Kan-Kan の雑記帳



2010年3月31日
 
「 桜活けた 花屑の中から 一枝拾ふ 」
 
作者は忘れました。一旦捨てたけれど、やはりもったいないと思うーその気持ちわかります。まして桜の花です。
 
 年度末の日。いよいよ最後の日。午後6時、まだ片づけをしている人、見送られるのが辛くて、そっと去って行く人・・・。いろんな思いがこみ上げる一日でした。
 
 暗くなって、学校を辞めさせたいと言ってきた保護者。チューター(担任)に電話すると、聞いてませんという。調べてみると授業料も入っていない。この段階では退学できませんと説明、お引き取り願う。
 
 ぐったり疲れて、アベノへ。駅構内のコンビニで初めて菊正ピンという紙パック(180oリットル)の酒を買う。ストローで飲むのも初めて。妙に酔ってくる。
 
 それで急行でなく準急に乗る。天美あたりで急ヴレーキ「踏切で人が立ち往生しているようです」やがて「置き石がありました。調査しています」そして「対向電車が人身事故を起こしました。しばらくお待ち下さい」
 
 おそらく自殺?踏切でうずくまったのでしょうか?約5分の停車。事故現場を通過しましたが、よく見えませんでした。そしてまた急ブレーキ。今度は「踏切の直前横断がありました・・・」
 
 年度末と事故と関係あるのでしょうか?
 
 府立F高校教頭の大麻吸引事件も気になります。
 
 帰宅して、友人の淡路土産の「都美人」をいただく。おいしい。
 
 オリックスVS日本ハムの9回表裏の息詰まる攻防に間に合う。3打席凡退でも4打席目の逆転3ランでヒーローに。
 
最近気になった言葉
 
「メメント・モリ」 死を想え というラテン語。天災、病気、老い、テロ、自殺、虐待死・・・。
 
最近読んだ作品
 
「幸せになる百通りの方法」 萩原 浩
 
地味な営業マン英夫。人生は11勝10敗とこころに刻んで、合コンもスマートにこなし、無難に生きているいわゆる草食系。彼を変えたのは。ストリートミュージシャンのちふゆ。
 
 彼女に押し切られて恋に陥る?ふたり。これでいいのでしょう。踏み切ることが大事。
 

2010年3月30日
 
「 いつの世も 涙と笑顔が 似合う春 」 新聞川柳より
 
 出会いと別れ。でも、平和なればこそです。
 
 週末と代休の月曜を利用して夜行のフェリーで帰省してきました。冷え込んだ朝の東予港。石鎚山は冠雪で真っ白。入院している母の見舞いと、父の今後の問題への対応。母は今治の病院に転院して、賑やかな環境で元気を取り戻していました。ただ、足がまだ衰えているので、車椅子の生活です。当面のリハビリが進むまで、退院は難しいだろうと思います。
 
 こちらもめっきり足が弱った一人暮らし(隣に弟がいてくれますが)父は、今まで取り合わなかったヘルパーさんの世話を受け入れる気になり、弟夫婦を交えてその相談もしました。デイサービスにも行ってみようか、などと言い出して、その前向きの姿勢がうれしい。家の前の畑と、読書だけではやはり世間が狭くなってしまいます。
 
 両親の卒寿の祝いの準備もぼちぼちしているのですが、とにかく母の快復待ちというのが現状です。
 
 わずか3日のあいだにサクラが咲きました。
 
「 世の中は 三日見ぬ間に 桜かな 」
 
 中の句の「に」か「の」で意味が変わってきますが、私は「に」派。この方が俳句です。
 
 実家の庭の早咲きの明正寺桜はもうほとんど散っていましたが、隣村の禅寺の樹齢500年の「金龍桜(こんりゅうざくら)」が満開を迎え、夜桜コンサートが開かれていました。
 
 あちこちの枝垂れ桜も満開。29日の寒い中で山桜が開いて、深山の美しい幾本かを味わって、夜のフェリーに乗りました。「如月の望月」の照る海を眺めつつ帰阪。
 
 南港からそのまま出勤。転勤してゆく同僚で、今日が最後の出勤という2名と別れを惜しむ。切ない。新年度に向けて準備しつつ、平行して退学手続きも・・・。
 
ゆく人
 
しばたはつみさん
 
 「マイ・ラグジュアリー・ナイト」などのヒット曲で知られる歌手のしばたはつみ(本名細合はつみ=ほそあい・はつみ)さんが27日午前6時頃、急性心筋梗塞(こうそく)のため静岡県伊東市の自宅で死去した。57歳。東京都出身。浴室で亡くなっているのを同居中の父が発見。昨年末に乳がんの全摘出手術を受け、歌手復帰を目指し始めた中での悲劇だった。

 しばたさんの夫で所属事務所社長の細合正吾さんによると、はつみさんは昨年12月に右胸に乳がんが見つかり、摘出。2月に退院して今月19日から予防のための抗がん剤治療を受けていたが、副作用で血圧が上がり眠れないことが多かったという。寝付けない時は自宅に引いていた温泉に細合さんと一緒に入る習慣があったが、あいにく26日は細合さんが仕事のため外出。はつみさんは1人で入浴、翌27日朝、父親が湯船の中の変わり果てた姿を発見した。

 はつみさんは9歳で米軍キャンプの将校クラブで歌い始め、11歳で「スマイリー小原とスカイライナーズ」の専属歌手になった。74年に「合鍵」でレコードデビュー。77年「マイ・ラグジュアリー・ナイト」がヒットし、同年、NHK紅白歌合戦に出場。「OH!モーレツ」(丸善石油)や「レナウン娘」(レナウン)など多くのCMソングを歌った。

 13年前に母親を亡くし、うつ病と更年期障害を患った。以降は東京・銀座のライブハウスで毎月1回ほどコンサートを開いたが、約7年前に歌手活動を休止。細合さんは「うつ病もここ2年ぐらいはだいぶ良くなっていた」といい、歌手復帰を目指して今月1日から自宅の敷地内に録音スタジオの建設を始めていた。

 細合さんとは28年間、公私にわたる良きパートナーとして過ごし昨年7月7日に婚姻届を提出。細合さんは「妻は“もうみんな私のこと忘れているよね?”とよく言っていた。こんなに取材の連絡がかかってきて、本人も喜んでいると思う」と話した。
 
 「サウンドインS」という深夜のおしゃれな音楽番組で親しみました。伊東ゆかりさんもこの番組で華やかに変身。女性歌手の豪華なドレスが楽しめる番組でした。なつかしい。でも、57才は若いですね。
 
大森実(おおもり・みのる)さん

【ロサンゼルス】ベトナム戦争を取材し、日本の戦場特派員の草分けとされる元毎日新聞特派員でジャーナリストの大森実(おおもり・みのる)さんが25日(日本時間26日)、米カリフォルニア州ミッションビエホの病院で肺炎のため死去した。88歳だった。

 毎日新聞ワシントン支局長、外信部長などを歴任。1960年度のボーン国際記者賞(現・ボーン・上田記念国際記者賞)、連載企画「泥と炎のインドシナ」で65年の新聞協会賞を受けた。退社後は米国を拠点に執筆活動を続け、カリフォルニア大アーバイン校の教授も務めた。

 大森さん、なんかかっこよかったなあ。幼いこころに単純に憧れたジャーナリストでした。現実は戦場特派員の草分けとしての過酷な戦いがあったのでしょうが・・・。



2010年3月25日
 
「 雨細く からたち咲きぬ 昨日より 」 嵐 風三楼
 
 「からたち日記」なんて歌がありましたね。島倉千代子さんでした。細く高いきれいな声でした。
 
 年度末の慌ただしさ。打ち上げ会や送別会、定年祝い・・・賑やかさの中に淋しさがあり、飲んで帰っても、なにかもの足りなくて、家で更に飲んだりしてしまいます(苦笑)。
 
 新年度まであと一週間。指導要録もし上がり、申し送り事項も記入、机の整理も終わったのに、まだ肝心の担当生徒の去就が定まりません。
 
 やはり授業料のからみが大きいのです。引っ越ししたまま連絡が取れなくなった家、なんとか連絡がついて、「すみません。忘れていました。新住所など折り返し連絡します」とあったきり、そのままなしのつぶて。一度繋がったケイタイにも何度かけても応答なし。なんや、毎日空しい不通の電話してストーカーの気分です。授業料の催促を警戒してはるのでしょうか。
 
 転学したいから溜まった授業料は分割で払いたい、その相談に行く、と言ってきた生徒は、約束の当日に来ない。連絡してもこちらも不通。年度を越しそう。
 
 先月退学届けと持ってくると言いながら、もう25日。こちらも電話しても不通。31日までに来て欲しい。でないと、4月に入ると、授業料はともかく(来年度から無料化)諸費が新たに発生します。
 
 あと数件あるのですが、不安を抱えたまま、明日の夜から週末帰省します。
 
 京都の甥のところに生まれた曾孫の顔を見に来た父を送りがてら、母の見舞いがイチバンの目的。2月の同窓会で巡り会った旧友にも会いたい。早咲きの実家の庭の明正寺桜は満開らしい。桃の花も楽しみです。
 
 最近読んだ作品
 
「ほかならぬ人へ」 白石 一文(かずふみ)
 
 なにげなく開いて読み始め、引き込まれて終盤まで。慌てて冒頭に還って読み通してしまいました、私にしてはめずらしく一回半読んだわけです。
 
 名家の生まれだが、その中では落ちこぼれ?微妙なコンプレックスを持つ主人公、宇津木昭生の数年間を描く。キャバクラで知り合って、親の反対を押し切って結婚した美しい「なずな」と結局別れ、職場の、仕事は出来るが美しくない先輩「東海さん」と結ばれ、死別するまでが淡々と、しかし、濃く描かれる。
 
 展開はワンパターンそのものなのに、とにかく読ませる。よく出来たラブストーリーです。これは作者の筆力でしょう。格差社会もさりげなくきちんと描いて、作品に陰影を添えています。
 
 今年1月発表された、第142回直木賞受賞作。作者は白石一郎さんの息子さんです。51才。
 

2010年3月22日
 
「 どやどやと 遍路入り来る 湯船かな 」 中本 真人
 
 「遍路」は1年中行われていますが、春の季語。88カ所巡りには菜の花が似合います。一日歩いて埃にまみれて、でも、まだ元気が残っていて、湯上がりにビールも待っているのでしょう。ちょっと不作法だけれど、元気な団体さんが浮かびます。
 
 でも、遍路はひとりで行きたいなあ。
 
 対照的な句は、作者は忘れましたが
 
 「道の辺に阿波の遍路の墓あはれ」
 
昨日気になったニュース
 
神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、殺害された山下彩花(あやか)ちゃん(当時10歳)の遺族に、当時14歳だった加害男性(27)から謝罪の手紙が届いた。

 23日の命日に合わせた手紙は4年連続。彩花ちゃんの母、京子さん(54)は「私たちの苦しみも想像しようとしていると感じた」と話している。

 京子さんらによると、手紙は18日夜、神戸市内で男性の両親らから手渡された。便せん4枚に小さく丁寧な字でびっしりと横書きされていた。これまでは差出人名がなく、封も開いていたが、今年は初めて封筒に男性の名が記され、封もしてあった。

 文面は謝罪の言葉で始まり、男性が人の優しさなどに触れながら暮らしていることが垣間見られたという。

 京子さんは「他者の存在によって自分を見つめられている」と感想を述べた。毎年、手紙が届いたことを公表してきたが、男性が本心を書けなくなる可能性もあるとし、今後は公表を控える意向も示した。

 男性は2005年に医療少年院を本退院し、社会復帰している。
 
 どこでどう暮らしているのだろう。あれだけのことをして、心理治療が効果を上げて?社会復帰出来ているのでしょうか?今後はまた消息も掴めなくなる。 確かに賢い人だから、社会の中に同化して生きて行けるのかもしれない。そっとしてあげたい気もする。でも、あの行為や手記で見せた心の闇がもう消え去っただろうとは思えない不安も我々のこころに残っているのです。
 
女優・小川眞由美(70)が、得度し尼僧になっていたことが20日、わかった。都内で行われた文学座付属演劇研究所開設50周年大同窓会で、あいさつに立った戌井市郎文学座代表が、欠席した小川が寄せた手紙を紹介。その中に「得度し尼になりました」と綴(つづ)られていた。ただ女優業に関しては「開店中」と、2足のわらじを履き活動すると思われる。突然の報告に同研究所の同期で女優の樹木希林(67)らから「ビックリした」と驚きの声が上がっていた。(デイリースポーツ)
 
 あの女優さんがもう70才かというのがまず驚き。美しくて、演技もうまくて、人気が出過ぎて、テレビなどで売れ、却って舞台から遠ざかってしまいました。さぞ、きれいな尼さんでしょう。
 
日展に行ってきました。報告はまた改めて。

2010年3月21日
 
「 毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは 」 正岡子規
 
 お母さんの八重さんとの日常会話が、そのまま俳句になったのだ!
 
 いろいろもの思う年度末。今は年末より年度末のほうが、「区切り」という感じが強いですね。
休日出勤して講師探しをしてくれてはる方々には申し訳ないけれど、のんびりブランチ。歯医者の定期検診、眼鏡屋、図書館、テニス,友人の快気祝いパーティ・・・。
 
 今週は姉夫婦が帰省してくれています。高速道路は行楽と事故渋滞ですごい時間がかかったようです。来週は私が帰省します。こちらはフェリーで。
 
 霞かと思ったらすごい黄砂、嵐もすさまじく、家に籠もって半日、正月に録っておいたビデオをぼんやり眺めていて、「君が代は・・・」というフレーズが流れてきました。気になって座り直して音量を上げると、箏曲「松竹梅」の一節とわかる
 
 君が代は 濁らで絶えぬ 御溝(かわ)水
 みすみけらし 国民(くにたみ)も
 げに 豊かなる 四つの海
 
 「君が代」にもいろいろあったことを忘れていました。「君」の意味も。夕方、黄砂が去って、澄んだ空が戻り、きれいな夕陽が望めました。
 
 吉田誠一さんのエッセイから
 
 日本では子供がサッカーをしよつとなると、パスをし合う。イングランドではボールの奪い合いを始める。町のクラブに入るときは、保険への加入はもちろん、怪我をしてもクラブを訴えないという誓約書を書かされる。
 日本は練習で深いタックルをすると、危ないじゃないかと非難される。運動会の騎馬戦や棒倒しも危険だからと外されてきた過保護な国だ・・・。
 
 確かにそうかもしれない。狩猟民族と農耕民族の違いもあるのかも。島国という点も。でも、私たちが子供の時は、子供ふたり揃うと「相撲」を始めていました。ケンカ祭りも多い。決して、闘争心が乏しいとも思えないけれど、「おとなしくなった」というならば、それは戦後の教育の成果?なのでしょうか・・・。
 
 最近読んだ作品
 
「標本箱」 皆川 博子
 
 心を病んだ叔母の行李から見つかった鉱石の標本。それは数奇な運命を辿った叔母の人生の象徴だった。戦後の田舎町の旧家に育ち、そこに嵌りきらない感性を呼び覚ませてきまったのは、東京からきた不思議な中年男だった。
 
 姪の目から描いて、ポイントの事件はほとんど描かれず、想像するしかない凝った(手を抜いた)構成。最後に唐突に現れる亡霊は不気味。
 
 不思議な雰囲気を持って、妙にこころに引っ掛かるミステリー?でした。
 
「鬼子母神ランダウン」 石田 衣良
 
池袋ウエストゲートパークの最新作は今流行のサイクル通勤がテーマ。いつもながらに時代を捉える目は確かでシャープ。
 
 通勤途上の自転車に引っかけられて怪我をして、サッカー選手としての未来を失った弟の仇を取ろうと、逃げた犯人を追う姉と、それに関わることになる主人公「マコト」と池袋のキング・崇のやりとりが楽しい。
 

2010年3月19日
 
「 突然死 望むところと 盛り上がり 名乗らず旅の居酒屋に酌む 」
 
 新聞歌壇から 舞鶴市 吉富さん
 
 二度と訪れることもない旅先の居酒屋だからこそ、気楽に、本音で、誇張して、言いたいことを言えることもあります。
 
 年度末の人事異動先が発表。いよいよ新年度、別れと出会いの時がリアルに迫ってきました。切なさと慌ただしさと・・・。そして来年度の講師探しが本格化。この連休がヤマになります。長年この世界にいるので、あれこれ問い合わせが夜までありました。講師の方々にとってもこの時期は落ち着かない季節です。
 
 最近読んだ作品
 
「紅だすき」 山本一力
 
 嫁ぐ娘とその父親の微妙な感情の交叉。もう語り尽くされたような題材ですが、やはり作家にとっては挑戦したいものなのでしょうか。江戸は天保14年、大工の棟梁の傳次郎と娘のおすみは二人暮らし。おすみに良い縁が決まってから、傳次郎は急におすみに冷たくなる・・・。
 
 親子が「火影橋」と名付けた五ノ橋での最後の和解のシーンまで、すべて予定調和の世界。江戸情緒をからめて泣かせる作りですが、ちょっとあざとくて、私はちょっと醒めて読みました。
 
行く人
 
村田良平さん 
 
 元外務事務次官で駐米大使を務め、退官後、米軍の核兵器持ち込みを巡る密約の存在を認める証言をした村田良平(むらた・りょうへい)さんが18日午後2時5分、京都市内の自宅で亡くなった。80歳。葬儀は京都市内で親族だけで営まれる。

 村田さんは1960年の日米安全保障条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港などを日本政府が認めた「核持ち込み密約」について、前任次官から文書で「引き継ぎ」を受けていたことを昨年6月、毎日新聞に証言した。
 
 肺癌だったそうです。秘密を墓場まで持って行く人、最後に言い残して行く人、それぞれさまざま。言うべきことの内容にもよりますね。

2010年3月18日

「 やはらかに 人分けゆくや 勝相撲 」
 
 作者は忘れました。
 
 春場所。家の近所のパチンコ屋さんの前でも、近鉄電車でも「お相撲とりさん」をよく見かけます。羽曳野には八角部屋の宿舎があるのです。
 
 年度末。生徒の進退問題にこころ悩ます毎日です。昨日は第四期分(年間四回に分けて集めています)授業料入金が確認出来て、退学手続き1名。
 
 休肝日を設けると、リバウンドが来ます。先日は帰宅中、なぜか急に日本酒、それも「菊正宗」が飲みたくなってスーパーに飛び込んで900oリットルパックを買い、帰ってから一気に呑んでしまいました。反省。いや、それに味をしめて、酒は日本酒にシフトチェンジ(もともと日本酒派)。18日は帰りに酒屋に寄る。最近の大宣伝はちょっとどうかなと思うけれど、やはり気になって、「梵(ぼん)ときしらず」を買ってしまう。福井の酒ですが、私好みの「熟成酒」。コクのある辛口で、ひやもぬる燗もいける。ちょっとインパクトが強すぎるけれど、確かにおいしいことはおいしい。偶に呑もうと思います。で、4合呑んでしまって、早めに休む。
 
 午前3時。喉が渇いて目覚める。枕元のラジオをつけたら「ラジオ深夜便」で、どこかで聴いたことがある歌が流れて来ました。
 
 思わず聴き入ってしまいました。うまい。それより驚いたことは、自分が一緒に全部歌えること!この歌は何!?
 
 江利チエミさんの「旅立つ朝(あした)」でした。
 
 結局、起きあがって、パソコンを立ち上げて調べて見ましたら、ファンが開いてはるHPにゆきあたりました。勝手に引用させていただきます。

 EP「旅立つ朝/明日に生きる女」は、20周年記念曲...といった意味合いもあったロスでの録音のものです。
プロデューサー:Art Whiting.JR.(米キャピトル契約のプロデユーサー)
ヴォーカルトレイナー:あの Carl Johnes(当時はフィフス・ディメンションのアレンジャーをされていたとあります。)
編曲者:Jimmie Haskell
ドラム:Hal Blaine
伴奏:ロス・アンゼルス・ポップス

 旅立つ朝(あした)は、夜のヒットスタジオ...等の音楽番組にも精力的に出演しましたし、そこそこのヒットもしたためにチエミファン以外にもご存知の方が多いと思います。

 ♪この世にはピンク色のお休みの日があるものさ---
   そよ風が心に吹く 素敵な朝がきっとくる----

しかし...B面もなかなか良い!のです。
B面の「明日に・・・」の歌詞が凄いのです。
そこで、(ご存知の方には僭越ですが)歌詞をご紹介させていただきます。

 朝の汽車降りたのよ ただひとり 私
 小さいけど この町で 暮らしたいの
 荷物ならカバンだけ 中身などないわ
 過去を捨てた 私ならば 何もないの

 一から始めてみたいの やり直したいのよ
 小さな町で 私は生きるのよ

 この胸にまだ残る あの人の影も
 時がたてば いつか きっと消えてゆくわ

 いつか誰かを愛して ふたりは結ばれ
 私はここで 初めて生まれるの

 ありふれた しあわせな 人生がほしい
 過ぎた夢は いつか 時が消してゆくわ

昭和42年声帯を壊し、45年火災で自宅を全焼...
そして46年は長兄の死、そして離婚、義姉の事件の発覚... 壮絶な運命が待ち受けていた... その直前の録音です。

 そうなんだ。いわば全盛期の歌声だったのですね。私も江利チエミさんには特別な思い入れがあります。その明るさと裏返しの悲惨な晩年・・・。高倉健さんと離婚しなければ・・・(これはこっちの思いこみ、でも、夫より親族を選んでしまったことを、ずっと後悔していたらしい)。いろいろあったけれど最後は喝采に包まれて逝った美空ひばりや、雪村いずみ(現役!)とあまりに違ってしまった人生に溜め息。
 
 それにしても、昨日のことも、毎日会う同僚の名前さえも思い出せないことがある60近い自分と、10代(高校生!)で数回聴いた歌を暗誦していた自分との落差にも溜め息です(苦笑)。
 
 「ピンク色の朝が来る」というのは願望で、さわりのフレーズは「この世にはブルーな日があまりに多すぎる」で、この言葉が繰り返されます。今、思えば、このレコードは両面とも、チエミさんの運命を暗示していたようですね。
 
最近気になったニュース

元Jリーガーを不起訴=少女わいせつ「事実なし」−東京地検

 少女への強制わいせつと強盗容疑で逮捕され、釈放されていたサッカーJリーグの茂原岳人元選手(28)について、東京地検は18日、不起訴処分とした。
 地検は「強制わいせつの事実はなく、強盗については嫌疑不十分」としている。少女側は逮捕後、告訴を取り下げていた。
 茂原元選手は東京都渋谷区内の駐車場で昨年12月、少女にわいせつな行為をし、現金数万円入りの財布を奪ったとして2月13日に逮捕されたが、拘置期限前の同19日に釈放されていた。
 茂原元選手の話 全くの冤罪(えんざい)で逮捕されたことは残念でならない。このような誤った捜査が繰り返されないことを強く望む。 
 
 これって、事実ならあんまりな事件です。ひとりの若者の人生をめちゃめちゃにして・・・。
生方副幹事長を解任=小沢氏批判を問題視−民主
 
 民主党の高嶋良充筆頭副幹事長は18日午後、生方幸夫副幹事長を党本部に呼び、執行部批判が目立つとして、副幹事長の職を辞任するよう要求した。生方氏が拒否したため、執行部は同氏を解任し、後任に辻恵衆院議員を決めた。小沢一郎幹事長に批判的な言動を締め付ける動きに党内からは反発が出ており、対立が再び強まりそうだ。
 生方氏は、政策調査会の復活を求めている党内有志の会の中心メンバー。小沢氏の党運営に批判的で、同氏の「政治とカネ」の問題でも説明責任を尽くすべきだと訴えてきた。執行部は、生方氏が一部新聞のインタビューで「今の民主党は権限と財源をどなたか1人が握っている」として、鳩山由紀夫首相に小沢氏を注意するよう求めたことを特に問題視した。
 高嶋氏は「党の幹部が外に向かって執行部批判をするのはおかしい」と非難。生方氏は「党内を何とか良くしようと思っての発言を封じたら、『言論の自由がない』ともっと言われる」と反論し、処分するのであれば党倫理委員会に諮って正式に手続きを踏むよう主張した。 
 内部批判を許さない組織って、硬直、萎縮してゆきます。怖い。まあ、経済政策の責任を取らされて銃殺されるというどこかの国よりましですが・・・。

2010年3月17日

「 方代さんの恋を知ってる南天の朱(あけ)艶やかに年改まる 」
 
新聞歌壇から  川越市 橋本さん
 
年明けの歌ですが、気になっていました。
 
本歌は
 
「 一度だけ 本当の恋がありまして 南天だけが知っております 」 山崎方代
 
確かに一度読んだら、南天のイメージと共に、忘れられない歌です。
 
 昨日の記事に御指摘、ご質問いただきました。ありがとうございました。
 
先日お参りしたのは笠山荒神。そしておいしかった蕎麦は「荒神の里・笠そば」でした。
 
 笠山荒神のたもとにある「荒神の里・笠そば」〒633-0133奈良県桜井市笠4408 。
 地元で栽培したそばの実を使って、挽きたて、打ちたて、湯がきたてのそばを味わうことができる。『荒神そば』は、コシのあるそばにダシをたっぷりかけて、一気にすすろう!大根おろしやシイタケなど、具の多さにも注目。そば湯で締めれば、心もお腹も大満足だ。桜井の隠れそば処『荒神そば』に大満足!
 
 最近読んだ作品 (昨日の続き)
 
「ある男の肖像」 曾野 綾子
 
地震、津波で大きな被害にあったスマトラからバングラデシュに廻る「私」
 
「 そこで私が聞いた感動すべき話は、クウェートから帰国命令を受けて本国に帰る途中のアメリカ軍の少人数の部隊が、帰還の途中バングラデシュにほんの一週間ほど立ち寄って、イオン交換樹脂よって真水を作る装置だけ作って行った、という話であった。一日でも早く祖国に帰って家族を抱きしめ、家庭の味を楽しみたい兵士達が、被災地の真水のために帰還を遅らせたという美談ある。
 
 なにも大部隊や多額の救援金をつぎ込むことはない。清潔な真水さえ作れれば、コレラの死亡者さえ減らすことができる。コレラは日本で発生すれば大騒ぎになるが、東南アジアの僻地では、いつも慢性的に出ている感染症であった、抗生物質も輸液もない時でさえ、コレラ患者を救うには、清潔な真水に砂糖を入れ、それにほんの少し塩を加えた水を飲まし続けることで、下痢による脱水で死ぬことを防ぐことができるという基本的な知識を学んだのもこの時である。だから私は、スマトラの被災地にイオン交換樹脂の設備を送ったらだうかと考えたのであった。 」
 
 でも、結局、この計画は実行されません。現地の人々が望んだのは、そのような装置ではなく、汚れた水を煮沸するための「薬缶(やかん)」だった・・・。
 
 災害救援のありかたを思います。
 
 最近の気になったニュース

けんか祭りの「合戦」廃止=高校生死亡、遺族の意向重視−伊万里トンテントン・佐賀

 「日本三大けんか祭り」の一つとして知られる佐賀県伊万里市の「伊万里トンテントン祭り」で、メーンとなる合戦が廃止されることが決まった。2006年に男子高校生=当時(17)=が担いでいただんじりの下敷きになって死亡する事故があり、遺族の意向を重視した結果だ。祭りを主催する奉賛会の渋田正則会長は「長く続いた合戦をやめるのは大変な決断だったが、遺族の気持ちはよく分かる」としている。
 約550キロのだんじりと約600キロの荒みこしを組んで押し倒す合戦は、勇壮なけんか祭りの象徴。しかし、毎年けが人が絶えず、死亡事故の翌年からは3年連続で中止されていた。
 
 祭りに事故や怪我はつきもの。確かに、亡くなった方・遺族はお気の毒だが、それに配慮して伝統ある行事を廃止するなんて・・・変。

2010年3月16日
 
「 徘徊する母追う妻を我が追う 午前3時の冬の星空 」 
 
 新聞歌壇から 西条市 一原さん
 
 切なく厳しい状況を詠んではるのに、なぜか明るさがある。冬の星座が家族の繋がりを表しているのでしょうか。
 
 先週に卒業式。15日に終業式。今日は公立高校の後期入学選抜試験。我が校は前期入試でもう入学選抜を終えているので、今日は新入生テストと称して、入学予定者を呼んで、基礎学力テスト(これらをもとにクラス編成をします)と書類提出。体操服の受け渡しやらいろいろ。もう遅刻してくる生徒もいる。
 
 採点を終えて、自転車で中学校訪問へ出掛ける。すごい風。これって春一番?生徒を入試に送り出して中学校の先生方も一段落なので、この時期に入学予定者の情報をもらいにゆくのです。もちろん入学予定者本人と保護者の了解を得て上のことですが・・・。
 
 いろんな話をしながら、中学の先生方も大変だなあ、と共感。なんや通い合う思いを抱いて帰ってきました。これらのデータも含めてのクラス、学習グループ編成、担当の同僚は大変です。私は指導要録の仕上げと、不登校の生徒の年度末の去就を確認が大仕事です。はるか昔、「春休み」なんてモノがあって、春スキーに行ったりしたなあとちらっと感慨が胸を過ぎります。
 
 鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたのはショックでした。でも、なんとか立ち直らせられそうと聞いて、それはそれで複雑な思い。
 
 巨木ウォッチャーを自認するわたくしとしては、保護はもちろん大事と思いますが、無理な延命もちょっと待ってと思うのです。
 
 14日の日曜はのどかな春の日射しでした。友人に奈良にすごい大木あるよと誘われて、二つ返事でもうひとりの友人の車で飛び出す。誘ってくれた友人はなんと自転車で大阪から天理の東の福住まで来て待ってくれていました。
 
 山間の小さな集落から谷を登って少し、大きな2本の杉が見えました。樹齢800年の毘沙門杉というのだそうです。奈良側いうと七曲がり峠というのを超えて伊勢に向かう道のほとりにあたるのでしょう。「下の坊」という小さいけれど風情のある寺の山門がこの二本杉なのです。
 
 杉の間に石段が杉に根の勢いで歪んでいる。本堂に向かって右手の杉が特に見事で5メートルくらいの高さから大きな枝を伸ばしそれが龍の胴体のようにうねって捻れて、そして改めて天に向かって伸び直している。杉の直線的なイメージを見事に覆して、しかも、その樹形の美しいこと!もう、一目惚れ。友人に感謝。
 
 杉の傍らに小さな墓地。南側は戦死墓。10基ほどの墓碑銘には中支、ニューギニア、印度・・・昭和16年もあれば、なんと昭和20年8月18日なんてものもある。この小さな村からもたくさん峠を越して戦場に行ったのですね。鶯の声が谷間に響き渡っていました。
 
 坊の本尊は十一面観音さん、年一回の公開が夏にあるとか、是非ゆきたい。
 
 そして、先週の雪で杉の枝が折れたのだと、坊に住む90才の住職を見舞いに来たという息子夫婦?が教えてくれました。
 
 その細い峠道のターンで車が脱輪するアクシデントも村の人の助力で乗りこえ、お約束の温泉へ。
 
 大和高原ヴィラのぬるい露天風呂に30分浸かって大満足。客は我々3人のみ。バスタオルも付いて600円は安い!
 
 更に30分走って大きな荒神さんの裏にある蕎麦屋へ。こんな山の上なのに人がいっぱい。これもおいしかったです。土筆がいっぱい。ここも鶯の声。
 
 奈良は本当に深い!
 
 最近読んだ作品
 
「ある男の肖像」 曾野 綾子
 
 エッセイ風のさりげない作り。海外旅行で出会ったある男の様子にこころ惹かれる作者とおぼしき「私」。2カ所で出会い、見聞きした人物が「ある男」として繋がってゆく面白さ。
 
 それと話が自在に飛んで、現地報告、社会批評に移ってゆくところも面白い。
 
 「地雷を埋めた人もだが、私は地雷を製造して売った国を憎んだ。彼らは武器商人として、自分は安全地帯にいながら人を殺す方途を売って金を儲けたのである。地雷はすべてその形から、原産国がはっきりわかっている。日本はどうしてその悪徳国家に、処理費を公然と請求しないのかも不思議でならなかった」
 
 日本て、ますます、すごいお人好しの国に見えてきます。でも悪徳国家よりまし?でも、お人好しであると同時に悪徳を犯していることもあるかも・・・。
 

2010年3月12日
 
 「国母」とはゆかしき駅名 身延線 桃の花咲く 亡き妻の里
 
 新聞歌壇から 千葉市 田口さん
 
 これもオリンピックの余波?話題の選手の親御さんもそこの出身かもしれません。
 
 なんとか科目登録が終わりました。7時間遅刻してきた生徒、来るなり、やっぱり退学して結婚しますと報告した生徒・・・
 
 最後の生徒は父親が引っ張ってきて、一緒に時間割を作製。最初不機嫌でしたが、2時間後、学校のシステムが初めてわかりましたと、明るい表情で自転車を並べて帰ってゆきました(苦笑)。
 
 偶に見るテレビから
 
NHKスペシャル「権力の懐に飛び込んだ男・100日の記録」
 
 「年越し派遣村」村長、湯浅誠さんが菅直人さんに乞われて内閣府参与になって100日で見切りをつけて辞任するまでを追う。
 
 湯浅さんの提案を聞くには聞くが実行する気などまるでない官僚、地方自治体。出来ない理由が滔々と述べられ、形だけやるふりをして人集めをしようとしない。あきらかに内心で「素人」と馬鹿にしている態度はまるでイジメ。
 
 彼を生かし切れず、フォローもしなかった菅さん、いや民主党、いや政府の責任は重い。
 
ドラマ「火の魚」(NHK広島制作)ー芸術祭大賞受賞作
 
 病気を機に東京の生活を切り上げ瀬戸内の小島に帰ってきて、きままな生活を送る老作家。かつて直木賞を取り、華やかな生活を送った作家も今は人嫌いの孤独な老人にすぎない。
 
 そこに東京から訪れた若い女性編集員。どこか醒めた彼女と偏屈な老作家は最初反発しつつ次第に心を通わせてゆく。
 
 原田芳雄と尾野真千子のほとんど二人芝居。脚本も演技もカメラもすばらしい。最後のセリフ「あー、タバコ吸いてー!」というのが響きます。
 
 ちなみに期待通り、ロケ地は昨夏友人と訪れた、我が町の沖に浮かぶ島、大崎上島、下島でした。
 

2010年3月11日
 
 いろいろ心配していたことがあったのですが、冷たい雨風の中の卒業式、無事終了。喜びよりまずホッとしたというのが実感です。
 
 腹立ったこと
 
 出席すると言ってきていたのに、式をすっぽかした来賓の議員さんとやら2名!(名前も書きたいが我慢します、府会議員と市会議員です)。そもそも、顔と名前を売るための出席なのでしょう。なら、来なくていいけど、来るというならちゃんと来い!席はもちろん、リボンも紅白饅頭も用意していたのです。式の開始は遅れ、開式後も、来賓紹介までには来るかもと、30分以上も体育館前で立って待っていたのは、来賓受付係(私と同僚3人)。もちろん、警備や校門担当の人たちも。式はほとんど見られず、卒業生退場はやっと見送ることができました。
 
 結局、2人の議員は最後まで来ず。忙しくても電話一本くらいできるはず。いつも生徒に言っている説教をこいつらにもしてやらんとあきまへん。無断欠席はあかん!失敗したら事後の対応が大事。まあ、どうせ、秘書や事務方のせいにするんでしょうが・・・。
 
 雨風のせいもありましたが、あらかじめ駐車できませんと連絡しているのに、車で来られて、学校近辺の道路に置かれて(校門付近はカラーコーンを置いて、立ち番の職員が立って駐車遠慮を御願いしています)平然と式に出られる保護者たち。そのため苦情が学校に殺到。そのたびにお詫びと連絡。ちょっとの不便をしのぶということが出来ないのですね。
 
 政治家はじめ、おとながこれでは青少年を育てられません。
 
 式後も来年度の登録指導やら、会議やらで卒業生とのお別れもろくに出来ず、残念でした。
 
 その分、夜の同僚達との打ち上げ(卒業担当グループの慰労会)は和やかに盛り上がりましたが・・・。
 
最近のニュースから
  
JAYWALKのボーカルを覚せい剤所持で逮捕 
路上で覚醒剤を所持していたとして、警視庁麻布署は9日、覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で、ロックバンド「JAYWALK」のボーカル、中村耕一容疑者(59)=東京都練馬区=を逮捕した。同署によると、中村容疑者は容疑を認めている。

 逮捕容疑は9日午前2時20分ごろ、東京都港区西麻布の路上に止めた乗用車内で、微量の覚せい剤を所持していたとしている。

 JAYWALKは昭和56年にデビュー。平成3年発売の代表曲「何も言えなくて…夏」が大ヒットし、同曲で第44回NHK紅白歌合戦にも出場を果たした。

 中村容疑者は平成19年にも乗用車内にアーミーナイフを所持していた疑いで銃刀法違反容疑で書類送検されている。
 
 友人が大ファンなので、チケットを貰って、一度、今は無き(新築中)フェスティバルホールへコンサートを聴きにいったことがあります。唄はいいなあと思いました。残念。ファンを裏切ってはあきまへん。

最近印象に残った言葉から
 
先週の試合を最後に癌治療に専念することを公表していました。いい試合で、しかも勝って・・・
 
塚本泰史選手(大宮)

 「今日の試合は一生忘れられない最高の一日になりました。本当に、両チームとも一生懸命頑張ってくれて、特に大宮のみんなは本当に自分のことを思ってくれているんだなって、気持ちが伝わってきたし、本当に本当に嬉しかったです。サポもすごい熱い声援を送ってくれて、セレッソのサポーターも(大宮とは)関係ないのに最後まで残ってくれて本当に感謝してます。
この前会見を開いてから、たくさんの激励のメッセージを頂いて、また昨日の他会場の試合でも大宮とは関係ないのに声援をおくってくれて募金活動をしてくれて、ほんとに俺ってしあわせだなって思います。
次は、自分が頑張る番だなって。それが皆様への恩返しだなって思います。僕の夢は代表に入るとかワールドカップに出たいとかじゃなくて、ただ単に本当に純粋にサッカーをしたい、ピッチを全力で走って笑いながらみんなとサッカーをしたい。一日も早くこのNACKに戻れるよう頑張ってきます。ありがとうございました」
 
 いい言葉ですね。じっくり治して、還っておいでや。

2010年3月9日
 
「 冴え返り冴え返りつつ 春なかば 」 西山 泊雲
 
 スプリングコートが消え、また冬物を引っ張り出して着てきたのがみんなみえみえ。寒そうに肩をすくめながらなんや共感を覚えつつ、同じ方向に流れ出す出勤時。みんなそれぞれどこへ行くのだろう。
 
 最近のこのHPへのうれしかった反響は、先日触れた映画「マン・オン・ワイヤー」を見ていた人が2人もいたこと。やはり映画ファンの方がかなり読んでくれているのですね。
 
 アカデミー作品賞は「ハート・ロッカー」(軍隊用語で「棺桶」の意味だそうです)でした。アバターの何十分の一かの予算で作られた作品。しかも、監督がアバターのジェームス・キャメロンの元奥さんという、大向こうが泣いて喜ぶ組み合わせでした。監督賞も元奥さん、キャスリン・ビグリーに。初の女性監督の受賞でした。しかもハードな戦争アクションにしてエンタテイメントらしい。すごい。公開が楽しみ。
 
 しかし録画した長い授賞式を見る余裕がありません。毎日の科目登録指導。きちんとこれない。遅刻、無断欠席、最大七時間の遅刻。もう、ほうっておこうかと思うけれど、来年度がかかっている。いちいち説教して個人指導にかかる。その間に事件が起こる・・・。駆けつけて、事情聴取、会議・・・。
 
 そんな中で準備して、明日は卒業式。雨が上がりますように。
 
 最近印象に残った話
 
丸谷才一さんのエッセイから、
 
うるさいおっちゃんだから、原文通りに引きます。
 
テーマは「家元」
 
 さうだ。ここで思ひ出したから、前首相についてのゴシップをひとつ。
昔、銀座のなにがしといふバーのマダムがわたしにかう語った。
 
 昨日、九州の麻生といふ代議士が現れて、自分の祖父は吉田茂だと言った。
「まあ、それでは吉田健一先生の甥に当たる方ですね。すてき!」と言ふと
「吉田健一?あれは馬鹿ですよ」とニベもない。
「どうしてなんですの?」
「このあひだ、祖父の遺産のことで親族会議を開いた時、あいつは、開口一番、遺産なんてものはみんなで集まって飲めばいいんだ、と言った。あれだけの金額を飲めますか。馬鹿ばかしい」
 ここでわたしが大笑ひすると、マダムは
「つまり冗談ってものがちっともわからない田舎代議士なのね。つまらない男」
といふ評価でありました。
 わたしはバーでの放言ひとつでかうまで論断してしまふのも可哀さうな気がしたのだが、しかしその後、マダムの眼光が鋭いことがわかったのは皆様御存じの通り。あれぢやあとても政治の家元とはゆかないね。
 
 はるか昔に銀座では見抜かれていたのですね。それでホテルのバーに鞍替えしたのかな(笑)。
 

2010年3月7日

山の三月 東風吹いて・・・

「どこかで春が」どころでない、あちこちに来ているのに、やはり「春」は足踏を続けています。

いやな事件や現実をせめて今日は忘れて、ゆっくりランニングをしようと思ったのに・・・雨。

 マンションの入り口で車が停まり、その中で若夫婦が泣き叫ぶ幼児を厳しく叱っている。思わず足を停めて、睨み付けてしまいました。しばらく見ていたら、どうも、幼児が前の席に座りたいと駄々をこねていることがわかって、頭を掻きつつその場を離れる。

 まったく幼児虐待事件も後を絶ちません。

 気を取り直して図書館へ。最近は普段本屋で読めないような豪華雑誌「家庭画報」「美しい部屋」などを借りてくるようにしています。眺めているだけで楽しい。

 で、今日はエンタテイメント、それも映画関係に徹した記事にします。明日はアカデミー賞の授賞式です。

 アカデミー賞の前哨戦とも言えるゴールデングローブ賞の授賞式をテレビで半分だけ見る。作品賞ドラマ部門は「アバター」ミュージカル・コメディ部門は「ハングオーバー」。演技賞も下馬評通りの波乱のない顔ぶれでした。テレビシリーズ主演男優賞を受賞したマイケル・C・ホールは投票日が過ぎてから癌を告白していました。同情票を避けたのですね。立派。黒い帽子を被っていましたが、元気そうには見えました。

 楽しみの女優陣のドレスは直前に雨が降って長い裾の人は濡れて気の毒でした。評判がよかったサンドラ・ブロックのボッテガ・ヴェネスタ(知りませんでした)の紫のドレスは美しいけれど個人的にはイマイチ。マリアン・コティアールの深いスリットから黒いレースがのぞくドレスも、美女ダイアン・クルーガーのピンクのドレスも素敵なのに本人に似合っていない感じがしました。ニコール・キッドマンはもちろん美しいけれど、細くて高過ぎ、やはりドレスにはある程度のボリュームがほしい(これってセクハラじゃないですよねー笑)その点、ジェニファー・ガーナーの体にぴっちりしたヴェルサーチの薄紫のドレスのストライプにはスパンコールが縫い込まれて鮮やか。いいいなあと思ったのはクロエ・ゼヴィニー。ラッフルをたっぷり取ったこれも薄紫のヴァレンチノのロングドレス。動くたびにラッフルがふわふわ靡いてきれいでした。

最近見た映画

「マン・オン・ワイヤー」

 解説: 1974年に、今はなきニューヨークのワールド・トレード・センターのツインタワーで綱渡りした伝説の大道芸人、フィリップ・プティの半生を追ったドキュメンタリー。人々を驚きと喜びで沸かせた前代未聞の挑戦を、当時の映像に関係者や彼自身の証言を交えて描き、第81回アカデミー賞ドキュメンタリー長編賞ほか数多くの映画賞を獲得。監督は、『キング 罪の王』のジェームズ・マーシュ。地上500メートル近い高さを命綱なしで渡る彼の姿がスリルと感動を誘う。

あらすじ: 1974年8月7日、フランスのある大道芸人がニューヨークのワールド・トレード・センターのツインタワーを命綱なしで綱渡りしようとしていた。その男フィリップ・プティは世界中の有名な建物を制覇してきた、綱渡りでの逮捕歴500回以上になる伝説の人物。今回の挑戦は仲間たちと6年かけて入念な準備をしてきており、ついに念願の夢に挑むときがくる。

 決行直前に仲間の逃亡もありましたが無事成功。プティは警官に見つかり警告を受けるまでに40分、8回に渡ってふたつのビルを往復。ロープの上に座ったり寝たりもします。犯罪行為ではあり逮捕されますが、この成功で世界的英雄に。そして仲間も恋人も失ってゆく・・・。

 おもしろい作品でした。サティの音楽もよかったです。映画の最後部分での彼の言葉「人生はエッジを歩いてこそ意味がある」。うーむ。ドラマチックだけれど、リスクが大きすぎるよなあ。

「アバター」

説: 『タイタニック』のジェームズ・キャメロン監督が12年ぶりに発表した、最新の映像技術を駆使して作り上げたアドベンチャー大作。ある衛星にやって来た人類と、その星にもともと住む者たちによる激しい戦闘を、迫力の最新3D映像で見せる。出演者は『ターミネーター4』のサム・ワーシントンほか、キャメロン監督とは『エイリアン2』以来久々にタッグを組むことになるシガーニー・ウィーヴァーら実力派が顔をそろえる。構想14年、製作に4年をかけたキャメロン監督による壮大な物語と斬新な映像美に酔いしれる。

あらすじ: 下半身不随になり、車いす生活を送るジェイク(サム・ワーシントン)は、衛星パンドラにやって来る。彼は人間とナヴィ族のハイブリッドであるアバターに変化を遂げ、不自由な体で単身惑星の奥深くに分け入って行く。慣れない土地で野犬に似たクリーチャーに襲われていた彼は、ナヴィ族の王女(ゾーイ・サルダナ)に助けられる。

 もうひとつの体。もうひとつの運命。人間に有害なパンドラの環境で活動できるよう先住民ナヴィと人間のDNAを掛け合わせた肉体“アバター”が造られていた。そしてジェイクに課せられた任務は、そのアバターに意識をリンクさせ、遠隔操縦によりパンドラで生活し、ナヴィ族との交流を図ること。

 超大作なのに、あえて大スターを起用せず(プロデューサー対策でマット・デーモンにオファーするポーズはとったらしいーマットも監督の意を感じて断ったとのこと)、マスコミを使っての大宣伝も控え、あえて口コミに頼り、「観るのではない。そこにいるのだ」というコピーも秀逸でした。

 早くに観た映画通の友人から「ダンス・ウイズ・ウルブス」と「もののけ姫」と「ハリー・ポッター」を合わせたようなものでイマイチだった、という報告を受けて、こりぁ観てみなければと思って、あまり期待しないでいそいそと出掛けました。

 さすが友人の評はウマイ。私はそれに「ポカホンタス」と「インディ・ジョーンズ」、「ロード・オブ・ザ・リング」を加え、シガニー・ウィーバーの撃たれる場面は「ミニバー夫人」の雰囲気というか、過去の作品達へのオマージュを感じました。

 で、私は面白かったです(笑)。3Dは期待ほどでもなかったけれど・・・。これはできればIMAXデジタルシアターで観たかった。109シネマズは大阪では箕面にしかないのです。

 それにしても映像美は流石でした。惑星パンドラの大自然も植物も丁寧で見事な造型でした。

 劣等文化を持つとみなされていた異民族の深さい触れて、共鳴、感情移入して、やがてかつての仲間と闘うはめになる・・・このストーリーをシンプル、平凡と見るのは簡単ですが、それにラブストーリーを絡めて最後の戦闘(パニック)シーンまで2時間42分客をひっぱってゆくテクニックはこれも監督の前作「タイタニック」と同じながら手慣れたものです。

 アイヌの人々の問題もありますが、日本で思う以上に先住民への思いと反省はアメリカ(先日のカナダでのオリンピック、その前のオーストラリアの時でもそうでした)で強く、また環境破壊、地球温暖化の問題、そしてなにより、自然を神格化したことで、キリスト教的世界の否定に繋がりかねない重さを秘めている(現に上映反対運動もあり、ローマ法王庁も映画の内容に反発しているという)ところに映画としても厚みもあるのでしょう。

 私は楽しみましたが、名作かといわれたらちょっと戸惑う。「アバター鬱」(ナヴィの人々のように生きたい、生きれないと悩む)というのもわからないけれど、これは私が自然信仰の伝統を持つ日本人で作品のインパクトが欧米人に比べて弱まっているだろうこともあるのかもしれません。

見て損はありません。かたくなに見ない、と言っている友人には薦めてやろうと思っています(笑)。

さて明日のアカデミー賞ではどうなるでしょう?

2010年3月6日
 
「 小夜深く 大き鬼出でて 斧振り遊ぶ 心荒らかに 我は生きざりき 」
 
 釈超空
 
 自らを縛り、常識的に小さく小さく生きている自分をふと恥じる時。おおらかな古代より伝わる芸能や伝統行事には、われわれの忘れたシンプルな感情の発露があります。
 
 4日間の禁酒の後、木曜は友人と藤井寺の立ち飲みで飲む。すごく酔って、帰宅してあちこちメールの返信したり、嫁ハン、息子としゃべったりしたことも憶えていない(苦笑)。でも、その夜の眠りの深かったこと。軽い宿酔でしたが、精神的にはリラックス。これが酒の深くてややこしいところです。
 
 翌日は同僚の家で仲間10人と飲み会。こちらは「御前酒」を持ち込み、手作りのアテで楽しく飲む。でも、堺だったので帰りと、翌日の仕事を考えてセーブ。
 
 休日出勤で合格者説明会。午前中は外国人枠で入った生徒のヒアリングなど。8カ国語が頭の上を飛び交う。私は中国から昨年来日した生徒を担当。わずか半年でかなり日本語をマスターしているその姿勢、目の輝きに感心。語学専門学校でしっかり学んできている。市内で上海料理のコックさんをしてはるお父さんを追ってきたらしい。日本の大学に進みたいと真剣に語る、その顔が眩しい。
 
 その一方で、午後はとろんとした目つきで、話もろくに聞いていない日本人の生徒の対応。もちろん真剣な顔つきもいるけれど、やはり全体的にしまりがない。
 
 それぞれの合格者たち、これからどう変化してゆくのだろう。心配。
 
 朝から晩まで、走り、しゃべり、気を遣い、ちょっと疲れました。今夜は飲まないで休もうと思っていたのに、今日ライブだった嫁ハンがもらってきたのは、99年のシャトーメトリア。もう、我慢できないで、口を切ってしまう。二人同時に「ウマイッ!!」。折角先週から2キロ減量したのに絶対リバウンドです。
 
 最近読んだ本
 
「海の都の物語」 ヴェネツィア共和国の一千年  塩野七生
 
 「神は我々と共にある、という確信は、往々にして、自分たちと同じように考えない者は悪魔と共にある、だから敵である、という狂信につながりやすい。私には、それが物欲をともなわない高貴なものであろうとも、絶対に同意するわけにはいなかい。イスラム教が始め、そしてキリスト教徒に受け継がれた聖戦思想は、それがせめて、十字軍運動としては消滅したのは、大変に結構と思うくらいである」
 
 独断もかいま見えるけれど、この意見には賛成。

2010年3月3日
 
「父母のしきりに恋し雉の声」  芭蕉
 
  雉って親子の情の濃い鳥なのだそうです。託卵して子育てを他人、もとい他鳥にやらせる鳥もいるのに。父が以前、草刈り機で夏草を刈っていて、気づかずに雉の親子を殺してしまったことがあったそうです。迫ってくる刃から親鳥は雛を護って逃げなかったのですね。
 
 朝7時、アベノの巴通りで息子とすれ違う。「おかえり」「行ってらっしゃい」。夜勤明けの息子と、出勤途中の親子の会話です。
 
 夜8時、私が帰宅すると、息子が出掛けてゆく。おなじく「おかえり」「行ってらっしゃい」。
 
 最近読んだ本
 
「海の都の物語」 ヴェネツィア共和国の一千年  塩野七生
 
 菊池寛賞、サントリー学芸賞を受賞した作者渾身の歴史ドキュメント。分厚いものですが、一千年を描くのには足りません。めちゃ、おもしろい。
 
 「財力に優れる大商人の暴走を阻止する」ことに力を注ぐ組織というのが面白い。「中小の商人の保護育成に細心の配慮をする」「大企業の独占が結果的に国全体の経済の硬化に繋がる」それを阻止するのは中小企業の健全な活動・・・これって千年前の話かい?今のどこかの国にもドンピシャあてはまる・・・。
 

2010年3月2日
 
入試の合格発表。校門で2時間、整理や自転車の誘導。
 
入試と違って、もう、髪を染め、タバコを吸い(注意はするけれど、まだ指導はできません)・・・
 
また4月から大変です(苦笑)。
 
最近印象に残った言葉
 
鎌田浩毅さん (京都大学大学院 人間・環境学研究科教授)
発表が1日でも後になれば評価はゼロに

 
英文や難しい古典を読む際に、辞書を引きながら、一語一語丁寧に訳していくと、いつしか根気が続かなくなり、全体で何をいっているか、さっぱりわからないまま時間切れになってしまう。「文系人間」と呼ばれる多くは、このような完璧主義の落とし穴に陥っているのではないだろうか。
 たとえば、文中の「PHILOSOPHY」という単語の意味がわからなかったとしても、前後の文脈や、全体の内容を把握することを優先して、その単語についてはとりあえず飛ばして読む。すると、「PHILOSOPHY」のだいたいの意味がわかってきたり、わからないまでもその意味を知る必要がなくなることが多い。
 これが私の提案する「棚上げ法」である。時間と手間を大幅に省くことができる。そもそも調べものをしていて、30分ほどしてわからないことは、そのあと5時間費やしてもわからないものだ。

 棚上げ法であれば、すぐにはわからないことを後回しにして、できることからどんどん進む。そうしているうちに頭は回りだし、「そうだ、誰それに相談してみよう」「あそこの測定機を借りればよい」などのアイデアがわいてくる。はじめは虫食い状態だった論文や企画書でも、いつのまにか内容が充実していくのだ。
 この「棚上げ法」と併せて実践していただきたいのが「不完全法」である。ビジネスで一番重要なもの、それは計画の完璧な達成ではなく、まずは期限を守ることだ。実は、ノーベル化学賞や物理学賞をとるような論文であっても、当初の計画を完璧に達成して発表されたものは皆無といっていい。
 研究の世界では、100%のデータが揃わなくても、先に論文を発表したほうが勝ちだ。一方で、完璧なクオリティでも、発表が他人より1日でも後になれば、評価はゼロになる。そのため理系の人間は、不完全なデータを活かして、どれほどの成果が上げられるか、クオリティと期限を天秤にかけて作業している。
 おそらく過去のノーベル賞も、計画の達成度は70〜80%程度だったに違いない。研究者が考えるべきは、限られた材料でいかに質の高い論文を完成させるかということだ。私を含め理系の研究者は、常に仕事の質と期限とのバランスを念頭においているのだ。
 多少のアラがあっても、期限までに許容範囲のクオリティで全体を完成させること。どんなときでも、不完全になる“勇気”を持つことが大切なのだ。

「棚上げ法」や「不完全法」を実践することで、わからないことや、未達成なことがあっても、まずは全体の把握と期限内の完成を念頭に、一気に進むことが可能だ。細かいことを気にしないので、これは意外と気楽なものである。
 不完全を許容できない文系の人間が、完璧を求めるあまり陥る「不安」の「底なし沼」にはまることもない。メンタル面においても優れた戦術といえるだろう。時間をうまく活用していくことができるのは、いい加減を「良い加減」で使いこなせる人だ。

 「デキる」人間は休暇の残りで仕事を組み立てる

 もともと活字を読むことが好きな文系の人間は、説明書でも論文でも、活字であれば最初から最後までぜんぶ完璧に読もうとしてしまう。そうしないと本人の気持ちが許さないからだ。
 オンの時間では「知的生産」が最優先されるべきなのに、読書中の文系人間の頭の中は「知的消費」の時間になってしまっている。だが、仕事で成果を出すことを考えるのであれば、まずは必要な部分だけをピックアップして熟読し、あとは飛ばし読みしていく理系方式が一番いい。

 よりわかりやすく理系方式を説明するために推理小説の読み方を例にとってみる。まず最初にページを開くのはあとがき、解説である。著者、作品、画期的なトリックなどがどのような位置付けにあるのかをおおよそ知ることができる。次に、名探偵による解決シーンを読み、犯人と動機、犯行のトリックを知る。
 最後に、前から順に読んでいけば重要なシーンを漏らすことなく、飛ばし読みすることができるのだ。邪道といえば邪道だが、これが読書を消費ではなく、知的生産へとつなげる具体的な手法である。
 実際に、普通に読めば数カ月かかるレヴィ=ストロースの名著『野生の思考』ですら、仕事に必要なことは序章と最終章に収められていると知っていたので、私は1時間ほどで内容を理解することができた。仕事の都合上、概容を把握し、学問上の意味を得ることが目的ならば、前からすべてを読む必要はない。

 とはいえ、私は知的消費としての読書を否定するわけではない。むしろ大いに推奨する。ゆったりと読書をするようなオフの時間こそが、クリエーティブなビジネスには必要だからだ。
 たとえばノーベル医学・生理学賞をとった利根川進教授は、いつも夜通し実験をしていたそうだ。それを見た同僚は「利根川は毎日休みなしに研究を続けて偉い」などと噂をしていた。しかし、何のことはない。彼は夜中に実験をしていたのは確かだが、実際は昼間に人並み以上にたっぷりと眠っていた。ビジネスマンもノーベル賞級の知価の高いビジネスを目指すのであれば、十分な休養を取ることが大切である。

 人間の頭がフル稼働できるのは、極論すれば1日に1時間程度である。日本のトップは進んで休みなく働くが、これでは疲れがたまるほどに頭脳労働が低下していってしまう。
 日本では首相ですら満足な休みが取れないのだから、その点では三等国と呼ばれても仕方がないだろう。諸外国を見習って、1年に2〜3週間のまとまったバカンスが楽しめるような余裕のある国になってほしいと思う。
 皆さんのまわりには、スケジュールで真っ黒に埋まった手帳を自慢するような人間がいるのではないだろうか。しかし、これは「時間管理ができていない」ということを自ら証明しているに等しい。仕事のオフはオンの残りをかき集めて形成するものではない。本当に「デキる」人間は、休暇の残りで、どうやって仕事を組み立てていくかを考えるものだ。

 私は2冊の手帳を持ち歩いている。今年の手帳と去年の手帳を2冊携帯するのだ。去年の手帳も持っていれば、過去のスケジュールを見ながら、重要な案件が入らない時期を予測できる。
 しばしば突発的な案件が入ってしまうこともあるが、そのようなときはどうやってその仕事を脇に寄せるかが勝負。ここであっさり休暇を返上しては、長い休みはいつまでたっても取れない。
 実際、理系の研究者にはまとまった休暇を楽しむ人間が多いものだ。私の知り合いの教授にも、長期間行方をくらませたりする人間がいる。ただし、消えるのはいつも研究に区切りのついたタイミングなので、誰に迷惑がかかるわけでもない。私もそんな研究者の一人で、どんなに忙しくても休暇はきちんと取る。
 幸いなことに私の研究する火山の近くには、必ず温泉がある。仕事を離れ、ゆっくりお湯につかって英気を養っている。


【日常カイゼンのコツ】
point1…わからないところは飛ばして進む
point2…不完全になる勇気を持つ
point3…いい加減を「良い加減」で使いこなす
 
 なるほどと思うところも多々あるけれど、推理小説を飛ばし読みするのはどうかなあ。無駄に見える時間も大事なことだと思う凡人の私です。

いよいよアカデミー賞発表まで1週間です。
「アバター」おもしろかったです。また改めて書きます。
 
[ロサンゼルス 28日 ロイター] スポーツの冬の祭典バンクーバー五輪が17日間の熱戦を終えて28日に閉幕し、メディアの注目は映画界最大のイベント、アカデミー賞に移る。アカデミー賞の前哨戦となる各映画賞では、本命候補2作品が賞レースを争う展開が繰り広げられた。
 最多9部門でノミネートされているのは、イラク戦争を舞台にしたキャスリン・ビグロー監督の「ハート・ロッカー」と、ジェームズ・キャメロン監督のSF大作「アバター」。両作品は、監督同士が元夫婦ということでも話題を呼んでいる。
 今年の作品賞は、ノミネートがこれまでの5作品から10作品に増えてアニメーション映画も候補に入ったが、専門家の間では、「ハート・ロッカー」と「アバター」の一騎打ちとの見方が多い。
 アカデミー賞授賞式は毎年、世界中で多くの人がテレビ中継を視聴する。82回目を迎える今年は3月7日に開催され、司会はコメディ俳優のスティーブ・マーティンと俳優アレック・ボールドウィンが務めることになっている。
 
これも注目のニュース
<木村拓哉>2年ぶり月9ドラマで初の社長役 10年ぶり、本格派ラブストーリー
 アイドルグループ「SMAP」の木村拓哉さんが、フジテレビ月曜日午後9時のドラマ枠「月9」で、「CHANGE」以来2年ぶりに主演することが2日、明らかになった。木村さんは初の社長役を演じ、できる男が女性と出会い、愛に悩み苦しむという恋愛ドラマで、木村さんは00年の「ビューティフルライフ」(TBS)以来10年ぶりのラブストーリーとなる。今春放送予定。

 ドラマは、業界ナンバーワンを目指す企業を設立し、人に厳しく結果を求めている「できる男」だった社長(木村さん)が、女性たちに思いを寄せられ、熱い視線を送られたり、切ない思いを抱かれたり、時には激しい行動に出られたり……とさまざまな愛の形を見せられる。男は、女との出会いによって今まで見せたことのない行動に出る……というラブストーリー。

 後藤博幸プロデューサーは「『恋をしたい』と理屈抜きでそう思っていただけるようなラブストーリーに、そして不況にあえぐ時代だからこそ希望を持てるドラマにしたいと思います。木村さんが演じる主人公の『今までに見たことがない』キャラクター像には注目です。収入も社会的立場も年齢も全く異なる面々が織りなす、先の読めない展開にどうぞご期待ください」と話している。番組のタイトルや共演者は未定。

2010年3月1日
 
「 雨だれは ショパンの調べ 妻と聴く 」
 
 そんな歌がありました。息子は今日から当分変則の夜勤。午後10時から朝まで外回りだそうです。無事を祈るのみ。
 
 今日はショパンの誕生日。今年は生誕200年です。
 
 最近見た映画
 
「つみきのいえ」
 
 2008年アカデミー賞短編アニメ賞を受賞したハートウォーミング作品。CGやVFX多用の現代において、あえて鉛筆タッチを生かした画調で柔らかく仕上げている。監督はテレビやCMなどで活躍している加藤久仁生。わずか約12分の作品ながら、環境問題などを取り入れたストーリーに、深く考えさせられる。
  海面の水位が、どんどんと上昇してしまい、その世界で住むおじいさんは、家を上へ上へと増築していく。そのうちに、以前一緒に住んでいた家族のことを思い出して……。
 
 大海の上に顔を出した小さな家、でもその下には8層の階があるのがかすかに透けて見える。かもめが飛び、船が行き、あちこちに浮かぶ家々・・・一見のどかだが、そらは薄い灰色。
 
 加速写真が飾られているだけの狭い居間だけの家の真ん中にハッチ。それを開いて釣り糸を垂れ、釣れた魚でワインを飲む。ある朝部屋が浸水しているので、レンガを注文、また部屋を継ぎ足してゆく。上の階に引っ越しの際に、愛用のパイプをハッチの空間に落としてしまう・・・。
 
 じいさんは思いついて、潜水服に着替えて一階一階と潜ってゆく・・・そこには写真に写っていたかつての家族の生活の思い出が詰まっていて、その映像が蘇ってくる。妻を見送ったベッド、娘の婚約者を迎えた部屋、そして娘の旅立ち、娘が生まれた部屋、新婚生活を送った一階、外にはふたりが出会った大きな木が・・・あの時もかもめが空を飛んでいた。一階のテーブルに残っていたワイングラスを持ち帰り、じいさんは新しい部屋でふたつのワイングラスに酒を注ぐ・・・。
 
 静かに声低く地球温暖化を訴えて、こころに残ります。
 
土曜日に聴いたショパンで思い出した映画
 
「愛情物語」
 
 不世出と言われた名ピアニスト、エディ・デューチンの伝記物語。音楽家としての華々しい成功だけでなく、愛妻の死、新しい恋人とのほろ苦い恋、そして息子との心の葛藤など、人間として苦悩に満ちた生涯を送った男の感動的な人間ドラマに仕上がっている。
 
 エディには50年代きっての二枚目タイロン・パワー、妻にものすごく美しかったキム・ノバク(今はイケマセン)。妻の死、新しい恋人、息子との確執の中で不治の病に冒される主人公。
 
 友人が弾いてくれた「ノクターン」が主題歌でした(映画で実際に弾いていたのはカーメン・キャバレロ)。土曜日、私の座って聴いていた場所がちょうど映画のラストシーンと同じアングルになり、この曲を病んだ主人公エディが弾いているシーンがだぶってくる。エディの肩を新しい恋人が抱く。画面が指先に迫って、曲をたっぷり聴かせ、もういちどカメラが引くとピアノを弾いているは息子に代わっていて、エディがもう死んだのだとわかる。息子は父の後を継ぐのです。そうして同じく恋人が今度は母として同じポーズで義理の息子の肩を抱いている・・・。
 
 よく出来た音楽映画でした。こういうのを作るのはアメリカ映画、お得意です。



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