Kan-Kan の雑記帳


2006年4月30日

体内時計

 前夜、友人の誕生パーティで飲んだらしい酒、「翁鶴」の「おり酒」と芋焼酎3種類「万歴」「法露」「兎しずく」。ポケットにメモがあったのでそれと知れました。それでも、朝6時15分にはなぜか目が開いてしまう。これは自分でも不思議です。


神戸の朝

 嫁ハンが眠っているので、こっそり起きて、ホテル近辺の散歩に出かける。周辺はまだ前夜の喧噪の名残がいっぱい。カラスが残飯を漁って飛び回る。クラブの黒服数人が眠そうにまだ店の階段に座っている。営業しているバーがまだ数軒。客もまだ飲んでいる!迎えのタクシーが店の前で所在なさそう。交番の若い巡査さんがぼんやり立っている。息子を思いだして、会釈してしまう。


 目の端に揺れる紐が見えたので見上げると、ビルの上から清掃人の人がぶら下がってブランコのように揺れながら窓を拭いている。あこがれの職業なので、首が痛くなるまでしばらく見ている。手際いい、かっこいい。

 喉が乾いたので昨夜のローソンに。「陳くん」がまだいて、同じ口調で元気に働いている。あれから8時間経っている。ポカリスエットを買う。客が「陳クンごくろうさん。上がりは何時?」と訊いている。陳くんの返事は聞こえませんでした。

 路地の居酒屋に張り紙がある。26年お世話になりましたが、この3月末で閉店したします、ご愛顧いただいた皆様、ご近所の皆様ありがとうございました・・・。

 小さなジャズ喫茶。「デューク」という名前。でも二階の窓は破れている。

 あ、もう朝や、とバーから出てきた大学生らしき男が道ばたで吐いて、後から出てきたマスターらしき人が背中をさすっている。

 蔦と花に覆われた小さなすてきなホテルを発見。フロントに行ってパンフをもらったら、なんとモントレーと同系列の「アマリー」というホテルでした。いつかここにも来よう。京都を一休みして神戸に嵌ってしまいそうです。

 小雨が降って来たので、引きかえし、3階レストランでバイキング。嫁ハンはサラダとコーヒーが特においいしいと言う。私はお粥とサラダとフルーツ。この朝食が宿泊費プラス200円は安すぎる!(この後の行動は明日、別項ー旅ーで

2006年4月29日

 「たねや」の「よもぎ餅」をいただく。季節限定。よもぎ餅は父が宮ノ下(故郷の村の氏神さんの鳥居前で、日当たりがよく、農薬が当たらないところ)で摘んできたものを蒸して、搗いてつくる自家製のものが最高と思っていましたが、これはまた洗練された味。職人の味でした。

 「スエヒロ」の「天むす」をいただく。天王寺ステーションで売っているのだそうですが、なかなか手に入らないらしい。小振りですが、さすがにおいしい。「スエヒロ」って「末広まきこさん」がやってはる店なんだそうです。嫁はんからの情報によると、彼女はかつて日本料理の神田川さんとおつき合いがあり、そのアドヴァイスが入っているのだとか・・・。ほんまかな?

 29回目の結婚記念日。これを機会に昨年から途切れていたホテルツアーを再開しようというわけで、インターネットで探しあてたのが、「ホテルモントレー神戸」。なんとツインで8500円だという。急いで予約したら、あとで朝食付きで8900円のパックがあると知って、また慌てて解約してこちらを予約。でも、なんでこんなに安いのだろう?

 ホテルモントレーは日本に9店舗あるけれど、どれも欧風の独特のスタイルで興味あるホテルです。一歩違うとラブホテルになってしまいそうなのに、格調を保って、女性にも人気があるようです。ただ、大阪の街並みにはイマイチ、ミスマッチの感がありました。

 友人の誕生パーティを早めに抜けさせてもらって、嫁ハンと天王寺で待ち合わせ。10時過ぎに三宮へ。駅周辺は週末のすごい賑わい。小さいけれどバラエティに富んだおもしろそうな店がいっぱい。うーむ。神戸も奥が深い。ローソンでおつまみなどを買い込む。カウンターには「陳」という名札の大学生らしい男の子。日本語はまだこなれていないけれど、明るく元気。留学生なんでしょうね。

 生田神社隣、東急ハンズの西側、華僑会館の隣にヨーロッパ風の路地が。その先に地味で頑強な砦のような入り口がある。いいムードです。神戸にしっくり嵌っています。古めかしく造ってあるけれど安っぽくはありません。牢獄にも遣われたような中世の古城のイメージ。小さなフロントカウンターで聞くと、プラス2000円でメゾネットの部屋が空いているという。即決断。部屋に入り、小さなフロア(応接セットとテレビだけ)を抜けて階段を上るとベッドルーム。風呂に入り、テレビを見ながら、嫁ハンはチュウハイ、私は焼酎のお湯割りを2杯飲むかどうかというところで轟沈してしまったようです。続きは明日 

2006年4月27日

 散らであれかし 桜花  散れかし口と花こころ

 古謡です。散らないでほしいのはサクラ、散ってほしいのは、人を傷つける無責任な人の口と、あの人の浮気心。「花心」という表現がオモシロイ。

 サクラはとっくに散ってしまったと思っていませんか?古市から道明寺にかけての石川堤の桜並木の中の八重桜は、まだ咲いています。おまけに雪洞まで残っていて、数十メートルにわたって灯されている。そばの野球グランドでは少年たちが桜なんて目にもいらない様子でナイターの下、練習に励んでいます。毎夜、楽しんでいるのはワタシを含む数人のおじさんおばさんばかり。もったいない景色です。是非どうぞ。

 河内長野でまた衝撃の事件。楠町の現場と、河内長野警察周辺は当日、マスコミと野次馬で交通渋滞が起こったようです。それにしても、同じようなわけのわからぬ事件が続きます。高野山の写真館の主人殺しも・・・。どちらも(母親と教師に)叱られてむしゃくしゃしたのが動機というけれど、それが殺人に繋がる短絡さに唖然とします。


最近読んだ作品(4月27日記入)

「あこがれ」 北原亜以子

 西洋から渡ってきた美しい手鏡の「私」が語る、歴史のヒトコマ。おもしろい着想のシリーズです。前回は戦国時代、焼け落ちる城で「お市さま」の手に取られましたが、今回は江戸、田沼意次邸。運び込んだのは平賀源内。人に注目されて、時代の先端を走り続ける男二人は、深い焦燥と疲れを鏡に映します。

2006年4月24日

 夕方冷えてきた大和川堤。寒気がして、気分悪し。風邪引いたのかなあ。いやだなあと思いつつ、袖を直そうとし自転車のバランスを崩す。倒れる直前、ペダルを踏んで飛び退いてなんとか着地、自転車は横転。

 飛び散ったバッグの中味を拾い集めて再びサドルに跨った時、風邪がどこかに飛んでいっていました。アドレナリンが出たのでしょうか(笑)。


最近読んだ作品

「悪名」乙川優三郎

 茶屋で働く、幸薄い女、多野。そこに通ってくる落剥した武士、重四郎。だらしない男なのに、多野はなぜか彼が忘れられない。彼にはどこか謎があります。よき時代の時代小説の味わいを漂わせるけれど、昨秋の最新作です。きっちり幸せが訪れる読後感がさわやかです。こうでなくっちゃ。

2006年4月23日

夕陽が泣いている

 せっかく夕陽が見える部屋に引っ越ししたのに、時間的にも見る機会がありませんでしたが、21日、久々に意外な所で見ることが出来ました。自転車で帰宅中、柏原から自転車人道専用橋を渡って帰る途中、急に厚い雲を割って現れた赤い夕陽です。

 まっすぐ西に延びる大和川の果てに赤い夕陽があり、流れが淡いオレンジの光の帯となり、その中に太陽の赤い太い線が出来る。目の前に道明寺・柏原線の赤い鉄橋。茶色の2両の電車が渡る。そして向こうに昭和、大正、明治橋が黒いシルエットで浮かんでいる。実にいいタイミングで通りかかったものです。ひとりで見るのがもったいない景色でした。


舞台中継「流星に捧げる」

 東向きに固定された風見鶏のある、古い洋館。そこに住む元大学教授の家に押し寄せる奇妙な人々。頑固で、世間に背を向けていた教授が、いきなりインターネットに奇妙な書き込みをしたからなのです。教授はどうもボケ始めているらしい。集まって来た人間にもそれぞれ思惑が見え隠れする・・・。

 山田太一の書き下ろしを、木村光一が演出。他人会の公演で、風間杜夫、根岸季衣、中村たつ、そして教授役に山本学。万全の布陣です。笑いの中に、高齢化社会の問題提起を滲ませて、うまい。でも、きまじめな(ちょっと窮屈な感じ)の舞台でした。


嫁ハンのステージ


22日、北新地「サロン・ド・マチコ」

 テニスを早めに切り上げて、帰宅して着替え、一緒に行ってくれるテニス仲間5人と改めて阿倍野で落ち合う。中の一人はお父さんの介護を叔母さんに代わってもらって、病院から駆けつけてくれる。

 北新地の会員制クラブなんて足を踏み入れるのは始めて。ゆったりしたフロアはベージュで統一され、20余席のソファ中心で端の方にカウンターが5席ほど。トイレがきれいで広いのもおどろき。はじめちょっと固かったけれど、飲み放題だったのでみんなしっかり飲んで、くつろいで楽しいライブになりました。嫁ハンも気持ちよさそうに唄っていたのでよかった。一安心です。

 でも、お客さんの多くはブランデーなど飲んだので(ワタシは焼酎)、メンバーはもの足らないようで、結局、帰りに改めて天王寺「眠眠」で餃子とビールで口直しとなりました(苦笑)。 

2006年4月20日

 競泳日本選手権200平で北島敗れる。アテネからもう2年経ったのです。

 ほとんどテレビドラマは見ないのですが、これは楽しみ。「京都地検の女」がまた始まりました。ドラマとしては弱いのですが、キャストとスタッフが楽しんで作っている感じがいい。名取裕子は昔は大味な大女と思っていたけれど、見事なコメディエンヌになりました。背景の京都も活きています。

 河内長野の友人(女性)が通勤途中に川のそばで死体を発見したとか。男性で水に濡れた蝋人形のような姿だったという。どこの新聞にも載っていないということは、身元のはっきりした自殺体だったのでしょうか。死体を見た友人はショックのようでしたが、死体慣れしてゆく警察官の息子も心配です。

 平凡な日常の中に、常に事件や死が潜んでいるのですね。


映画ダイスキ

 「ナルニア国物語」

 「クラッシュ」を見るつもりで出かけて、時間の関係でこちらになりました。でもちょっと期待したのも事実です。

 ハズレでした。「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリー・ポッター」などの同類のファンタジー大作に比べて、パワー不足を感じました。

 原作に甘えているのでしょうか。それとも、こちらが食傷気味になっているのかも。ドイツの空爆を逃れてロンドンから田舎町に疎開してきた4人兄妹が、、疎開先の古い館で隠れん坊をしているうちに、大きな洋服ダンスの向こうの、100年間雪に閉ざされた不思議な国に迷い込む。そこは白い魔女に支配されていた・・・。おもしろい着想なのに、心弾む映像展開になりません。SFXもよくできているのに、迫ってくるものがありません。

 ひとつは白い魔女にいまいち魅力がないこと。「ロード・オブ・・・」のケート・プランショットとか「アダムス・ファミリー」のアンジェリカ・ヒューストンくらいの存在感が必要です。反乱軍の英雄の巨大ライオンもなぜ現れ、どうやって軍をまとめていったのか、その存在があいまいです。したがって、反乱軍の奮戦でナルニア国に春がやってくる経緯とその喜びが伝わってきません。それが一番の弱点。

 子役はかわいい。大ヒットで続編がまだまだ作られるらしいです。そちらに期待しましょう。

2006年4月19日

17日に行った「造幣局の通り抜け」はやはりきれいでした。
夕なずむ空に、艶やかな八重桜のトンネルが浮かんで。
雪洞がちょっと大げさでしたが・・・
人も昨年ほど多くなく、スムーズに流れて
平日に行ったのは正解でした。

今年の花見もおしまい。京都へ行けなかったのは残念だけれど
それは贅沢というもの。
職場の中庭の散り急ぐ花吹雪を浴びて
来年のサクラは見られるかななどと思ってしまうのも年のせいでしょうか。

友人からメールがあってー

昨日 狭山池の駐車場に看板があって・・・
「蝟集行為を禁止する」と言うものでしたが。
「蝟」はハリネズミだそうです。「蝟集」はハリネズミの毛のように
物事が多く集まると言うことだそうです。


ー「いしゅう」と読めても、意味がわからない人が大半でしょうね。
「このあたりで集会したり、グループで遊んだらアカン」といいたいのでしょうが・・・
お役所仕事(?)の困った面ですね。

昔、なんとか作左右衛門(「一筆啓上」の人ですね)の逸話に
ある時、お触れが出て、部下が立て札を立てたが、領民が全くきかないと聞いて
「・・・するな。これにそむくと作左が叱る」と書いたら
即、徹底したというのがありました。

「わかりやすく」といのは難しいけれど、大切です。

2006年4月16日

 やっと晴れた日曜。雨で順延された富田林のテニス大会。代4シードにぶつかって玉砕。でも相手も手を抜かずに戦ってくれたし、気持ちいい敗戦でした。

 なにより、富田林スポーツ公園の環境がすばらしい。金剛山系の尾根に大きな敷地を占めて、周りは段々畑やサバーファームや霊園。緑と花がいっぱいです。

 新しい家で迎える初めての春。周りの古墳のみどりが美しい。二上山や葛城、金剛山には思いの外たくさんの山桜があって、あちこち薄いピンクに染まっている。

 マンションから見下ろして、町内に大きなサクラを発見。自転車で探すとなかなか見つからない。あちこち走って、古い住宅地の中のフェンスに囲まれた200坪ほどの空地に立っているのを見つける。葉が少し出て、盛りを過ぎているが花はまだ十分ついている。菜園の他に小振りのソメイヨシノ2本と八重桜が一本。大きなサクラの枝が伸びすぎて、フェンスの金網に掛かって、間から突き抜けているので、抜いて、網の上に出してやる。風に吹かれて、改めて大きく枝を揺らし、花びらを散らし始める。

 息子二人が木蓮を知らないというので、車で数分、小学校の校庭に咲く紫木蓮を見せてやる。

 西淋寺。いつも気になっていた、これも古市の真言の古刹。かつては大寺院だったのに、戦乱で荒れ果てて、今は町中にひっそりと立っていて、芽を吹いたばかりの銀杏の古木が歴史を物語っています。高野山が近いのに、真言宗の寺ってあるようでないのです。信仰心の薄い人間ですが、四国の生まれで、どうしてもお経は真言のものが身に付いています。もし、自分に急に何かあったら、西淋寺に話をつけてなと、今日、息子に頼んでおきました。もちろん、そのうちに寺に挨拶しておこうとは思いますが・・・。


最近読んだ本(4月12日記入)

 「社交主義でいこか」 森 毅
 「あと千回の晩飯」  山田 風太郎
 「運のつき」  養老 猛司

 森さんはいつもの口調で。山田さんは真っ正直に自分を語って感動的。養老さんは「バカの壁」よりはるかにかわりやすく誤解の少ない語り口でした。こだわりのある人だと改めて確認。

2006年4月15日

 雨の土曜日、古市発、7時38分の急行に乗って、吉野へ向かう。みどりが萌えだした大阪奈良をずっと南へ下る。橿原神宮前を過ぎると一気に山村の風情に変わる。でも明るい。それぞれの家の造り、玄関、ベランダ、庭の樹木や花、洗濯物などに目が行き、興味が尽きません。駅前の店やスーパー。勢いがあるところ、寂れているところ・・・。大阿太の駅前の南側斜面の宅地(100軒ほどのニュータウン?)は造成されたのに一軒の家も建っていないまま、道路が封鎖されている。

 電車に持ち込んだ本も読まず、酒も飲まないうちに吉野駅に。8時53分。1時間15分のミニ旅行です。


花の吉野

 駅前からもうサクラ。朝早かったせいか、臨時バスにも座れる。雨に霞む沿道に見事な山桜が咲き誇っている。如意輪堂を廻って20分足らずで中千本へ。嫁ハンの身体と、義母の足を考えて、ゆっくり上千本の向けて坂を上る。次々現れる空を覆う山桜の大木も見事ですが、霞の切れ目に浮き上がる向かいの山のサクラのさまざまなピンクのグラディエーションが美しい。蔵王堂は霞んでかすかに見えるだけ。それがまたいい。上千本、花矢倉手前の九十九折りまで歩いて引き返す。上が7分咲き、中は満開です。

 予約していた中千本のホテル「芳雲館」に着いたのが11時。尾根にあるホテルは入り口、ロビーが4階にあたります。早速エレベーターで1階の大浴場へ。浴室の窓が開け放たれておて、サクラが目の前に広がる。驚いたのが、露天風呂。温度の違う二つの浴槽、ガラス窓の付いたスチームバスと水風呂。ぬるめの方の浴槽に浸かっていると、花びらが舞い込んできて小さな花筏が出来る。

 5階の個室(和室)から向かいの桜山を眺めながら、昼食をいただく。サクラ尽くしの会席。雨が少し小降りになって、上千本まで見晴るかすことが出来て、3人とも大満足。食事の後、座布団を枕に少し眠って、もう一度風呂に入って2時にホテルを出る。このごろにはものすごい人出。蔵王堂からロープウエイまでの道は心斎橋なみ。また嫁ハンと義母があちこちの土産物屋に引っかかり、私は地酒の試飲に引っかかり・・・3時15分の急行にやっとたどり着く。

 花疲れと人疲れで、夕刻からしばらく眠り込んでしまいましたが、久々花の吉野を満喫した一日でした。

2006年4月13日

 大空に おほふばかりの 袖もがな 春咲く花を 風に任せじ    清原深養父 「後選和歌集」

 「もがな」は願望を表す終助詞、巨大な袖で世に咲く花をすべて覆ってしまいたいというスケールの大きな歌です。深養父は清少納言のおじいちゃんですね。

 上の息子の骨髄移植にやはり義母からクレームがつきました。その論理は、大事なことなら医者や医学生がまずドナーになるべき。それをしていないのは、大きなリスクがあるはずだ、というわけです。でも、現に苦しんでいる人はどうする、という問題が残ります。義母は入院中の息子の見舞いに行って、もうドナーになってはいけないと説教したらしい。息子も周りの人も困惑したことでしょう。空気の読めない人や(苦笑)。

 義母はおじいちゃん(昨年死んだ義父)が生きていたら決して許さなかった、と言っていたらしい、そこには我々に対する非難も含まれているのでしょうが、27才の一応、一人前の人間のすることに、今更許すも許さないもないだろうと思います。親がそう思っているのに、祖母や、まして死んだ祖父の出番ではありません。

 退院してきた息子に、大変やったなと言うと、もう手術は終わったんやもん、おばあちゃんは関係ないよと笑って、さっさと義母に見舞いのお礼の電話をかけている。かっかしていたこちらより、息子の方が大人やったみたいです(苦笑)。

2006年4月12日

 麓まで 唐紅に 見ゆるかな さかりしぐるる 葛城の峰

 河南町、弘川寺での西行の歌。花もいよいよ終わりです。

 「天坑(てんこう)」。NHK特集から。中国南部の巨大な穴。山に幅数百メートル、深さ500メートル以上の大きな空間がいくつも開いている。何十万年もの間、隔離された世界で独特の変化を遂げた植物や動物、それを支える地下水脈。深い洞窟。まだ踏査は始まったばかり。平凡な表現ですが、ほんとに、中国って奥が深い。


 息子の手術は無事終了。でも、腰が痛いそうです。これは骨髄液を採った時によくある後遺症らしい。職場復帰(明後日)までに直ればいいけれど。入院費は無料ですが、なにやかや費用はかかります。

 でも、提供先の患者さんがよくなればそれはそれでいい。本田美奈子さんは回復されませんでした。どんな方かもちろん知らされませんが(コーディネーターを通して、無記名の礼状を受け取るかどうか、訊かれたらしいですが、息子は断ったそうです)、その両親のお気持ちを考えると、首尾を祈らずにおられません。

 横田めぐみさんのご両親のお気持ちもいかばかりか・・・。韓国の政策もわからないではありませんが、ここは、高校1年で拉致された韓国の少年のご両親の気持ちも思うと、たまりません。許せません。

 それにしても、2004年の日朝実務協議で日本政府代表が会ったキム・チョルジュン氏とは何者だったのでしょう。そこいらのミステリーなど霞んでしまう、国際政治の現実の闇です。

2006年4月11日

 桜に目を奪われている隙に、豆や木蓮、大根、菫・・・いっぱい花が咲き競い出しています。これから1ヶ月あまりが、母の言う「四国の最もきれいな季節」なのでしょう。それは大阪にも言えることです。

 それにしても忙しい新年度はじめ。その中で上の息子は、骨髄提供のため入院、手術。相手があるため時期を選べませんが、私企業なので、忙しい時、有給休暇を取るのは少し気を遣うようです。公務員は今は「骨髄提供」は特別休暇扱いになるみたい。

 と、心配しつつ、互いに忙しくてしばらく息子たちには会っていない現状。上の息子は昨日、未明に帰宅、私が出かけるときは眠っていて、午後から入院した様子です。朝、テーブルの上に息子専用ビールの空き缶が1本あったのと、玄関の靴で確認。下の息子は昨日は非番だったけれど、風邪をひいて部屋でずっと寝ていたらしい。「家族日誌」も空白が続いています。


最近読んだ本

「うらなり」 小林信彦

 「文学界」に掲載された新作。ご存じ「坊っちゃん」の登場人物を主人公に、物語の後日談が語られる。スピンオフというのでしょうか、最近映画でもよくありますね、「踊る大捜査線」の脇役を主人公にしたり、「バットマン」の「キャットウーマン」が独立したり・・・こういう描き方すきです。古くは「ハムレット」のちょっとだけの登場人物「ローゼンクラインとギルデンスターン」を主人公にした舞台もありました。

 さて、松山の出来事から数十年を経て、今度の舞台は東京駅構内のホテル。かつて「赤シャツ」の陰謀でマドンナとの仲を裂かれ、九州に追いやられた気弱な青年教師「うらなり」は、今は姫路に住み、妻も亡くした初老の男。東京に住む娘の家に遊びに来たついでに、かつての同僚「山嵐」こと堀田に会う。そこで語られるそれぞれの人物のその後。

 「坊っちゃん」はちらっとしか触れられません。それは当然。田舎の旧家の人間「うらなり」にとって全く別次元の人間で、クロスしようがないのです。その分「うらなり」の人生がたっぷり語られ、おもしろい。マドンナのその後も描かれます。「坊っちゃん」のきれいな裏返しとしてよくできた作品と思いました。

2006年4月9日

 花見をガマンして、代役で出場したテニス羽曳野市民大会。思いの外、組み合わせにも恵まれて、予選突破。ベスト4に進出できました。比較的楽な相手の第1試合で身体が暖まり、第2試合は、相手が背の高い若いペアで、うち破るのは難しいかと思ったのですが、そこはおじさんチームの粘り。ずっとサービスキープを続けて、とうとう5−5。予選は6ゲーム先取なのですが、このサービスゲームをキープして勝利。4人がザービスオールキープの試合は初めてで、それだけ緊迫したゲームということでした。楽しめました。

 準決勝、そして3位決定戦はもちろん花と散りました(笑)。疲れたけれど、満足の一日でした。


 金本選手のフル出場世界記録が話題ですが、これって、時代に逆行しているのでは?健康や鍛錬、心がけ、運もあります。褒めるべきことなのでしょう。でも、骨折を押してまでの出場などもってのほか。無理しちゃいけない、皆勤や精勤(これも死語?)という言葉が追いやられている現代です。休むときには休むべきですね。

 こんな阪神ファンに失礼な発言も、小中高12カ年皆勤(幼稚園は制服が気に入らず、最初の3日休んだらしい)に免じてお許しください。30年以上前の高校卒業当時はあちこちからめちゃ褒めてもらいましたが、本人(私)はそんな大したことと思ったことありませんでした。

2006年4月8日

 忙しいけれど、しんどいけれど、無理して夜桜見物に出かけました(笑)。

 6日は、桜の宮から天満橋まで大川端を歩く。寒かったのと、平日ということで人は少な目。踊っていた学生たちが浮いていました。

 7日は午後6時に職場を出て、夕暮れの大和川沿いを歩く。ここに2本の大きな桜の木あり。藤井寺まで50分。汗をかく。電車で道明寺に。天満宮の門でスイミング仲間と落ち合い、今度は石川の桜堤を歩く。

 本日、8日は黄砂が激しく舞う一日でした。河南町で4時40分までテニスの後、車を走らせて弘川寺へ。到着は55分。拝観は5時まで。顔見知りのご住職と大奥様が受付におられて、無料で入れてくれる。人の波が去った後のお庭。白砂まで垂れ下がった桜はまさに満開。門前の紅枝垂れも。

 5時20分に弘川寺近くのニュータウン「さくら坂」に住む友人と山門で落ち合い、裏山に登る。山桜(巨木)が美しい。友人持参のお茶を飲みつつ、シュークリームを食べつつ、桜を愛でつつ、気持ちよく1時間ほど歓談。

 7時、義母のマンションに行き、買い物に付き合い、駅前で京都から帰ってきた嫁ハンと落ち合って、3人で夕食。車で駒ヶ谷の駅近くの小さな公園へ。50本ほどの桜が密集して咲いている。空には明るい半月。人の気配なし。贅沢な気分。そのまま車で羽曳が丘へ。四天王寺国際仏教大学への数百メートルの道は桜のトンネル。ここにも誰もいない。10時帰宅。私はぐったり、義母、嫁ハン大満足の一夕。

 この春のセンター入試二次試験の問題(京大)にこんな文章がありました。柳沢吉保に仕えた正親町町子(おおぎまちまちこ)の日記からー。京からの勅使を迎えて接待に忙しい柳沢家は名高い山荘の花見に行くことも出来ません。そこで。

 まだ散らぬ 花しありとも けふ見ずは 明日や名残も 夏の木の本


 まだ散っていないさくらの花があっても、今日見逃したら、明日はもう夏の緑生い茂る木になってしまうだろう 見に行けなくてくやしいわ、の意味でしょう。

 なんや、むきになって花見をしてしまったような今年の春です。

 まさに、満開。咲ききった花は強い風にもしばらく持ちこたえています。職場の中庭の桜は、昨日午後から、わずかに散り始めました。

2006年4月5日

 「ロイヤル・スコッツマン」・・・ 世界で3番目に行ってみたい、スコットランドからハイランド地方。北海道より小さいこの地方を7泊8日かけて巡る豪華寝台車の名前がこれ。日経新聞に写真と記事が載っていました。なぜ時間がかかるのか?それはディナーの時間から翌朝まで停車しているからなのです。そうすれば、ワインも零れないし、揺れで眠れない人もいない。

 なるほど、その発想がいいし、贅沢です。でも、揺れと枕木を越える、ごとんごとんをいう音を子守歌に眠り、朝めざめたら別の町という日本の寝台車の風情も捨てがたいと思うのです。

 アイ高野(55歳)、松本竜介(49歳)というかつて一時代を風靡した、そしてまだ若い人が亡くなったと思えば、村上元三さんが96歳で亡くなったという(失礼ながら、もうとっくに亡くなったと思っていました)。人生、わかりまへんなあ。村上元三さんはんNHK大河ドラマ第3作の「赤穂浪士」の原作者。こちらも一時代を築いた人気作家でした。今、本屋の棚を探してもありません。3人は同じ三途の川の渡しに乗っているのでしょうか。アイ高野さんも村上さんも心不全でした。

2006年4月4日

 仕事がめいっぱい詰まって、捌ききれず、軽いパニックに陥ってしまいました。なんでもない思い違いや言い間違いを続けてしてしまう・・・。何年振りかのことです。年度末と年度初めはどうしてもまとまった仕事があるし、それがこの一年いや、数年を左右することもあります。覚悟も準備もしていたのですが、体力や処理能力が落ちてきているのでしょう。

 こんな時こそミスのないよう、一息入れて落ち着かねば、と思うのですが、次々降りかかってくるので、対応せざるを得ません。走り続けるしかありません。

 でも、考えれば、もっとハードな仕事をしている人がいっぱいいます。夜には帰宅できます。夜桜も見て、うまく休んで、、明日に備えようと思い、職場を6時過ぎにスパッと出ました。でも、気になって仕事をいっぱい持ち帰ってしまいました(苦笑)。

 書きながら思い出したのですが、知人で仕事を3つ持っている人がいました。早朝から深夜まで働いて、若くして家を2軒建てました。でも、50代で身体はぼろぼろだそうです。傍から見ていても長生きできそうにありません。「充実した人生」ってなんでしょう。仕事にやりがいはあるのですが、仕事に追われだすと楽しめません。そこが難しいところですね。

2006年4月2日

 「もんじゃ焼き」というものを初めて食べました。明治に東京で始まったもので、もともと駄菓子屋の店先で小麦粉を溶いて文字の形に焼いて、子供に字を教えたことが始まりだそうです。「文字焼き」が語源なのですね。

 結論から申しますと、手間の割には物足らない味。ボリュームにも欠ける。やはり大阪は「お好み焼き」です。あ、広島の人が怒るかな?ビールの軽いアテにはいいけれど、わざわざ食べに行くことはもうないでしょう。

 のどかな土曜日と打ってかわって、荒れた天候の日曜日。春のテニス市民大会に出場したのですが、雨で開始が大分延びる。水はけのよいコートなので、晴れ間を待って開始。運良く第1試合はサービスリターンがうまく決まって6−2で勝利。

 2回戦、第4シードと当たって、これは玉砕覚悟と意気込んで、サービス練習に入った途端、急に真っ黒な雲が山の上のコートを覆って来ました。「天空の城・ラピュタ」を内臓しているような、巨大な不気味な雲。逃げましょう、と叫んで、ラケットとバッグを掴んで、相手と共に本部のある建物に走る。走り込んだ途端に突風、雷、大雨。大会は2週間後に延期。どうせ負けるので一気にやりたかった、というのは本音で、ま、勝ち上がりの余韻を楽しむわ、と強がって帰って来ました。

 マンションが線路脇なので、午前1時から始発までが、静かなのですが、今、終電後の線路の上で保安工事が続いています。音が気になるというより、深夜の作業ぶりが興味深くて、寒い中眺めてしまいます。明るい照明の下、ピンクの派手な作業ゼッケンを付けて、30人くらいの人がきびきびと動く。時間の制約があるからでしょう、ほとんど休みなく、小走り状態で移動しつつ線路を点検整備してゆく。駅の直前なので、ポイントも多く複雑で、私だったら混乱しそうなところを、淀みなく作業は流れる。雨が降っても続きます。

 今頃、宗右衛門町を巡回をしているだろう下の息子のことを思いながら、年輩の人も混じっている作業員の方々をしばらく見つめてしまいました。 

2006年4月1日

 先日、車内で着替える変な男性について書いた折、ちょっと記してそのままになっておりました「人前(ひとまえ)で化粧する女、撲滅キャンペーン」について報告申し上げます。

 かねがね嫌だと思ってきたことですが、近年異常に蔓延してきました。電車の中でもしょっちゅう見かけます。それも、気を遣ってというのではなく、堂々とやっている。匂いも、態度もめちゃ不愉快です。

 1年ほど前、電車で前に座った女性がやり始めて、いらいらしていました。ところが、そのうちその女性が顔色を変えて席を立っていったのです。どうも私が常々心の中で呟いていた「人前で化粧するバカ女!」という言葉を、そのとき口に出してしまったらしい。

 あちゃー、と思ったと同時に、よっしゃ、これは効果あるとも思いました。それから、折々この手を使っているのです。大概の人は化粧を止めるか、席を移ってゆきます。聞こえるかどうかくらいにぼそぼそ呟くのがコツです。きっと不気味でしょうね(苦笑)。嫁ハンは絶対やめなさい、というけれど、私はこれを社会環境改善の草の根運動として広げたいと思っています(笑)。昨年引越した時、通知が遅れ、しばらく連絡とれなかった友人が、このキャンペーンを知っていて、トラブルを起こしたのではと心配していました(苦笑)。

 でも、なかなかこのキャンペーンは社会的に成果が上がりません(笑)。そのうち「人前で化粧するバカ男」も出現するのではと心配しています。化粧そのものは意味があると思います(もちろん男も)。でも、人前でするものではないでしょう。着替えするのとおなじことなのですから・・・。



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