、歌より、治療に専念することが大事と言ってあるのに・・・。でも、今日は叱る気力もありませんでした。今ある命は大事にしなけりゃ、と思うのですが・・・。
 

2006年2月6日

 朝のラジオで気になるアンケート結果が述べられていました。20代から30代の若者対象ですが、仕事にモチベーション(意欲、やる気)を感じているか、という問いに75パーセントがノーと答えたそうです。アンケート母体や対象人数を聞き逃したので、断定はできませんが、やはりさびしい結果といえるのではないでしょうか。これだけ平和が続いて、不景気の中で育ってきたとはいえ、餓死する人はほとんどいない豊かな国です。

 やる気を与えられない社会にも責任はあるのでしょうが、生きがいを仕事に見出せないのは本人の責任でもあると思います。こういう若者に支えられてゆくこの国の今後が心配でもありますが、ま、なるようになるのでしょう。いつの時代でも若者はニヒルでペシミスティクなものでもあります。それに、仕事以外に生きがいを見出すことが多くできる社会ともいえるわけですから。

 「カサブランカ」をBSでやっていました。何度も見ていますが、やはりよくできた映画です。恋愛より「大義」や「愛国心」が謳われた時代。いや、恋愛ドラマというきれいな衣を着て、訴えているものは、確かにナチスという危険な敵があったにもせよ、はっきりした国策であり、政治的主張です。ボギーのかっこよさ、バーグマンの知的な美しさ(一緒に見ていた息子が感嘆していました)音楽のすばらしさ(「時の過ぎ行くまま」)はもちろんですが、ビシー水(当時のドイツ寄りのフランス、ビシー政権)を投げ捨てるというラストシーンは単純、露骨です。それを思えば、今の社会はまだのどか(?)といえるのでしょうか・・・。いや、より複雑化したというべきでしょうか。

 嫁ハンは血液検査の結果、ヘモグロビン値がまだ上がっていないので、もう1週間程度の入院が必要ということになりました。嫁ハンはがっくりきていますが、考えれてみれば、この方が安心。入院費は痛いけれど、まあ、じっくり治そうと思っています。

2006年2月5日

 前々から申し込みしてあったので、テニスの富田林大会ダブルスに出場。富田林市民ではありませんが、テニススクールが富田林市内にあるので出ることができます。9時からの第1試合は6−0で快勝、第2試合は第1シードにぶつかって0−6で完敗。雪のちらつく中でしたが、思い切ってプレーできたので満足。予定通り(?)午前で終了、昼食を兼ねて仲間で反省会、ビールで完敗いや乾杯。まだまだやりたい連中を残して、嫁ハンの病院を廻って、帰宅。洗濯ものを取り入れているとケイタイにメールあり。

 前任校の先輩教師ですごく仲の良かった、というか飲み友達でもあった先生が癌であぶないという。5年前に定年退職しているし、皆には知らせていないけれど、本人がかんちゃんに会いたいと言っているので、とのこと。洗濯ものを抛り出してジャージ姿のまま千代田の病院に駆けつける。個室で家族に囲まれ酸素吸入を受けている姿を見たら、泣きそうになったけれど、必死で我慢して、わざと酒臭い息をかけて、「これこれ、なにしとるん?元気になってまた飲もうや!」と話しかけると、薄く目を開けて「かんちゃん、きてくれたんか。」と一言言って手を握って、あとは苦しげな息遣いだけでした。

 早々に病室を辞して、奥様と少し話をさせていただく。なんと1月はじめに体調が悪くなって、即、入院、手術。すでに癌は胃から肝臓、リンパ腺に転移していたそうです。スキルス性(?)癌とかで、進行がものすごく速いものらしい。年2回の胃カメラ検査を受けていても見つけにくいものらしいです。ショックです。

 熱心な社会科教師でバレーボールで国体にも出場したことがある長身のスポーツ紳士。飲むとぐっとくだけて楽しくなる。一緒に旅行すると、行きの電車、バスから飲み始め、飲み続け、現地での記憶が何もないというおおらかなつわものです。信じられません。

 HPご覧の方で、S先生をご存知の方、わたしだけ行ってすみません。ただご本人もあの盛大だった退職記念パーティで十分だとおっしゃっているそうです。ご家族の御意思もあるので、あとしばらくそっとしておいてあげてください。よろしくお願いします。

 嫁ハンの病気について。何人かの方から「婦人科」を紹介していただきました。ありがとうございました。 

2006年2月4日

 嫁ハンの主治医と話しました。来週の血液検査でヘモグロビン値が上がっていたら、一応退院できるでしょう、後は定期的に通院して様子を見ましょうとのこと。低血圧の原因をはっきりさせたいのです、というと、あと可能性がある卵巣の検査をされたら?ということで、それならと、婦人科への紹介を頼むと、心当たりはないという。5年前に手術された病院で受けられたらどうですか?前にも申し上げたけれど、この病院で手術していただいたのですよ、あ、そうでしたか、ここは婦人科が無くなったのですね、というとんちかんな会話。

 で、婦人科のある適当な総合病院を探しています。

 土曜なので2度ほど病院へ行き、病院からテニスコートへ。雪の舞う中、酔狂な連中が集まってきます。私は半日ですが、朝から一日やっている人もいます。みんな元気。そしてあたたかい。本来なら今日は嫁ハンのライブの日で、テニス仲間もテニスを早めに切り上げて5時からのディナーに駆けつけてくれるはずでした。

 多くの人が病状を心配して、復帰を待ってくださっていることを思えば、きちんと回復することがまず第一だと改めて思ったことでした。


最近こころに残った言葉

「体、通りましたか?」

 草笛光子さんが初共演した時、杉村春子さんから言われた言葉。役者はセリフを頭で理解してそのまましゃべってはいけない、体をとおして、自分の言葉にして発しなければならないということでしょう。授業も同じ、日常生活の会話も同じでしょう。新聞やマスコミの受け売りで、知った顔してしゃべりまくっていないか・・・。

 じっくり体の中で発酵させて自分の言葉にしないで、そのまま言葉に、文章にしてしまう、このHPにもあてはまること。自戒したいと思います。それにしても、名女優から名女優へ、魂は受け継がれてゆくのですね。 

2006年2月3日

 節分に「恵方(今年は南南東)を向いての寿司の丸かぶり」は関西だけの習慣なんですって。仕掛けたのは寿司業界でしょうが、ばーっと拡がっても全国区にならない行事もあるのですね。「あほバカ分布図」ではないけれど、どこまで拡がって、どこで止まったか調べたら面白いでしょうね。

 故郷の町は鬼瓦の産地なので、豆まきは「福は内、鬼も内」と言います。でも我が家は本来、町に統合された山中の村にあるので、風習は別で「鬼は外」です。

 嫁ハンは2時間外出許可をもらって、家でシャワー、美容院でシャンプー。病院に帰ったら、夕食には豆が付いていたそうです。うちはピーナッツを齧りながら焼酎のお湯割りです。鬼の役をして息子達に豆をぶつけられたのはもう20年も前の話です。


ビデオでガマン

「機関車先生」

 見逃していた映画が放映されていたので、家事をしながら見ました。新居は洗い物や料理をしながら(もちろんキッチンドリンクも)テレビが見られる構造になっているのがうれしい。

 伊集院静さんの原作は出た時に読んでいて、「二十四の瞳」と「ぼっちゃん」と「シェーン」を合わせて割ったようなつくりと思ったのですが、単なるヒーローものにならない、地に足がついた感じが好感もてる短編でした。

 春霞に煙る瀬戸内海を小さな船が滑ってゆく冒頭シーンでもう涙がでました。タイトルもまだ出ていないのに・・・(笑)。

 主人公は北海道からやってきた、言葉の不自由な青年教師。剣道の試合中の事故で声を失って生きる意欲も失いかけているという設定です。主役で、この映画の時点ではまだ初々しかった坂口憲二は、たくましい体と存在感だけ。まあそれでよし。演技は校長役の堺正章と主人公の下宿の大家でもある酔っ払い女医役の倍賞美津子(ウマイ!)がほとんど引き受けます。それと子役達がめちゃめちゃ巧みです。

 剣道大会ですべて解決させる脚色がワンパターンなのと、短期ロケで上げたのがミエミエの作りの荒っぽさが気になって、感動は原作に遠く及びませんが、これもこういう映画でお約束の、船で島を去る先生を岬で生徒たちが見送るシーンで、子供たちの必死の叫びに先生が返せない、それを感じた生徒たちが覚えた手話に切り替えて挨拶を送るラストシーンはよかったです。

 ただ、個人的には、非常手段での手話というより、声が届かないところにいっても、手話で言葉が届くという利点を活かした終わり方にしたほうがより感銘があったと思います。音声だけでなく、手話、黒板の字、手紙の文章も心を伝え得るというのが、原作の大切な意図だったはずですから。

2006年2月2日

 まだ検査が終わったばかりなのに、お友達はもういいだろうと判断されたらしく、お見舞いが来始めました。ありがたいことだけれど、しんどい時は断らないといけない。でも、それができないアホな嫁ハンです。今日は3時間もしゃべったなんて、客も患者も信じられない。

 おいしいお菓子をいただくのはうれしい。着替えと引き換えに家に持って帰るのですが、私にはまさに「猫に小判」。その中のクッキーのようなものを、これは絶対おいしいからという、嫁ハンの勧めもあって、職場に持ってゆく。

 朝、同僚の女性に渡すと「ワー、ケーニヒスクローネ!これおいしいんです!」「なに、それ?」「これ、めちゃ有名なお菓子なんです!!」「フーン」「女性はみんな知ってます!」確かに来る人来る人、女性は、みんな歓声。男性は、なにそれ?世の中には女性だけに通用する常識があるのだ。

 ためしにいただいてみました。確かにおいしい!。家に帰ってカタログを見ると、東京と神戸に店があって、パイ、クッキー、スティックケーキ、チョコレートコーティングスティックなど21種類が入っていたらしい。道理で、普段はこういうとき、1本いただきますというつつましい方が2本、3本と持っていきはったはずだ。納得。カタログの指示通り、残りを急いで冷蔵庫へ入れました。

2006年2月1日

 嫁ハンの大腸の検査は異常なし。出血の原因となる疾患を予測していたのですが、安心というより気抜けした感じです。この2週間余はなんだったのか?

 担当医(30代後半の真面目そうな方、なぜか私のことを「御主人様」と呼んでくださる、「ここはホスピタルでメイドカフェではありませんよ」と突っ込みたくなる)が「ある意味、最悪の事態ですねえ」と頭を抱えているのも尤もと思います。原因がわからないので治療の仕様がないのです。

 本来、入院して安静にして鉄分を補給すれば、すぐに回復するはずのへモグロビン値が戻らないので、慎重に検査を重ねたのですが・・・とりあえず、鉄分の投与を続けて、ヘモグロビン値が最低の基準(「8」だそうです)まで盛り返したら、一応退院して、通院で投薬、様子を見ましょう、ということになりました。

 ま、退院できたら、医者とも相談しつつ、貧血、あるいは血液の専門医にセカンドオピニヨンを仰ごうかと考えています。

 「退院」の言葉に浮き立つ嫁ハンには、安心したらダメ、退院してもすぐに歌い始めたらあかんで、と釘をさしてはいるのですが・・・。

 閑話休題 できるだけ外食は控えてきましたが、珍しく息子二人の非番が揃った日曜、息子たちがレンタルCDを開店までに返却に行くというのに付き合って、ついでにと、3人でモーニングバイキングに行きました。

 私はなんといっても朝粥がねらい。それとデザートのライチ。あれこれ少しずつつまんで、ドリンクバーでミルクティを2杯飲むのがお決まりのコース。

 ところが、まず息子たち(特に下のやつ)の食欲に圧倒されました。下の息子があたためてきたクロワッサンを、上の息子があたためていない自分の分とこっそり取り替えて、みつかり、喧嘩をはじめる・・・小学生レベルの20代です。一応全メニュー食べて、そろそろ終わりかな、と思ったところで、もう一度取ってくるわ、と言って、カレーと餃子を運んでくる。その食べっぷりにはまいりました。そして、あれだけ食べて、私より20キロ近く軽いのですから、余計に腹が立つ!(笑)

 これで2400円(ひとり800円)は安いといえるでしょう。勘定の前に息子二人がジャンケンしているので、お、気を遣ってどちらかが払うのかなと思ったら、負けた方が私に恭しく請求書を持ってきました。(苦笑)



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