Kan-Kan の雑記帳



2008年11月30日
 
 「 今思えば 皆遠火事(とおかじ)の ごとくなり 」 能村 登四郎
 
 確かに、この50年余、いろいろあったことも、静かに記憶の闇の向こうにゆきつつあります。もう、どきどきもハラハラもない。責任も感じない。それがいいのかどうかわかりませんが・・・。
 
 27日に日仏協会主催の今年のボジョレー・ヌーボーの会。6時半に会場のハイアット・リージェンシー大阪のボールルームに滑り込む。本当に素敵な、好きなホテルなのに、なんといっても不便。住之江公園からの長いエスカレーター、そしてニュートラム。府庁のWTC移転案には賛成ですが、このアクセスの不便さをなんとかしなくては。ホテルもそれで活性化するでしょう。がらんとしたロビーを抜けて2階の会場までほとんど人に会わない。
 
 豪華な大きなシャンデリア、高い天井、広いガラスの向こうの美しい夜景。華やかなセットなのに景気後退の影響を受けてか、参加者も少な目。余計にちょっと寂しい風が吹く感じ。
 
 短くしますと言った、フランス領事の長いスピーチはちょっといただけませんが、でも、さすがに料理は立派。ダイエット競争明けだったので、しっかりいただきました。ワインも今年は収穫前に晴天が続いたとかで、味はしっかりしていて(ラズベリーの感覚という評判)、おいしく感じました。つい飲み過ぎて、帰るのが精一杯。同僚達が阿倍野で飲んでいたのですが、合流する余裕がありませんでした。
 
 「風のガーデン」の放映時間に間に合って、酔眼で鑑賞。中井貴一さんの演技は評判で、確かにうまいけれど、清潔感があって、どうも「女性にだらしない下半身がゆるいキャラ」のイメージには合わないように思います。末期癌の医者の役柄ですが、その父親を演じる緒方拳が自身の末期癌を隠して演じていたというこの錯綜した事実、それがセリフひとつの言い回しに拘ることになって、これって芝居を見る態度の本来ではなのかも知れません。でも、興味深い。
 
 緒方拳さんの癌は撮影後、また彼の死後、わかったことであって、前のドラマ「北の国から」で、地井武男さんの実生活の奥様の死の直後、役上での奥さんの死を演じた、演じさせられた(?)時に感じた「あざとさ」は感じません。(地井さんは実生活ですぐに再婚、ちょっと興醒めでした。ご本人に責任はありませんがー苦笑)
 
 ただ、俳優の実生活と演技は切れないものがあります。前にも書いたかも知れませんが、最初の夫を亡くしたばかりの大竹しのぶが舞台に復帰する「奇跡の人」に、観客とマスコミが有楽町、日生劇場に詰めかけました。どんなサリバン先生を演じるのだろうという期待です。ちょうど東京にいたので、その興奮を身近に感じました。
 
行く人
 
ウイリアム・ギブソンさん(米劇作家、94才)
 
 25日にマサチューセッツで死去。「奇跡の人」の脚本はこの人でした。59年、ブロードウエィ初演。トニー賞、演劇部門作品賞受賞。62年の映画化でも舞台と同じ、アン・バンクロフトがサリバンを演じ、アカデミー主演女優賞を受賞しました。その時ヘレン・ケラーを演じたパティ・デユークが再映画化でサリバン先生を演じたことも時の流れを感じました。1914年、オー・ヘンリーが活躍していたニューヨークで生まれたのですね。長命でした。
 
 28日、29日と嫁ハンの太子町「サントル・ドゥ・ビラージュ」でのディナーライブ。多くの方に来ていただいて感謝。地元なので私の知り合いも多く、あれこれテーブルの配置や席割り、車の手配など気を遣いましたが、無事終わってほっとしました。
 
 後始末に時間がかかって、就寝したのは2時過ぎ。たくさんいただいたお花のむせかえるような香りで目覚めた日曜の朝。嫁はんは、京都まで東京から来てはる自身の先生のレッスンに向かいました。タフなやっちゃ!
 
 深夜にNHKフィギアスケートの再放送を見る。中野選手の気合の籠もった演技に感動しました。3位。2位に入った鈴木選手のキュートで思い切りのよい演技もいい。真央ちゃんの復活は迫力ありました。「仮面舞踏会」の音楽もぴったしでした。
 

2008年11月26日
 
「 焚くほどは 風が持て来る 落ち葉かな 」 良寛 
 
 良寛が世話になった長岡藩主 牧野忠精(ただきよ)のから、さらに領内の大寺の貫首就任の要請に。これで、この生活で充分です、というわけですね。忠精の苦笑が浮かびます。

良寛は禅宗、墓は真宗、このこだわりのなさもええなあ。

 
中国への旅  17
 
「西湖」 その1
 
 これが今回の旅の最後の目的地。永年の憧れの地でした。六和塔からひと山超えると杭州市の外れ、西湖の南に出ます。バスは深い深い緑に囲まれた道を抜けてゆく、アップダウンを繰り返すのは小さな橋を越えてゆくからです。周囲には小さな池に柳が枝垂れ、のどかな美しい水辺の風景が続きます。
 
 やがて、知らぬ間に右手柳の並木の向こうに広い水面が見えてきました。いつの間にか、蘇堤に入っていたのです。全長2.8キロ。北宋の詩人で、杭州知事でもあった蘇東波が作らせたものです。「西湖十景」の一、「蘇堤春景」の舞台にすでに来ていたのです。
 

2008年11月25日
 
 「 おい癌め 酌み交わそうぜ 秋の酒 」 江國 滋

文壇はもちろん、広い交遊から生まれた多彩、多数の句会仲間はこの句に絶句しました。

覚悟と開き直りと、諧謔と・・・。

 一生懸命授業したつもりなのに・・・「羅生門」、「こころ」のあらすじがわからへん、とぼやく生徒。そりゃあ、授業に出なかったらわからんわな、と言いつつ、改めて説明をはじめる自分にもげんなり。

 ぐったり疲れて、夕刻、書かせた感想文を読み、浅いなあ、誤解しているなあ、教え方のどこが悪かったんだろうと思い、あれこれ説明をいれたコメントを書き込み、ますます落ち込んで行っていると、最後に一枚、すごくいい文章がありました。あらすじをなぞるのでなく、自分の言葉で、自分に引きつけて、具体的に書いている。それで、いままでの疲労感がすっと引いて、上機嫌になってゆく・・・。人間の心身って不思議にできているものです。

 明日から中間考査。出来はどうでしょうか?担当の試験が明日二科目あります。

 宝石ウォッチャー(見て愉しむだけ、持ってはおりません)の私が最近ときめいた話題。

 米スミソニアン協会所蔵の「ホープダイヤモンド」は「呪いの宝石」と呼ばれていたが、最近フランス革命の混乱時に盗難に遭ったルイ14世所蔵の「ブルーダイヤモンド」だったことが判明。一回り小さくカットされていたのですって。しかし、見つかるものですね。歴史のロマンです。

 
 歴史学者 樺山紘一さんのエッセイから
 
 バルセロナ、ガウディの「聖家族教会」。19世紀末に始まった工事は3世紀目を迎えまだ竣工の気配もない・・・はずだった。35年前にこの町に住んだ樺山さんはそれをじれったく思ったが、五輪以降、世界の注目を浴び、クレーンとエレベーターがフル稼働し、観光客からの入場料も増えて、作業は急ピッチで進み始めた。そのうちに献堂式がありそう・・・。それって、いいのかなあと複雑な思いらしい。わかります。未完成だからいいのですね。こちらはロマンが少し萎みそう。
 
中国への旅  16
 
 「六和塔」
 
 杭州手前、銭塘江の畔に聳える塔。この大河は汐が逆流するポロロッカ現象で有名なのです。2000年の観潮行事の歴史をもつこの現象を鎮めるため、越王が作らせたという60メートルの塔。でも実は観潮の名所。ぐるぐる廻って最上階まで。蕩々たる流れの河が眼下に。眺めは最高。
 
 でも60代70代の方には大変。丘の上の塔の下まで来て、諦めた同行者も何人かいました。汗を拭いていよいよ西湖に向かいます。


2008年11月24日
 
 「 裏を見せ 表を見せて 散る紅葉 」  作者は忘れました。良寛だったかな?
 
 無惨なひき逃げやら、34年前の仇うちとかで元次官宅襲撃・・・わけのわからない事件が続きます。なんでやろ?ひき逃げってほとんど捕まっているんやろ?と息子に問うと・・・
 
 お父さん、それは致死事件だけ、たくさんある当て逃げなどは検挙率が低いんやで。
 
 そうか、捕まらなかったらええわ、という感覚が蔓延しきっているんだ。給食費の未払いから、改札無視から、脱税まで・・・。この風潮ってほんま、あかんなあ。
 
 それにしても、住民票まで持参して自首した元次官襲撃の容疑者。事件のウラはあるのでしょうか?そして、またしても、容疑者の実家を襲撃(!)して父親(77才)を引っ張り出すマスコミの姿勢にも気分が悪くなります。容疑者はもう46才です。
 
 3連休の最後の日。天気が崩れるとわかっていましたが、あえて、友人と3人で洞川までドライブ。途中、道の駅近くの売店で暖かい茹でこんにゃくを頬張る。あちこちの名残の紅葉が美しい。
 
 洞川温泉は20数年前、吉野、大峰山を縦走した帰りに素通りしただけで、足を留めたのは初めてです。もう初冬の風情でした。道端に雪あり。大峰山の登山口でもあり、古い旅館などもあり、おもしろそうなところ。林業の町でもあるので、木材をふんだんに使った共同浴場は風情あり。11時開場に間に合って一番風呂。露天風呂も周りの冷気もあって、湯気がもうもうと立ってええ感じ。男3人ゆっくり浸かって、湯上がりにビール(運転手の友人は飲めない奴ーありがたい)と柿の葉寿司と茶粥で昼食。そのまま、引き返しましたが、今度はゆっくり泊まりがけで行ってみたい。
 
 帰りにみたらし渓谷に寄ってみる。前に下市温泉の露天風呂で、となりで浸かっていたおっちゃんにしきりに薦められたのです。洞川から車で20分ほど。行ってよかった、見事な渓谷でした。冷たい時雨の中、誰もいない吊り橋を渡って木で作られた階段を上り滝の上まで行ってみました。堂々とした奇岩、清冽な流れ、こんなええところが近くにあったのだ。来年夏には是非ハイキングに来よう。
 
 最近、動きが狭くなってきている(誰が!というツッコミが入るとおもいますがー苦笑)自覚あり。今年の秋も京都へは行かなかったのがその証し。来年はもちいと奥深い近畿の自然探訪に力を入れたいと思っています。
 
中国への旅 15

上海から再び杭州へ  上海南駅 新型高速鉄道CRH

物乞い オリンピックの影響で今回はさすがに少なくなっていましたが、やはり何人か見かけました。子供やあかちゃんを農村部で借り上げてくる、あるいは買ってくる例もあるのだと前回の旅のとき、中国の友人が言っておりましたが・・・。ちなみにその友人は寄ってくるその人たちを追い払うだけでなく、追いかけて厳しく何か言っておりました。

観光客で雑踏を極める夜更けの上海の河畔の歩道。川向かいにランドマークのテレビ塔やハイアット・リージェンシーホテルなど高層ビルが輝いて聳えたっている。そこに生後1年足らずの赤ちゃんを歩道側に寝かせて、自分も寝ている若い女性。危ない。もし赤ちゃんが寝返りでもうって、人に踏まれたら、と思うと胸が痛くなる、きっと自分の子ではないのかも・・・。赤ちゃんの前に缶詰の空き缶おいてあり、小銭が入っていたけれど・・・華やかな夜景以上に目に焼き付いて離れない光景でした。

 新しく出来た上海南駅から、開通したばかりの新幹線で杭州へ帰る。駅は円形で面白い造り、さすがに土地が自由にできる国ならではの贅沢な設計です。ここでカメラ係だった殷さんとお別れ。彼女が昨夜整理したという各自が写っているアルバムから3枚だけ買い上げてあげる。一枚600円は高いけれど、それが彼女の貴重な収入源らしい。うれしそうに笑って1500円です、違うよ、1800円でしょ、と日本円で渡すと首をかしげている。大丈夫かな?

一番彼女と近しくなった五人組のひとり「青年団長」が「殷、ここで別れたら、お前とは、もう一生会えないんやぞ!」と言ってふたりで涙ぐんで握手している。

新幹線は白い流線型の車輌で日本とよく似た造り。2席、通路挟んで3席と座席のつくりも同じ。ただし、1車両が真ん中でふたつに仕切られ、更に半分が前向きと後ろ向きになっていて、間にテーブルがひとつある、ちょうどそのテーブルの前にすわって、見知らぬ人ドイツ人と向かい合ってビールを飲むのもなんや変な感じ(苦笑)。40年前に2年間習っただけの錆付いたドイツ語を使う勇気もなく、90分、車窓からの風景を眺めながら、おとなしくビールをちびちび。

杭州のプラットホームに降り立つと、友人がカンサンこっちこっち、と呼んでいる。駆けつけると、車体の一部に傷がついているらしく、ガムテープが貼っている。こういうのは中国らしくて?おもしろいと友人は写真に撮っておりました。

 

最近読んだ作品
 
 「てんとう虫の遍歴」 熊谷 達也
 
 仙台の市民広場で催されたクラシックカーというより旧車の展示会に来合わせた主人公、菅野清昭は懐かしい車達に目を細める。スカイラインの「ケンメリ」「箱スカ」サニー、セリカ、コロナ、コンテッサ、ファミリア、クーペ・・・それは今も愛好家に乗られている。あと2年で小学校を退職する菅野は日本のモータリーゼーションの発展と一緒に育ってきた世代の一員であり、所有する車でステータスを計ることが出来た単純な時代の育ちだった。
 
 目に留まった「スバル360」。東北の小さな町で新しもの好きの菅野の父が初めて買った車。そして菅野が初めて買ったのもこの車、それは偶然父がずっと前に手放したその車だった。今の持ち主と話しながら、かつてそれで北海道を旅行した時の話をする。今の持ち主の青年はこの車を手に入れたとき、北海道の地図がボディに書き込まれていたという。それを聞いて菅野は腰を抜かす。その車がこの車だったのだ・・・。
 
 さりげなく語られる小市民2世代の人生と車の遍歴。佳品。
 


2008年11月23日
 
「 憎まるる 役を振られし 小春かな 」 伊志井 寛
 
 作者は元、新派の名優。味のある役者さんでした。演劇プロデューサー石井ふく子さんのお父さんです。しぶい脇役でしたから、悪役もありました。
 
 人生も同じでしょう。説得役や叱り役が回ってくることもあります。若いときはおいしい役や、善人をやりたがったものですが、今ではどうでもいいや、いろんな役をやろう、やりたいと思います。それは余裕?諦め?責任感?(苦笑)
 
「小春日和」について・・・。
 
 昨日、テニスをしていて、パートナーからいきなりプレー中に質問されて、いい加減に答えたけれど気になって今朝、久々「俳諧大歳時記」を本棚からひっぱりだしました。(埃っぱい!ー苦笑)
 
「秋の部」にはなく、やはり、「冬の部」にありました。そこにこの句が・・・。
 
「小春」は陰暦10月の異名で、「小六月」ともいう。ほぼ陽暦の11月に相当。
俳句では冬の扱いだが、気象では晩秋の扱い。
 
この寒さに向かう時期の「暖のもどり」を
英語では 「インディアン・サマー」(これは知っておりました)
ドイツ語では 「老婦人の夏」(昔、聞いて、忘れておりました)というそうです。
 
 先週の日曜は、年一回のかつての教え子との交流会でした。
近年は、和歌山で柿農家を継いだ教え子の家で、10人ほどが集まって
柿狩りと私の授業を肴に酒を飲む会。
在学中は、どちらかといえば、アクのある、好奇心旺盛でいろいろやって、
教師に文句をつけてくるタイプ(私の好きなタイプー笑)
そして、あまり勉強しなかった連中が、世間に揉まれて、知恵に富んだ大人になっています。
 
ここ数年は現代文でしたが、今年はやはり「源氏物語」
「桐壺」の冒頭と全体のテーマなどを小一時間
「源氏物語にはレイプと和姦と母子相姦とマザコンとファザコンとロリコンが溢れている」なんてことを、昔はあまり言えませんでした(笑)。
なんで、高校時代にそんなおもろいこともっと言うてくれんかったんなどとツッコミが入れられて楽しい時間。
 
でも、本当の楽しみはその後の宴会での近況報告と放談会。
 
 36才から37才にになるおっさん達8人(女子がひとりいましたが国際結婚してスペインへ)ですが、
なぜか半数が独身
既婚者も昨年離婚して、子どもは嫁ハンへ、というわけで子持ちがひとりもいない!
ひとりはリストラされてプータローとか・・・
日本の将来が憂えます。
 
わいわい言いながら、実は私が一番質問している。
彼らは実に世界のことを知っている。政治、経済、農業、建築界から、風俗、ギャンブル、パソコンの最新情報、そして芸能界まで・・・
浅学な私の初歩的な質問に実にわかりやすく答えてくれます。
 
加勢大周の話題になって
 
なあ、なあ、大麻と覚醒剤って、吸った感じがどう違うの?
 
覚醒剤は名前の通り、すきっとして目が醒めて元気になる、テンションがめちゃ上がるのですね
大麻は反対に、精神安定剤みたいなもので、こころが落ち着いて眠くなる、絶対運転してはいけません。
加勢はその両方を使って、気分をコントロールしていたのですから、かなりの常習ですね。
 
なんと半数以上のものが大麻を経験しています。
 
大学の構内で売買される時代ですからね。
僕(インテリアコーディネイター)はニューヨークとアムステルダムで吸ったけれど、オランダではCではなくKの字で始まるカフェではメニューに大麻があって、合法的に吸えるのですよ。
 
ほー、なるほど、と感心するばかり。
 
大麻はましやけど、覚醒剤やシンナーは絶対アカンと生徒に言ってやってください。
 
一応、全部アカンと言うとくわ。
 
大騒ぎ、大笑いして、柿とキウイとミカンをお土産に貰って帰って来ましたが
離婚した奴とリストラされた奴のこれからが心配です。
まあ、もう大人ですから、元担任がやれることは、話を聞いてやることくらいしかないのですが・・・。
 

中国への旅14 上海バンスキングその4

 
豫園 (よえん) 
 
 市内の一大観光地。大きなブロックの中に、かつての豪商の作った宏壮な庭園と、旧時代の市街を再現した建物の並ぶ土産物店が集中して存在している。テーマパークの趣き。
 
 3階建ての独特の屋根の形、色の建物が聳える町中は浅草の仲見世を上に伸ばしたような、繁華街。ものすごい人の波。写真を撮るものやっと。でも、風情というより迫力がありました。
 
 庭園 豫園は凝った作りの塀、屋根、庭石、を持つ庭がいくつも連なってゆく。日本ならぽんと建物をつくり、周りに庭を巡らすでしょうが、それぞれの建物に付随してコンパクトな庭がいくつもあるという作り。回遊式の日本でなく、座して観賞する習慣を持つからなのでしょう。
 
 豪華なのは庭を隔てて芸能を鑑賞する舞台を持っていること。周囲のバルコニー席は近隣の人を招待したとか。劇場が邸内にあるようなものです。これでかつての規模の何分の一と聞いておどろくばかり。
 
 時間の関係で買い物が出来なかったのが残念でした。それと、立ち食いをもっとしたかった。おいしいという評判の店にはさすがに長い行列が出来ていました。世界中から観光客が集まっていましたが、中国の人々の観光、食事、買い物、物売りにかけるエネルギーはすごいものがあります。
 

2008年11月22日
 
 「 玉の如き 小春日和を 授かりし 」 松本 たかし
 
 今日は「いい夫婦」の日だとか。それに合わせて?「私は貝になりたい」が封切りされたのだと?あれって、夫婦愛の物語だったの?戦争に巻き込まれ、理不尽な運命に泣く庶民の話では・・?まあ、どのようにスポットライトを当てようといいですが、私の関心はあの橋本忍さんが今回も脚本を手がけられておられること。もう90に近いのではなのでしょうか?
 
 東京裁判はもっと検証されてもいいですが、戦犯と呼ばれる人々の責任を問うこと、靖国問題もそうですが、これは大事な問題です。と、同時に、庶民の責任を問う姿勢がそろそろ出てきてもいいと思うのです。戦争に流れ込んでいったのには、一部の軍部の暴走というだけでなく、天皇はもちろん、ある面すべての大人の国民(子どもは被害者)に責任の一端はあると思いますが・・・。
 
 もうひとつの関心は、ラストシーン近くの音楽。有名な「もう、人間の世界はイヤだ、生まれ変わったら、私は深海の貝になりたい・・・」の背景に賛美歌の「また逢う日まで」が流れる皮肉と感動。今回の作品はこれを踏襲するのでしょうか?
 
 
 今日は旧暦十月二十二日。十月の別名が「小春」ですから、まさに小春日和の一日でした。ゴミ処理場の煙がまっすぐ昇っている。風もなく、暖かく、午後からのテニスは最良のコンディションでした。汗をたっぷりかきました。でも、午後4時を過ぎると一気に冷え込みました。
 
 15日に文楽11月公演に行ってきました。開演前に楽屋横の小部屋で小道具を見せていただく。人形ゆえの細かい工夫、三人の遣い手が客の目の邪魔をしないように、また人形のきれいに見せるように扇、キセル、手ぬぐいなど配慮がなされている。面白いのは、縮小しないで、扇などは普通のサイズのものを使う。現実の人形のサイズとは不釣り合いだけれど、客席からみたらそうでないと却っておかしく見えるらしい。そのあたりが人形劇の不思議。動物をリアルに作ってもいけないというところも面白い。狐、猪、猿などをじっくり拝見しました。
 
 本公演は人形遣いの五世豊松清十郎の襲名披露。昔は毎公演通っていましたが、今回は襲名ゆえの久しぶりの国立文楽劇場。披露公演は「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」。娘役の大役、八重垣姫が清十郎の役。相手役の勝頼を師匠の吉田蓑助、濡衣(ぬれぎぬ)を吉田文雀という人間国宝で固め、さらにクライマックッスの「奥庭狐火」で八重垣姫の「左」を桐竹勘十郎が遣うというこれ以上ない豪華版。歌舞伎のように、家柄などに拘らないのが文楽の世界のいいところ。清十郎の大成を祈ります。
 
 口上も豪華な顔ぶれでしたが、これも歌舞伎と違って、主役の清十郎はものを言わず、師匠の蓑助が脳溢血の後遺症の残る廻らぬ舌で「よろしく御願い申し上げます」と言ったところでジーンときました。半分強の入りの客席からは暖かい拍手。NHKの中継が入っていたので、公演が終わったら、近日中に放映されると思います。同行の友人はカメラのマニア。中継スタッフのビデオカメラをしげしげとながめて「カンサン、これはすごい品、一台二千万円は下らないよ」ヘエーツと感心するばかりでした。
 
 客席の着物姿の多かったこと。これもじっくり愉しませていただきました。
 


2008年11月21日
 
「 湖中句碑 よく読める日や 初鴨来(く) 」 読売俳壇より  宝塚市 広田さん
 
 琵琶湖の浮御堂の沖にある高浜虚子の句の文字が、初鴨の飛来した日に読めたというわけです。初冬の青空、澄んだ空気、湖の広がりも感じられますが、この句、ちょっとだけ説明不足じゃないかなあ(俳句は説明しちゃあいけないのですけれどー苦笑)。
 
 木枯らしより厳しい世間の風。教育界の現状。いろいろありますが、ありましたが、元気でまだ生きていけるだけで幸せと思うべきでしょう。後ろを見ないで、人や仲間を信じて、楽しい事を考えて、笑って生きてゆきたいと思います。
 
 今日、ラジオで聞いた話。女性聴者の投書から。電話を受けると変な声。いたずら電話かと思ったが、息づかいが子どものようなので、様子をみていると、慌てて母親が代わって詫びを言う。子どもが電話機をさわっていて、偶然通じてしまったらしい。ところがその母親の声に聞き覚えあり、結婚、転居と携帯電話の紛失などで、住所、電話番号がわからなくなり、音信不通になっていた友人だったのだ・・・。
 
 もちろん交際復活。幼子のいたずらが親の友人縁を取り持つ。世の中ってそんな不思議もあるのですね。
 
 授業の導入に毎時間、新聞の投書(4紙に目を通しますが、投書欄は朝日が充実)からネタを選んで印刷、読んで、簡単な感想を書かせています。
 
 最近反響が大きかったのは、スイスでホームステイをした老夫婦からのもの。
 
 スイスでは朝ご飯にも1時間、昼食、夕食は2時間かける。信号では必ずアイドリングストップ、スーパーのレジは座って打つ(これが、スーパーでアルバイトをしている生徒には新鮮だったよう)、スローライフはうらやましいという感想が結構ありましたが、食事に2時間もかけるなんてだるい、しんどいう感想もあり(最近、日本では食事に手間、時間をかけない若者が増えているそうです)。
 
 「バス、電車の中での若い女性の化粧について注意した老婦人」を紹介した記事には、思ったより共感の感想が多くて驚き。たくさんの女生徒が、めいっぱい教室で化粧しているから、「なんであかんねん」という反応を予測したのですが(もちろん数パーセントはありましたが)、自分もよくないと思う、やめるべき、注意したおばさんはえらい、という声が多くて拍子抜けでした。もっとも、周りに不快感を与えているなんて知らなかった(そうやろなあ)という正直な感想もあり。
 
 人前の化粧になんとも感じないという男子が結構いたのも・・・寂しいなあ。
 
 今日の題材は「抱きしめられた喜び」。家庭内の不和で厳しい母親に気を遣ってばかりいた少女時代、あるとき訪れてきた若い叔母が戯れにぎゅうと抱きしめてくれた。その匂い、ぬくもりが嬉しくて数十年間自分を支えてくれた。結婚して子どもを授かり、しっかり抱きしめて、幸せを感じ、叔母に感謝しているという奈良の主婦の投書。
 
 昨日のクラスでの反応がイマイチで、スキンシップは大事だみたいなありきたりの感想が多かったので、今日のクラスは題材を変えようかと思ったのですが、あえてそのままやってみると、まったく違った反応が返ってきました。
 
 自分も親には抱きしめてもらったことがない、別れたけれど、子どものころ抱きしめてもらったことは忘れられない、小さな子を抱きしめてみたら気持ちよかった・・叔父さんや叔母さんの思い出・・・育った家庭環境(厳しい家庭が多い!)に大きく左右されるものでしょうが、びっしり書いてある濃い反応に驚きました。つい私も、酔っぱらって息子を抱きしめて嫌がられた話などして笑われる。
 
 抱きしめられる・・・幼年時代に体中で大人に愛された体験があるかないかでその後の人生、特に家庭生活の在り方が決まるように思います(もちろん反面教師もあり)。
 
 夕食を家族で食べた記憶がないという生徒もいます。親、親族もなく、ひとりで暮らしている生徒も。それを思えば、いろいろ問題もあり、心配も絶えないけれど、学校へ来て、こっちを見ているだけでもいいと思うべきかも知れません。

2008年11月20日
 
 18日の読売新聞の渡辺晋一郎さんのエッセイから。ずっと創作を続けることの難しさを黒澤明監督を例に語る。晩年、若いときの作品のエネルギーが失われたと評されたが、それは当たり前。むしろ、最後の「夢」の時は80才。それがすごい。
 
 作曲家シベリウスは91才まで生きたが、晩年の30年間は豊かな年金を贈られて作曲もせず、悠々自適。それをうらやましいと語った山田太一さんが、近年前言を翻した。あれ、まちがっていました。自分が相応の年齢になったからわかるのですが、70になると70にしか言えないことがある。それをやらなくちゃ。シベリウスはそれを怠ったのですね。
 
 創作の姿勢を貫くことの難しさ。
 
最近読んだ作品
 
「カンカン軒怪異たん」  朱川 湊人
 
 20年前の東京,荒川日暮里の路地の奥の小さな中華料理店。怪しげな日本語を使う小錦のような中国女性のおばちゃんのつくるチャーハンは食べた人に不思議な力を与えてくれる。その秘訣は中国伝来の鍋にあるらしい。
 
 主人公の役者志望の「俺」もここで力をもらう。やがて地上げ屋に脅かされ、車で襲われるおばちゃんは鍋によって命を救われる。仕事を得て京都へ向かう「俺」とおばちゃんは別れ別れになるが、交流は細々と続く。ある時、「俺」はインターネットでおばちゃんが中国の大富豪の娘であることを知るが、おばちゃんはそれをおくびにも出さず、埼玉の某所で疲れた若い人のために、おいしいチャーハンを作り続けている・・・。
 
 ミステリー仕立ての人情物はこの作家の十八番。さわやかな読後感があります。
 


2008年11月19日
 
「 秋霖(しゅうりん)や 芭蕉生家の 蓑と笠 」  読売俳壇から  尾張旭市 古賀さん 
 
 ばたばたして更新をさぼっていますが、なんとか生きています(苦笑)。相変わらず、ばたばたして、また、もの思うことも多いですが、ゆっくり悩む暇もなく、秋も過ぎ去ってゆきそうです。
 
 昨夜の風は、やはり「木枯らし1号」だったのですね。寒いのはいやだけれど、月も星もきれいに冴えて、大阪の夜景もすっきり見えます。次の雨までサイクリング通勤を続けよう。
 
 夜が明けて、6時過ぎから、一気に朝焼けが空に拡がっています。朝焼けと夕焼けは色合いが違うとは思っていましたが、空の温度の違いいよる光の屈折が原因だということを、この年になって知りました(苦笑)。
 
 考査問題を仕上げなければ。では、出勤します。

2008年11月13日
 
 「 落葉掃き 天の奥処(おくが)に 帰らばや 」  恩田 侑布子
 
 フレディではないけれど、落葉はどこへ行くのだろう?風が吹けばどこかへ消えて行く落ち葉を掃き集めながら、自分も空の奥深い処へ帰って行きたいと思う。そんな気分が秋の日にはあります。若い人の句ではない。役目を終えた大人の思い。しみじみわかります。「ばや」は願望の終助詞。
 
 美しい秋の月を眺めながら、サイクリング通勤で帰宅しました。もう木枯らし一号が吹いた関東。名残を惜しみながらゆっくり走っています。近々電車通勤に切り換える予定です。
 
 上海で行われているテニスのマスターズ・カップ。少し陰りの見えた王者フェデラーに新進のフランス、シモンが襲いかかる。フェデラーの技術も、老巧な試合運びも若者の勢いは止められない。結局、シモンの逆転勝ち。そのシモンはさらに上を行くイギリスの若手、ミラーに敗れ・・・どこの世界も新旧交代がめまぐるしくおこなわれています。フランスのもうひとりの若手トンガ(アフリカ系)、ジョコビッチを破っての躍進もめざましいものがあります。
 
 でも、昔は新人を応援していたのに、今は気が付くと、ついベテランに声援を送っています。
 
 そうそう、正倉院展の話が途中でした。「白瑠璃碗」は第1回にも出品された人気作。今回は60年ぶり。次の登場までは生きておれないでしょう。なんせ九千点もあるのですから。今回の心に残った作品は「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」。南海の白い夜光貝の螺鈿と赤い琥珀(これが美しい)で花や鳥を表現し、地の部分は白や青のトルコ石。最近の調査で中国の鏡と銅、錫、鉛の比率が一致したとか。中国渡来の品だったのです。1230年に盗難。11個に破損したのを修復したのだそうです。直径32センチ、豪華な鏡でした。
 
 博物館前に臨時テントで「春鹿」の本醸造を暖めてもらって、啜りながら、暮れなずむ古都を歩いていて、ふと浮かんだ歌は「ゴンドラに揺られて 見る夢は 古いペルシャの物語・・・」シルクロードの反対方向のイタリアでも古代ペルシャへの思いを馳せた詩人がいたのでしょう。
 
 可愛い巡回バス「バンビーナ」(イタリア語!)でJR奈良へ。柏原へ抜けると、奈良では暗かった西の空が一転して、地獄の蓋が開いたようなオレンジ色の夕焼けでした。やはり大阪は西に、中国、ヨーロッパに向かって開けた国です。
 
佐々木譲さんのエッセイから
 
「憧れのレストラン」
 
 アドリア海に浮かぶ小島の、屋敷のような造りのお洒落な「ホテル・アドリアーナ」。その半地下にある「ジーナのレストラン」。臈長けた美女がションソンを唄い、店の隅で豚がひとり、シーフードを食べている・・・。そう、ご存じ「紅の豚」に登場するあのレストランです。噂によるとクロアチアのドブロブニクの近くにあるらしい(笑)。
 
 いつか水上飛行機で行ってみたい。そしてジーナさんのシャンソン、そうだ「サクランボの実る頃」をリクエストするんだ!
 
 行く人来る人
 
ミリアム・マケバ さん (歌手、心臓麻痺、76才)
 
 アフリカ系の女性で初めてグラミー賞を受賞し、「ママ・アフリカ」と呼ばれたアパルヘイト闘争のシンボル的歌手。代表作は「パタ・パタ」(私も歌って踊れますー笑)。
 
テイヴ・平尾 さん (歌手、食道癌、63才)
 
 グループ・サウンズの中で独特の光芒を放ったグループ「ゴールデン・カップス」のリーダーでヴォーカル。「長い髪の少女」も懐かしい。まだ63才だったんだ!
 
マイケル・クライトン さん (作家、66才)
 
 ハーバード大(エール大?)で医学を修めたと知りました。確かに「アンドロメダ病原体」「ジュラシック・パーク」には豊かな医学的知識の裏打ちがありました。医療ドラマの概念を変えたヒットドラマ「E・R」のリアルな表現も彼ならではの感覚だったのでしょう。長身で活動的なかっこいい作家のイメージがありましたが・・・。まだ、66才だったのですね。

2008年11月12日
 
 「散り紅葉 ここも掃きゐる 二尊院」 虚子
 
 いつの間にか紅葉前線が南下。京、大原や兵庫有馬温泉も見頃を迎えたそうです。金剛山も山頂付近はもう散っているよ、と隔日に登山している友人の報告。
 
 京の寺社の紅葉の美しさは掃き清められた庭の清らかさが一層際だたせるところにあります。千年を越す春秋の繰り返しの重さを思います。
 
 10日、後半休をもらって「正倉院展」の最終日に滑り込んできました。感心したのは年々見せ方が進化していること。人気の「白瑠璃碗」はの20センチ程の高さのガラス台の上に置き、下には鏡をおいてある。これで多面的に見られます。カットも現代なら普通、輝きもバカラほどは望めませんが、なにせ、ササン朝ペルシャ(3〜7世紀、現在のイラン)からシルクロードを経てきたというだけで、ロマンを感じます。
 
 出勤前に書いています。時間がなくなりました。この項、明日も続けます。
 

2008年11月9日
 
「 蜻蛉釣(とんぼつり) 今日はどこまで 行ったやら 」 加賀 千代女
 
晩ご飯の用意をして子どもの帰りを待つ母の心情とずっと思っていましたが、我が子を亡くした時の句だという話を先日読みました。とんぼを追って行ったきりの子ども・・・哀切です。
 
土曜日に文化フェスティバル(文化祭)が無事終了。今年は雨に加えて、急にやって来た寒さにもやられました。でも、怪我の功名か、場所変更して狭い室内でやったことが却って盛り上がりに繋がったようです。
 
 私は前夜は11時半まで、当日は朝6時出勤でした。ボランティアで、遅番早出の先生方の食事の炊き出しをやったのと、行事の担当は模擬店の飲食の部、「世界の食べ物」の調理室監督。ブラジル、フィリピン、タイ、ボリビアの生徒や教師、保護者も入って30人ほどが調理で犇めく部屋で、手洗いや爪のチェック、部外者の立ち入り阻止など。実は行事前の模擬店参加者90名ほどの検便の仕事の方が大変で、まあ、当日の仕事としては楽な方。多国籍の言葉や調理の匂いが混じり合う暑い部屋と、寒い廊下の行き来が祟って、きっちり風邪を引いてしまいました。
 
 日曜はおとなしく自宅で蟄居。昨夜飲み残したワイン(記憶なし)を啜りつつ、暖かくして安楽椅子で、溜まっていたビデオを観る。先週の「篤姫」は「龍馬死すとも」。玉木宏の龍馬はあっさり殺され、帯刀や勝を悲しませる。
 
 続いて見たのが緒方拳さんの追悼再放送のドラマ「葉陰の露」。偶然ですが、明治23年、横須賀。龍馬の妻と知らずに結婚しして10年、平凡な龍馬ファンの男が、龍馬の23回忌の出席するため京都まで出かけたら、そこに妻がいたという実話に基づく話。
 
 30年近く前の作品。原作は船山馨。横須賀の貧しい二間だけの貸家での二人芝居。「おりょう」は岸惠子。名優同士の火花散る演技でした。いろいろの確執を超えて、貧しい夫は最後まで病気の妻を看取り、8年かかって立派な墓を作ってやる。自分の名前はどこにも出さず、「龍馬ノ妻」として・・・。偶然ながら龍馬付けの午後になりました。
 
 最近読んだ作品
 
「花火のあとで」 伊集院 静
 
 昔の「両国の川開き」を愉しみ、今の「隅田川納涼花火大会」再開を喜んだ優しい夫を亡くし、女手ひとりで小料理屋を切り盛りする志万には辛い過去があった。馴染みの親方が隅田川に身投げをした女性を助けて連れてくる。その女、美智江を志万はなにも言わずに店で使ってやる。しかし、やはり女には悪い男がついていた。花火の夜、志麻は美智江のためにある行動にでる・・。
 
 「女は安堵できる男の肌に寄り添って嫌なことも、怖いことも忘れられるのだろう」伊集院さんは、例によって、女性読者を誑し込むような文章で東京下町人情と情緒を描きます。なにげない人物の出し入れもウマイ。
 
 行く人
 
筑紫哲也 さん (ニュースキャスター 肺ガン 72才)
 
 上の息子の感想では、ニュースキャスターとしては、この人、久米さん、桜井さんやねえ。私も、そうやなあ、古館さん、みのさん、関口さん、安藤さんよりもポリシーを持って自分の言葉で話していた感じがしたねえ、と賛同。年を重ねて、いい顔になってきていました。最後の帽子を被って(抗ガン剤で脱毛してしまって)の「多事争論」は痛々しかったですが・・・。
 
遠野 あすかさん ( タカラヅカ退団発表 星組娘役トップ )
 
 早くから期待されていましたが、娘役としては遅目?の8年目のトップ、そして3年で退団。パートナーの安蘭けいさんと同時に辞められるのですが、きれいな引き際ではあると思います。


2008年11月5日
 
 アメリカ初のアフリカ系大統領。若くてシャープ。まずは無事に全うしてほしい。
 
 夕方の空。月の傍に木星?が輝いている。満月より、今の三日月の面影がいい。ベランダで一日一本と決めているタバコを吸う。
 
フィギアスケート。グランプリ大会より実は各大会のエキシビションに凝っている私です。今回全米選手権のもの。井上レナさんと旦那のジョンさんのペアの演技に感動。
 
 井上さんはコマーシャルで知られているように、父親を癌で失くし、自身も癌になったけれど、闘病しつつ活動、先年リンクの上でパートナーにプロポーズされて結婚。この日は夫と出場、派手なリフトから大胆な逆落とし、デススパイラルにもってゆくシーンでこちらも涙ぐんでしまいました。
 
 不思議な夢を見ました。もう10年も行っていない修学旅行に出かけている。どこかの温泉(信州か?)。集合時間、旅館との交渉、食事、就寝時間、明日の日程、貴重品の管理、風邪をひく生徒・・・ばたばたしつつ走り回っている私は若い!?でも、昔よりやはり余裕がある。それって、なんだろう?もういちどやりたい?そんな思いはありません。今更時間は戻って来ないし、生徒の名前も朧なのに・・・。
 
 で、なんで今更こんな夢を見たか。この数週間、他校の友人達の修学旅行の話を聞いたからでしょうか。
 
 最近読んだ作品
 
「夜の空隙を埋める」  森 絵都
 
 タイル細工に熱中する主人公は留学中。10年働いてその貯金で2年間だけ、そのあとの保証はない。最近いつもいいところで停電がある。それも近所の2軒だけ。そのもう一軒のインド移民のミセス・グハー(カースト社会から逃れてきた)と犯人と思われる水道工事を探して、夜中も町に出かける。
 
 自分を探しに、また自分を活かすために、「この国」にやってきたヒロイン二人が夜の町で心を寄せ合う。怒りと苛立ちを共有しつつ、水道工事現場の多国籍の若者達を見て、気持ちを変えてゆくシーンは平凡だけれど、余韻あり。
 
「虹の向こう側」 重松 清
 
 息子を亡くして、妻を残し、長い旅に出た主人公は、帰宅の当日、先妻の癌末期という知らせを先妻の元に残してきた娘から聞く。もう、いくら後悔しても、やったことはもどってはこない。揺れ動く主人公の気持ちより、ひとりで耐えてきた今の奥さんが気の毒。わがままもええ加減にしなさい!


2008年11月3日
 
「 栃の子や いく日転げて 麓迄 」 一茶
 
 山の上からころころと時間をかけて山道を落ちてきたのです。栃餅は今が旬です。
 
 31日の嫁ハンの参加したハロウィンパーティはおもしろかったらしい。マリーアントワネットは超ミニ。スパイダーマンやインデイアン、海賊もいたらしい。嫁ハンが撮った暗い画面の写メールを見せてもらって、惹き付けられたのは、ブロンド美女の白衣の天使。深い胸の谷間、大きな注射器を手に持っている。これいい、注射してほしい!と叫んで顰蹙を買う。家で燻っていないで出かければよかった・・。
 
 2日の夕刻、浅香の同僚宅でホームパーティ。宮崎剛さんという泉南在住のピアニストを招いてのコンサートに嫁ハンと出かける。150年以上という年代物のドイツ製ピアノがリビングに鎮座している。鍵盤から1メートルの床に座って拝聴。音がちょっと不安定だったけれど、宮崎さんはさすがにプロ。「幻想即興曲」「英雄」などポピュラーなものを中心に、30人ほどの客を堪能させてくれました。
 
 余興で嫁ハンのシャンソン、同僚のギターも登場、あとはワインをしっかりいただきました。宮崎さんはキーを告げただけで、クラシック専攻なのにジャズやシャンソンにも自在に合わせはる。楽譜もないのに・・・。伺うと、宝塚音楽学校で声楽のレッスンの伴奏もされている由。納得。お話も楽しく、今度は普通のピアノで聴いてみたい。
 
 文化の日。曇りがちの「晴れの特異日」です。さすがに雨は降らず。文化勲章の授与、皇居へ田辺さんは車椅子で参上したのですね。それは当然。服はお好きなピンクでなく(残念ー着はったらよかったのに)、ちょっと地味目でした。
 
 アンジェラ・アキさんの「手紙」が「みんなの歌」で、流れて話題になっているようです。知らなかったけれど、なんと、ふたりの息子と嫁ハンがCDを買っている。なんやそれ、一家にに4枚とは・・・3人がそれぞれ非難しあっている。コミュニュケーション不足も甚だしい。もったいない(最近の私の家でのキーワード)!
 
 まあ、聴いてみようと・・・確かによく出来た歌です。爽やかなメッセージソング。でも、中学、高校の合唱コンクールにぴったしという感じ。嫁ハンは今月のライブで歌おうと思ったようですが、まだ歌うかどうか迷っています。
 
 「アンジェラ・アキ」ってあのストリッパーの?
 お父さん、誰?それ?
 あの、日劇ミュージックホールのスターさんだった・・・。
 それ、何時の話や?
 40年前の・・。あ、あれは「アンジェラ・浅丘」はんやった!南海ホークスの選手と結婚したんや!
 モー・・・、付き合いきれんわ!
 
そうそう、嫁ハンのディナーライヴが月末に迫ってきました。(28日、29日、それぞれ午後6時からと5時半から)よろしく御願いします。
 
 今夕、会場の喜志「サントロ・ドゥ・ビラージュ」を覗いてみると、垂れ幕が下がっている。先月行われた2008年ケーキショーで、ここのパティシエ、高嶋大樹さんのケーキ「ファンタジェスタ」が銅賞受賞。早速お祝いを言って、そのケーキを買って帰る。380円。ライブ会場になるとなりのレストランのカーテンが新調されていました。楽しみ。
 
最近読んだ作品
 
「笹の雪」  乙川 優三郎
 
 家の利害で結婚し、運命に流され、夫に捨てられ、また家のために再婚しようとするが、気に染まず、前の夫の誘いに乗ってしまう愚かな妻。時代劇の常とはいえ、主体性のないヒロインの生き方はいらいらします。前の夫に利用されていたことがわかって、新しい男に縋ろうとする・・・なんや救いがないなあ。
 
「すれ違う女(ひと)」 松井 今朝子
 
 落語の大名人、三遊亭円朝の人生を身近な人物の語りで描く短編シリーズ。今回は円朝の一人息子を産んだ女性の話。美しかったけれど、没落してゆく商家のお嬢さん。円朝とも結婚出来ず、とうとう最後は遊女に身を堕としてゆく。息子をそれを知ってかしらずか、放蕩に身をやつし、自滅してゆく。これも切ない話、でも実話だから仕方がない・・・?。

2008年11月2日
 
 「 この樹登らば 鬼女となるべし 夕紅葉 」 三橋 鷹女
 
  鬼女といえば、「紅葉狩」の更級姫。本性を現し、美女から一変、赤い長振り袖を翻して男に迫るのは作者の願望でもあるのでしょうか?舞台となった戸隠はもちろん、大台ヶ原では紅葉が始まっているとか・・・。
 
 校外巡視で瓜破霊園に行くと、あちこちの桜が咲いている。「返り咲き」。
 
  正倉院展へ行きたいけれどなかなか時間がとれません。話題の「白瑠璃碗(はくるりのわん)」。家から見える安閑天皇陵(聖武帝より早い6世紀)で江戸時代に出土したのとそっくりと聞くと、余計に親しみが湧きます。ササン朝ペルシャからどのような経路で渡ってきたのでしょう?
 
 1日。悩んでいる友人を励ますために、仲良し3人のおっさんで下市温泉へ。ここは初めてです。清流沿いに大きな桜が数本。まだ春の桜祭りの雪洞(ぼんぼり)が残っている。露天風呂であたたまる。青空、緑の森。湯上がりのビール。名産の蒟蒻。これがビールにも日本酒にも合う。帰りに寄った葛城古道の道はずれの豆腐屋さんもよかった。買ったザル豆腐のおいしかったこと!古市の「大阪王将」で餃子とビールで仕上げ。よく飲み、しゃべりました。友人も少し元気になったみたい。
 
 2日、早朝座禅。なぜか今月は気持ちよく座れました。秋の澄んだ空気のせいでしょうか?
 
 行く人
 
フランク永井 さん (歌手  70代?)
 
 「有楽町で逢いましょう」がそごう百貨店のコマーシャルソングだったなんて、東京へ行くまで知りませんでした。「夜霧の第2国道」「霧子のタンゴ」は空で歌えます。「君恋し」は好きじゃなかった。「こいさんのラブコール」はカラオケで歌います。女性スキャンダルが原因で自殺未遂。長い療養生活の末の死でした。伊丹十三さんもそうだったけれど、開き直る強さがなかったのかなあ。
 
柔道の石井選手。どこへ行こうといいですが、お世話になった柔道連に強化選手の辞退届を出しに行くのに、トレーナーにニットの帽子は如何なものか?ずぶとい神経も生きてゆくのに必要ですが、マナーも大事と思います。
 
 最近読んだ作品
 
 「部長 島耕作」 弘兼 憲史
 
今年社長に就任しましたが、これは部長編。レコード会社に出向した彼の「天才少女歌手売り出し編」。アメリカ育ちの歌手の才能に目を付けて売り出そうとしたが、その少女は島のかつての恋の相手の娘、すなはち島の娘だった・・・。もちろん、あの歌手を想定しています。
 
 島がやり手すぎる感じがちょっと寂しい、やはり失敗し悩んでいた「課長」の頃が魅力あったなあ。ミスを犯して得意先の宴会に謝りに行き、裸踊りを強制されて、脱げなくて、後で泣いてしまう彼に共感し、同情したものですが・・・。もっとも、今なら島も私もさっさと脱ぐような気がします(苦笑)。
 
 「公安の仕事」  今野 敏
 
 日本推理作家協会賞受賞作家の受賞後第1作。秘密中国人クラブやロシアンパブを舞台に、外務省官僚の脱線をくい止める話ですが、スパイ小説というのにはちょっとムード不足。ストーリーも大事ですが、まず、主人公はじめ登場人物に魅力がなければ・・・。次回作に期待。
 
「ローマ人の物語」 24  塩野七生
 
 紀元2世紀。賢帝に恵まれたローマは「黄金の世紀」を迎える。皇帝トライアヌスは大規模な公共事業を次々打ってゆく。
 
 「それにしても、ギリシア人なしにはローマの公共事業は成り立たなかったと言ってよいほどにこの分野で活躍したギリシア人なのに、ローマ人との共同作業の時は良い結果を産むのに、ギリシア人同士でやるとそうではないというのも興味ある現象である・・・想像力や進取性ならば」群を抜いて豊かであるのに、組織力や効率性となると落第点をつけざるを得ない・・・天は人間に二物を与えないというならば、それぞれが優れた面で協力しあうしかないのかもしれない」 
 
 なるほど!民族同士も人間同士もそうあるべきですね。



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