Kan-Kan の雑記帳


2007年8月27日

 世界陸上、流石に世界のトップクラスのランニングやジャンプ、投てきには迫力があります。その精神力にも・・・。

 10年前に脳内出血で半身不随になって、リハビリ中の友人(元同僚)、瀬古多津治さんの個展準備の為、滝谷不動に10人ほどの仲間が集まりました。絵が趣味だったので、リハビリにも絵を描いてはるのです。来年夏に実施予定。 また、詳しいことが決まったらまたここで紹介しますので、よろしく。

 久しぶりの近鉄長野線から眺める葛城金剛連山の上の満月はきれいで心に沁みました。人工の灯りが少ないのも一因かもしれません。


かつての世界のトップ選手(先週の新聞記事から)

 ルー・ゲーリック

 ヤンキースの大打者。真面目、堅物の彼を変えたのが結婚。相手はシカゴの上流階級出身のエレノア。彼女は夫からトローリングなどの野外生活の楽しみを教わり、西部劇しか見なかったゲーリックは、エレノアにメトロポリタンオペラの「トリスタンとイゾルデ」に連れてゆかれ、ドイツ移民の子で言葉がわかる彼は感激、慟哭する。

 感受性強く、また我慢強かった男は1938年シーズン半ば、初めて妻に「体が動かない」と告白する。調べてみると、手だけで17カ所の骨折のあとがあった。この年、打率2割9分(!)と急落。

 1939年、6月19日、36才の誕生日に医者は「ゲーリックは余命数年」と妻に告知。21日に引退発表。7月4日(独立記念日)にヤンキースタジアムで引退セレモニー。有名なスピーチ。

 「ファンのみなさんはこの2週間私を襲った不幸について、ご存じだと思います。でも、今日の私は不幸ではない。地球上でもっとも幸せな男です」

 そして、最後に妻に感謝の言葉を捧げ、拳で涙を拭った。

 背番号4は米国プロスポーツ初の永久欠番。

松井にもいい嫁ハンを!

2007年8月26日

 このまま温暖化が進むと、50年後の日本は、一年の3分の一が真夏日になるそうです。そのころには生きてはいないだろうけれど、孫やひ孫が生まれて育っていれば、ちょっぴり心配。

 残暑というより酷暑が続きます。寝不足もあったのでしょうが、午前にテニスをして疲れ果て、友人との昼食も意識朦朧、帰宅してビールを飲んで爆睡、目が醒めたら、旧暦7月14日の月が昇っていました。でも寝足りるとすぐ元気になる体質、溜まったスクラップのコピーと一週間の新聞の読み返し、手紙への返事書き、部屋の掃除、ゴミ出しを平行して行う。これで汗をかいて、またたっぷり水分補給。結果的に馬体はますます緩んでゆくようです(苦笑)。


 「椿姫」に対抗できるのはやはり花魁

 虚実を交え、伝説となった江戸の花々。名文の誉れ高い次の恋文の書き手は、吉原、「三浦屋」の「高尾太夫」

夕べの波の上の御かいらせ屋形の首尾は如何おはしまし候や。

忘れねばこそ思い出ださず候。

君は今 駒形あたり ほととぎす


 忘れる時はないから思い出しもしません・・・殺し文句ですね。お相手は60万石の大大名、「伊達綱宗」。芝のお屋敷から屋形船で隅田川を上って吉原に通ったのでしょう。江戸一番の花魁と、男伊達の語源、ダンデイ伊達藩の当主という文句のない組み合わせ。帰って行った相手をすぐ恋文で追っかける恋情。

 でも、高尾太夫には彦根藩士のイケメン、「石井吉兵衛」という恋人がいて、それを知った綱宗は太夫を屋形船に誘い,そこで斬り殺す・・・。

 史実はわからないけれど、役者の揃ったよくできた話です。「切り捨て御免」の時代、吉原、伊達、彦根どこも非難は受けず、イメージダウンもない。高尾太夫は死んで更に「女」を上げた部分もある。ちなみにこの高尾太夫は2代目で「仙台高尾」と後年、呼ばれる。江戸のどこかにお墓があるかも。

 でも、うまい恋文です。これだけの女に騙されれば本望でしょう。

 ここまで書いていて、今回の直木賞受賞作「吉原手引草」(松井今朝子)を読みたくなりました。こちらは「舞鶴屋」の「葛城」という花魁の失踪事件が描かれているようです。

2007年8月25日

 世界陸上、大阪大会開幕。上の息子は朝8時、ホテルの仕事からぐったりして帰宅。

 なあ、なあ、開会式に来はるという天皇、皇后は日帰り?どこか泊まらはるの?カール・ルイスやゲイやパウエルや棒高跳びのきれいなおねえちゃん、あ、エレーナ・イシンバエバさん、どこへ泊まっているん?

 もー、ミーハーやなあ!そんなこと僕が言えるはずないやろ!?と冷たくぞんざいな返事。

 でも、父はめげない。

 そういう時は「知りません」と言うんやで!「言えない」というのは知っているんだ!実はな、お父さんは教師というは仮の姿、国際秘密組織のスパイやねん、情報を流さないと消されるねん。エレーナちゃんの宿舎、どこか教えてえな!

 息子はフンと鼻で笑って、パンを一切れ囓って部屋に消えました。3時間ほど寝て、また出勤するらしい。ホテルにも社員用仮眠室があるのに。ま、顔を見れば安心しますが・・・。忙しい夏の最後に大きなイベントが入って、息子の疲れもピークのようです。下の息子も男子マラソンの警備に駆り出されているらしい。ビール飲んで、競技を観戦している父はちょっと申し訳ない気分で3本のところを2本に抑える。

 マスコミが騒ぐ割には、地元で盛り上がっていないように感じるのはなぜでしょう?大阪市民の友人に訊いても、今回はボランティアの募集も少なかったようです。短期間の行事だからかな?

 トラック競技で靴が脱げて棄権した選手あり。なんで裸足になって走らないんやろ?と呟いていたら、嫁ハンが、裸足ではトラックが痛くて走れないのとちゃう?でも、ローマオリンピックの時、アベべは裸足で石畳の上を走って優勝したんやで、と話していたら、起きてきた息子が、それ、いつの話?誰の話?


 永井荷風の「ふらんす物語」から

 まことに数多き花束、花環のさまざまは棺の形して、さほどには大ならざる長方形の石碑を覆いたり・・・中略・・・いつしか止みたる雨の雫、花弁と共に落ち、散じて、濡れにし石の面には

 アルフォンス・プレッシイの墓

 一八二四年正月一五日生
 一八四七年二月三日卒
 往生安楽園  の文字刻まれたり。

 あの「椿姫」は実在したんだ。妖艶な美女のイメージがありますが、享年24才。若い。デュマの原作、そして歌劇と、19世紀初頭の、いかにも華やかなパリ社交界を舞台にした虚構の世界のように思っていました。

 それにしても、彼女は元々は高級娼婦、死後これほどまで愛されるとは・・・パリ滞在中に訪れた荷風もこの時、菫の花束を墓前に捧げたそうです。ロマンチストなおっちゃんや。日本で花魁の墓はあったかな?あ、どこかで吉野太夫のお墓をみた記憶があります。

 古い話ですが、戦前、女優、岡田嘉子が樺太から恋人と共にソ連に亡命したとき、撮影していたのが「椿姫」だったそうです。近年では大阪の舞台でも太地真央さんがヒロインを演じていました。

 それにしても、歌劇「椿姫」はいい。「トラビアータ」という言葉の響きも・・・。高校の音楽の時間に習った、劇中の「パリを離れて」は今でもフルコーラス歌える、と言って歌ったら、嫁ハンが悶絶していました(苦笑)。

2007年8月24日

 ハードな一週間の締めは、気の置けない仲間との飲み会。それも半端ではいけない。「頭髪問題研究会」(略称TMK)と称して7年、年数回ながら、思い切り飲めるおっさんたちの集い。

 会員は「頭髪に問題があり」、しかも「酒に飲まれる」という条件をクリアしたアホ共。現在4名。その場のみんなが飲むというのは気楽なものです。注ぐのも注がれるのも注文するのもええ加減で気を遣わない。大将心づくしの鱧のおいしさ、ビール1ダース、酒一升あまり。割り勘もスムーズ。3時間で散会。また、やりたい。


 夏が来ると思い出す

 1923年(大正12年)、有島武郎と美人編集者波多野秋子は軽井沢の山荘で心中。美男美女(有島武郎の息子はあの美男俳優、森雅之・・・半端ではない)の「道ならぬ恋の道行き」は大正ロマンチシズムにどっぷりの世相と重なって大反響。心中事件も相次いだ。

 その有島の遺書

 「山荘の夜は一時を過ぎた。雨がひどく降っている。私たちは長い路を歩いたので、濡れそぼちながら最後のいとなみをしている。森厳だとか悲壮だとかいえばいえる光景だが、実際私たちは戯れつつある二人の小児にひとしい。」

 有島が初めて使った「いとなみ」という言葉が新鮮で評判を呼び、流行語となり、やがて辞書に載って「性交」を表す言葉として定着する。

 美男美女の死体は数週間後に発見され、天井から下がった腐乱したふたつの死体からは蛆虫がぽとぽと落ちていたという。心中はそんなに美しいものではない。

 ここからは瀬戸内寂聴の文章で初めて知った話。寂聴さんが晩年の里見(有島の実弟)から聴いた話。

 有島武郎と波多野秋子は、秋子の夫に不倫を嗅ぎ付けられ、執拗な脅迫、恐喝に追いつめられた末の心中だったのだ。死後の世間との対応、波多野の夫との始末に里見は随分苦しみ、金も遣って、遺族にとって「思い出したくもない事件」だったのだそうだ。

 数十年を経て、初めてわかることもある。わからないままのこともある。聞き出した寂聴さん、えらい!? 

2007年8月23日

 一足早く、授業が始まったら、授業のない他校生や、ぶらぶらしている奴らが、ツレがおるからと、勝手に学校に入ってくる。オートバイで乗り付ける奴もいる。平気で校内を歩く。何考えているんやろ?追いかけ回して(逃げる)注意、退出させる。基本的な常識もないアホの為に、明日から校門で1時間単位の交代で立ち番です。暑いやろなあ。

 でも、私は開襟シャツ一枚、警察官の下の息子は防刃シャツ(厚い、重い、暑い)で熱帯夜のアスファルトの上を巡回しているのだ。ごめんな、お父さんもがんばるわ。

 「甲子園大会が終わったら秋」のはずが、残暑というより猛暑が続きます。昨夜来の雷雨でちょっと落ち着くかな?

 母校はベスト8で敗退。息子の彼女の母校との対決はなりませんでした。優勝は佐賀北。接戦を勝ち上がってガバイ旋風とか。確かに公立で、特待生もおらず、選手の身長も低い。全員が地元の軟式野球の出身というのもいい。監督は国語の百崎先生。毎日、部日誌に朱でコメントを書き入れる。「文字の方が子どもの本音がわかるのです」。

 でも、百崎先生は6年前も前任校の野球部を甲子園に連れて行ってはる。かなりの指導力と見た。でも、大変やろうなあ。愛媛で県大会2回戦クラスの公立高校の野球部(それでも年間予算2百万円、ちなみに他の部は数万円)の顧問をしている友人の話でも、「休みは年に数日」だそうです。どこかおかしいなあ。

 就職試験が迫り、履歴書指導、面接指導、服装指導・・・つい、あれこれ面倒をみてしまう。ここまでやらなければならないのか、ここまでやっていいのかとも思います。でも、やらないとできないしなあ・・・ま、とにかく調査書作製に励みます。


瀬戸内寂聴さんの交友録から。

 里見とん(弓偏に享です)は「白樺」の同人で、志賀直哉を兄貴分と慕い、二人は非常に親しくしていた。ある日、志賀から突然「汝、けがわらしき者よ」という葉書が来て、一方的に絶交され、それは晩年にまで及ぶ。里見はその葉書を9年間机の前に貼って睨み、「絶対いいものを書いてやる」と闘志をかき立てたそうです。

 最晩年に行き来はあったようですが、絶交の理由は最後まで不明。その葉書が里見を大成させたとすれば、「運命って不思議」です。


 それにしても志賀直哉・・・キライや。

2007年8月20日

 今日は義父の3回忌。朝出勤、明日からの授業の段取りをし、休暇を出して、息子に車で迎えに来て貰って大阪市内の菩提寺に向かう。車内のテレビで炎上する飛行機を見てびっくり。後で全員無事と知る。それにしても、十秒余りの余裕しかない危機一髪の脱出劇だったのですね。事故の続く中華航空機、整備は大丈夫なのか?

 本堂で法要、右隅に白い長い箱が見える。よく見たら棺桶。この後、急な葬式が入って・・・と和尚さん。ということは、もう中に亡き人が・・・これもびっくり。

 内輪での法要なので、数人で息子のホテルで会食。いつも来てくださる親戚の老嬢ペア87才と83才の、お若い方?が欠席。暑さで体調不良かと心配すると、仕事が忙しいとのこと。孫の事務所で電話番をしている・・・これにもびっくり。次の7回忌ではお会いできるかなあ。

 ビールをしっかり飲んで、トイレに行き、ドアを閉めると、ビー!と音がして、トイレの蓋が上がってゆく。噂に聞いていたが見るのは初めて。ちょっとびっくり。


驚きの訃報ふたつ

 南風洋子(みなかぜようこ)さん

 素敵な女優さんでした。元タカラヅカのスターらしい華やかさと劇団民芸で鍛えられた演技力。「奇跡の人」のサリバン先生は当たり役でした。膵臓癌。77才。

 山口小夜子さん

 憧れの人でした。パリコレで活躍、世界のトップモデルになっても独特の自分のスタイルを崩さず、芝居にも挑戦。年令不詳の美しさでしたが、57才。同年代だったんだ。肺炎か?港区の一人暮らしの部屋で亡くなっていたそうです。

 明日から授業開始。少し早自分の時間割がわかりません。これには驚かない(笑)。単位制なので全員、時間割が違います。仲の良い○○に訊いてみいや、訊いたけど、あの子も憶えていません。明朝、早めに学校にいる私に電話することになりました。やれやれ。

 待ちかねた羽曳野の名産の葡萄、「翡翠」が店先に登場。でも、一房二千円にびっくり。マスカットに似た「ハニー・ビーナス」五百円に変更。翡翠の値下がりを待ちます。


夏の朝茶

 支度が出来たことを、亭主は蹲(つくばい)に流し入れる水音で知らせる。客は耳を澄ませて、合図を聴き取ろうとする・・・。

そんな静謐な時間がいつか持てるかなあ。

2007年8月17日

映画大好き(8月17日記)

「もがり(漢字が出ません)の森」

 BSで放映したものを見たのですが、やはり酒を飲みながら見たのではあきまへん。河瀬直美監督が自信を持って撮っている。地に足がついているというのはよくわかりました。

 特筆すべきはやはりカメラ。里山の、あるいは奈良の緑滴る広葉樹林(原始林ではありません)の美しさ。緑陰、森の奥の闇は圧倒的。でも、そこには野生動物の危険な匂いやまがまがしさはなく、むしろ営々と自然と共存してきた古代からの人々の霊を感じさせる「映像」です。

 愛する者を失った後、残された者がどう生きるか、近年の大きなテーマですが、それを明確に描き出してはいます。でも、独特のゆったりした川瀬ワールド。酒に酔うリズムに合いすぎて、後半眠ってしまいました(苦笑)。反省。

 凛としたヒロイン、認知症を演じる主人公の男性(河瀬監督のいきつけの店の方でまったくの素人)は好演でした。


「フラガール」

 昨年度の映画賞を総ナメした話題作。これは期待して見ました。それがあかんかった。よく出来ているのです。脚本、キャスト、スタッフ、演出どれも見事。

 斜陽の炭鉱町を救うためにハワイアンセンターを設立、その目玉にフラダンスショーが企画される。貧しい町、純朴な少女たちが、東京から流れてきた元ダンサーの指導で、ためらいや周囲の冷たい目を乗り越え、フラダンスを身に付け、踊る楽しみを見いだしてゆく・・・最後の迫力あるショーシーンまで盛り上げてゆくパワーもすばらしい。拍手。

 でも、それ以上ではないのです。まさに全盛期の日本映画が持っていたいい面をすべて再現している。それが若い人には新鮮でしょうが、私のようなおじさんにとっては、ワンパターンに見えてしまう・・・。優等生が期待通りの90点の答案を提出したみたいで、驚きがないのです。

 脚本の優れた点。東京でSKD(松竹歌劇団)にいたというダンサー(松雪泰子―はまり役)がぼそっと「わたし、エイトピーチェスにいたのよ」と呟く。

 4千人収容できた浅草国際劇場(今は取り壊されホテルになっている)、SKDのレビュー、トップスターは川路龍子、次いで小月冴子、可憐な人気娘役の賠償千恵子、彼女が去った後に入団した妹の美津子。こちらは大人っぽい雰囲気。「エイトピーチェス」は若手娘役8人のダンシングチームでショーの華でした。それを知っている者にはたまらないセリフです。知らなくても雰囲気は伝わる。どこかの映画評でこれに触れている評論家もいたので嬉しかったです。

 ヒロインの蒼井優、助演の豊川悦史、富司純子・・・皆、名演。でも、どこかでサプライズが欲しかった。予定調和の世界です。やはり、みえみえのスト−リーなだけに、結末部分の脚本にもうひとひねりあってよかったのかもしれません。


「トランスフォーマー」

 これも拍子抜け。記録破りのヒット作。確かに金はかかって、最新のすごいCG技術を駆使して、テンポよく、圧倒的な映像が展開します。人型ロボットの表情まで見せるすごさ。

 生命と石を持った、異星からきた金属生命体。これが善玉と悪玉に別れて、地球の存続を賭けて戦う。鍵を握るのは、冴えない男子学生。実は彼の曾祖父が北極で発見したものに秘密があり、フーバー大統領がそれを世界の目から隠し、そのためにあのフーバーダムを作っていたのだ・・。

 壮大なスケールの展開を思って楽しみにしていたら、後半は単なるホームドラマと一都市を舞台にしたオモチャの巨大ロボットによる市街戦にスケールダウンしてしまいます。

 ハラハラするシーンも半端で、主人公たちの家庭や恋愛もきちんと描かれていないから底が浅い。「犠牲なくして勝利はない」と繰り返されるが、何を犠牲にしたのかわからない。「異なるもの(この場合はロボット)と人間の交流」はこの映画のプロデューサーであるスピルバークの好きなテーマですが、「ET」(あまりぴんと来なかったけれど、テーマは明確でした)の半分のインパクトもありません。マイケル・ベイ監督も器用なわりに冗長。20分はカットすべきと思いました。

 最後の激しい戦闘シーンで、酒も飲んでいない(ポプコーンだけでビールは我慢した)のに眠くなりました。折角1800円払って入ったのに・・・。

 しかし、最新CGだけは本当に見事。映画館で一見の価値はあります。

2007年8月16日

 京都は今夜が盆の送り火。故郷は昨夜でした。京都の甥が帰省してくれているので、母も喜んでいるし、助かります。甥は父を「坊ちゃんスタジアム」の四国リーグの試合に連れて行ってくれたようです。感謝。今度メシ奢ってやらなくっちゃ。

 記録的残暑。下の息子はアスファルトジャングルの路上で炙られて、焼け死ぬ!と嘆いています。

 一方上の息子は、通勤の一部以外はずっと厳しい冷房に晒されて、こちらも凍え死ぬ!と喚いています。

 書家、山本峰夫さんの個展開幕。客足も上々。でも、ずっと手直しをしているのが彼らしい。この会場ならではの知人に会えるのも楽しみです。

 甲子園、母校の2回戦結果を新聞で読んでー。

 相手は4投手が継投するチーム。継投の継ぎ目が勝負と、相手投手をビデオで研究し尽くしていた。6回に2番手にマウンドに上がった投手の癖は「続けて一塁へ牽制しない」「2塁ニ走者が居た場合、一度見てすぐ投球動作に入る」これで、「1回目の牽制のあと」すぐ盗塁、続けて「2塁走者を見た直後に走り出し」、エンドランを決めて貴重な唯一の得点を挙げて勝利。

 高校野球も情報戦なんですね。改めて感心。

  プレスリーの30回忌だったのですね。彼も美空ひばりのように最後に輝きを見せました。でも、享年42才だったのだ。故郷メンフィスの彼の豪邸、「グレースランド」はそのまま観光地になり、この1週間で7万人が来るとか。それもすごい。マイケル・ジャクソンの「ネバーランド」もいずれそうなるのかなあ。

 桑田投手ってずっと嫌いでした。すばらしいピッチャーであることは認めるけれど、どこか暗くて・・・。思えば、15才前後からずっと世間に晒されてきた、その屈折があるのかも知れません。今回、の大リーグ挑戦。顔つきが変わってきたように思います。

 彼に関する記事・・・先日の新聞掲載のフリーライター、杉浦大介さんの文章が気になって・・・。

 (前半省略)・・・これは個人的な話だが、そんな桑田の姿を見ながら、筆者はボクシングの元ヘビー級王者、ジョージ・フォアマンの有名な言葉を何度も思い出していた。

「老いることは、決して恥ではないんだよ」

 元五輪の金メダリストで、プロでも若くして世界王者となったフォアマンは、40歳を目前にして現役復帰。当初は冷笑を浴びながら、45歳で20年ぶりに世界チャンピオンに返り咲いた。若き日の運動能力はなくとも、経験からもたらされた知己を武器に再び世界の頂点に立ったファオマン。そんな尊敬すべきチャンピオンと、異国で最高峰の野球に挑む桑田の背中が重なって見えた。

 そのフォアマンの言葉を伝えたとき、桑田が間髪入れずに言った言葉を、筆者は決して忘れることはないだろう。

「歳を取らないと何も学べないんですよ。経験を積むってことが大事。例えばあそこのステーキハウスのヒレ肉がおいしいって言われても、自分で食べてみないとそのおいしさが分からないでしょ? どんなに言葉で表現されたって分からないでしょ? だからこそ、何ごとも経験しなきゃ。体験しなきゃ。挑戦しなきゃ。一回でも自分で触ってみないと、何事も分からないんですよ」


残したメッセージは途切れない

 口で言うのは簡単だが、実際に行うのは極めて難しい。しかも39歳という年齢で、彼が挑んだのはメジャーリーグ。さらに大事な足に故障を抱えながらという状況であれば、なおさらである。

 桑田はそんな苦境の中でも、常に明るさと前向きな姿勢を保ったまま前に進んで行った。だからこそ、見ている者も素直に感動できたのだ。

 今回の戦力外通告で、39歳の挑戦はひとまず終わったと言える。今季これまでに残した実績だけを見れば、他チームからオファーが届く可能性はかなり低いと考えざるを得ない。だとすると、今後はマイナーでチャンスを待つか、あるいはユニホームを脱ぐか。先のことは、まだ分からない。

 しかし、2007年に桑田はメジャーに挑戦し、自分自身でアメリカ野球に触れてみることができた。万人には与えられない貴重な体験を経て、そこに確かな足跡を刻み込んでいった。今後がどうあれ、その姿が色あせることはない。と同時に、メジャーの舞台を降りても、桑田が残していった爽やかなメッセージも決して途切れはしない。

「経験、体験、そして挑戦」

 現役野球選手であろうとなかろうと、桑田自身もまた新たな目標を見つけ、さらなる挑戦を続けて行くに違いないのだ。これから先も、いつまでも。


 今週末に家族と相談して結論を出すという報道ですが、引退するのかなあ。四国リーグという道もあるよ!

2007年8月15日

 明日、書家、山本峰夫さんの個展開幕。今日は搬入。朝、彼の自宅(河南町)で最終確認、車を自宅に置きに帰って、電車で心斎橋の画廊で落ち合う。本人はくたくた、体力の限界ギリギリ、でも仲間6人で盛り上げ、本人もがんばって、個展会場が立ち上がってゆく。その経過が好きです。汚れたガレージで懸命に磨いていた作品が、額縁を得、場所を得て、また新たな光を放ち始める。シンプルで清潔感溢れる展示になりました。是非、ご覧ください。

 今日もきれいな夕焼けでした。雲が少なく、遙か西の空に入道雲が小さく赤く浮かんでいました。

 甲子園、母校は2回戦も勝利。でも、今年はまだ寄付依頼が来ない。昨年の分が残っているのかな?それとも、あえて国体出場(同じ全国大会のはず)のボート部へ寄付したりするへそ曲がりなOBは見放してくれたのかなあ?それならうれしいけれど。

 心配なのは同じ学校出身(但し旧制今治中学)の父が、私の分まで寄付金を払っている可能性があること。確認しなくては(苦笑)。

 息子の彼女の出身校は一回戦で敗れ、一緒に甲子園に応援に行く夢は消えました。

碑(いしぶみ)・・・石に思いを刻んで後生に思いを伝えること  (香芝市民図書館館長 川上さんの文章から)

なぐさめの 言葉知らねば ただ泣かむ 汝(な)が面影と 勲(いさお)偲びて

 この句が刻まれているのはヒロシマ。広島市第2中学校1年生321名と教師4名が作業中の新大橋のたもとで被爆、数日間で全員が死んでゆきました。原爆と知らないで落ちてくるのを43秒見つめていて、全員重傷を負って河に飛び込む。やがて這い上がって家に向かおうとする。多くが失明し、焼けただれ、救出された後も、軍歌を歌い、母を呼びながら死んでいったそうです。最期が判明したのは226名のみ。

 1学年全体が消えた学校というのもすさまじい。永遠に同窓会がない学年なのですね。

 甲子園に大応援団で大挙して押し寄せて、熱狂できる泰平の時代の幸せ。熱気で揺らぐ空に坊主頭の321名の幻を見ます。

2007年8月14日

 友人の書家、山本峰夫さんの個展は明後日、16日から。いよいよ大詰めです。今日、焼き上がった陶板を拝見。緑が鮮やかです。個展会場は心斎橋の画廊、「アングル・ワン(HPあり)」。是非、お運び下さい。

 山田太一さんのエッセイ「逃げていく街」から

 映像作品は、テーマや物語や台詞を乗り越えて、独自の力を持つことがある・・・

 木下恵介の「陸軍」のラストシーン

 この作品は1944年、第2次大戦の末期に、戦意高揚映画としてつくられた。いかにも兵隊向きではない弱々しく温和な少年が、最期には福岡連隊の一兵卒となって、堂々戦場へ向かう船が待つ博多港へ進軍して行く。その隊列の中の息子を、母親が群衆の中をどこまでも追う。

 佐藤忠男さんの文章に助けていただくと

 「クライマックスの行進の場面では、何千人の連隊、何万人の市民をバックにしてあたかも(母親を演じる田仲絹代が)息子を戦場に送る母親の悲哀を独演するようなかたちになった。事実、この場面の彼女の演技は大群衆の熱狂に対してひとりで拮抗するような見事なものであった。

 完成後、政府の情報局は、結局この映画は息子を戦場に送る母親の悲しみばかり強調しているから戦意高揚の役に立たないと判断し、このあと木下恵介監督が引き続き神風特別攻撃隊についての映画の準備にかかったとき、それを中止させた。」(『木下恵介の世界』芳賀書店)

 佐藤忠男さんも推測なさっているが、この時期の木下監督に反戦映画を作る意図など、おそらく意図的には皆無のはずである。しかし仕上がった映像は、大状況に母親がひとりで対立してしまうことになった。軍隊、市民を動員した戦意高揚のクライマックス・シーンが、プロパガンダとしては骨抜きになってしまった。意識の上ではむしろ積極的に戦争に協力しようとしながら、子どもを戦場に送る母親に身を重ねているうちに、国家の論理に心ならずも家族の真情が対立してしまう。

 行進する兵士達の中の息子を追う母親の姿、とうとう追うのを諦めて遠ざかる息子に思わず手を合わせてしまう母の姿は、私も忘れられない。

 主義主張でそのように撮ったのではなく(作家のイノセントは情報局も疑いようがなく、だからこそ逮捕されることもなかった)、作者自身の意識をも裏切って、軍国一色の昭和19年にこのような切実な映像がうまれたことは、木下恵介の作家としての質の高さの証明であり、同時に日本の映像史の誇りではないだろうか?

 戦意高揚映画がその反対になってゆくおもしろさ。しかし一歩違えば、木下恵介の監督生命はおろか、自身の命も危うかったはずです。

 日本は海外の評価を逆輸入してしまう傾向が強くあります。現在、黒沢監督に比べて木下監督の評価がいまひとつ低いのは非常に残念です。この山田太一さんのエッセイをてはじめに、再評価の声が挙がってほしいものです。ちなみに戦後に作られた木下監督の「二十四の瞳」は女の一生、教育ドラマ、そしてなにより見事な反戦映画でした。

2007年8月13日

 朝7時前に家を出て、お盆で空いている市内行きの高速を飛ばして、義父の墓参りに。もうすぐ3回忌です。ビルの谷間の墓地はまだ陽が当たってなくて、涼しい風が通っている。戦災で黒く焼けた墓石があるのも大阪市内ならではです。お墓の花を管理してくれている花屋さんに寄って、半年分の費用を払って、高速で帰宅したら、まだ9時前でした。

 出勤して、5月から伸び伸びになっていた保護者との懇談。4回キャンセルされて5回目にやっと実現。お盆でやっとお仕事の都合がついたのでしょう。でも、やってよかった。秋の卒業式まであと45日。せっぱ詰まってきています。

 今日は夕暮れ時、雲が厚くて、太陽はいつもより、20分早く姿を消しましたが、日没の後の空が雲が美しい。薄紺の南の空に、クリーム色の入道雲がいつまでも仏塔のように聳えています。1時間ほど眺めつつ、また、飲み過ぎてしまう、でも、夏休みもあと数日。もう1年分の夕焼けを見た気分で満腹。


 板坂元さんのエッセイにあった話

 石川啄木の明治42年の日記に「森先生が妾の姉妹に上野に氷屋を出させている」と書いている・・・。

 森鴎外が最初の妻とすぐ離婚して(まあ「舞姫」のエリス事件とかいろいろありましたが)10数年後に美貌の人、「志げ」夫人と再婚するまで、「児玉せき」という女性を愛妾としていたことは知られていますが、氷屋は知らなかった。ミーハーの私ならすぐ覗きに(食べに)行くところです。

 そうか、上野、忍ばずの池、無縁坂・・・名作「雁」はこうして生まれたのですね。

 鴎外が志げ夫人と結婚した時、親友の賀古鶴所(かこつるんど)に「少々美術品らしき妻を迎え」とのろけているというのも面白い。そこまで書くか?で、長年馴染んだ「せきさん」とは切れるわけですが、明治の感覚は今とは大分違います。

 でも、鴎外が調子に乗って、陸軍省に夫人と手を繋いで入って、内外の顰蹙を買ったという話は笑えます。ことは、時の大臣、山県有朋の「森のことじゃ、ほっとけ!」と一言で解決したようですが・・・。

 かんしゃく持ちで周囲をピリピリさせた漱石と違って、鴎外の方が「とっつきやすい親しみあるおっさん」だったようにも思います。

 でも、その鴎外の臨終の床で、泣き伏し取り乱す志げ夫人に、鴎外の親友、賀古が「やかましい!あっちへ行け!」と怒鳴ったというエピソードも、うーむと思わされます。賀古は名家森家の当主にふさわしい最期を望んだのだそうですが、それが鴎外の意に叶っていたのかな。このあたりは「舞姫」の内容ともリンクしていて興味深い。

 鴎外の墓には本人の意思で、すべての称号を外し、名前しかないというのは有名な話です。一度墓参りに行ってみたい。確か、太宰治の墓も隣にあったはずです。

2007年8月12日

 夏休み4日目も炎天。家に籠もって、ひたすら読書と朝寝、昼寝。何時間でも眠れるのが不思議です。若いときは昼寝すると、夜眠れなかったのに・・・。

 そして夕焼け。夕焼けの一大要素は雲の質と形です。今夕は南北に細長い薄雲が三層に拡がり、その間を夕陽が落ちてゆく。刻々と色と光の束を変えて・・・今日は豪華な夕焼けでした。

 風が一番通る最上階、非常階段脇のスペース、消防ホースの入った箱の上にビールをつまみを置いて、なんとも贅沢な?ひとりだけのビアホール。日が沈んだあとの空も美しい。ビアホールはバーに変身。調子に乗って今度はハイボールに切り換えておかわりを重ねる。嫁ハンはクーラーの効いた部屋中であきれています。

 夜の8時からBS「フォーク大全集」を見る。「グリーングリーン」「七つの水仙」「希望」「海は恋してる」「妹」「夢一夜」「我が良き友よ」「卒業写真」「旅人よ」・・・懐かしい歌の数々。いちばん心に沁みたのは「結婚するって本当ですか?」ダ・カーポの澄んだ声は健在でした。それにしても加山雄三ってもう70才とは思えない。若い。山本潤子さんの歌は相変わらずすばらしい。

 帰省ラッシュも一段落。故郷で家族や旧友に会って、一緒にこの番組を見て聴いている人もいることでしょう。


「池波正太郎のフィルム人生」から

 五所平之助監督「朧夜の女」を語る。

 大学生がふとしたことからカフェーの女と愛し合い、子どもができてしまう、堕胎が重罪であった時代であって、切羽つまって伯父のところへ相談に行く。伯父は厳しく意見した上で、女を自分の妾ということにして、子どもは生ませてやってくれ、その代わり女とはきっぱり別れるからと女房に頭を下げる。しかし、結局、女は死んでしまう。その通夜の席に現れた大学生が、本当は自分の妻だ、本当のことをみんなに言うんだと泣きじゃくる。伯父が強くたしなめて、言う。

「嘘をぶちこわしてなんになるか。世の中にはなくちゃあならない嘘というものもある」

池波は言う・・・
「みんながお互いに気を遣い、思いやりながら暮らしている・・・東京とはそういう町
だったんだ、かつて」
「この映画ではね、細かい技術的なことはいいんだよ、別に。ここで大事なのは、物事を理屈だけで解決しようとしても駄目だ、ということ、理屈で解決しようたってうまく行かない、人間のことは」

 さりげないストーリーの中に人間のありかたを語り尽くしているところに、この「朧夜の女」の映画としての価値があるというのです

 俳人としても知られた五所監督は、初めて我が意を得たこの評に感謝して、次の句を池波に贈っています。

沈丁や 夜でなければ 逢へぬ人

 人は人を知るのですね。そして、映画も変わってゆく・・・。


行く人

エロー・ロートシルト男爵(フランス人銀行家、心臓発作、90才)

 「ロートシルト」って英語名で「ロスチャイルド」家のことなんですね。大富豪。第2次世界大戦のドイツ侵攻で荒れ果てたシャトー・ラフィット・ロートシルトの葡萄園を再興した人物。この人のお陰で今年もおいしい赤ワインが飲めます。

2007年8月11日

 朝6時に起床。シャワー、朝食、そして再び竹茣蓙で横になって読書、風が吹き抜けて気持ちいい。最高。居間で嫁ハンがピアノの弾いている。ベートーベンだ。ヘタクソ。うるさい。でも本を読みながらいつのまにか寝てしまう。

 1時間後。目が覚めてもまだ聞こえる。起きあがって、これこれ、ええ加減にしなはれ。消音にするか(電子ピアノ)、窓を閉めてクーラーを入れるかどっちかにしいや。「ピアノ殺人」はごめんやで。嫁ハン納得。

 11時から近所の整骨院でマッサージ。リゾート地のホテルなら高額(市内の息子のホテルでも数万円)だろうが、地元では保険もきいて40分で420円。思わず眠ってしまう。先週と全然凝り具合が違いますネ、という先生にお言葉に頷く。

 午後から、この16日から個展を開催する友人の書家、山本峰夫さんち(河南町、さくら坂)に進捗状況を見に行く。大変みたい。でも。暑い中、ガレージをアトリエ代わりにがんばってはる。あと一週間、がんばれ!

 2時過ぎから6時までテニス。炎暑のコートでふらふら。でも、帰れば今夕も見事な夕焼け。3日連続です。特に今日は最高。オレンジ色から赤へ。沈む夕陽の前に浮かんだグレーの雲が桂林の山々のように見えました。同じような雲を見て、古代の人はきっと西方極楽浄土の仏達の立ち姿を思ったのではないでしょうか?私もおもわず手を合わせそうになりました。

 これを見るために、帰宅後、急いでシャワーを浴びて、下着姿でマンションの通路に椅子を持ち出して缶ビールを2杯。幸い誰も来合わせない。

 陽が落ちると共に、大阪市内のビルの灯が明るく浮き上がる。「街の灯」。あの中に息子のホテルの灯もあるのでしょう。風の強い日の昼頃、ホテルの特徴ある丸い屋根がかすかに光って見えることがあります。今頃部屋から部屋にかけずり回っていることでしょう。

 その息子のホテルの傍にある「大阪ブルーノート」閉店。名門ジャズクラブとして憧れの場所でした。二度しか行ったことないけれど。桜橋にあった前の店が懐かしい。嫁ハンもステージに立ったことがあります。近々新たに「ビルボードライブ大阪」として再スタート。でも、ちょっとさびしい。

 阿倍野の高層ビル計画もいいけれど、でも、これは阿倍野地区で大阪市が推進している再開発に拍車を掛けることになる、とすれば、阿倍野路地裏の馴染みの店はどうなる?いよいよ、追いつめられてきたわけです。

 夕陽を見送って、家に入って「思い出のメロディー」を聴く。中学、高校時代に聴いた歌のインパクトの強さ。嫌いな歌だったのに「恋のメキシカンロック」「涙の操」「マイウエィ」が全部フルコーラス唄える・・・その不思議さ。もちろん好きだった「柿の木坂の家」「思秋期」「アドロ」や、どうでもよかった「折鶴」「夜明けの停車場」も。

 「誰も彼も 通り過ぎて 二度とここへ来ない 青春は忘れもの 過ぎてから気が付く」・・・「思秋期」

 懐かしい歌手が歌います。でも、姿かたちはともかく、声は誤魔化せません。現役とカンバック組の違い、そして「老い」もはっきり出るものですねえ。

 ダークダックスはなぜ三人なのでしょうか?

  中国の小学校へ絵本を送るために行った職員バザーの精算ができました。領収書を添付して、八月初めに配布しました。このHPを通してお世話になった方もあるので、転載いたします。


第6回職員バザー会計報告

 報告が遅くなってすみません!

 最終的には 売上げ

 22,060円 でした!

 そして、  支出

 中国への絵本郵送代 8,500

 サンタナ学園への衣類、食器郵送代 2,900

 ツアーオブ淡路島 実行委員会へ 5,000

 ユニセフへ募金5,660

 1,060

 残金0です。


 例によって売れ残った品物を担いで、「行商」に出て、アベノの路地裏の寿司屋「S」で意識を失う。気がついたら家で、荷物もあり、胸ポケットに800円が入っている。後で聞くと、飲んだくれている私の周りで、常連さんたちが「店」を開き、売り捌いてくれたのだそうです。8品売れたんだ。これもホーリー(堀先生)の遺産かも・・・(笑)。


 京都で育った姪は大阪市大法学部の三回生の時に中国留学したいと言い出しました。女の子だしと姉夫婦、祖父母が心配、反対する中、相談に来たので、ええやないか、これからは男も女もあらへん、どんどん世界に出て行ったらええねん、と後押ししたのが私でした。

 「大阪の不良のおっちゃん」(私のことらしい)も賛成してくれた、と姪は勢いづき、自分で中国語をマスターし、法律事務所でバイトして貯金をため、交換留学生の試験にパスして、飛行機代をけちって「鑑真丸」で神戸から旅立って行きました。北京の大学で学ぶ傍ら、ユニセフの活動に参加して中国農村部の小学校に文具などを贈る活動をしていました。

 姪の死後、数年経って、少し元気になった姉夫婦は、中国農村部の貧しさが事件の一因(犯人は春節を迎えるために農村部から楽山に出稼ぎに来ていた28歳の男)と考えて、ユニセフを通じて農村部の小学校への援助活動を行い始めました。

 私もできる範囲で何かをと考えたのです。最初は自分の小遣いを貯めて絵本を贈っていましたが、姪の存在したことも知ってほしいと思い、楽しみも兼ねて、今の形にしました。姉夫婦は私の活動を知っています。四国の両親には知らせていません。唯一の孫娘を失った両親は、まだ立ち直れず、テレビの「気象情報」の天気図が見られません。画面の左隅に北京あたりが映るからです。


インフメーション

一期生、いずかしクンの所属する劇団「燐光群」の舞台(7月13日精華小劇場)はノンストップ2時間半の人間ドラマ。なかなか面白かったです。

次回バザーは12月に予定しています。衣替え、大掃除などの整理の折に不用品などあれば、いつでも菅までお持ちください。絵本もよければ、ご提供ください。

 サンタナ学園はブラジル移民の方の無認可保育所。滋賀にあります。食器が足らないというので、コップ、湯飲みなどを送りました。ユニセフは今回はイラク難民、ソマリア難民のキャンプへの援助に力を入れています。五〇〇〇円余りで、雨を防ぐブルーシート10枚、毛布15枚くらい送れます。でも、無事届くかなあ。

2007年8月10日

 昨日の近鉄百貨店建て直しの記述で「20014」年と書いてしまいました(本日訂正)。そりゃあ、生きていませんよね(笑)。早速指摘いただいて嬉しかったです。Kさん、ありがとう。

 ところが、これって以前にも同じような事があった記憶あり。それは数字に弱い私の例のドジなのか、デ・ジャ・ヴー(既視感)というより、あまりにそっくりな実体験の印象です。もしかしたら、人は同じ人生を複数回生きているのかしらん?微妙に時間をずらして、同じ失敗を繰り返して・・・でも、ひょっとしたら、人生も配偶者も友人も職業も少しずつ違っていたりして・・・。

 それにしても、300メートル、日本一で興奮したけれど、来週くらいに他の企業や都市が310メートルのビル計画を発表し、そちらの方が早く完成したらどうなるの?昔、霞ヶ関ビルや池袋サンシャインビルに上って、その都度、日本一やと喜んでいた軽薄な自分をちょっと反省。近鉄もそんなことは十分承知の上でのアピールなんでしょうね。

 さて、30数回も夏休みをやってきて、こんなにくつろいだ時間を持った記憶はありません。

 今朝は、早朝6時台に学校へ行って、夕顔、ブーゲンビリア、月下美人(今年も咲かない)などに水遣りをして帰宅。すぐにベットへ、朝寝、昼寝、そして夜もちゃんと眠れるから不思議。ずっと本を読んでいて、疲れたら眠り、また起きて本を読む。もちろん昼食はビール、夜食は酒。

 夕方、今日は金色の夕陽が堺の市役所ビルの向こうに沈むのを(そういえば、堺を舞台にした「黄金の日々」というドラマがありました)マンションの西の通路にイスを持ち出して眺めながらビールを飲む。金色が赤に変わり明石の方の山に陽が沈んでしまう。見上げる澄んだ夕空の高みに光るのはジェットの翼。まだ飛行機からは夕陽が見えているのでしょう。

 深夜のFMラジオの「ジェットストリーム」を思い出す。30年以上前、まだFM東京が試験放送をしていたころから、この番組はあって、愛聴していました。その気障さが鼻について遠ざかった時期もあったけれど、今も「ラジオ深夜便」の間にたまに聴きます。城達也さんが亡くなられて、今は3代目のパーソナリティなんですね。

 8日、癌予防センターの最終検査も無事終了。7月の投薬でピロリ菌は無事壊滅?とのこと。道理でここんとこ飲んでも快調だったわけです。でも、どうしても疑問は残る。12指腸潰瘍でしょ?H2ブロッカーとかの薬は使わないのですか?いえ、ピロリ菌が原因の潰瘍はこれだけで治るのです・・・うーむ。ストレスや食生活は原因ではないのかなあ、まあ、医者がそういうならいいや、と森ノ宮の友人の紹介してくれたインド料理の店で2倍の辛さのカレーを食べ、インドビールでひとりで乾杯。

 阿倍野に引き返し、あちこち歩いて,汗を流し、銭湯で洗い流し、午後6時から友人達が待つ居酒屋で痛飲。その後の記憶は途切れていますが、12時前には帰宅したらしい。

 安倍総理の人事は不可解でした。惨敗した選挙後に赤木農水大臣を更迭したのも、なんで今更この時期に、と思ったものですが。次々続く閣僚の不祥事にもっと早く対処して、自分の不明も国民に明らかにして謝れば、選挙結果は変わっていたかもしれません。

 不勉強で知らなかったのですが、60年安保の時(小学生でした)、時の首相岸信介(安倍さんのおじいちゃんですね)は国会を取り巻くデモ隊の動きを阻止しようと警官ではなく自衛隊の発動を考えたのだそうです。もしそうなっていたら、日本の戦後は少し変わっていたかも。そのとき自衛隊の発動を体をはって止めた閣僚が、農林大臣の赤木宗典(赤木さんのおじいちゃん)だった・・・。それから47年、3代目同士の因縁は深いものがあったのですね。

 高校卒業検定試験も終了。まあまあできたよ、あかんかったわ、といろいろな報告。とりあえず発表は今月末です。大阪府の教職員採用試験も一次から二次へ。途中の記述と矛盾しますが、夏休みだ、仕事は忘れようと思いつつ、実はなかなか現場から頭が離れません(苦笑)。でも、これでも普段を思えば、はるかにましなほうなのです。


最近読んだ本(8月10日記)

「池波正太郎のフィルム人生」池波正太郎
「最後の映画日記」池波正太郎
「大切な人へ」 瀬戸内寂聴
「禁断の園は密の味」朝凪鈴


「柳生非情剣」 隆慶一郎

面白かったです。あらためて書きます。
上に同じ。
弔辞や書簡を集めて興味深し。それにしても広い交友関係。

トップが太地真央さんから涼風真世さんに至る 盛り上がっていた時代の月組の娘役さんでした。偶然にも彼女の舞台はよく見ているのです。なつかしい。特に「リラノ壁の囚人」はいい舞台でした。
久々読んだ剣の男のドラマ。骨太でクールで興奮。
 

2007年8月9日

 残暑 お見舞い申し上げます

 「父を返せ、母を返せ・・・私を返せ、私に繋がる人間を返せ・・・平和を返せ」峠三吉の詩がより沁みる日です。今日も「長崎の鐘」は鳴っているのでしょう。大臣が「原爆投下は仕方なかった」と発言した年の長崎原爆忌です。


 サンライズ・サンセット

 本来なら今頃、故郷の実家で朝早くからあれこれ立ち働いているはずでした。脚立の上で庭木の剪定をしているか、田で稗を引いているか・・・。帰省を諦めて、親に申し訳ないけれど、しみじみ静かな明け暮れが始まりました。今日の朝焼け、夕焼けの美しさ。それを20分も30分も眺めることが出来る贅沢な境遇に後ろめたさを感じつつ浸っています。

 「屋根の上のヴァイオリン弾き」の主人公テビィエ一家はジプシー。戦乱せまるヨーロッパの国境を越えて流離ってゆきます。そして成長した娘達は親の心配、反対を押して異民族の男性と恋をして次々親元を去ってゆきます。めでたい結婚というより、それは2度と会えないだろう親子の別れを意味します。主題歌の「サンライズ・サンセット」が過ぎゆく時と、時代と、別れてゆく、流れてゆく人々哀しみを謳います。若い時にはわからなかった劇のテーマの重さを最近やっとわかってきたように思います。

 前述しましたように息子の彼女と3人で見たPL花火。その時の会話で、甲子園に息子の彼女と私の母校が共に出場することを知りました。3人中2名ちゅうのはスゴイ確率だなあという話になって、もし両校が対決したら面白い、甲子園に応援に行こうぜ、という話になっています。もちろん、彼女側のスタンドで(笑)。

 あ、私の母校は今日1回戦、勝ったみたいです。

 明日の仕事の準備をしなくていい心やすさ。ビデオやテレビをたっぷり見られる。今夜は「ちあきなおみ」。「黄昏のビギン」「夜間飛行」「矢切の渡し」「朝日楼」「ねえ、あんた」「紅とんぼ」・・・名曲、名唱の数々。紅白で歌った「夜へ急ぐ人」は迫力でした。放映されませんでしたが、歌った直後、白組司会の山川アナウンサーが思わず「気持ち悪い歌ですねー」とコメントしたのをよく憶えています。褒め言葉と取るべきでしょう。個人的には「花吹雪」も聴きたかった。引退して15年。この番組は紅白での彼女の復帰を望んでいるというNHKのアピールでもあるのでしょうか?

 阿倍野の近鉄百貨店の建て替えは日本一の高さのビルになるという報道にちょっとワクワク。上階には高級ホテルが入る予定と朝刊にあったので、出勤する上の息子を掴まえて、どこのホテルが入るんやろ?と訊くと、さあ、近鉄やから「シェラトン」やろ?とそっけない返答。夕刊で正解とわかりました。家から望める市内の眺めがぐっと変わることでしょう。それまで生きておれるかな。(2014年完成予定)

2007年8月7日

 午前5時過ぎ。朝焼けがきれいでした。日の出が遅くなって行きます。「熊蝉」の声が少し引いてゆきます。これから「ひぐらし」や「つくつくほうし」に主役が代わってゆくのでしょうか?

 延長した講習も今日で一応終わり。明日から高卒検定試験が始まります。まだまだ生徒の準備不足が目立ちます。まあ、今回頭を打っても、秋にもう一回あるので、それに賭けてもいいけれど・・・。試験が年々易しくなるようなのも、却って心配です。努力しなくてもイージーに外部で単位が取れるようになるのは問題です。

 朝青龍の家の前の大勢のマスコミ。横綱の診察を終えた神経科医が取り囲まれて、質問に応えてペラペラと所見を述べる。曰く、「鬱病の一歩手前」とか・・・これって変。公的存在?とはいえ、医者がそんな個人の症状を簡単にしゃべていいのか?

 大体、横綱の処分問題が新聞のトップ記事になるのがおかしいと思います。地震や台風や参議院選挙関係の情報の方が大事なのではないのかなあ。今更「国技」と言っても、競技人口などでも野球やサッカー、その他のスポーツ種目にはるか及ばず、もう、ひとつの「伝統芸能」、「文化遺産」というべきものではないでしょうか。その最高権威としての横綱に「力」と「品格」(曖昧なもの)が必要というのなら、力(戦績)だけで選ばず、品格とやらが伴うまで横綱にしなればいいのに、興業上の都合で横綱にしておいて、今更困った困ったでは、相撲協会の見通しの甘さが問われます。


新聞のコラムから

 「このままではいずれ破綻します」バブル期、上司に直言したと元銀行員は語る。上は耳を貸さず、貸し出しを増やす同僚が出世。元銀行員は転職。勤務した銀行名は今はもうない。

 1941年8月。30代の若手官僚らが行った模擬演習で、日米が開戦すれば日本の負けという結論が出た。(猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」)それにもかかわらず4ヶ月後真珠湾攻撃が行われる。未来予測を手がけたメンバーは出身母体に帰され、ある者は戦死し、ある者は戦後復興に力を尽くしたという。

 「このままではこの組織はまずい」。そう思ったらどうするか。改革の為に立ち上がるのが正しい姿勢、でも現実は簡単ではない。重荷を背負い、冷や飯を食うより、右から左へ流した方が楽。

 でもしんどいけれど、異論を唱える勇気を持ち続けたいと思う。

2007年8月6日

 毎年書いてます。62年前の8月6日、よく晴れた朝。8時過ぎ、きさよばあちゃん(祖母)は愛媛の実家の裏山のみかん畑で草をけずっていて、はるか上空を北に飛ぶB29(これが、エノラ・ゲイ)を見る。その数分後、海の向こうにするどい閃光が。

 その時はわけがわからなかったけれど、翌日から海を渡って、皮膚のだたれたずざまじい様相の被爆者が多数町に避難してきて、新型爆弾の怖ろしさを知ったそうです。多くの人は助からなかったそうですが・・・。

 戦争を知らない世代の夏。今日の講習に来た7人。だれも今日が原爆投下の日であることを知りませんでした。教えました。

 でも、私も本当の原爆の悲惨さは知りません。そして、長年、平和を享受しています。

 とうとうクーラーを入れて休んでいます。そうすると熟睡するのか、長い夢を見る。昨夜は卒業生を巡るややこしいトラブルに神経をすり減らし、やっと片づいた思うところで目が覚めて、それでも、これから事後処置をしなければと暗澹たる思いがリアルに残りました。寝汗をかき、どっと疲れていました。

 どこまでが現実で、どこまでが夢なのか?漢文にもありましたが、分かちがたいものがあるように思います。

 嫁ハンが無事退院。それはよかったけれど、同室のあと5人の方。大腸癌あり、子宮癌あり・・・みなさん明るい患者さんだったけれど、もう家に帰れないだろうとおっしゃる方もあり。虫垂炎で1週間で退院してゆくのが申し訳ないようで。

 朝刊に載っていましたが、6月から続いたナンバの連続強姦、婦女暴行、恐喝事件の犯人逮捕に、偶然、職務尋問した息子が関わったみたいです。なんで容疑者は犯行を重ねつつナンバにいるの?と思いますが、薬物使用で意識が正常ではなかったようです。それを相手に30分、食い下がって、援軍がくるまで尋問を続けたとういう息子・・・えらいっ!珍しく誉めてやり、夕食に焼き鳥2000円をおごってやりました。

 でも、無事でよかった!!

 俳人、長谷川櫂さんのエッセイから。和菓子に関する本を読んで、和菓子の老舗「虎屋」の学芸員、中山圭子さんに目を付ける、文章も鑑賞力も確かと思って、テレビでの対談を希望する。すると相手に断られる。よその店に食べに行くこともあるので、顔を知られると困るという由。ごもっとも!そもそも料理研究家は世間に顔を知られてはいけない。それとわかれば、店は料理に特別手を加え、場合によっては代金をとらない。これでは誉めないわけにはゆかない。これが料理ジャーナリズムの堕落のはじまり。

 フランスのミシュランの格付けが信頼されるのは、審査員が素性を隠し、代金を払うから。日本はこの鉄則がとことんおろそかにされている。顔を出し、テレビのバラエティ番組にも出る。顔を見せない、知らない中山さん、えらい!


今週の酒

「御前酒」の 『夏雲』 米 山田錦  精米歩合  70パーセント

『夏草』よりさらに辛口、もう、めちゃおいしい。Yさんありがとう!今度はぬる燗でもいただきました。 

2007年8月5日

 早朝、座禅に向かいましたが、もう、お盆のお参りが始まっており、中止となりました。

 夏らしい熱い風が吹いて、洗濯は大助かり。でも、寒がりの私の部屋も初めてクーラーを入れました。

 嫁ハンがいないせいか、次第に冷蔵庫が空になってゆくにしたがって、いろいろなものを発見。大概は捨てましたが、「かつお錦」と書かれた静岡産の佃煮は酒のアテに上々でした。いつ、だれにいただいたのだろう?賞味期限は2006年11月となっていたけど、気にしない(笑)。


 イタリア事情 3

 クーラーの普及率は非常に低い。設置しているのは商店と会社くらい。それもひやっとするのではなく生ぬるい。一般家庭ではほとんどない。バスの中も自家用車もクーラーは効いていない。国全体の湿度は日本より低いけれど盆地であるフィレンツェなどは結構蒸し暑い。

 クーラーがいらない本当の理由は夏の盛り、街の家に居ないからだ。ヴァカンツァで海の涼しい風に当たっているのだ。会社のクーラーの温度が低くないのは節電の為。かつて、ヨーロッパで原子力発電開発の先進国だったのに、1987年の国民投票で開発の「ノー」が出されると、建設直後のものまで閉鎖していった。そして冬時間を導入する。

 のんびりしているようで、この機敏な行動力はどこから来ているのだろう。機械化を慎重に自然に進めようとするイタリア、短期間、一気に国民生活全体の便利化、機械化、国の工業化を図った日本・・・。

 ・・・この情報は「フレンッツェ留学日記」から

2007年8月4日

 もうあんな 所歩いて 夏帽子

 朝顔の いくつ咲いても 同じ色

 ぼうふらの ふらふら沈む 力かな

 ふと見かけた夏の句の強さ。


三島由紀夫の文章から

 『バルザックは毎日18時間小説を書いた。本当は小説はそのようにして書くべきものである。詩のようにぼんやりインスピレーションの来るのを待っているものではない。このコツコツたゆみない努力の出来ることが小説家としての第一条件であり、この努力の必要なことに於いては芸術家も実業家も政治家も変わりないと思う、なまけものはどこへ行っても駄目なのである。

 ある画家から聞いた話だがフランスへ行って絵描きが何を学んでくるかというと、毎朝必ずキャンパスの前にきちんとすわって仕事を始める習慣だそうである。この単なる習慣が日本に帰ってきてから非常な進歩の元になるということは日本人のなまけもの気質と考え合わせて面白いことであると思う。』

 三島由紀夫は勤勉とされる日本人の「なまけもの気質」を指摘する。確かに自分にも当てはまると思う。すぐ、飲んでしまう、寝てしまう、明日に廻してしまう。でも凡人は、「だから」持っているのですが・・・。

 もう一歩、自分を高める努力を怠っているといつも思う。 

2007年8月3日

 2日、夕刻、泌尿器科の医院へ検査結果を改めて訊きに行く。今日の尿検査でも出血は見られないから、やはり小さな石が尿管を傷つけて既に落ちたのでしょう、まだ腎臓に残っている石はいつ落ちるかわからないから、様子をみましょう。来年春にまた撮影に来てくださいとのこと。

 それから、結石は眠っている間に出来やすいのです。就寝4時間前には食事を済ませ(ムリ!)、水分もしっかり摂ってください。水代わりの牛乳(私のことや!)もいけません。カルシウムが多すぎますから。

 「ビールはしっかり飲んでいるのですが・・・?」

 「ビールは却って脱水症状になります(わかります)。水かお茶がいいですね。」

 帰りに受付の素敵な人に「来春、また参ります、よろしく」と挨拶すると、きょとんとしてはる。そうでしょう、若い人には来年ははるか先の話。でも、私にとっては来月のようなものなのです。

 朝夕の通勤経路を変えて、嫁ハンの入院している病院に寄っています。朝、着替えと新聞を差し入れ、夕方回収します。8月1日から院長が交代したらしい。大きな写真入りの挨拶の看板が受け付けに立てられている。病院内外が急にきれいになり、スタッフの対応もどこか違う。トップの交代って影響大なんですね。

 今夕、7月分の請求書が届いているのを見ると、なぜか手術費や部屋代が入っていない。これは院長就任のお祝儀相場なんだろうか、情勢が変わらぬうちに早く払おうぜ、と意気込む私を制して、(バカ)正直者の嫁ハンが事務に問い合わせる。やはり別の方のカルテと入れ替わっていたのです。事務はこちらのミスですと平身低頭。請求額は3倍に。それにしても、手術代など思いの外の料金を請求された、入れ替わったカルテの相手方は驚かはったことでしょう(笑)。


イタリア事情 2

 レストランは、リストランテ(高級店)、トラットリアーナ(大衆店)オステテリーナ(居酒屋風)の3種類。でも、どこも席料やサービス料を取るのでスパゲッティ一皿で2000円もするらしい。数少ない中華店や日本料理店も同じ。カツ丼5000円は驚き。ただし、しっかりフルコース食べるとき以外は結構体重を気にして控える人が多いという。それにしては太った人が多そうだけれど。


今週の酒  「御前酒」の「夏草」

 精米歩合65パーセントの純米酒。すっきり、やや辛口。飲み始めると止まらない。4合瓶でよかった。ぬる燗をするのを忘れていたのが残念。

 心を入れ替え?酒を少し控え、毎日しっかりお茶を飲んでいます。高校卒業検定試験まであと5日。今日までだった講習を延長して直前の7日まですることにしました。もう、追いつめられなければやらない連中が多いのだから・・・(苦笑)。

2007年8月2日

 PL花火芸術を結局、嫁ハンは病院の屋上で見たそうです。羽曳野市内にあるその病院は5階建てなのでまあまあのポジション。屋上に椅子もたくさん用意されていたようですが、観客は10名ほど。確かに入院療養中の患者さんがわざわざ冷房の効いた部屋から出て来はらへんわな、虫垂炎は病気のうちに入らんのかも()

 こちらは、自宅で、上の息子とその彼女との3人で見る。この日は本来、宴会を予定していたので、ビールはプレミアム、日本酒は「御前酒」と1週間前から完璧の布陣。ちびちび飲みながら花火を見る。昨年の様に酔っぱらっていなかったので、豪華かつ繊細で華麗な花火(今年は大玉もさらに大きく、色も多彩でした)を堪能することが出来ました。いやあ、毎年着実に進化しているのですね。PL教団にいる友人にメールすると、「いま戦争状態!」と言っておりました。息子の彼女は紺の浴衣。

 未来予想図ーーーそれにしても、メンバーの変更はあるかもしれないけれど、このような親子3人の形で将来PL花火を眺めることもあるのかも知れないな、とふと思いました。まあ、私が抜けて(死んで)、嫁ハンと息子夫婦というパターンが一番可能性が高い?いや、息子達との同居はないやろ。とすれば、やはり老夫婦ふたり?いや、来年こそ花火見物パーティをやってくれとの友人達の声も改めて高し。よし、ぱあーっとやるで。とすれば、こんな静かな花火見物は今年限りだったようにも思います。

 富田林、河内長野市内の高校に20年いたので、毎夏のクラブ合宿はこの日を避けていました。合宿の宿舎だった滝谷不動の旅館街は1日から2日にかけて、全国から集まった花火師さんたちの宿舎になり、1日の夜は交流会と大宴会で朝まで盛り上がっているようです。

 阿久悠さん 死去。尿管癌。早速、今夕、診察に行った泌尿器科の先生に伺うと、偶にある病気なのだそうです。それにしても、ヒットメーカーでした。パロディ精神、サービス精神、時代を読む目。歌手に見事に嵌った曲を提供しました。人間的には友達になれそうももないけれど(付き合うのがしんどそうー苦笑)、好きな歌がいっぱいありました。好き嫌いを別にして、インパクトが強かったトップ3のは「懺悔の値打ちもない」「舟歌」「ペッパー警部」かなあ。好きな「街の灯り」は酔っぱらって時々口ずさみます。


 イタリア情報 (「伊太利庵」として将来の移住?に備え)「イタリア留学記」より

 イタリアのレストランはほとんどイタリア料理。中華料理店は大都市に数件。日本料理店はめったに見かけない。フランス料理店は更になし。フランス料理はメディチ家の娘カテリーナがフランスの皇室に嫁いだとき連れて行ったコックが伝えたものとして低く見られている。

 要するにイタリア人は毎日毎日イタリア料理を食べて満足しているのだ、バラエティのある食生活に馴れている日本人にはちょっと辛い・・・ナルホド。

2007年8月1日

 河合隼雄さんが亡くなられてもう2週間。魅力的な学者さんだったのに。79才。文化庁長官などにならなければよかった。戦時中から反骨の人で、陸軍士官学校への推薦を断り、反戦思想を睨まれて、姫路高校を内申ではねられる。男ばかりの6人兄弟の5男。3男の雅雄さんと隼雄さんが京大教授に、あとの4人は医者に。秀才一家だけれど、仲はよくて、兄弟で楽団を作っていたらしい。「日本ウソツキクラブ会長」でもありました。もう少し生きて欲しかった人でした。

 全英オープンゴルフでのタイガーウッズ(12位ー惨敗と言われた)の礼節溢れる態度が賞賛を浴びています。人間は調子の悪いときにこそ、本性が表れる。「負けても品格を保ち、正々堂々とした態度をとる」・・・それを大観衆の前でやれる。

 スコットランドの格言「グッド・ウィナーであると同時に、グット・ルーザーであれ」

 医学の進歩はすごい。嫁ハンは傷口も小さく、痛みもあまりない様子。痛かったらどんどん鎮痛剤を打って貰え、アイドル歌手じゃないんだから、復帰が2,3日遅れても、誰も騒がへん!と言って、嫁ハンも苦笑していたのですが、拍子抜け。麻酔の後遺症の頭痛があるくらいです。

 今夜のPL花火、10名を越す来客があるはずだったのをすべてお断りしたので、こちらも拍子抜け。用意していたおいしい酒を上の息子とじっくり飲むことにします。下の息子は勤務。嫁ハンには(面会時間後なので)病院の廊下の窓から見るように言っております。

 友人が今頃、知恵を授けてくれる。「かんさん、救急車でPL病院へ運んで貰ったら、奥さん、特等席で花火が見えたのに!」なるほど、そんな手があったのか・・・(苦笑)



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