Kan-Kan の雑記帳


2007年9月30日

 秋が来ないと言っておりましたが、流石に彼岸を過ぎると一気に朝夕は涼しくなってきましたね。それで、風邪を引いている人も結構います。

 卒業式の夜の打ち上げで痛飲して、例によって意識を失ったのですが、気付くと卒業生達からメールが届いていました。

 叱ってもらってよかった、というのも嬉しいけれど、スゲェ奴になって会いに来る、今は金がないけど、貯めて、なにか買って持ってくる、というのには笑いました。最後のグループニュースには「後ろを向くな」と書いておいたのですが・・・。

 雨模様の土曜日、ゆっくりしようと思っていたら、何してまんねん、テニスはあるよ、早く来いというメール。慌てて飲もうとしていた迎え酒のビールを冷蔵庫に仕舞って出かけました。小雨の中、4時間走り回って、前夜のアルコールは抜けました。思い切ってこの夜は禁酒。ゆっくり本も読めました。暑かった夏も終わって、そろそろビール、いや発泡酒を卒業しなくては・・・。

 ビルマはミャンマー、首都ラングーンはヤンゴンと改称と思っていましたら、実は首都はネピドー(「王の都」という意味らしい!独裁国家だったのか?)という新しい街がこの15年かかって建設されているのだそうです。国内最大都市ヤンゴンでさえ、一日の電気供給が2時間しかないというのに、そんな余裕があるのかい?日本からの経済援助がどの国よりも大きくて、その金に一部で兵器や銃が補充され、それで日本人が殺されるというおかしな循環。そんな税金の使い方はまっぴらです。それが国会でも問題にならない不思議。

 明日からの新学期(後期)に備えて、雨の今日は完全休養。外出はゴミ出しと近所への買い物のみ。こんな日は長年ありませんでした。いかにばたばたしていたか・・・(苦笑)。

 今年のエミー賞の発表、実際のセレモニーは9月半ばでしたが、編集の関係で今日放映。米国で昨秋から1年間のテレビ放映された番組の中から、29部門に賞が与えられる。その授賞式のショーアップ振りが面白い。夕方から夜中まで見てしまう。

 ヘレン・ハント、グレン・クロース、トミー・ベネットら錚々たる大スターが登場しますが、やはり楽しみはその衣装。最近は授賞式の前後のレッドカーペットやアフターパーティも中継される。女優さんたちは提供されたドレス、アクセサリー、メーカー、スタイリストを紹介する。すべてビジネスなのですね。このネックレスは私の家より高価だと正直に言う女優さんも。ベルサーチやラルフ・ローレンに混じって、リーム・アクラというデザイナーの名を今年は何度も聞きましたが、新進なのでしょうか?

 男女優とももちろん服を着こなす体が基本。半年前に出産した女優さんは、今日の式に備えて、毎日2時間トレーニングを重ねたとか。

 大人気の新感覚SFドラマ「HEROES」のメンバーの中で一際注目の日本人、ヒロ役のマシ・オカが堂々と登場。セレモニーで重要な役も演じていました。本名は岡政偉(まさよし)で、東京出身、少年時代IQ180で「タイム」の表紙も飾ったことがある異色の人材。今はジョージ・ルーカスの特撮工房ILMに勤務しているそうですが・・・。彼が両手をあげて叫ぶ「ヤッター!」は流行語になっているそうです。

 最後に主演賞をもらったサリー・フィールドのスピーチから。「母親が世界を支配したら、戦争なんて起こらないのよ。みんな、がんばりましょう!」 

2007年9月28日

 秋の卒業式。朝、準備室で礼服に着替え、部屋を出たところで同僚の先生に会う。改まって、本日はおめでとうございます、と言われて、じーんと来る。もう10回以上経験しているのに・・・。

 我がクラスは4年目の生徒20名のウチ、11名が卒業(全体で17名)。10名が式に参加、式に出られなかったひとりもあとでやって来て、校長室で卒業証書をいただく。卒業できなかった生徒のうち4名が見送りに来て、今日はえらい出席率がええなあと笑い合う。こじんまりと、でも、体育館で紅白の幕を巡らし、椅子も並べて、春と同じ形で・・・。大変な作業、労力だけれど、先生方の心遣いです。

 みんないい顔して巣立って行きました。ほっとして、いろいろあったことも、もう忘れかけている。午後からは、来週からの後期の授業準備や、文化フェスティバルの用意を敢えてがんがんやって、頭の転換を図りました。でも、夜はお約束の打ち上げ会。

 ミャンマーの情勢はもう、なんともはや。僧侶を殺害したり、寺院を壊したり、ジャーナリストを狙撃したり・・・スー・チーさんを長年軟禁していることだけでも、異常だったのに。もう軍事政権は末期的症状なのでしょう。でも、バックに中国やロシアの影も。亡くなった日本人は高校の後輩のようです。撃ったのは、殺したのは名前の出ない「兵士」、そして真の犯罪者は「国家」という、これも形のないもの。誰が責任をとるというのでしょう・・・。

 相撲部屋の「可愛がる」とい名の暴行、致死。新聞報道で、これで我が子を相撲部屋に入れたいと思う親はいなくなるだろう、とまで書かれて、「国技」の危機です。でも、何百年もかかって出来てきた体質が一朝一夕で変わるとは思われません。


この人に注目

 最近神さんは手元が怪しいのか、物(ブツ)の与え方が偏っているようで・・。翻訳家の川上純子さんの文章から。

 リサ・ランードルさん(45才)

 ジョディ・フォスター似の美女で、白亜の豪邸に住む独身貴族、週末は趣味のロッククライミングで過ごすというニューヨーカー。
その仕事は、ハーバード大学物理学部の教授で、アインシュタインの相対性理論以来100年ぶりの大発見と騒がれている「5次元時空論」の提唱者。

 彼女によれば、私たちの住む3次元の宇宙は、より大きな5次元の宇宙の中に存在する膜のようなものだという。この夏にも来日して東大で講演、夜は居酒屋で学生達にもアドヴァイスしていたという。現在、ランドール理論を実証すべく、スイスの地下100メートルの空間に設置された外周27kmの加速器の中で、水素の原子核を作る陽子同士を反対の方向に超高速で走らせて衝突させるという実験をやっているという。もし、素粒子の破片が飛び散って消えれば、その消えた先が5次元時空である可能性がある・・・。将来タイムマシンのような夢の発明に繋がるかも。

 ようわからんけど、すごいスケールの話です。リサさん、ロッククライミングで岩場から墜ちんといてね。

2007年9月27日 その2

 雲が厚くて、「立ち待ち月」の出は遅かったですが、夜半、今夜も美しい月が中天にかかっています。月齢と暦が合わないと言われますが、旧暦(月歴)はアバウトなもの。一年が360日ですから、毎年、公転に対して、5日と6時間近いズレが生まれます。その修正の為に、閏年ならぬ「閏月(うるうづき)」があるのです。

 数年に一度13月ある年があって、今年は1月が2回、数年後に2月が2回というようにして調整があるようなのですが・・・とすれば、何十年かに一度8月、中秋が2回あるはず。その年は名月を2度観賞できるのでしょうね。僕らが生きている間に、それはあるんだろうか?

 数日前の話。生徒の受けた入社試験の発表をそわそわして待つ。11時頃、学校に郵便が届いて、急いでガイダンス(進路指導も兼ねる)部の先生に開けてもらうと、他校の生徒の名前。なんだこりゃ!と怒り心頭の私、いえ、年に数件あるのですよ、と冷静に会社に電話して再送を促す担当者。

 ガイダンス室にいると、下見しているのに入社試験会場が分からなくなった生徒、精神的に不安定で人波に圧倒されて横断道路を渡れなくなった生徒などから電話が入る。受けた先生は、目の前のコンピュータ画面で生徒の現在位置を割り出して、そこを右へ、とか、左へ3ブロック歩いて、そこの陸橋を渡りなさいとか指示してはる・・・。時代は進んでいるのか、より過保護になっているのか・・・。

 それにしても、合否通知を入れ違うなんて・・・。そんなの人事の仕事の基本やろ?個人情報の一番大事なところやろ?確認せんのか?我々もミスはあるけれど、毎月の生徒の出席状況の郵送でも、2,3度は内容と宛先確認します。怒りはおさまらない。

 夕刻、合格通知が届いて胸が少し凪いだけれど。ガイダンスの先生から連絡を受けて、生徒は喜んでいたけれど・・・。あの会社に入って大丈夫かなあ・・・。

2007年9月27日 その1

 最後の3人の授業料が本日、納められました。ぎりぎりセーフ。これで晴れて全員で明後日の卒業式に望めます。午後に式場設営。卒業後、10月に専門学校の試験のある生徒の面接指導。

 卒業の決まった生徒から、公的儀式や集団の中は苦痛なので式への参加を遠慮したいとメールが入る、ええよ、ええよ、その為の単位制高校なんだから、連絡ありがとう、とメールを返す。変なヤツですみません、とまたメール。式後、挨拶には伺いたいとのこと。もちろん、待っているよ。彼女は最低限授業に出て、高校卒業検定試験を最大限に使って卒業資格を手にしました。

 今日、最後の授業料の残り、5万1千円を持ってきた生徒の親は、昨夜からどうやってその金を工面したのでしょう・・・?

 感傷に浸る暇などありません。それでいいのかも知れません。

 十六夜の月は雲に阻まれて・・・いずこに月宿るらむ、という風情でしたが、7時過ぎにはきれいな姿を見せました。

 祭りも近づき、お囃子の練習も佳境に。太鼓もですが、鉦の音はかなり耳に響きます。夜の早いお年寄りには耳障りだろうけれど、この2週間は黙認されているようです。夏の間は大和川の橋の下まで遠征して練習していました。近寄れば、タバコや酒や、気になることも多いけれど、涼しい夜風に乗ってくる賑やかなお囃子を離れて聴くのは気持ちよいものです。

「ビリーの次はズンバ?」

 ブートキャンプでしごかれて、シェイプアップに励んでいますが、あの一方的なおしつけにはやはり抵抗があります。大体、昔からこうやれ、と言われると逆らいたくなる体質。

 でも、今の多くの人は強く言われたい、引っ張ってほしいという思いが強いように思います。うちの息子でも、こうやったら、とか、こうしてくれるか、と言うと、ええ?とかムリ!とか言うのに、ゴミ出しておけよ!とかはっきり強く言うと、渋々従っています。

 次元は違うかもしれないけれど、タクシーに乗る際のポイントは口調にあるという。おずおずと、近くてすみませんが、○○まで御願いします、と言うと、拒否に会ったり、嫌な対応をされる。どかっと座って、ぶっきらぼうに、○○まで!と言い切るのがコツなんだそうです。

 うーむ。で、私はいかついおっちゃん(ビリー)より、やはりおねえちゃんに優しく励ましてほしい。ラテン系エアロビクス「ズンバ」が上陸するようです。軍隊式トレーニングより、楽しく踊りまくって1時間で600から1000キロカロリー消費するという。こちらに切り替えたいと申し出ると、菅センセの動機が不純ですと女性同僚の厳しいご指摘。ごもっともですが、なんとか男性仲間を取り込んで挽回したい。

「笛吹かず 太鼓叩かず 獅子舞の 後足(あとあし)になる 胸の安さよ」  作者未詳

 3年間の主任の仕事を終わって、この半年の、普通のチューター(担任)に帰った気安さをつくづく思います。思えば、私はこの3年で随分髪の毛が抜けました(笑)。首相を降りた阿部さんは胸をなでおろしているだろうか。それとも任期を全うできなかった苦い悔恨に苛まれているのだろうか。福田さんはいきなり最前線で獅子舞の頭を遣わなければならない、そのプレシャーや如何? 

2007年9月25日

 秋季卒業式まであと3日。でも、まだ3人授業料が納まっていない。朝から電話をしまくり、最後には夕方、保護者の職場に顔を出す。こそっと目で合図して、同僚の方に気付かれないように、手短に連絡、納入依頼。でも、あっけらかんと、あら、すみません、明日持って行きます!と笑顔で言われて、ガク!。20日が納入期限だったのですよ。あなた、その笑顔で、ずっと小中の教師や事務員さんを泣かせてきたの?基本的に生徒に責任はないのでしょう。40、50代の保護者がこうなのです。本当に経済的に困っている家ではない。クラスの半数以上が片親の家庭だけれど、この3軒は両親も一応揃っているのです。

 でも、なんでこんなに借金取りみたいな生活せんとあかんねん!?こういう仕事するために教師になったんちゃうやろ?と一人ごちつつ、電車に乗る。阿倍野からの電車から見る夕陽が美しい。東の空にはもう仲秋の名月が上っている。

 ベランダに椅子とテーブルを出して、嫁ハンとミニ月見の宴。冷や奴、枝豆、先週北海道に帰っていた友人がお土産に呉れた、雲丹、松前漬け、そして大女子(おおなご)の干物。二上山、ふたつの塔の上に、老眼で楕円形に見える月に感動。わき上がってくる祭り囃子に虫の声。古市の町を南北に貫く高提灯の列。めちゃええ機嫌になって発泡酒を3本。浮世の憂さはどこかへふっ飛んでゆきました。これやから持っているのでしょう。

 ベランダから見下ろした駐車場に下の息子の車がない!あれ、どうしたんやろ?今夜は仕事上がりで、友達と食事ゆくとかメールが入ってたよ・・・。うーむ、怪しい。名月の夜に、酒を飲まない友達づきあいねえ・・・、○○○だ! 

2007年9月24日

 八尾、竜華の市民墓地に友人の墓参りに仲間3人で行く。膀胱癌で61才で先年あっという間に亡くなってしまった。奈良の住人だったけれど、きっとお父さんのご出身が大阪だったのだろうか。「N家の墓」という墓石の裏には彼と奥さんの名前が彫ってある、昭和50年代の建立。早い時期に用意していたのです。自分で建てた墓に自分で入ってしまいました。

 スポーツマンで多芸多趣味、これからたっぷり遊べると思っていた矢先に、退職金も年金も、使わず貰わないうちに行ってしまった。

 気の早い人でした。一緒に働いたのは30年あまり前の6年間だったけれど、若かった私は彼から段取り、準備、整理の大事さを教わりました。4月の初めには、3学期の考査の構想も出来ていたし、体育大会の用具は彼の手に掛かると、すーと次々スムーズに流れるように出てきました。

 今でも、彼の足下にも及ばないけれど、仕事の流れを大事にし、無駄を省くやり方を自分なりに追求してゆきたい。

 秋彼岸なのに暑い日でした。大阪ではまだだけれど、奈良では彼岸花が咲き始めているようです。

 「チクショー!誰だお前は。いったい、どこのどいつなんだ」昭和15年、当時16才の高峰秀子さんは映画「小島の春」の試写を見て、脇役女優の演技に打ちのめされる。(「私の渡世日記」)

 カメラに背を向けて、洗濯物を取り込む、顔の写らない女性を演じたのは、当時34才の杉村春子さん。舞台「女の一生」で脚光を浴びるのはその5年後。

 日本を代表する女優でした。舞台、映像を問わず、演劇的成果、遺産も大きい。その杉村さんが亡くなって今年で10年。速いものですね。後継者と目されていた太地喜和子さんを先に亡くし、今年、北村和夫さんを失い、劇団「文学座」はどうなるのだろう・・・。

2007年9月22日

 21日午後、半休を取って、病気で自宅療養中の友人を見舞いに、地下鉄、バスを乗り継いで近鉄八尾駅へ。病気が再発、休職したと聞いて、心配していました。こういう時は電話やメールより、会うのが一番。彼の家の近くの、近年出来たというarioという商業施設にある丸善で待ち合わせ。arioはめちゃ大きくて立派。途中のJR八尾近辺は寂れていたようですが、近鉄八尾付近は元気みたい。やはり中河内の中心地です。

 友人に先導されたarioの一階の広々としたカフェテリアは、たくさんの店から飲食物を運べて、ゆっくりできる気の利いた空間。彼の体に障らぬようにと思いつつ、つい、熱が入って2時間も話し込んでしまう。50代後半のおっさんが、いつか30年以上前にタイムスリップしてゆく。私はまだ独身。彼は新婚だった・・・。

 たしかに難病だけど、一病息災ともいいます。これから20年は楽しく付き合いたい。

 自転車で帰る彼を見送って、今度は近鉄電車で鶴橋に出ると、無性に喉が渇いていることに気付き、売店で発泡酒を買って環状線に乗り込む。電車で酒を飲むなんて、行儀の悪いことを、偶にするのは、ちょっといい気分。

 まっすぐ帰る予定を変更。新今宮まで出て、南海本線で堺まで。駅から東へ、与謝野晶子の生家跡の前を通り、アスティ山之口の商店街へ。花金の5時過ぎなのにシャッターがたくさん降りている。賑わいはもっと東へ流れているのでしょうか。

 「ギャラリーいろはに」。友人の彫刻家堀信二のグループ展がこの日から。3月に退職、テニスに大リーグテレビ観戦と酒・・・ぶらぶらしているのかと思ったら、割と本腰を入れて創作していたみたい。力の入った充実した作品群でした。久々のアクリルで浮き上がらせる女体は彼独自の世界です。

 彼の友人の三好さんの鉄工細工(これはいつも素敵)、おなじく津本さんの乾漆、角南さんの粘土を焼いた作品も心に残りました。24日にはジャズの演奏会もここで開かれるとのこと。行きたいけれど、体が持ちません。

 今日は朝から休日出勤してお仕事。でも、前期の成績処理など、一気に片づけてちょっと安心。午後からクラブの試合付き添い。暑い。秋彼岸だというのに真夏の日差しです。相手校がやってくる。うちのキャプテンに、なんで涼しい午前に試合組まなかったん?相手は午前中授業なんです。そうか、ごめんごめん、忘れていた・・・。

 試合中に3年前のクラブの卒業生が訪ねてきてくれる。修善寺のホテルで働いていて、夏休みが取れたという。いろいろ話していたら、急に、私、後輩から怖がられているんです、いろいろ注意するから・・・。

 ええねんで。今は、後輩の機嫌を取るやつらが多いから、君が目立つねん。厳しい先輩は絶対職場に必要な存在なんやで。ちゃんとわかってくれる人はいるから、今の姿勢を貫きなはれ、とアドバイス。きちんと、クラブの後輩と先生方にと、二箱のお土産を持って来ていました。彼女はきっと大丈夫でしょう。 

2007年9月20日

 前期卒業式まであと8日。クラスで授業料の未納者があと4人。なんとか、納めて欲しいと連日連絡。保護者がなかなかです。

 就職試験も今がピーク。会社が確定した状態で送り出してやりたい。専門学校の試験は卒業後になりますが、面接指導をもう少しやってほしいと今夜メールあり。のんびりしたやつも、やっと必死になってきました(苦笑)。

 ビリーズブートキャンプもフルコース(4種類)を終えて、少し慣れてきた感じ。でも、体重は全然減りません(苦笑)。

 光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審。聞けば聞くほど腹が煮えくりかえってきます。「自分をなめないでもらいたい」と当時18才の少年、現在26才の男。何言うとんねん!被害者の夫に、「拘置所に会いに来て欲しい」、甘えるな!どこまで遺族の心を弄んだら気が済むのだ。

歌人の窪田空穂は、シベリア抑留された次男を飢えと病で失います。

親といへば 我ひとりなり 茂二郎 生きをる我を 悲しませ居よ

 親として、嘆き悲しむ以外、もう子どもに愛情を注ぐ術はない。だから、いつまでも悲しませてくれ、と歌う。その人間としての悲しみを想像する力は被告にはないのでしょうか?

 こういう犯罪を犯せる、犯した後もこのように振る舞うことが出来る・・・そういう人間もいることを容認しなければいけないのでしょうが、心の狭い私にはどうしても許すことが出来ません。

2007年9月18日

 虫の声と祭囃子が同時に響いてきます。夜風はさすがに涼しいけれど、昼間の暑さは何?

 振り返れば今年の夏は(まだ夏ですが)今までになくクーラーを使った夏でした。私は大体寒がりで、これまでほとんど使ったことがなかったのに・・・。それでタイマーの使い方も初めて知りました(笑)。

 そして、新聞にあった、まだ遅くはないクーラー使い方のポイント。

家に帰って、すぐにはつけない。
まず、窓を全部開けて換気する。
この時、押入、天袋、クローゼットなども開けて、熱い空気を出すことが大事。
換気扇も使う。

なるほど。

 で、今日が中秋8月8日。今年は9月25日が15夜、名月です。それまでに少しは涼しくなるのだろうか?

 この週末、藤井寺の馴染みの店(スナック)が4ヶ月ぶりに新築オ−プンします。そのプレビューとして休日の夜に常連20名を招いての披露パーティが開かれる。その末席に連なる。ネオンを落とした新しい店内は独特の匂いと、顔なじみだけの気楽さ、そして隠微な華やぎ。招待されたので、ピンクのバラをママにプレゼントする。

 ソファにずらっと陣取った、夜の藤井寺を仕切っているママの親しいおばさま方はみんな和服。単衣をさらっと着こなして見応えあり。着物ウォッチャーとしてあれこれ質問する。髪型、帯留め、帯揚げなどそれぞれ張り合って面白い。平均年齢60代後半?きれいでしとやか。でも、マイクを握りステージに立つと大変身。裾をからげて、腰を捻ってツイスト(古い!)を踊り、大騒ぎ。みなさん、人生修行における授業料のかけ方、使った時間の長さが違う。日舞の名取もいて、歌も踊りもめちゃウマイ。しゃべりはいうまでもなし。カウンターのわれわれおっさん達は圧倒されっぱなし。

 無謀にもチークダンスを申し込んだ私の連れの悪友は翻弄され、ズボンも脱がされる事態に。大笑いして盛り上がったけれど、明日の仕事も考えて、一番若い我々が叱られつつ、11時には抜け出す。おばさま方は1時過ぎまで歌いまくっていたらしい。「大阪のおばさん」には絶対勝てません(笑)。

 やっと夏休みが取れた下の息子は16日、夜行バスで四国へ。偶然ですが、「敬老の日」に間に合ってよかった。

 奥田亡羊さんの歌集よりー「詩歌のこだま」小池光

 母をふたつ重ねてははと読ますらし 「母母に会いたい」「母母が泣いてた」

「女子少年院、16才の短歌」という詞書き。テレビ局のディレクターをしていた作者は取材で少年院を訪れ、少女たちの短歌に触れたのだろうか。少女は「はは」は二文字だから漢字で書くと「母母」となると思っていたのでしょう。なんとかなしい歌だろう。

 奥田さんは職を退き、離婚し、田舎暮らしをしていたというが、今はどうしておられるのだろう? 

2007年9月16日

 金曜の朝、石川と大和川が合流地点から西に向かうサイクリングロード。風に吹かれて気分爽快。この日も会社員風の中年男性が土手に腰を下ろして、じっと流れを見つめている。そばに大きな黒いアタッシュケース。タバコを喫うわけでもなく、ぼんやりしている。なにか気になる。

 晴れていたけれど、西の空にひとかたまりの雲。その上に珍しい朝の虹。朝方雨が降ったのですね。

 仕事のピークが金曜でした。会議とその後の家庭連絡と夜の打ち上げ。土曜は疲れが残っていたのでしょうか、午後のテニスで久々バテてしまいました。二日酔いに加え、暑かったこともあったし、途中の通り雨のあと、また湿気が高まって汗が噴き出したことも要因でしょう。

 朦朧とした目に葛城山上の虹。でもゆっくり眺める余裕もなく、コートまで20世紀梨を届けてくれた友人にもろくにお礼も言えないまま、這々の体で帰宅、そのままシャワーを浴びて、ビールを飲んで即ダウン。

 こんな夢を見たー

 通勤列車(電車ではない)に飛び乗った。4人掛けの椅子にみんな座り、立っている者はドアの傍の私ひとり。車掌に促されてたったひとつ空いていた席に座る。みんな和やかに談笑。列車は緑の中を走る。やがて、ベルが鳴って、車内に緊張が走る。椅子の両側から器具が延びてきて、シートベルトになって体が固定される。私だけ通路を向いて体がはみ出していたので、また車掌が来て装着してくれる。私だけが事情を知らないらしい。隣のおっちゃんも教えてくれない、列車が激しく揺れはじめる・・・。

 朝4時に目覚めたら涼しい風が気持ちいい。やっと心身回復の気配。まだ暗い東の空。明けの明星が大きく輝き、奈良県との境の山上にある送電線の2本の高い鉄塔が、赤い点滅ランプに浮き上がって、「ロード・オブ・ザ・リング」の世界のようでした。

 7時。朝食のデザートの梨はサイコー。Mさんありがとう。同時に食べた羽曳野名産の無花果もいよいよシーズンが終わり。実が小さくなりました。でも、まだまだ次々秋の果物が登場予定、楽しみです。次は柿が食べたい。

 六本木に出来た新しいお洒落なライブハウス。ワインを飲みながら聴ける山本潤子のライブが大評判らしい。いいなあ、東京は・・・。

 大阪は菅じゅん子です(笑)。本日、北新地のライブハウス「ポケット」で昼のシャンソンライブ。嫁ハンは10曲歌う。ほぼ満席で嫁ハンの歌もまあまあ。でも最近凝ってる茶髪の鬘と黒い衣装のバランスはイマイチでした(苦笑)。

 あと、スタッフのひとり(40位の男性)が子どもさん(小学生の男の子)を連れてきていたのは興醒めでした。大人しくカウンターで歌を聴いていましたが、大人の店、大人の歌の世界。預かってもらえなかったにせよ、マナー違反だろうと思います。

 もう・・・よく言葉が出て来ない、あの俳優、あの歌の曲名、映画の題、知人、友人の名前・・固有名詞はもちろん、果ては普通名詞、「ブレスレット」や「孫の手」なんていう言葉も「アレ」「ソレ」になってしまう・・・。

 この一時的物忘れを「レソロジカ」(lethologica)と言うそうです。レソはギリシャ神話に出てくる忘却の川、レーテ。黄泉の国に流れるその川の水を飲むと一切の過去を忘れるそうですが・・・。

 アルコールにもレーテ川の水が混じっているのかなあ。それとも単に老化現象が進行しているだけなのでしょうか?

2007年9月13日

 リーダーの条件は「健康」と「タイミングを弁えた決断力」なのかも知れません。これまで十数人の校長と接してきましたが、やはり一番困ったのは決断出来ない人。

 学校を左右するような問題で、AかBか長時間の論議を尽くして決議をしても、最後に迷って意思表示が出来ない。時間が過ぎて、ますます悪い事態になって行く・・・。たまりかねて、教員仲間で校長室に押し掛けて、私たちの意見はAですが、どちらでもいい、はっきり校長判断を示してください、そうしなければ学校は動きませんと詰め寄って、それでも、まだ悩んでいた方がおられました。

 確かに胃を痛めるような厳しい世界情勢、国内情勢の中ではありますが、そこで、夢とビジョンを語れるような人材はいないのか・・・。政治家も世襲制の職業のようになって、地盤に縋り付き、自分で世間を切り開いて新しい関係を作ってゆこうという意欲が感じられません。「小泉チルドレン」も粒が小さく感じられます。政治家は若い人が憧れる職業であってほしいのだけれど・・・。

 「ビリーズブートキャンプ」の2日目。大分馴れてきました。参加者も一気に6名に。見学2名。でも、やはりビリーのにいちゃんにやらされるより、きれいなおねえちゃん(ウマ・サーマンやミラ・ジョボビッチくらいの)にやさしく励ましてほしい。出来たら鏡のセットで、彼女が向こう向きで、鏡越しに微笑んでくれたらいいな。左右も間違えないし・・・と、ぼやきながらやっていると、菅センセ、そういうビデオもありますよ!と若手同僚男性。それそれ、それを探して来て!と叫んで、女性同僚の顰蹙を買っています。


豊田泰光さんのエッセイから

 大リーグ、ヤンキース対ブルージェイスの試合で、ヤンキースの攻撃。打者が三塁フライを打ち上げた。ところがなぜか捕球態勢に入った三塁手が見送ってポトリ。後ろを走った走者のロドリゲスが「俺が取る!」と言って攪乱したらしい。このプレーは米国でも非難されたらしいが、私はロドリゲスを責める立場にない・・・(中略)・・・私自身、フィールドのどこに罠があるかわからないというつもりで戦ってきた。ルールぎりぎりのグレーゾーンで勝負してくる者が必ずいる。善悪の判断はさておき、防御本能を研ぎ澄ませておくのが身を守るためには肝心ではないか。

 同感です。紳士的なプレーは大事だけれど、それをあらゆる面で要求することは甘えになる。勝負の世界はシビアで厳しいものという認識も大事ですね。

2007年9月12日

 阿部さんの辞任。閣僚の罷免の時もそうだったけれど、タイミングが変。辞めるなら、選挙の直後に、敗北の責任を取って、と思います。内閣改造をやって、これからという意欲も見せておいて、やっぱり辞めるのは、周囲にも大迷惑。

 細川さんの辞任の時を思い出しました。身辺問題をつつかれて、やーめた!という感じで、唐突な印象がありました。どちらも坊ちゃんの甘さというか、わがままというか、世間知らずというか、ここでいっぱい地にまみれてもがんばるという、ねばり強さ、逞しさが感じられない。やはりリーダーとしての資質の問題だったのでしょうか?もう少しましな人と思っていたのに・・・。しっかりしたブレーン、スタッフもいなかったのでしょうか?

 竹中さんが小泉元総理を「理想の上司」と評して、曰く「ぶれない」「わかりやすい」。いい悪いは別にして、そういうリーダーが育たない風土になっているように思います。

 まあ、政治改革より内閣改造より体質改造。ダイエット優先。夕方、エアポケットのように時間があいて、さて何しよう?若い人が嵌っている、ビリーのなんとかキャンプがおもしろそう。飛び入りで参加。これがおもしろいけれどハードだった!

 ビデオを見ながら50分。動きまくって、足を挙げ、蹴りを入れ、腹筋を鍛え、汗びっしょり。ふー、しんど!これで基礎コースなんですよー!うーむ。こういうのを毎日全世界で何千万人という人がやってるの?

 ビデオにしては安易な作り。ひたすらジミーの叱咤激励をうけて、みんなで頑張ってシャイプアップしょうというコンセプト。まわりのメンバーも身内で固めて、コスチュームも地味。もっとグラマーはいないのか?レオタードは?このねえちゃん胸が小さい!菅センセ、どこ見ているんですかっ!?

 15キロダイエットを目指し、明日からも続けてみようかな?こちらはいいスタッフもいるし・・・。

2007年9月11日

 夕顔

 10年来、自宅の門で育て種を集め、昨年から夏になると、職員室の南の入り口、桜の木の下に置いたプランタンに植え、2階の教室まで届くようにロープを張り、水遣りを続けて来ました。

 8月初めに根本の方で小さな花を付けたきり、暑さのためか、蔓の伸びも勢いがなかった今年の夕顔がやっと今日、3輪の花を開かせました。本来の大きさの7分くらいだけれど、これから次々に咲いてゆく気配。

 夕暮れ時に白い花が浮き上がって美しい。その香りも。夕顔を知らない若い先生方にいちいち教えて悦に入っている口うるさいおっちゃんです。

 朝顔、昼顔、夕顔、それぞれに風情があっていい。でも、昨年も書いたけれど、やはり赤い夕顔はいりまへん。

 体がだるい、しんどい、思い、もう年やあかん、と思っていたら、今朝驚愕の事実発見。暑さの夏のせいか、休肝日も無視して飲み倒したツケがきっちり廻ってきて、なんと5キロのリバウンド。体が重たいはずだよ。

 今日から改めてダイエットを決意。ビールを減らし、食べ過ぎに注意。水分と摂りすぎも・・・。当たり前ですが・・・。

 パティシエの杉野英実さんの言葉

 「当たり前のことが一番難しい・・・当たり前を積み重ねると特別になる」

そうなんですよね。わかっているのですが・・・それがなかなか出来ない。

2007年9月10日

 だんだん老いてゆく、自分が壊れてゆくことを自覚する日々です。短慮になり、言葉が足らなくなり、我慢ができなくなってきました。「老成」という言葉とはほど遠い現実。

 もっと、ゆとりをもって自分を見つめ、コントロールしなくては・・・。焦りを酒で誤魔化して・・・これでは悪循環です。

 でも、がんばって学校へ行こう、と家を出て、自転車置き場に着くと雨。引き返す時間はない。そのまま、駅へ直行し急行に乗る。ハーフパンツにTシャツ、デニムの帽子。こんな時に限って知人と出くわす。菅さん今日はどちらへ?ええ、ちょっと、ハイキングに(この雨の中?)そなまま、アベノ経由で学校へ。置いてあったシャツとズボンに着替える。大阪市内は雨は降っていませんでした。

 授業料が溜まって、卒業が危ぶまれていた生徒、少しずつ持って来ています。あと、5万円。卒業が見えてきました。


最近、気になったこと

 世界で好きな建築のトップ5に入る、薬師寺東塔、1981年に西岡常一氏らによって西塔が建立されましたが、新しい西塔の方が30センチ高い。あと千年経つと塔の自重で木が縮み、東西同じ高さになるそうです。それを見る人類はいるのかなあ。


行く人

パバロッティさん (オペラ歌手、膵臓癌、71才)

 すばらしい声量と、愛嬌のある髭づら、大きな体、イタリアオペラの堂々たるテナーでした。よく3大テナーと言われましたが、ドミンゴの色気、カレーラスの繊細さとは違った豪快な味わいの歌声。往年の迫力はなかたけれど、トリノオリンピックの開会式の最後を飾った歌声は、彼らしい歌唱で見事な花道でした。異論はあるでしょうが、オペラはやっぱりイタリアです。)

佐藤 真さん(映画監督、自殺、49才)

 「阿賀に生きる」で新潟水俣病を告発。気鋭の映像作家でした。鬱病を病んでの転落死は痛ましい。

ヴァレンティノさん(イタリアデザイナー 引退 75才)

 来年一月のパリコレを最後に引退と発表。研ぎ澄まされた感覚と技術の世界、体力、気力も人一倍必要。75才までよくやらはったと思います。

2007年9月9日

 初秋のニューヨーク。全米オープンテニス。ナイトセッション(日本では朝9時頃)のオープニングショーは、懐かしいキャロル・キングが登場し、白い服のコーラスグループをバックにして、「ゴッド・ブレス・アメリカ」を熱唱。その途中で黒い服の海兵隊が登場して広いコートを大きな星条旗で覆う。巧い演出。これでもうおじさんはウルウル。

 エナンは絶好調のウイリアム姉妹を撃破して決勝へ。クズネツォワとの対戦は第1ゲーム初めから激しいストローク戦。クズネツォワ、サーブで30−0とリードしましたが、これからがエナンの本領、粘ってブレイクして一気に流れを取り戻して押し切りました。セットカウント2−0の完勝。思い切りのよいスイングと、たくましい精神力に感服しました。

 隣のコートであった、車いすテニスダブルスでは日本人男子ペアが優勝したそうです。


 買い物に行って、レジで一苦労します。品物を運び、スーパーの会員カードを出し、現金を支払い、お釣りを財布と小銭入れに分けて入れて、カードとレシートを受け取り、品物を受け取る・・・これだけのことがスムーズにゆかない。年取るとはこういうことなんだ。

 今日も、もたもたして、ごめんねと謝ると、いえいえ私もそうですよ、とレジのまだ若い女性が笑顔で応えてくれる。それだけで嬉しいものです。でも、たくさん並んでいる時は人の視線が気になります。

 老化は避けられないけれど、少しでも遅くしたい。、その努力をしなくちゃ。酒は控えられないけれど・・・。

 数少ない成果。毎日の歯茎のマッサージが少し功を奏したのか、「歯周病の進行が止まってますよ」、と歯科衛生士のM先生。月一の診察、歯石などの点検、削除をしてもらっています。笑顔の素敵な彼女に褒めて貰いたい一心でこれからもがんばろう(嫁ハンには内緒)。来月の診察が楽しみ。

 加齢臭も気になります。夏は特に汗をかくので。部屋で香を焚いたら、下の息子が覗いて、お父さんこっちの方が臭いで!無風流なやっちゃ!


 気になった歌

 心しらぬ 人はなんとも 言はば言へ 身をも惜しまじ 名をも惜しまじ

 明智光秀の歌ともいう。もう、孤立無援でやけっぱちになったのでしょうか。それでも、自分の生き方は変えられず、プライドは捨てられない・・・。

2007年9月8日

 午前1時前に帰ってくるホテル勤めの上の息子。最近、元気ない。「世界陸上」の疲れが溜まっているのか?失恋したのか?まあ、もう27才の大人なんだから放っておこう、と思いつつ、ま、ビールでも飲むか?と一応声を掛ける。

 お父さん、うちは「ビール」でなくて「発泡酒」やろ?というのがいつもの可愛くない返答。

 僕は、ばかばか飲むお父さんと違って、一缶しか飲まないのだからビールが飲みたい、という息子の主張をずっと無視して来たのですが、まあ、激励を兼ねてと、思い切って「プレミアム黒」をダースで注文しました。これでどうだ!と差し出すと、嬉しそうに口にしました。

 ところが、一口飲んで、何これ?醤油の味がする!どれどれ、うーむ、いわれれば確かに醤油味かも・・・というわけで、結局は貧しい家庭にふさわしく、また発泡酒に元戻り。で、我が家ではプレミアムはなかなか売れず、偶に私が飲んでいたのですが、今日テニス仲間にその話をしたら、菅さん、それたしかに言える、そんなときには普通のビールで割って、ハーフアンドハーフにしたらいいんだよ・・・。なるほど、その手があったのか。ちなみに、やはり黒はサッポロがおいしいで、というのが彼の弁です。

 金曜夜、飲み友達の中の最高齢者、Zさんの傘寿(80才)の祝いをいつもの店で。本当に元気でお洒落できれい。仕事を続けておられるのが秘訣かな。仕事だけでなく、映画、コンサートと趣味も忙しい。頭脳明晰、口もよく廻る。6人なのに20人くらいのボリュームの大騒ぎに。マスターから差し入れられた「酔心・純米」がめちゃおいしくて、みんなメロメロ。プレゼントは蘭とハリネズミのクッション。ところが支払いはいつの間にかZさんが済ませていた。これって、反則、お祝いちゃうやん?本人曰く、いいのよ、「傘寿祝いは自分が持ったら長生きできる」って聞いたから・・・うまいこと言うなあ。

 私は今日二日酔い。午前、休日出勤しても仕事になりませんでした。午後からも炎天下のテニスでふらふら。でも、汗かいてやっとアルコールが抜けました。

 夜は楽しみにしていた映画「博士の愛した数式」。小川洋子さんの原作が非常に完成度が高く、どう映像化するのかな、と心配だったのですが、杞憂でした。

 キャスティングがいい。交通事故で記憶が80分しか持たなくなった数学博士に寺尾聡、家政婦に深津絵里、その息子の√の成人後を吉岡秀隆、そして博士の義姉に浅丘ルリ子という完璧の布陣。成人して数学教師になった√が最初の授業で博士の思い出を語るといううまい脚本。

 美しい自然を背景に、博士と家政婦母子の交流、博士の数学への深い思い、それが母子に伝播してゆく様、博士と義姉の微妙な関係が丁寧に描かれる。終末も爽やか。でも肝心の最後の「博士の愛した公式」の説明が不十分だった点だけが悔やまれます。

2007年9月6日

 遣り残したスポーツのひとつにサーフィンがあります。台風が近づいて、荒天の中、高波を求めて走るセコイこの近辺のサーフィンでなく、あくまで青い空の下に、沖から押し寄せる圧倒的な高さの浪が崩れ落ちる姿を見たい。せめてその気分を味わうために、夏はビールを飲みつつサーフィン主体のチャンネルの番組を選びます。

 本当にビルのような波があるのです。白いしぶき、盛り上がった裏側のトンネルから眺める水と空の色の美しさ。ハワイやカリフォルニアの海が多いけれど、最近は気象衛星を使ったりして情報収集分析が徹底し、波予報士もいるのだそうで、サーフィンスポットは世界にす。沖合い100キロの波をキャッチし、ヘリコプターで飛んで大洋の上に舞い降りてサーフィンする。そんな時代なのですね。チューブの中をスリリングにくぐり抜けて、崩れ落ちる波の中から間一髪生還したい。

 一歩違えば、波に巻き込まれ、岩に叩きつけられ、体がボロボロになってしまう可能性がいつもつきまとう。それを避ける為に、海に潜り、大きな石を抱いて海底を走り、タイミングと場所を計って石を捨てて浮き上がる・・・一流サーファーは見えないところでそんな訓練を積んでいるのだそうです。それにしても、波や空の美しさはもちろん、サーファー達の身体能力の高さ、バランス感覚のすごさは、何時間見ていても飽きません。

 16万溜まっていた授業料も少しずつ持ってきて・・・一番心配していた生徒の秋期卒業がやっと見えてきました。就職試験まであと12日。明日は個人的にもう一度面接指導をします。

 それに気を取られていて、安心と思っていた生徒の出席時間数が規定に足らなくなってきていることに気付くのが遅かった。最後の一時間で規定に届かず、半年の卒業延期です。もー、あれだけ言ってきたのに。大丈夫と思って、昨夜はメールしたが、今朝はモーニングコールもしなかった。で、本人は起きれなくて・・・欠席。本人はもちろん自分が悪いのだからと言って落ち込んでいますが、チューター(担任)としては、やはり悔いが残ります。どこまで面倒を見たらいいのか、わからなくなってきました・・・。

 面倒を見すぎると「自立」を阻む、でも、面倒をみないとどこまでも墜ちてゆく・・・。永遠のテーマです。


森 澄雄さんの文章から

「花眼(かがん)」ー老眼のことー単に「ぼんやりかすんだ眼」の意味ではなく、「初めて花の美しさが見える眼」つまり、積み重なった年輪の豊じと孤独の中に、自然の美しさと共に人生の妖しい彩りが見えてくる眼ではないか・・・

2007年9月5日

 全米オープンテニス。スーパープレイが続出。日本時間で朝まで盛り上がるので、ビデオに録って我慢しています。これがなかなか見られなくて・・・。土曜にニューヨークに出かけた友人は今頃生で見ているのだろうなあ。

 忙しい日々、毎日があっという間に過ぎてゆきます。昔は一日も長かったのに・・・。爪の伸びるのが早い、いや切るのを忘れているのでしょう。人格を反映して内向的で(友人は違うというが)、特に足の爪が伸びると皮膚に食い込んでしまう。この前は痛いなあと思ったら爪が皮膚を破って、靴下に血が滲んでいました。「夜爪は切るな」・・・祖母の言葉を思い出し、朝、シャワーを浴びた後、苦労して切りました。

 高卒検定の結果通知(31日発送)が2日に届き始め、報告メールのラッシュ。毎日その対応(改めて単位認定申告)に追われています。今のところ五割強の合格率。これで卒業が見えてきた生徒がいるのは、うれしいような・・・でも、毎日の積み重ねで単位を重ねて行くのが本分と思えば、複雑な思いもありあます。

 前期卒業式まで25日。なかなか授業料が納まらなくて、心配していた生徒の家も、今日一部を納めはりました。盆に懇談したかいがあった?でもまだ予断を許しません。

 今年度の授業料減免の申請の結果が昨日判明。認められなかった生徒で、前期卒業を控えているものは、あと20日で6万余りを納めなければならない。府教委ももっと余裕を持たせてほしい。ほんまに現場の、生徒の現状をわかっているのか?

 うちのクラスの両親のいない生徒(昨年父親も病没)が、自活して、バイトをふたつこなしながら、がんばってきて、やっと3年半で卒業に漕ぎ着けられそうです。授業料は減免だけれど、諸費はきちんと払っている、。卒業式には思い切り褒めてやりたい。

 早朝の大和川堤のサイクリングロード。気持ちよく走っていると、背丈を超える葦を掻き分けて迷彩服の一団、50名余りがいきなり登場。サングラス、肩に銃。すわ、革命が起こったのかと300円のビニール傘を身構えると、一団は河口を向いて整列、元気よく声を挙げて歩き出す。そうか、奈良から徹夜の行軍で、河原で休息をとって、これから信太山の駐屯地にでも向かうのだろう。初め緊張したけれど、若くて明るい表情にちょっと安心。

 帰りの河川敷。少年野球チームの練習。内野ノックのきつい打球をサードがトンネル。ところがレフトが余所見していて、その脇もすり抜ける。監督、コーチ、チームメイト挙げての叱責を受けて、レフトの選手が半ベソをかいている。

 老人仲間のゴルフの練習、夫婦のテニスの練習を邪魔する愛犬。父子のキャッチボール。べたべたしているカップル・・・やはりこの世は(日本は)平和やなあ。「平和」という言葉も状況も知らないで死んでゆく子どもが、何億も世界にはいるというのに・・・。


来る人(9月5日記)

都筑直子さん(歌人、51才)

 空から降りてきた女流。

爪先が やがて地を蹴り 浮くことを 疑わずをり 人にいはねど
一瞬の 後の死を ゆめ 恐れるな 刃研ぎおけ きみは女だ

元スカイダイビング・インストラクター。小説も書いていたが、今は短歌。楽しみな人材です。

2007年9月4日

 まだまだ残暑がきついですが、朝夕、特に朝の涼しい風、夕方の虫の音にすぐそこに来ている秋を感じます。今日は「人」を中心に。


 行く人 (9月4日記入)

 ムハンマド・ザヒル・シャー氏(アフガニスタン最後の国王、92才)

 長い間の亡命生活。その存在すら知らなかった。1933年に父国王が目の前で暗殺され、直後に即位。当時19才。それからの激動の月日。ソ連の侵攻、内戦。イスラム原理主義勢力の台頭。自爆テロ・・・。外遊中に無血クーデターで国を追われ、2002年に29年ぶりに帰国したけれど、国民はもう王を忘れていた・・・。混迷のアフガニスタン。その責任の一端を担う人物ではあったはず。

 ジェリー・ハドラーさん(オペラ歌手、自殺、55才)

 イケメン演技派ノテノール歌手。「マイ・フェア・レディ」の中の名曲「君住む街角で」はこの人の名唱歌で世界に広まりました。この歌は好きだなあ。最近、テレビの「ブロードキャスター」のクロージングソングで竹内まりあさんが歌ってましたね。ちなみにこのミュージカルの日本語版の一番つらいところは、この歌を歌える2枚目がいないこと。人気あったのに、うつ病になって、空気銃で頭を撃ち抜いたそうです。まだ若い。

 サイデンステッカーさん(日本文学研究者、外傷性頭蓋内損傷、86才)

 「源氏物語」「雪国」「細雪」を英訳した。昨春から日本に永住。湯島の近くで転んで入院していた。もう、5年、日本を楽しんでほしかった。

 西村寿行(作家、肝不全、76才)

 「君よ憤怒の河を渡れ」で一世を風靡。映画化されました。中野良子さん、よかった。直木賞候補3度。生涯に600冊以上の著作。働き過ぎ。


来る人

 シャイア・ラブーフ

 ハリウッドの新星。先日映画「トランスフォーマー」をぼろくそに書きましたが、主演のこの男の子、ハンサムではないが、目に妙な力があります。注目と思ったら、もう「インディ・ジョーンズの冒険」の新作で、ハリソン・フォードと共演しているのです。大物かも・・・。

 真飛 聖さん (まとぶ せい)

 タカラヅカ花組の次期トップスターに決定。5年努めた正統派男役、春野寿美礼さんの後を継ぐ若々しい花。期待しましょう。
「ダンスの花組」の伝統をいい面で引き継いでほしい。

2007年9月3日

 初秋の早朝座禅。いつもの土師ノ里の友人の禅寺。でも、寺の周囲の景色がやけに白々しい。なんと、寺の隣にあって見慣れていた、深い雑木林の中の屋敷が、林ごと姿を消し、広い空き地になっている・・・その向こうにあったはずの桑畑には、すでに新築のモダンな建て売り住宅が林立している。何時の間に・・・。

 古墳と林、畑に囲まれた閑静な地域だったのに・・・。

 座禅を終えて、友人にさっそく事情を訊く。

ずっと空き家になっていたのを、やっと分割、購入する話がまとまったんだ。
でもすごく広いでしょ?
うん、650坪。
げげ!
そのうち、250坪をうちの寺で買って、墓地として分譲するつもり。
でも、250坪!億単位だよね?
うん、なんとかなると思う、その墓の売り上げで、いずれ100年を超えたこの本堂の修復工事をするんだ。
なるほど、10年単位で寺の再建を考えているんだ。えらい!

 でも、とお節介な私が疑義を挟む。

場所が場所でしょ?これから残った場所の住宅建設のための発掘調査したら、何が出てくるか?修羅はもちろん、すごいもんがいっぱい出てくるかもしれんと思うよ。そしたら新たな調査やらなにやらで、長引くでーーー。

それはあるかもなあ、と彼。

 どちらにしても、深い緑と、のどやかな環境が消えてゆくのはやはりさびしい。冠木門や井戸の跡(井筒は外され、蓋がされている)に立って、諸行無常、ちょっと感慨に耽ったことでした。

 座禅から帰った後は、テニス仲間がみんな試合に臨んでいるのを横目に、テレビを聴きながら、ずっとパソコンに向かって仕事。マラソン土佐選手の最後のがんばり、すごい。40キロ付近で、5位に下がって諦めかけた頃に、4位の選手が下がって来ました。運もあるけれど、いちばんしんどいときに、そこから巻き返す、二人を抜く・・・それも実力でしょう。大阪市内では号外も出たらしい。


松永白州記念館

 午後2時、目も手も頭も疲れてきた頃に友人から嬉しい誘い。土師ノ里駅から徒歩15分、柏原駅から18分の(地理的には藤井寺船橋町)「松永白州記念館」へ行きませんか?。前から行ってみたいと思っていたので、朝行った寺の近所だけれど、ふたつ返事で飛び出す。石川と大和川の合流地点の少し南、古い家並みと新築が併存する地域の中の、一際格式を感じさせるお屋敷でした。

 松永白州(薫)さんは、羽曳野のお生まれ、小学校教員をされながら書道家としても活躍、日展などにも入選。退職後も精力的に創作活動を続けられ、平成11年「生前のお別れ会」をされて、本も出版、平成14年に89才で逝去。

 記念館は、江戸末期に建てられたという、松永さんが最後まで住まわれた家ですが、もともと大和郡山の御典医であったという家柄で、門屋も壁も柱も瓦も屋根も見事。釘隠は鶴の模様の細工。大和へ通った駕籠や、螺鈿を使った馬の鞍も残されています。隅々まで気配り、掃除の行き届いた家の北座敷が、元アトリエで、今は主展示室。書、絵、篆刻が季節の花と共に飾られている。

 私の半端な知識から、松永さんは端正な書を書かれる隠者のような方と思い込んでいました。でも、実際に作品を拝見すると、奔放さと緻密さが微妙にバランスを取り合っている。現実的でパワフルな方だったとお見受けしました。

 いろいろ伺うと、書は最初苦手な分野だったのだそうです。音楽(バイオリン、ピアノ)油絵、カメラ・・・そして登山。幅広い好奇心を持ち、行動する作家だったんだ。

 作品量も多く、それも惜しげもなく人に進呈してはったらしい。それでも残った1500点を超す作品を、ご長男、娘さん夫婦がこころをこめて管理しておられる。展示数が多くないのは、作品と季節を選び、展示替えをしているから。でも、もったいない、どこかに大きな常設展示場がほしい。

 土、日、月の公開で、月曜には邸内の多目的室で、松永さんの娘さん主催の「絵の教室」も開かれている。(これもステキ。でも、満員の由)

 これで入館料無料はなんとも贅沢というか、申し訳ないというか・・。千円くらい取ってくださいよ、と言ってしまった。

 「芸道は教えるものではない」「芸術は分からなくてもよい、引きつけられるものがあればよい」「表現内容を知的に論理的に解釈するのは後の後」という松永さんの飾り気のない、率直な、でもパワー溢れる創作欲が、遺志が漂う空間です。なにより見事に生き切った人の清々しさがある。ご家族は大変だったかもしれないけれど・・・。お薦めスポットです。こんなええとこ、藤井寺市はもっと宣伝してほしいなあ。

2007年9月1日

 「つくつくほうし」が鳴いています。二百十日。防災の日。風の盆。八朔。流石の猛暑も少し遠ざかってゆく気配。「今朝の秋」を感じます。

 今週もハードでした。前期期末考査を控えて最後の授業。就職試験を目前に最後の面接指導(約四十名)も。それにしても、その中のひとりの女子生徒、本番同様の服装をと言っておいてやった面接指導で、白いブラウスの下にピンクのブラジャー(縁取りは黒のレース)をしてくるか?同席の若い先生は言いにくいだろうから、私が、君、それはあかんで!と怒り倒す。やっぱり、だめ?とか言っていたが、服装を改めても、どこかできっとボロがでる。いろいろ一生懸命に細かく注意はしたけれど、彼女はあかんやろなあ。

 付け焼き刃で、通用する世界もあるけれど、ごまかせない世界も多い。そうであるべきです。

 「世界陸上」ー最高峰のアスリート達の走りは確かに感動的。美しい。昔の運動会、体育大会の時に、キレイに力強く走る先輩達に憧れたことを思い出しました。それにしても、日本新記録を出しても、メダルに届かない。それでいいじゃないですか。ハイレベルの競技を堪能しました。

 本校のNET(ネイティブ・イングリッシュ・ティーチャー)はアフリカ系カナダ人のジミーさん。、気さくないい青年。世界陸上を見に行ったら、選手に間違われ、写真をねだられることが多いという。一緒に写ってあげるらしい。ええじゃないか、ついでに「ゲイ」とか「パウエル」とかサインしてあげたら、と言ったら、そこまではできませんよ、と笑っていました。

 28日、西梅田の「ジャス・オン・トップ」に嫁ハンが出演するというので、疲れた体に鞭打って出かける。ワンドリンク付きというので、第4ビル一階の立ち飲みでビールと梅錦を流し込み、7時の開演に走り込む。こじんまりしてええライブハウス。

 嫁ハンも熱唱。結構楽しめて、後に残って少しまた飲んで・・・皆既月食は見逃したけれど、いい気分転換ができました。

 今日(土曜)は休日出勤しようかと思ったけれど、来週に備えて、午前中、ひたすら寝る。午後は例によって炎天下のテニス。メンバーは6人。そのうちのひとりは、朝、母の見舞いに京都へ行ってきました、もうひとりは、朝7時からゴルフで18ホール廻って来た・・・もうみんなすごいタフなんだから。私を除く5名は明日、それぞれテニスの試合です。脱帽。


 坂東玉三郎さんの日記から

 いつも夏は休みを取る彼。この夏はロタ島(グアムとサイパンの間にあるらしい)にダイビングに行ったそうです。でも、飛行機の都合などであまり潜れなかったとか。なんでも、ダイビングすると窒素が体内に溜まり、帰りの飛行機に乗ると減圧症に罹る可能性があるのだそうです、知らなかった。

 それにしても、毎日の自転車、休日のダイビング、しっかり鍛えているんだなあ。リフレッシュも。だからこそのあのシャープな動きがあるんだ。

 帰国後、「仮名手本忠臣蔵」九段目の監修に携わったらしいけれど、この演目、俗にいう「山科閑居」に関わる関係者は「おこがましくも」やらせていただく、と述べるのが慣例、と書いている。なるほど。それほど難しく重い作品なんだ。

 すばらしい作品に対する、畏れと敬意・・・このような日本語も死語になってゆくのでしょうか?



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