Kan-Kan の雑記帳



2010年2月28日
 
「 目隠して 井水を揚ぐる 老驢馬の どうどう巡り 果てしもあらず 」
 
 雑誌歌壇から 静岡  大隅さん
 
 つい驢馬に自分を投影してしまいますが、驢馬自身の生の厳しさを思います。
 
 結局、一日「津波警報」を見続けてしまいました。車で休日出勤してゆく息子に、カーラジオで情報聞いておいて、危なかったら、車を捨てて、高いビルに避難するんやで、と言うと、お父さん、なんでそんなに慎重なん?前のチリ地震津波を知っているからや、と言うと、それ何?
 
 調べてみたら1960年、私は小学生でした(苦笑)。でも、衝撃的な事件でよく憶えています。三陸海岸で142名の方々が亡くなったのです。地球の裏側から22時間で波がやって来たことがまず驚きでした。大洋の向こうから高い波が襲ってくるのは恐怖です。
 
 でも、津波報道ばかりで、肝心の?チリの被害は・・・。
 
 今月初めのこの欄でふれましたが、銀座「すきやばし次郎」の小野二郎さん(店名は次郎、店主は二郎です)、現在この世界でのトップ、東の横綱とするなら、西の横綱は金沢「小松弥助」の森田一夫さん(78才)といわれていることを初めて知りました。(早瀬圭一さん「奇人変人料理人列伝」より)
 
 「小松弥助」は金沢市中心部からちょっと外れたアパホテルの1階にある。森田さんは朝11時から午後2時間の休憩を挟んで閉店までずっとつけ場に立っていて、気軽に客に声をかける。イカから始まってざっと食べて3675円。目一杯飲んで食べても2万円は超えない。東京の寿司店より遙かに安い!でも、全国からやって来るから交通費が(笑)。多くの客は金沢駅や小松空港から直行するそうです。
 
 東京の高級寿司では、食べ方が気に入らないといちいち注意することが多い。つまみの時の蛸は塩で召し上がってください。握りの時は煮きりをつけていますから塩は必要ありません。客はドキッとしたり、むっとしたりするが、ほとんど言われた通りだまって口に運ぶ。
 
 筆者も年一度か二度「すきやばし次郎」へ行くらしい。
 
 張りつめた緊張感が店に漂う。予約した日が近づくにつれて体調を整える。小野の握るひとつひとつに全神経を使って味わいたいと思う。(中略)予約した時間ピタリに小野の前に座る。小野がひとつづつ握る。つけ台に置かれた瞬間から味は落ちてゆく。とにかく「すぐ口に入れよ」「ぐすぐすするな」なのだ。お茶だけにするか、飲んでも加茂鶴の冷酒一本だけ。主と客の間に会話らしいやりとりはほとんどない。食べ終わって勘定するまでに30分かせいぜい40分。地上に出て、銀座の空気を思い切り吸い込む。その時初めて緊張がほぐれる。
 
 「小松弥助」は老若男女だれでも歓迎する。子連れでもかまわない。客のえり好みはしない。
 
 ちなみに、この店のルーツは神戸三宮にあった「又平」で、「細雪」に実名で登場した店で、
店には「我という人の心はただひ登里我より歩可に知る人ハなし」(原文のまま)という谷崎の揮毫があったそうです。
 
 もし金ができても、銀座の寿司屋などにゆきたくない。そんな店があってもいいし、行きたい人がゆけばいいと思うけれど、私は、対応が暖かくて、リラックスして旨い酒が飲める店がイチバンです(笑)。
 
 丸谷才一さんが「すきやばし次郎」を評して、
 
「比喩的に言えば、落語を芸術に格上げしてしまったような店で、気詰まりである。落語が娯楽であるように、鮨は気楽な食べ物、小腹がすいたときにちょいと口にする虫おさえであってもらいたい」
 
 同感です。
 
最近読んだ作品
 
「サンライズ・サンセット 」
 
 東京下町の私立探偵、竹花が捌く事件。それは派手な事件ではないが、その裏に父娘、元嫁に対する義父の思いが絡まる。
 
 生活に根ざした、地道だがしたたかな調査と動きにハードボイルドの本道を見ます。バックに流れるのは名曲喫茶(ここのマッチが事件の鍵を握る)の音楽、「シャレード」(この選曲自体がおしゃれ、映画音楽ですが、題名は謎解き遊びの意味もある)そして最後に「サンライズ・サンセット」。ジプシーの悲哀を歌うこの曲には、都会の流民の悲しみも込められているようです。
 
2010年2月27日
 
「 ニホンゴに 箸の持ち方 文化など 囚人に教え 草の根外交 」
「 六千枚の トーストを焼く キッチンより 餅焼くような 匂い漂う 」
「  囚徒らに JAPANについて 解説す 孤軍奮闘 草の根外交 」
 
 新聞歌壇から アメリカ 郷隼人さん
 
 22日の歌壇、久々の郷さんの歌が3首も採られています。健在確認で安心。それにしても心配なのは同じく常連のホームレス歌人の公田耕一さん。昨秋から消息が掴めていません。
 
 今治の病院に入院中の母の具合が安定しているようです。先日、京都の甥に娘が誕生。母にとっては初曾孫です。その喜びと、曾孫に会える日まで頑張ろうという気持ちの張りがいい効果に繋がっているようです。来月体が空き次第、帰省するつもりです。
 
 入試、採点やら、年度末にからむ進路問題、家庭訪問などでハードな2月最終週でした。オリンピックもそっちのけ。フィギアスケートのアイスダンスが見られなかったのが残念。
 
 話題の女子フィギアはポイントだけ見ることが出来ました。真央ちゃんの挑戦、そしてショート、フリーを通じて3度のトリプルアクセル成功は見事でした。2度の大ジャンプ成功のあと演技が乱れたのも悔やむことはありません。キム・ヨナさんの集中力、ミスのない美しい演技もすばらしいものでした。「超」の付く一流選手は私の理解を超えた次元でパフォーマンスしているのでしょう。
 
 ロシェット選手の母の死を乗りこえたがんばり、安藤選手のトライ、鈴木選手の明るさ、長州選手の思いきりのよい演技も印象的。本当にハイレベルの見応えある競技でした。
 
 虚脱感と共に迎えたうれしい土曜日。雨上がりのあたたかい朝。風も気持ちよかったです。ウグイス、ヒバリの声も聞こえる・・・。
 
 午後から某高校の音楽室へ。元同僚のYさんのピアノミニライブに昔の仲間4人と誘い合わせてゆく。今は浜松に住まいされる、4歳に初めてピアノを教わったという先生宅のホームコンサートにピアニストとして招かれ、その為に練習を重ねた成果を、リハーサルを兼ねて聞いて欲しいという。
 
 ショパンの幻想即興曲、ポロネーズ、練習曲、革命・・・そして眼目のベートーベンの「ワルトシュタインソナタ」ーこの20数分に及ぶ曲の最終部分に難所が待っているというーそれを見事にクリアーして感動の演奏でした。楽しい話と、迫力ある演奏の贅沢なひととき。元気をもらいました。負けずにがんばらなくっちゃ。
 
行く人
 
 チャンバラトリオの南方英二さんが26日午後8時33分、大阪府内の病院で肝硬変のため亡くなったことが27日、所属事務所より発表された。77歳だった。通夜、告別式については親族の希望により家族葬で行われる。

 南方さんは1932年11月21日生まれで和歌山県出身。1963年に元メンバーの山根一輝、伊吹太郎とともにチャンバラトリオを結成し、ハリセンでの突っ込みを世に知らしめた。チャンバラトリオは、2008年に前田竹千代さんが亡くなりその後、南方さんを含め山根伸介、志茂山高也の3人で活動していた。
 
 藤田まことさんもそうでした。なつかしい顔が去ってゆきます。
 
 「放浪記」の公演中止。3時間を超える舞台、森光子さんの年齢(89歳、母と同じ)、体力を考えれば当然のことです。本人の意志、演劇ファンの期待という大義名分で金儲けしてはあきまへん。
 いつも思うのですが、ここまで練り上げて名作と定評のある(実は私はまだ冗長だと思っていますが)舞台なのですから、もう、歌舞伎と同じように、一幕だけやればいいのです。あるいは通しでやるなら、主人公をふたりで演じるのです。この作品の場合は最終幕の成功した芙美子の家のシーンだけ森さんで。無理して娘時代を演じる必要はなく、一番の演技の見せ場で、動きもほとんどありません。
 
 最近読んだ作品
 
「 矢の如く 」  北原 亞以子
 
 江戸に逃げるように出てきた貧しい農家の息子、捨松が、苦労して成功して、金を掴んでその代わりに失ったものは・・・。
でも、自分が故郷に残り、親兄弟の面倒を見、弟の捨松に夢を託して送り出してくれた兄が尋ねてきて、その兄のみすぼらしい様子に金を渡したばかりに殴られ、義絶され、その結果、酒に溺れて、家族も失ってゆくのは可哀想。兄のプライドもわかるけれど、兄に感謝と申し訳なさを込めて金を渡したくなる気持ちは人情でしょう。
 
 最後に、すべてを捨てて「矢の如く」故郷に帰ろうとする捨松。その彼を故郷はどう迎えてくれるのでしょう・・・?無一物だからこそ、気持ちよく受け入れてくれるのだろうか。金がすべてではないが、そんなに邪魔なのだろうか。私なら・・・無一物では帰れないだろうなあ。

2010年2月24日
 
裁判員の通知受けたる孫二十歳ああ「赤紙」でなくてよかった  
 
 新聞歌壇から 横浜市 道蔦さん
 
 「赤紙」が召集令状の意味だと知らない世代も増えてきました。私も今のところ戦争に行かないまま生を終えられそうです。平和な時代に生まれ合わせた幸せ。戦争を知っている母が、昔、もし徴兵制が敷かれるようになるなら、私もデモに参加するからね、と言っていたことを思い出しました。その母も、もうデモはおろか、歩くことが出来ません。デモに参加する必要がいまのところないまま、いつまで続くか、幸せな時代が過ぎてゆきます。
 
 河内長野シティマラソンの運営がすばらしかったと記しましたが、プログラムをみると今年で55回目だったのです。手慣れているはずでした。
 
 足の痛みも翌日のみ。これはよい傾向なのだろうか。なんとか昨日からの入試、今日からの採点も無事終えられそうです。
 
 先日、地下鉄の構内で電車を待っていたときのこと。よく乗り合わせる20代後半の男性3人組。軽い知的障害を持ってはって、私の職場の近くの作業所に通ってはるみたい。その日はその中のひとりがえらくハイで、はしゃいでいる。後の二人を追いかけ回してホームから突き落とすような仕草も・・・。
 電車が近づいてくるサイン。さて、どう注意しようかと思いあぐねていたら、連れらしい女性の甲高い一声「□□やめとき!」それでピタッと収まりました。ホッとしました。
 
 昨日朝のラジオ番組でのリスナーの投稿から
 
 初老の大阪在住の男性からのものと思われます。中学時代、家は自分では意識しなかったけれど、今思えば随分貧しかったのだろう。でも修学旅行へは行くことができました。行き先は伊勢志摩。電車は修学旅行専用車近鉄「青空号」。
 
 往きの車内でアンケートが回ってきた。土産の赤福餅を希望する者は個数を記すように。土産代も母からあまり貰っていなかったので記入しなかった。しばらくして担任の先生が、同級生に△△お前注文は?と問う。あ、先生忘れとった、4個御願いします、気いつけや、そんなやりとりがあったけれど、自分には何も言われなかったし、気にもしなかった。
 
 二見浦、伊勢神宮、夜の語らい・・楽しい時間はあっという間に過ぎて、帰りの駅前。みんな並んでお金を払って赤福餅の店員さんから包みを貰っている。自分の番が来たら抜ければいいと一緒に並んでいた「私」を担任の先生が呼んで、そっと封筒を渡し、自分の名前が呼ばれたらこれを渡すように言われる。その通りにしたら、店員さんが赤福餅3つ渡してくれた。先生のところへ持って行く。使いを頼まれたと思っていたのです。ハイ、先生、と渡すと、何言うてんねん、お前のお土産やろ、と言われた・・・その時になって、先生の気遣いのすべてに気がついたのだ。
 
 帰りの電車で嬉しくて、涙がこぼれ、それを級友に隠すのに苦労したそうです。
 
 今でも。駅で販売している赤福餅を見るたびに、あの時のこと、そして先生を思い出す・・・。
 
 投稿を読み上げるパーソナリティの声もつまりがち。アシスタントの女の子が、テッシュの箱、うしろにありますよ、などと突っ込んでいる(あんたはウルサイ!)
 
 名前も顔もしらない○○先生、貴方はえらいっ!もう生きていらっしゃらないかもしれないけれど、貴方の行為が数十年を経て、見事に花を咲かせています。
 
 授業料滞納、格差社会の現実に振り回されている今の生活に、カツンと刺激を与えてくれた朝のラジオでした。
 
最近読んだ作品
 
「ロジカル・ゲーム」 有栖川 有栖
 
 良くできた知的殺人ゲーム。3つのグラスにオレンジジュースを注ぎ、そのうちのひとつに仕掛けた者が毒を投じる。どのグラスに毒が入ったかを見ずに、相手に指名された者はどれかを選ばなければならない。選ばれなかったグラスのひとつを仕掛け人が飲み、彼が死ななかったら、残った二つを二人が同時に呷る・・・。
 
 究極の心理ゲーム。相手に指名された大学教授の火村が取った行動は・・・?
 
 息詰まる展開で、ひっぱってゆきます。おもしろかったです。
 

2010年2月21日
 
「 うら若き 駐在さんが町に来て 『駐在所だより』配布はじまる 」
 
      新聞歌壇から 宇治市 山本さん
 
 のどかな町、その地域に溶け込もうとする、ういういしい若い巡査の意気込みが感じられていいなあ。その気持ちをいつまでも。うちの息子もそんな思いをさせてやりたかったけど、赴任地が道頓堀ではちょっと無理でした(苦笑)。
 
 河内長野マラソン、走って参りました。泉州マラソンの陰にちょっと隠れているらしいですがエントリーは2千人近くの大きな大会でした。たくさんのボランティア(知人3名発見)の方々に感謝。
 
 それにしても、小学校の校舎、校庭を使っての集合、そして近くの公園への誘導、道路の交通制限、ゴールと記録、表彰と見事に運営されてるのに感心。ちなみにシューズの紐にチップを括り付けて走り、ゴールと同時に、記録の付いた完走証を貰えるのです。スゴイ!
 
 テニスシューズに昔のスキーシャツで走っているような素人は私だけかと思ったら、いろいろな格好がいてはる。メイドカフェの格好で走っている若い女性に目が点、付いてゆこうと思ったけれど、あっという間に置き去りにされました。彼女は女性トップでゴールしたそうです。何者?
 
 一応2ヶ月かけて調整?していったので、10キロ楽しく完走できました。風のないすばらしい天気に恵まれ、梅の花を見、沿道からの声援に応え(元地元なので固有名詞が飛んでくるのがちょっと恥ずかしいー笑)、タイムはよくありません(1時間6分ー河内長野に勤務していたころは50分を切っていました)が、気持ちよく走れたので満足。
 
 みんなで近くの「風の湯」で汗を流し、地元の同僚の「顔」で、休業日の店を開けてもらって「てっちり」で打ち上げ。盛り上がったようですが、よく憶えていません(苦笑)。
 
 ハーフから10キロ、5キロ、1,5キロまで27名(元同僚も含め)参加して、みんな完走するなんて、やはりスゴイというか変な職場です(笑)。あ、応援やカメラマンも来てくれていました。ありがとう。今、気が付きましたが、27名の中では私が最高齢だったんだ!こまった年寄りです、悪友のHからはアホちゃう?というお言葉が届きました(苦笑)。
 
 でも、60代70代に見えるランナー(もちろん私より速い!)も多くおられました。老け込んではおられません。
 
 帰宅してまた、飲んで、嫁ハンのシャンソンの愚痴を聞き、メールに返信し、姉、弟と母の入院の件で電話したらしいが、これも朧。半端に飲めるのもよくありませんーいっそ潰れて、倒れてなにもしないほうがいいのでは、と反省の夜でした(苦笑)。
 
 五輪、ジャンプ、ラージヒルを見逃しました!
 
来る人
 
寺島しのぶさん
 
 第60回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門の結果が発表され、最高賞である金熊賞はトルコ、ドイツ合作の『ハニー』が受賞した。また日本から出品されていた『キャタピラー』で寺島しのぶが最優秀女優賞に輝いた。『キャタピラー』は若松孝二監督が戦争の悲惨さをこれでもかというほど強く描いた衝撃作。
 
 梨園の名門の長女に生まれ(どうしても男が優先されるます。弟は今をときめく菊之助)、苦悩、苦労もあったようですが、見事に花開いています。「龍馬伝」に龍馬の姉(おいしい役)で出演中。
 若い時に悩んでいた彼女を文学座の研究所に誘ったのは、今は亡き太地喜和子さん。先輩の後を継ぐ舞台女優になりました。
 

2010年2月20日
 
「 冬の雲みたいな老母 置き去りに 」 新聞俳壇から 新座市 中村さん
 
 今治市内に転院して1週間あまり、母は大分元気になったみたいです。毎日車を駆って見舞いに行ってくれている弟夫婦に感謝。今日は父も一緒に行ったみたいです。
 
 体調も回復、減量ダイエット競争の計量も無事クリア、仕事を片づけて、4日ぶりのビール・ワインをアベノで飲んで帰宅、深夜から数時間、早朝から数時間、男子フィギアのビデオを見る。
 
 おそろしいくらい、予想通りの展開となりました。やはりライサチェクの集中力は頭抜けていました。4回転はなくても、ひとつひとつこころの籠もった演技に引き込まれました。プルシェンコの4回転・3回転は見事ですが、技も単調で粗い感じ。王者の奢りと衰弱を感じました。銀は仕方ないと思います。朝日と共にやっと辿り着いた高橋選手の演技をみて涙しました。ずっと彼を見てきたので、あの「ガラスの心臓」と呼ばれて大舞台に弱かった選手がここまで攻めて、前向きに滑っているその成長に感動したのです。ライサチェクも高橋選手も大きな怪我を乗り越えて身につけた大きな器になっていました。でも、あの眉とメークはイマイチだなあ。
 
 小塚くん(下の息子にちょっと似ているー親ばか)の思い切った演技、4回転成功は見事。それに続く織田くんの4回転回避はちょっと残念。靴の紐事件も気の毒ですが、本人が泣きながらいうほど、萎縮してたとは感じなかった。がんばってはったと思います。3人とも10位以内に。立派です。
 
 「夢破れた」ことになるのしょうか・・・メダルに届かなかったけれど個人的にはランビエール(スイス)の滑りが好きでした。SPの「ウイリアム・テル」もフリーの「椿姫」もよかったです。5位のチャン、6位のウイナー9位のアボットの演技もすばらしかった。でも07世界チャンピオンのジュベールが16位。とても同じ人物とは思えない演技、表情。肩を落としてリンクを足早に去ってゆきました。もう会えないのでしょか。そういう選手が幾人もいました。
 
 プルシェンコのいう「技術を競うのがオリンピックだ」という論はわかりますが、美や芸術性も競うことになってしまっているフィギアスケート、今のような採点形態は仕方ないのかなと思います。
 
 そしてフィギアい劣らず好きなのはダウンヒル(滑降)。こちらは明解な時間の勝負。危険でスリリングな競技ですが、カメラワークのすごさもあって朝から堪能しました。
 
 午後からテニス。やっとコートも春めいて、隣の田圃の上で雲雀が鳴いている。今日は男子ダブルスもあってエンジン全開。思い切ったプレーが久々にできました。やはり、冬の間は萎縮していたようです。気持ちよく汗をかいて、明日のマラソンに向けてこれで調整完璧と思ったのですが、帰ってまたビール飲み過ぎ、やはり心配になってきました(苦笑)。
 
最近読んだ作品
 
「美弥谷団地の逃亡者」  辻村 深月
 
 冒頭の一文が相田みつを「うそはいわない こころにきめて うそをいう」 
 
 沖縄に観光に来ていると見える若いふたり、美衣と高雄。実際、海で泳いだり、食堂に入ったりしているが、実は、高雄はふたりの交際を反対した美衣の母親を美衣の前で刺し殺し、金を奪って美衣を連れて逃げてきているのだ・・・。
 
 やがて、捜査の手が伸びてきて、高雄は美衣の目前で逮捕される。警察に保護されて、「怖かった」と呟く美衣。ほんならなんで一緒に逃げて来て、海で泳いでいるねん!?とツッコミをいれたいけれど、それがいかにも現代の若者風で、ありえる、わかるように思う。そして暗澹たる気持ちになる・・・。
 
 辻村さん、うまい。
 
 

2010年2月18日
 
「 この冬も 蝿取り紙のぶら下がり 夏のままなる 峠の茶店 」
 
    新聞歌壇より 渋川市 蓼科さん
 
 そのうらぶれた、のどかな感じがええなあ。もちろん看板娘などいるはずもなく、ずっと老夫婦でやってはるんだろうか。
 
 スノーボード。国母くん8位入賞。愛媛出身、松山大学の青野くんは9位。残念でした。でもまだ19才。それにしても、ショーン・ホワイト、スゴイ!あの高さ、空中での回転技(ダブルマックツイストとやら)、絶妙のバランス、私には絶対無理だけど、生まれ変わって若かったら一度やってみたい。怖いけれど気持ちええやろなあ。
 
 以前に酔っぱらって、バック転に挑戦、塀から落ちて肋骨を折った痛い体験をもう忘れている。でも、ラジオで言ってましたが、トリノの後、イナバウワーに挑戦、腰を痛めて来院する人が続出、整骨院が繁昌したそうです。どこにも調子乗りはいるものですね。安心(苦笑)。
 
 毎朝、アベノ駅構内ですれ違う若いカップル。どちらも背が高いのでよく目立つ。面白いのはどちらもつまらなさそうな顔をしていること、そしていつも手を繋ぎ、男性が女性に引っ張られていること。興味
を持って毎朝見ていましたが、今朝はとうとう手を放して、それも男性が前を歩いている。ふたりに何があったのだろう?もうすぐ別れるかな(苦笑)?
 
 今日は警察からの問い合わせで刑事さん二人と対応。もちろん管理職も一緒。当該生徒が何をしたのか教えてくれないので、こちらもすべては言えない。個人情報の問題もありますから、何も知らないで全面協力しろというのはやはり無理があります。お互い腹の探り合いといった感じで1時間半。どっと疲れました。
 
 体調がイマイチなので、誘われた宴会を昨日のうちにキャンセル。今夜もおとなしく休肝日、お風呂タイムを楽しみました。マラソンまであと3日。
 
最近読んで印象に残った言葉
 
「科学技術は、技量をと深い知識、そして長い経験から得られる判断力にとって代わることはできない」 
 
 鳥の群との衝突で両翼のエンジンが止まった機体を、ハドソン川に不時着陸させたUSエアウェイズのチェスレイ・サレンバーガー機長(58才)の言葉だから説得力あり。
 
行く人
 
藤田まことさん
 
 時代劇「必殺」シリーズの中村主水役や「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事などで親しまれた俳優の藤田まことさん(ふじた・まこと=本名・原田真=はらだ・まこと)が17日、大動脈からの出血のため大阪府吹田市の病院で死去した。76歳、東京都出身。
 
 私には子供の時に見た「てなもんや三度笠」や「スチャラカ社員」の、しゅーとした軽やかな二枚目喜劇俳優のイメージが強かったですが、必殺シリーズで見事にt中年以降のはまり役を手に入れました。
 
 若いときから美声でならしました。でも「その男ゾルバ」はどうもなあ。喜劇の先輩、森繁さんを意識しすぎたのかも。
 
「はぐれ刑事」では、私は真野あずささんしか見ていなかったですが、しょぼくれた感じをうまく出していたみたいです。彼の悪役を見たかった。東京出身とは知りませんでした。

2010年2月17日
 
「 葱焼いて 世にも人にも 飽きずをり 」 
 
すみません、作者を忘れました。でも好きな句です。あつあつの葱をアテに酒はビールかな?
 
 男子フィギア、メダル候補がつぎつぎ失敗した中で、日本の3人はがんばりました。現時点で1位の大本命のプルシェンコは4回転はさすがでしたが、スピードが無く、ステップのキレもイマイチで音楽とも合わず(8年前のプルシェンコは本当にすばらしかったのです)、これなら高橋クン(ステップが表情豊かで鮮やか)、逆転可能かも。でも、2位につけたライサチェックがすごい。彼が優勝候補と見ました。
 
 セクシーに踊って観客を魅了したジョニー・ウイア、リズムに乗って踊りまくった16才のデニス・テン、19才のミハル・グレジナが印象に残りました。将来のチャンピオン候補です。若い才能の出現を見るのもこういう大会の楽しみです。
 
 なんで、無駄とわかっていて電話するの?という質問にお応えします。ひとつにはアリバイ作りというか、連絡した証拠を残しておくということ。もちろん、いちいち記録しておきます。大概は不通ですが、偶に留守電になっているときがあり、それは相手にも一応残っているので効果あり?
 
 それでも、聞く耳持たず、連絡つくまで連絡するのが教師の仕事やろ?と毒づくモンスターもいますが、「お子さまの学校生活に関心を持つことも保護者の義務ではありませんか?子供の様子がおかしいと、心配なさって、そちらから電話くださってもいいと思いますよ」とお応えすることにしています。
 
 今日は10軒連絡して2軒繋がりました。上々の首尾。保護者の対応も良好(普通)でした。
 
行く人 
 
[ロンドン 14日 ロイター] 英ベストセラー作家で元騎手のディック・フランシス氏が14日、カリブ海の英領ケイマン諸島にある自宅で死去した。89歳だった。同氏の広報担当者が明かした。
 騎手として350勝以上した後、1957年にけがで引退。英紙の競馬担当記者を経て推理小説作家となり、40作品以上を生んだ。
 自身の経験を生かした競馬を舞台にした作品は、「本命」、「追込」、「不屈」などがあり、競馬好きだった故エリザベス皇太后も熱心な読者の1人だった。
 
 相棒だった奥さんを亡くして以来、元気なくて引退同然だったようですが、近年、息子さんと共作の形で復活していたようです。ユニークな経歴からくる、骨太の作品群。1,2作しか読んでいないのですが、老後の楽しみ残しておきます。
 
最近読んだ作品
 
「どんぶり捜査」 乃南 アサ
 
 ブームの警察小説ですが、乃南さんはヒーローものでなく、地道で味わいのある作品を産まれます。ホテル・ニュージャパンが燃え、日航機が羽田沖に墜落した年、タクシー運転手強殺事件の犯人をこつこつ追い続ける刑事、土門功太郎。時代が弾むように変化してゆく中で、捜査方法も変わってゆく。でも、足で歩いて、聞き込みを続け、容疑者にカツ丼を自費で奢ってやる・・・そんな刑事は過去の遺物になってゆく・・・。パキスタンから来て、居場所をなくし罪を犯した若者は、礼拝を許してくれて、カレーを作ってくれる土門に心を開いてゆきます。
 
 甘いけれど、昭和へのオマージュとして読めばよし。時代や、主人公、その同僚の家庭生活を緻密に描いているのもいい。


2010年2月16日
 
「冬蜂の死に所なく歩きけり」 村上鬼城
 
人間はみなこの冬蜂のようなものだ、と虚子がこの句を評したそうです。
 
 入試受付開始。授業料無料化や不景気の影響もあって、定員増での募集ですが、かなりの応募があったようです。願書提出が終わり、校門を出るやいなや、ピアスをつけ、ズボンを下げて(「腰パン」ですね。国母クンよりTPOは弁えている?ー苦笑)、さて、どうなりますか・・・。
 
 いよいよ年度末が近づいてきました。毎日のように電話をしていますが、連絡が取れない家庭が5軒。中途半端のまま年度を超えない方がいいし、授業料も嵩んでゆきます。溜め息の日々です。
 
 オリンピック、フィギアペアフリーのメダリストの演技派はさすがにすばらしいものでした。川口さんが帰化したロシアペア、残念でしたが、スローの4回転で勝負するのを直前で避けたコーチの判断、それで動揺して、3回転をミスってしまった選手・・・難しいところですね。銅メダルを狙いに行ったのが結果的に凶と出てしまった。その難しさ。
 
 スピードスケート500メートル。どの夕刊も日本選手の銀銅メダルで埋め尽くされて、誰が金メダルだったのがしばらくわかりませんでした。韓国選手だったのですね。もっと取り上げてよかった。国籍やメダルに拘った報道が気になります。
 
 もし、国母選手がメダルを取ったらどう報道するのだろう・・・。
 
 最近印象に残った言葉
 
 「倹約に努める美徳的な行動が、まとまれば結果として人々の施生活をさらに脅かす。浪費や美食など、多少の悪徳を許して刺激しないと、経済は生きてゆけない」
 
 経済学者、岩井克人さんの言葉。なるほどなあ、とは思う・・・。

2010年2月15日
 
 「 物忘れ 嘆くな 頭のダイエット 」 老いをテーマにした川柳大賞 入賞作
 
 そう、ものは考えよう。嘆くより、昨夜のメニューを思い出そうとするより、明日のことを考えましょう。
 
 今日は母の誕生日。お釈迦さまの入寂の日ですが、それは、本来は旧暦なら「その如月の望月の頃」(西行)3月末の桜の時期ですね。
 
 それはともかく、弟が見舞う時間を見計らって、転院したばかりの母に電話。久しぶりに声を聞く。「誕生日おめでとう!」「アリガトウ」元気そうな声でひと安心。でも、検査はまだ続くようです。
 
 外線が入り、取り次がれてくる。どうも聞き取れないのですが、○○さんと言っているようで、ずっと学校へ来ていないそうです、どなたかわかりますか?
 
 ずっと来ていない生徒はいっぱいいるけど、外国籍だと、ひょっとして○△かな?とすれば、うちのグループです!
 
 日本人と再婚したお母さんに連れられて来日したけれど、日本に馴染めず、日本語も充分出来ず、家に引き籠もってゲームばかりしている。中国人講師の先生に御願いして定期的に連絡を取っていますが、会ったことはありません。今日はあいにく中国人講師の先生がお休み。
 
 不確かなやりとりでわかったことは・・・生徒本人は「病気になって中国に帰しました、元のお父さん(実父)のところです。」それで「学校退学します」「あの、授業料が○○万円溜まっています」「それ払えません・・・」
 
 とにかく一度お母さんにお会いすることにしたのですが、一度も会わずに帰国してしまった○△クン、どうしているだろう・・・。彼の今後も心配です。彼にとって、この3年間は何だったのだろう?最近、このように国際結婚に翻弄される子供のケースが増えています。
 
 還暦厄払い同窓会
 
 今日、いきなり電話がかかってきました。懐かしい声。「マーシ君」です。
 
 同窓会でビールを飲んで、トイレに行き、「最近、行きたくなると、がまんできなくて、間に合いかねる」と誰にともなくぼやくと、並んで用をたしていた同級生が、こちらを向いて、ニコーツと笑って「僕もおんなじ!」と笑う。あ、その笑顔は、マーシ(政司)君や!手を洗うのも早々に握手を交わす。
 
 中学で同じバレーボール部。私はセッターで、彼がアタッカーでした。弱いチームだったけれど、仲はよかったなあ。中学を卒業してなぜか一度だけ会って、それからプツリと交流が途切れていた。44年ぶりの再会でした。
 
 奈良の五條(うちの近くだ!)で数年働いていたけれど、両親が病気して帰郷、それからずっと町はずれのゴルフ場で働いているんだ・・・彼の席でそんな話を聞いて、そこに旧友がたくさん来たので、また手紙書くわ!家は□○やね。番地は?そんなのいらんよ!あ、そうやね、と笑って別れ、帰阪してから絵はがきを送ったのです。もちろん、私の住所電話番号を記して。
 
 葉書ありがとう!電話でごめん。
 なんで?
 絵はがき探したけどなかったけん。絵はがきで返事を書かんといかんと思うたんじゃけど。
 何言うてんの!電話くれて嬉しいで。
 
相変わらず律儀な男です。
今はお母さん(94才!)と二人暮らし。そのお母さんが転んで足を骨折、入院中とか。
 
 ひょっとして××病院?
 そう、2階の○号室から電話してる。
 そこって、3日前までうちの母が入院していた隣の部屋じゃん!
 
毎日仕事の合間を見て、3回見舞いに行っているのだとか。今頃一人で家で晩ご飯たべて、オリンピックを見ているのだろうか。3月に帰省したら会おうと約束しました。
 
最近こころに残った言葉
 
重松清さん
 
 「僕は、死については『忘れる』というのが大前提だと思っています。死への距離感が変わってゆくということはあると思うのです。死に軽重もなければ貴賤もない。でも、もしかしたら遠近はあるかもしれない。関係性の中の遠近もそうだし、時間が流れていって、遠くなり、淡くなり、忘れてゆくことー。『その日の前に』で、家族を残して死んでゆく奥さんの『忘れてもいいよ』という言葉。あれは僕にとって絶唱なんですよ」
 
 『その日の前に』はこの欄でも採り上げた、このあいだ連載が完結したばかりの最新作。重いけど明るい余韻のある作品でした。
 

2010年2月14日
 
「 冬の海 少年雑誌 打ち上げて 」  新聞俳壇より 広島県  佐保さん
 
  故郷の母は今治市内の遠縁の病院に転院。実家からちょっと遠くなりました。父が見舞いに行きにくいのが難点ですが、いろいろな施設も併設され、故郷の町の病院よりは融通がきくので、安心しました。毎日通ってくれている弟夫婦に感謝。
 
 バンクーバー五輪開会式。最近ますます国威発揚のパフォーマンスの場となり、豪華で大がかりな仕掛けが目立ちます。今回は初めての室内での開催なので、余計に凝りまくっている。それに時間が長い。印象に残っているのは「オリンピック賛歌」を歌った木の実ナナさん似のソプラノ歌手。聖火点火は手間取っていると思ったら、やはりアクシデントだったのですね。
 
 日曜、午前2時過ぎからジャンプノーマルヒルを見てしまう。メダリストはさすがの飛躍でした。百戦錬磨の強者もかなり緊張しているのですね。いはんや初出場の選手をや・・・。たしかドイツの若手選手がスタート直前でスーツのジッパーを上げていないのを指摘され、最後に廻され、動揺もあってか記録は31位で2度目のジャンプ(30位まで)に臨めませんでした。日本勢はなにやら元気ありませんでした。こういうレベルの試合って、失敗のリスクを負いつつ、ぎりぎり攻めて行くことが必要なのでしょうね。私の想像を遙かに超えた世界です。わたしもきっとジッパーを閉め忘れるクチです。
 
 寒さと風に泣かされた先週とは打ってかわって穏やかな天気の週末。テニスは楽しめました。今回は短いショットで相手を前に引っ張り出しておいて、ロブで頭を越すショットが数本決まって満足。課題のドロップショットも1本決まりました。でも、4時間はさすがに疲れる。足が止まってしまう。来週のマラソンが心配です。帰りに入院中のテニス仲間を見舞う。検査の結果癌ではなく潰瘍とのこと。安心。帰宅して半身浴でうとうとしました。
 
 日曜はしっかり走り込みます。ランニングの最終地点の温泉で友人が網を張ってくれているはずです(笑)。
 
行く人
 
山口 安次郎さん(やまぐち・やすじろう=西陣織織師、山口織物会長)
 
7日、老衰で死去した。105歳。

 現役最高齢の西陣織職人。50歳を過ぎてから能装束の復元や新作に力を注ぎ、1982年に国の「現代の名工」に選ばれた。81歳のときには来日したチャールズ皇太子・ダイアナ妃夫妻の前で機織りを実演。昨秋、105歳を祝う能装束展を京都で開いた。

 明治36年(1903)、織り職人の父伊之助の二男として生れた。二歳上の兄は、30年あまりの時間をかけて「源氏物語錦織絵巻」を完成させた、山口伊太郎である。父は根っからの織り職人であったが、健康に恵まれなかったことと、兄弟、姉妹合わせて11人の子沢山という環境でもあったため、当然生活も苦しかった。貧しい生活少しでも助けるために、小学校を4年で終えると、兄がそうしたように、何の疑問もなく安次郎も丁稚奉公へ出た。
「わしらの時代には、そんな家庭が多かった。小学校行けたら上等でしたな。今のように6年制とは違って、4年制。4年やったら、小学校卒業の値打ちがありましてん」
今でいえば、九つか十。子供もれっきとした労働力。安次郎の父でさえ、山科から京都へ五歳で奉公へ出されたという。そんな時代だった。『つい、この間のように思う』という、1世紀昔のこの思い出は、後年、安次郎の東南アジアへの小学校建設支援となって結実することになった。
 奉公に出されたあくる日から、一人前に機を織らされた。以来今日まで安次郎は変わることなく、京都・西陣で織り続けてきたのである。

 以前にこのHPでも採り上げさせていただきました。100才を超えて現役だったというのがすごい。引退、隠居に憧れる私は怠け者なのかなあ。

 1時間半ランニングして、羽曳野の郊外「延羽の湯」の前で友人と落ち合う。ここんとこわれわれお気に入りの近場の温泉です。車で来た友人が、車内のラジオで聴いていたけれど、モーグル決勝で植村愛子が現在2位で、あと選手が数人残っているという。

 急いで入館、ロビーの大型テレビの前に駆けつけると、「のど自慢」をやっている、誰も見ていない。フロントに声をかけてチャンネルを替えてもらう。あと2人を残して2位。しかしカナダ、アメリカの選手に抜かれて4位に。残念ですが、プレッシャーの中、すばらしい滑りをしたメダリストたちの集中力を賞賛すべきでしょう。結果的に叶わない夢もありますが、上村選手の10数年に及ぶ向上心と努力も立派でした。

 振り向くと、いつのまにかたくさんのお客がテレビの周辺に集まっていました。

 還暦厄払い同窓会(2月3日の話の続きです)

 遍照院で豆と餅を撒いた後、鬼瓦御輿を見物。初めてみました。町内の41才の厄男だけがこの日に担げるもの。私はその年に骨折していて担げなかった(笑)。社の形のご神体に代わって大きな鬼瓦を乗せている。見るからに重そう。担ぎ手もふらふら。危ない。デジカメで撮りまくっているいすちゃんを庇いつつ、しばらく見物、出店で土産に瓦饅頭を買う。

 また農協会館に引き返し、いよいよ宴会開始は午後2時。籤で引いた席で同じ集落出身の五十鈴さん、愛称「いすちゃん」と隣り合わせに。中学卒業以来初めて言葉を交わすことを確認。44年振り。懐かしくて思わず握手。

 幹事のNクンの司会で開宴。まず亡くなった同級生、十数名の霊に黙祷。忘れられない顔が浮かびます。松山から駆けつけて下さったM先生のご挨拶。若くてハンサムだった先生は渋い初老の紳士に。70才を超えられたはず。でも、今でもかっこいい。バレーボールの教員チームのサウスポーで、鋭いスパイクを打ち込んではったのを憶えています。

 短い竹の棒を持って授業していたらしいね、とのお言葉。そうです、それで叩かれました、とツッコミが入って、笑い。ごめんね、という返しのお言葉に、また笑い。

 一気に場が和んで、幹事代表のAクンの乾杯の音頭でそれから3時間続く宴会が始まりました。

 最近読んだ作品

「 異国のおじさんを伴う 」 森 絵都

 作家の「私」が世界民芸展て見かけた人形を主人公にした作品で当て、しかもその人形の故郷、オーストリアの愛好会から招待を受けてほいほい出掛けてしまう・・・。そこで遭遇するさまざまな奇妙な出来事、トラブルの数々。「異国のおじさん」はその会で貰った巨大な人形のこと。でも、その出来事を引き起こしているのは自分自身だと気づいている「私」。

 「そう、私はいつも中途半端で、だから小説もピリッとしないだのヘタッとしているだのと言われるのだ。物語が到達すべき正しい帰着点まで行きつく前に、息切れして立ち止まったそこを目的地と置き換えてしまう。出口と非常口のプレートをすり替え続けている・・・」

 うまい、座布団!「私」って私のこと!?



2010年2月13日
 
「 目の縁が 世界の縁や 花粉症 」 山口 優夢
 
 まだ、花粉症になっていないのですが、多くの友人が罹っているので、その辛さはある程度、想像できるように思います。目の縁がたまらなく不快で気になるのですね。
 
 始まる前に、国母選手の服装問題(事後の対応がまた悪いのはどっかの面々と一緒やなあ)やら、グルジアのリュージュ男子1人乗りのクマリタシビリ選手が練習中に死亡するという悲報やら、波乱含みの五輪の幕開けです。
 
 「五輪や甲子園がスポーツを歪めている」と公言しつつ、いざ始まったら結構力を入れてみてしまう、いくつになってもミーハーな私です。
 
 行く人
 
玉置宏さん
 
  「1週間のごぶさたでした」の名せりふで知られた司会者の玉置宏さんが11日午前10時33分、脳幹出血のため死去した。76歳。葬儀・告別式は近親者だけで済ませた。後日、お別れの会を行う予定。

 川崎市生まれ。昭和31年、明治大学商学部卒業後、文化放送アナウンサーとして放送界入り。昭和33年、フリーとなってからも司会者として活躍した。TBS系「ロッテ歌のアルバム」やテレビ朝日系「象印スターものまね大合戦」で人気を博し、「1週間のごぶさたでした」の名調子で一世を風靡(ふうび)した。

 幼いときはその司会振りに、歌手に媚びていると感じたものですが、おとなになってみると、気持ちよく歌手に歌ってもらうためのものだったのだとわかります。後輩の私も好きだった齋藤安弘氏(元ニッポン放送アナウンサー)の追悼文によると、一言一句原稿を書き、アドリブを一切しなかったそうです。
 
アレキサンダー・マックイーンさん(英国デザイナー、自殺?40才)
 
 ニューヨークコレクションの初日にこの悲報。ロンドンの自宅で死んでいるのが発見されたそうです。斬新なデザイン好きでした。順風に見えたのに・・・。20代からパリのジバンシーの主任デザイナーを努めた逸材。若くして成功を究めたことの恍惚と不安があったのでしょうか?
 
平野洋子さん (温泉旅館おかみ 自殺 47才)
 
 鬱病と闘いつつ、湯河原の旅館の女将として活躍。自身をモデルに著作もありました。昨秋、治療のため旅館を廃業しましたが、自殺してはるのを発見されたそうです。痛ましい。俳優の船越栄一郎さんの妹さんでもありました。
 
チャーリー・ウィルソンさん(元米下院議員、心不全、76才)
 
 2年前にトム・ハンクス主演、ジュリア・ロバーツ共演でその人生が映画化されました()。旧ソ連のアフガニスタン侵攻を結果的に阻んだ人物のひとりとされる。毀誉褒貶もあった個性豊かな政治家。彼が死んだ後に映画化されていたら、映画はもっと違った作品になっていたかもしれません。
2010年2月11日
 
「 冬の日や 馬上に氷る 影法師 」 芭蕉
 
 10年前まで通っていたスイミングスクールの仲間と、今でも毎月集まって飲んでいます。昨夜は午前1時まで飲んでしまいました。6人集まった中の若い友人(30代半ば)が結婚8年目にして奥様が妊娠。それを宴会の途中で報告、みんなも大喜び、一転祝賀会となったわけです。
 
 10代で避妊もしないで妊娠、同棲やら結婚やらして、生まれた赤ちゃんを嬉しそうに学校へ連れてきて、その後すぐ別れたとういう報告・・・そんな事例を最近ずっと見てきたので、こころから祝福出来る妊娠報告でした。わたしは酔っぱらって彼に祝福のキスをしたらしい。反省。つなみちゃん(奥さん)ごめんね。これから彼は早めに帰します。
 
 今日はめずらしく二日酔いでした。尊敬するテニス仲間が入院したと聞いて、駆けつける。下血して貧血を起こしたらしい。検査の結果、癌ではなくて、十二指腸潰瘍の再発だったと聞いて安心。潰瘍なら今は特効薬があります。
 
 彼は6才上。元会社役員で退職した後も、テニスにゴルフに体育協会の役員やら地域の仕事やらめちゃ忙しく動き回ってはる。明るく人望厚く、テニスをしても勝負に拘らず、その負けっぷりのよさは気持ちいいのひとこと(笑)。勝負に拘る私がいつも目標にしている人物です。付き合いが良すぎて、飲み過ぎが原因と思われます。私では説得力はありませんが、お酒を控えるように意見して、すぐに退散。本人は退院してすぐにテニスしたいみたいでしたが、いままでひたすら走ってきたのです。この際、ゆっくり休んでほしい。お酒に誘うのも控えよう。
 
 還暦厄よけ同窓会
 
 痺れた足を引きずって、本堂の縁へ。もうすごい人が境内を埋めている。歩いて5分の無人駅にさっき臨時列車が止まったんだと誰かが言っている。父が来るかもしれないと言っていたので探したけれど、見つけようもない。用意していた餅と豆を撒く。手が伸び、こっちへほうってという声が飛び交う。裾を引かれたので見下ろすと、スーパーの袋を拡げたおばちゃんたちがここへ入れて!と叫んでいる。そんな厚かましい人より(飛ばない豆を少しあげました)、人中に入れない、後ろの方にいる人をめがけて思い切り餅を投げる。みんなが前に詰めたので、そのあたりには空間もあって、落ちた餅をお年寄りがゆっくり拾ってくれる。鬼瓦の産地なので「福は内、鬼も内」と呼ばうのが本来なのですが、みんな興奮していて、つい「鬼は外」と叫んでいました(笑)。
 
 撒き終わったら、行事は一段落。本堂を降りると、まだ参拝客は去っていない。カメラを持って待ちかまえている。「瓦御輿」が境内に入ってくるのです。
 
最近読んだ作品
 
「帰り道」 浅田 次郎
 
 期待の新連載。東京オリンピックの前年、東京へ集団就職したきた娘と、年下の将来の嘱望される若手社員の恋の行方は?スキーバスが舞台というのも懐かしい。いきなり現代に話が飛んで、ひとりでスキーバスに乗る老婦人が描かれて来月号へ。気になります。
 
最近印象に残った言葉
 
「悼む人」の次作「静人日記」を終えた天童荒太さん
 
「今の自分が表現者として描ける生と死を、ここでいったんすべて出し切り、誰かにとってかけがえのない人が、日々こんなにも大勢亡くなっているんだといことを、読者と共有したいと思ったのです。思いついた生と死の物語の核、そのカルピスの原液みたいなのをどんどん注ぎ込んで、そこから読者に個々の経験にもとづいた物語をふくらませてもらえれば」
 
 なるほど。「カルピスの原液」とは言い得て妙です。

2010年2月10日
 
「 子の重荷 追うてはやれぬ 冬灯 」 西村和子
 
 受験期だけでなく、進路や人生に悩む子を持つ親の感慨でしょうか?憶えがあります。でも、ハイチの事を思う今、こういう親がいてくれる幸せ、子を思える幸せを思います。
 
 結局、救援バザーは2万6千円集まりました。感謝。今日、ユニセフへ振り込みしました。手数料不要。残った品をあちこちで売りさばいて、3万円にしたいと思っています。
 
 ブランジェリーナ(ブラピとアンジェリーナの俳優夫婦)は9千万円寄付したそうですが・・・(苦笑)。でも、金額ではありません(でも、金額も大事・・・)。
 
 寄付金、給付金をくすねる医療機関もあって、現地は混乱を極めているようです。初期手当を受けれなかった人々の傷口は大変なことになっているとか。より気になるのは、保護者を亡くした幼児の問題。国際的組織による誘拐、拉致が相次ぎ、売春や臓器売買の対象になっているとか。天災も怖いが人災ももっと怖い。
 
 故郷の還暦厄払い同窓会
 
 遍照院の本堂内は立ち込める護摩の匂いと煙で充満。われわれプラス希望者百人余りが座って、祈祷が始まる。10人の僧侶が経を派手に捲り、大太鼓に合わせて般若心経・・・30分余の読経の後お説教。最後まで一応男子で正座できたのは私と「アッチャン」の二人だけでした。皆から感心されてちょっと自慢。まだまだ若い?
 
 焼香の後、ひとりひとり背中をお経で叩いてもらっておしまい。いよいよ餅と、豆撒きです。境内の興奮が堂内にも伝わってきます。でも、足が痺れて・・・(苦笑)。
 

2010年2月9日
 
 ハイチ地震救援緊急バザーを職場でやりました。準備期間は少なかったのですが、たくさんの提供品、ご参加をいただき、一日で2万を超える売り上げがありました。ご協力いいただいた皆様に感謝。
 
 行く人
 
 作家、立松和平氏が死去 「遠雷」「毒−風聞・田中正造」など 映画化された「遠雷」などで知られる作家の立松和平(たてまつ・わへい、本名・横松和夫=よこまつ・かずお)さんが8日夕、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去した。62歳だった。宇都宮市出身。葬儀は近親者で行い、後日、しのぶ会を開く。喪主は妻、美千繪(みちえ)さん。

   関係者によると、先月まで執筆活動を続けていたが、体調不良を訴えて入院。8日に容体が急変したという。

 早大在学中から作品を評価され、早稲田文学新人賞を受賞。宇都宮市役所などに勤務した後に文筆活動入り、昭和55年に都市化する農村の若者を描いた「遠雷」で野間文芸新人賞。「道元禅師」で泉鏡花文学賞と親鸞賞、「毒−風聞・田中正造」で毎日出版文化賞を受けた。

 平成5年には雑誌連載中の小説「光の雨」の一部が元連合赤軍幹部の著書と酷似していると指摘され、「安易な形で引用してしまった」と謝罪。後に全面的に改稿して発表した。

 放送メディアでも幅広く活躍し、テレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」のコーナー「こころと感動の旅」に出演し、独特の実直な語り口で親しまれた。

 また、パリ・ダカールラリーに出場するなど行動派としても活動を広げ、最近は環境問題に積極的に取り組んでいた。
 
 その朴訥、実直な栃木弁での語り口にファンも多かったのですが、62才とは・・・。「行動する作家」といえば中上健次さん(ちょっと暴力的)、開高健さん(飲み過ぎ)などが浮かびますが、それぞれ頑丈そうに見えたけれど、やはりデリケートな内面がハードな外面を打ち破ってしまったのでしょうか?いずれも若死にです。
 
「遠雷」は小説も映画も好きでした。盗作問題は残念でした。
 
最近のニュースから

100年前のウイスキーとブランデー、南極の氷から発掘

2月9日21時42分配信

(CNN) 南極大陸に100年前、探検家が建てた小屋で、氷の中からウイスキーとブランデーの入った木箱が発掘された。製造元のスコットランド企業は、サンプルを入手して当時の味を再現したいと意欲を示している。

木箱が発掘されたのは、英探検家アーネスト・シャクルトン卿が1908年に建てた小屋。シャクルトン卿率いる探検隊はこの時、南極点には到達できなかったものの、南極で初めて自動車を試運転するなどの成果を残した。

小屋の床下から、氷の層に覆われた木箱が見つかり、ニュージーランドの南極世界遺産トラスト(AHT)のチームが5日、発掘に成功した。当初は瓶入りウイスキーが2箱分埋まっているとみられていたが、実際にはウイスキーと書かれた箱3つ、ブランデーと書かれた箱2つが取り出された。

氷の影響で一部の箱には割れ目が入っていた。周囲の氷には発掘前からウイスキーのにおいがついていたことから、何本かの瓶は割れているとみられる。ただ、木箱を動かすと液体の音が聞こえるため、漏れ出さずに残った酒もあることは確かだという。専門家らが今後数週間のうちに、最良の保管方法を検討する。

製造元ホワイト・アンド・マッカイのロバート・パターソン氏によると、当時の調合法の記録はもはや残っていない。同氏は、発掘された酒を「慎重に抽出、分析」して調合法を再現し、「人々に本物の歴史を味わってもらいたい」と話している。
 
 いいなあ。ロマンがありますね。私も30年以上前、父と実家の山の上にある古い墓地を整理していて、出てきた明治時代の?お酒を飲んだことがありますが・・・。土葬されて、棺桶の中に入れられていたのでしょう。ご先祖にもやはり酒飲みがいたのかな?(笑)
 
 最近読んだ本
 
「いっちばん」 畠中 恵
 
 「しゃばけ」シリーズは好調で売れ行きもいいみたい。雑誌連載されていますが、友人から単行本を借りました。
 江戸の大店、長崎屋の若旦那は極め付きの病弱で、超過保護な環境にいますが、実は妖(あやかし)の血を引くもの。妖怪達と共に、江戸に起こる難事件に取り組んでゆく・・・。
 江戸情緒を絡めたファンタジーかつ捕物帖ですが、主人公と周囲の若者の成長物語としてもきちんと描かれているのが魅力。楽しめました。


2010年2月8日
 
「魚食うて 口なまぐさし 昼の月」 夏目 成美
 
 まさに「なまぐさい」言葉を遣っても、品を失わない句の力。
 
30日に引用した茂木 健一郎さんの次の文章に対して元同僚からメールが送られて来ました。
 
 小野二郎さんは、いまや寿司職人として世界に認められる人だ。しかし寿司職人になったのは、そうしないと食べていけなかった、あるいは店を出すのにお金がかかりすぎて準備ができなかったといった実際的な理由だった。

 自分に合った仕事を探して、どんどんさまよい歩くという時代の風潮に対して、小野さんは出会った仕事に誠心誠意、自分を合わせていった。そのことと、寿司という、制約がありながら無限の広がりがある世界の奥義をきわめるということはつながっている気がする。そういうことを我々は忘れてしまっているのではないか。これが今回受けた一番のメッセージだった。

 寿司の世界に限ったことではない。確かに仕事で自分を表現することは大事なことだが、考えてみれば生活のために仕事をするというのはそんなに悪いことではない。そもそも生き物としては、生きなければいけない、食べていかなければならない、というのが基本だったはずだ。

 神戸女学院大の仏文学者、内田 樹氏の次の文章を紹介してくれました。内田氏のことは不勉強で知らなかったのですが、合気道の大家でもあるそうです。かなり意識的に過激、誇張、省略して書いてはりますが、言わんとするところはよくわかるように思います。長年、心の底に燻っていたものを、すっきりさせてくれたところもある。安易に「夢」を追い、時間を空費する風潮に水を掛けてくれています。現実があってこその夢なのですね。Uちゃん、ありがとう。

「人生はミスマッチ」

日本の高校や大学でキャリア教育が行われるようになったのはこの一〇年ほどのことである。
そこでは「自分の適性にあった仕事を探すこと」が組織的に勧奨されてきた。
そういう教育を一〇年やったら、離職・転職を重ねるローリング・ストーン族=Aフリーター、ニート、「自分探しの旅人」ばかり増えてしまった。
私はこれをキャリア教育の不十分さの結果であるとは考えない。
これこそ一〇年のキャリア教育が「達成」した成果であると考える。
大学三年生相手の就職セミナーでリクルートの営業はまず最初に「みなさんは自分の適性に合った仕事を探し当てることがもっとも重要です」と獅子吼する。
 その瞬間に若者たちは「この広い世界のどこかに自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事が存在する」という信憑を刷り込まれる。
 もちろん、そのような仕事は存在しない。
だから、「自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事」を探して若者たちは終わりのない長い放浪の旅に出ることになる。
 就職情報産業は、若者たちが最初のマッチングで「適職」に遭遇することよりも、いくら転職を繰り返しても「適職」に出会えないことから利益を上げるようにビジネスモデルを構築している。だから、「適職」という概念を発明したことそれ自体がリクルートの奇跡的なサクセスの秘密なのである。
 この思考は「自分の個性にぴったり合ったたった一人の配偶者がこの世界のどこかにいる」という信憑と同型のものである(だから、就職情報産業は必ずや結婚紹介業も副業でやっているはずである。これも「何度見合いしてもぴったりした人に出会えない」人が多ければ多いほど利益が上がるように構築されたビジネスモデルだからである)。
 もちろんこれはリアルでクールなビジネスワールドの話であるから、リクルートさんがどのように若者たちに刷り込みをしようと、それは先方の自由である。でも、誰かが「そういう(物語)を信じるな」ということをたまにはアナウンスする必要があると私は思う。
 人生はミスマッチである。
私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。それでもけっこう幸福に生きることができる。チェーホフの『可愛い女』はどんな配偶者とでもそこそこ幸福になることのできる「可愛い女」のキュートな生涯を描いている。
 チェーホフが看破したとおり、私たちには誰でもどのような環境でもけっこう楽しく暮らせる能力が備わっているのである。
  それでいいじゃないかと私は思う。
「自分のオリジナルにしてユニークな適性」や、「その適性にジャストフィットした仕事」の探求に時間とエネルギーをすり減らす暇があったら、「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に資源を投入する方がはるかに有益であると私は思う。
 私は仏文学者になんてぜんぜん適性がないし(これについてはかつて私にフランス語を教えた教員たちの全員が深く同意してくれるはずである)、ミッション系女子大の教師なんてさらに適性がない(私が女学院に職を得たと聞いたときに、同輩のサノくんは「花園に野獣を解き放つようなものだ」と長嘆したものである)、武道家としての素質も限りなくゼロに近かったと申し上げてよろしいであろう(誰も信じてくれないが私は中学生まで心臓の弁膜に異常をかかえた「虚弱児」だったのである)。
 私が大学で仏文科に進学したのだって、教養のフランス語があまりにできなかったので(オールCであった)、大学卒業までにせめてフランス語の基礎文法だけでも理解しておきたいと思ったからなのである。
 もっとも適性のないところを選択したら、それが職業になってけっこう楽しくやっているのである。
 私の適性は警察官僚とか政治家とか諜報活動とかにおいては間違いなく爆発的に開花したであろうが、私がそのような仕事につかず毒にも薬にもならない文学研究などにかかわって一生を終えたせいで獄窓や窮死から救われた人もきっと多いはずである。なまじ適性に合った仕事に就いたせいで、世の人々がいっそう不幸になることだってあるのである。
人生はミスマッチ。
大学三年生の諸君に贈る言葉はこれである。※ 一部編集

 『こんな日本でよかったね(構造主義的日本文化論)』(文春文庫)  

2010年2月7日

「 ポップコーン 弾け合格通通知来る 」 山崎 千枝子
 
 まさに受験シーズン。寒波もですが、インフルエンザもまだまだ心配です。
 
 寒かった数日を経て、やっと暖かな日射しが降って来ました。久しぶりの早朝座禅。本堂横の紅梅はほぼ満開。でも室内はしんしんと冷えていて、却って気持ちよかったです。もちろん重装備して参りました。
 
 相撲協会の理事長選挙のごたごた、「造反」があってもいいのでしょう。貴乃花の今後の在り方、ビジョンは見えませんが・・・。
 
 朝青龍の引退はもったいない?潔い?そんな言葉までが出るのは、潔くなく、粘りたおしている人がいるからでしょう。若い部下(現役代議士)や秘書が起訴になっても、自分が不起訴になったらそれでいいとする神経がすごい。ご本人は「国の為、党の為」という大義名分を掲げているつもりでしょうが・・・。
 
 その冷たさに怒っていましたが、考えてみれば、もう第60代横綱双羽黒 光司(現在は大相撲立浪部屋のアドバイザー)のことを私が忘れていましたように、数年経って、世間の記憶が薄れ、「おつとめ」が終わったら、政界もしくはそれなりの世界に復活し、その間の家族の生活などは保障されているのでしょう。それって、ヤクザの世界と同じ発想ですね。
 
 還暦厄よけ同窓会の報告 続き
 
  一旦集合した農協会館を12時に出て、今度は町の西側の海岸にある「遍照院」にみんなで歩いて向かう。この寺は平安時代からの古刹と言われていますが何故か「四国88カ所」に入っていません。子供の頃聞いた話によると、弘法大師さんがこの寺の傍らを通りかかり、案内を乞いはったのに坊主が昼寝をしていて対応しなかったので、そのままスルー、結果88カ所に選ばれなかったという間抜けな伝説の残る寺なのです。それで松山から今治の間に88カ所が一カ寺もないという事態に。
 
 私が故郷にいた時代は、寂れて参拝客も少なかったのに、この10年余り厄払いブームに乗って(きっと凄腕の仕掛け人がいたのでしょう)ブレイク。県外からもバスで参拝客が訪れる賑わい。我が町が鬼瓦の産地というのも効いたのかもしれません。寺の周囲に駐車場が整備され、ガードマンが車を捌いているという町一番の観光地、いや信仰地。
 
 歩いて20分、あちこちで餅が重すぎてビニールが破れる、紐が切れるというアクシデントを乗り越え、わいわい言いながら辿り着くと、寺の周りはすごい人だかり。出店もいっぱい。節分会はこの寺の最も大きな年中行事なのです。
 
 今日は主役なので、道を譲られながら、寺の山門に辿り着き、ひとりひとり吊された鐘を搗いて境内に。豆の袋に入っていた線香、蝋燭を捧げ、草鞋を一旦履いてからそれを燃やす。そしてやっと本殿に上る。このたくさんの人はどこから?今日は特別仕立ての電車が駅(普段は無人駅)に臨時停車しているらしいよ?テレビ局の撮影クルーも来ている。だんだん盛り上がってきました。(この項続く)
 
昨日のニュースから 

「空飛ぶホテル」で世界をクルーズ 英企業が構想発表

 ロンドン(CNN) 空に浮かぶホテル感覚の乗り物で、世界各地を自由自在にクルージング――。製品設計、開発コンサルティング企業のセイモアパウエル(本社・ロンドン)がこのほど、未来型の飛行船「エアクルーズ」の設計プランを発表した。

 「航空機の狭く不便な空間で、長時間のストレスに耐える。そんな旅の形に疑問を投げ掛け、未来型のぜいたくを提案す
るのが、エアクルーズの構想だ」――同社の交通部門を率いるニック・タルボット氏は、こう言って胸を張った。「A地点からB地点まで素早く移動することよりも、ゆったりとした旅の経験自体を楽しみたいと考える人々に、きっと喜んでいただけることでしょう」

 発表されたプランによれば、エアクルーズは高さ約265メートルの縦型飛行船。搭乗できるのは乗員20人、乗客100人までとし、広々とした空間にレストランやバー、ラウンジなどのスペースを設けている。

 浮力には主に水素ガスを使い、必要な電力は燃料電池や太陽光発電でまかなう。大気汚染や騒音の心配がないのも、大きな特長だという。

 エアクルーズの時速は100―150キロ。ロンドン・ニューヨーク間は37時間の旅となる。乗客はその間、都会の摩天楼や緑深い国立公園を眼下に眺めながら、優雅なホテルライフを楽しむことができる。
「豪華船でのクルージングを、空中に浮かべたようなもの。これからの時代は、そんな旅を味わう時間の余裕こそが一番のぜいたくになる」と、タルボット氏は力を込める。

 ただ設計チームによると、現時点では製作に膨大なコストがかかるとみられ、実用化までにはしばらく時間がかかりそうだ。
 
 これこれ、これを待っていました。エコノミー症候群の心配もなく、船旅より速く景色もいい。是非、生きている間に実現させてほしい。

2010年2月5日
 
「 鍵穴に 雪のささやく 子の目覚め 」 石原 八束
 
 鍵穴を持ってきたところがいいなあ。雪のささやきも。幼い子供と世界を包み込むように雪が降る。
 
 まだ、帰省、いや同窓会の余韻が抜けません。一進一退の母のことも心配だけれど、何か新しい人間関係の展開の予感もあります。
 
 3日、午前10時に加茂神社に集合という指示でした。幸いに晴れて、気持ちいい朝、弟に送ってもらって母の病院へ寄ってから5分で町はずれの神社へ。500メートルの参道を持ち、そこを少年騎手達が馬で駆け上がる秋祭りの「お供馬」の行事で有名なところ。石段を上がると社殿の側のふたつの焚き火に、片方は男子、もう一方は女子と分かれて集まっている。圧倒的に女子が多い。互いに遠慮しあっている感じ。
 
 男子の中にすぐ見てわかった「あっちゃん」を見つけて駆け寄って握手。数少ない同じ小学校の出身です。彼も大阪在住。確か樽井市のはず。話しているうちに前日同じ新幹線、同じ特急に乗って今治まで帰ったことを知って笑い合う。で、今治駅からどうしたの?北口に出て、妹が迎えに来てくれて、とあっちゃん。うちも同じく弟が、とまた笑う。
 
 出席者80名、社殿でお払いを受ける。これはお約束。前に並ぶ代表は同級生の中で結ばれた唯一のカップルで、この町に残って幹事をしてくれているお二人。長い祝詞の後、金色の御幣が頭上で降られ、鈴音が響く。40才、60才、70才と生涯で3度、みんなでここでお祓いをすることが昔から決められているのです。でも、出席できたのは80名でした。物故者も17名。
 
 神妙にお祓いを受けながら、お互いに顔をのぞき合い、だんだん昔の記憶、頭の中の映像が整理されて今の顔と昔の顔と名前が結びついてくる。解った者同士で、手を振り合ったり、笑顔を交わし合う。それが男女を越えてひろがってゆく・・・。
 
 お祓いを終えて社殿を出ると、すでに記念撮影の用意ができている。撮影後一旦解散、町中の農協会館での再集合がかかる。仲のよかったNクンと2年ぶりの再会。話ながら二人で会館に向かって歩いていると、車がやってきて拾ってくれる。会館で改めて出席点呼。
 
 紅白2個ずつ入って袋詰めされたお餅の大きな包みと豆の入った袋が配られる。かなり重い。これを各々が撒くんだ、これからの節分会はかなり大がかりなものだと改めて気づきました。(この項は明日も続けます)
 
 朝青龍、引退。今回のことで想い出したけれど、以前にも、意見してくれた親方のおかみさんに乱暴を働いて引退した横綱(双なんとかと言ったっけ)もいましたね。力の世界だから、促成栽培してしまった横綱の看板に中身がついてゆけなかったということでしょうか。
 
 「大リーグ」と同じように、「大相撲」と名前をつけて、国技を名乗るなら、いっそ外国人の枠など作らずに、全世界に開放、人材を集めて、その代わりジュードーのようにオリンピック競技などにしないで、日本独自の文化に基づく競技として、それに徹底して馴染んでもらえばいいと思います。
 
 母のケイタイ(私の名義でした)を持って帰り、今日解約しました。病院では付き添ってくれている弟のケイタイで事足ります。やはり、ちょっと寂しい。
 

2010年2月4日
 
「 故郷は よるもさはるも 茨の花 」 
 
 一茶の句と正反対のあたたかな故郷でした。三日の厄払い、還暦同窓会は楽しかったです。あまり話したことがなかった同級生までが、「よう帰ってきてくれたねえ」と言ってくれる・・・。こちらこそ、よう呼んでくれました、と言うべきところです。
 
 190人の中学卒業生、物故者17名。これは多いのかなあ。参加者80名。うち男子25名、女子55名。これは意外でした。埼玉から帰って来たのは同じ村出身の五十鈴さん、愛称「いすちゃん」。43年ぶりの再会でした。名前が山田五十鈴さんから採っていたこと、初めて知りました。
 
 母の病院へは、2日の到着直後、その日の夜、翌朝の同窓会集合前、出発前と4度行ったのですが、ちょっと弱っているようで心配です。一旦入院して検査を始めると、一気にあちこち問題が出てくるのは仕方ないのかもしれません。
 
 父親はやはり寂しそう。酒の相手もしましたが、いつになく饒舌でした。寒いし、畑仕事も今は暇なので、部屋に籠もってドストエフスキーをひたすら読んでいる。これも心配。
 
 でも、弟夫婦がきめ細かく看てくれているのでほっとしました。感謝。
 
 同窓会の2次会を失礼して、ほろ酔いのまま、東予港まで弟に送ってもらう。午後十時三十分出航。朝五時に目覚めて大浴場に浸かる。六時、南港に着岸。職場にたどり着いたら七時半過ぎ。土産の「厄払い鬼瓦まんじゅう」(同級生の和菓子屋で作っていますーおいしい)を共同机の上に置く。好評であっというまに無くなる。高揚感を残したまま元気に授業、でも、午後にどっと疲れが来ました。放課後の会議中、眠かったこと(苦笑)。午後八時やっと家にたどり着く。
 
 とにかく一旦休みます。故郷、菊間、遍照院の節分のにぎやかな様子は明日のHPからアップします。NHKか南海放送のクルーが取材、撮影に来ていたみたいだけれど、テレビ放映はあったのでしょうか?
 

2010年2月1日
 
「 オリオンと発ちて未明の帰島かな 」 新聞俳壇から 埼玉県 酒井さん
 
 昨夜のNHK特集の「無縁死」。見てしまいました。年間3万人を越す、身元不明、または引き取り手のない死体。これからますます増えてゆくことは必至。考えさせられました。ひとごとではありません。
  
 自習課題プリント8種類を作って、担当者に御願いして、休暇願い、旅行届けを出して、帰りに天王寺で山陽新幹線、予讃線のチケットをゲット。明日1時間目の授業を終えたら、飛び出します。
 
 それにしても平日の同窓会とは厳しい。でも「還暦の節分」と昔から決まっているのです。会費もなんと1万5千円。それだけかと思ったら、これに先だって、30日に各地域の氏神さんで、お祝いと祈祷がされたのですって。私の村では弟が代理で参拝してくれたそうです。電話で、
 
ありがとう、で、ご祈祷料は?
ごめん(あやまらんでいい)、2万円、
ギョエーッ!立て替えてくれたんやね、ごめん、帰って払うわ。
それにね、集まってくれた人たちの飲み食いもあったから・・・
うわーっ!・・・それは?
お父さんが出してくれていたよ。
 
 そうだったんだ、そういう行事もあったんだ、気が付かなかった・・・田舎を離れて40年余、もう感覚がついてゆけていません。
 
 それにしても2日間で5万円超の出費になりそうです。帰省以降がめちゃ心配。どうやって生きてゆこう(苦笑)。でも、自分で決めた出席だから。ちょっと、いろんな面で不安になって来ましたが、臍を固めて帰ってきます。
 
 入院中の母もぼちぼちのようです。
 
最近印象に残った言葉
 
ノンフクション作家 工藤美代子さんのエッセイから
 
最近どこででもみかける「ふれあい」という言葉ー新宿にある「ふれあい通り」にはじまり「ふれあい広場」「ふれあいホール」・・・
 
 「しかし、ひとはそんなに簡単に誰かとふれあえるものなのか。「ふれあい」という発想はなんでもかんでも話し合えば問題は解決するというのに似ている。話し合いですむくらいなら戦争もテロも起きない。ふれあいという言葉で現実を誤魔化そうとする作為を私は感じてしまう・・・。」
 
 確かに、耳に心地よい言葉で曖昧にされていることがいっぱいあります。
 
春風亭小朝の対談での発言・・・三遊亭円朝にふれて
 
 「怪談で有名だけれど、やっぱりちゃんと落語なんです。同じく名人と言われた弟子の橘屋円喬は話を非情に締めて「うまいでしょ」という感じ。翻って円朝師匠は、基本的に笑わせるんだと。随所でウケを狙うから客も笑うんだけれど、聞き終わってしばらくたってから、ゾクゾクッとくるんですって。家に帰って想い出したときに怖い・・。」
 
 すごい名人だったんですね。聴きたかったけれど、話芸は消えて行くから、どうしようもありません。



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