Kan-Kan の雑記帳



2009年4月29日
 
「 心中に 枯野を呼びて 深く酔う 」 新聞俳壇から 盛岡市 小野さん
 
 28日、同僚が病に。身近にいたのに、予兆に気づいてあげられなかったことを悔やみ、己を苛む。休日前の夜なのに、こころが重い。酒で愁いを誤魔化す。
 
 それでも、明るい朝は来て、29日は32回目の結婚記念日。市内か、郊外か、悩んだ挙げ句、車を出す。河内長野から新緑の美しい山を抜けて和歌山へ。山には桐、藤の紫の花が緑に映えている。
 
 橋本郊外の「子安地蔵」へ。数年ぶりだけれど、いいタイミングに来ました。各種の藤は満開。こでまり、都忘れ、しゃくなげ、菖蒲、つつじ、花水木、鈴蘭も一斉に開いて美しい。こころが癒される。花のシーズンですが、駐車料、入山料とも300円というのも気持ちいい。行楽シーズンには1000円くらいとる寺社もあります。
 
 帰りは金剛山の東側を北上。このあたりは「宇智の大野」。万葉集に歌われたひろびろとした丘陵地帯。そこの「藤岡家」へ寄る。
 
 「玉骨」(ぎょっこつ)は梅の古木の枝の固い節。それを号にしているホトトギスの俳人がいることも知っていたけれど、まさかここにいてはったとは・・・。
 
 所有者が関東に移られたこともあって 平成18年に有形文化財に指定され3年間の改修を経て、NPOに拠って最近公開され、管理運営されています。江戸時代から続く庄屋、両替屋、質屋、染め物屋、薬種商でもあった名家。「玉骨」こと、藤岡長和さんは、明治時代、内務官僚から和歌山はじめあちこちの官選知事を務めた人でもあります。
 
 400坪の敷地に200坪の邸宅。入口は大きくないが中が深い。母屋から橋で渡した奥の棟に渡ると、新座敷(27畳)、4間の床の間を初めて見ました。掛け軸も私の広げた腕より広い。欄間の細工、天井の板、置物がそれぞれ凝っていてすごい。広縁を渡って、さらに別座敷へ移動すると、そこが貴賓の間。大名火鉢や屋久杉(!)の天井、最奥に茶室。別座敷の入り口には樹齢200年を越す紅梅が。
 
 うらやましかったのは書斎。中2階で母屋との橋の上に隠れ部屋のように作られた2畳の書斎は、小さな文机があるだけの簡素な造り。でも北向きで目の前には200年の梅の古木の枝、その向こうに葛城山、後ろ(南側)に百日紅の古木。
 
 隠居所で紅茶をいただく。400円。壁には与謝野鉄幹からの書簡。
 
 今は幹線道路から外れた静かな地域ですが、昔は大阪から水越峠を越えて来て、また京、奈良から高野さんや和歌山に至る道と交叉する交通の要所だったわけでしょう。
 
 その豪奢さと環境の良さに感嘆。またそれを維持するボランティアの方々の努力にも頭が下がります。防火、防犯対策は大変だろうと思います。また紅梅咲く早春に来よう。
 
 あちこちの「道の駅や」農協の直売所に寄って、いろいろ野菜、花などを買い込み、最後は当麻から竹之内峠を越えて、飛鳥川の側の道の駅で柚子アイスクリームを食べる。夕食はカンパチの刺身、鰈の煮付け、ロールキャベツにホウレンソウのおひたしと息子が買っていたワイン。嫁ハンは大満足の一日だったようです。
 
 義父の死や引っ越しでばたばたして気が付かなかった30周年、今年改めて計算して結婚32周年とわかった次第です(苦笑)。来年から1年1年丁寧に祝います。
 

2009年4月26日
 
 「 手にひとつ きのふの色の 桜餅 」 新聞俳壇から 長野市 縣 さん
 
 桜餅の塩の効いた甘さが、疲れた身体にはうれしいものです。
 
「 どこまで続くぬかるみぞ 」
 
 ハードな一週間でした。毎日数件の事件に追われ、会議は8時9時に至ることも。職場ではアドレナリンが出ているのか、なんとか凌いできまましたが、オンとオフの切り替えが難しい。
 
 バッグを左手に、ポーチを肩から掛けて通勤しているのですが、駅まで行ってポーチ(定期、財布が入っています)が無いことに気づいたことが今週2回、朝髭を2回剃ったこともあります。老化現象に加えて、疲労もたっぷり溜まってきていて、なんとか辿り着いた週末でした。
 
 風の強い、肌寒い日曜。先週衣替えして仕舞い込んだ冬物を、もういちど引っ張り出す。とにかく、体力、気力の回復が一番の課題、睡眠とテニスと読書と銭湯と、湯上がりのマッサージ器で、なんとか体が軽くなりました。
 
 ポイントは酒を控えていること。平日はどうしても、その日のストレス解消の為飲んでしまうので、本来、気楽に飲める週末を休肝日としたのです。
 
 ま、来週は水曜が休みなので、短期レースできます。ここが勝負どころ。連休まで走り込んで、改めて態勢を整えます(笑)。
 
 日本一の居酒屋という評判の「大甚」(名古屋)。創業100年というけれど、決して高級ぶってはいないという。200円から400円の小皿が2畳ほどのテーブルに並べられている。営業は4時から9時まで。常に満席状態らしいが、ひとり当たりの滞在時間は30分ほどらしい。これぞ居酒屋の本道?。酒は特製の「加茂鶴(樽詰め」。一斗樽がどんとあるらしい。一度行ってみたい。そんなことを夢見つつ明日もがんばります。
 
 最近読んだ作品
 
「母の北上」 森 絵都
 
 父の死んだ後、広かったマンションの南の居間から、どんどん北の狭い空間に移動してゆく母。その小さな「北上」が気になって、訪れた長男は、すったもんだの挙げ句、意外なささやかな事実を知って驚く。
 
 老人のプライド、深い寂寥感、孤独感をさりげなく描いて、こころに沁みるものがあります。

2009年4月25日
 
 「 プライドで 死ぬかもしれぬ 花の闇 」  新聞歌壇から 市原市 斉藤さん
 
 花の闇は奥深くて不気味、魔が潜んで誘っているようです。これからの緑の季節の夜の闇も魅力的で怖い。
 
「お元気ですか、幸せですか」
 
 20日に静岡県御殿場市の霊園で硫化水素を吸って自殺したタレント清水由貴子さん(享年49才)。 お父さんの墓前で、認知症が進む母親の側で、雨に濡れて・・・痛ましい。介護に追われて、仕事もできなくなっていたとか。お母さんは目が不自由になっておられて、娘の自殺が見えなかった。それはせめてもの救い?でも、こんなかたちで死んでほしくなかった。あの明るい笑顔の遺影が切ないです。通夜の参列者は50名だったそうです。
 
「笑って 許して」
 
 草g剛クンの飲酒、全裸、逮捕事件。なぜか周囲から感想を訊かれまくりますが(苦笑)、ご想像の通り、もちろん菅家は一致して擁護派です。
 
 なんでNHKまでが9時のニュースで会見生中継するとかせんとかで大騒動せんとあかんの?もっと大事なこといっぱいあるやろ?公園の近所の方に迷惑かけたのはあかんけど、臨時ニュースになるほどの事ではない。
 
  私 「飲んで裸になるって、ごく普通の感覚やなあ?」
 
 息子 「お父さん、普通じゃないと思うで。」
 
  私 「んじゃ、お前は飲んで宴会などで、裸になったことはないのか?」
 
 息子 「そりゃ、あるけど・・・」 
 
 嫁ハン「草gクンなら、膚も白くてきれそうだし、お尻もぷりぷりしていて、公然わいせつ罪にあたらんと思うわ」
 
 私・息子 「それは別の問題やろ!」
 
 新聞で、だれかが「容姿と才能に恵まれ、仕事も順調だったので、ストレスがあったと思えない」と書いていたけど、とんでもない。若い時の異常な程の成功は、本人には強いストレスになっていたはずです。麻薬や、暴力に走らなかっただけはるかにましです。
 
  年に数日しかない休日で、埼玉の実家に帰り、その後、帰宅して近所の居酒屋で酒を飲む、解放感から飲み過ぎてしまう、そして公園で・・・それって若い男としてわかる行動です。(老いたおっさんも同様・・・苦笑)
 
 それを(有名人というだけで)マスコミは大騒ぎ、警察は家宅捜索、大臣まで「最低の人間」とこき下ろす。それが腹が立つ。お仲間の酔って記者会見して世界に恥をさらした元大臣にこそ「最低」というべきでしょう。
 
 私の飲み仲間の悪友Sは元ラガー(ええ身体している)。飲んで興が乗ると、すぐパンツを脱いで踊り出す。私は、これこれ、やめなはれ、と言いつつ、脱ぐのを手伝ったり、服を預かって畳んでやる係(笑)。Sは店の常連の小母様方のアイドルとなっています。
 
 草gクン、酒を止めるなんて言わないで。飲んで脱ぎたくなったら、藤井寺のスナック「R」へおいで。大歓迎します。
 そんで、今度公園で脱いで、お巡りさんに見つかったら、素直にごめんなさいと言って、近所にひとに謝って、パンツを穿いて帰るのですよ。
 

2009年4月19日
 
 温かき 缶コーヒーを 抱きて寝て 覚めれば冷えし コーヒー啜る
 
 ホームレス 公田 耕一
 
 囚人の 己が〈(ホームレス)公田〉想ひつつ 食むHOTMEALを
 
 アメリカ 郷 隼人
 
 数週間分まとめて職場で読む「朝日新聞」の歌壇に驚きました。4人中3人の選者が採り上げ、とりわけ永田和宏さんは上記の2首を1,2席に挙げています。共に謎の歌人。ホームレスは缶コーヒーで暖をとる厳しさを歌い、囚人はぬくぬくとホートミールを食べている自分を責めつつ、見知らぬホームレスを思いやります。
 
 二日前のこの欄で公田さんの歌を採り上げたら、同僚のブログでも偶然、その日、彼を採り上げていました。海を越えて響き合う歌、ホームレスの静かな叫びが多くの人の心に沁みいっているのでしょうか。
 
 土曜朝、父と義母と我々夫婦4人で吉野へ。絶好の行楽日和。尺土で特急に乗り換えて一時間。車中で早くもビール数本を空ける。吉野山は上千本まではすでに花は散って葉桜の候。でもその色合いが美しい。父の足も考えて、タクシーで奥千本へ。ここは落花盛ん。間に合いました。
 
 西行庵へゆきたいという嫁ハンと義母をここで降ろして、父とタクシーでそのまま中千本「竹林院」へ。
 
 ここの庭の枝垂れ桜が一本、花を残していました。馬酔木、ボタン、八重桜、椿も咲いていて、ウグイスも鳴いて、深山の春を満喫。新緑が目を洗う美しさでした。嫁ハンと義母を待って、ここ数年訪れている旅館で桜尽くしの昼懐石をいただいて、ちょっと昼寝して早めに帰宅。
 
 久しぶりに帰宅する下の息子を待って、改めて乾杯。父は満足そう。なぜか「栄転祝い」などを用意していて、息子に渡そうとしてくれる。もう、ええ歳やし、おじいちゃんからお祝いもらうなんて、おかしいやないか?これはお父さんが預かっておく、と手を出すと、息子は慌てて
 
 おじいちゃん、ありがとう!と、急いでジャージを下げて、パンツの中に隠しました。こら、きたないことすんな!と怒ったのですが・・・(苦笑)。まだまだ幼くて困ったやっちゃ。
 
 わいわい騒いで3人で痛飲。父は日曜の朝、息子に見送られて、ご機嫌で京都の姉の家に向かいました。義兄の案内で平等院の藤を見に行くそうです。88才、本人は「冥土の土産が出来た」などと言っておりますが、また、今度は吉野の中千本、上千本の盛りに来て欲しいものです。
 

2009年4月17日
 
 「 美しき 星空の下 眠りゆく グレコの歌を 聴くは幻 」  朝日歌壇 公田 耕一さん
 
 突如現れたホームレス歌人、連絡のつかない投稿者について詮索が続いていますが・・・あまりやりすぎない方が・・・。
 
 気になって「美しき星の下」というグレコの歌ったシャンソンを嫁はんに探して貰いました。私も嫁はんも知らなかった古いシャンソン・・・見つかりました。1951年に吹き込まれた歌、「腹ぺこの浮浪者はベンチで眠り、老いた娼婦たちはまだ客を引く・・・」
 
 確かにちょっと古い流行歌。今は残っていない歌ですが、この歌がこころに沁みて、そしてどこかのベンチで思いだしてはるのでしょうか。消印は横浜だそうです。
 
 滅茶苦茶忙しい生活指導の日々を送りつつ・・・ちょっとだけこころ和んだこと。
 
 昨年度、チューターした生徒(男子二人・・OクンとSクンーどちらも停学数回、後半なんとかがんばって、それぞれ卒業が少し見えて来たところ)がやってきて
 
 センセー、三月でおれらのメールアドレス消すと言うてたけど、まだ、残しているやろ?
 
 あ、そうや、消すの忘れてた。その約束でアドレス教えてもろたんやったな。すぐ消すわ。
 
 ちょっと待ってや。もう一年残しておいてほしいんねん。
 
 なんでや?約束やし、もう、君らは僕の担当ちゃうで。
 
 でも、まだ、いろいろ相談したいこともあるし、もうちょっとおいといてや。
 
 ムリ!もうお前等は嫁に、マチガイ婿に出したんや、それぞれのグループで○○センセイや△△センセイに相談してやってゆき!
 
 あかんねん、カンセンセでなかったら感じない身体になってしもうて・・
 
 アホ!下ネタは好きやけど、ここでは止めとき!とにかく、もうあかんねん!
 
 センセー、ホンマはおれらに頼られているのが嬉しいんやろ?
 
 (ドキ!)ちゃう!俺には新しい、お前らみたいな問題児が新たにいっぱいおるんや!
 
 わかってる、でも、たった二人増えるだけやからええやん?
 
 二人でもお前等は10人分手がかかるわ!
 
 それはそうやった、とふたり苦笑し、引き揚げつつ、振り返って「また、来るわ」
 
 こういう楽しみがあるから、なかなか教師生活に区切りが付けられません(苦笑)。
 
 今日、事件にこころを残しつつ、時間休をもらって帰宅。
 
 四国から上阪する四国の父を待ち受ける。
 
 父は4時半に家に着く予定でした。
 
 午後4時8分、予想通り、時間より早く、駅の改札に現れる。
 
 横から荷物をさっと取ると、驚いた様子。長年の付き合いで行動パターンは読めています(笑)。
 
 即、家で飲み始めて、互いに酩酊。明日は葉桜の吉野へ参ります。

2009年4月15日
 
 「 雨に 濡れし 夜汽車の窓に 映りたる 山間(やまあい)の町の ともしびの色 」  石川啄木
 
「谷間の灯」「町の灯」「街の灯」は人の心を揺する永遠のテーマですね。
 
 朝日新聞支社襲撃事件での実行犯の告白と称する「新潮」の記事が、マチガイであったことを新潮社が認める。「ガセネタを掴まされた」・・・なにを言う!それは我々読者が言いたいこと。きちんとした裏付け調査もせず、センセーショナルに宣伝、売り上げを伸ばしてほくそ笑んでいるのはあんたとこやろ?
 
 朝日新聞社の怒りはさておき、小尻記者のご両親の無念を思います。
 
 毎日の事件、周辺からの苦情。授業の空き時間に校外巡回。あちこちの公園でたむろしている生徒。別に公園にいても誰にも迷惑掛けてないやろ?と開き直る。
 
 とんでもない。授業をさぼっていることがまずアカン。苦情、通報が続くのは、ゴミを散らかし、タバコを吸い、大声で騒ぐから・・・。「ちゃんとやれ」という抽象的な言葉は通じない。具体的にこうこうしなさい、と言ってもなかなかわからない。疲れます。
 
 教師に暴言を吐いた生徒の指導会議。停学になりますが、謝罪も大事。それをいうと、最後はおとなしくなって、先生ごめんと言って帰ったのですが・・・、ちょっと待って、やはり、保護者にも来て貰って、きちんと改めて謝るべきでは?と申し上げて認めてもらう。
 
 でも、本当はもっと言いたかった。生徒は未成年、その行動には保護者にも責任がある。保護者も一緒に謝るべきです。暴言を吐くような躾をしてきたことを見つめ直してほしい。でも、なかなか学校にも来ない保護者、教師に暴言を吐く保護者もいます。保護者の保護者を呼ぶべきなのでしょうか?いや、最近は「モンスターーグランドペアレント」も多い。
 
 こうなったら、きちんと言葉が通用した時代のご先祖さまに、あの世からご登場願うしかないのでしょうか(苦笑)。
 
 それにしても、ひたすら動き回る同僚達の努力、バイタリティに感謝と敬意。チームワークのよい、かつ、すごい人材の溢れる職場です。最高齢に近い、私も邪魔にならないように、倒れないように、がんばらなくては・・・。
 
最近知ったこと
 
「花鳥風月」・・・自然美の代表、自然を味わう美意識。ところが、中国では「風月」「花鳥」という言葉は熟しているが「花鳥風月」は使わず、「風花雪月」というのですって・・・川合康三「中国古典文学彷徨」
 
「ルー・ゲーリック病」・・・36才で病気引退、38才で死んだNYヤンキースの名選手は伝説となり、映画「打撃王」も有名ですが、病名は明らかにされていなかった。映画でも「手が痺れる」というシーンがあるこの病気、実は「筋萎縮性側索硬化症」(通称ALS)。毛沢東もこれに罹っていたらしい。普通、その病気を発見した人の名前がつくのだが、これは患者の名前が付いた珍しい例なのだそうです。
 
 イチロー選手の胃潰瘍は大丈夫でしょうか?疲れが取れないので、思い切って1昨日から禁酒。あと2日、週末には四国から父が上阪。それまでに体調を整えなければ・・・。

2009年4月13日
 
 「 桜花 咲きかも散ると 見るまでに 誰かも此処に 見えて散りゆく 」 万葉集巻12 詠み人知らず
 
 万葉集で主役の花は「梅」。この歌は珍しくさくらが歌われていますが、実は主役は「ひと」。さくらが咲いて、あっという間に散ってゆくように、ひとも、あれ誰だっけと思う間もなく、現れたかと思うと、すぐにゆき過ぎて四方に去ってゆきます。
 
 読売新聞の名物コラム、田辺聖子さんの「猪名の笹原風吹けば」が終了。3年半の連載でした。軽い筆の動きはまだまだ健在ですが、もう、無理をなさらずゆっくり余生を楽しもう、いや、積極的に遊ぼうと思ってはるみたいな口吻。また、文章にお目にかかれることはあるのでしょうか。81才。
 
 先日のニュースで気になったこと。若夫婦がパチンコに興じている間に、2才の子どもが外に出て、交通事故で亡くなった事件の裁判の高裁判決。パチンコ店の店員が、お子さんを見ております、と言ったことをたてに、両親が損害賠償を請求、結局店側が600万円余りを払うという結末(店側が控訴したかどうか現時点で未確認)。
 
 もう、いやな訴訟社会になってゆくなあ、おかしいやないか!と怒っていると
 
お父さんならどうする?
 
子どもを誰に預けようと、それがじいちゃんばあちゃんであれ、友人であれ、店員さんであれ、事故はあるんや、事故があったらお父さんは預けた自分を責めるわ。まして、自分らは6時間もパチンコで遊んでおったんやろ?それで2000万円要求するか?裁判で勝って、子どもの命代で600万円貰ってうれしいか?あの世へ行って、子どもに逢わす顔がないわ!
 
 善意も思いやりも、(パチンコ店の店員は不用意に無責任なことを言ったのかもしれないし、きちんと見てはいなかったのかもしれないけれど)
なにかあったらすべて、相手の責任、そして金、金、と言い募る。最近の学校でも、モンスターペアレントもすぐにそう動く。つくづく溜め息が出ます。
 
 最近読んだ作品
 
「 空木(ウツギ)」 杉本 章子
 
両国の繁昌していた油屋の美しい娘、おゆうは火事で父と兄を失い、店は没落し、祖父母、母を助けて水茶屋で働いている。灌仏会の日の習慣である空木(卯の花)と新茶を新仏に供える金もなかったことから、祖父が暴れる。おゆうはそれを買うために、水茶屋のおかみのすすめで客を取るようになってゆく。
 
しかし、私娼狩にかかって、吉原に売られ、3年間のただ働きをさせられることになる。茶屋でなにかと親切にしてくれた若い男は、おゆうが身を落とすのを待っていた、吉原の会所の者だったのだ。
 
 売れっ妓になったおゆうに祖父の死の知らせが届く。廻ってきた灌仏会、おゆうは床の間に空木を活け新茶を点てる。手にした空木はぽきりと折れて、おゆうはあたしみたいだと思う。
 
 暗く切ない話だが、しみじみとした哀感が漂って、読後感が重くないのは作者の筆力と暖かいまなざしのせいでしょう。

2009年4月13日
 
 「 さくら花 幾春かけて 老いゆかん 身に水流の 音ひびくなり 」  馬場あき子
 
 大地から水をたっぷり吸い上げて、桜木は今年も精一杯の花を開いていました。ソメイヨシノはあまりに咲きすぎて、寿命を縮めているという説もありますが、人も、美しく咲きつつ、山桜やエドヒガンのように、きれいに老いてゆきたいものです。むつかしいだろうけれど・・・。
 
 奇縁や不思議な出会いが重なるのも春故でしょうか?
 
 夕食後ふと手にしたコミック誌、望郷が今回のテーマで、幾度か「帰ろうかな」「帰って来い」という言葉のやりとりがあって、最後のページを捲ると、演歌「帰って来い」の歌詞が書かれている、ちょうどその時、たまたま付けっぱなしにしていたテレビからその歌が流れてきたのです。たしか4チャンネルの番組大改編を記念した特別番組(懐かしのメロディ特集で、人気の安住アナが仕切っていたみたい)でした。松村和子さん?という民謡出身の歌手が歯切れ良く歌い上げています。
 
 あまりのタイミングのよさに思わず笑ってしまってから、ふと思ったこと。
 
 何十万部も発行されている人気雑誌、何百万人というテレビ視聴者、この時同じようなタイミングで読んでいて、聞いて笑った人が日本中で何人、いや何千人かいたかもしれません・・・・(笑)。
 
 11日、テニスの後、アベノで友人の彫刻展を見て、北新地のクラブでの嫁ハンのライブにゆく。新地は久しぶりでした。本当に偶に非現実なこういうところもいい。気持ちよく過ごして、思わず飲み過ぎました。
 
 12日、好天に恵まれて、朝から上の息子の引っ越し。職場の近くのマンションへ。これからは自転車通勤らしい。息子は免許を取って日が浅く、高速と市内の運転に自信がないというので、私は腰痛の後遺症があるので、荷物運びはパスして運転だけ引き受ける。車で高速を使って30分。マンションに荷物を放り込み、梅田ロフトへの買い物も付き合ってやって、昼前に完了。息子からお礼にとプレミアムビールを2パック貰う。ま、ええやろ。
 
 思えば息子の大学入学の時に、下宿に荷物を運んでから12年。2度目の旅立ち?で、「これで一丁上がり」という解放感と、片づいた息子の部屋に軽い寂寥感を感じたものです。
 
 嫁ハンはこの日も天満で昼のライブ。気温がぐんぐん上がった午後、私はひとりで久しぶりの発泡酒でないビール(それもプレミアム!)を気分良く飲んでいると、下の息子から、やっと事件が解決、捜査本部が解散して今から帰るというメール。近くの市場でアテを買い込んで、二人で久々家で飲みまくる。不思議な解放感に満ちた夜でした。
 
 下の息子は明日は3週間振りの休みという。
 
久々の休日の予定は?
買い物にも行きたいけれど、ひたすら寝ます。ここんとこ一日4時間以上寝たことない。
で、次の勤務は?
えーと、あれー!明日の晩から夜勤だ!!
 
 13日。今日も慌ただしい一日でした。仕事の細かさ、突発する出来事になかなか身体が反応しきれません。疲れて帰るのと入れ違いに息子が出勤してゆきました。
 
最近読んだ作品
 
「 金のにおい 」  山本 兼一
 
 直木賞受賞第1作。京の古物商の目利きの若嫁と気のいい若旦那が出会う、様々の逸品とそれを取り巻く人々。
 
 今回は李朝の焼き物がメイン。夫が30両でたくさん売りつけられた品々の中で、妻のゆずがひとつだけ気になった壺が、結果的に李朝官窯のものとわかり、200両の値を生んでゆく・・・。「目利き」がテーマで、「いい品は金のにおいがする」というヒロイン「ゆず」の発言がイヤミに聞こえないのが作者の腕です。

2009年4月11日
 
「 清水へ 祇園をよぎる桜月夜 今宵逢ふ人 みな美しき 」 与謝野晶子
 
 東山魁夷の「花明かり」をいつも思います。円山公園の枝垂れ桜、満月、満開、そこに居合わせること、23年前の満月の夜に思い切って出掛けたことがありますが、花がちょっと盛りを過ぎていました。今年はそれを見ることが出来た人が結構いたことでしょう。
 
 ジェットコースターに乗っているような1週間が終わりました。しかもこのコースターは、楽しんで乗ってるわけにはいきません、自分で運転しなければならず、一歩違えば大事故・・・気が抜けません。仲のよいスタッフとの連携プレーでなんとか乗り切れました。
 
 疲れて電車に乗るのも面倒で、しんどいのに自転車で帰宅。きれいな月に誘われたのと、途中の桜と立ち飲みがセットでこころを揺さぶったのです。中環横の小さな立ち飲みはいつも他の客なし。よく帰りに一緒に寄った同僚は転勤してしまったので、ひとりさびしくドアを開ける。いつも「500円コース」というのが彼との合い言葉でした。燗酒と鯖のカンヅメをあたためたもので約10分、490円。
 
 満月に向かって大和川を東に走って、南に折れて石川へ。ここの堤の500メートルほど続く桜が植えてから20年を超えて、若く勢いもあって見頃。でも、目玉は古市の町内、保育園の前にある農園の一本の桜。柵にに囲まれているせいもあって、たっぷり四方に伸びた枝を胸の高さまで垂れて見事。撓められていない伸びやかな樹勢が好きです。
 
 仕上げは「銀屋」(江戸時代の両替商、昔の国道一号線ー竹之内街道もこの家を迂回している)の跡地前に作られた公園のベンチでカップ酒。頭上の満開の桜越しに満月。目の前の銀屋の跡には20数軒の平凡な建て売り住宅が並んでいますが、一瞬、かつての船底板を張り巡らした屋敷の重厚な塀が浮かんでくるような朧月夜でした。
 
 夢の中の世界では、私は転勤したみたいで、昨日が離任式。挨拶をして、新任の方(30代の男性)を紹介される。すれ違いになってしまうけれど、いい方みたい。目が覚めても顔を憶えているのだけれど、こちらの世界のどこかでお会いすることもあるのでしょうか。
 
 下の息子は転勤して、捜査本部に入れられて以来、3週間休みなし。当然といえば当然なのに、やはりハードやなあと思う。事件が一段落するまでは働き続けなければならないのです。本人曰く、ちょっと先が見えてきたみたい、ということですが・・・。土曜の今日も、朝7時前に出掛けてゆきました。帰宅はいつも12時頃。
 
 4月から気儘なひとり暮らしを始めるという話じゃなかったんか?
 そんなこと言ったっけ?
 
今は、身の周りのことまで気が回らなくて、食事、洗濯してもらえる今の暮らしが便利なのでしょう。まあ、親を体よく利用しているわけですが、親(われわれ夫婦)の方も面倒くさがりつつ、それを楽しんでいる節があるので・・・親子というものはやっかいなものです(苦笑)。
 
 私の方は、5日間はハードでも週末は自由。友人の彫刻展のパーティに出掛け、痛飲(焼酎「森伊蔵」泡盛「残波」日本酒「黒牛」もありました!)。歯痛はいつの間にかほとんど消えました。あの痛みはいったい何だったの。やはり歯科医の診断は正しかったのでしょうね。

2009年4月6日
 
「 さまざななこと思い出す さくらかな 」
 
 詠まれた状況は別に置いて、この芭蕉の句は、やはりほろ苦い嘆息に聞こえます。いい思い出ばかりではない、むしろ・・・。美しい桜を目の前に、こころは別のものを見ています。
 
 昨日の記事で肝心な北朝鮮のロケット?ミサイル?(結局は長距離弾道ミサイル「テポドン2号」ー人工衛星としては失敗?)の記述を忘れていました。歯痛でぼーっとした状態で、午後はずっとこの報道を見ていたのです。
 
 その報道でもすったもんだ。総括として、「速さか、正確さか」などと言われていましたが、とんでもない。正確さが情報の基本です。
 
 無謀というより、したたかな計算、挑発を感じます。そして武器商人たちへのプレゼンテーションだったのではないでしょうか?日本を越すほどのミサイルならば、あちこちで充分使えるはずです。文字通り空恐ろしい話ですが・・・。
 
 花見日和の入学式。でも、生活指導の一員としてはずっと校門じゃの、体育館入り口付近での警備という分担。で担当するのは堂々と遅れてくる新入生や、駐車禁止のとこへ車を止めようとするややこしい保護者との対応。
 
 なんで、若いのに、素顔はきれいなはずなのに、あんなどぎついきたない化粧するかなあ。
 なんで初対面の教師にけんか腰の物言いをするかなあ。親の顔が見たい、あ、相手が親だった!(苦笑)
 
 明日からまた戦場です。
 
 トイレでの喫煙もあり、ばたばたして3時間近く立ちっぱなし、さすがに疲れる。歯痛が治まらないので3回目の歯科医通い。もう少し低周波治療をしましょう、それで治まらなければ神経を抜きましょうということになる。奥歯がすり減っています、歯ぎしりしますか?いえ、イビキはうるさいようですが・・・。パソコンを使うときも奥歯を噛むのですよ。へー、そうなんですか?治療代200円。
 
 整骨院にも廻ってマッサージを受ける。肩凝りも一因だろうと思われます。420円。
 
 中村雅俊の息子が大麻所持で逮捕。雅俊さんが涙の謝罪会見。でも息子って31才の大人でしょ?なんでや?と思ったら、雅俊さんは事務所の社長で息子は社員でもあったのですね。しゃーないか。
 
最近読んだ本 
 
「ローマ人の物語」 29 終わりの始まり  【上】
 
 五賢帝の時代。情報は自動的に機械的に集まってくるものではない、そこに人間が介在する、集め送る時にその人の問題意識が問題なのだ。
 
 ハドリアヌスは、だから在位期間のほとんどをかけて、帝国内を視察し、安全保障システムを再構築した。後を受けたピウスはその恩恵にあずかり、ローマとナポリの往復だけできちんと集まる情報を元に帝国を見事に掌握、在位23年間を過ごし、「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)を実現し、謳歌した。でも、その2代あとから帝国の崩壊が始まる・・・。
 
 情報の大事さ。それを使う人材の大事さ。ローマを多国籍企業と考えれば、現場に出向いて問題をそれぞれの解決し、人材を発掘するか、本社にいて経営に徹するか・・・どちらも大切で難しい問題なのでしょう。でも現場を離れすぎてはいけません。日本の教育も同じです。

20009年4月5日
 
「 よくみれば なずな花咲く 垣根かな 」  芭蕉
 
つい桜に目がいってしまいますが、道端のささやかな花も、いま一所懸命咲いています。
 
 元スイミング仲間との夜桜の宴を諦めて家で燻っていると、電話あり。仲間の若いひとりが僕も遅れて嫁はんに車で送ってもらうので、ご一緒しませんか?という申し出。喜んで受けて、9時過ぎに富田林の会場に到着。元PLランド内の桜は満開で美しい。
 
 リーダーのカリスマ主婦Yさんが用意してくれた桜尽くしの総菜をアテに、おいしい酒を飲みまくる。私が持参したのは竹に入った酒。直径10センチ程の竹筒に入っていて、どこから酒を入れたのかが謎。アイスピックで穴を開けてのむ。4合ほどがアットいう間に空く。ほのかに酒の香りがしておいしい。持ち寄った酒を飲みまくって12時前に散会。仕上げは桜の花入りの焼きめしでした。連れて行ってくれた若い友人夫婦に感謝。
 
 実はこの会は、私が初代会長で興したもので、毎月例会を重ねて実に200回を超える、私が参加する会の中でも伝統ある?宴会なのです(笑)。スイミングを止めたあとでも、「会長」として呼んでくれる仲間にも感謝。年齢職業性別を超えたこういう集いはやはり大事にしたい。
 
 遅れて行ったので、会費は1500円でした。一緒に帰った若い友人は今日は早朝から長野公園で席取り、職場の花見だそうです。もう歳です、疲れましたというメールが入ったけれど、なに言うてんねん、元気やん!これからはあんたらの時代やで、と返信。
 
 でも、10数年振りの歯痛が治まりません。歯医者に行っても原因不明?疲れ、ストレスが原因では?と電気治療をするだけ。これって「サザエさんシンドローム」の一種でしょうか?とにかく明日までなんとかガマンします。酒という強い味方もあるし・・。
 
 久しぶりの歯痛は本当に神経に応えます。今日は花見に出かける元気もなく、おとなしくしておりました。まあ、「垂れ込めて花を思ふ」のも兼好以来の春の正しい?感じ方でしょうから(苦笑)。
 
最近印象に残った言葉
 
 「とっくにつぶれてもおかしくなかったのに、私は生きてきたのよ。あなたはどう?死にものぐるいで生きてごらんよ」性同一障害に苦しんだ過去を背に講演などで活動する牧師、廣畑涙嘉(るか)さん。39才。数年前に男性から女性になりました。2月に「天声人語」で採り上げられて、さらに忙しくなったことでしょう。
 
 前にこの欄で触れたかもしれません(その時は名前は出さなかったー今回は新聞にも載ったのでお名前公表)。彼、もとい彼女は、実はシャンソン歌手で嫁ハンの知り合いでした。ステージを一度拝見しましたが、赤いロングドレスに深いスリットを入れて、太股のバラの入れ墨を見せる・・。もう少し痩せはったらいいのですが(苦笑)。
 
 でも、それまで男性歌手だった人がいきなり女性に変わって、女子更衣室に入って来たわけで、女性歌手の中には戸惑いもあったようです。
それもわかります。
 
 勤務先?の教会の地下でゲイバーを開いてはるという・・・一度行ってみたいというのがここ数年のわれわれ夫婦の懸案事項です(笑)。
 
 牧師さんですからプロテスタントですね。カトリックなら難しかったことでしょう。
 

2009年4月4日
 
「 西行に 供ふ小さな 桜餅 」  新聞俳壇から  大垣市 大西さん
 
西行堂か西行像にお供えがしてあるのですね。西行は桜の歌人。周囲には桜が植えられ、満開なのでしょう。桜餅には東京風と大阪風があるのですが、この句はどちらかな。
 
 雨が本格的になる前に、嫁ハンとミニ花見に繰り出す。羽曳が丘の数カ所。特にIBU(四天王寺国際仏教大学)のアプローチの並木は例年見事なのですが、今年はまだちょっと早かったようです。うすいピンクの花の雲の中で羽曳野病院前の真っ白い桜が印象的でした。
 
 国立文楽劇場が開場25周年、記念公演が今日スタート。4半世紀前に「こけら落とし」に行きました。演目も同じ「三番叟」。でも演じるメンバーは変わっています。世界文化遺産なのです。国立なのですから国も、上方が本場なのだから大阪府も大阪市も、もっと補助金を出して、アピールして観客を増やし、後継者を育てる努力をしてほしい。
 
 かつては割引券もあって公演の度に酒を持って見に(聴きに)行ったものですが、財政危機とやらでカットされ、ここんとこ足が遠のいています。何時行っても後ろの席ががらがらで、あれでは盛り上がらない。それに劇場がきれいで、上品すぎて・・・。思えば、道頓堀「朝日座」の親しみやすさが懐かしい。
 
 最近印象に残った言葉から
 
「生徒から毎月金を取るということも慶應義塾が始めた新案である・・・教授もやはり人間の仕事だ、人間が人間の仕事をして金を取るのに何の不都合がある・・・授業料という名を作って、生徒一人から毎月二分ずつ取り立て・・・」 (「福翁自伝」より)
 
 それまでの私塾は、盆暮れに生徒が分に応じて金品を届けたのだそうです。西洋に通じ、合意主義者らしい諭吉の発案であったわけです。
 
 その慶応大学で、この春から無料講義を始めるというニュース。金を払っているから受ける権利も受けない権利もあると、平気で出入りする風潮に対する問題提起なのでしょうか?平日の夜、申し込み制で。面白い試みかも。
 
 イチローが胃潰瘍で開幕から8試合欠場とか。やはりWBCでのストレスが大きかったのでしょうか?彼も人の子。
 
 歯医者の待合室で読んだ雑誌から。WBCの日本での戦いが終わって、2次リーグの舞台アメリカに渡る前に、松坂が日本投手陣を集めて焼肉パーティを開いた由。そのレシート100万円、松坂がさっと払ったそうですが、まあ、年収が億を軽く超える選手だから余裕でしょう。もちろん、それで終わらず、全員で赤阪の高級カラオケに繰り出して、美女を集めて朝まで大騒ぎだったそうです。その費用ももちろん・・・。
 
 MVPは松坂本人も「本来岩隈だ」と言い、マスコミもそう騒いでいる向きもありますが、投球内容だけでは言えません。緒戦、キューバ戦、アメリカ戦、あらゆる重要な場面で先陣を切った、やはり松坂でしょう。
 
 先日の窪島さんの本に関するご意見、問い合わせあり。
 
 実父の水上勉は息子を探さなかったのか?もちろん、大空襲の後、アパートのあった「明大前」(一面の焼け野原)を探し回って、そのことは作品にも書かれているようで、実際、探している村上さんの姿を見た人もいるようです。そのうちに結婚して・・・また、大空襲の後では、あれでは生きてはいまいと諦めざるを得なかった状況もあったのでしょう。そういう人も多かったはずです。
 
 私が個人的に引っかかっているのは、窪島さんが実母を捜し当てていないこと。村上さんに巡り会って、その時点での衝撃が大きかったのでしょうか。実母が名乗り出るまで動いていないようだし、名乗り出た実母とその後数回しか会っていない。結婚しておられたのは、実父も実も同じ条件のはず。実母の死にも立ち会っていませんし、墓参りもはるか後です。一方村上さんの死には立ち会い、告別式にも腹違いの妹の配慮もあって参列しています。
 
 男なら、実父より実母をまず捜すのではないでしょうか?それとも、母に捨てられたという意識の方が強く彼を傷つけていたのでしょうか?それにしても人のこころの深層はわかりません。
 

2009年4月3日
 
「 まさをなる 空より しだれざくらかな 」  富安風生
 
 歳と共に、ソメイヨシノより、枝垂れサクラに引かれる近年です。
 
 ロケット?ミサイル?が明日発射かというのに、酒を飲んで、プロ野球の開幕ゲームを楽しんでいます。ダルビッシュと岩隈の投げ合いは岩隈に軍配。WBCの余韻か、スタンドも熱いようです。
 
 腰痛がやっと治りつつあると思ったら、急激な歯痛が襲って来ました。今日はそれに加えて、頭痛と目眩、年次始めの書類整理も集中出来なくて、ミスばかり。あちこちに迷惑かけました。
 
 毎日の腰痛体操と月一回の歯科定期検診はどうなっているんだろう?頑健、まともだった(思えばそれがラッキー、慢心のもと)身体が着実に壊れてゆく・・・これが「老化」というものなのかも知れません。
 
 1時間休を貰っていきつけの歯科医へ。神経を抜くとすぐに痛みは引きますが、疲れや肩凝りから来ていることもあるので、電気治療で様子を見ませんか?、迷ったけれど、そうすることにしました。約10分の電気治療で大分楽になる。
 
 3月4月はとにかく金が掛かって、ここんとこお誘いもほとんど失礼しています。明日の花見もキャンセル。それで、ひとりの家で、花見用にと取っておいた、友人の城之崎旅行の土産、「香住桜」の封を切る。少し甘みがあるが、飲みやすく、疲れた身体にしっとり沁みてくる。おいしい。肩の力が抜けてゆく。Mさん、ありがとう。
 
 早朝に出勤して、ふと教科書副読本を手にとって、「坊ちゃん」の冒頭文を読む。東京での主人公を世話する老いた女中の「清」との交流の部分ですが、ここだけで泣けます。
 
 今日の読売夕刊で、偶々、斉藤美奈子さんの「名作うしろ読み」を読みました。〈だから清の墓は小日向の養源寺にある〉そう、主人公を「坊ちゃん」と呼んだのは清だけだった。『坊ちゃん』は一度は書きかけて挫折した清への長い手紙、あるいは追悼文だったのではないか・・・。冒頭の一文で私たちは「おれ」を快活な熱血漢と思い込んできた。が、近年の研究では『坊ちゃん』は暗さを秘めた敗者の文学とする見方がむしろ主流だ。「おれ」にとってマドンナは清だったのだ・・・。
 
 全く同感。「坊ちゃん」を痛快な明るい作品と思ったことはありませんでした。故郷愛媛をぼろくそに貶してあるし、虚無感、暗さが漂い、いつも前後の清の部分のみが救いのようで泣かされます。でも、それは、愛媛県人でおばあちゃん子だった私の個人的な読みなのではないかと思っていた部分もありました。この記事で、ちょっとほっとしたのも事実です(苦笑)。
 
最近読んだ作品
 
「春告鳥」  杉本章子
 
 春告鳥(はるつげどり)とは鶯のこと。通勤途中で鶯をベランダで飼ってはる家のウグイスクンが今年は鳴きません。死んだんじゃないかと心配しています。久々の自転車通勤の今朝、石川畔で今年初めての野生の鶯の鳴き声を聴きました。
 
 ヒロインは嫁入りを前に祖母と天満宮に参り、茶店でウグイスを聴く。キョ、ホケキョと鳴く声をまねて祖母に窘めれらる。キョは「去」に通じるのです。
 
 嫁いだ相手は不実で結局離婚。翌年の春、かつて思い合っていた幼なじみとの再婚が決まったヒロインと祖母が再び天満宮を訪れて、別の茶店でウグイスを聴くが、祖母は「春告鳥」という名を使う。しみじみとした小品です。
 
 「ホケキョー法華経」と鳴いて、信心深い鳥と思っていましたが、そういう見方もあったのですね。

2009年4月2日

 1日。新年度開始、新転任を迎え、職場は妙にテンションが高い一日でした(苦笑)。今年は新卒が3名もいて若やいだ感じ。なんと言っても息子たちより若い世代なのです。

 新年度の準備、会議の連続、資料もいっぱいあって、どっと疲れがでて、帰りに近鉄で日本酒を買う。友人から貰った鶴橋のキムチでビール。そして「越後お福正宗」で仕上げて酩酊。早めに休む。

 夢の中の世界では私は転勤したみたい。北摂あたりの(山が北にあり南は平野)私鉄沿線から歩いてかなりある2階建ての小さな施設。不登校の生徒の面倒をみている(一緒やん!)2階は一般開放して、いろんな人が出入りしている。

 その中のひとりの若者と仲良くなって、帰宅途中、駅でいっぱいやりませんか、と誘われる。行きたかったのに、金がなかったから、いや、今夜はおやじと付き合わなければならないのです、と苦しい言い訳。

 夜中2時に目が覚めて、本を読み、朝4時過ぎから30分刻みの短編で夢の続きを見る。器用なんだか、しつこいのか。浅い眠りで起きたらぐったり疲れていました(苦笑)。

 ロケット?ミサイル?が飛んでくるかもしれないのに野球や花見に浮かれていていいのか、と思いつつ。久しぶりに自転車でサクラウォッチングしながら帰宅。暮れなずむ大和川の畔の2本の桜は7分咲きくらい、外環状近くの桜並木も同じくらい、道明寺小学校校門の桜は満開、もう散り始めています。道明寺の紅枝垂れは8分、天満宮は7分かな、どこのサクラも今年も美しい。この週末が見頃のようです。



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