Kan-Kan の雑記帳



2009年12月31日
 
「 年の瀬や 水の流れと 人の身は 」 其角
 
歌舞伎「松浦の太鼓」から。其角の実作かどうかは自信ありません。来年の課題ということで・・・(苦笑)。
 
 あっという間に押し詰まってきました。
 
 朝のエレベーターで喪服を着た方と遭遇。お葬式ですか?ええ、大変ですねえ、という会話を交わす。
 
 4日間の帰省で、実家近辺で4人の死に出会いました。
ひとりは今治市内の近い親戚(85才)で、ずっと煩ってはったので、覚悟はできていました。父とお通夜に出席。あと3人は隣村の方。遠縁にあたる人(94才)は今治市内の斎場で告別式があるため、遺体が朝の8時に家を出るたので、式に出られない人たちや村の人々が集まって車を見送る。最近このカタチ多し。父と参加。もうひとりも90代、最後のひとりは一人暮らしで風呂で亡くなってはったとか・・・。
 
 真夏や厳冬は亡くなる方が多いけれど、今回の帰省時は特別でした。そうなると必ず「あんたは呼ばれたんだ」とあちこちで言われるのですが、それは悪い意味でなく、最後のお別れが出来るように、または、葬儀などの手伝いができるように、故人やあの世のえらいさん?が呼び寄せたんだよ、という意味なのです。それにしても、今回はますます慌ただしい帰省となりました。
 
 姉夫婦、弟夫婦がいてくれるので、両親の正月は安心です。
 
 心配なのは瀬戸内沿いの集落に住む95才の伯母(父の姉)の様子。お元気かなあ、と訊くと最近、酒を止めたらしいよ、との答え。酒豪で知られた伯母の禁酒は本当に気がかりです。また、元気に(病院でも!)飲んでほしいなあ。
 
 いろんなことがあった2009年も暮れて行きます。
朝から大阪市内の義父の墓参り、出がけに雪が舞っていました。
 
 それからすごい風。買い物、大掃除もなんとか終わり、車の正月飾りが風で逆さまになっていますが、それを直し、義母を迎えに行って、めずらしく休みの下の息子も交えて(上の息子は勤務ーホテルだから仕方ありません)紅白歌合戦を見ながら今年最後の夕食(しゃぶしゃぶ、そして友人からもらった「御前酒」!)、そして新年を迎えます。これもなんとかみんな元気でおられたからこそ。健康に感謝。
 
 今年もHPご愛読、ありがとうございました。
 
 では、みなさまよいお年をお迎え下さい!

2009年12月30日
 
「 河豚食うて いよよ健なる 親父かな 」 巌谷 小波
 
 慌ただしい帰省から帰阪しました。まだ疲れが微妙に残っていて、横になるとすぐ眠ってしまいます。でも
なんとか、掃除を始め、ガラス拭きが終わってほっとしたら、横殴りの雨風、なんやそれ(苦笑)!
 
 嫁ハンは賀状を必死で書いていますが、私は今年は25日に投函したので、気分的に楽。例年故郷にも年賀葉書を持ち帰って夜中に書いたりしていたのですが・・・。
 
 完全とはいえませんが、なんとか実家の周りの掃除も終わり、冷蔵庫も満タンにしてきました。仕事や村の役などで忙しい弟と飲めなかったが残念ですが、父とはしっかり飲めました。確か医者に止められていた(それでビールと焼酎で我慢していた)はずなのに、自分で封印していた日本酒も解禁している。ま、89才だからいいかっ!(苦笑)
 
 いつもの「梅錦」の高いグレードのものを買ってきて、滞在最後の29日は夜にフェリーに乗るから飲めないというので、父の提案で朝の6時半から二人で酒盛り。アテもちょっと奮発、てっさや海鼠、雲丹、ままかりなどで贅沢に。母が呆れていました。
 
 もちろん、私は昼は動き回って汗をかいて、アルコールを抜きました。
 
 30日朝6時にフェリーで南港に帰ってきました。市橋容疑者の捕まったベンチを確認。
 
 7時に帰宅。たくさんのお土産(みかんやレモン、大根、蕪、柚子、山芋)を台車2台で運んで、メールチェックすると176通(!)。ほとんど迷惑メールで友人からのは6通。そして、国連難民高等弁務官事務所からの次のメールが入っていました。
 
アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は12月28日、タイ政
府に対し、約4000人のモン族をタイ北部・北東部のキャンプ2カ所
からラオスに強制送還することを直ちに止めるよう求めました。

プレス向け声明で、グテーレスはタイ政府が28日の夜明けから強
制送還を開始したことに対し「私はタイ政府に、モン族の強制送
還を止めるよう要請しました。その中には、特に国際的保護を必
要とする者もいます」と遺憾の意を表明しました。
クリスマスも新年もなく、住む場所もなく、危険にさらされながら、追い立てられ、流離う人々がいる。私に出来ること、少しの寄付だけですが、それがどう活かされるのか・・・。人道面だけでも判断できない、変動する国際情勢がますます読みにくい時代です。
 
 同僚のカナダ人の英語講師Jさんは零下35度の故郷バンクーバーへ。でもほとんど外気に当たらないで暖かく過ごせるそうです。美しいクリスマスだそうです。
 
 ブラジル人のポルトガル語教師Bさんは真夏の故郷へ。北京へ向かうと言うので、なんで?と訊くと北京からの直行便が他の便より4万円安いのよ、と言うてはりました。「儲かりまっか?」と問うと、もちろん、「ぼちぼちでんな」、と返ってきます。家族、親族集まって賑やかなクリスマスだとか。
 
 韓国人の講師の先生は24日の午後帰国。それでクリスマス・パーティには間に合いますから。ソウル市内に両親がいてはって、25日は休日なのだそうです。キリスト教徒の多いお国柄。その代わり正月は1日だけ休みで、旧正月を盛大に祝うのだそうです。
 
 さて私のクリスマス。帰省したら、実家の2軒下(しも)にあるリンダさんちのクリスマスイルミネーションがまだ残っていてこれを堪能しました。日本では26日に早々に仕舞いますが、外国の習慣では新年まで残していることが多いようですね。
 
 さて、そのリンダさん(カナダ人で隣町の大学の英語講師をしてはるー子供のいなかったおじさん、おばさんが亡くなって空き家になっていた屋敷を借りて住み始めてもう10年近い)の仕掛けたイルミネーション、これがスゴイ。
 
 500坪近い敷地の母屋、納屋、倉の屋根、軒はもちろん、広い庭(元は家庭菜園、今は母曰く「雑草と花がごちゃごちゃになっとる」「お母さん、それをイングリッシュガーデンと言うんやで」)の木々まで、たくさんの色彩に彩られ、滝のように落ちるもの、ゲートになっているもの、石垣に波打つ龍のような電飾・・・もちろん玄関にはイルミネーションのツリー・・・そのスケールは羽曳野市内の「イエナリエ」で及ぶものはありません。なんでも、学生を引き連れてきて、大勢でやっと飾ったらしい。納得。
 
 全景を見るのは向いの山に登るしかありませんが、寒夜にそれはムリ。なにより人口100人ほどの村、見物がだれもいないのがもったいない。クルスマスには町から噂を聞きつけて見に来た人たちもいたらしいけれど。
 
 29日の夜、母と来ていた姉、甥夫婦と一緒に母を車椅子に乗っけて、見物に出掛ける。小川を隔てた向かいの家の庭から見る。星空の下、暗い森を背景に浮かび上がる景色は迫力。甥曰く「ここはラスベガス?」。母はこんなに近くにいたのに、じっくり見たのは初めてだと喜んでいました。これも今度持ち帰って車椅子のお陰。Hさん(彼のお母さんが使っておられたのを譲り受けたのです)ありがとう。

2009年12月24日
 
「 冬蜂の 死にどころなく 歩きけり 」 村上 鬼城
 
 切ない句です。人も亦しかり。
 
 23日は3年前の卒業生10人とクリスマスパーティ。夜は藤井寺のスナックでのクリスマス・パーティ。どちらも短時間で満喫しました。もう貪らないようにしています。その体力もないし・・・(苦笑)。
 
 懇談も家庭訪問も一段落、24日、今年最後の授業が終わる。「賢者の贈り物」は年々、授業で扱うことが難しくなります。クルスマスが何の日かも、クリスマスプレゼントの由来も、もちろん三賢者のことも、「櫛」の読みも「時計鎖」もすべて説明しなくてはなりません。
 
 推薦入試を受ける生徒の小論文指導を頼まれて、約ひと月かかけて特訓。でも、驚いたことはひらがな指導から始めなければならなかったこと。この「や」と「な」おかしいで。えーっ、そう書くのですか?
 
 それから、ひらがなばかりの文章にも驚く。「夢」も「進路」「将来」も「覚悟」もすべてひらがなで書いている。もちろん課題文を読みとることもできない。悪戦苦闘の後になんとか合格の知らせ。飛んできて握手の手を放さない生徒に対して、おめでとう、と言いつつ、でも、これからが大変やで、大学卒業しいや、と何度も念を押してしまいました。
 
 そして、最後まで生徒指導の問題があれこれあって、溜め息をつきつつ、今年が暮れてゆきます。
 
最近読んだ本
 
「おれが噂の左團次だ」 市川左團次
 
 明治には「団菊左」と称された名跡を継いでしまったユニークな歌舞伎役者。名優の初代とは2代目から血は繋がっておらず、さらに幼いときに人間国宝だった3代目の養子に入ってしまった筆者にはすごいプレッシャーと微妙な屈折があったはず。
 
 問題児?と言われた男女蔵(おめぞう)時代も好きでしたが、不器用と大きな柄で役がつかず、伸び悩んでいました。左團次を襲名して開き直って、敵役中心に役柄を拡げ、60代後半になった今、徐々にブレイクしつつある感じ。「助六・・・」の大役、「髭の意休」役は最近この人が務めることが多いみたい。ひょっとして名優になったりして・・・。
 
 本人いわく、「叱られる、教えて貰うのが上手」、それが今になって活きているのでしょう。それでも勘三郎の襲名披露の口上で、舞台でオナラをして、うしろにいた勘三郎を悶絶させた話をして、また勘三郎を苦しめ(必死で笑いをこらえている)満場を湧かせておりました。やんちゃ精神は健在のようです。
 
 「待ち伏せ」  ティム・オブライエン 
 
 ずっとベトナム戦争を引きずり、それを描き続ける作家。9才の娘に「パパは戦争で人を殺したの?」と問われて、思わず否定してしまった主人公が、娘が成人したと仮定して、手榴弾で敵兵を殺した話を語る・・・。
 
 ・・・2時間交代で仮眠しつつ、見張りをしていたその場所に、朝霧の中から銃を構えた敵兵が現れる。身の危険も感じず、深く考える余裕もなく、手榴弾を投げてしまう。あっけなく的の若者は死んでしまう。
 
 仲間から、あれは「正しい殺しだ」「これが戦争だ」と慰められるが、主人公はその後も朝霧の中に消えて行く敵兵の幻影を見続ける。自分が投げなければ、彼は生きていた、今も生きているのだろうか、そして自分は・・・?
 
 オバマさんのノーベル平和賞受賞記念講演での「正しい戦争」発言を重ねて読みました。村上春樹さんの訳もいい。
 

2009年12月20日
 
「 降る雪や 明治は遠く なりにけり 」 中村 草田男
 
 あまりに有名な句、なのに、作者を久保田万太郎とよく間違えるのはなぜ?降りしきる雪の向こうに霞む時代、人々。明治はおろか、大正も昭和も遠くなりつつあります。
 
 土曜の午後はテニス仲間4人で雪中テニス。ドロップショットを拾おうとした友人が、脹ら脛肉離れ。即、テーピングしてベンチで休養、、隣のコートから応援を頼んでゲーム続行。その後、駅前の中華でビールジョッキ2杯。久しぶりの酒に大分慣れてきた。
 
 その勢いで職場の忘年会で京橋へ。広いガラス窓の向こうにライトアップされた大阪城が輝くOBPのビアレストラン。エビスビール7種類(そんなにあったんだ!)飲み放題が今回のポイント。賑やかに騒ぎつつなんとか全種類飲んで、仕上げは菊正の燗で。ええ気持ちになったのと、同じ羽曳野市内に住む若い同僚(インディアンの羽根飾りを付けて来ていたーオモロイ)が泥酔していたので、2次会は遠慮して連れて帰る。私のこんな行動は珍しい。ちょっぴり進化(退歩?)しているのでしょうか(苦笑)?
 
日曜はテレビ漬けの一日
 
 来る人
 
 結成10年以内の漫才コンビNo.1を決める『M-1グランプリ2009』が20日、東京・六本木のテレビ朝日で行われ、パンクブーブーが優勝。史上最多のエントリーとなった4629組を制し、M-1王者の称号と賞金1000万円をつかんだ。

 今年はナイツ(2年連続2回目)、南海キャンディーズ(4年ぶり3回目)、東京ダイナマイト(5年ぶり2回目)、ハリセンボン(2年ぶり2回目)、笑い飯(8年連続8回目)、ハライチ(初出場)、モンスターエンジン(2年連続2回目)、パンクブーブー(初出場)が先に決勝進出を決め、同日開催された敗者復活戦を勝ち抜いたNON STYLEを加えた計9組で1stラウンドが争われた。

 持ち時間4分に全てをぶつけ、最終決戦まで駒を進めたのは笑い飯(1位通過)、パンクブーブー(2位同)、NON STYLE(3位同)。

 年齢、国籍、性別、プロ・アマ、所属事務所を問わずコンビ結成から10年以内なら誰でも出場できるM-1は、一夜にして“人生が変わる”お笑い界最高峰の場として完全に定着。2007年は関西で30.4%、関東で18.6%、昨年は関西で35.0%、関東で23.7%という高視聴率を叩き出し、年々注目度と影響力は増すばかりだ。

 決勝戦は島田紳助(大会委員長)、松本人志、上沼恵美子、渡辺正行、オール巨人、中田カウスが昨年に続き審査員を担当し、今年はそこに初登場の東国原英夫宮崎県知事が加わり話題を集めた。司会は今田耕司が7年連続、上戸彩が2年連続で務め、敗者復活戦が開催8回目(第1回大会は行われてない)にして初めて当日午後4時より地上波で生放送された。
 
 ひたむきにぶつかってゆく若者の姿、スポーツの世界もお笑いの世界も変わりません。笑い飯は決勝で滑り、半分衣装手に入れたグランプリを逃がし、パンクブーブー爽やかで安定したパフォーマンスでの逆転勝利でした。それにしても、島田紳助(大会委員長)のプロデュース、盛り上げはうまいけれど、あざとい。
 
 買い物、住所録の整理、図書館へゆく以外は、テレビとパソコンの前で過ごす。午後4時の敗者復活からM1グランプリを見た後、「仁ーJIN」の最終話(結末は肩すかし、消化不良でした)。そして「坂の上の雲」へ。
 
行く人
 
 ジェニファー・ジョーンズ (米女優、老衰、90才)
 
 50年代から活躍した人気スター、「聖処女」(オスカー受賞)「慕情」が有名ですが、どうも、熱演しすぎて、それに美人とも思えず、私的にはイマイチの女優さんでした。そういえば「慕情」影響下に作られた日本・香港合作映画「香港の夜」の主演女優、ユーミンの美しさがわすれられません。あの女性はどうしてはるでしょう。
 
今日知った言葉
 
「ロックイン」 無料商品などで固定客を獲得する戦略を、経済学でロックインというそうです。無料で貰えることで客は群がるが、それがどれほど、宣伝効果をもたらすか・・・難しいところです。
 
今日知った人
 
シュジー・ソリドール
 
 1920年代の「狂乱のパリ」で226人の画家に肖像画を描かれた女性。藤田嗣治、ローランサン、レンピカ・・・飛び抜けた美女ではない。その魅力はやはり存在感、表情?「キキ」しか知らなかったのですが、こういう女性もいたのですね。
 
今日知ったコト
 
 昨年8月、アフガニスタンで農業用水路の建設中に命を奪われたNGO「ペシャワール会」の伊藤和哉さん(当時31才)の追悼写真展が東京で開かれているとか。先日、12月8日、美智子皇后が訪問されて関係者は驚いたらしい。皇后は悲劇の日、音楽鑑賞会出席を中止、遺族い弔意を伝えたそうです。今年の誕生日の感想でも、その後の用水路の件に触れておられました。次々とおこる事件と情勢の変化で忘れ去られてゆくことが多い中で、異国に散った若者の誠意を忘れない・・・そのあたりのこの女性のリベラルな知性と情を感じます。
 
最近印象に残った言葉
 
60代当時の宇野千代さんのエッセイから
 
「良人を愛していたからといって、それで恩に着せてはいけません。愛したことであなたは得をしたのです。良人がよその女と一緒になったからといって、決して追いかけてはいけません。さァ、一番よい着物を着て、表へお出なさい。まず、美容院へ行って、きれいに髪を結ってごらんなさい。追いかけないのが、恋愛の武士道である。」
 
 百戦錬磨の宇野さんなればこその説得力です。
 

2009年12月18日
 
「 はじめての雪 闇に降り 闇にやむ 」 野沢 節子
 
河内長野、富田林の山沿いで初雪。こちらにも降ってほしかった。
 
その雪の降った17日夜、ダイエットの仕上げに羽曳野市郊外の温泉へ。露天風呂は北風が吹きすさび、肌を刺す。でも寝湯の中から見上げれば、揺れる枯れ枝の上に「オリオン舞い立ち、昴はさざめく」(冬の星座)。様々な浮き世(憂き世)のしがらみをしばし忘れました。
 
 サウナでたっぷり塩をすりこんで汗を流す。またたくうちに60前のおっさんの肌もツヤツヤ、すべすべ、このまま帰って寝るのはもったいない、きれいなお姉さんと・・・と不埒な思いが一瞬よぎる。きっとエステで肌を磨いた女性もそんな風に思うのかもしれませんね(微苦笑)。
 
 残念ながら家に直帰。
 
 朝、食事を抜いて早めに出勤。7時半過ぎに計量。もちろんクリア。今回はランニングの成果もあって、楽勝でした。ちょっとずつ学習するものですね。夕方、連絡が付かない生徒宅へ家庭訪問(やはり不在、手紙を置いてくる)、その近所に住む友人と会って話した後、8時過ぎに帰宅しましたが、なんと、酒がほしくない!
 
 わずか一週間(私にとっては数十年ぶりの快挙?ではあるが)でこんなに体質が変わってしまうものか?わざわざ用意して置いたプレミアムビールも黒霧島も一口で充分。何故なんだ!?明日の忘年会が心配です(苦笑)。
 
 昨日のニュースで気になっていたもの3つ引用しておきます。
 
@ スタジオジブリは16日、宮崎駿監督の企画による新作アニメ映画『借りぐらしのアリエッティ』を来夏に公開すると発表した。ジブリ映画の公開は、昨年大ヒットした『崖の上のポニョ』以来となる。

原作はイギリスの作家メアリー・ノートンの児童文学『床下の小人たち』。原作の舞台は1950年代のイギリスだが、アニメでは現代の日本に置き換え、古い家の台所の下に暮らす身長10センチほどの14歳の少女アリエッティを主人公に、人間の少年との出会いや交流を描く。宮崎監督が約40年前に原作を読んでアニメ化を思い付いたという。

監督を務めるのは36歳の新人、米林宏昌。ジブリ映画では史上最年少の監督となる。米林監督は1996年にスタジオジブリに入社後、『千と千尋の神隠し』(2001)、『ハウルの動く城』(2004)、『崖の上のポニョ』などの原画を手掛け、『ゲド戦記』(2006)では作画監督補を担当。『崖の上のポニョ』では“ポニョ来る”のシーンを描き、宮崎監督をうならせた実力派だ。

また、フランスの歌手でハープ奏者のセシル・コルベルが主題歌『Arrietty's Song』を歌うことも発表。12月19日(土)から着うたやiTunes Storeなどで配信される。
 
しかし、次々とよいところに目を付けるものですね。
A 12月に入り、アカデミー賞の前哨戦となる各映画賞が次々と発表されている。アメリカ現地時間15日(火)には、第67回ゴールデングローブ賞(以下GG賞)が発表され、賞レースが次第に温まってきた。

 賞レース有力作の『マイレージ、マイライフ』(2010年3月20日日本公開)が、ジョージ・クルーニーの主演男優賞を含む6部門でノミネートされ、5部門ノミネートの『NINE』(ミュージカル部門。2010年3月19日日本公開)に数の上ではリード。ドラマ部門でもあるだけに、アカデミー賞に一歩近づいた。

『マイレージ・マイライフ』は、リストラの仕事で全米を出張しているうちに飛行機のマイレージを貯めることだけに生きがいを見出しはじめた男を描く、まさに不景気の時代を反映したタイムリーなドラマ。

作品賞(ドラマ部門)のダークホースは、ロサンゼルス、ニューヨーク、ボストンの各映画批評家協会賞を受賞しているイラク戦争をテーマにした『ハート・ロッカー』(2010年3月6日日本公開)だが、派手さを好むGG賞の最有力候補作は、やはり『マイレージ〜』だろう。

ここで注目されるのは、主演のクルーニー。このノミネートの結果を聞いて「いい火曜日になりそうだ!」と余裕のコメントをしているが、すでに全米映画評論委員 会賞やニューヨーク映画批評家協会賞で主演男優賞を受賞しており、他の候補者を数歩もリード。受賞も夢ではないが、ロサンゼルス映画批評家協会賞で主演男優賞を受賞しダークホースと言われている『Crazy Heart』(原題)のジェフ・ブリッジスの存在も気になるところ。
 
 近年、授賞式が中継されます。楽しみです。あ、溜まっている「仁ーJIN」を見なければ・・・(笑)。
 
B 劇作家の井上ひさし氏(75)が肺がんで闘病中であることが分かった。15日に都内で行われた日本芸術院新会員の辞令伝達式に代理出席した妻のユリさんが明らかにした。来春の復帰を目指しているという。

 ユリさんによると、井上氏は新作戯曲「組曲虐殺」を書き上げた直後の10月末に肺がんと診断された。11月上旬から抗がん剤治療を受けている。このため、兵庫県伊丹市などで予定されていた講演の仕事はキャンセルしていた。

 経過は良好だといい、治療が終了する来春には、自身が主宰する劇団「こまつ座」の新作戯曲の執筆に取りかかる考えだという。

 井上氏は愛煙家として知られ、たばこを1日40本ぐらい吸うヘビースモーカー。

 こまつ座の第89回公演「シャンハイムーン」(来年2月22日−3月7日、東京・紀伊国屋サザンシアター)は、すでに戯曲が完成しており、予定どおり上演する。 
 
 文壇、演劇界の宝。心配です。

2009年12月16日
 
「 舟のやうに年逝く 人をこぼしつつ 」 矢島渚男
 
 毎日のように喪中欠礼の葉書が届きます。
 港港に寄りながら、人を降ろしてゆく、故郷の連絡船を想い出しました。
 
 毎年、楽しみにしていた職場中庭の「いろはかえで」が紅葉の直前で、いきなり枯れてしまいました。こんなこともあるのですね。残念。
 校舎の側で育て、増えすぎたセイロンパッピー草をプランタに植え替える。増えすぎなので処分すればという声もあるのですが、どうも勢いよく育っているものを掘り捨てることができません。
 
 阿倍野近鉄百貨店の建て替え部分のビル撤去工事がほぼ完了?いきなり現れた広い空。南側にある南北の狭く短い通りに飲食店が犇めく「巴通り」。私の通勤路。いきなり上空が明るくなって、天王寺駅ビルやミオが見え、鳩が群れ飛ぶ。こんな新鮮な風景がみられるのはいつまで?やがて日本一の高さ(2014年の時点では)のビルが建って、この景色は永遠に消えるのでしょうが・・・。
 
 禁酒もいつの間にか一週間。今夜は7時過ぎに帰宅した後、着替えてリュックを背負い、ジョギングで隣町の喜志まで。往復1時間。薄明かりのサイクリングロードは気持ちいい。体重は1キロ減。明後日の計量に間に合うかな?
 
 忙しいのに、合間をみて、こんなことをやっている。忙しいからできるのかもしれません。いつか忙しく無くなるときがくるのでしょうか?一生自分で用事を作って忙しくしているような気がします(苦笑)。
 
 最近読んだ作品
 
 宮本輝さんの短編集(9編)から
 
 「トマトの話」「五千回の生死」「復讐」が特に印象に残りました。どれも、作者の分身のような、青年、中年男性「私」ー心身共に傷つきやすく、屈折を抱えた人物が出会う、奇妙で、心に残る人々の物語。生きることの悲しみ、孤独、やるせなさ、生命の在り方・・・深い読後感があります。特にバイト先で知り合った名も知らぬ重病の男から預かった手紙を無くしてしまう大学生の話「トマトの話」は、溜め息がでます。
 
2009年12月13日
 
 「 湯豆腐や いのちのはての うすあかり 」 久保田 万太郎
 
 生涯たくさんの女性がいましたが、最後の女性を失った直後の句らしいです。深い孤独とやるせなさ。その半年後、作者も急逝しました。
 
 先日受けたAED(自動体外式除外細動器)講習会。駅の構内他あちこちに設置されているのに、使える自信がなかったので、まさかの時を思うと不安だったのです。ショックで心臓停止になった場合、救急車が到着するまでの処置が大事。でも、その時になったらパニックを起こすのではないか?
 
 受けてみて安心しました。AEDが手に入れば、電源を入れれば、すべて音声による指示が行われ、それに従えばいい。問題はまず、通報する、助けを呼ぶことを忘れないこと、息をしていない場合の「胸骨圧迫」(「人工呼吸」はガーゼなどの感染防止用具が無い場合は、省略したほうがいいらしい)をきちんとやること、あー、やはり数分間の勝負となると焦るだろうなあ。
 
 それにしても、携帯が手近にあり、通報すれば平均6分(大阪市内では5分)で救急車が来る国に住めている幸せを感じます。
 
 「仁−JIN」再放送でやっと第6話まで追いつく。第5話で停滞したかと思ったのですが、私の思い違い。またまたテンポのよい展開に目が離せません。
 
 「坂の上の雲」第3回を見ながら打っています。こちらも第1回のまだるっこしさが消えて面白くなってきました。友人達が心配してくれていますが、使われている伊予弁に不自然さはありません。よく練習されています。祖母の使っていた「だんだん(ありがとう)」「・・・なもし」今も使う「・・・じゃけん」の言葉も懐かしい。
 
 今日は石川の畔を下って道明寺へ。約1時間のジョギング。なんとか2月の河内長野マラソンに間に合わせたいのですが・・・。息子が出るのは大阪女子マラソンらしい。女装して走るんか?お父さんらしい発想だけど、残念、一般の部は男子も出れるんやで。
 
 今朝の新聞から
 
読書欄   迫田 司さんの「四万十日用百貨店」の「軽4トラック」から。
 
「四万十では歩いてすれ違うときのように車上で挨拶をするのが常」
 
 よくわかります。うちの田舎も同じく。車で走りながらも周囲に目を配り頭を下げています(苦笑)。
 
常磐新平さんのエッセイから
 
 昭和21年、焼け野原になった仙台で。筆者は高校生。
 
「進駐軍でバンドの演奏をしていた兄が、米兵を家に連れてきたこともあった。そのもの静かな兵士は、わが家の縁側に上がって、じっと庭を見るばかりで、口をきくことはほとんどなかった。オハイオ州の出身だということだったが、オハイオがどこにあるか、わたしにはわかるはずもなかった。わが家には地図もなかった」
 
 でも、彼は高校の授業で定年を過ぎた佐伯先生から「賢者の贈り物」を学び、英語に目覚め、翻訳家、小説家の道を歩みます。オハイオ出身の兵士はどうなったのでしょう。
 
 歌人の小池光さんの文章から
 
 「蜘蛛の糸」で「この糸はおれのものだ」と叫んだ途端、手の上で糸が切れ、地獄に墜ちていったカンダタ。
 
 「だがこの時、掴んだ手の下のところで糸が切れれば、カンダタたけは助かった。ゆっくり徐々に引けば手の上で切れ、一気に引くと下で切れる。ニュートンの惰性の法則の教えるところである。芥川はこの法則を知っていたのかしら・・・」
 
 知っていたとすれば、カンダタは迷いながらゆっくり引いたというわけ?焦って急いで引いたと思っていましたが・・・。
 
 教訓 ブックコンサルトント、土井英司さんの文章から
 
 「男性にだけ売れる本は、決してベストセラーにならない。なぜなら、女性はよい情報を口コミするのに対して、男性はむしろ隠してしまうからだ」
 
 ナルホド。
 
本 よみうり堂から  「ローマで語る」塩野七生×アントニオ・シモーネ
 
 この母息子の映画談義を読んでみたい。
 
アントニオくんのコメント「僕はいつも母の意見に耳を傾けます。でも大体が、美に対して敏感な、メンクイの意見ですよ」
 
それを笑って聞き流す塩野さん。いいなあ。
 
東京テクノ・フォーラムから
 
 BMI(ブレーン・マシーン・インターフェース)ー頭で考えてだけで機械を動かす技術。2種類あって、脳に電極を差し入れて直接、意志に繋がる情報を読みとる方法と、脳につけたキャップから脳波や脳血流を読み取り、その情報を解析する方法があるとか。医学の進歩はすごいなあ、寝たきりの患者などの生活に役立つこと必至です。
 
 嫁はんはまだ「イ・サン」(評判の韓国の大河ドラマ)を見ています。タフだなあ。私は2本のドラマで腹いっぱい。授業の準備もしなければ。来週は恒例で「賢者の贈り物」をやるつもりです(もちろん日本語で)。

2009年12月12日
 
 暖かい晩秋の一日でした。朝からマッサージで体をほぐし(五十肩は大分ましになりました)、午後から石川の畔を3キロ程ランニングで遡り、羽曳野郊外にある天然温泉へ。大手パチンコチェーンの経営で数年前に出来たのですが、地元なのと、巨大パチンコ店の敷地内にあるのですごい混雑と聞いて、避けていたのです。
 
 ロビーで友人と落ち合う。予想を裏切る広い敷地と、整った設備、バラエティに富んで、きれいな紅葉が残っている庭園に点在する露天風呂はうれしい驚き。7つの湯船にすべて浸かり、湯上がりのビールを我慢、ジェラードを食べて満足して外に出ると、雨が降り始め、ランニングは諦めて友人の車で帰宅。
 
 ちょっと贅沢で、のんびりできた休日でした。でも、結果が出た高卒認定試験はうちのグループは厳しい連絡が続々。来週から懇談、気合を入れて臨まなければ。明日から冬も本番。冷え込むらしいです。
 
 「 あいつらも 夜永なるべし そそり歌 」 一茶
 
 こちらは江戸の秋の夜。「そそり歌」というのがいいなあ。いつの時代も若いモンはさわがしくでHなのがたくさんいます。やかましいなあと思いつつ、おもしろがっている風が見えるのも一茶らしい。
 
 ランニングの話を書いていなかったような気がして。職場の同僚が声を挙げて、たちまちまとまった2月の河内長野マラソン参加の話。ノリの良いのは天下一品のわが職場、たちまち20人を超すメンバーが集まる。高齢者たる私は、応援とその後の宴会を楽しみに1.5キロの部に参加する予定でしたが、いつの間にやら乗せられて、10キロコースに変更。10キロなんて前任校で11年前クラブ員と走ったきり。これは大変と、にわか練習を始めた次第です。
 
 帰って息子に言うと、実は、僕も一月末のハーフマラソンに参加するはめになったんだ、と溜め息。ほいほい話に乗ってしまうのは血統らしい(苦笑)。
 
 今日の新聞で驚いたこと。「政令指定都市」って人口の基準が下がって(100万から70万)数が増えたと聞いていましたが、浜松市も指定都市になっていたのですね。知らなかった。来年には相模原市もそうなるとか。もちろん四国にはありません。大きければいいというものではありませんが・・・。
 
 ちなみに「世界で一番住みやすい都市」はウィーンだそうです。都市の規模、文化の厚み、森の緑、ドナウ川、物価の安さ、少ない犯罪、おいしいワイン、ケーキ、交通渋滞の無いところ・・・。美術館にクリムトの絵、国立歌劇場では毎晩違うオペラが上演され(音楽監督は小澤征爾、指揮もしはる)、立ち見席は日本円で400円から700円とか。いいなあ。東京は30番台でした。大阪は?
 
 今年ももうすぐ終わり。まとめておかなければ・・・。このページでも書き忘れがいっぱい?
 
 まずは夏の「大山ゆき」の報告。あまりに面白かったので、書ききれないと後廻しにしていたらもう冬です。
 
 湯原温泉から車で「関の湯」ヘ。ここの鄙びた湯もよかったです。3人も入ればいっぱいの木製の浴槽は、清潔で気持ちいい。居合わせたお客さんに、この近所らしいという同行の友人Yの叔母さんのことを伺うと知っているという。おおざっぱに教えてくれた地理を頭に入れて、車で高原の田園地帯を走ったが、道を訊く人もいない。仕方ない、そこらの家に入って訊こう、と立ち寄った家が目当ての叔母さんの家でした。
 
 蒜山高原をかすめて、大山に向かう。雨模様で風も強いが、その分みどりが美しい。やっと山麓に着いて向日葵畑の向こうに山が全容を見せてくれる。
 
 さすが伯耆富士の名に恥じぬ堂々とした偉容。山に続く一本道の前で記念撮影。
 
 ここではYの叔父さんの家にお邪魔。退職されて奥様の介護をなさっている。大変だろうなあ。お土産に大山ハチミツをいただく。
 
 国民宿舎は大山キー場のゲレンデの前。夏草に覆われた斜面の上は深い霧で山肌は見えない。おいしい地酒をいただいて爆睡。
 
 翌朝も雨。登山を諦め、パワー溢れる友人Sはレンタサイクルで、私とYは車で出掛ける。私たちふたりは以前から憧れていた足立美術館に。これがこの旅唯一のがっかりでした。
 
 名高い庭は確かに美しいが、造りすぎ、アザトイ。大観はじめ、コレクションもすごいけれど並べ方はイマイチ。2000円を超す入館料も高いと思いました。
 
 収穫は帰りに寄った野鳥園。入江の自然をうまく活かして、野鳥の生態が身近に見られる。それに人がいない。もったいない。水面に大山の秀麗な姿が映って感動。スタッフの対応も気持ちよかったです。
 
 Sは境港の方まで走ったらしい。
 
 宿舎に帰ると、やはり深い霧。そのうち、やっとちょっと晴れて間近に見えた連峰を見て驚く、崩落がすごく進んでいて、剥き出しの山肌が無惨というより、自然と風雪の厳しさ、過酷さを痛感。どんな大きな高い山もやがては野となるのです。その実感。
 
 酒を飲んで爆睡。
 
 翌朝、霧の中を出発。「暗夜行路」の舞台となった宿坊は、もう跡形もありませんでした。緑に包まれた深く高い木立を抜けて登り始める。やがてだんだん木が低くなり、そして高山植物に変わる。急勾配は苦しかったけれど、山頂近くのお花畑は霧の中で、更に幻想的な世界でした。
 
 山頂も霧で、絶景と言われる伯耆、出雲、因幡の国々、日本海、隠岐の島々は見えず残念。でも、また来る楽しみが残りました。
 
 下山して、麓の旅館に御願いして昼風呂に入れて貰う。500円は安い。着替えて、蕎麦を食べ、車で蒜山へ。ヨーグルト、アイスクリーム・・・。どれもおいしい。大阪について、恒例になった中華料理店での打ち上げと精算で解散。
 
 3度目のおっさん3人旅も大満足でした。次もうまくゆきますように。
 
 最近読んだ本
 
「仁志野町の泥棒」 辻村 深月 
 
 たまたま乗った観光バスのガイドは、かつてその母の盗癖の為、転校していった旧友だった。切ない。
 
「おさかなばなし」 畠中 恵
 
 河童が登場。作者得意の江戸の怪談ファンタジー。後味はイマイチ。
 
「七年前の落雷」 犬飼 六岐
 
 落雷に失神した奥様を介抱したばかりに・・・。打擲され追放され、墜ちてゆく下男。こちらも江戸の武家社会の狭さ、偏狭さに翻弄される人々。最後に救いはあるけれど・・・。
 
2009年12月10日
 
「 冬めくや 幹のうしろに 幹の見え 」 倉田 紘文
 
 葉を落とし尽くした冬木立の厳然とした美しさ。好きです。
 
 御堂筋の銀杏並木が見頃になったというのに、長原近辺の銀杏並木は、先日、まだ美しい黄葉のまま枝を切られました。銀杏も一緒に落とされて、潰れている。公的な作業の日程に因るものなのでしょう。なんや無粋だなあ。
 
 「JIN−仁−」を日曜の再放送から見始めて、今日で第5話。花魁「野風」の登場からますます面白くなりました。適役の俳優達の力演もいいですが、タイムスリップもののお約束の写真などの小道具も活かされ、歴史的事実である龍馬の運命も気になります。脚本がまず、いいんだなあ。夫婦で「播磨屋本店のおかき」を囓りながら夢中で見ています。
 
 昨日来た老い
 
 友人にメールを打ってから気づいたこと。2件あった用件をひとつも書かないで、些細なことを書き連ねてそのまま送ってしまった・・・。今朝、改めて送ろうと思ったら、どうしても1件の内容が思い出せない。
 
 あんたが最近、盛んに書きまくっている「老い」って、いつもやっているドジのひとつやないかいな!?というシビアなご指摘、ごもっともです。でも、なんでも「老い」のせいにするのが「老い」の証拠なのですよ、きっと(苦笑)。
 
 「美女と野獣」を見て京都から帰って来たら、午後11時を過ぎていました。今朝はシンドイ。でも、京阪神を数時間で行き来できるのだから、すばらしいことやし、便利のええとこに住んでいるということでしょう。故郷の友人達にいつも羨ましがられる点です。
 
 
先日のわがグループでの出来事
 
 大事な連絡があるから明日はおいでや、と欠席続きの女生徒の家に電話。(携帯は使いすぎで親から止められている)
 
 明日?ムリ!あたしの誕生日やもん?
 なにー!?誕生日で、なんで来られへんねん!?
 お祝いに、ママのお店のお客さんに京都へ連れて行ってもらうねん。
 えー、京都?ええなあ!
 ええやろ?着物着て行くねんで。貴船の旅館やって!
 おいおい、ホンマ、気いつけや!ほんで、いつ学校へ来るねん?
 うん、落ち着いたらね。
 
 もう、力が抜けました。
 
最近読んだ本
 
「三毛猫ホームズのオペラへ行こう」 赤川次郎
 
 好評の新聞連載(最近はオペラだけでなく演劇全般が対象になっているみたい)が本になりました。新鮮な情報もいっぱい。驚いたのは、演劇では表に出ないプロンプターが、オペラではプログラムにも名前が載るほど公的に認められ、重んじられる仕事であるということ。演劇なら誤魔化せるが、音楽の伴うオペラでは出だしや歌詞で躓くと取り返しがつかないからだそうです。
 
来る人
 
 藤村 美穂子さん (メゾソプラノ歌手)
 
 2,3日前の新聞から。今、世界的に注目されているオペラ歌手。オーストリア グラーツ歌劇場を本拠地にがんばってはるらしい。彼女のすごいところは、その舞台に出演するすべての歌手の動きと歌詞を憶えていること。彼女はプロンプターに「私のことはいいから、他の人を支えてあげてちょうだい」と言っているそうです。すごい。

2009年12月9日
 
「 野ざらしを 心に風のしむ身かな 」 芭蕉
 
 最初の紀行文の冒頭。芭蕉41才。長旅(9ヶ月)に向かう決意と寂寥感。死はその10年後。「野ざらし」にはならず、大阪市内の畳の上で、弟子達に見守られ・・・。でも、こころの中にはやはり枯野の風が吹いていたのかもしれません。
 
 最近来た老い
 
 2日前から左腕が痛くて上がらないことがあるようになりました。これが「音に聞いた五十肩」?まったく上がらないのではなく、時々上げると激痛が走るので却って厄介。
ゆきつけの整骨医にゆくと、こんなのはましですよ、とマッサージしてくれる。もうしばらく付き合わんとあかんみたい。
 
 最近見た舞台
 
 下の息子がチケット3枚プレゼントしてくれたので、嫁ハン、義母と京都劇場の劇団四季「美女と野獣」へ。
仕事の後、地下鉄とJR快速を乗り継いで、6時半の開演に滑り込む。
 
 ディズニーの映画を元にして、上手にきれいなファミリー向けミュージカルにしています。でも、元々ジャン・コクトーの名画もしかり、人間の表面と内面、個の確率、創造力の大切さ、偏見の打破、といった重いテーマを内蔵しているので、それが半端にちらつくのが気になりました。
 
 たとえば、美しいけれど本好きで変わり者と言われるヒロイン、ベル。醜い野獣の無垢だが頑なな心を読書(アーサー王物語)でほぐして、想像力を高め、やがて男女の愛に目覚めさせてゆく。そのあたりの描写の歌での表現は難しい。
 
 最後に、偏見に囚われた村人達に襲われるが、煽動者を倒し、魔法は解け、二人は結ばれハッピーエンド?でも、その後村人たちとは和解できたのでしょうか?ふたりは城に籠りっぱなし(苦笑)なんて、余計なことを考えてしまいました。
 
 キャストは熱演。特に主演の野獣の若い役者さん、歌がうまい。ベルの衣装は豪華。評判の舞台美術も見事でした。でも、小さな舞台、少ない登場人物・・・どうもこじんまりした公演のイメージが拭えません。もっと華やかな舞台であらまほしい。キーパーソンのミセス・ポットはもっと達者でなくては(テレビで見たブロードウェイ版ではアンジェラ・ランズベリーでした)。なにせ主題歌を歌う役なのですから・・・。
 
 やはりタカラヅカの生オーケストラで大人数の舞台を見慣れているからかなあ。まあ、歌はタカラヅカよりはるかに・・・ですが。
 
 それにしても京都劇場の長い階段は閉口。足の悪い義母は降りられないので、お年寄り4人に声を掛けて、一緒に業務用のエレベーターで降ろしてもらいました。この高齢化社会。ここも、南座も上階席の客の為にエレベーターを設置すべきです!
 
最近読んだ本
 
「風紋」 大庭みな子
 
 シャープな感性の作家でした。最後の短編2つとエッセイ2編、52年連れ添ったご主人の回想録。
 
 もう、小説とエッセイの区別もつかない、それでいい。文章も不統一。でも独特の鋭い批評眼とグローバルな視点は健在。
 
 それにしても、公然と浮気も告白、最後の小説は小島信夫さんへのラブレターのようなものだけど、それを口述筆記しているご主人もすごい。

2009年12月7日
 
「 死なば秋 露の干ぬ間ぞ 面白き 」 尾崎 紅葉
 
 その名にふさわしく明治36年10月30日没。その辞世。その心意気。その潔さ。
 
 準備室の窓際のブーエンビリアが外壁工事のカバーのため枯れかけていました。工事が終わって陽がさしてきたら俄然生き返り、白い花を付けています。自然は強い。
 
 なんでワールドカップの抽選結果がトップニュースになるの?どこのグループに入っても厳しいことに違いないのに・・・。
 
 石川遼クンの賞金王も騒ぎすぎ。逸材をもっとじっくりゆっくり見てあげてほしい。若くして成功してしまった人の不幸を案じます。
 
 タイガー・ウッズに6人の愛人?話半分にしてもすごいなあ。
 
 日曜は久々ドラマ三昧。話題の『JIN-仁-』というドラマの再放送から見る。脚本もよく、大沢たかおや、内野聖陽(この龍馬、ウマイ!)の熱演に引き込まれ、今日も続きを見ています。
 
 「坂の上の雲」第2話は面白かったです。一気にドラマが展開。小さなカットにも手間と金がかかっていて、90分飽きさせません。これからが楽しみ。伊豫弁もやはり懐かしい。
 
 「天地人」最終話をやっと見る。思えば昨年の「篤姫」に続いて、大河ドラマを見たのは40年ぶり。兼次という人物を描ききったとは思えないけれど、最後の息子を亡くすシーン、紅葉の下での本人の死のシーンには涙しました。きちんと第一話と平仄が合っています。笹野高史、松方弘樹の好演も際だっていました。
 

2009年12月6日
 
「 この木登らば 鬼女となるべし 夕紅葉 」 三橋 鷹女
 
 孤高の俳人。気性の激しさがこの句にも表れています。夕陽に染まってより燃え上がる紅葉。謡曲や歌舞伎の「紅葉狩」の鬼女に変身する更級姫のイメージもあります。人はだれも心の内に「鬼」を飼っているのでしょうが、押し込めている分、暴れ出すと怖いものかもしれません。
 
 それで、想い出した先日の京の日向神社。教えてくれたタクシーの運転手さんは、たまたまその前日に、3人カメラマンと3人の舞妓さんをそこまで乗せたのだそうです(もちろん複数台で)。5時間後に迎えに行ったのだそうですが、運転手がカメラマンの一人にこっそり訊いたら、全部で30万ほどかかるのだとか。金のあるアマチュアカメラマンたちだったのでしょうか?それにしても撮影場所としてはいいけれど、どこで休んだのだろう。舞妓さんたちのトイレは?と下世話な心配をしている私です。
 きっと社務所の座敷でも借りて、昼食も取り寄せたのでしょうね。贅沢なことです。
 
 下の息子から先日夜中の2時に、「今、仕事が終わったので、これから帰り・・・帰れません。このまま職場に泊まって、明日仕事、明日の晩は当直・・死ぬ!」というメール。
 
 心配していましたら、翌々日の朝刊を見ながら笑顔を見せて、これで一段落や、と言っている。偽札が関わった覚醒剤の事件が報道されている。
 
巧妙な偽造紙幣なん?
いや、目茶安易なそこらのコピー機でつくったやっちゃ。
覚醒剤乾しさにそこまでやるんやなあ。
 
 昨日と一昨日の新聞から
 
普天間移設問題は鳩山政権の命運を左右する課題となってきましたね。長い間、沖縄に押しつけていた基地の問題の清算をする時期、機会なのかもしれません。米軍基地の必要を国家として認めるなら、確かに関空第2、第3?滑走路も候補ではあります。
 
 「きつねうどん」の元祖とされるのは、大阪市中央区の「うさみ亭マツバヤ」で明治26年に考案されたのだとか。讃岐や稲庭はダシも含めて地元の食材で作られるが、大阪は天下の台所、昆布は北海道、小麦粉は熊本、油揚げは京都。
 
 商標登録すればよかったのに、という声に、そんなことはだれも考えなかった。難しいことは言わず、気軽に食べてもらえれば、と当代店主。
 
 フィギア・スケートグランプリ 面白かったです。荒川静香さんの評
 
 「フィギアスケートは全力で闘う競技ではない。力を出そうとしすぎると失敗し、抑えると演技が小さくなる。どう加減すれば、ベストの演技につながるかが難しい」
 
 すべてのことに当てはまるように思います。
 
 読売の土曜版に連載中の桐野夏生さんの「優しいおとな」もそろそろ佳境に。主人公イオンはやっと抜け出した地下の世界に再び入り込むことになる。
 
「愛情は深ければ深いほど、どうでもいい他人を傷つけるる力が強大になる。それは怖いことだ」
 
 その通りかも。
 
 4日、日本中央競馬会は騎手の拍車使用を来年から禁止すると発表。乗馬靴の踵についていて馬の腹を蹴って刺激するものですが、動物愛護の観点からも消えて行くことになったのです。「拍車をかける」という言葉は残るでしょうか。
 

2009年12月4日
 
「 顔見世や 訪れはやき 京の雪 」 久保田万太郎
 
 まだ、顔見世の快い余韻が残っています。華やかな舞台からパワーを貰って、観客はそれぞれ、また厳しい現実の世界に戻って、来年を楽しみにがんばるのでしょう。
 
 今日も事件があり、中間考査の成績処理やらいろいろありましたが、なんとかこなすことができました。一日一日が勝負です。
 
 最近来た老い
 
 玉の如き 小春日和を・・・の句の作者は、松本たかしさん。教えてくださったさん、ありがとうございました。そうでした、たしか宝生流の能役者の家元の出でした。ついでに「賜りし」でなく「授かりし」という間違いもご指摘いただきました。
 
 うーむ。なんで憶え違いしたんだろうと考えていて、そうだ、この句を読んだとき、なぜ「玉」と「賜る」にして「た」の韻を踏まなかったのだろうと思ったのでした。でも、考えてみると、「授かる」の方が、暖かな貴重な日射しを天から掌に受け取るような深い味わいがあります。病身で(家の芸は継げなかった)臥せることが多かった作者にとっては、縁側や庭先で受ける日光はありがたいものだったのでしょうね。
 
 でも、こんなにあれこれ言い訳するのが老いの証拠です(苦笑)。
 
 今日は早めに登校し、昨日の担当科目の出席入力を一番にしようと思っていたのに、あれこれ溜まっていたことをやっていたら、忘れていて、これも指摘されて慌てる始末。何のために早めに出勤したんやろ(苦笑)?優先順位をその都度決めることが出来なくなっています。つい、目の前にあることに手を出してそれに囚われてしまう・・・反省。
 
 最近読んだ作品
 
「銀子三枚」  山本一力
 
 この人の作は少し後味が辛くて馴染めないところもあるのですが、本作は重いけれど緻密な筆運びで頷かされます。
 
 戦国末期の混乱をしぶとく生き抜いた土佐の長宗我部一族の話。豊臣から徳川への流れを読んで、当主は犠牲になり、移封されてきた山内家の下で、嫡子五郎左右衛門は自ら足を折って、うずくまって低い身分に甘んじて生き、それが認められ、五十路でやっとわずか銀子三枚で隠居し、妻を娶ることを許され、男児を挙げて、血の継続を確認し「任せたぞ」と言い残して完爾として笑みを浮かべて死んでゆく。
 
 前近代的な話なのに、なぜ人のこころを打つのか?父から子への悲痛というより理不尽までの「血を繋げること」の願いというより、厳命。そのシンプルでいて、あまりのあっけらかんさが、家族も親族も血も廃れ始めている現代人には新鮮にみえるのでしょうね。
 

2009年12月3日
 
「 顔見世を 見るために稼ぎ 溜めしとか 」 高浜 虚子
 
 年一度の大贅沢。友人二人ともう二十数年通っています。それぞれ病気や怪我や介護、不幸もあったけれど、十二月の二日だけ、三人ともなんとか都合をつけてこられたのは奇跡に近いことかも。今年は早めに実施。当番幹事は私。
 
 今年は、なんと言っても顔見世初の仁左衛門、玉三郎による「助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)」。昨年、小品ですが「ぢいさんばあさん」でたっぷり泣かせてくれた二人が、今年は極め付きの豪華な番組で美男美女を演じる。
 
 午後3時すぎ鴨川に到着。河原で小春日和に包まれて、ユリカモメや鷺を眺めながら日本酒で乾杯。いい気分で南座へ繰り込む。
 
 3演目目。幕開きから和服で溢れた客席がどよめく。吉原一の大店「三浦屋」の舞台中央に絢爛の衣装を纏った玉三郎の揚巻。傍らに妹分の花魁白玉の菊之助、周りに控える傾城、遣り手、新造、禿、男伊達、若衆、番頭、若い者ら40名。まさに色彩と人が溢れて圧倒的なボリューム感です。その真ん中にゆったり構える玉三郎の円熟した美しさは絶品。顔が小さい、姿がいい。衣装に負けていない貫禄。やがて、登場した
助六の仁左衛門の姿のよさ。黒の衣装に赤い縁取り、下帯、紫の鉢巻きに黒い傘。こちらも長身で美貌、体格、年齢的にも玉三郎とぴったり釣り合って見ているだけで酔わせてくれました。まだ3日目で、いつもは口跡のいい二人の科白が固い部分もありましたが、それは小さな傷。もう、2時間たっぷり堪能。
 
 ちなみに「助六寿司」の名前の由来は、玉三郎演じた助六の恋人、揚巻の名前から「あげ」ーいなり寿司と、巻き寿司の組み合わせになったのですね。
 
 あとの3つの出し物は、申し訳ないがイマイチ。「土蜘蛛」の菊五郎さん、熱演でした。
 
 年々思うのですが、4演目5時間の舞台は見る方もしんどい。狭い客席にいたため軽い「エコノミー症候群」?、今日まで腰が痛みました。それに3階席までお年寄りは大変、早々にエレベーターを設置すべきです。
 
 祇園で遅くまで飲んで、タクシーで帰ったホテルでまた飲んで、ゆっくり起きて、朝からビールを飲んで、路地の喫茶店でモーニング。そこに置いてあった朝刊で、昨日午後の平山郁夫さんの急死を知る。79才。実家からしまなみ海道を走って小一時間で平山氏の故郷、生口島に着きます。穏やかで美しい島(記念美術館あり)。故郷の風土そのままの穏やかなお人柄でしたが、被爆体験に裏付けされた強い平和への希求心、画業を超えた世界的な活躍はご立派でした。黙祷。盛大な送る会などがあるのでしょうが、安易に神格化されませんように・・・。
 
 デュークエイセスの元トップ・テナー(この夏退団)、飯野知彦が胃癌で先月20日亡くなっていたこと(告別式もすでに親族だけで終えていた)も、今日発表。56才。デュークエイセスは好きなグループなのにいつもテナーだけは病気などで倒れ、交代します。いつもええ人が入るのに・・・。まだ若い。気の毒。
 
 昨夜乗ったタクシーの運転手さんに聞いた「紅葉の穴場」ー日向大神宮へ出掛ける。長年京都へ通っていて初めて聞いた名前。でも、タクシーの運転手さんも先日知ったというのですから、我々が知らなかったのもムリはない?「蹴上」まで地下鉄で行って地図を見て歩き始めたが、入り口がわからない。金地院の受け付けまで行って尋ねたら、インクラインの側の坂を登ればいいと言う。入り口にチェーンが下りてましたよというと「超えたらよろしいねん」と大胆なご返事。
 
 その通りに登ってゆくと、すばらしい紅葉があらわれる。その向こうに石橋、そして鳥居。ちゃんと車の通る別の参道もありました。でも人影なし。狭い谷の5分余り登ると現れた神社は、まさに伊勢造りの立派なもの。境内を彩る紅葉黄葉も見事。十月桜も白い花をつけている。雨で散り敷いた鮮やかな落ち葉が一段と映える。こんなとこがあったんだ。観光客は我々を入れて五名。あとの二人は京都の方で、私たちも知らなかったのよ、と笑ってはりました。もちろん拝観無料。
 
 大満足で調子に乗り、山道を越えて、南禅寺に下りる。途中、雨で滑って(酒のせいかも?)一回転ぶ。ここの紅葉はほぼ終わっていました。でも散り残った紅葉が山門に映えて流石に名刹の風情でした。蕎麦を探してうろついていたら上田秋成の墓所の表示を発見。これが京の楽しみ。白川沿いに歩いて、おいしい蕎麦屋に巡り会い、三条から京阪、近鉄を乗り継いで帰ったら五時前。そのまましばらく眠ってしまう。遊び疲れでしょう。これでまた、明日からがんばれます。
 

2009年12月1日
 
 「玉の如き 小春日和を 賜りし 」
 
最近来た甥、じゃなくて老い
 
 有名な句なのに作者を忘れました。歳時記で調べるのもおっくうで・・・スミマセン。
 
 昨日の失敗を書こうとして、その内容を忘れました(苦笑)。
 
 中間考査でばたばたしているのに、あえてまた職員バザーをやってしまう私。この学校に来て12回目。姪の遺志を継いで、中国四川省の小学校へ絵本を送ってきましたが、昨年の大地震以来、現地と連絡が取れず、仕方なく、国連の難民高等弁務官事務所に寄付をしてきました。
 
 回を重ねて、要領も得て、協力体制も整い、今回は28000余円の売り上げ。即、職場で取り組んでいるチャリティマラソンへ5千円、残りを難民高等弁務官事務所に振り込んできました。
 
 今回の特長は、2千円のノートパソコン(これは自分で組み立てるのが趣味の同僚がいる)、新品の衣類がたくさん(福袋の中身で使わなかった分というのが、世の中には結構あるらしい)、ダントツ人気は、ソフトバンクの犬のお父さんストラップ。大きくて、しかも尻尾に触れるとアトランダムに北大路欣也の声がする。これは二千円でお買い上げ。
 
 しんどかったけれど、わいわい賑やかに物色していただき、楽しいひとときでした。もうバザーも終わりにしようと思っているのですが、続けよと、叱咤激励してくれる人達がいるのがうれしくもあり、止められそうもありません。
 
 「坂の上の雲」話題のドラマですが、ボクシング中継に出鼻を挫かれ、また初回とあって、説明過剰で盛り上がりに欠けました。「時代」や「国家」を描くことは難しい。



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