Kan-Kan の雑記帳



2009年1月31日
 
 今日は初晦日(はつみそか)。年始参りに行けなかったところを尋ねて年賀を済ませる日なのだそうです。蕎麦を食べる風習を持つ地方もあるとか(日経新聞「春秋」から)。
 
 インフルエンザから回復した息子は今日から出勤。共に息子がインフルエンザで寝込んで、我々親にうつらなくてよかったねえ、と喜び合った背中合わせの同僚が昨日からインフルエンザに。この包囲網をどう抜けるか?
 
 昨夜から、全豪オープンもモーニングも休日テニスも諦めて考査問題作製。クラブ付き添いが雨で中止になったこともあって、一日中職員室籠もって作業しました。休日の学校は静かで、平日と違ってまとまった仕事をするには最適の環境。パソコン、コピー、印刷機とフルに活用して夕刻5時前に共通問題草案完成。明後日、パートナー見てもらいます。印刷は後日。学校のロッカーに入れて同僚に連絡。これでもし今夜、発熱して、来週休んでも大丈夫。
 
 やっと一息。さて、これから着替えて、6時38分の電車で河内長野へ。昔の仲間との新年会(まだやるか?)。それから藤井寺に引き返して友人と誕生会の2次会へ。ダブルヘッダーになってしまったのですが、一抜けは勘弁してもらえまへんでした。
 
 明朝の座禅が心配ですが、ま、ケセラセラ。愉しんできます。

2009年1月30日
 
 ちょっとHP更新に失敗して、ご心配をかけました。トップページが出ませんよとご指摘のメール、ありがとうございました。忙しくさぼりがちの我がページですが、それでも「毎日楽しみにしています」とおしゃられると、申し訳なく、その気になってしまいます。今日は更新します(笑)。
 
 一週間がほんとにあっという間。週末の夕餉、鯛の塩焼きとじゃがいもと卵のグラタンという微妙な取り合わせで、迷わずワイン。2杯で我慢して、一休み。深夜に考査問題の仕上げをします。
 
 今日も、退学の手続きをしました。我がクラス今年度4人目。3年間で20日ほども出席していないのだから、現時点で卒業は見えません。でも、今年度、高校卒業程度認定試験(昔の大検)で5科目取得したので、来年度、2度の試験で合格の可能性あり。今の高校は卒業しなくても、高校の卒業資格は出来、専門学校や大学への道が開けます。昨年までバイトと遊びにかまけていたけれど、今は老人福祉施設で生き甲斐をみつけて働いている。こういう場合は明るく送り出してやります。
 
 退学関係書類3枚を書いて、一緒に個人ロッカーに行って、溜まった荷物を片づける。古いプリントは処理。私の発行したグループニュースは気を遣って記念にと紙袋へ。雨の降り始めた自転車置き場へ。改まって「お世話になりました」と頭を下げて手を振って帰ってゆきました。会ったのは4,5回だけど、メールや電話でたっぷり交信してきたので、情が移ってしまって、ジーンとしてしまいました。
 
 高卒認定に合格したら、改めて看護の専門学校を目指すそうです。「先生、ぼけたら面倒看てあげるからね」とかわいいメールが来ました。
 
 さんざん迷惑、心配かけて、昨春卒業していった生徒が夕方いきなりやって来る。太って30才くらいに見えました。どうしたん?車の専門学校だったよな?そうです、ディーラーに就職が決まったので報告に来たんやで。聞けば大手のメーカー。ようやったな!うん、今年度は無遅刻、無欠席やったんやで!えーっ!あれだけさぼったお前が!?信じられへん!そうやろ、自分でも不思議やねん。でも、痩せんかったら、車の下に潜られへんで!今はリフトがあります!
 
 成人式は貸衣装の袴(6万円)で出席、暴れる友人を止めて(それが成長!)血だらけになって、3万円の弁償をしたとか・・・やれやれ、!まあ、報告に来てくれるだけでも上々。教師の幸せです。
 
 やんちゃで危ないヤツだったけれど、思えば両親が目一杯愛して、心配しつつ育ててはった。そんなことが、彼を踏みとどまらせたのかもしれません。
 
 ええこともあったけれど、現実の目の前の生徒は大変。朝、あと1時間休んだら卒業アウトの生徒が来ていない。しばし自習にして、職員室に走ってチューター(担任)の先生に連絡して、本人に電話してもらう。2時間目、ぎりぎりに登校してほっとする。
 
 かといえば、卒業が危ういのに、遅刻してきて、教科書も筆記用具も持っていない。呆れかえりつつ、やはり怒ってやってプリントを渡す。彼は卒業ムリかもしれません。最後のふんばりがきかない、パワーがない生徒が増えてきています。
 
 夕刊4面に、もう09〜10の秋冬ミラノメンズコレクションの写真が載っている。目を引くのは、ドルチェ&ガッパーナの臙脂とピンクの格子のタキシード。襟は黒。ネクタイも細い黒。これを着こなすのは若さと美貌と勢いでしょう。

2009年1月27日
 
 「 亀はみな 向こう向きなり 老いるのもいいものだぜと うつらうつら  」永田和宏
 
 庭園の池って、亀、鯉、木々や石、砂に写る影・・・見飽きないものです。亀は万年。長寿はいいのかもしれないけれど、長生きしすぎるのもね・・・?冬の日射しが暖かです。
 
 インフルエンザA型に罹った下の息子の熱はまだ下がりません。暖房を強くしても、寒い寒いと言っている。こちらも感染していないか、発熱しないか、こわごわです。
 
 インフルエンザに罹っても大丈夫なように、早めに教材準備、担任としての連絡をしています。自習準備も。
 
 そしてまた、学年末に向けて、不登校の生徒と保護者に声を掛けて、登校して貰って、懇談を詰めています。
 
 それにしても、我がクラス不登校の生徒の可愛いこと。なんでよう学校へ来られないんやろ?いや、その素直さ、デリケートさゆえの、言葉を換えれば、適応力の弱さがこの事態を招いているのでしょうか?
 
 退学を視野に置いての話になってしまいますが、高校卒業程度検定試験を薦めて、なんとか彼らの進路の希望の光を消さないようにしたいと思います。特に、調理師になりたいという男子生徒、自分の夢をはっきり持っている生徒にはがんばってほしい。懇談を終えて「ありがとうございました」ときちんと言えて、帰る生徒。胸が痛くなります。
 
 校庭の日当たりの良いところに咲いている白梅が見頃です。春は着実に近づいています。
 
 電車通勤も大分慣れて、これはこれでいい気分。本がたっぷり読めるのもうれしい。
 
最近読んだ本
 
「ひとは情熱がなければ生きてゆけない」 浅田次郎
 
 題名は気に入らないけれど、作者の名前で借りてきました。ほんとにこの人の底知れぬ創作力、パワーは謎でした。その経歴も・・・。
 
 今回少しそれが解けました。高校卒業して、自衛隊に入った彼の本意は?
 
 私と同年輩の作者。当時もそれからずっと後も理解されなかったそうだけれど、彼は「三島由紀夫を検証するために自衛隊に入った」のです。知らなかった。今回読んで納得。子細は後日。
 

2009年1月25日
 
 「 今日の雪は 降り積もれとも 明るくて とほく小鳥の さへつるきこゆ 」 若山 喜志子
 
 雪が舞う寒い一日でした。雪雲の間から覗く青空は冬独特の澄んだ色。友人と訪れた、和歌山「」野半の里」は造り酒屋の建物や蔵などを改造したちょっとレトロな癒しの施設。庭の枝垂れ紅梅がほころび、雛飾りがもうされて、早春の風情。
 
 大きな柱が聳える天然温泉「蔵乃湯」の浴場は広くて、お湯も適度の濁りとぬめりがあっていい気分。湯上がりにここで造っている「軍艦ビール」と「木の國酒」の燗で昼食。満足の半日でした。
 
 下の息子が昨夜から熱があるという。朝、計らせたら38.5度。しょうがない、朝早めに近くの救急指定病院へ連れてゆく。やはりインフルエンザA型と判明。仕事に行くというので、アホかと一喝。連絡させると、もちろん休めという指示。そのかわり、2月は休みなしだそうです(笑)。
 
 それにしても、F本病院の内科担当医。息子によるとドアの向こうで「予防注射くらい打っとけ」とか「診察時間に来いよな」とか言っていたらしい。あのな、眠いのはわかるけれど、当直医で、救急指定病院やろ?本音は患者に聞こえないところで言えっちゅうねん!熱でぼーっとしている息子の代わって親父の私がかっかきていました。
 
 熱戦続く全豪オープン。今夜もジョコビッチとバクダディスの試合は2セット連続のタイブレーク。一流選手のプレイを見ていて思うことは、緩急の使い分けのうまさ。強打一転軟攻が出来る。そして、ここ一番の集中力。技術は学びようがないけれど、いろんな面で勉強になります。ここのところ自自身のテニスの調子がいいのは、昨年、骨折で2ヶ月ブランクがあって、その期間の休養の結果、肘の調子がもどったこと、自分の年を考え、ひとつひとつのプレーを丁寧に心がけているからだろうと自己分析しています、いつまで続くかわからないけれど・・・(苦笑)。
 
 23日は4年前に常勤講師で来てはった若い先生が、このたび見事採用試験に合格したお祝いの会。幹事なので、早めに会場へ。ネットで検索したイタリアン。上六のビルのはざまの隠れ家のような建物の二階。しゃれた木造りの室内はアットホームで暖かい雰囲気。大阪市内ってこんなええ感じの店がいっぱいあるようです。
 
 相変わらず謙虚で純真で明るい主賓(息子より若い!)の笑顔を見ていると、これから彼女には30年余りの教師人生があるのだと思い、感無量に。いわずもがもなのアドヴァイスなどしてしまいましたが、こちらのほうが残り少ない教職生活に対し、初心を新たに取り組まなければと思ったことでした。
 
 最近読んだ作品
 
「かるく一杯」 田辺聖子
 
 数年前に読んだエッセイ集を知らずにまた借りてきてしまいました。憶えている部分もあったけれど、大半が新鮮(苦笑)。それにしてもタナベサンの感性と見識には感服、共感します。
 
「今日の先」 畠中 恵
 
  江戸、町内の世話役の息子、麻乃助は父親と違ってええかげんな遊び人。でも彼が妙に事件を解決してゆく。今回は余命をしった大店の主人が今までやったことがなかった遊びをしたいと相談にくる。喜ぶ麻乃助、戸惑う周囲。のどかな江戸情話。
 
「家なき者のパレード」 石田衣良
 
 こちらは現代池袋を舞台にした人気シリーズ、ウエストゲートパークものの第9話。これも池袋のなんでも解決屋の「マコト」がその無鉄砲な正義感?と反骨精神でややこしい事件に体を張ってゆく。今回はホームレス連続襲撃事件のウラを探る。展開は読めてしまうのですが、作者の狙いは謎解きではなく、現代社会の問題をあぶりだすことにあるようです。
 『自立支援?この世の中にはきれいに整えられた言葉があって、たいていの場合、より厳しいこと、汚れたことを隠すために使われている・・・』

2009年1月22日
 
「 振り返る度に 寺山修司かな 」 田口 麦彦
 
 田口さんは熊本在住の川柳作家。インパクトがあります。特に50代、60代の人々に響く句でしょう。「身捨つるほどの祖国はありや」がベースにあります。
 
 眠い目をこすりつつ聞いた米大統領就任演説
 
 ケネディ大統領の就任演説やキング牧師の演説(どちらもレコードになりました)を連想した人も多かったことでしょう。権利を主張するだけでなく、自己責任の自覚を迫る点も。 
 
 もちろん演出も技術もありますが、基本はきちんと意志を伝えようとする姿勢と情熱。・・・それがどうして日本のトップからは感じられないのだろう? 
 
 どうやって19分を語りきったか、興味があります。練習を重ねて暗誦してあった?それとも、よく言われますが、聴衆側からは見えない演壇のガラスの内側に原稿が映されていた?
 
 草稿を起こしたのは、まだ20代のスタッフとか?若い人が力を発揮出来る国はまだ可能性があります。
 
 寒い日が続く日、右人差し指の爪先が割れて、痛む、しみる、引っかかる・・・思いついてバンドエイドを貼るが、これがうまく指先を包めない。クスリ等が入った箱を掻き回していたら、いいもの発見。ひびあかぎれ用に指先専用バンド。テトラポットのような形状できれいに包める。これで安心、嬉々として張り続けて3日。バンドが無くなったどうしよう、買わなくっちゃ、と焦っていて気が付いたら、爪はとっくに全快していました(笑)。
 
 「おくり人」がアカデミー賞、外国映画賞にノミネート。楽しみです。それにしても、メリルストリープ、今年も主演女優賞にノミネート。もう10数回。このコンスタントに質の高い演技を続けていることこそがスゴイと思います。
 
最近印象に残った言葉から
 
先日就任した日本政策金融公庫の安居総裁は、帝人社長になる前に反対が多かった人物らしい。選んだ板垣帝人最高顧問は「安居の評判をみんなに聞いてみたら、煙たがられていて芳しくない。もうひとりの候補は誰に聞いても評判がいい。しかし、誰に対してもいい人間には、会社を変えられないのではないかと思って安居を選んだ」
 
なるほど!
 

2009年1月20日
 
 「 日本にも オバマ旋風巻き起これ みんな待ってる 頼れる総理 」 
 
 現代学生百人一首から 高一 松村さん
 
 今夜、就任式、どんな演説をしはるかな?楽しみ。でも、あまり期待しすぎずに、じっくり見守ってあげたい。それにしてもテロにはご注意。
 
先日の「中国への旅」の記事の訂正です。
 
 「西冷印社」と書きましたが、正しくは「西?印社」です。 ニスイでなくサンズイで、この字「?」澄む、穏やかという意味だそうです、教えてくれた、Mさん、ありがとう。勉強になりました。「西湖に浮かぶ島・孤山の麓にある篆刻専門の学術団体」と、ものの本にもあります。格安ツアーの一行でしたが、ここで結構な額の買い物をしはった方が何人もおられました。
 
 西?印社の門の外は道路、その向こうは柳の土手と西湖。木々の蔭の濃い門の内側からながめていると、丸い門の枠の中を通る人々の姿が光る水の上にシルエットのように浮かんで、映画のワンシーンのようでした。
 
 最近はまっているもの
 
 「BAR レモン・ハート」 古谷三敏 息子が読んでいた、酒をテーマにしたコミック。勉強にもなります。
 
 横浜あたりの海岸の倉庫街の片隅の小さなBAR。突堤から階段を七段上がると、看板が出ている。店に入ると、L字のカウンターにテーブル席が3つくらい。中年の実直マスターがひとりでやっている。どこといって特長はないが、酒のメニューが半端ではありません。それを扱うマスターの蘊蓄も・・・。でも、おしつけがましくないのがいい。
 
 常連は酒の味のわからないフレリライターのまっちゃん、謎のめがね男・・・訪れる個性的な客とのやりとりも楽しみです。
 
 ちなみに店名の「レモン・ハート」はラム酒の銘柄。アルコール度75.5度、ものすごく強い酒です。

2009年1月18日
 
 「 福寿草 二本並びて 咲きにけり 」  尺がい
 
 1月6日の新聞のこの句に対する、俳人 長谷川 櫂 さんの注がいい。「雪解けのころ、雑木林の落ち葉の中から黄金の盃のような花が、福と寿のように二輪咲いたところ」。なるほど、この正月の花は幸福と長寿のシンボルなのですね。
 
 16日、新聞でお年玉付き年賀葉書の当選番号を探していたら、見つからない。年賀状を見直すと、発表は27日とある。15日と違うん?いつから変わったん?早く発表してくれないと賀状の整理が出来まへんがな!(ファイルに入れてしまうと当選番号照会がしにくいのです)
 
 センター試験の国語の問題文、加賀乙彦さんの「雨の庭」。都会の取り壊される古い住宅。そこの住人であった主人公の両親、特に父の思いは深い。思わず読み返して、問題を解くのを忘れてしまいました(苦笑)。
 
 漢文の問題に西施が出たので、ながらく中断していた「中国への旅」を思い出しました(苦笑)。「西湖」で止まっていました。
 
中国への旅18 
 
「西湖」 その2  今回の旅のヤマだったので、つい力が入りそうで、却って書きそびれていました。
 
 柳の緑豊かな蘇堤から遊覧船に乗りました。穏やかな湖面を堤に沿って進みます。「白蛇伝」の舞台(主人公達の出会いの場)となった石橋が霞んで見える(小学校時代、講堂で見た東映アニメ「白蛇伝」はディズニー映画より美しかった。ヒロインのモデルは当時18才の佐久間良子さんと聞きました)。
 
 とにかく、前にも書きましたように、湖畔は柳が連なり、余計な手摺りやガードレールがない。電柱も鉄塔も派手な看板も高いビルもない、東方に杭州の市街が望めるだけで、湖を巡る3方は山と丘。南に畝傍山そっくりの山がある。水はそれほど澄んではいませんが、湖中の緑の小島(島の中にさらに池が4つある)も、水の中に立つ灯籠もすべていにしえの縁(ゆかり)あり。
 
 小一時間でしたが、芭蕉も憧れた名勝の地を堪能しました。堤に戻って、畔にひっそりと佇む「西冷印社」(せいれいいんしゃ)を訪れる。篆刻の研究所兼アトリエ。入り口近くの石碑に社友の名前が彫ってある、中に日本人、梅 舒適(ばい・じょてき)氏の名前があったのに感激。梅さんは、友人と義母の篆刻の先生筋にも当たり、この旅に出る一ヶ月前に亡くなられたばかりだったのです。
 
 日本にもたくさん美しい湖があるのに、妙に観光地化してしまって、趣に欠けています。この点、西湖はすばらしいものでした。
 
最近読んだ本
 
  「 襲名 十八代目 中村勘三郎 」
 
  スポニチに連載されたインタビュー集。勘九郎から勘三郎襲名までの慌ただしい生活。ニューヨーク公演、渋谷でのコクーン歌舞伎、中村座の設立・・・次から次へと挑戦を重ねる姿勢がすごい。そのバイタリティ。人脈の広さ。好奇心の強さ。インタビュアーは川田記者。
 
 「 杉村春子 」
 
 力のこもった五百ページの評伝。つい読みふけって何度も電車を乗り過ごしそうになりました。この近代日本を代表する名女優の一生には興味が尽きません。広島の色町に生まれ、父親は解らず。しかし、その強い意志と、努力で東京に出てのし上がってゆく・・・。
 
 先輩にあたる伝説の女優「田村秋子」(この春、秋の対比が面白い)の大きい存在。確執。築地小劇場から文学座設立へ参加、やがて中心女優へ。劇団の分裂、個人として二度の結婚と夫の死、森本馨の「女の一生」、三島由紀夫の「鹿鳴館」、有吉佐和子の「華岡清州の妻」、そして翻訳劇テネシー・ウイリアムズの「欲望という名の電車」という当たり役の獲得とそれへの執念・・・名監督との映画での出会い、中国への傾倒、文化勲章の辞退、膵臓癌での死。その九十年余はまさにドラマチックで、濃い人生です。
 
 森本馨と不倫の関係であったことは知りませんでした。生涯で関わった男性も多い。それがあの独特の色気にも繋がっていたのでしょうか?喜劇が苦手だったことも初めて知りました。
 
 けっして美人ではなかったけれど、美しく見せる事へのすさまじい執念があった。それは特に衣装、着物に現れ、襟、襦袢の生地、色合い、
上前の取り方・・・すべてに細かい神経をつかった。その女優であることがすべてに優先したが故の、私生活の寂しさ、孤独は仕方なかったことなのでしょう。
 

2009年1月17日
 
 「 竹筒に らふそく灯り 大地震(おほなゐ)の 生者と死者は 共に集へり 」 「歌会始め」から水口さん
 
 冷え込んだけれど、風のないおだやかな朝でした。神戸と六甲の山が霞んで見えます。6400人を越える犠牲者が出た震災から14年。
 
 「 瓦礫掘る 指痛からむ 冷たからむ」 半井(なかばい)茉莉子  
 
 こんな近くにいたのに、もっと救えた命もあったのに・・・。瓦礫の下の生き埋めになった家族に必死に呼びかける声をかき消す取材ヘリの音。それを見ていた自分にも、したり顔に今、追悼を特集するマスコミにも憤りを感じます。
 
 被災者の方々のそれからもさまざまですが、震災で飼い主を失ったペットたちも全国各地へ引き取られてゆきました。あれから14年、ほとんどのものは寿命を終えたことでしょうが、どこでどんな生涯を送ったのでしょう。数年前の新聞の投書欄で、鹿児島で、引き取られた家族に愛されて生を終えた震災犬の話を拝読しましたが・・・。
 
 細かい事が気になります。「大」の最近の読み方。「大舞台」は「だいぶたい」?それとも「おおぶたい」?。テレビでの読みは統一されていなくいようです。「大地震」は方丈記では「おほなゐ」、平家物語では「だいじしん」です。ちなみにタカラヅカのレビューの「大階段」は「おおかいだん」です。

2009年1月16日
 
「 パンのみで 生くるにあらず 配給の パンの耳にて 一日生くる 」  
 
新聞歌壇より 住所はなく「ホームレス」と  公田さん
 
 保護しなければならない、保護を待つ人もいる、でも、保護されることを厭う人もいる。100年前のニューヨーク、オー・ヘンリーの「警官と賛美歌」の主人公、マディソン・スクエア・ガーデンのベンチで暮らすソーピーもそうでした。身元調査や強制的な入浴を拒否して刑務所へ行こうとするソーピーには哀感と矜持がありました。でも、これだけホームレスの人々が増えてくると・・・。
 
 またたくうちに一月も半ば。すでに1年の24分の1が終わったわけで、このペースでいくと、来年の正月もあっという間にくるのでしょう。冬季オリンピックまでも一年。熱くなってフィギアスケートを見ているのでしょうか?

 アコーディオンはドイツで生まれ、イタリアを経てフランスに渡り、シャンソンの中に定着していった楽器なのですって・・・。先日の嫁ハンのライブでピアニストが鍵盤ハーモニカというのを演奏してはった、これも面白い音色。世界にはまだまだ素敵な楽器がいっぱいあるのでしょう。

 さくらももこさんのエッセイで、「バライバ・トルマリン」という宝石を知りました。世界でたった一カ所、ブラジルのバライバ州でしか採れない宝石。青と緑がまざった独特の色、強いていえば地球の色。産出量も少なく、幻の宝石になってしまうかも。写真でなく、一度本物を見てみたい。できれば欲しい!

 芥川賞、津村記久子さん、直木賞、山本兼一さん(スミマセン、存じ上げませんでした)そして、天童荒太さん。あれ、天童さんて、ベストセラー作家で、このあいだ完結した「悼む人」(力作でした!)も大反響を起こした、もはや押しも押されもしない一流作家。今更、登竜門でもないでしょう?

 楽しみな読売演劇賞、男優賞には市村正規、中村吉右衛門、平幹二朗・・・女優賞には市原悦子、吉行和子・・・ベテランばっかりじゃん。まあ、いいけれど、若手がんばれ!かろうじて深津絵里さんと宮沢りえちゃんが食い込んでいるのが嬉しい。

 新大河ドラマ「天地人」は好調。達者な子役の演技に引き込まれている間に、いつの間にか青年時代に。いいテンポ。阿部くんの謙信と高島礼子さまのお姉さんの素敵なあやしい微妙なつながりをもっと描いてほしいけれど、NHKではこれが限界?今年も脚本家は女性です。

最近読んだ作品

「だんまり虫」 井上 荒野

直木賞受賞第1作。喫茶店を経営する中年夫婦の微妙なこころのすれ違い。妻の人間に対する乾いた不信感は子ども時代の叔母さんとの交流に起源があった・・・。繊細な表現でその世界に引き込むけれど、ちょっとマニアック。

「バッドボーイ」 藤堂 志津子

 これは手練れの話術。犬と暮らすさびしい初老の女性の生活に巧みに入り込んでくる悪徳商法の青年。はらはらしながら読んで、結果にほっとする。それは悪役であるはずの青年がきちんと描かれているからでしょう。藤堂さん腕を上げてはります。

2009年1月 15日
 
 「 少年の 咳に勢い ありにけり 」 新聞俳壇より  福島県 渡部さん
 
 おなじゴホンでも違います。
 
 寒さが身に沁みます。寒がりの私、しっかり保温、風邪対策をしなくっちゃと思いつつ、ずぼらな性格から、ええ加減な格好をしています。きちんとマフラーする、前を締めるだけで大分違うはずですね。
 
 20数年前の教え子が教師になって、ラグビーをしつつ熱いブログを開いています。昨日も「世界中の紛争に日本は何もできないのか」という問いかけについ反応して、次のような投稿をしてしまいました。
 
 確かに、紛争、トラブルの仲裁は難しいですね。まして、宗教や国勢的利権が絡んでくると・・・国連もなかなか動けません。

 日本に出来ることは?昨年、訪伊(食料サミット)した福田元首相が、今、欧米で総スカンのイランのアフマディネジャド大統領と会談したしたこと(大きなニュースにもならなかったことの不思議)にヒントがあるように思います。

 もちろん、すれ違いで、大した内容がなかったことが原因ですが、ここで、日本の首相として、核開発の反対意志表明だけでなく、我が国の中立(?ーイスラエル寄りではないこと)を明言した上で、大統領が、公言している「イスラエル抹殺」はあきまへん、どこの国も、民族も抹殺などとんでもない!と言えばよかった・・これは塩野七生さんの意見の受け売りですが(苦笑)・・・ちょっと離れた国ゆえの思い切った発言があってもいいですね。

 ただし極東だからといって、関心が薄いのは問題です。スペインの知人からのメールによると、ガザの空爆のニュースが常に流れて、テレビでも死体がばんばん映されて、食事時などちょっと引いてしまうそうです。すぐ隣の問題なのですね。

 死体放映の是非はおいても、もっと身近にテロや空爆に苦しむ人々の問題を考えるべき、報道すべきだと思います。

 まあ、目前の身近な問題、トラブルにも苦慮する日々ですが、近くも遠くもしっかり見ていたいと自戒を込めて思います。


2009年1月12日
 
 「 鯨より 小さかりけり 捕鯨船 」  小林貴子
 
 青く広い海、鯨の黒い影も小さく見える、それを追うさらに小さい船影・・・この捕鯨船って、昔「キャッチャーボート」と言ったやつですね。大きな波の間に見え隠れするような「小ささ」でした。沿岸捕鯨の時代も小さな木の船で銛ひとつで鯨に向かっていったのですね。捕鯨禁止に流れる国際世論の波の中で、どう残して(!)行くか・・・?心配なのは、「ハリハリ鍋」はじめ、長年続いて生きた食文化が衰退してゆくことです。
 
 3連休の最後の日は寒い風が吹き抜け、雪が舞う日。隣町に住む友人と、我が町のイタリアンでブランチ。結構、この付近はイタリアンやフレンチの店が充実しているのです。その後、家で住所録の整理など。夕刻、運動不足を感じて、近所を散歩。昨年末にあちこちの店が閉店している。寒風に晒されている「閉店のご挨拶」が寂しい。ワープロでなく、手書きなのがいい。そして、20年、30年のご愛顧を感謝しますという言葉がより切なく響きます。
 
 もちろん新しい店も誕生。全国で21店舗目というワンディッシュ・カフェが昨年末近所にオープン。料理の好きな素人が日替わりでランチやディナーなど自分の得意料理を振る舞うという参加型カフェ。それができるのは調理師免許を持つオーナーが料理に立ち会うかららしい。食べてみた日は、和食でしたがごはんがちょっと固かった。それを言うと、やっぱり、すみません!うちのご飯が軟らかめなので、意識的に固く焚いたら失敗しました、と若い奥様らしき人の弁明。宣伝をうまくして、いいメンバーを揃えたら、うまくゆくかもしれません。やる気満々のオーナー(女性)に、新聞の無料広告板を紹介する。がんばってほしい。
 
 うちの学校には母子家庭が多いのですが、生活はやはり大変。先週、懇談(相談)に来られたお母さんは、後ろ盾だったお父さん(生徒にとっては祖父)を昨年亡くし、複数の仕事を持って、日夜パートで働いて子どもを学校へ送りだしている。でも、子どもは学校へこないでふらふらしている。お母さんは無理がたたって病気が再発しているのに、息子にも告げず、悩んでいる。息子は発達障害で状況をきちんと把握、理解出来ないのです。体は大人に近いから、授業に出るようにきつく言うと、暴れて手が付けられないという・・・。うーむ。カウンセリング部とも相談しますが、難しい・・・。
 
 ゆく人
 
牟田 悌三さん (俳優、80才)
 
 8日の午後、突然倒れられたそうです。ホームドラマで見せたやわらかな笑顔が印象的ですが、私のイメージはラジオドラマの声の人。深くて暖かくて、懐かしい。劇団「テアトル・エコー」の創設メンバーだったのだそうです。舞台で鍛えた声だったのですね。

2009年1月11日
 
 「 八十の 母刀自薺(なずな) とんとんと 」  中田 みずほ
 
 折角の連休なのに、連夜の新年会で、映画も見ないで二日が過ぎました。特に10日の友人宅での新年会は近年最高(最低)レベルの泥酔。帰宅も就寝も記憶になし。10リットルのビールサーバーが途中で故障、業者に連絡して、さらに10リットル(もちろんサービス)運び込んだのが効きました。日本酒は本場から送られてきた「越乃寒梅」。調子に乗って、いぎたなく飲んで、それでも翌朝は元気に目覚めて宿酔していない。この体力(肝臓)は我ながらどうなっているのだろう、いつか壊れるはず・・・。今回はかなり反省。
 
 11日、嫁ハンとその師匠である東京のシャンソン歌手、堀内環さんの二人ライブが北新地のシャンソニエ「ポケット」でありました。堀内さんはクラシック出身で声量豊かに、ドラマチックな歌唱をされる方。今回は「シェルブールの雨傘」や、ベコー、アズナブールの歌もよかったけれど、コミカルな歌にも味を示されました。
 
 「辻馬車」・・・通りがかりの辻馬車(今のタクシーですね)の中に、妻と愛人の姿を発見した男が辻馬車を追っかけて止めようとして、下敷きになって死んでしまう。妻はそれを知ってにっこり笑って「これで私も晴れて未亡人」、御者にチップをはずんで、軽やかに歩み去ってゆく。
 
 「ゴリラ」・・・檻に閉じこめられたゴリラが春情を催し、檻を破って飛び出す。見物の女性達は逃げ散るが、残ったのは逃げ遅れた老婦人と彼を助けようとした若い警官。さて、ゴリラが襲ったのは・・・?
 
 嫁ハンも10曲唄ったのですが、師匠との共演でかなり緊張しておりました。最近歌い込んで、こなれてきたのは「30年を2時間半で」。60を前にしたかつて恋人同士だった男女が30年ぶりにデパ地下で再会して、軽く飲んで別れるという9分の曲。歌詞の中に出てくるのは「風に吹かれて」「真夜中のカーボーイ」・・・団塊の世代にはぴったりくる歌なのかもしれません。
 
 80年ぶりに姿を見せた幻のダイヤモンド「ウィッテルスバッハ」。35.56カラットで、緑がかった青色をしているという。スペイン・ハプスブルグ家からオーストリア・ハプスブルグ家に嫁いだマルガリータ・テレサが持参したものらしい。あちこち転々として、先月ロンドンのクリスティーズで競売にかけられ22億円でイギリスの宝石商の手に落ちたとか。カラー写真で見てみたいものです。
 

2009年1月9日
 
 「 熱燗や 屋台に名乗る こともなく 」 新聞俳壇から 長崎市 市川さん
 
 昔は屋台や立ち飲みでは余り飲まず、ひたすらテーブルや座敷に座って飲むことをよしとしてきましたが、近年はすべてどうでもよくなって、仕事の帰りに立ち飲みにちょっと寄って帰ることも、大きな楽しみになってきました。アベノの立ち飲みなら、おでん2本と熱燗一本で470円くらい。いつも人がいっぱいで、隣合わせた人と、ちょっと天気の話や世間話をして、そのまま別れます。
 
 田舎では考えられない、これも都会の味わい。かつて、故郷の町の酒場で弟と飲んでいたことがありますが、ふと気づくと、店の主人夫婦を始め、居合わせた客のすべての名前も家も知っていることに愕然としたことがあります(苦笑)。それはそれでいいけれど、やはり窮屈。都会の片隅で名もない一市民として飲む楽しみは、代え難いものがあります。周囲は笑うけれど、退職後の在り場所の悩み所です。
 
 寒い時期の立ち番の楽しみは、校庭の木々の移ろいをながめること。日当たりのよい場所にある梅の木の枝先に白梅がもう2輪ほど花開いています。匂いはまだまだです。
 
 冬至と共に日が長くなる、すなわち朝が早くなると思い込んでいました。それにしては、なかなか陽が昇らない、どうもおかしいなあと思っていたら、日の出はやはりまだ遅くなっていて、日の入りがより遅くなっていたのです。朝7時過ぎに電車が道明寺駅にかかる手前の無花果畑でやっと二上山から朝日が顔を出す。明日くらいからちょっと早くなるようです。グッドモーニング・スターシャイン(これはミュージカル「ヘアー」の名曲)じゃない、サンシャイン。つい朝日を拝んでしまう古い人間です。
 
 「今年はドラマも見る」と宣言しました。まずは8日夜の、山田太一ドラマ「ありふれた奇跡」。さりげない日常の中の大きなドラマを淡々と描く。脚本、演技、演出、すべて丁寧で静かに胸にすっと入ってくる。倉本聡さんのドラマほど大向こう受けを狙った派手さがない点に好感がもてました。出演者も贅沢でかつ適材適所。プラットホームで自殺しようとした中年男性を、居合わせた若い男女が救ったことから、新たな人間関係が生まれてゆく・・・。来週から愉しみ。
 
 NHKアーカイブスは週末の楽しみでした。武原はんさんの「雪」も、歌右衛門さんの「隅田川」も、すばらしかったけれど、圧巻は「勧進帳」。先々代の海老蔵の富樫の立ち姿、口跡の美しさ、梅幸の義経の気品、四天王とのアンサンブルのよさ、そしてなにより、先代の幸四郎さんの弁慶の動きのキレのよさ、安定感。ひっこみの飛び六方のダイナミックさに感嘆、感激しました。
 
最近印象に残った言葉
 
「速い人、勉強できる人は楽しいから、練習がちゃんとできるのは当たり前。だから遅い人、苦しい練習しかできない人への労りの心を忘れずに」  加藤一雄(教師 陸上部監督)
 
行く人
 
デール・ワッサーマンさん(米脚本家 、鬱血性心不全、94才)
 
 舞台ミュージカルの最高傑作と思う「ラマンチャの男」の脚本家。日本でも現松本幸四郎さんが演じました。今年も演るそうです。「カッコーの巣の上で」もこの人。演劇的発想がすばらしい。
 
永田寿康 元議員( 元衆院議員、 自殺、39才)
 
 東大、旧大蔵省、30才で衆院議員、偽メール問題で2006年4月辞職。若くて功を焦って踏み外したかもしれないけれど、まだ39才。民主党に切られた尻尾も生き返る時間はありました。麻生自民の自滅でなぜか民主へ吹き始めた風に乗って、いつかは大臣への路が開かれたひとだったかもしれません。
 
 でも、やはり海千山千の政治の世界で生き抜くには繊細、ひ弱だったのでしょうか?エリートでありすぎた故の脆さだったのかもしれません。いつかドラマの主役として生まれ変わるように思います。


2009年1月8日
 
 「 七種(ななくさ)の はじめの芹ぞ めでたけれ 」  高野素十
 
 やっと、賀状の整理も一段落。授業も始まって、正月気分も一新されました。それにしても、年末年始のハードなスケジュールの疲れがまだ体内に残ってはいます。同僚で3日酔いというヤツが2人もいました。体に気を付けて飲みなはれ、とお説教して、みんなから説得力がないと笑われる。
 
 賀状にはそれぞれ思いあり。名前がないけれど、わかる人もあり。やはり一筆が欲しい。印刷だけは味気ない。喪中欠礼が来なかったので、ついうっかり出してしまった例が今年は3軒も。春先にお葬式にも行ったのに。いつのことだったやら記憶が曖昧なのです。気が付いて、慌てて電話して謝ると、いやいや挨拶を出さなかったこちらが悪いんだからと慰められる。
 
 実は入院していて、などと告白めいた文章が多かったのも今年の賀状の特徴。ぶっきらぼうだったのは、いつもながらに父からのもの。「白川静の『漢字百話』面白かった」それだけ。さっそく、読んでいます。
 
 グアム、沖縄、台湾、スイス、韓国、アメリカ、北海道、信州、日本、世界のあちこちに出かけた友人、同僚からお土産を頂く。スイスはオペラを聴きに行かはったらしい。お土産はチョコレート。職場の一隅に積まれた土産の山の中に、私の四国土産がひっそりと・・・(苦笑)。毎度、近場で肩身が狭いわーーーとぼやくと、例によって、優しい同僚が、カンセンセ、四国も海外ですよーと慰めてくれる。
 
映画情報
 
 映画専門誌「キネマ旬報」は8日、第82回となるベスト・テンと各個人賞を発表した。日本映画の第1位は納棺師を題材にした滝田洋二郎監督の「おくりびと」、外国映画はコーエン兄弟の「ノーカントリー」だった。「おくりびと」は、個人賞でも監督賞のほか、脚本賞(小山薫堂)、主演男優賞(本木雅弘)も受賞した。ベストテンとほかの主な個人賞は以下の通り。

 【日本映画ベスト・テン】(1)「おくりびと」(2)「ぐるりのこと。」(3)「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(4)「トウキョウソナタ」(5)「歩いても 歩いても」(6)「闇の子供たち」(7)「母べえ」(8)「クライマーズ・ハイ」(9)「接吻」(10)「アフタースクール」

 【外国映画ベスト・テン】(1)「ノーカントリー」(2)「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(3)「ダークナイト」(4)「イントゥ・ザ・ワイルド」(4)「ラスト、コーション」(6)「イースタン・プロミス」(7)「その土曜日、7時58分」(8)「エグザイル/絆」(9)「つぐない」(10)「チェチェンへ アレクサンドラの旅」

 主演女優賞=小泉今日子(「トウキョウソナタ」など)▽助演男優賞=堺雅人(「クライマーズ・ハイ」など)▽助演女優賞=樹木希林(「歩いても 歩いても」)▽新人男優賞=井之脇海(「トウキョウソナタ」)▽新人女優賞=甘利はるな(「コドモのコドモ」)▽外国映画監督賞=シドニー・ルメット(「その土曜日、7時58分」)、ショーン・ペン(「イントゥ・ザ・ワイルド」)

受賞した映画、どれひとつ、見ていません。反省。


2009年1月6日
「 まんべんに 御降(おさがり)受ける 小家かな 」 一茶


「御降」は正月に降る雪や雨。信州出身の一茶にとっては雪でしょう。正月の雪は豊年の兆し。積もり残って夏に田を潤す元となります。どこの家にも、雪はまんべんなく降り積もってゆきます。


 今年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートは、初登場のバレンボイムの指揮でした。歯切れよい茶目っ気たっぷりの指揮ぶりで、賛否はあるでしょうが、私は楽しませてもらいました。


 箱根駅伝もつい見てしまう。新春の箱根路、輝く富士山、区間賞、山登り、シード権争い、繋がる、繋がらないタスキ、オリンピック選手から、今日で陸上を卒業するといった幅広い選手層も・・・仕掛けが巧妙で、アザトイナと思いつつ、若者の力走と笑顔と涙についのめり込んでしまいます。


 来年、一時閉館で取り壊される歌舞伎座の特集番組で、先代の中村勘三郎の芝居、踊りをいくつか見る。昨年から何度か、こういう機会があって、実は勘三郎を見直しました。生前といってももう20年以上前ですが、何度か見た舞台はいつも「投げて」はって、がっかりさせられたのです。

 気分のムラが激しく、乗ったらスゴイらしいけれど、乗らなかったら目も当てられなくなる。南座での舞台で、相手役が気に入らないらしく、お気に入りの中村吉右衛門が登場して「おう、やっと役者が来た」などと舞台で平気で言うのを見て呆れたものでした。


 今回、テレビで見たいくつかの場面(「沼津」「関の扉」など)で実に見事な演技、踊りなのに感服。愛敬と華があります。巡り合わせってあるのでしょう。人間関係でもそういうことがあるのかもしれません。いくつかのシーンだけでその人を決め付けてしまう・・。気をつけよう。


それにしても、「プロだったら舞台を投げたらアカン」と思うのは、狭量なファン意識なのでしょうか?


 2日の夜から慌しい帰省をしました。年末から帰っていた姉夫婦と交代。年末年始も20パーセントの割引のあるオレンジフェリーを使いましたが、昨夏、四国で足の骨を折って帰阪したときの悪印象―松葉杖にやさしくない云々、とさんざん悪口を書いた、ゴメン(笑)ーは大分拭えました。エレベーターがないのは残念ですが、トイレやベッド、食堂の設備は、年々しょぼくなるダイヤモンドフェリーをはるかに越えています。この欄でお詫びして訂正。これも一度で判断してはいけません。


 故郷の2日間は買い物、掃除に明け暮れる。両親の衰えのスピードが上がったみたいで心配と不安が募る。炊事はもちろん、洗濯物を干す作業も大変だということがわかって、手すりを追加したりあれこれ、ヘルパーさんへの対応も含めて弟夫婦とも相談。仕事を奪わないよう、生きがいを見失わないよう、作業の負担軽減を図る・・・難しい作業です。


 携帯の使い方を嫁ハンが母にしっかり教え込んでくれて、ちょっとだけ安心して5日早朝、帰阪。仕事初めはやはり体が重かったです。


2009年1月2日

「 新しき 年のはじめの 朝目覚め 生きとし生ける こころ励まむ 」  斎藤茂吉

 明けまして おめでとうございます。

 暮れの31日夕刻より、テレビを見続け、酒を飲み続け、朦朧とした中で新年の迎えました。曇り空で「初日の出」は拝めませんでしたが、日中には日の目が見え、夕方には古市一帯激しい霙、二上山、葛城、金剛には雪、さっと晴れ上がって、夕陽が射して、山が美しく浮き上がって見えました。ドラマチックな?2009年を思わせる幕開けです。

 紅白歌合戦ももうおぼろの記憶ですが、なぜか前川清の「東京砂漠」、天童よしみの「道頓堀人情」の熱唱が心に残っています。平原さんの「ノクターン」のバックの踊りは余計でした。秋元順子さんの「愛のままに」は、はしょられて可哀想。どうしても「シルエットロマンス」を連想させる曲想が損をしています。

 過去の紅白を回想する番組で見た昔のシーン。1972年、「すみだ川」を唄う島倉千代子のバックで坂東玉三郎が踊っている。若い!(当時22才)。

 放映された過去の映画も。「潮騒」の山口百恵、三浦友和さんのコンビが初々しい。百恵ちゃんは「島の娘」には見えませんが、友和さんがいかにもフレッシュ。その直後に大河ドラマ「利家とまつ」の再放送で40代のふっくらした渋い彼を拝見、そして今日放映された「ヒーロー」の最終回で気鋭の代議士の貫禄。時の流れを感じました。きれいに年をとるのは難しい。

 富士が美しい箱根路を快走する駅伝もつい見てしまう。今や日本の正月の風物詩です。でも、「花の二区」の1,2位を占めたのは外国人ランナー。外国人を受け入れるなら、出場枠を関東の大学に絞らず、全国にも広げたらいいのに、と思いました。

 友人が四国への土産を届けてくれる。横浜から帰って来た教え子が新年の挨拶にきてくれる。合間を縫って賀状の返礼をやっと仕上げて投函、これから車で帰省します。息子達は仕事。メールで「行ってくるで。後をよろしく。じいちゃん、ばあちゃんに伝言は?」「お年玉よろしく!」「アホ、お年玉を上げんとあかんのはお前らやで」

今年もなかなかの年になりそうです。よろしく御願い申し上げます。



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