Kan-Kan の雑記帳


2007年10月30日

 ちょっといやなことがあって、準備室で、まあ、ホットミルクで、気分転換と、冷蔵庫から牛乳パックを取り出すと、手が滑ってカーペットの上にぶちまけてしまう。またや、と一瞬気が滅入ったが、急いで後始末を一生懸命やっていたら、いつのまにか先刻の嫌なことは忘れていました。

 岸恵子さんが、ストレスを解消するには新しいストレスを背負うこと、新しい痛みが前の痛みを忘れさせてくれる、と書いていましたが、そういう事もあるのかもしれません。まあ、場合によるけれど・・・。

 スポーツ大会で久しぶりにバレーボールをする。生徒の優勝チームと職員チームの対戦。ネット際にボールが上がるとついジャンプしてしまうが、実は跳べていない。見事に空振り。年を感じました。私のサーブで4ポイントぐらいは取ったけれど、貢献できず。試合は25対18で完敗。若い力にはかないません。


 帰省報告2

 フェリー乗り場15番スポットで乗船を待っていると、ドアをコンコンと叩く音。70前の上品なご婦人。前の車のドライバーみたい。連れがおひとりある様子。

あのー、フェリー初めてなんですが、どうすればいいのですか?
今治ですね、予約してますか?
はい。
じゃあ、あそこの社務所に行って乗船券を購入、行き先を書いたカードをもらって、車のフロントグラスにつけておくのです。
ありがとう、ございます、行ってきます。
あ、車検証も忘れないで。

 乗船から、船内駐車、車を降りてからもモタモタしてはったので、見かねてエレベーターまで案内(大型トラックがひしめいているのでこれはわかりにくい)、6階のロビーまで付きそう。昔からの友人二人で御四国を廻ってはるらしい。車も高級。女性の二人旅っていいなあ。

明朝は今治、延喜の延命寺からです。
あ、そこ、大叔母さんのお墓ありますねん。今治港から車で15分ですよ、お気を付けて。
いろいろありがとうございました。
にこやかに笑ってきちんとお辞儀をされて、一等船室へ消えてゆかれました。

 フェリーの風呂は大きくて気持ちいい。のんびり浸かっていると、高校生のグループ4人が入ってくる。クラブの試合の遠征かなにかだろう。日焼けして筋肉質ののびやかな体、シミも皺もたるみもない、肌が湯水をさっと弾いている。ちょっとうらやましい。

 また、ドアが開いて人が入ってきた気配。でも見えない。気になって伸び上がって見ると、初老の男性(当たり前)が這っている。あれっと思ってみたら、片足がない。でも、手を添えようがない。ゆっくり湯船に入られて、気持ちよさそうに神戸の夜景に見入ってはる。滑ってあぶないから、這ってはるんだろう。せめて脱衣場からカランと湯船まで手すりがあったらいいのに。

 一足先に浴場から出ると、脱衣場の椅子の上に白い靴下を穿いた義足が一本、ちょっとびっくりしました。

 浴場の手すりのことは昨日、フェリー会社に投書しておきました。障害者の方だけでなく、幼児の問題、そして高齢化社会に向けて、それくらいの配慮は欲しいと思います。

2007年10月29日

 26日、金曜日、夕刻、職場を飛び出して車で梅田へ。ハービスエントの地下駐車場に車を置いて、エレベーターで7階まで。

大阪四季劇場の「オペラ座の怪人」。

 下の息子が互助組合のチケットを譲ってくれたのです。当日券に変えて、嫁ハンと合流する。チケットは完売、満席。

 アンドリュー・ロイド=ウェバーの音楽としては最高のミュージカルだと思います。アリア、デュエット、コーラスどれも美しい。流麗なメロディに、まばゆいセット、豪華な衣装、舞台の楽しみが詰まった作品です。

 20年近く前に今は無き近鉄劇場で見た時より、キャストの歌唱力、ダンスのテクニックは数段進歩していて、迫力ありました。特に、この夜の怪人役の佐野正幸さん(主役はクィンテットキャストで4組が交代で演じています)の歌声はすばらしい(嫁ハンも感動)。

 でも、舞台劇としての緊迫力は落ちていました。全体に暗すぎて、メリハリに欠ける。豪華で明るいシーンは目一杯派手でないと、あとの地下空間などの暗さが際だたない。暗い照明に凝りすぎ。

 セットはもっと重厚であってほしかった。呼び物のシャンデリアはややちゃちで、動きも鈍い。まばゆい大シャンデリアがガシャーンと落ちるから迫力があるのです。あれなら年寄りでも避けられる(笑)。

 ヒロイン、クリスチーヌはもっと若くて可憐で美しくあってほしい。あまりそこに拘ってぶちぶち文句を言うので嫁ハンに抓られました。ドラマとしては三角関係や怪人の苦悩を描き切れていない。まあ、奇抜な展開を楽しみ、歌を聴く舞台と割り切ればそれでいいけれど。

 満席の観客のノリはいい。今春見た「クレイジー・フォー・ユー」もしかり。劇団四季はこれだけ儲けているのだから、そろそろ録音は止めて、生のオーケストラでやってほしい。宝塚は歌唱力はないけれど、生オーケストラの迫力が違います。(そういえば数年前、タカラヅカ、和央ようかさんの宙組で同じ題材で「ファントム」をやっていた。あの時のクリスチーヌは花総まりさんだった。ぴったり)

 怪人が白いマスクを残して消え、緞帳が下りる。9時5分。カーテンコールが始まるやいなや、嫁ハンに別れのキスをして(嘘です)、誰もいないロビーを走って、劇場を飛び出す。駐車料金はなんと2700円(高い!)。即、高速に乗って湾岸道路を神戸に向かう。100キロを越えるのは久しぶり。アクセルを踏み込むと、愛車が嬉しそうに唸って走る。30分余りで六甲アイランドのフェリー乗り場に着く。10時過ぎには今治行きの船内の大浴場に浸かっていました。

 その頃、嫁ハンはまだ、長いカーテンコールが終わって、延々エレベーターを待って、偶然出会った友人と喋りながら、ハービスエントを出たところだったそうです。

 出航は22時40分。湯上がりに5日ぶりに日本酒を少し飲んで、即、眠ってしまいました。

2007年10月25日

 やっと禁酒の5日目の夜を越せそうです。辛かったのは2日目くらい。西田佐知子さんにけだるい声で「やっぱり俺は菊正宗」とうたわれると、高島礼子さんに「ゆっくり愛して」(黄桜)と迫られると、檀れいさんにビールを用意されると、クラクラきていましたが、もう今は平気。アルコール依存症ではなかったんだ!(苦笑)

 それにしても、テレビで酒のコマーシャルって多いのですね。以前はその度に飲んでいたということで、まったくもう。酒から離れると夜の時間もたっぷりある。仕事も出来るし、本も読めるし、手紙も書ける、そして、節約になる、なにより体重が減った!・・・ええことずくめ?

 ま、いつまで持つか、自分にも自信が全くありません。とりあえず、「平日は抑え、週末に飲む」というペースを作ろうかと思っています。が、週末が怖ろしいという噂も。

 この話をしまくると、突然酒を控えて、病気になったり、死んだ人がいるという話をあちこちから聞かされる。規則正しい生活が大事だよ、と真顔で諭されるとナルホドと思う(?)。なんや反対派が多いみたい。なんでや?

 それにしても、長年の習慣を変えるのは難しいものです。嫁ハンもつい酒の肴を作って仕舞って、焦ったりしています。

 明日の夜から帰省します。脱穀や庭や家の手入れが主目的ですが、手ぐすねを引いている父や弟と飲んだらどうなるか?「元の木阿弥」と言う言葉が今からちらつきます(笑)。では、みなさん、月曜日の夜に帰阪報告をいたします。 

2007年10月24日

 美しい昨十三夜の月に続いて、今宵もいい月でした。ハードな毎日ですが、日曜以来の禁酒が効いているのか、体重が減り、動きも軽くなったみたいです。いかにこの夏から飲み続け、体重を増やして来たことか・・・。金曜夜に帰省するので、そこまで酒は我慢。一気に走ります。

 長い夏から一気に秋たけなわへ。朝夕の肌寒さにもう、衣替えしなくっちゃと思うのですが、時間がない。シャツは半袖、下着もすべてまだ夏物、夜具だけタオルケットから毛布へ移りました。

 「冬はまた 夏がましじゃと  言いにけり」   川柳の古典。「夏」「冬」の部分はもちろん入れ替え可能です。

 嫁ハンのライブが土曜夜に北新地のクラブで。普段は会員制バーだけれど、月一でシャンソンの会があり、この日だけ五千円で飲み放題。友人の娘やら、元同僚やらも来てくれて、賑やかな夜になりました。もちろん、それが日曜の二日酔い、体調不良の素に。前回の半端な記述で余計なご心配を掛けました。反省して禁酒生活を続けます。

 二ヶ月ぶりの歯医者。レントゲン検診で改めて歯が一本足らないことを確認。息子二人が親不知で苦しんでいるのに、私は3本まっすぐきれいに生えているのに、あと1本(右下)が出てこない。もう今更生えてこないでしょう、でも、右上奥歯の相手がないので、噛み合わせが出来ず、これはあっても無駄です。いずれ歯茎に負担がかかる、もっと右上の歯が伸びて来たら、抜きましょう。

 えーーーっ!ま、それも親不知に苦しまなかった故の小さな負担かも。素敵なM先生の指示に従うことにしました。


 映画ダイスキ

 まめにチェックしているつもりなのに、すり抜けていた映画を若い友人に教えてもらい、おまけにDVDまで借りてもらいました。大感謝です。

 2003年のフランス映画「ピエロの赤い鼻」

 ミシェル・カンの世界的ベストセラー小説を『クリクリのいた夏』の名匠ジャン・ベッケルが映画化した珠玉のヒューマン・ドラマ。ピエロの格好をして人々を楽しませることを常とする教師の辛く、切ない戦争体験が徐々に明らかになっていく。主演は『クリクリのいた夏』に引き続いてのベッケル作品出演となるジャック・ヴィユレとアンドレ・デュソリエ。戦争というシリアスな題材をユーモアでくるんだ温かなタッチに心が和む。

小学校教師のジャック(ジャック・ヴィユレ)は、毎週日曜になるとピエロの格好で公民館の舞台に立ち、人々を笑わせていた。息子のリュシアン(ダミアン・ジュイユロ)はそんな父親を嫌がるが、ジャックがピエロを演じるのには深いわけがあった・・・。 」


 優れた原作があったにせよ、脚色もまた見事です。「最後の授業」で知られるフランス、ドイツ国境のアルザス地方を舞台に、それでも単なる悲壮な祖国愛からでなく、女の子にええかっこしたい一心からはじまった対ドイツ軍への爆破テロ、そこから派生した壮烈な人間ドラマ。人質として深い穴に閉じこめられた主人公達4人と監視役のユニークなドイツ兵との交流。

 自己犠牲と人間への信頼。そして「笑い」は民族を越えて、人を繋ぐもの、権力や戦争の対極にあるものであることをきちんと静かに描いています。それでいて演出は大胆。明暗の使い分けのはっきりした画面、あえて年月の流れを無視してメークを変えずに(青年期、壮年期を)主演俳優たちに演技させているのも新鮮。オススメです。

2007年10月22日

 山川の 痛み コスモス たちのぼる   林田 紀音夫

 開発や開墾の傷跡にも コスモスが揺れています。

 異論続出のメタボ基準ですが、男性85センチ、女性90センチ以上を変更せずと、肥満学会が声明。そう、それでよろしい。86センチの私としてはあと1センチ減を目指します。まずは指標があってほしい。

 忙しくてビリーズブートキャンプも出来ない。日本酒が更においしくなった。思惑とは裏腹に、ウエスト径は更に増して行きそうです。

 風の強い秋日和。いつもは霞んでいる堺市役所の壁の色も、阪和高速を走る車も見ることができる。老眼というのはスゴイこともあるのです(笑)。

 でも、今日も阿倍野に着いた急行の電車の網棚に、衣類や切り抜きの入った紙バックを忘れて来ました。もう、慌てることもせず、近鉄に連絡、すぐに橿原神宮駅で発見される。バックにお宮かお寺の写真があって「こみや」と書いていますよ、そうですそうです、こみやです。(実は故宮ーこきゅうー博物院の土産入れ)。夕方に古市駅に届けてくれる。ありがたい。

 頭のボケ具合はきちんと進行しているようです。

 日曜は秋晴れ。河内長野の「第1回高野街道祭り」に行きたかったけれど、体調不良でおとなしく家でおねんね。祭りのメインは、大正以来途絶えていた地元の銘酒「味香一正宗(みかいちまさむね」と「米露(こめつゆ)」の復活。飲みたかったなあ。


行く人(10月22日記)

 マルセル・マルソーさん(パントマイム俳優、84才)

 「沈黙の詩人」、ドイツ国境に近いストラスブールでユダヤ人として生まれた。父はアウシュビッツに連行され死亡。自身は本名のマンジェルをマルソーに変えてユダヤ人であることを隠しつつレジスタンス活動に加わる。「音を立てられぬ野営地で、身振り手振りで意志疎通したのがパントマイムの始まりだった」。

 舞台を降りると以外と多弁だったそうです、日本が好きで、公演がなくても年一回は来日していた。9月22日没。

 木原光知子さん(タレント、水泳指導者、くも膜下出血、59才)

 東京オリンピックの時は16才の高校一年生(私は14才)。彼女は輝く美少女でした。10月13日、プールで指導中に倒れた由。これも充実した一生だったかも。

 デボラ・カーさん(女優、86才)

 上品で美しい英国女優。英国の美しい女優のイメージはこの人と、ヴィヴィアン・リーとグリア・ガースンに尽きます。メロドラマの古典「めぐりあい」のたおやかなイメージ、「王様と私」「黒水仙」の高貴なイメージが強いですが、それだけに「地上より永遠に」でのたくましいバート・ランカスターとの不倫に身を焦がす淫乱な将校夫人の役は衝撃でした。高い波の押し寄せる砂浜のラブシーンは伝説的な美しいシーンでした。彼女の黒い水着も。

 アカデミー主演女優賞に40年代から6回もノミネートされて、結局受賞せず。94年に名誉賞を受けたのです。こういう不運は名優によくあって、古くはリチャード・バートン、ピ−ター・オトゥールなどもそうですね。奇しくもみんなイギリス俳優です。 

2007年10月18日

 社会見学で生徒を引率して東住吉区にある、自立支援センター「ピア大阪」へ。地下鉄駒川中野駅から歩いて10分。早川福祉会館(シャープが後援してるのです)の中にあります。

 ピア大阪には、相談、交流フリースペース、自立体験、浴室提供の事業がありますが、自立体験の部屋に感心しました。ベッドからリフトで吊り上げられてトイレや浴室へ移動できる(生徒はワーワー喜んで使っていました)。車椅子用に部屋も広めに作ってある。老化に直面している私は、もちろん両親のことも含めて切実にあれこれ考えました。ワイヤーリフトは200万くらいするらしいけれど、介助のことを考えれば値打ちあるかも。今後こういう仕様のマンションが実際に作られ、増えてゆくのではないでしょうか。

 早川会館として録音図書、点字図書、朗読サービスなどの設備も興味深かったです。また行って見たい。

 ピア大阪で説明していただいた職員の方は、二分脊椎症で車椅子使用の方。「生きにくさが障害を生む」という言葉に力がありました。道路の放置自転車が困るという言葉にも。

 早川会館は4階建てのビル。上階で地震があって、エレベーターが使えなかった時どうするのですか?と質問すると、その訓練もしています、ベランダに出て、救急梯子車の救助を待ちます。なるほど。そのために車椅子でベランダに出られるように作ってあるのです。でも、普通のビル、または高層階の場合はどうでしょう?

 生徒の反応もよくて、一安心。質疑応答でもいろいろあって、面白かったのですが、課題が残りました。それは車椅子用の雨傘。本校にいる3名の車椅子使用者もいろいろ工夫しているのですが、最終的にはカッパを着ている現状です。風の問題もあるのでしょう。一人の生徒は、背中にランドセルのように背負う傘が通販であって購入したそうですが、使ってみたらずれてしまうので、返品したそうです。車椅子の車種にもよるのでしょうが、便利な製品が開発されれば、絶対需要は大きいはず。

 この前のパソコンの件(3つのキーを同時に押さえる問題)で味をしめたので、甘えます。どなたか「車椅子用傘」をご存じの方、ご教授ください。

2007年10月15日

 夫婦同時に誕生日。例によって息子達の招待で、上の息子のホテルで一泊。

 ケーキで迎えられたクラブラウンジで梅田の夜景を眺めつつ、グダーッとくつろぎ、飲みまくり、アロママッサージでうとうとして、至福の一夜を過ごす。スミマセン。きっとバチがあたるでしょう。まあ、それまでもう少しばたばたさせてもらいます。

 そのまま職場へ。厳しい戦場でもありますが、素敵な非日常の時間、空間があったから、しんどい日常にも耐えられるように思います。

 江戸東京博物館で開催されている「文豪・夏目漱石」展。珍しいのは、雑誌広告の切り抜き、それから表紙コレクション、自著の装丁の参考にするつもりだったのでしょうか?でも、かれが切り抜きをしている姿はなんとなくおかしい。たしかにスクラップってストレス解消になると思います。

 11日、ストックホルムで発表された今年度ノーベル文学賞は英国の女性作家、ドリス・レッシング氏に。「草は歌っている」「黄金のノート」・・・題名しか知りませんでした。イランに生まれ、幼少期に家族とジンバブエに移住したが生活は苦しく、14才で学校を離れ、乳母や電話交換手として働いてきたそうです。第2次大戦後、離婚してロンドンに移住。それ以降、ずっと社会運動と関わりつつ、書き続ける。87才。歴代文学賞受賞者の最高齢。ずっと売れない作家だったらしですが、この年齢まで書き続けてきたのがすばらしい。亡くなる前に評価されてよかった。読んでみなければ。

 おいとまを いただきますと 戸を閉めて 出てゆくように ゆかぬなり 生は    斉藤 史

 どのように生を終えるか・・・これからの人生の大きな命題です。定年まであと3年余の幸せな誕生日でした。

2007年10月14日

 今朝の新聞の一面広告に驚き。小林繁さんと江川卓さんの対談。コピーを作ったスタッフはかなりの手練れ。「一生、話しをすることはない、と思っていた。一度でいいから話をしたい、と思っていた」が導入。

 「28年を越える年月が流れた。・・・お互いが胸の内に秘めたるものを持ちながらも、それを伝える機会がなかった。言葉にすることも出来ない想いを胸に沈めたまま2007年9月11日を迎えた。」

 「これはおせっかいかもしれない。しかしながら、お酒というものが出来ることは、人の気持ちを柔らかくし、胸の奥にあるものにそっと花を添えることではないか・・・」

 1979年1月31日の事件を憶えていても、思い出す人はもう少なくなったかもしれません。しかし二人の優れた投手の人生を大きく変えた日であったことは間違いないし、二人にはこだわりがあったことでしょう。

 それをこのタイミングで捉えた広告代理店のセンスがすごい。提供は「時を結ぶ 人を結ぶ 黄桜」 「黄桜」は飲まないけれど(笑)このコマーシャルはしっかり味わいました。対談DVDも制作中だそうです。


逝く人

黒川記章さん(建築家 心不全 73才)

 近年とみに暴走気味みたいで、どうしたのかなと思っていたら、やはりムリをしていたのでしょうか?奥さんの若尾文子さんのコメントに「最後の夫婦の会話が、わたしいい奥さんじゃなかった、と言ったら、そんなこと、そんなこと、と強く否定して、ずっと大好きだったから、と言ってくれた」

 これは、真情?最後のパフォーマンス?それとも若尾さんが上手に言わせたことなんでしょうか?ま、そんないけずな見方はやめておきましょう。個人的には、仕事をしっかりして、したいこともして、晩節を汚し過ぎないうちに、惜しまれて、いいタイミングで世を去ったと思います。


来る人

 アル・ゴア氏 (前米副大統領・59才)

 「人類が引き起こした気候変動にかんする知識の普及に尽力した」という理由でノーベル平和賞受賞。新しい情報局の開設にも関わってエミー賞の授賞式にも受賞者として出席していました。次の次の大統領になる可能性はありますね。

2007年10月13日

 金曜の、鱗雲が西空一面に拡がった夕焼けは美しかったですね。大和川の畔に自転車を停めてしばし眺めました。あちこちから「キレイ夕日です」とメールも頂ました。

 パソコンの3つのキーの問題。これも掲載の翌日に3名の方からすばやいアドヴァイスをいただきました。ありがとうございました。たくさんの方が見てくださっているんだ、とあらためて実感し、感激しました。

 以前、知人から、ホームページで自分のプライバシーをさらけ出してどこが面白いのか、と言われたことがあります。別の人から止めなさいと忠告されたこともあります。

 別に露出狂ではないつもりですが、きれいな夕焼けをみたり、面白い映画を見たりすると、どうしてもそれを人(一人でも多くの)に教えたくなる、語りたくなる、そういう気質を持った人も多いのではないでしょうか?わたしはその一人です。おこがましく、大袈裟ですが、文学も芸術もその気持ちの延長線上にあるように思うのです。それに共感していただける方だけに読んでいただければと思います。

 ただ、このような便利な情報媒体を使っていると、うっかり人(家族を含め)を傷つけてしまうことがあるかもしれません、これは厳しく自戒したいと思っていますし、またそのようなことを感じられたらご指摘いただきたいと思います。


ファッションへの憧れ

 この春、ベルサイユ宮殿で開かれたクリスチャン・ディオールの07秋冬コレクションのビデオを見ました。招待客は3000人(各界のセレブ、有名女優もいっぱい)。華麗な宮殿に負けないゴージャスな催しに感嘆して見入りました。

 ディオールの現在のデザイナーはスペイン出身のジョン・ガリアーノ。フラメンコをバックに繰り広げられるショーの金の掛かっていること。

 実は今まで、外国の豪華なドレスを見ても、はやり日本の着物(能衣装なども含めて)の織り、生地、染めには叶わないと思い込んでいたのです。 今回認識を新たにしました。

 オートクチュールのデザインのすごさ、生地、刺しゅう、帽子、靴、コート、メーク、アクセサリー・・・凝りまくった絢爛豪華な装いを纏うのは、それに負けない個性を持ったエヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベルらのトップモデル達。映画も舞台もコンサートも総合芸術と思いますが、ファッションショーはたくさんのスタッフと、特にその後ろに気の遠くなるような職人さんたちの仕事ぶりが伺われるのが胸に響きます。どこの国も、衣装の歴史は深く重いものなんですね。

 アフターパーティは宮殿の庭にばかでかいフライパンを出してのパエリアはじめ、スペイン料理をふんだんに振る舞う。ショーの最後に闘牛士の格好をして登場したガリアーノ(小柄でモデルさんの顎くらいまでしかない)はここでも乗りまくってフラメンコを踊っていました。イチビリなおっちゃんや。ちょっと引いた方がかっこいいのに・・・。

 ファッションで奥が深くてややこしいですね。見るのは楽しいけれど、装うのは大変。女に生まれなくてよかったとつくづくと思いました(笑)。モデルさん達は食べないので、いつも飢えていると聞きましたが本当なんでしょうか。

2007年10月11日

 近鉄、土師ノ里の駅前の、私が勝手に名付けた「やっさん」の家。今朝(7時半)は玄関が半分開いて、そばの車庫(50ccのバイクが置いてある)の中に、男物の下着が干してある。まだ夏物だ。そろそろ衣替えしいや!と密かに声を掛けて通り過ぎる。

 同僚とやっているブート・キャンプ。やっと慣れてきて、少しは腹も引っ込んだみたい?今日、気付いたことは、運動中、声を出せとビリーがうるさく言っているのは、意気を昂めることはもちろんだけれど、息を吐かせる為の所作だったんだ。長年生きていても、気が付かないことがいっぱいありますね。

 心の隅に引っかかって取れない小骨のようなものがある、そんな時は信頼する社会科のYさんに質問に行く。

 ねえねえ、安倍前首相の方針はそんなに間違ってはいなかったように思うのだけれど、身内から次々足を引っ張られて、自爆したみたいやねえ。どうも、そのあたりが不自然に思えて仕方ないのだけれど・・・閣僚のスキャンダルや失敗はこれまでもいっぱいあったはずなのに、これほど続いたのはなぜ?

 Yさんの返答

 それはね、菅さん、安倍さんに対する閣僚の反乱なんですよ。小泉さんの路線を継承して閣僚の影響力を排斥してゆこうとする在り方に危機感を感じたキャリア達が、安倍さんを倒すために、つぎつぎ握っていた情報を民主党にリークしていったのです。

えーっ。でも、そうすれば、民主党が政権を握っても、新しい癒着の構図は残るでしょ?

うん。でも、とりあえず、小泉、安倍の流れを断ち切ればよかったんだよ。後はまた新しく絵を描ける。

うーむ、なるほどなあ。

閑話休題

 このHPを読んでくださっているみなさんに質問と御願い。片手しか使えない体の不自由な生徒がいます。パソコンを使っていますが、ただひとつ、CTRLとALTとDELETEの三つのキーを一緒に押さえなければならない場面がありますよね。DELETEはぽんと離れている。これが難しい。

いい知恵はありませんか?

2007年10月10日

 かつての体育の日。そして今、目の日。東京オリンピックは遠い彼方。来月公開の「3丁目の夕日」はまだ高速道路に覆われていなかった日本橋がシンボルイメージ(目の付け所がいいな、前作は建設中の東京タワーがイメージでした)。

 東京の空が広かった時代が描かれます。楽しみ。北京のオリンピックによる都市破壊を批判なんてできません(したいけど)。日本も同じ事をしたのです。

 午後8時まであれこれ学校で。生活指導問題でいろいろ問題を抱え、ほんまに部長を中心に精一杯がんばっているのに、なかなか難しい。人生経験がある保護者はまだわかってくれるけれど、肝腎の本人達が理解できない苦しさ。

 家に帰ると、「超生豆腐」と「雪塩」が待っていました。これでは飲まないわけにいきまへん。「加茂鶴」のぬる燗で酩酊。丁度、テレビでやっていた世界の絶景、ベルギー、フランダース地方、アントワープのノートルダム大聖堂、ルーベンスの絵のシーンを見てしまう。賛美歌320番も流れて来てもうダメ(笑)。リポーターの釈由美子さんと一緒に号泣。

 今更ですが、古いスクラップを読んでいたら、懐かしい記事が。「世界が100人の村だったら」・・・「少しでも家に貯金があって、偶には小銭が転がっている」そういう境遇は一人なんだ。そう、ウチもそうです。それなのに、贅沢いって、文句言って・・・こんなに恵まれているのに・・・改めて、反省。

 結合双生児 ベトさん 26才で死去。 88年分離手術 2006年に兄弟のドクさんが結婚したが、式にも出られず、意識もなかった・・・。ベトナム戦争の文字通り落とし子でした。あの時ジャングル戦で使われた枯れ葉剤の一部は、日本でも蜜柑山の除草剤の一部に使われていました。夏休みに帰省して、除草剤を散布すると、次の一日寝込んだものです。


竜胆や 枯葉がちなる 花咲きぬ  蕪村

 りんりん竜胆は、濃紫・・・と唄っていると、それなんですか?と若い人。島倉千代子を知らないの?知ってますよ、「しまったしまった島倉千代子」というおやじギャクでしょ?その人、歌、唄う人ですか?

 ちなみに「りんどう峠」という歌でございまする。


最近知った言葉

「 エンバーマー」

 損傷した死体を修復する仕事。 日本に現在51名いるという・・・これもベトナム戦争の落とし子。学生時代、沖縄や横須賀で運ばれて来た戦場の遺体を修復する仕事をしていた知人がいました。すごい高給だったと聞いています。今はどうなんでしょう?姪の事件の時も、保険会社の関係の人が修復してくれたと聞きましたが、保険会社との繋がりがあるのでしょうか?ミャンマーから帰国したカメラマンの遺体はどうだったのでしょう?

2007年10月9日

 久しぶりの学校。緊張して出かけましたが、あっという間にもとの世界に。メリーゴーラウンドではなく、ジェットコースターですが・・・(苦笑)。

 授業はもちろんですが、生活指導の事件が重なり、警察との対応もあり、昼食を摂る時間もなかったのに、夕刻にはどっと体が重くなっていました。

 それにしても・・・事情聴取、今日の警察との対応も含めて、今の(ウチの)生徒はなんときちんと話すことが出来なくなったのだろう。時間の流れ、主語述語、自分の気持ち、すべてええ加減に述べる。正直、不正直というのではなく、反省は無く、保身はあるが、ずるく立ち回ることさえも出来ない。もちろん倫理感なんて論外。

 つくづく、考え込みました。彼らはこれからどうなるのだろう・・・?

 朝のラジオで有名な新聞の編集長が、秋来ぬを「あきこぬ」と読んでいてちょっとがっかりしました。「秋来ぬ(きぬ)と 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」の古歌を引用したのですが、これも時期がずれています。もう目にもはっきり秋が見えてきている時ですね。彼岸花は終わり、ツバメは去り、雲は変わり、今夜は金木犀が匂っています。


 「雨に唄えば」

 夜半に帰宅すると、懐かしい映画をやっていました。ジーン・ケリーの有名な雨の中のダンス、すごいなあ、このエネルギー!と感嘆する家族に対して、指を折りつつカット割りを数えている自分。これはよくありません。私の計算では11カットでしたが、放映後、山本晋也監督は8カットだと言ってました。やはり数えてはる人もいたんだ。

 セットとはいえ、雨の中、あんなに一気には踊れない。30秒ごとに、服も着替えて、踊り直すんだと余計な講釈をしてしまいました。素直に感動して見ていた昔が恋しい。

 主演トリオの花一輪、若きデビー・レイノルズより、特別出演の形のシド・チャリシーのすばらしい脚線美とダンスに見惚れました。
 それに後年「ウエストサイド物語」でブレイクする若き日のリタ・モレノが出演していたのを知ったのは新しい発見でした。こういう楽しみがあるから、名画の再見も止められません。

2007年10月8日

俳人、長谷川櫂さんのエッセイから

 小千谷の元住人で中越地震で新潟に避難して、そのままそこに住んでいる友人から新米が送られてきた。そこに添えられていた句。

 山経(やまみち)を 葛(くず)の塞げる 迢空

返事にしたためた句は

 踏みしだき ゆく人もなし 葛の花

二人のやりとりの元にあるのは

歌人 釈迢空(国文学者、折口信夫)の

葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり

 高校時代に習って好きになった短歌でした。迢空忌は9月3日。葛の花の咲く頃です。小千谷の山道を歩く人はいるのでしょうか?

 元の歌が歌われた地は壱岐らしい。この秋、四国の父(86才)が壱岐へ旅行すると言っているのですが・・・きっとこの歌が頭にあると思います。壱岐の山道を歩けるかなあ

 帰国して、まずメールチェック。二百通あまり(ほとんどHメール)を整理。あちこちへ葉書。旅行中の衣類の洗濯のついでに、残っていた夏物を整理。慌ただしく一日が過ぎてゆきます。明日からまた戦場へ。

 もう台北の事は夢の中になりつつあります(苦笑)。忘れぬうちに・・・。久々、旅の項へ。


台北への旅 1

 なぜか出発前、気が重かったのです。同行の友人達はすでにリタイアして生活にゆとりあり。こちらは後期授業がはじまったばかりで忙しい最中。休むのには気兼ねがありました。

 もうひとつ、向田邦子さんの特集があちこちの雑誌で組まれたりして、彼女についての記事や作品を読む機会が先月末から続いていました。二十年前、台湾旅行に行く途中の飛行機事故だったのです。一抹の不安を抱えて搭乗したのですが、乗ったら席が中央席で、外も見えず。しかたなく音楽を聴きつつ、お酒を飲みまくっていると、あっという間に到着。2時間ちょっとの旅。東京より近い。

 桃園国際空港は広くてきれい。しかし天気は荒れ模様。高速を飛ばして、台北市内へ向かう。左手(北側)の山麓に黄色い瓦屋根の巨大なホテルが見えてくる。圓山グランドホテル。「千と千尋の神隠し」の「神さんの湯」の建物のイメージモデルになったというのですが・・・。宮崎駿さんの名前はこの後もあちこちで聞くことになりました。

 閑話休題、ジプリの新作は「崖の上のポニョ」。今日初めて主題歌を聴きました。いつもながら新しい観点で歌い手を捜してきます。今度も新鮮?

2007年10月7日

 先刻、21時過ぎ、帰国しました。

 リニューアルした故宮博物館を見学に台北へ行っていたのですが、めちゃ忙しいなか、年休を貰ったバチが当たったのか、強烈台風と激突。ホテルに缶詰になり(ホテルも一時停電)、結局、年中無休の博物館も臨時閉館になる騒ぎ。2日間、たっぷり見るつもりでしたが、半日しか見られませんでした(苦笑)。それでも、展示物はすごかったですが・・・。

 また、ぼちぼち報告します。

 というわけで、HPをしばらく更新しなかったのは、留守と、出発前の慌ただしさも含めての余裕の無さからでした。ご心配をかけました。

 台湾では100年間で4回目の10月台風上陸(それも迷走)とかで死者も出たのですが、帰宅すると、嫁ハンは、あれ?台風に遭ったの?とのんびりした返答。同行した友人の留守宅の奥さんがすごく心配してはったというのと大違いです(笑)。まあ、これだからウチは持っているのですが・・・。

 こちらはずっと秋晴れだったとのこと。お陰で明日予定(それに合わせて帰国した)のクラブ試合付き添いも、試合が消化されて不要になった由。申し訳ない気分。

 でも、海外はリフレシュにサイコーと思い知りました。国内なら仕事がまだ気になって、同僚に連絡を取ったりしそうですが、国外なら諦めて開き直って、くつろげるのです。また、来年行けるように、仕事と貯蓄に励みます!



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