Kan-Kan の雑記帳


2009年10月31日
 
「 この川を 越えてはならぬと 亡き母の 厳しき声に 我は目覚めぬ 」
 
 新聞歌壇から 秋田市 渡辺さん
 
 臨死体験の歌なのでしょう。母は死んでも子を守っているのでしょうか・・・。それとも、生前の教えがきちんと子の中に生きているのでしょうか。
 
昨日の記述の最後の行がなぜか消えてしまっていました。再掲示します。
 
円楽さんの引用記事に続いて
 
 笑点などで星の王子様を称していた時期から見ていました。でも落語はじっくり聞いたことがなかった。明るいけれど凄味のある芸風でした。「芝浜」くらいでしょうか。「文七元結」を聞いておけばよかった。
 
 新聞によって追悼文のニュアンスが違います。
 
日経新聞の記者
 
 2006年。笑天司会降板直後の取材で、「昔、占い師に『あんたは金に不自由しない。一生面白おかしくくらせるよ』と言われたが、その通りの面白い人生でしたね」
 
読売の記者
 
 師匠(円生)と行動を共にして落語協会を脱会し、師匠亡き後は一門を率いて、資金集めなど処世の苦労をひとり背負った。脂ののる50代のその時期に、芸に専心できたならばー「あたしの落語はどれだけのものになったか。それを思うと悔やんでも悔やみきれない」
 
 スポットライトの当て方によって、人生はかくも違う姿を見せる。
 
 隈無く晴れた秋の好日。久しぶりのおっさん3人組で近場温泉ツアー。山に詳しい友人のナビで、天川村、みたらい渓谷からさらに上って川迫川渓谷へ。ここまで来たら人も少ない。国道309は狭くて離合も難しいが、来た甲斐がありました。
 
 雲ひとつない空、広く白い河原、流れる清流、魚影、せせらぎの音、風の音、その向こうに180度の角度でひろがる黄葉のパノラマ。針葉樹林の濃い緑と好対照の様々な黄色、黄緑、赤、白・・・。もう息を呑む景観でした。
 
 天の川温泉センターで露天風呂に浸かり、湯上がりに日溜まりの縁側でビール。そのあと近所の坪内の神社に詣でて色付いた大銀杏に感嘆。すぐ近くの天河大弁財天大社(芸能の神様)に参拝して帰りました。お土産は川合の豆腐屋で買った揚げと豆腐。日本酒も買いましたが、なぜか途中で蒸発しました(苦笑)。帰宅して、さっそく揚げを焼いてビール。これがまたおいしい。
 
 今回も3人それぞれのストレスを吐きだしたいいミニ旅行でした。Mさん、Sさん誘ってくれてありがとう。
 
最近読んだ作品
 
「天使の祈り」 坂井 希久子
 
 東北の小さな村の出身、三田間椿(みたまつばき)祖母譲りの霊感を持った若い女性。祖母の命で故郷を出て、東京でやっと見つけた仕事は電話回線を通じた霊視による人生相談所「エンゼルハート」。もちろん、まがいものの怪しい職場ですが、どうも若い男性所長だけは霊感を持っているらしい。相談と称して若い女性ときわどい会話を楽しむための場なのですが、霊感を持つ椿が加わったことでややこしいことになる・・・。
 
 現代社会を切り取るおもしろいコメディ、凝ったシュチュエーションなのにシリーズ化されていないようなのが気になる。評判がイマイチだったのでしょうか?「三田間」は「御霊」なのですね。

2009年10月30日
 
「 空をあゆむ 朗々と 月ひとり 」 荻原 井泉水
 
 放哉や山頭火を育てた自由律の旗手の大正9年の作。作者も「ひとり」。
 
 今夜は「十三夜」。平成の月もきれいですが、思うのは明治の月。一葉の名作もですが舞台も忘れられません。暗い舞台の上で、三田和代さんの演じる若妻の哀しみ。こころを固めて実家に帰ってきたのに、両親に諄々と諭されて、月の下、とぼとぼと再び婚家へ戻ってゆきます。
 
 オスカー・ピーターソンの「自由への賛歌」を聴いて、胸打たれました。
 
 晴天に恵まれた遠足。心配していた現地(大阪市立科学館)集合ですが、時間通りに集まって一安心。希望者を募っての寄り合いメンバーなので、顔と名前が一致しない。事前指導で地図を付けてたっぷり説明したつもりですが、地下鉄2回の乗り換えが難しい。こちらも1時間前に現地に赴き、メールのやりとりをして、同僚には駅でピックアップしてもらい・・・。一番心配していた女子生徒は、親切な女性が肥後橋から科学館近くまで同行してくれたそうです。
 
 過保護になってはいけないのだけれど、プラネタリウムの時間もあります。9年前の遠足では阪急嵐山駅集合なんて無謀な?ことをやって無事でしたが、時代も生徒の質も変わっていっています。
 
 久々のプラネタリウムと、全天周映像「ハヤブサ」は宇宙の無限に拡がりを痛感させられ、楽しめました。生徒も楽しんでいました。あえて、USJでなく、科学館を選んだメンバーだけのことはありました。
 
行く人
 
古典落語の名手で、テレビ「笑点」の司会などでも親しまれた三遊亭円楽(本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日、肺がんのため、東京都中野区の長男の自宅で死去した。76歳だった。東京都出身。葬儀は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻、和子(かずこ)さん。

 円楽さんは、歌舞伎で有名な助六の塚があり、浅草から足立区に移った浄土宗寺院、日照山不退寺易行院の四男として生まれた。昭和30年、6代目三遊亭円生に入門。37年に真打ちに昇進、5代目三遊亭円楽を襲名した。

 古今亭志ん朝さん、立川談志さんらとともに若手の成長株として注目され、テレビにも数多く出演した。「笑点」「お笑いモダン亭」などのレギュラーとなり、「星の王子さま」の愛称で売り出した。

 53年、師匠の円生とともに落語協会を脱退して落語三遊協会を立ち上げた。円生が亡くなった後は円楽一門の総帥として活動。60年春には、寄席に出られなくなった一門の活動の場として東京都江東区内に寄席「若竹」を作ったものの平成元年秋に閉鎖。その後は独演会や一門会などで噺を聴かせ、多くの弟子を育てた。

 三遊派の正統を受け継いだ師匠・円生ゆずりの人情噺を得意とし、「芝浜」「文七元結」「中村仲蔵」などが十八番だった。


2009年10月29日
 
「 己が子を 食べてしまひし 目高かな 」
 
 新聞俳壇から 町田市 枝沢さん
 
 なぜか2度ほど失敗して、今度はうまく成長している目高3匹。かわいい。毎朝餌をやるのが楽しみです。子ができるといいのですが・・。
 
 小さな別れふたつ
 
 校舎の外壁工事が終わって、ずっと警備についてくれていた若い方(20代から30代)ともお別れ。いつも笑顔で、暇を見てあちこち掃除をしてくれて、生徒にも気軽に声をかけてくれていました。校内巡回や塵を捨てにゆく途中でちょっと立ち話をしたものです。昨日挨拶しようとしたら、明日もありますから。さびしくなります。私も。今度はどちらへ?たぶん京田辺あたりと思います・・。
 
 今日挨拶しようとしたら、事件と会議で遅くなり。もう帰られたあとでした。
 
 隣の中学校の工事車両の出入り警備のガードマンさんは、以前この欄でも書いた、かつての通勤路沿いの保育園の警備員だった人。1年半ぶりに出会ってひと月、明日で仕事が終わるそうです。次はどちらへ?まだわかりません。明日は遠足で来れません。今日でお別れです。でも、どこかでまた会えるといいですね、と言い合って別れる。こちらの方は70代かなあ。
 
 気軽に、また逢いましょう、と言いながら、もう逢うこともないのでしょうね。お名前くらい聞いておけばよかった。
 
 テレビドラマ「スリーピング・マ−ダー」 クリスティの佳作を映像化。こういうのをやらせるとイギリスの放送局はウマイ。
 田舎の豪邸、庭、衣装、暗い階段・・・。本物が残っている強みです。楽しみました。
 
 うっかり書いて、あちこちにご心配を掛けてすみません。体調は少しマシです。来週土の文化祭がピークだと思うので、そこまで踏ん張って、後は養生を優先します。メールでのお励まし、ご忠告、ありがとうございました。
 
最近読んだ作品
 
「また逢う日まで」 乃南 アサ
 
 泥棒のカップル、妻は身ごもっている。それを追う刑事のコンビ。どちらもきちんと描いているのがいい。若手の刑事、功太朗は相方の三沢主任とうまくいっていない。容疑者の両親とのふれあいもリアル。バックに流れるその時々の流行歌が時代を表す。「傷だらけの人生」「圭子の夢は夜ひらく」、そして「また逢う日まで」。
 
 事件は解決し、功太朗刑事の妻にも子どもが生まれる。

2009年10月28日
 
「この川を 超えてはならぬと 亡き母の 厳しき声に われは目覚めぬ 」
 
 新聞歌壇から 秋田市 渡辺さん
 
 「川」は「三途の川」。手術か何かでの臨死体験だったのでしょうか?人智を超えた何かの力で作者は生かされたのでしょうか?渡辺さんの目覚めた後の、深い溜め息と感慨を思うと、涙が溢れます。
 
 阿倍野フープに大阪一番最初のクリスマスイルミネーションが灯りました。朝は点灯されていない寒々としたゲートを、夕べはきらきら光る美しい70メートルにあまる回廊を巡って通勤しています。これってすごい贅沢かも。
 
 あまりに疲れて、帰りに立ち飲みに寄る。プラス8度の辛口の純米酒(新酒)とおでん(4種)で1200円。それでいい気分になれました。
 
 目眩と吐き気が交互に襲ってくる。でも、これも生きている証。このしんどい時期を乗り切れば、次のステージが待っているように思います。
 
 最近読んだ作品
 
 「最後は臼が笑う」 森 絵都
 
 満員電車で、わざと微妙な年齢の女性に席を譲って相手を傷つける・・・その悪質な手口に出会って、復讐を誓った女性グループ。綿密な計画を立てる。声を掛けられる、そこで啖呵を切る、逃げる男に足を掛ける・・・その実行の日、声を掛けられたまではシナリオ通り、その空いた席に突進してきたのは・・・「臼」。
 
 「善悪を通り越した偉大なる刺客の一撃」ものすごい大阪のおばちゃんでした。だれも叶わない。結果オーライ。苦笑いでぺージを閉じる。
 
最近印象に残った言葉
 
岸田今日子さんへのインタビューから 父親、岸田国士にふれて
 
 「言葉対しては非情に敏感でしたね。たとえば、姉と私を映画館に連れて行ってくれたとき、要するにタバコを吸うな、と言いたいんだけれど、火災の原因になり、他のお客様の迷惑になり、映写効果を妨げますので、タバコはお吸いにならないでください」というふうに言ったのです。
 そうしたら父が「こういう時はひとつだけ言えばいい。それはなんだと思うか」と聞くのです。私は火事になるのがいちばん怖いかしらと思って「火事?」って言ったら、「ここは映画を見るところだから『映写効果を妨げる』ということだけを言えばいい」と言うんです。
 
 ナルホド。「ここでは何が大事か」なのですね。

2009年10月27日
 
「 秋風や しらきの弓に 弦はらむ 」  去来
 
 漆も塗らず、藤も巻いていない白木の弓に弦を張って的に向かう。すがすがしくきりっとした句です。秋の風も白いのでしょう。芭蕉の高弟、去来は武道の心得もあったそうです。
 
 25日、嫁ハンの久々のホールでのコンサートに一日付き合いました。西宮プレラホール。阪急西宮北口の駅前、ガーデンズの向かいのこじんまりした(300席)綺麗な官営のホール。
 
 9時半、家を車で出発。11時楽屋入り、音合わせ、リハーサルを経て、4時半開場、5時開演、7時終演、後片付け、打ち上げ(ビールは我慢)、名古屋から来てくれた嫁ハンの大学時代の友人を伴って帰宅したのが午後11時でした。
 
 今回はバックはピアノ(いつものKさん)とシンセサイザー(Kさんの友人のミュージックスクールの先生)。息の合ったふたりの男性がコーラスも兼ねて、しっかり盛り上げてくれて、欲目ながら聴き応えあるコンサートだったと思います。温かい聴衆のみなさんの拍手もうれしかった。
 
 元同僚(先日、馬に噛まれたおっちゃんです)で六甲山に登った帰りです、とリュックをしょって来てくれたのにはびっくり。当日券で入ってくれました。テニス仲間も河内長野から来てくれました。Hさん、Tさん(差し入れのお団子おいしかった)ありがとう。
 
 スタッフ8人で駅前の居酒屋で打ち上げ。私は烏龍茶でがまん。帰宅したら11時でした。
 
 嫁ハンの次のワンウーマンライブは11月28日(土)、「サントル・ドゥ・ヴィラージュ」(近鉄長野線「喜志」駅より送迎あり)。こちらはディナーショーです。ライブのみのチケットもあり。よろしかったら・・・。
 
 映画「ネールの恋」製作中止。インドのネール初代首相と最後のインド総督マウントバッテン卿の妻、エドウィナの恋、そのテーマ、おおいに興味あり。中止にはインド政府の介入の疑いありとか。それにしても、ヒュー・グランド、ケイト・ブランシェットの共演、見たかったなあ。
 
 小津安次郎監督の名作「麦秋」が初めて劇団新派によって舞台化。脚本・監督が松竹育ちの山田洋二。原節子演じたヒロインは誰が演るのでしょうか。
 
 正倉院展始まる。10月2日に「開封の儀」が行われたそうです。「蔵に入る前日は夫婦げんかひとつしてはいけない。気分が苛立てば、宝物を触る手が震えるからです」。現在、宝物は1953年と62年に建設された鉄筋コンクリートの東西の宝庫に収められている。これは当然でしょう。それにしても、大仏殿は2度も焼けたのに、側の正倉院が1200年も残ったのはやはり奇跡に近いものでしょう。文化祭が終わったら出掛けようと思っています。
 
 26日は、来年度の教員採用試験の発表。現任校の講師の先生が方にも当落があって、悲喜こもごも。個人的に親しかった昨年度の講師(現在、北部の高校に勤務、息子より若い!)が合格したので、梅田、お初天神通りで落ち合い、ささやかに祝杯。本当にうれしい。頼もしい後輩が出てくると、やがて去りゆくものは安心です。
 
 最近知ったコト
 
 西洋絵画でよく見かける水汲みをする少女(瓶を持って、泉や井戸の側にいる場合も多い)の図柄の意味。フランスの諺に「何度も水汲みに行けば、水がめもいつかは壊れる」というのがあり、陶器の水瓶は壊れやすいことから、「何度も危険を冒せば、最後には破綻をきたす」ひいては「誘惑に身を晒していると、いつかそれに負けて身を滅ぼす(純潔を失う)」という教訓なのだそうです。
 
 もちろん、教訓を隠れ蓑に少女のエロチシズムを描くことにポイントを置いたものが多々ある・・・なるほど。でも、少女にあまり色気を感じない(その趣味を理解はできるが)わたしとしては、ふーんという感じ。個人的にはエロチシズムはやはり大人(熟女、老女も可)のもののような気がします。
 
 最近読んだ作品
 
「片割れの月」 小池 真理子
 
 ひとつの家族をソレを取り巻くそれぞれの人物の視点から描く。ヒロインが亡くなって、今回はヒロインの元夫の再婚後生まれた娘が「私」。ライターで若手の人気俳優と不倫をしているが、ヒロインの忘れ形見である腹違いの兄にも微妙な思いを寄せている。
 人間関係の微妙な連鎖。でも、ちょっと重たくだるい。
 

2009年10月24日
 
「秋風と 花屋の角を 曲がりたる」  
 
新聞俳壇から 高島市 足立さん
 
 歩きながら花が変わったことに気づいたのですね。足は停めなかったけれど・・・。
 
 青い薔薇の名前、思い出しました。「アプローズ」、喝采です。
 
 秋の花のひとつ 「紫苑」は平安時代から観賞用に栽培されていたそうです。今昔物語に親を亡くした兄弟が、兄は「忘れ草」(萱草)を植えて忘れようとし、弟は「思い草」(紫苑)を植えて忘れないと毎日墓参し、墓守の鬼も感じ入ったとあります。花言葉は「君を忘れず」。和菓子の世界の「紫苑」は、秋彼岸にずっと思い続けている方の供養の意味で供えられる菓子、中身は金団(きんとん)だそうです。
 
 27年前に当時14才の娘を殺されたフランス人の父親アンドレ・ハンべルスキ氏(74才)が、ドイツ人の容疑者(74才)を刑に服させるためにフランスに誘拐したという記事。容疑者はドイツで証拠不十分で無罪(フランスでは禁固15年)。誘拐され、フランスの裁判所前に放置されていた容疑者は改めて裁かれるが、アンドレさんも誘拐罪で、最高禁固10年の刑を受ける可能性があるという。
 
 すべて覚悟の上でやったことでしょう。アンドレ氏の気持ち、わかるように思います。忘れた方がいこともあるけれど、どうしても忘れられない、許せないこともある。
 
行く人
 
野村監督
 
 解雇とも言えますが、最後まで健闘、日本ハムに敗れたものの、両チームから胴上げされて、味のある幕切れでした。それにしても、ペナント中に解任(来期のギャラの問題らしい)の発表をした楽天の人事は非情というか、タイミングが悪かったというか、初代の田尾監督の時同様、後味が悪かった。フロントは猛省すべし。

2009年10月22日
 
「 蜩(ひぐらし)や みんな帰って しまひたる 」  新聞俳壇より 枚方市 加藤さん
 
 毎日の事件。ここで書いても信じていただけないようなコトが連続して起こっています。事件を起こした当事者、そして保護者・・・。偶々の一件ならそんなこともあるだろうと思えますが、毎日同じような事が連続して起こると、自分の常識が揺らいで、心身のバランスを崩しそうですが、なんとか保っておられるのは、同じように嘆き、怒り、考え、悩んでいる仲間がいるからでしょう。
 
 思わせぶりなので、気を取り直して、ひとつだけ今日の具体例を。
 
 大きな事件を起こした生徒の保護者
 
「うちの子も悪いけれど、こんなんをなんとかするんが学校やろ!」とねじ込んで来はる。
 
「こんなんに育てはったんはどなたでっか!?」これは私の内心の声。
 
下の息子に愚痴ると、得意の決めぜりふ「なんとかせえてか?ムリ!」
 
「ところで、お父さんの勤務先って警察やったん?」「違います!!」
 
ゆく人
 
原田康子さん、そして南田洋子さん死去
 
 南田さんはきりっとしたいい女優さんでした。映画は「幕末太陽伝」の品川遊女、テレビでは「横堀川」「紀ノ川」で演じた女性の一代記が印象的でした。「ミュージック・フェア」の司会も。晩年の認知症発病と夫の長門裕之さんの献身的な介護が話題でしたが、どうも心にひっかかるところがありました。
 
 スイミング仲間の寸評。
「わたしは絶対イヤ。きれいだった奥さんを晒し者にして・・・私だったら耐えられない」(40代女性)
介護を記録したドキュメンタリーは20パーセントを超える視聴率だったらしい。
「女優だから、それは本望だったんちゃうの!どちらも俳優だもの。なんでも見せるよ」 (50代女性)
「金に困ってたんじゃないかな」(60代男性)・・・と喧しい。
 
 老々介護と認知症の現実を訴える意図はまあわかるとして、その意義はあったのかもしれないけれど、売れた本はともかく、あの映像は個人的に痛々しくて見るのが辛かったです。
 
 いよいよサントリーの「青い薔薇」が発売されます。1本2000円から3000円だそうで。花言葉は「夢は叶う」。肝心の名前は・・・忘れました。昨日読んだばかりなのに。
 
最近読んだ本
 
「ちんぷんかん」  畠中 恵
 
文庫本で読み終えたと思ったら、単行本が出ていました。これがシリーズ最新版。貸してくれたMさんありがとう。
 
少しずつ進展してゆく主人公、一太郎の周囲。腹違いの兄はとうとう結婚の気配。数少ない友の菓子屋の息子栄吉も修行に出る様子。大店ののどかな離れでしっかり寝込んでいる一太郎にも歳月が流れる。
 
 収録されている5作品のうち、特に面白かったのは、三途の川まで行って引き返す「鬼と小鬼」。古木の桜の花びらの妖(あやかし)との切ない交流を描いた「はるがゆくよ」(これは新潮ケータイ文庫で配信されたらしい)。桜のはなびらと同じく人の命もはかないもの。去ってゆかねばならないものの哀しみ、遺されたものの哀しみ・・それは二度と逢えないという点では同じこと。あたたかいユーモアの中に、病弱な一太郎の心の成長と別離の予感が作品に陰影を添えます。
 

2009年10月20日
 
「 秋風の 吹き抜けゆくや 人の中 」  久保田万太郎
 
 思わず見入ったテレビ番組。まどかひろしが商店街を歩く。
 
老舗和菓子屋の看板娘は104才のおばあちゃん。もう80年、接客をしてはる。
 
一番辛かったことは?戦後の食料不足で子どもにごはんを食べさせられなかった・・・。
 
 でも、無事成長した5人の子ども達。同居の長男、84才は、雨の中ゴルフに出掛けて留守だとか・・・。元気な家系ではあるんだ。
 
眼鏡屋さんで。
 
 店主が掛けているのは視力を弱める眼鏡。人は見えすぎると疲れるのだそうです。読書、ドライブ、普段の生活などに、それぞれ応じた視力の眼鏡を使い分けると体が楽らしい。ほーっ。
 
最近読んだ本
 
「マダムだもの」 小林聡美
 
 題名の響きがいいなあ。マダムを自称するが、もちろん気取ったものでなく、ほんとに肩の力が抜けているように見える、個性派女優のエッセイ。犬との生活、旦那(三谷幸喜さん)との絶妙なやりとり・・・。
 
 ムリせず、きっちり主婦しているのがいいし、自分の時間を大事にしている。ひとりで旅にもでる。オンとオフの使い分けがうまいのだろう。
 
 化粧前(楽屋の化粧する場所)に向かって、隣を見たら常磐貴子さん(今日、婚約発表)が見事に並べてきちんと座っている。マダム小林は自分の化粧ポーチからごそごそひとつずつ取り出して、ばたばた化粧する、その時は女優としてちょっと反省するが、学習はしない、そこがいい。

2009年10月19日
 
 配流てふ 島は薄の 風ばかり 」 新聞俳壇から
 
               伊賀市 西澤さん 
 
昨日友人から来たメール  

○○(私注ーアベノ路地裏の居酒屋ーすでに無い)でいただいたネコ(クロチビ)は、来月で3年になります。もといたシロチビよりもはるかに大きくなり、最近いささかメタボ気味・・・。仲良く元気です。

 実家(私注ー彼女の実家はお寺)の檀家さんで、一人暮らしだったお年寄りが亡くなられ、ネコが4匹残されました。あとを整理する方は、飼うつもりはまったくないらしく、このままだと保健所に・・・ってことになってしまいそうなのです。うち1匹は、誰にでもよくなつく子だそうで、誰かもらってもらわれへんかな・・・と、姉と話をしています。誰か、ネコ欲しい方おられませんでしょうか??

一才のかわいい雌猫だそうです。

先日壊された自転車の鍵をやっと修復。久しぶりに自転車で大和川伝いに職場に出勤。秋の風がさわやかでした。

でも、黒い川鵜が何十匹羽も川中の石に止まって、川上を向いて風に吹かれているのがちょっと不気味でした。

携帯番号をお教えしている生徒(不登校)の父親から電話。

 3期分の授業料の納入期限はいつですか?明日までです。わかりました。すぐに入れます。ずっと求職活動してはったけれど6月に再就職。お声も元気。お嬢さんは?それが、バイトばかりしています・・・。

 授業料減免申請を勧めても遠慮して、ちゃんと授業料を払おうとする、まともな保護者に、思わず「ありがとうございます」と言っている自分。こういう保護者もいてはる。

 渡辺えりことすまけいの対談

 「伝説のアングラのスター」が芝居を止めて、37才から50才まで13,4年間印刷所の仕事をしている。

 俺はわがままだから、下手なくせにバカなやつっていうのをどんどん切っていったら、最後には太田豊治とふたりだけになっちゃってね。身を削って芝居をしているのに、どんどん貧乏になってゆくし、そうするとだんだん神経も細っていくんですよ・・・。

 そのすまけいを探して芝居をさせた井上ひさしもすごい。


2009年10月18日

「夕焼け 小焼け 薄の先に 火がついた」 北原白秋の童謡から

 パソコンに昏いので、困った時にいつも頼る友人が朝から来てくれる。行楽日和なのに申し訳ない。まだ幼い男の子がいるのです。昼までかかって、容量を上げる作業。

 彼は作業の前に、パソコンに手を合わせる。

何それ?
人間以外のものを相手にするのだから、何があるのかわからない。だから、祈るのです。
  ふーむ。工学部出身で情報の専門家なのに・・・。でも、彼の手際は実に理詰めで緻密。アバウトな私が手を抜くところをきちんと確認しながら、マニュアルを何度も確かめながら進んでゆく。感服。手伝いにならない手を出して、私が自分の指先を切ってしまいました。出血多量(笑)。

 昼飯は近くの蕎麦屋へ案内。新蕎麦が入ったばかりです、と女将さん。笊でいただく。おいしかった。友人も喜んでくれる。

 お陰でパソコンの立ち上がりも動きも速くなりました。Hさん、ありがとう。このHPの更新も新しいやり方でやっています。

 昨日の記述の「耳障り」は「耳触り」ではないかとのご指摘。確かにあの場合はそうですね。「肌触り」に近い感覚で使っていました。Yさん、メールありがとう。

 最近読んだ本

「おまけのこ」 畠中 恵


 「しゃばけ」シリーズ最新弾。鼻つまみ者の哀しみ「こわい」、厚化粧を止められない娘ヲ描く「畳紙(たとう)」が印象的。江戸の人情捕り物ファンタジーでありながら、現代をきっちり投影しているのです。
 主人公をこれ以上成長させないで、もう少しこのままの形でシリーズを続けて欲しいと思うのは贅沢でしょうか?

2009年10月17日

 
「 君が手も まじるなるべし 花薄(すすき) 」  去来
 
 この「べし」は推量ですね。見送ってくれる人の振る手が、銀の穂波と共にいつまでも揺れている・・・。哀感があって美しく、好きな句です。
 
 それはともかく、曽爾高原、岩湧山へ行きたいなあ。薄と共に、山上の心地よい風に吹かれたい。
 
 15日の夕刊で驚いたニュース。2007年カナダの収集家がニューヨークの画商から購入した絵「美しきプリンセスの横顔」が、ダ・ビンチの作品である可能性が高いとされて、170万円のものが今や130億円以上(もしダ・ビンチの作と認定されれば、もうどうなるか、見当もつかない)とか。画面に残っている指紋で判定されるらしいが、ダ・ビンチの指紋が残っているなんて知りませんでした。
 
 それにしても、それは絵本来の値打ちなのか、それとも画家の名前によるものか、もちろんその境目は難しいのでしょうが、美術品の評価、価格というものは難しいものです。音楽なら歌われない、演奏されない、書物なら読まれないものはどんな作家のものでも消えてゆきますが、唯一の「モノ」である場合は・・・。
 
 最近印象に残った言葉
 
 「忘れる力」 外山 滋比古
 
 知識の蓄積ではコンピュータに勝てるわけもないのに、知的メタボリックになろうとしている人の何と多いことか。もの知りは大体においてものを考える力に乏しい。内田百閧フ「何でも知っているバカがいる」という言葉は今の時代、なおかつ新鮮である。知的メタボリックにならないとめには、忘れることで、知識を排泄しなければならない。しかし、ひとは忘れることに恐怖心を抱いている。子どもの頃から学校で「忘れてはいけない」と言われ続けたためだ・・・。
 
 ナルホド。でも、どこか健忘症の我々に都合のいい、耳障りの良すぎる論に思えます(苦笑)。
 
 「日本文化の真髄とされるワビ、サビの根源は地震と台風だ」 山田風太郎
 
 たしかに突然の天災で根こそぎ覆させられる社会、人生。もののあはれや無常観もこういう自然災害から来ていることは多いとは思います。
 
 こちらは人災。JRの西日本の事故後の様々な「処置」が明らかになる・・・もう怒りを通り越して、呆れるしかありません。
 
 このやってしまった後の態度、動きーこれがきちんとできないのは、教育現場の生徒や保護者の対応を見ても、最近特に痛感させられること。きちんと非を認め、謝罪し、反省の意を表すことが出来ない・・・。言い訳、誤魔化し、事実証拠の隠蔽、開き直り、恫喝、暴言、暴力にエスカレート、もう最初の喫煙や、バイク通学の問題をはるかに越えてしまう・・・。
 
 同じような思考形態が拡がっているように思います。人は過ちを犯す。その後が大事なのに・・・。
 
 目の回るような忙しさの中で、本当に目が回り始めて、火曜から酒を断ち、プラットホームの端は歩かないようにして、仕事は職場で夕方7時までに集中してやり、夜はできるだけ早めに休むようにして、やっと週末までたどり着きました。
 
 次々巡ってくる授業の準備、プリント点検採点、まとめ、その間に事件、取り調べ、会議、今月末の遠足の準備、来月初めの文化祭の準備(模擬店の飲食部門、検便の係なので、回収、業者への引き渡しが大変でした。でも、お陰で夕陽丘にある検査事務所まで2回出張、四天王寺西門から夕陽を拝むことができました)、来月の講演会の準備・・・昔ならもっと手際よく捌けたのに、今はひとつづつ確認しながらやらないとミスをしそうで(実際単純なミスをするー苦笑)、不安。余計に時間がかかる。
 
 金曜の夜、4日振りに口にした酒に酔ってしまいました。でも不思議に目眩は治まっていました(苦笑)。
 
 忙しさにかまけて、嫁ハンのシャンソン活動ことを忘れていました。10月25日(日)に西宮市プレラホールでワンウーマンライブがあります(前売り3,500円)。たっぷり歌うらしいです。
 
 西宮は遠いようですが、阪神と近鉄が繋がって便利になっています。よろしければ、お越し下さい。ご予約お問い合わせは西宮市プレラホール(tel 0798−64−9485)まで。私も当日はアッシー君するつもりです。
 
 行く人
 
長野県軽井沢町のホテルで首をつって死亡していた男性について、軽井沢署は17日、音楽プロデューサーの加藤和彦さん(62)と断定した。同署は自殺とみて調べている。

 同署によると、加藤さんは16日に1人でこのホテルに宿泊。17日朝、加藤さんの知人からホテルに「様子がおかしいので確認してほしい」と電話があり、従業員が室内に電話をしたが返事がなかったため110番通報した。駆けつけた署員が室内に入ったところ、加藤さんが浴室でロープのようなもので首をつっており、すでに死亡していた。

 加藤さんは昭和43年、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」でデビュー。解散後、「あの素晴らしい愛をもう一度」を発表し、「サディスティック・ミカ・バンド」を経て、ほかのミュージシャンに楽曲を提供するなど幅広い音楽活動を行っていた。
 
 パートナーだった安井かずみさんを先年、失って、たしかすぐソプラノ歌手、中丸三千絵さんと再婚して、離婚して・・・。その後、なにがあったのでしょうか?62才。
 
最近読んだ本
 
「ねこのばば」  畠中 恵
 
 「しゃばけ」シリーズ第3弾。ますます快調ですが、収められた5つの作品のバラエティに富んでいること。特に「産土(うぶすな)」が面白い。シリーズものだから、「若旦那」「番頭」という言葉でそのまま同じ人物と思い込んでしまう・・・。映像では絶対に出来ない、文章故のトリックに見事に嵌ってしまいました。
 
 楽しく読んできたけれど、実は、作者は純粋な若旦那一太郎を通して「人間は自分を傷つけるかもしれない相手に手を差し伸べ、愛することが出来るのか」という重いテーマをじわじわ浮き上げ、読者に迫って来つつあります。


2009年10月14日
 
「 ソルダッド山の禿げたる稜線に 月の船出づ 絵本の如き 」
 
 朝日歌壇より  アメリカ  郷 隼人 さん
 
 久しぶりの郷さんの歌に安心。独房の窓から見る月の出。毎日の月の変化にも敏感になっていることでしょう。「月の船」は「三日月」の美しい比喩だけでなく、万葉集の「天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ」を踏まえた表現で、作者の素養が偲ばれます。松尾和子さんの歌った「再会」も連想してしまいました。
 
最近読んだ本
 
「ぬしさまへ」 畠中 恵
 
 「しゃばけ」シリーズ第2弾。シリーズ化した作品は、スケールアップして粗くなるか、落ち着いてきめ細かくなるが小さくなる、のどちらかのパターンが多いと思うのですが、これは後者だ、と思いつつ読み進めると、意外に骨太。面白い。
 
 今日も元気に(?)寝込んでいる、大店の若旦那一太郎と彼を取り巻くとぼけた妖怪たちが繰り広げる人情推理帖。ストーリーより一太郎を取り巻く人間関係がいい。病弱な一太郎をひたすら心配し甘やかす(近所で火事が起きると、手代たちは店も仕事を放って、近くの舟で布団にくるんだ若旦那を沖に避難させ、その判断を大旦那が褒め、若旦那は呆れる)周囲に対し、一太郎が困惑し、感謝しつつ、微妙な距離感を保っているのがいい。
 
 思えば、ひたすら愛され心配されている時期を持つことは、その人間の成長に大事な影響を及ぼすのではと思います。

2009年10月13日
 
「 燕去って 町に老人 残りけり 」   新聞俳壇から  横浜市 宇沢さん
 
 朝から大量の生活指導の申し渡し。ほとんどが喫煙やバイク登校。停学解除の席で、がんばります、そのすぐ後で、授業をさぼって、校外で喫煙の疑いも。
 
 なかなか学習できません。
 
 わがグループの不登校の生徒。住所はわかっているのに、反応のない家庭。一度だけ家庭訪問した時にお父さんに会えたけど、あと幾度電話しても、手紙書いても、反応なく、再度家庭訪問しても不在。相談して近々返事しますと、お父さんがおしゃってからもう3ヶ月。授業料だけ溜まってゆく・・・。
 
 前に書いた不法難民についてー塩野七生さんの文章のつづき
 
 西欧は幾百年をかけて、人権の尊重、自由、平等、民主主義という華やかな成果をあげて現代に至っている。これらの文明を現代の欧米人は自分たちの優越性を主張する理由にしてきたのだ。当然、アフリカ人にも教えたことだろう。欧米人の中でもとくにイギリス人とアメリカ人の中にはティーチャー顔をする人が少なくないから、こう教えられた後進諸国の人々が、先進国に行きさえすれば、自分たちでも人権は尊重される、と思ったとて無理はない。
 
 忘れてはならないことは、彼らは出稼ぎではなく、難民であることだ。ゆえに、目指す国の好不況はまったく関係ない。(中略)それで、毎年何十万と地中海を渡ってくるようになったのだが、彼らは砂漠を越えて北を目指し、先進諸国の地に足を着けるやいなや、先進諸国の人たちと同等の権利を要求する。食を与え住むところを紹介し医療まで保障せよというわけだ。
 
 自国民にさえ保障できていないことを難民に保障することは政府にとって悩みの種だが、不況に悩む庶民にとっては怒りの種だ・・・これが昨今、右傾化するヨーロッパ庶民の心情だが、それは人種差別ではなく、長年かかって再建した国に、つい最近やってきて同じ権利を主張する難民に納得がいかないだけだ・・・。
 
 なるほど、塩野さん説明はわかりやすいが、その問題解決の難しさに改めて溜め息がでるだけです。

2009年10月12日
 
「月見ても さらにかなしく なかりけり 世界の人の 秋と思へば 」
 
                         つむりの光(ひかる)
 
 天明狂歌の人気作者は江戸、日本橋の町役人。もちろん百人一首の
 
 「月見れば千々にものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど」大江千里
 
 をひっくり返したものですが、しっとりした平安の感傷から明るい月見の宴に、江戸の庶民の明るさとパワーも感じられます。作者の「おつむ」も月に光ってはったんでしょうか(笑)?
 
 突然の羽田ハブ空港構想。わかるけれど、ますます東京一極化が進むのみ。仁川空港との競争、国際的な経済戦略の問題はあるとしても、成田は、そして、関空はどうなるの?個人的には伊丹の大阪空港(便利やけど)は廃止、関空のハブ空港化を目指してほしいけれど、地盤沈下を続ける関西経済界では、国際化の流れの中で限界があるのでしょうか・・・。
 
 広島・長崎の五輪立候補の話はちょっと驚きました。確かに平和を希求する五輪精神には合致しているけれど、これだけ商業化し肥大してきた五輪にもういちど原点にもどる力があるかな?確かに「チェンジ」のチャンスだけれど。それと、アジア大会の実績がある広島市はともかく、300キロ離れた、狭く不便な(失礼・・・だからいい町なのですが)長崎市との共催は実際出来るかな。 
 
  オバマ大統領のノーベル平和賞にも驚き。これまでのように実績に対してではなく、核廃絶への決意、方向転換した姿勢に対する評価でしょうが、それを後押しする効果も考えたのでしょう。
 
 それにしても、平和賞選考だけスウェーデン王立科学アカデミーではなく、隣国ノルウェーの国会が選んだ5人の委員がするというのが面白い。ノーベルの遺言らしいけれど、この「平和賞を隣国へ丸投げ」という発想は深い智恵・判断が生んだものかも知れませんね。
 
連休の初日、二日目は息子達からの誕生日プレゼントで恒例の息子の勤務するホテルでの一泊。気持ちよい挨拶、対応、景観、ベッドで至福の時間が持てました。
 
 11日、午後、夕陽丘のクレオ大阪で友人が代表を務める合唱団のコンサート。府立S高校のOBが中心になっているとのこと。メサイア、合唱組曲、ミュージカルに挑戦した分厚いプログラム。平均年齢も高いのにすばらしい取り組みとパワーに感動しました。
 
 一緒に鑑賞した友人が、その前日に馬に噛みつかれて左手に大きな傷。破傷風予防の注射も打って、何年振り?かの禁酒状態らしい。それで夜が空いたので、かつてのスイミング仲間のバーベキューに飛び入り。金剛山麓の闇は深く、夜空は美しく、野菜、肉、ビールは最高でした。
 
 すばらしい晴天の12日は家に籠もって読書。出たがりの虫がうずうずしたけれど、そんな一日があってもいい。体力温存して明日からの戦場に備えます。
 
最近見た映画

「ココ・アヴァン・シャネル」

 11日に嫁ハンと梅田ピカデリーで。
 
解説: 伝説のファッション・デザイナー、ココ・シャネルの若き日を描いた伝記ストーリー。監督は『ドライ・クリーニング』のアンヌ・フォンテーヌ。孤児として育ちながら、後にファッションを通して女性たちの解放をうたう存在へと成長するココ・シャネルを『アメリ』のオドレイ・トトゥ、彼女の生涯の思い人を『GOAL! ゴール!』のアレッサンドロ・ニヴォラが演じる。想像を絶する体験を重ね、やがて伝説となるヒロインの生き様に注目だ。
 
あらすじ: 孤児院で育った少女時代を経て、酔った兵士を相手に歌うナイトクラブの歌手となったガブリエル(オドレイ・トトゥ)。その一方、つつましいお針子として、田舎の仕立屋の奥でスカートのすそを縫う日々に甘んじていた彼女は、将校のエティエンヌ・バルサン(ブノワ・ポールヴールド)の愛人となり、退屈な暮らしを送ることに……。
 
 もう、すべてが中途半端な映画。一代記でも、サクセスストーリーでも、ファッション映画でも恋愛映画でもない。もちろん女性映画でも。金はかけているのだから、どこかにポイントを置いてほしかった。せめて女性をコルセットから解放したという部分だけでも強調してほしかったな。ファッション界の舞台裏も見たかった。
 
 脚本と監督の責任ですが、恋愛映画を期待して見に行ったわけではありません、ファッションだけでも満足させるべきでした。まだシャネル帝国が健在である以上、すべての面で突っ込めなかったわけでしょうね。
 
オドレイ・トトゥは力演、タバコの吸い方がうまい、と夫婦で意見が一致。アレッサンドロ・ニヴォラは男前です。
 
 夫婦割引でひとり千円だったのだが救いでした。
 
 最近読んだ本
 
「 亡霊 」  大沢 在昌
 
 「新宿鮫」の最新作はあっけない幕切れ。殺された男がうろつき、殺した組織が慌てて動いて・・・でも、「実は双子がいて」・・・はよくある設定ですよね。
 
「しゃばけ」 畠中 恵
 
 友人から借りて、この連休中、楽しませてもらいました。江戸、日本橋通町の廻船問屋の若旦那、17才の一太郎は蒲柳の質で外出もままならないが、両親はもちろん、なぜか妖怪たちにも庇護されて素直に成長している。その彼を襲う奇怪な事件を、病弱な一太郎が妖怪たちの手を借りて解決してゆく・・・。
 
 一種のアームチェア・デティクティブ(安楽椅子探偵)ですが、とこかとぼけたユニークな妖怪たちとのやりとりが楽しく、よくできた人情捕り物帖にも仕上がっています。日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作で、ドラマ化もされ、人気シリーズになっているようです。
 
「さきのお礼」 山本 兼一

 古美術商「とびきり屋」の若い女主人「ゆず」が七夕の短冊にこめた願いとはーこのシリーズも快調。焼き物にはくわしくありませんが、それに魅せられる気持ちはよくわかります。志野のあの白い艶も作者によって違うのですね。その優れた作り手を捜すヒロインが発見したのは意外な人物でした。

「時が滲む朝」

 中国民主化民主化勢力の青春と挫折がテーマ。民主化運動に加わった、理想に燃える2人の中国大学生1989年天安門事件で挫折するまでと、その後の北京五輪前夜までの人生の苦悩や哀歓を通して、成長していくさまを生き生きとした筆致で描いた青春小説。2008年、第139回芥川賞受賞。

楊 逸(やん いー、本名:劉 ?(りゅう・ちょう、「ちょう」は草冠に「攸」)、1964年6月18日 - )は日本小説家である。中国ハルビン市出身、中国籍。2008年、「時が滲む朝」で第139回芥川賞受賞。中国籍の作家として、また日本語以外の言語を母語とする作家として史上初めての受賞となった。

 審査員の評価がまっぷたつというのがいい。確かに文体を含め異論は認めますが、個人的にはこの作品、好き。熱い青春が描かれ、登場人物達はよく泣き、よく働き、激動の時代、波乱の人生を生き抜こうとする。空港のラストシーンの哀感もいい。

 問題の文体ですが、ヒロインの瞳を「泉に投げ込まれた葡萄」と表現して、確か山田詠美さんがこれは「困る」と評していました。その気持ち、わからないでもないけど、許しましょう。この作品、ヒロインはそれほど比重が重くないのです。

来る人

三浦文彰さん(16才) 

 ハノーバー国際バイオリンコンクールで優勝。3才から習い始めたという。もう天才は3才から?6才の6月からなんていう言い伝えは過去のもののようです。さっそく「バイオリン王子」と呼ばれているとか。

 


2009年10月9日
 
「 すれ違う またすれ違う 赤とんぼ 」
 
   新聞俳壇から  茨木市 瀬戸さん
 
  またしても慌ただしい一週間が嵐のように過ぎ、週末金曜の夜、9時前に生活指導会議も終了。明日からの連休は思い切ってリフレッシュします。
 
 台風の為、見れなかった立待ち月から数日を経て、今夜はきれいな二十日余りの月が上ってきています。
 
 秋が早足で列島を覆って来ています。あちこちで感じる金木犀の香り。薄の穂も、もちろん稲穂も大きく垂れています。故郷の稲刈りも、秋祭りも来週に迫っています。
 
 最近うれしかったコト
 
1 必死で準備して、なんとか後期の授業がスムースにスタート出来たこと。生活指導に追われているけれど、これが
  基本です。
 
 2  昨年の春三月まで、通勤途上の幼稚園の警備員だった方。おそらく60代の、すごく感じのいい方で、いつも 
   ニコニコして登園してくる園児にも名前で呼んで挨拶していた。四月に姿が見えなくなり、新しい警備員さんに伺
  ったら、警備会社が変わったのでわかりませんとのこと。喜連瓜破あたりで働いておられるのを見かけたという噂も聞
  いたけれど、もう会うこともないのかな、と思っていました。
   
    今週、月曜の朝、工事が始まった隣の中学校の校門で、車の出入りを誘導してはる方がこちらに向かって挨 
  拶してくださる。1年半振りの再会で、初めて挨拶言葉以外の言葉交わす。今月末までここにいますということ。よ
  かった、まだ当分会える。
 
   でも、ぐっと老けられた感じ。きっと幼稚園での仕事が彼に合っていたのかもしれないなあ。
 
 最近心配なこと
 
 ここ数年、毎日楽しみにしていた、かつての教え子のブログが昨日突然終了。前日まで気配もなかったのに・・・。「長い間お世話になりました」、のひと言。毎週、2,3本の映画を見てはって、その感想も楽しみでした。寂しい。何があったのだろう?おなじくブログを作っている人間としても気になります。手紙を書いてみよう。
 
 毎日、きちんと書きすぎたんと違うかなあ。私のように適当にサボればよかったのかも・・・。
 

2009年10月5日
 
「 かたはらに 秋草の花 語るらく ほろびしものは なつかしきかな 」 若山 牧水
 
 高校時代、胸沁みた歌のひとつでした。
 
 中川元、財務・金融相は享年56才でした。訂正させていただきます。行政解剖でアルコール分が検出されたようですが・・・禁酒して、そのストレスで眠れなくなり、睡眠薬を飲んでいたのではなかったの?
 
 自分自身のアルコールに対する姿勢もシビアに考えさせられた事件でした。それにしても父子二代のこの死に方・・・。
 
 あれこれあって鞆の浦の裁判について触れず仕舞でした。歴史的景観を国民の財産として、埋め立て、架橋にストップをかけた判決は、意味があると思います。
 
 もちろん、救急車が入らないという渋滞の問題は、地元の人々にとって痛切な問題です。それこそ海を使っての、高速救急艇とか、町内の小中学校の校庭を利用しての救急ヘリの活用を考えていいと思います。
 
 渋滞緩和のため、アジアの国々でよく行われている町内乗り入れ車の曜日別ナンバー規制とか、観光バスや観光客用の町外駐車場の設置や、町営バスによる送迎も考えていいと思うのです。
 
 部外者がこれくらい思いつくのだから、町民の智恵を集めれば、出来るはず!!
 
 思い出しても気になる、唐招提寺の観月会での写真のフラッシュ。御影堂の方丈で献茶が行われているのに、係員の制止を聞かず、主に携帯でバシャバシャ撮りまくる。このマナー低下は悲しい。
 
 でも、唐招提寺はまだよかった!薬師寺はねえ。萩や紫式部は、きれいに咲いていましたが、緑に乏しく、復元された、けばい白鳳伽藍と今に残る美しい東塔、薬師三尊、聖観音菩薩があまりにミスマッチ。それを拝観コースを限定して拝観を押しつける姿勢が気になりました。
 
 薬師三尊の後ろに廻れて、切り取られた窓から、台座のギリシャ、インド、中国の彫塑を見れるのはありがたいけれど、やりすぎ。
 
 隣接する玄奘三蔵院伽藍は平山郁夫画伯のシルクロードの壁画をそれこそ祀ってあり(「絵身舎利」(「えしんしゃり」というらしい)それを拝まされるのには閉口しました。絵の本来のすばらしさを損ねているように感じたのは私だけでしょうか・・・。
 
 ほろびてゆくものはそれでいいのかも。無理に復元する必要があるのかなあ。
 
 朝からたくさんの停学などの申し渡し。一日があっという間に過ぎてゆきます。こんなにあくせくしていていいのだろうか?頭がクラクラする。歩数は一万四千歩。帰りに、分刻みで出入りする電車、列車を臨む、天王寺のJRプラットホームを見下ろすカフェで一杯飲みながら、複雑な思いに駆られました。見ると、本当にたくさんの人が慌ただしく動いている、働いている、生きている・・・。忙しいのは自分だけではないのだけれど・・・。
 
 塩野七生さんのエッセイから
 
 現代の先進諸国を悩ませている不法難民問題ー
 
「この十年来、北アフリカの人たちに加え、ナイジェリアを始めとする中央アフリカからの難民が激増したのである。アフリカの多くの国に内線が広がったためで、村を捨てて首都に逃れたもののそこでも食べてゆけず、やむなくサハラ砂漠を越えて北アフリカの港にたどり着き、そこで奴隷仲買人ならぬ難民仲買人の手引きで、ボロ漁船やゴムボートに乗って先進国の海辺を目指す、というのが、地中海での不法難民の経路として定着したのだった。海辺にたどり着くこともなく、「領海」内にいればケイタイでSOSを発し、先進国の海上保安庁や海軍の救出を待つ・・・」
 
 この現実。イタリア在住の塩野さんならではの情報。もう少し続けます。
 

2009年10月4日
 
 朝6時、晴れ渡った東の空に朝陽が上る。急いで西の空を見ると、もう満月は残っていませんでした。唐招提寺の月がもう昔の夢のようです。
 
 恒例の早朝座禅は涼しい風の流れ込む本堂で。気持ちいい状態でしたが、途中で蚊に頬を刺される。文覚(もんがく)上人は修行中、笑いながら平気で全身刺されまくり、なんとか上人は「蚊に血をやるのも功徳」と言ったらしいけれど、私は凡人。ぱちんと叩いて、その跡も痒いので、結んだ手を解いて、ぼりぼり掻いてしまいました。これでは解脱に程遠いことです(笑)。
 
 朝食後、藤井寺パープルホールの「藤井寺市書作家協会展」へ。改めて思うことですが、墨の色がすばらしい。その濃淡と字の配置で、四角い紙面が、色鮮やかな果てしない空間に変貌します。
 
 夕刻6時前、リック羽曳野の側の喫茶の大きな窓越しに東の空からくっきりと十六夜の月が上る。池の水面上に、もうひとつの月。ふたつの月を眺めつつ友人とミルクティでしばし歓談。心が和む。
 
 「 名月や 池を巡りて 夜もすがら 」
 
 芭蕉の句は、空を巡り池に映る月と共に、広沢の池を半周しながら夜を明かしてゆく作者の姿が鮮明です。彼が滞在した嵯峨野の落柿舎も修復が成ったそうです。この秋は賑わうことでしょう。
 
 昨夜のことも朧なのに、40年前の「みんなの歌」を歌えるのが不思議。
 
 青い青い空だよ 白い白い雲だよ
 サモアの島 常夏だよ
 みんな みんな集まれ いつもの広場に サモアの島楽しい島よ
 風は吹く 静かな海 鳥は 飛ぶ飛ぶ 波間を行く
 ララ 船出を祝い 無事を祈る みんなの声が追いかける
 
 その平和な島に地震と大津波。そしてスマトラにも・・・天災のつるべ打ちです。
 
 20016年オリンピック開催地はリオ・デジャネイロに決定。南アメリカで初。これは妥当なところでしょう。かつて東京もアジア初開催をスローガンにして開催地を勝ち取ったのです。オリンピックがある以上、五輪マークのごとく、五大陸でやり、やっていないところを優先したらいい、と思っていました。
 
 中川元財務相の急死には絶句。でも、どこか予感もありました。54才。陽の当たる道を歩いてきて、ぶつかった大きな壁。そのショックから立ち直れなかったのでしょうか。政治家、リーダーであり続けるには、もっとタフで、もっと慎重でなければならなかったのでしょう。
 
 溜めていたビデオをすこし見る
 
 歌舞伎「門出祝壽連獅子(かどんでいおうことぶきれんじし)」
 
 高麗屋三代、松本幸四郎、染五郎、金太郎。染五郎の息子、四代目金太郎(満4才、幼稚園年中組)の初舞台。歌舞伎座の夜の部。
 長唄は「揃い揃いて親子孫、変わらぬ常磐木松本の 千代万代と高麗屋・・・」とお誂え。満員の客席はみんな親戚気分でなごやかな祝福モード。温かい大拍手。
 じいちゃんの幸四郎はうれしさを噛みしめて貫禄の舞、染五郎はひたすら緊張していて、その姿が美しい。それにしても金太郎クン、4才で25日間の舞台を務め、獅子の毛振りをやったのは立派。おばあちゃんが客席で嬉し泣きしてはったそうです。
 
最近読んだ作品
 

「別れの手紙」シリーズ 連作7の6

 

グレーの選択   藤堂 志津子

 

 高校時代から大学までずっと一途に憧れ愛し続けた初恋の人と札幌で出会ってしまう。相手は結婚している。

 大人になっていた二人は恋に落ちるが、誠実な彼はその恋に苦しみ、自らを責め抜く。

 

 愛するが故にうそをつき、職を捨て、札幌を離れ、渡米する「私」。虚偽の長い告白の手紙を書きながら、これはいつか彼を本当に手に入れるための課程であることをどこかで自覚している・・・。

 

 こういう女の人は強くて、怖い。きっと数年後に彼をゲットするんだろうな。

 

第7作のメモを無くしました。このシリーズはこれにて終了。

 

「無言参り」  伊集院 静

 

 浅草で小料理屋を営む美しい未亡人「志万」には言い寄る男が多いが、彼女は亡き夫、留次を忘れかねている。

 

 留次の遺した言葉のひとつ「てのひらってもんはどうして内がやわらかく、甲がささくれているか、わかるか。内は家と同じだ。甲は外のことだ。世間と考えてもいい。雨風に晒されてきたからささくれたんだ。遊びは手の甲の、外のことだ。決して内に遊びを入れちゃなんねえ。てのひらの傷は痛いし、みっともねえもんだ。博打はそれくらい怖いもんだ」

 

 なにげない言葉が残った人を動かすこともあります。

 

 鬼灯(ほおずき)市の夜、志万は浅草寺の境内で無言参りの芸者を見かける。その女は志万に恋する男に恋していた・・・。一方通行の恋模様も切ない。


2009年年10月3日
 
「 大寺の まろき柱の 月かげを 土に踏みつつ ものをこそ思へ 」 会津 八一
 
 「大寺」は唐招提寺、「まろき柱」はエンタシス、でも、この歌は美しいイメージの中の世界でした。
 
 1日から新学期開始。早速相次ぐ事件、わがグループの生徒も噛んでいて、心身共に疲れ切った週末。でも仲秋の名月を見に、思い切って奈良まで出掛けてきました。
 
 12時に近鉄奈良駅で嫁ハンと落ち合う。昼食を済ませて、猿沢の池へ。「采女祭(うねめまつり)」の準備は着々と進んでいる。出店は並び始め、観光客の場所取りも池端のあちこちに。平城京の時代、帝の寵愛の衰えを感じた采女がこの池に身を投げた伝説に由来し、采女の出身地といわれる福島県から毎年采女を迎え、竜頭げき首の舟に乗せ・・・という趣向らしいけれど、舟がちょっとチャチだったのと、周囲のけばけばしい雰囲気に、ここでの月見を諦め、予定を早めて、西の京へ移動する。
 
 薬師寺を拝観して、ちょっとがっかりして(もちろん東塔と仏像はすばらしかったのですが・・・)唐招提寺に。ここの寺はやはりすばらしい。南大門から入って、金堂の「天平の甍」が見えた途端、そのなんともいえない魅力に引きずりこまれます。
 
 ゆっくり広い境内や、仏様を拝観したあと、たくさんの客は皆一旦退出。わたしらも近くの店で早めの夕食を摂って、秋篠川畔を散歩、南大門に引き返し、年一回の午後6時からの開門を待つ。5時半すぎ、満月が上る。京より、大阪より、低く見える山から上るのがまたいい風情です。奈良はおおどかでいい。
 
 分厚いカーテン付きの高級車を警備している5人おっちゃんのひとり(彼だけはぐれていた)と話す。
 
どこのえらいさんのん?
小さな声で耳打ち。
○○銀行の頭取さん。
ふーん、なるほど、いろいろこの行事にも出資してはるわけだ・・・。
彼によると、かつて、盆踊りは猿沢の池の真ん中に舞台を浮かべ、仮橋で繋ぎ、そこで音頭を取って、踊り手が池をぐるりと囲んで踊ったもんだよ・・・。
それ、豪勢でいいなあ。なんで無くなったんですか?
協賛金が集まらなくなったのさ。
ナルホド・・・。
 
 6時に再び門が開いて境内に。ただ金堂が見事にライトアップされていて、月影が土に円柱の影を落とすのを見ることはできませんでした。
 
 これも特別公開(500円)の御影堂。ここは灯籠だけの薄暗い庭。広い方丈で蝋燭の明かりで献茶しているのは裏千家らしい。鑑真和上像は暗い御簾の奥でとても見えない。ただし献茶の後、すこし明るくなって、東山魁夷さんの障壁画はなんとか見ることができました。
 
 そして、こんなものすごい数(百人単位)の和服の女性を見たことは、顔見世でも初春歌舞伎でも成人式でもなかったです。境内で野点が行われていたのです。見事な装いの数々を堪能しました。
 
 なにより、甍の上に、松の上に煌々と輝く月。ライトアップがなければよかったのに・・・。でも、昨日思いついて、思い切って実行してよかった。長年行きたいと思ってきたのですが・・・やれば簡単にやれるのですね。
 
 石山寺の月は見たなあ。あとは嵐山、大覚寺、広沢の池、姫路城、鳥取砂丘そして更級、松島の月・・・。これらは定年後の楽しみ。
 
 究極の月見、「桂離宮の月見台での観月」は、やはり難しいでしょうね(苦笑)。
 

「別れの手紙」シリーズ 連作7の5

 

花の潮流   玉岡 かおる

 

都会の生活に馴染めず、故郷の瀬戸内の町に帰ってきた花菻(かりん)は、漁業をあきらめ地元の工場で働く父や兄の同僚の誠実な青年からプロポーズされる。しかし、彼女は都会から来た、ファンキーな獣医に心惹かれてゆく・・・。

 

ただひとり漁業を続ける祖父と、昨春亡くなった祖母の激しい恋を知り、実らぬ恋を諦め、この地で静かに暮らすことを決意する花菻。プロポーズを断る手紙を裂いて海に流す・・・。

 

祖母の骨を、祖父と桜咲く無人島(これは今治沖の実在の島がモデル?)に埋めにゆくシーンは美しい。

 

でも、今時、「田舎で愛するより愛されて暮らすことを選ぶ」なんて・・・まあ、そんなのもありか!




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