Kan-Kan の雑記帳


2006年3月30日

 行きつけの飲み屋でママと居合わせた婦人客と三人で会話が弾む。60代とお見受けしたご婦人はママとは10年越しの馴染みらしい。

 子供三人は独立し、ひとり暮らしらしいご婦人の身の上話。千葉の生まれ、幼い頃に両親を亡くし、叔母さん(母親の妹)に引き取られ、その小さな甥、姪の世話をして小学校は2年までしか行けなかった。就職しても叔母夫婦にすべて金を預け、生理用品も買えなかったという。結婚して関西に来て子育てをしたけれど、夫を亡くし、その親族にまた金をせびられ・・・ママも初めて聞く話だといって驚き涙ぐむ。こちらもウルウル。「おしん」の世界がまだ残っていたんだ。

 苦労ばかりで幸せなことなんて無かったとおっしゃるので、つい、いつもの説教癖がでて、なにゆうてはりまやばし、三人の子供に二人ずつ6人の孫、それが今、交代で遊びに来るんでしょ、それが一番の幸せですやん!と言うと、確かにそうやねえ、でも、孫の顔見たらすぐに、お金いるんか?と訊いて、先にお金渡してしもうて、子供たちに叱られますねん、学問しなかったし、世間でもまれて、苦労性が身についているんやねえ、と苦笑して、せめて小学校はきちんと行きたかったと涙ぐむ。

 胸を衝かれました。学校へ来んといかんのがダルいという高校生たちに聞かせてやりたい。

2006年3月28日

心配続き

 24時間勤務を2回続けて、翌早朝午前4時、下の息子がスノーボードに飛び出して行きました。どこのスキー場へ行ったのかも知りません。若いから体が持つのですね。でも心配。

 上の息子は4月の骨髄液提供に向けて、まだいろいろ手続きがある様子。今日も自分用の輸血用の採血に行きました。こちらも大変。

 嫁ハンは、もういくつかのライブに出演して、ほぼ病気前の活動パターンに戻っています。こちらが一番心配ですが、止めて止まるものでなし・・・(苦笑)。4月22日の北新地でのライブには私のテニス仲間も来てくれるというので、仕方ない(笑)、私も行くつもりです。

 四国の母の体も心配だったのですが、父の事故騒ぎに紛れて、詳しい話はせず仕舞い。医者が精密検査をしつこく勧めるからといって、病院へも行っていません。ま、今が元気だからいいとしよう、ということになっています。

    ゆふ焼けの 美しさは老いを なげくでもなく   山頭火

 桜の開花に合わせて、辛夷(こぶし)、木蓮、沈丁花、連翹も一斉に開いて、これから春爛漫の季節に。でも、年度変わり、転勤などで去り行く友や同僚、病気療養中の友人・・・自然が華やかな分、寂しさも募る時期です。

  花に嵐のたとえもあるさ  さよならだけが人生だ


ビデオでガマン

「クローサー」

 2004年のアメリカ映画。マイク・ニコルズ監督の最新作というだけで保証付き。アメリカでなく、ロンドンを舞台にしているのが新鮮です。どちらかというと小品なのですが、その分配役が豪華。

 微妙に絡み合い、すれ違う二組の男女を演じるのが、ジュリア・ロバーツとジュード・ロー(この大スターの顔合わせ)、若手がナタリー・ポートマンと売り出し中のクライブ・オーウェン(これで二人ともゴールデングローブ賞、助演賞を受賞)。

 4人の比重はほぼ同じなのですが、ニューヨークから来た、一途で繊細な心を持つストリッパーを大胆に演じるナタリー・ポートマンがいい。ジュリア・ロバーツだけが少し浮いている。こういう緻密な演劇的作品にはスター性は邪魔なのかもしれません。

2006年3月26日

 駅前からちょっと入った路地で贔屓にしていた中華料理店が、21日、駅前の一等地(徒歩一分、百均ショップが潰れた後)に引っ越して来ました。

 今までは傍目にも仲のよいおっちゃん二人が、アルバイトの若者3人を使ってこじんまりとやっていたのに、いきなり二階建て、フロアも五倍くらいの広さになり、従業員も十人を越えています。営業時間も一気に午前三時までに延長。

 前の店の最後の日と、新しい店のオープニングに行ったのですが(もちろん割引狙い)、今度も人が入っています。でも、きれいになった分、ちょっとうらさびた風情がなくなり、五人いる調理人の中におっちゃんは一人しかいません。その人はリフトの前で慌ただしく料理を点検してはったけど、お疲れの様子。もう一人はどうしはったんやろ?新しい店もよろしく
と挨拶してはったのに・・・。

 三月は別れの季節。いろいろもの思う春ですが、桜は順調に開花しているようです。


ビデオでガマン

「ターミナル」

 スピルバーグって作品を手際よく仕上げるのがうまくて速いと思います。でも、どこか仕上げの荒さ、詰めの甘さ、もの足りなさが残るのです。大作「シンドラーのリスト」もそうでした。この作品も同じくです。

 東欧の小国からニューヨークの空港に着いた男が、フライトの間に母国で革命が起こり、ビザが無効となり、アメリカに入国もまた出国も出来なくなり、空港で暮らすはめになる。
 一種の皮肉の利いたファンタジーなのですが、設定、描写のあちこちに無理があってドラマに没入できません。主人公がいい年でインテリ風なのに、全くはじめ英語が話せない、訪米の理由も唐突で、父子と音楽を巡るいい話のはずなのに、胸を打ちません。折角のトム・ハンクスのキャラクターと演技力がもったいない。


 救いは、主人公と心を通わせる39才のフライドアテンダントを演じるキャサリン・ゼタ・ジョーンズの美しさ。ゴージャスな美女が地味な制服に身を包んで現れると、却って美しさが際立ちます。みどころはここだけの映画でした。


 と、ここまで書いたら、関空でこれと同じような事件が起こったというニュースが入って来ました。偽造のパスポートで入国しようとした中国人の男性がしばらくロビーで生活し、とうとう塀を越えて入国、監視カメラで発見され、連絡橋で逮捕・・・。

 映画は時代を先取りするのですね。

2006年3月26日

 「安楽死」「尊厳死」・・・どこで線を引けるのか、微妙な問題です。他人事ではありません。

 サッカーの柳沢選手の怪我。ワールド杯前の微妙な時期。人生の吉凶はわかりません。


 明日はセンバツに「今治北高校」が出場。母、姉、弟の母校なのです。帰省したとき、町にも横断幕などが見られました。応援バスツアーの募集も行われ、過疎化で元気のなかった町が活況を呈しているようです。

 朝潮橋の八幡屋公園で開かれている「花と彫刻展」に行きました。靱公園が改装中でこちらに移って2回目。前回は秋で、台風でしたが、今回は春。早咲きの桜やジンチョウゲ、木瓜、レンギョウなどが咲いて、多彩な彫刻群とバランスが取れていました。

 今年は野外彫刻展は5月に改装なった靱公園でも開かれるので、作家は大変。靱では同時に「世界薔薇展」が開かれるので楽しみです。


最近読んだ本

「肩ごしの恋人」 唯川 恵

  唯川さんの文章、初めてゆっくり読みましたが、ウマイ!離婚2回、女の武器をフルに活用して、貪欲に「女の幸せ」を掴みにかかる「るり子」と、仕事も出来るがなぜか男運がよくないクールな「萌」。20代後半の二人の対照的な女性の人物造型が見事です。幼稚園からの親友というより腐れ縁のこの二人が、男性を巡ってばたばたしながら、やがて新しい道を見つけてゆく・・・。


 若い女性の本音と生活が生き生きリアルに描かれて、引き込まれます。どちらも自分を知っていて、結構賢いのに、なかなか個々の「幸せのカタチ」は見えない。そんなもの見えない いえ、そもそも無い時代なのです。作者の人間、男女、社会を見る目は冴えて、確か。セックスを露骨に扱っているのに、品があります。

2006年3月24日

 学生や生徒さんは春休みらしいですが、教員にはとっくに「春休み」も「夏休み」もありません。年度末の整理と、新年度の準備に追われています。なんや、年々忙しくなるようで、じっくり本を読んだり、教材を選んだりする余裕がなかなかありません。ばたばたしつつ、このまま定年を迎えるのでしょうね(苦笑)。

 帰省した18日朝の話。前日、交通事故に遭ったという父。仏壇に手を合わせるのもそこそこに話を聞くと・・・・私が帰ってくるというので、晴れた17日、父が庭に布団を干してくれたらしい。夕方日が陰ってきたので、それを取り入れようとした母を向かいの山から見て、父は急いで自転車で走り降りてきたらしい(足の悪い母に布団は重い)。折悪しく、牛乳配達の車が隣の家の坂道から急にバックして降りてきて、家の前で90度の角度で衝突したらしい。

 顔を切ったので、出血が多く、牛乳配達のWさん(40年来の知り合いーええ人)が驚いて、救急車を呼んだので、村中の人が集まる(動けない人と耳の遠い人を除く)騒ぎに。でも、家の反対側にいた母はその騒ぎに気づかなかったらしい。救急車が去った後、隣の奥さんの車で今治の病院に駆けつけたという。

 検査の結果、脳波にも異常がなく、負傷した顔面の治療のみ受けて、薬をもらって帰ってきたようです。当分酒はあかんね、と言うと、いやもうゆうべ病院から帰って飲んだぞ、とかわいくない返事。Wさんは悪くない、事故の原因はお前じゃ、とわけのわからんことを言う。困ったものです。父は即、示談にするつもりのようでしたが、とにかく様子をみよう、ということにしました。

 朝食もそこそこにご近所にお礼に回る。朝からWさんがお見舞いにくる。やつれている。とりあえずです、と何度も言って、お菓子と封筒(中身は3万円)を置いて、頭を下げて帰ってゆく。気の毒。昨日、救急車の音が聞こえなかったという人たちが来てくれる。噂がひろがって近隣の町村からもお見舞いの電話がかかってくる。それを母に任せて、父を病院へ連れてゆく。結局、3日間それが続きました。人身事故として扱うには4日以内に連絡するようにとの警察からの通知もあったのですが、本人がどこも痛くないというので、結局、示談にすることにしました。

 ちょうど帰ってきてよかった、今度もなにかがお前を呼んだのじゃ、という村の古老。変な気分ですが、そういえば何年か前も、帰省した日に両親を連れて大叔母を見舞ったら、その夜に急に大叔母が亡くなり、翌日通夜、次の日葬儀、その夜帰阪と、今回と同じく、3日間大車輪だったことがありました。

 「巻き込まれる」、「出くわす」というのも私の人生のキーワード(苦笑)。無鉄砲で怪我の多い父には、どうぞ畳の上で死んでな、と念を押して帰ってきました。今日で事故一週間。包帯が取れたそうです。 

2006年3月21日

 金はないのに、もらい物だけはいっぱいある我が家。友人たちの旅行の土産がまず多い。今回は新潟の銘酒「菊水」。のどごしのよい辛口の純米。もうーーーーめちゃ、おいしいーーー!アテは、これももらい物の「韓国海苔」。感謝しつつ、うっとりしながら四国のめまぐるしかった3日間を思い出しています。

 17日、午後10時半、六甲アイランドの東部分は人の気配もなく、満月を過ぎた月が煌々と光って、なんやものすさまじい感じ。フェリー乗り場だけ人の動く気配。ここは彼岸の帰省ラッシュで、車も人もいっぱい。いつもは大部屋の雑魚寝(2等席)だけれど、満員で隙間もない。疲れていていびきをかくと思ったので、思い切ってB寝台へ変更(1280円)。大浴場でゆっくりお風呂に入り、レストランで焼酎を一杯、その後、朝4時半までぐっすり寝ました。


 早朝5時15分に今治着。まだ暗い道を実家へ向かう。今治市から我が村へのバイパスも近年、出来たのだけれど、外灯もない道は不気味で猪や狸も出るし、朝早い老人の散歩もあって却って危険。海沿いの国道196号線を選ぶ(実際、翌日そのバイパスで狸の轢死体を見ました)。フェリーの最下層に置いてあったので、排気ガスの臭いの籠もっている車の窓を開けると、潮の匂いが飛び込んできました。

 5時45分、我が家に到着。裏庭に車を止めると、懐中電灯を持って迎えに出てきた母。その後ろにいる父が顔に包帯を巻いているのにまずびっくり。訊くと昨日交通事故に遭ったらしい。それも私が原因だという(!?)。今回の帰省は二重の驚きで始まりました。

2006年3月17日

 故郷の父はこの春のハワイ行きを諦めたようです。姉はほっとした様子。無鉄砲なおじいちゃんが好きなうちの息子たちは、なんや、やめはったんかーとがっかりした様子。まあ、年やからなあ、気も弱ってきてるんやろ、ということになりましたが、やはり残念。姉には、7月に連れて行ってもらうことを確認しました。

 まあ、娘夫婦と3人でのんびりゆくのが無難でいいかもしれません。でも、電話の母の口調では、父も目標を失って気落ちしている様子。母の体の具合も心配なので、帰省することにしました。


 今夜の神戸からのフェリーに乗ります。もう実家の庭の明正寺桜は満開だそうです。

2006年3月15日

 華道家、安達瞳子さんが亡くなりました。急性肝不全、69才。私の高校時代に彼女は30代。着物の似合う独特のムードを持った大人の日本女性として憧れました。当時は同じく華道の勅使河原霞(てしがわらかすみ)さん、書家の町春草(まちしゅんそう)さんも人気がありました。中でも、安達さんはたおやかな風情の中に強い意志を秘めておられるのが伺われ(実際、父上との確執、新しい流派の設立・・・とドラマチックな人生となりました)、ステキでした。独特のヘアスタイル、語り口、文も立ちました。

 「勇気」というのは私の人生の大きなキーワードでした。どこで手を挙げるか、発言するか、異論を唱えるか、行動するか・・・。黙認、傍観せず、恐怖心と闘いながら、発言、行動することを自分に課してきたつもりです。

 多くの映画のテーマにもなりました。「アラバマ物語」「サウンド・オブ・ミュージック」のテーマもそれでした。

 ところが、昨日の新聞で、気になる記事を見つけました。

 サンテグジュペリの言葉「勇気というやつは、決して立派な感情からできてはおりません。憤怒(いかり)が少々、虚栄心が少々、強情がたっぷり、それにありふれたスポーツ的楽しさが加わったというだけのしろものです」(「夜間飛行」堀口大学訳)

 サンテグチュベリは作家ですが、机の前の人ではなく、戦闘に参加していた飛行士でもあるだけに、皮肉ではあっても、ある面、説得力あり。自戒したいと思いました。

2006年3月14日

 朝からすごい雪。警察官の息子は事件で「足跡」を採取するのが大変だったそうです。

 嫁ハンがピンクのガーベラとスイトピーを買ってきました。寒い日でしたが玄関には一気に春が来ました。


前田藤四郎展

 出光美術館が大阪市立美術館、心斎橋展示室に変わって、前田さんの生誕100年を記念した展示が行われています。よく知らなかったのですが、明石に生まれ、松坂屋の宣伝部を振り出しに、兵役を経て、広告会社のグラフィックデザイナーから版画家へ。最後まで関西を基盤に活躍、大阪アベノのアトリエで制作を続けた、大阪では有名な方なのだそうです。

 とにかく明るく、斬新、おしゃれ。昭和モダニズムってこういうものかと思わされます。


 リノ版というのでしょうか、昔、小学校でやったゴム版画の凝ったやつですね。テーマは沖縄、社会問題、表現もシュールレアリスム色が濃くなりますが、一貫して商業デザイナーらしいサービス精神と工夫に溢れて、ステキです。ご本人も大酒飲みで、最後は肝硬変だったらしい。
1990年に亡くなったそうですが、もっと早く知りたかった作家でした。

2006年3月13日

 「春の雪」。「お水取り」もほぼ終わったのに、この寒さ。三寒四温を繰り返して春に近づくとはいえ、春支度を始めて、冬物を仕舞ったり、衣類を薄くしつつあるので、この時期の寒さは応えます。

 でも、春近い明るい空から降ってくるボタン雪は美しい。三島由紀夫の小説「春の雪」(30数年前、舞台化もされました。昨年は映画にも)を思い出しますが、そういえば現在、東京では同じ三島の舞台「鹿鳴館」が大ヒットを続けているようです。見たいなあ。

 また、2月歌舞伎座の「京鹿子二人道成寺」も大入り満員だったとか。「時分の花」の尾上菊之助と円熟の玉三郎の豪華競艶で一足早い桜の春が舞台に咲き誇ったことでしょう。舞台や、着物はいつも季節を先取りします。


 大阪の春は日展と相撲・春場所から

 まずは第37回日展(天王寺市立美術館)。友人の彫刻家Hの友人の彫刻家(ようするにいつもの居酒屋の飲み仲間)、播間公次さんが今年で2年連続入選を果たしました。チケットをいただいて、勇んで出かけてゆきました。


 でも、作品は昨年の方がよかった(ホントニ!)と思いました。なんや作品の体内からエネルギーが噴き出てくるような勢いが治まってしまって、おとなしくなった感じ。昨年と同じ裸婦像ですが、素人目ながら、右足の膝から下が男の足だと思いました(足フェチの私が自信を持って申しますー苦笑)。

 ちょうど、作家による作品解説の時間帯に当っていて、ラッキーなことに小灘一紀さんの解説に当りました。平均年齢60過ぎの、絵を描いているらしい集団30人くらいを引き連れて会場を巡り、あちこちの絵を評する。ユーモアを交えた、切り口鮮やかな語りです。集団の中に紛れて話を伺いました。


 「これは情感に欠けていますね」「とかく男は描きすぎる、もっと省略しなければ」「見えるモノを描くのではなく、いったん自分の内に通して表現するのです」「今更デッサンから始めるのはしんどいでしょう?好きな作家をとことん真似すればいいのです・・・」

 ナルホドと思うことも多し。小灘さんの作品は好きで、先年、個展にも行きました。ただ、お話の通り、おそらくご本人も小磯良平さんの後を追っておられて、そこを脱却しきれていないような気がします。今年の小灘さんの出品作「わだついろこの宮」は青木繁の同名の作品へのオマージュと受け取りましたが、美しすぎて(?)「青春の痛み」が感じられませんでした。個人的には小灘さんの作品は2年前のものが好き。

 今年の目玉は特選に入ったジュディオングさんの版画「紅楼依緑」。京の「一力茶屋」でしょうか、初夏の料亭の玄関を描いた鮮やかな大作で、人も群れていましたが、「どこまで自分でやったものやら」というのが友人の彫刻家Hのクールな批評でした。

 個人的には村井正之さんの「耀く」、北野治男さんの「静かに流る」に特に心惹かれ、辰巳寛さんの「地久」内山孝さんの「唐津湾の眺め」水戸童さんの「シャンソン」も印象に残りました。目のご馳走で満腹。見た後、美術館裏の、松と梅の美しい慶沢園で持参のおにぎりを2個食べてさらに腹いっぱいでした。

 藤井寺に先月オープンした「おゆば」という温泉(銭湯?)。さっそく出かけてみました。結構広くて、露天風呂もあってなかなかの設備。脱衣場で何人かの相撲取りに会いました。羽曳野には八角部屋が来ています。私の5倍くらいの大きさのジャージーを着ている。でも着脱は手早く、身軽な動作。身近に拝見した体はもちろん単なる肥満体ではなく、筋肉が丸く膨れ上がった感じ。無防備な裸ではなく、肉の鎧を纏っているのですね。まだ大銀杏は結えない若手達でしたが、春場所がんばってほしいものです。

2006年3月11日

 地下鉄の入り口近くの交差点で見かけた営業マン風の男性。得意先かなにかに車で送ってもらったらしく、平身低頭、何回も頭を下げて、車を見送る。車が見えなくなったら、くるっと踵を返し、脱兎のごとく階段を走り下りてゆきました。こちらが歩いてプラットホームにたどりつくと、先ほどの男性がハーハー息を切らせながら、どこかに電話している。電車に乗り遅れたらしい。大変なんだ。

 昨日、地下鉄の中で本を読んでいて、乗り過ごしてしまいました。朝は30分の余裕をみて動いているので大丈夫でしたが、分刻みで動く職場も多いのでしょう。

 過日の新聞に、スイスに2週間ホームステイしたという57才の商社マンが次のような投書していました。

 「スーパーのレジ係が座って打っている。正午から3時間くらい商店のシャッターが閉まる、昼食は最低1時間、夕食は2時間はかけてゆっくり楽しむ・・・ストップウォッチを持って働いている自分が情けなく思われて、日本で働き続ける自信が無くなった・・・。」

 毎日、忙しい忙しいといいながら、もっと忙しい人がいっぱい居る。気持ちの持ちようだけではどうにもならない問題もあるのでしょうが、経済大国にならなくても、IT先進国にならなくても、心豊かに暮らす方策はあるように思います。


ビデオでガマン

 「ネバーランド」

 昨年度のアカデミー賞の作品賞にもノミネートされていた佳作。大作ではないが、さりげなく心を打つものがありました。「ピーターパン」がロンドンの舞台で初演(1904年12月)されてから100年を記念して作られたことは聞いていましたが、その誕生にまつわるエピソードを巧みに見せる脚本が見事です。

 新作舞台がコケて、落ち込んだ劇作家―ジェームズ・バリー、演じるのは今をときめくジョニー・ディップ―が公園で知り合った若く美しい未亡人(イギリスの若手演技派、ケート・ウィスレット)とその4人の男の子と触れ合ううちに、失敗作の穴埋めする舞台劇「ピ−ターパン」の着想を得てゆく・・・。特に父親を失って心を閉ざしている三男のピーターとのふれあいがポイントになります。

 映像も地味ながら凝っています。観客席に雨を降らせて、湿った反応を表したり、冷えた主人公の夫婦関係を表すのに、それぞれが開いた寝室のドアの向こうに違った風景(闇と光る海)が見えたり・・・。でも眼目の「ネバーランド」のセットはイマイチでした。原題は「ネバーランドを見つける」ー題名にも深い矛盾した意味を持たせていますね。

 ジョニー・ディップもいつもの過剰な演技を抑えて、少年の心を持つ紳士を(完璧なスコットランド訛りで演じているらしいが、わかりません)好演。ケート・ウインスレットは「タイタニック」の時もそうでしたが、健康的過ぎて、病に倒れる役には見えません。脇をジュリー・クリスティ(なつかしい「ドクトル・ジバゴ」のヒロイン)ダスディ・ホフマンがきっちり固めています。子役も名演。期待以上の作品でした。

 この文章を書いていた時、届いた夕刊にマイケル・ジャクソンの自宅(遊園地「ネバーランド」を含む)の閉鎖命令が出たとありました。従業員24名(!)の賃金未払いが原因だそうです。100年経って、現代では困ったピーターパンがいっぱいいるようですね。

2006年3月9日

 四国の父(85歳)が今月ハワイツアーに行くという。年末に帰省したとき、行きたいということを漏らしていたので、ええやないの、行けるうちに行けば、永住してもいいよ、などと言って、1月にパンフレットなどを送ってやっていたら、春も近づいて、その気になったようです。すでに申し込んで、予約金3万円を払い込んだという。

 昨年もひとりで秋田、愛知博、鳥取と3度も旅行していた人だし、元英語の教師で、語学も大丈夫だからと安心していたのです。それに父の旅行中に、母もゆっくり骨休めができる(これがポイントー苦笑)と思いました。

 ところが、その話を聞きつけた京都の姉から電話で、心配やから止めて、と言ってきました。長時間の飛行、3島を廻るハードなスケジュール。そんなの年寄りに無理よ、という。テロ対策でチェックが大変とか、ハワイへ行ったことのない私にはわからない事情をあれこれ言い立てる。でも、父が行きたいなら行かせてあげればいいやん、と返すと、心配だから、私達夫婦が夏休みに連れて行ってあげるという。そんなら話は別。

 でも、頑固な父がそのおいしい話にすんなり乗るとは思われません。旅心は思い立ったら待ったなし。反対があれば却ってむきになって、芭蕉ではありませんが、「道祖神の招きに会ひて、とるもの手に付かず、春立てる霞の空に」憧れのハワイ航路への思いを募らせて、きっと出かけるのではないかと踏んでいるのですが・・・どうなりますか。

 戦争に行って苦労して、戦後も働きづめでした。最晩年を迎えて、ちょっと余裕が出来てきました。体が動くうちに、どんどん遊び倒してほしいと思っています。


ビデオでガマン

 「がんばっていきまっしょい!」

 青春映画、それも故郷を舞台にしたものは、思い入れが強くて、なかなか見づらいものがあって、評判高かったのに、見逃していました。松山(故郷の町から1時間)の高校ボート部が舞台の物語。大阪の人にはピンと来ないでしょうが、今治も松山も夏にクラス対抗ボートレース大会(私も漕ぎました)があるような土地柄です。

 荒れ果てたボート部倉庫の描写から始まり、壁に留められた写真から1970年代の高校へスリップしてゆく。これはパターン。

 元気のいい女の子(田中麗奈デビュー―新鮮)が女子ボート部を立ち上げ、3年間で県大会の決勝まで這い上がってゆく。ばらばら、よろよろの素人集団が、東京帰りの怪しげなコーチ(中嶋朋子)の指導の元、いつかたくましく成長してゆく。青春スポーツドラマの定石ながら、描写がうまい。

 昔の雰囲気を残す松山近辺の町並みが懐かしい。ロケ地の海は実家から30分くらいの半島付近です。島のかたちは変わりません。学校内の映像はセットでなく、松山東高の体育館や職員室が使われています。昨年度まで松山東で講師をしていた同僚によると、ヒロインが部創設について相談に訪れる職員室の先生の隣の机にいたそうです。

 ヒロインに伊予弁の男言葉をあえて遣わせて、ボーイッシュな魅力を際立てます。でも、伊予出身者としては微妙な違和感があります。たとえば、「何しよるんぞ!?」(何をしている!?)は男言葉、女言葉は「何しよるん!?」「何しよるんぞね!?」となって、もっと柔らかな言葉遣いなのです。

 全国大会までは手が届かず、でも、燃焼した充実感を残して、ぶちっと物語は終わります。「アメリカン・グラフィティ」以来の、その後の人生を語る形(実は大好きだけど)が一切無いのも気持ちいいです。あれはあの3年間だけの特殊な時代。その後は別の話なのです。かえって爽やかな後味でした。

2006年3月8日

 白血病と数年来闘っている友人がいます。側面からの応援ができればと、1昨年、骨髄バンクに登録しようとしたら、年齢制限(50才まで)に引っかかって、門前払いを食ったという話は以前書いたように思います。現在、友人は妹さんからの骨髄液の提供を受けて、回復しつつあります。

 知らなかったのですが、偶然、上の息子も骨髄バンクに問い合わせていて、こちらはすんなりパスしていたのだそうです。先月、適合者があって、移植の話が具体化し、そのための説明会に来て欲しいという連絡あり。家族に加えて、第3者の立会人も必要という。

 27になった大人が判断したこと、本人に任せてます、なんで家族や第3者までと問うと、やはりリスクと苦痛を伴うものなので、家族の反対や抗議などが多いからという。

 それで、嫁ハンと、息子の高校以来の気のいい友人が7日の午後、堺まで説明を受けに出かけて行きました。手術の内容の説明から危険性にも触れて、いつでも辞退してくださっていいとの、腰の低い対応だったとのこと。4月の手術には4日間の入院が必要なようです。

 心配してもきりがありません。ま、ええやないの、本人がその気だから好きにすればいい。人助けにもなるんだし・・・といのがわれわれ夫婦のスタンス。それにしても、仕事を休んで付き合ってくれた息子の友人には申し訳ない気がしていました(交通費は支給されるそうです)。ところが、今夕、道明寺天満宮へ梅見に寄ったら、偶然その子に会いました。お礼を言っておきましたが、縁を感じたことでした。

2006年3月7日

 星を食べ 今朝も元気な 冬薔薇(そうび)   五島高資

 若手歌人の五島さん。元気な句です。

 アカデミー賞授賞式の話題の続き。疲れ果てて、夜の再放送を見ることも出来ませんでした。夕刻、インターネットで読んだ情報から。

 ゲイ問題を扱っていることもあって(?)本命ながら受賞できなかった「ブロークバック・マウンテン」。同じように、自爆テロを扱って話題を呼んだ「パラダイス・ナウ」も外国語映画賞の選に漏れました。「ブローク・・・」は監督賞(アン・リー・・・アジア人として初の監督賞、おめでとう!)を受賞。

 微妙なバランスを取った今回でしたが、華やかだったのは助演賞。美しいニコール・キッドマンから賞を受けた男前、ジョージ・クルーニーのスピーチが粋でした。「これで監督賞のメは無くなったね」(彼は監督賞の候補でもあった)と笑わせ、「みんなが同じ役をやったのではなければ、比べられない」(その通り!)とノミネート仲間を気遣い、「映画界はズレていると言われる。エイズをいち早く扱ったのもそうだ。ズレている社会にいることを誇りに思う」と格調高くまとめる。

 テレビドラマ「ER」から出て、映画に進出、「バットマン」「オーシャンズ」のシリーズとキャリアアップして、とうとハリウッドで確固たる地位を確立しました。

 美人女優として売れていたレーチェル・ワイズもこの助演賞の受賞で演技派の称号を手に入れました。

 轟沈している私をよそに、夜中の1時までしっかり見たという嫁ハン曰く、女優さん達のドレスのレベルがゴールデングローブ賞などよりワンランク上ですごかった、ということ。前述のキッドマン、主演女優賞のリース・ウィザースプーンも「サユリ」で注目もチャン・ツイーイーもビンテージもの(この意味不明)の素敵なドレスだったそうです。

 スピルバークの話題作「ミュンヘン」がひとつも賞を獲れなかったのですね。授賞式のアメリカでの視聴率が低かったことも話題になっています。スター・ウォーズやハリー・ポッターに流れる観客に逆らった、アカデミーの選択だったのでしょうが、それはそれでいいのでしょう。

2006年3月6日

 椿咲く 銀河の中に  銀河あり   五島高資

 久世光彦(てるひこ)さんの突然の死去には驚きました。「オール読物」で連載中の自伝的芸能界回顧録を楽しく読んでいたところでした。森光子さんのコメントも「ただただ茫然としています」。演出家として日本のテレビドラマを作り育ててきた方でした。NHKの和田勉さんや深町幸男さんに対し、よりエンタテイメントを重視しつつ、向田邦子さんたちと共に、「ドラマのTBS」と呼ばれる時代を作りました。先述の森光子さん、そしてなにより森繁久弥さんをテレビドラマに引っ張り出し、ブラウン管の中で活かしました。

 作家としても遅めのデビューながら、水準の高い仕事を残し、なにより読書家としての発言も楽しみでした。

 アカデミー賞は今年も華やかに。キラ星の如く輝くスター達のパフォーマンスの裏に、経済効果や政治的思惑も見え隠れして、興味は尽きません。演技賞部門はほぼ予想通りでしたが、作品賞の「クラッシュ」は急追していたとはいえ、穴と言えます。本命の「ブロークバックマウンテン」がゲイを扱っているというだけで、猛反発を受け、上映されない州もあり、また主要な出演者のひとりが出身大学から追放されるなどという騒ぎも影響したのでしょうか。

 5万人以上いるアカデミー会員にはユダヤ系の人が多く、また、民主党支持者が多いというのも、選考、投票に反映されると言われます。

 興行価値としては、「クラッシュ」の日本公開を延ばして正解でした。これで客が倍増します。

 ミーハーとしては「クラッシュ」に出ているサンドラ・ブロックが授賞式でドレスに以前「スピード」で共演したキアヌー・リーブスと同じボタンを付けていたというのが面白い。しかし、よく見ている人もいるものですね(笑)。

2006年3月5日

 暖かい休日の朝6時半。朝焼けが美しい。玄関で男3人が出くわす。私は久々の座禅に、下の息子は職場のスポーツ大会に出かけるところ。そこへ夜勤明けの上の息子が帰ってくる。おかえり、行って来ます、おやすみの言葉が交錯。上の息子は3日連続の夕方から朝までの勤務。しんどそう。

 座禅から帰って、約束していた義母のマンションへお雛さんを片付けに行こうとして車に乗り、嫁ハンが電話すると、あれ、もう昨日片付けたよ、思ったより軽かったから、という返事。嫁ハンの怒ること。頼んでおいたくせに、勝手にあぶないことして、怪我してももうしらんよ!と言ってぶちっと切っている。

 まあ、ええやん、それだけお元気なんやからと言ってもおさまらない。でも、嫁ハンの機嫌を直すのは簡単。うまいもんを食べさすこと。羽曳野にある二軒のフレンチのひとつ「ビストロ・カキモト」(オススメです)にそのまま連れて行き、1000円のランチで満足。淡路から直送の鱸のピカタがおいしかったです。

 日本アカデミー賞の発表。「オールウェイズ・三丁目の夕日」が主演女優賞(吉永小百合「北の零年」)以外をすべて浚ってゆく。他の映画賞をほとんど獲った「パッチギ」が完全に無視されたかたち。うーむ。これって一種の揺り返しなのでしょうか?

 明日のアカデミー賞はどうなるでしょう?個人的にはアン・リー監督に賞をあげたいと思っています。 

2006年3月4日

女の子 十になりけり 梅の花  漱石

 漱石の句って、シンプルですっきりしたものが多いと思いますが、これもそのひとつ。本人が色紙に書いたのを見たのですが、2行目に「十」を大きく書いて、最後の行には字で無く、梅の花の絵。今と違って、幼い子供の死去も多かった時代、愛娘が10歳まで無事に育ってくれたという父親の喜びが感じられます。そして桃の節句が近づいている予感も。ちなみに故郷のひな祭りは月遅れで4月3日です。

 友人の父上の通夜。春寒の夜の突然の雨は、やがて霙に変わり、コートを濡らしました。

 一人暮らしの義母は寂しいのか雛飾りをしたという。うちの嫁ハンのもの(出所はあちら)を昨年の引越しの際に、置くところがないからと預けていたのです。ひとり娘やし、うちには男孫二人、もう、今年で終わりにして和歌山、淡島神社にお納めしようという話がまとまったのですが、いざとなるとやはり躊躇。天袋に収納するから手伝ってと電話あり。急がんでもええ、ゆっくり飾っておきなはれ、嫁入り前の娘がいるでなし、と言ったのですが、義母はせっかちなので、「ゴン」を持って、明日仕舞いに行くことにしました。女の子がいなくても、美しい日本の風習です。続けてゆけばいいと思います。

 今年の淡島さんの「流し雛」。全国から集まったお雛様には豪華なものが多かったそうです。その中には娘を亡くした家のものもあったということです。


最近読んだ本

 「水曜の朝、午前三時」  蓮見 圭一

 翻訳家で詩人、名家の出、英明で鋭敏、多くの人に愛されて、同時に、憎まれ恐れられ、45歳で脳腫瘍で亡くなった四条直美という女性を、その娘婿が妻(直美の娘)に残されたテープを起こしながら語るという凝った形式です。蓮見さんの作品は初めて読みましたが、文章のうまさに感嘆しました。詩人の文章を作る、死期の迫ったテープによる告白というカタチ、その創造力がすごい。

 「十年たって変わらないものは何もない。二十年たてば、周りの景色さえも変わってしまう。だれもが年をとり、やがて新しい世代が部屋に飛び込んでくる。時代は否応なく進み、世の中はそのようにして続いてゆく」

 「運命というものは私たちが考えているよりももっと気まぐれなのです。昨日の怒りや哀しみが、明日には何物にも変え難い喜びに変わっているかもしれないし、事実、この人生はそうしたことの繰り返しなのです」

 「内心では花見客を馬鹿にしていながら、偶然に桜の花を目にして、その美しさに圧倒されたりしていたのです。ピアニストが毎日休みながら鍵盤を叩くように、私は人生の練習を続けていたのです」
 「フローベールは言っている。ペンはなんと重い櫂なのだろう、と。漕いでも漕いでも進まないのだ。最後の手紙に記されていた人生の練習―その結果がどうであれ、人生の最後にこの困難な仕事に立ち向かおうとした四条直美を僕は愛し、そんな彼女を今も支持する」

 箱入り娘だった直美が娘の父親(夫)に出会う前に落ちた烈しい恋。舞台は1970年の大阪万博。熱に浮かされたような異常な空間で出会った魅力的な男は、実は北朝鮮籍の人間だった・・・。年齢的に空気を共有した世代なのです。BGMに懐かしい「オールドファションド・ラブソング」「雨を見たかい」・・・そしてジャニス・ジョップリン。

 でも、この本の題名の曲は文中に出てこない。サイモン&ガーファンクルの名曲をもう一度聴いてみようと思っています。才能、感性共に豊かな威力的な女性(傍にいると惹かれるけれど傷つくこともある)の姿がきっちり描かれています。「直美」にオノ・ヨーコさんを被せてみたのはわたしだけではなかったと思います。

2006年3月3日

 不思議な人がいます。地下鉄で朝、見かける30代初め(?)の男性。昨夏、朝7時15分、アベノのホームから飛び込んできたこの人、はじめ白いTシャツかと思ったのですが、どう見てもアンダーシャツ一枚。下は普通のズボンなので妙な感じ。左手にアタッシュケースを右手に上着を持っている。ドアの前に立ったまま、やがて二駅を過ぎた頃、網棚からケースを下ろし、中から櫛、スプレー、カッターシャツなど一式を取り出して、ドアのガラスを鏡に、身繕いを始める。呆然と眺めているうちに、10分あまりで結構イケメンのきちんとした(?)営業マンが出来上がりました。

 たまたま寝坊したのかな、それにしてはあの落ち着きは変、と思っていたら、最近また同じようなシーン出くわしました。今度はさすがにアンダーシャツではありませんでしたが、脇の下へのスプレーから始まって、髭剃り、整髪、最後にネクタイをきちんと締めるまでの流れるような(?)動きは手馴れたもので、家の洗面コーナーがそのまま車内に移行しただけの様子でした。

 人前で化粧するバカ女(この撲滅運動の話は後日)にも呆れてますが、これにも驚きました。周囲の目など全然気にならない、そんな人が、世代が増えてきているのでしょうね。 

2006年3月2日

 上の息子のホテルの総支配人はスイス人でした。また、期待していたダンスパーティは中止になったそうです。残念。

 下の息子の非番の日に、車で送ってもらうクセがついてしまいました。朝の30分余の余裕はうれしい。普段、なかなか話す時間もないので、車中の30分でいろいろ職場の話などを聞く。最近、彼が酒を飲まなくなったのは、仕事のことを考えてではなく、毎晩ひどい酔っ払いを見て(注・私のことではありません!)もう酒を飲むこともいやになったのだそうです。そういえば、酔っ払いの喧嘩の仲裁に入って、とばっちりで蹴られたことがあると言っていました。

 警察学校を卒業して、もう同期が何人も辞めたらしい。そういえば、羽曳野警察に配属されて、大きな体を小さなバイクに乗っけて、神妙な顔をして巡回していたU君も見かけない。息子に聞くと、やはり辞めて故郷の九州に引き上げてしまったらしい。確かにハードは仕事だろうが、折角合格し、警察学校も卒業して働き始めたばかりなのに勿体無い、と思うのは、年寄りのお節介なのでしょうか。


最近知ったこと

米国人の階級意識

 ニューヨーク・タイムズ紙の世論調査によると、「自分がどの階級に属していると思うか」上層(アッパー)1% 上位中産(アッパーミドル)15% 中産(ミドル)42% 労働者(ワ−キング)35% 下層(ロー)7%

 上位の階層ほど結婚率は高く、離婚率は低いそうです。結婚率は人種によっても異なり、15歳人以上で結婚している人は、白人で男性57%、女性55%。アフリカ系アメリカ人では男性38%、女性30%とのこと。

 きっと恋愛しても同棲止まりが多いということなのでしょうね。結婚に踏み切ることが難しい、また結婚という形態に拘らなくなっている点もあるのでしょう。

2006年3月1日

 サントリーの通称「だるま」―「オールド」がパッケージを新調。学生時代の憧れの酒でした。年齢と共に、「レッド」から「ホワイト」、「角」、「リザーブ」とぽちぽち銘柄を上げてゆくというのが高度成長期の日本と重なっていたように思います。

 私自身はウイスキーの味が少しわかるようになったのは30代になってからだったと思います。もちろん銘柄には拘らず。最近、スナックではウイスキーのお湯割りを飲むようになりました。冬の夜にはぴったり合います。

 ピアノブームなのでしょうか。日曜の朝の「題名の無い音楽会」にも日独混血の若き美女(名前は忘れました。白い肌に黒髪、いいとこ取りです)が登場していました。大阪でもピアノリサイタルが目に付きます。ペーテル・ヤブロンスキー、セルジオ・ティエンポ、フレディ・ケンプ(巨匠ウィルヘルム・ケンプの親戚らしい)このあたりの若手までが3千円から5千円。若手でも特例はエフゲニー・キーシン(4月15日)。1万5千円のA席以外はすべて売り切れだそうです(2月末現在)。


 上の息子のホテルの新しい総支配人(4代目、1月就任―40代のオランダの方らしい)はなかなかの人のようです。先日、社員食堂で息子を見て、なにやら話しかけてきたらしい。なんとか聞き取ると、新しい部署はどうか?合わないならいつでも元の部署に戻してやるよと言ってくれてはる。息子は1月末に部署異動したばかり。それでも600人近くいる従業員でまだぺーぺーの自分の顔と状況を掴んでくれているなんて、と驚きの面持ちの息子。

 数日前の日経新聞、人物紹介「エコー」の欄に、そのマーク・ノイコム氏が載っていました。自らの長所を「人間関係をうまく築ける」と分析している。納得。生徒の名前も出てきにくい最近の自分を反省しました(単なる老化現象と言い訳してはいけない!)。


 中越地震被災者の仮設住宅の雪降ろしの為の従業員ツアーを組んだり(息子は仕事のサイクルで行けなくて残念がっていました)、ホテルでチャリティー舞踏会を企画したり(行きたい)、精力的に動いてはる。前の総支配人(東京にできる新ホテルに異動)も宿泊アンケートに丁寧な返事や電話をくれるなど、細かい気配りの人だったけれど、今度の総支配人も楽しみな人材です。



雑記帳バックナンバー表へ