Kan-Kan の雑記帳


2010年5月31日
 
 「 世の中に 交じらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我は勝れる 」 良寛
 
 人付き合いをしないわけではないが、読書や筆を取る方がいいというわけですね。子どもと手まりをつくのも、ほんの気休め?本当は孤の世界に居て、書の中に友を求めた人なのかもしれません。
 
 授業をして、飛び出して梅田のホテルでの入試説明会、職場に引き返して、6時から明日の授業のプリント印刷。退勤は8時。まだ、同僚はたくさん残ってはる。家でも、まだ仕事が残っている。明日から、退勤時間の報告と時間外勤務の内容報告が義務づけられます。冷暖房は定時に切られ、残業はするな、そして仕事は持って帰るな、という変な指示。賃金を含む諸費用のカットを見据え、労災に備えても先手を打ってきたのでしょう。
 
 ますます忙しくなり多様化する現場で、私のような鈍くさい教師は、こっそり仕事を持ち帰り、ますます自分のケイタイや自宅からの電話で生徒連絡をしなければならなくなる・・・。
 
 最近読んだ作品
 
「 野槌の墓 」 宮部 みゆき
 
 作者お得意の江戸を舞台のミステリー&ファンタジー。長屋にすむ浪人?源五郎右衛門とその娘、加奈。そして化け猫タマが持ち込んで来た騒動。
 
 幼児虐待をベースに、殺害に使われた槌の悲しみが妖怪となって暴れ出す・・・それが荒唐無稽に終わらず、作者の筆力できちんと読ませます。野槌を葬る墓にはやがて野菊が・・・ちゃんと、心得てはりますなあ。
2010年5月30日
 
「 豆の花 黒人霊歌 口々に 」
 
 新聞俳壇から  アメリカ 大竹さん
 
 小さな豆の花は、天を仰ぎ、風に揺れ、みんなでゴスペルを歌っているように見える。たしかにそうだなあ。
 
 28日の金曜、企業訪問で東大阪へ。近鉄の俊徳道駅(余談ですが、松竹座の歌舞伎で、俊徳丸が主人公の名作、「摂州合邦辻」で若手の尾上菊之助が大役のヒロイン、玉手御前に挑んでいます)からひたすら歩いて、O社へ。
 
 地道に経営を続け、リストラゼロ、定着率も非常にいい会社なのですが・・・2年前に採用してくれた生徒が、半年でいきなり無断欠勤、そのまま連絡も取れず、会社は何度も電話して、手紙も3回、どれにも反応なく、とうとう内容証明付きの文書で解雇した由。まったく申し訳ありませんのひと言を繰り返す。人事担当は本当にいい方で、話ができれば、配置換えとかいろいろ出来たのですが、と残念そう。申し訳なく残念なのはこちらの方。ひたすら頭を下げて、また求人を出していただくよう御願いする。2年前に辞めた本校出身の生徒以来、この会社は求人をどこへも出していないのです。
 
 氷河期の就職戦線。来週も企業訪問が続きます。
 
 すばらしい青空に恵まれた週末でした。2ヶ月ぶりの歯科検診。丁寧に磨いていますね、と若くかわいい先生に褒めてもらってすぐいい気分なる。若いのに患者の扱いがウマイ。友人から市内の評判の巨乳美人歯科医への転院を誘われていますが、真面目な私は、頑なに拒否しています(整骨医は浮気しましたがー苦笑)。
 
 晴れた午後のテニス、そのあと整骨医で調整。全仏オープン観戦で寝不足ですが、体調は良好です。
 やっと冬物のクリーニングも終わり。駅前の店にたくさんの衣類を取りに行く。若い女性の店員さんのテキパキとした動きに感嘆。こういうミスの許されない細かい作業って大変だろうなあ。私にはムリ!
 
 湯沸かしの具合がイマイチでシャワーの湯温が不安定。電話して大阪ガスに来て貰う。若い男性社員、僕は高所恐怖症でこういう高いところ苦手です、と笑いつつ、ポイントを押さえた点検、見積もり。笑顔もいいが質問に応える態度もいい。こういう若い人も育っているのだなあ。日本も捨てたものではありません。買い換えはもうすこし検討。
 
 河竹登志夫さんの文章から。
 
 曽祖父にあたる河竹黙阿弥の名前の由来。明治17年に引退を表明し、新七から黙阿弥に改名するのだが、それは欧米化改良主義者の圧力に屈したのではなく、嵐が過ぎれば「元の木阿弥」になって復活するとの意志が秘められていたのだ。これは死の三ヶ月前に書かれた自筆の手記(それを近年発見したのが登志夫さん)で明らかになった・・・。
 
 そうだったんだ!それにしても、良寛といい、幕末から明治にかけての資料はまだまだ見つかるのですね。
 

2010年5月29日
 
 「 職引いて 吾も砂吐く 浅蜊かな 」  
 
 新聞俳壇から 田原本町 小林さん
 
 自分の身を浅蜊に重ねる、そんな思いの日が私に来るのでしょうか?で、砂を吐いたあとは、誰かに食べられて仕舞うのでしょうか?(笑) 
 
 友人から週刊雑誌をどかっと貰う。その特集の見出しがスゴイ。「鳩山を追放せよ」(週間文春)「鳩山は終わった」(週間現代)「鳩山幼稚園の廃園準備」(週間新潮)・・・。まあ、鬼の首でも取ったような勢いで、書きたい放題。海外での悪評も併せて紹介。それは仕方ないけれど、自分たちの国の代表を貶めることは、即自分たちを貶めることになるという視点が感じられません。自民党から民主党へ鞍替えして、結果的に鳩山さんに舵取りを託したのは、他ならぬ選挙権を持っている日本国民であって、われわれの見る目がなかったということでもあるのです。そこを置いて、首相をボロクソに言っている(もちろん、言われる理由は首相にあり、国民としての怒り、失望、心配は深いけれど)ところにどこか無責任さ、後ろめたさを感じるのです。
 
 阿倍野の古い居酒屋で30年来の友人2人と落ち合う。麻生さんが酷かったから、鳩山さんはもちいとマシかと思ったけど、今度も酷かったね、と溜め息を吐きつつ、生ビールと剣菱のぬる燗で盛り上がる。朝鮮半島の緊張などを考えると、ほんとは日本は今、大変な岐路に立っていて、酒場で政治談義などやっていていいのかとも思います。やはり、まだまだ我々は平和ボケをしているのでしょう。
 
山崎努さんのエッセイ、というより「読書日記」から
 
 「五反田駅はなぜあんなに高いところにあるのか」 (長谷川裕)を紹介してー様々な面白い駅を紹介しているのですが、興味深かったのは、鶴見線、海芝浦駅。電車を降りても構内から出られない。改札口を通ってUターンし、折り返しの便で帰るしかない。この駅は東芝の会社敷地内にあり、社員以外は外に出られないのだ。それなのに客が多いのは、プラットホームが海上に突き出ていて、その風景を楽しみに来ているからだと・・・。旅心をそそられるなあ。
 
 その傍にあった新刊の広告から
 
 「夫の悪夢」藤原美子 惹句に曰く、「藤原正彦夫人の綴る抱腹絶倒の家族の記録」。夫のひとことも添えてあります。曰く「面白い!とてもよく書けている!けしからん部分を除いて」。図書館に注文してみよう。

2010年5月26日
 
「よく見れば おたまじゃくしの 無尽蔵 」
 
 新聞俳壇から さぬき市 野崎さん
 
 そう、ものすごい数のおたまじゃくしたち。成長するのは何割なのでしょう?
 
 朝の通勤電車で横に座った同年輩の女性がずっと居眠りしてはって、その頭が私の右肩にかかる。なんどすかしても同じ。とうとう20分あまりもたれ掛かられ、まだ右肩に違和感が残っています。人の頭って意外に重たい。
 
 昔の戦場で討ち取った首もさぞ重かったことでしょう。男達はそんなん腰に括り付けて、よく闘ったものだなあ。
 
 忙しいという言葉を吐くのも空しい慌ただしい日々。あと200日、持つのだろうか?
 
 最近読んだ作品
 
 「桜宵」 北森 鴻
 
 三軒茶屋の裏路地のビアバーを舞台にしたミステリー。連作短編集の第2弾でしたが、この時まではまだ、嵌っていませんでした。この本をくれた友人が、かんさんにぴったし、と言っていたのですが、なんや、もってまわった、凝りすぎの作品群。なにより、低音部の暗さが気になったのですが、それは次の第3弾で払拭されることになりました。

2010年5月25日
 
 「 録音の亡き調教師の声を聞き 涙ぐむ象に 我も泣けくる 」 
 
 新聞歌壇から  広島県 荒巻さん
 
 動物には豊かな感情がある。ま、それを弄んだり、殺して食べるたりする人間の業は深いのですが・・・。
 
 育ててきた蜜柑の木を切るのもつらいのに、まして家族のように大事に育ててきた牛や家畜を殺さなければならない辛さ。宮崎の農家、お気の毒です。
 
 昨秋のこの欄での予想が当たってしまって?やはり鳩山政権は沖縄基地問題で壊れるようですね。あれだけ、沖縄の人々の心を愚弄して、その反省もきちんと見えない。その人間としての、政治家としての幼さ、言葉の軽さ・・・もう信頼は回復できないところまで来てしまいました。それに気づいてもいないのかなあ。
 
 万博は盛況のようです。週末に上海に出掛けた同僚が、ものすごい人出で2館しか見られなかったとぼやいていました。2年前に行った上海のナイトクルーズの混雑を思い出しました。危険も顧みず?入り口に、出口に殺到するあの群衆のパワー。それは国の勢いと言っていいのかな?かつての日本もたしかにそうでしたが・・・。朝鮮半島に不安が高まる中、中国はどこへゆく。不甲斐ないリーダーを抱く平和ボケの日本はどうなってゆくのでしょう。
 
 サッカーの岡田ジャパン、韓国に完敗。それで思い出した読売の記事。代表発表の日、選ばれた選手の記者会見に1時間遅刻してきた大久保選手。あちこちからお祝いの電話やメールが来たので対応していて送れたのだそうです。私が監督なら、そんなやつ、その場で代表から外すけどなあ。大久保選手、韓国戦ではがんばったという話ですが、日本チームの頼りなさ、南アフリカの政情不安もあって、ワールドカップツアーは盛り上がっていないようです。
 
 つい、足が向いてしまう、大北海道展。並んで食べた旭川、「梅光軒」の塩ラーメンはイマイチでした。期待しすぎたのかなあ。それとも、味噌を注文すべきだったのでしょうか。砂川、「北菓楼」のバームクーヘン「妖精の森」は正解。買って、職場の部会でみんなでいただく。大好評。
 
 先週、木曜に桜川のイタリアン「イル・ポッソ」で痛飲。記憶なし。おいしかったのでつい、度を過ごす。後で20名中、意識不明者が半分という結果を聞いて唖然。みんな疲れているんだ(苦笑)。
 
 金、土と禁酒、謹慎して日曜は嫁ハンのライブで北新地の「ポケット」へ。盛り上がったのですが、日本酒をちょこっと、ビールを一本、あらかじめ仕込んでいったので、店で飲んだワインですっかり酔ってしまって、月曜はまた二日酔いでした。本当に学習しない人間です(苦笑)。

2010年5月22日
 
 「 潮焼けの 父と息子が黙々と 春の日だまりに 網をつくろふ 」
 
  新聞 歌壇より 愛西市 坂元さん
 
 20日、事故死された、保護者(生徒のお父さん)の通夜、告別式はお身内だけで昨夕、今日にかけて行われました。
 
 最近人の顔が気になります。美醜を離れ、新聞や雑誌、テレビで、ああいい顔だなあと思うとしばし見つめてしまいます。
 
この2,3日で気になった顔
 
 京都 六波羅蜜寺 第65世住職 川崎純性さん
 
 西京極、小川珈琲店の広告に出てはるだけで、なまぐさいのに(失礼)、すごくふくよかでいいお顔で写ってはる。お話を聞きたいと思わせる顔。
 
 日弁連会長 宇都宮健児さん
 
 愛媛の貧しい漁村に生まれ、親を楽にさせたい一心で進学するが、一冊の詩集に出会って変わる。それは閉山した炭坑の子供の詩をまとめたもので、「親に泥棒させられるのはいや」という内容にショックを受ける。「立身出世して自分たちだけ楽になるのは卑怯では?」。弁護士になって、多重債務根絶にこだわる。そしてサラ金規制を実現させる・・・。
 「裕福な人は自分でも権利を守れる。社会的経済的弱者は自分の人権を守れない。弱者の味方をするのが弁護士の使命です」強い意志を秘めた柔和な顔つきがいい。
 弁護士にもいろいろいてはります。橋なんとかさんという人も弁護士だったなあ。
 
良寛さん
 
 安田靫彦さん、棟方志功さんの絵、新潟・寺泊(てらどまり)の照明寺(しょうみょうじ)の像、どれも気になります。子供と遊ぶやさしいお坊さんというより、孤高の詩人の影が深い。禅僧、詩人、歌人、書家・・・これまで余りに知らなかったことが多かったのですが、最近気になってきました。近年、書画や書簡のあたらしい発見もあって、その足取りもより明確になってきたそうです。まず、西行を慕って、あの河南町・弘川寺に参ったことを知って、より親しみを感じてしまいました。いろいろ調べてみよう。
 
最近見た舞台(残念ながらNHKのテレビ中継です)
 
「目を見て嘘をつけ 
作・演出:桑原裕子
(初演:2008年5月)
 
ささやかな嘘、罪深い嘘、優しい嘘。
真実を見失い、無自覚に発するまことしなやかな、嘘。
だけどそれはあなたとわたしにとって「ほんとう」に、うそなのか。

【出演者】筒井真理子・成清正紀・若狭勝也・原扶貴子・佐藤滋・高山奈央子
      横山真二・馬場恒行・佐賀野雅和・桑原裕子・水野美穂・熊野善啓
      大塚あかね・高橋里枝・ヨウラマキ・内海賢二

 1996年に結成。2001年より桑原裕子が戯曲を手掛け、年2・3本のペースで公演を行う。『日常と地続きの別世界』をテーマに、日常と非日常の隙間にある瞬間をすくい取り、濃密な人間ドラマを紡ぐ劇場公演と、野外公演や朗読公演など様々なスタイルで行う番外公演を平行して上演し、その多角的な表現が好評を得ている。あえて奇をてらわないウェルメイドな手法にこだわり、見る者を選ばない親しみやすい演技体、緻密なプロットと台詞による戯曲で、日常に「生きづらさ」を感じている様々な人間の感情を濃やかに描き出し、現代人の心を揺さぶりつづける上質な娯楽の創作を目指している。
 
 井上ひさしさん亡き後、ぽっかり開いた大きな穴を埋める新人の出現が期待される演劇界ですが、桑原さんはそのひとり。
 
 地方都市の蕎麦屋。そこの家族と店に集まってくる常連たちが繰り広げる人間ドラマ。狂言廻しは、店を継いだ次男とその若妻、占い師である父、従業員でもある3男。中心になるのは、傷害事件を起こして次男を頼ってきたその親友、そして、東京から法要に帰省して来た、性転換をしようとしているこの店の長男(美女)。
 
 シャープな題名の割に、「うそと本当」のテーマが深め切れなかった恨みがあります。なんせ20人を越す人物が抱えるそれぞれの問題を捌ききれなかった。脚本、欲張りすぎ。演出、後半平板。でも俳優達は熱演。
 
 長男はカミングアウトして胸を張って生きてゆくという予定調和のラスト。「ここしか帰るところがなんいだよ!」というおいしい決めゼリフは、もっと上手に、最後は反転して使ってほしかった。
 
 客席は湧いていましたが、東京の客はやさし過ぎる、と思います。
 

2010年5月21日
 
 「 面倒なことだが孫よ人間はベッドでひとりいとり死ぬのだ 」
 
 今春亡くなられた歌人の竹山広さんの作。25才の時、結核で入院中の長崎で被爆。地獄絵図の中を歩いた人。歌の背景にベッドで死ねなかった多くの人がいます。
 
 霧が立ち込た穏やかな代休の朝、訃報が飛び込んできました。クラスの生徒のお父さんが急死した由。急いで電話。なんと、1昨日起こったひき逃げ事件の被害者らしい。え?君、昨日登校してたやん?あの時は身元がわからなかったのです。昨夕、警察から連絡があって、お母さんが確認に行って・・・。気の毒で言葉もありません。自転車で走っていてトラックにはねられはったらしい。
 
 パソコンで調べたら、ひき逃げ犯は自首してきたらしい。ほんのわずかな救いですが・・・。

2010年5月16日 
 
「 山吹や 酒断ちの日の 続きをり 」 秋元 不死男
 
 歓送迎会でしっかり飲んで二日酔い。今日からまたしばらく?禁酒します。
 
 風も光っているような爽やかな朝、嫁ハンと車でグリーンロードへ。緑の中の、豆科の草花の紫、山吹の黄が美しい。葡萄畑の中の直売店で今年最初のデラウエアの購入。まだ小粒でちょっとすっぱい。道明寺の住宅街の中の蕎麦屋「蕎香」でざるをいただく。
 
 夕刻、晴れ渡った空に、ピンクの飛行機雲が3本。そのあと、細い夕月に小さな星がひとつ。
 
 ピザは左に廻しながら作る・・・?
 
カンヌ映画祭のリポート記事から
 
 映画『アバター』の世界的ヒットで3D映画が続々制作される昨今、ついに世界的アイドル「ムーミン」も3D戦争に参戦することが分かった。フィンランドの映画会社FILM KOMPANIMETが第63回カンヌ国際映画祭で発表したもの。

 タイトルは『ムーミンズ・アンド・ザ・コメット・チェイス』。地球に彗星が向かってくるという事態が起こりムーミン谷も大騒ぎ。どうやってその危機を乗り切るのか? という「ムーミン谷の彗星」を原作にしたアドベンチャー大作だ。主題歌を、大のムーミンファンというアイスランドの歌姫ビョークを歌い、映画『シャッターアイランド』のスウェーデン出身俳優マックス・フォン・シドーがナレーションを務めるなど、北欧初となる3D映画を北欧スターが全面サポートする。

ムーミンはフィンランドの作家トーベ・ヤンソンが1945年に小説で発表し、今年生誕65周年になる。年内世界公開だが、日本での上映はまだ未定。しかし日本ではたびたびドラマや映画化されていて人気が高く、公開が期待されそうだ。(取材・文:中山治美)
 
 ムーミンは大好きだったけれど、なにも3Dにしなくても。ちなみに岸田今日子さんの声が耳に残っていますが、映画版の吹き替えは小泉今日子さんが担当するとのこと。安易な今日子繋がりではないでしょうが・・・(笑)。
 
今日観た映画
 
「 グラン・トリノ 」
 
解説: 『ミリオンダラー・ベイビー』以来、4年ぶりにクリント・イーストウッドが監督・主演を務めた人間ドラマ。朝鮮戦争従軍経験を持つ気難しい主人公が、近所に引っ越してきたアジア系移民一家との交流を通して、自身の偏見に直面し葛藤(かっとう)する姿を描く。イーストウッド演じる主人公と友情を育む少年タオにふんしたビー・ヴァン、彼の姉役のアニー・ハーなどほとんど無名の役者を起用。アメリカに暮らす少数民族を温かなまなざしで見つめた物語が胸を打つ。

あらすじ: 妻に先立たれ、息子たちとも疎遠な元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)は、自動車工の仕事を引退して以来単調な生活を送っていた。そんなある日、愛車グラン・トリノが盗まれそうになったことをきっかけに、アジア系移民の少年タオ(ビー・ヴァン)と知り合う。やがて二人の間に芽生えた友情は、それぞれの人生を大きく変えていく。

 良くできた映画でした。展開はすべて読めるのに、飽きさせない。気の利いた会話にユ−モアをちりばめ、淡々とした日常描写の中に、伏線もきちんと敷かれています。「生と死」「男の生き方」「家族」「移りゆく時代」「勇気」「民族の融和」・・・いろんなテーマをさりげなく提示。最後のシーン、晴れた美しい海岸線をタオの乗ったグラン・トリノが遠ざかってゆく、そして、そのあとエンドタイトルの間も、延々とその海岸通りを写し続ける(音楽もいい)。それは、これから続いてゆくタオ達若者の人生の象徴でもあるかのようです。ほろっときました。

 でも、イーストウッド監督、うますぎ。職人芸といってもいい演出の鮮やかさが、却って大きな感動を邪魔する皮肉。それにしても、今年で御年80才です。すごい。


2010年5月14日
 
「 牡丹散って 打ち重なりぬ 二三片 」 蕪村でしたよね(苦笑)。
 
 有名句でも、俳人名が出てこなくなりました。間違っていれば、遠慮無くご指摘、ご叱責よろしく。
 
 毎年、河内長野、南花台に住む、教え子のおばあちゃんが丹精された牡丹を拝見にゆくのが楽しみだった時期もありました。雨に濡らないよう、風流な日傘を差し掛けておられたけれど、あの花はどうなっているでしょう。今年も咲いているかなあ。おばあちゃん(たしか95,6才になられたか)が入院されて、もう3年になるでしょうか・・・。
 
 その河内長野の西條酒造が先日、発売した「なにわの育(はぐくみ)」を買い損ねました。限定4000本とか。府大の環境科学部と共同開発したらしい。古代米「アサムラサキ」を使っていてピンク色(これはちょっと・・・)をしているらしい。4合瓶、1680円というのもリーズナブル。蔵元にも残っていないやろなあ。
 
 ずっと前に切り抜いていた雑誌の1ページ。筆者がわかりませんが、おいしくて、リーズナブルな(最近この言葉に弱い)すし屋の紹介。
 近鉄沿線で、カウンターのみ。10人でいっぱい。五千円ですべておまかせ。20貫でおなかいっぱい。食べ終わったら「次はいつにしますか?」と訊いてくれるのだが、またの機会は一年以上先らしい。大阪の近鉄沿線らしいけれど、店名もわからない。ひょっとして創作?どなたかご存じありませんか?
 
 最近印象に残った言葉ー教えてくれたMさん、ありがとう。
 
 「型破り」という言葉がありますが、「型」を知っていて「破る」から効果があるのです。「型」を理解しないまま、自己流で無茶をするのは「型なし」という行為。この違いを認識していなければなりません・・・「伝統」には4種類の側面があります。
 「変わる」ものと「変わらない」もの。「変えてはいけないもの」と「変えなければならないもの」があります。時代は動いているのですから、いかに歌舞伎が伝統芸能だといっても、そこにあぐらをかいてはお客さんは離れるだけ。4種類の「伝統」をちゃんと識別して、時に遵守し、時には「型破り」を創案する必要がある・・・。
 
 市川猿之助の言葉から。なるほど!今秋、上本町に出来る「新歌舞伎座」のこけら落としは猿之助一門の公演。彼は監修のみ。いつか舞台に戻れる日がくるのでしょうか。

2010年5月12日
 
「 愛はなお 青くて痛くて 桐の花 」  坪内 稔典
 
 高い木の上に咲く桐の花は、遠くで眺めるのがいいようです。薄い紫だけれど、青い5月の空に吸われるようです。
 
 英国、キャメロン新首相は43才。連立政権のバランスをどう取ってゆくか。日本の連立政権は、もうフラフラというよりバラバラ。末期症状かなあ。
 
行く人
 
島野修(しまの・おさむ)さん( 脳出血、59才 )
 
 プロ野球の巨人、阪急(現オリックス)の元投手で、引退後は球団マスコット役として活躍した島野修(しまの・おさむ)さんが8日、脳出血のため亡くなった。59才。葬儀は近親者のみで済ませた。

 1968年秋にドラフト1位で巨人に指名されて入団。76年に阪急移籍後、78年に引退。プロ通算成績は24試合登板で1勝4敗。

 引退後は阪急の球団職員となり、81年からマスコットの「ブレービー」、オリックスでは「ネッピー」を演じ、活躍。98年まで18年間で本拠地での計1175試合に皆勤し、日本球界でのマスコット演技者の草分けとなった。
 
 同い年。私が大学に入った年に、華々しく巨人に入団しました。8年後に移籍、阪急からオリックスで18年、皆勤、マスコットのぬいぐるみの中で、どんな表情、どんな思いがあったのでしょうか?

2010年5月10日
 
「 見渡して 大和霞の 尽きぬ国 」 
 
新聞俳壇から 橿原市 堀江さん
 
 昨秋の遠足で市立科学館で「はやぶさ」のドキュメント映画を見て以来、ずっと気になっていました。いよいよ帰ってくるのですね。でも、大気圏で燃え尽きる運命が可哀想です。あんな長い距離、時間を孤独な旅を続けてきたのに・・・と、思い入れしてしまいます。上田さんが羽曳野市民というのがなぜか嬉しい。
 
 天文ファンでつくる「日本流星研究会」の上田昌良さん(58)(大阪府羽曳野市)ら2人の「隕石(いんせき)ハンター」が、宇宙航空研究開発機構の要請で、6月13日に小惑星探査機「はやぶさ」が豪州に投下するカプセルの捜索に参加する。

 カプセルには小惑星「イトカワ」の砂が入っているとされ、月以外の天体から砂や石を持ち帰るのは、人類初の試み。上田さんは「太陽系誕生の手がかりとなるプロジェクトで、夢のよう」と意気込んでいる。

 天文少年だった上田さんは高校卒業後、同会に入会。約40年間、流れ星の観測を続けてきた。2003年からは、流れ星の映像を自動録画できるソフトを活用。会のメンバー約30人で宮崎県から青森県までに観測カメラ約100台を設置、光の軌道から隕石の落下地点を割り出す「流星の自動カメラ観測網」を作り上げた。

 昨夏、同機構が開いた「はやぶさカプセル再突入における地上観測研究会」で、上田さんと同会会員の司馬康生さん(48)(兵庫県明石市)が独自の観測網について発表したところ、「高い技術でユニークな試みだ」と評価され、回収班のメンバーに選ばれた。

 2人は豪州の落下想定地域にカメラ数台を取り付け、大気圏との摩擦で生じるカプセルの閃光(せんこう)を手がかりに、落下地点を突き止める。ただ、隕石は大半が大気圏で燃え尽きてしまうため、これまでに独自観測で地上に落ちた可能性があったのは3件だけ。落下地点とみられる山梨市の果樹園や、大津市の延暦寺周辺を探し歩いたが、まだ発見例はない
 
  懇談あと5組。今日の懇談はいきなり親子げんかから。生活態度の乱れを指摘されて、うるさい、黙れ、帰れ、と毒づく息子に哀しい顔で反論する母親。二人きりの母子家庭なのです。たっぷり言わせてから、ええおかあさんやなあ、こんなに心配してくれて、と声を落として、言うと、急に神妙になって・・・
 
 午後7時45分。奨学金申請に備えて、生徒個々の評定平均の算出をしていて、今日はこれくらいにしといてくださいな、今からやったらゲツクに間に合う、とひとりごつと
 
 「ゲツク」ってなんですか?と帰りかけていた同僚ふたりが足を停めて訊く
 
 なに言うてまんの?「ゲツク」やないかいな。今日からキムタクで、あ、キムタク知ってるよね?
 
 知ってます!でも、ゲツクって何ですか?
 
 この二人は職場の無形文化財なのです。これくらい日本の常識だよ、辞書にも載ってるでー(ウソ)、と、一応「月9」を説明してやると、
 
へー、すごい!センセ、若い!流行に乗ってますねー。
 
もー、あんたらに誉められても、ちっとも嬉しないわー!
 
 かような疲れる会話をして、職場脱出、なんとかオンエアに間に合いました。快調なテンポの出だしです。篠原涼子、松田翔太、いい。
 
 最近読んだ作品
 
「御身の名は」 畠中 恵
 
 おなご狸が出没。それは、相談を受けた主人公麻之助と新婚の妻、お寿ずの仲を嫉妬したお寿ずの女友達が仕組んだ罠だった。ハッピーエンドではあるけれど、後味はイマイチ。
 
「江東奇聞」 高橋 義夫
 
 本所に下屋敷を構える肥前平戸六万千七百石、松浦静山を巡る人情話。道場破り、屋敷の下女の哀しい恋を暖かく見守る粋人静山の計らいが泣かせます。
 

2010年5月9日
 
「 ありがとうございましたと繰り返す ベッドの母よ もう言わなくていい 」
 
 新聞歌壇から 江田島 灘尾さん
 
 このような光景は全世界のあちこちで繰り広げられているのでしょう。切ない「母の日」。
 
 入院中の四国お母は今日もリハビリをしているかなあ。
 近くに住む義母には、毎年、ランチかディナーをご馳走しているのですが、今日は朝から晩までペン習字の教室があるというので、「花よりケーキ」を届ける予定。
 
 下の息子はケーキ置いて出勤。上の息子はフィアンセと連名でカーネーションを送って来ました。さて、こいつら「父の日」は憶えているかなあ(苦笑)。ところで父の日って、いつでしたっけ? 
 
 土曜はめずらしくたっぷりテレビを見る。NHKのドキュメント。メキシコ、ユカタ半島の密林の中の無数の小さく深い泉。その澄んだ水にダイバーが潜ると20メートルあまりで泥の層に当たる。そこが底かと思うと、なんと、その泥の層を10メートルほど抜けると、今度はまた澄んだ水の暗闇が続く。それは海水の層なのです。真水と海水の比重の違いからこれが起こるのだ。無数の泉の多くは地下の迷路で繋がり、さらになんと10数キロ東の海、リゾートビーチ近くの海底に繋がってるのです。ぞくぞくするようなその行程・・・。
 しかし、最初に、密林の泉の底の泥の層に突っ込んだダイバーは偉いなあ。泉の底には多くの人骨が眠り、その中に切られた幼児の頭部がある。それはマヤ文明時代の、雨乞いの名残だろうということです。村の存続を掛けて、最も大事なものを泉の神に捧げたのでしょう。
 
 続いて「世界ふしぎ発見」。アメリカグランドサークル。砂岩の造り出す夢のような縞模様の立体造型。それにしても広大な地域を保護するため、インターネットで世界から応募した中から選ばれた数十人が、当日の入り口の抽選でさらに10名に絞られるという見学形式がすごい。マスコミも優遇されない。番組の撮影クルースも3日目に当選したみたいです。その徹底した保護姿勢が今は必要な時代なのでしょう。 
 
 浮気ーここんとこ10年間通って来た整骨委(家から歩いて5分)から、駅前に新しく出来た整骨委(家から1分)に変えてしまいました。新しい方が100円高い(500円)のだけれど、近いし、診察時間も遅くまでだし、たっぷり手揉みしてもらえるので、うしろめたい思いを感じつつ、当面こちらに入れ込みそうです。O先生ごめんね。
 
 生活指導から新しい分掌(進路指導)に移って1ヶ月。忙しさは更に増している(毎日、書類の山、空き時間は、以前求人を貰った会社電話しまくっていますー厳しい就職難の時勢です)のに、気分的にはずっと楽。突発的な事件に備えていたり、生徒との対応、暗く重い内容の会議に明け暮れていた10年間が、ずっと前のことのようです。
 
 それにしても、最後までばたばた忙しい教員生活になるみたい。昔、定年前の先生って、もう老人に見えて、ご隠居みたいな感じで、どっしり、ゆったり構えてはったけどなあ。まさか、自分がその年になって、しかも走り回っているなんて・・・。まあ、私にはこれが性に合っているのでしょうが(苦笑)。
 
 晴れ上がり、日射しのきつい土曜日、日焼け止めをたっぷり塗ってテニスに。4時間のはずが、隣のコートからメンバーが足らないからと誘われ、結局5時間近くプレーしてしまった。もう、フラフラ。帰って、水分補充だと、急いでビールを飲みすぎてメロメロ。折角減った体重もすぐ復活。反省。
 
来る人 
 
小林 愛美 さん
 
 話題の新進ピアニスト。小学生の時は、山口からひとりで飛行機で東京の先生宅まで、月2回レッスンに通っていたという。今は一家で上京、先生のマンションの階下に住んで、エレベーターでレッスンに通っています、とあどけなく笑う14才。私など、年のせいか、親御さんは大変だろうな、とすぐに思ってしまいます。今年、サントリーホールで初リサイタル(もちろんホール最年少記録)を開くそうですが、急がず、ゆっくり大成してね。
 
寺久保 エレナ さん
 
 サックス奏者。ジャス界の新星らしい。ナベサダに見出だされ、いきなりコレをやるぞと譜面を渡され、張り切ってそれを持ってステージに上がると、譜面を取り上げられ投げ捨てられ踏みつけられ、「こんなの見るな!音楽を楽しめ!」と言われて、目からうろこがおちた、と笑う。こいつも大物じゃ。
 
どちらも「題名のない音楽会」からでした。
 
 最近読んだ作品
 
「花の下にて春死なむ」 北森 鴻
 
 平成10年に権威ある日本推理作家協会賞を受賞したことも、この作家も知りませんでした。友人が、ぜひ読んで、と言って、わざわざ本をプレゼントしてくれました。Tちゃん、ありがとう!
 
 路地の奥のビアバー(メニューもおいしそう!これもポイント)のマスター、工藤が立ち寄る客が抱える、あるいは持ち込む問題を解いてゆく。「安楽椅子探偵」のパターンを抑えつつ、世界は広がりを見せます。
 
 連作ですが、表題作は舞台は主に防府。年老いた俳人・片岡草魚(そうぎょ)が、桜の開花の遅れていた4月の始め、小さなアパートの暗い冷たい部屋でひっそりとほとんど餓死状態で死んだ。でも、その窓辺には、草魚が折り取って来ていた桜の小枝が花を開いていた・・・。
 
 草魚と関わりのあったフリーライターが、故郷を捨てて彷徨う俳人の過去と事件を探りつつ、マスター工藤の導きを得て、もうひとつの事件にも辿り着く・・・。
 
 鮮やかな展開です。ビアバー「香菜里屋(かなりや)」の設定も魅力的。でも、事象が重くて、読後感は爽やかではありません。題名はもちろん、西行の歌からです。

2010年5月6日
 
 ハードな日々が始まる。でも、これも最後に繋がる貴重な日々。心を込めて過ごしたいと思いつつ、がんばります。
 
ゆく人
 
北林谷栄さん( 女優、98才、肺炎 )
 
 「日本一のおばあちゃん役者」と定評のあった女優の北林谷栄(きたばやし・たにえ<本名・安藤令子=あんどう・れいこ>)さんが、4月27日午後8時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。98歳。葬儀は近親者のみで済ませた。後日お別れの会を予定。喪主は長男の河原朝生(かわはら・あさお)さん。

 東京・銀座生まれ。山脇高等女学校卒業後、1935年に創作座に入団、戦時中は移動演劇の瑞穂劇団に所属した。50年、滝沢修さん、宇野重吉さんらと劇団民芸を創立し、中心俳優として活躍した。

 瑞穂劇団在籍中に、「左義長(とんど)まつり」で3歳年下の宇野さんの老母を演じて以来、老け役を得意とし、役作りに励んだ。今井正監督の映画「キクとイサム」(59年)では、高齢女性の柔らかな唇の感じを出すために前歯6本を切り落とした。

 63年から演じた舞台「泰山木の木の下で」の神部ハナが当たり役で、72年に紀伊国屋演劇賞を受賞。「タナトロジー」(82年)、「黄落」(97年)でも同賞を受賞した。また、映画でも「キクとイサム」と岡本喜八監督「大誘拐」(91年)で毎日映画コンクール女優主演賞を受賞した。

 「強者が弱者をいたぶることへの強い怒り」を持ち続け、えん罪(えんざい)事件の被告を救済する活動にも積極的に参加した。著作に「蓮以子八〇歳」「九十三齢春秋」など。

 民芸の重鎮、奈良岡朋子さんは「私の初舞台『山脈(やまなみ)』(49年)でご一緒してから思い出はたくさんありますが、今はひとこと、本当に長い間お疲れさまでした、と心から申し上げます」と悼んだ。
 
 映画「大誘拐」怪演、名演でした。舞台「泰山木の木の下で」がすばらしかったです。
 
佐藤 慶さん (俳優、肺炎、81才)
 
 個性派俳優として数多くの名匠の作品に出演する一方、映画「白日夢」での“本番演技”が話題を呼んだ佐藤慶(さとう・けい、本名・佐藤慶之助=さとう・けいのすけ)さんが2日午後4時19分、肺炎のため死去した。81歳。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男、純(じゅん)氏。

 関係者によると、佐藤さんはこの数年、体力を落として体調を崩しやすくなり、寝込むことが多くなったが、昨年は映画「60歳のラブレター」「カイジ 人生逆転ゲーム」に出演。いずれもクセのある脇役で、存在感はゆるぎなかった。

 佐藤さんは福島県会津若松市出身。会津若松市役所に勤務するかたわら劇団を結成したが、無断欠勤して県の演劇大会に出場したことから市役所を辞めて1950年に上京。52年に俳優座養成所の4期生となった。59年に小林正樹監督の「人間の條件/第3・4部」の脱走兵役で映画初出演を果たし、60年の大島渚監督「青春残酷物語」への出演をきっかけに大島監督作品の常連となり、新藤兼人監督の「鬼婆」(64年)では、パナマ国際映画祭最優秀男優賞を受賞した。

 81年公開の映画「白日夢」(武智鉄二監督)では歯医者・ドクトル役で出演。女優、愛染恭子(52)との“本番”がクローズアップされた。「公開後は取材などでこの話題に触れることを嫌がったが、出演したことについては誇りを持っていた」(製作関係者)。事実上のデビュー作だった愛染に佐藤さんは演技をアドバイスして終始、愛染をリード、作品を盛り立て、海外でも高く評価された。

 ホームグラウンドの舞台はもちろん、テレビでもNHK大河ドラマ「太閤記」や「徳川家康」に出演。NET(現テレビ朝日)の「白い巨塔」(67年)では主役の財前五郎役を演じ、存在感のある俳優として晩年まで引く手あまただった。

 99年の映画「金融腐蝕列島[呪縛]」では自殺する銀行頭取役で出演。原田眞人監督は「いつも映画を撮るときは出演してもらいたいと思っていた。演技にゆとりがあって、共演者を笑わせて場を和ませる方。また映画に出てほしかったのに、残念です」と名優の死を惜しんだ。
 
 井上ひさしさんの舞台(たしか「イーハトーブの劇列車」)で、軽妙な演技を堪能させてもらいました。歌って踊って、楽しそうだったなあ。

2010年5月5日
 
「 ほろほろと 山吹散るか 滝の音 」 芭蕉
 
 改めて、切れ字「か」に注目。「や」でも「よ」でもなく、「か」であるところに眼前の光景だけでない想像世界への拡がりがあります。そして「山吹」と「滝」の「き」の韻を繋ぐ「か」の響き。シンプルでいて精緻な句なのですね。
 
 5月3日、その情景をまさに味わってきました。新緑の葛城山。昨年の台風で「櫛羅の滝コース」が大きな被害を受け、急遽、かつての尾根道に手を加えた新登山道(北尾根コース)が開通したというニュースを山好きの友人がキャッチ、月例の温泉ツアーに新緑登山が加わったわけです。
 
 近鉄電車で御所まで。自転車と車で来た友人と合流、登山口へ。新コースは、急ごしらえでやはりやっつけ仕事。雨が降ったら折角作った段差が流れてしまうだろうと思われますし、展望をよくするためと休憩所確保のため、かなり木を切っているのが気になりましたが、新緑が美しい気持ちよいコースでした。咲き残っている山桜、咲き始めた躑躅、道端の可憐なかたくりの花・・・。なにより微妙な色合いの新緑の美しさ!90分で登り、60分で降りる。山頂の躑躅の群生はまだ固い蕾でした。下山の若緑の山肌のあちこちに鮮やかな山吹が色を添えていました。
 
 「かもきみの湯」で汗を流し、あちこち引っ掛かかりつつビールを飲んで心身共に大満足の一日でした。
 
 最近読んだ作品
 
「 私闘なり、敵討ちにあらず 」 佐藤 雅美
 
 関八州廻りの十兵衛の番外の活躍のエピソード。藩主の親族の横暴を、家老達の要請で抑え、藩より追放した忠臣が、その男に逆恨みされて、帰って来た男に題名の言葉で斬り殺され、知らぬ顔を決め込む家老達によって、今度はその家族まで藩を追われることになる。
 たまたま、その忠臣と以前の旅での知り合いだった十兵衛が、その事実を知り、藩に乗り込み。題名の言葉そのままに、仇討ちを果たす。
 溜飲の下がる展開ではありますが、人物が丁寧に描かれているので、腐敗した藩の構造、家老達の風見鶏ぶり、従容として斬られてゆく忠臣の孤独と諦念、家族の悲しみが伝わって余韻を残します。遺児を連れて藩を後にする十兵衛が、峠を越える最後まで追撃に備えて準備をしていたオチが用意されているのもいい。その十兵衛も所詮、体制側の人間ではあるのですが・・・。
 
 ぼちぼち定年後の準備も始めなければ・・・というわけで、連休中に新書を2冊
 
「語学はやりなおせる」 黒田 龍之助
 
 しょっちゅう挫折している語学。来年こそと思いつつ。
 
Love is like measles,all the worse when it comes late in life.
 
measlesは「はしか」。恋ははしかのようなものー人生で遅くやってくるほど始末が悪い
 
 そんな言葉を憶えてゆくのも語学の楽しみかも。
 
で、語学の王道とは何か。
 
「それはもう決まっている。読書である。」なるほど。でも、先は遠いなあ。
 
「世界最高のクラシック」 許 光俊
 
 ニクラウス・アーノンクールについて筆者の筆が冴える。「アンノンクール」と思い込んでいましたが、こう表示されています。カラヤンはクラシックの国際化、産業化を目指したが、アーノンクールはクラシックはヨーロッパのローカル音楽だと宣言する。飛行機嫌いで来日は一回だけ。ヨーロッパ内の限られた町を電車で移動する。
 その誇張した表現には賛否あるが、彼の特長は演奏が「美しくないこと」にあるという。それがなぜこれほど受け入れられるのか?その存在感、訴える力の強さだというのですが・・・。
 
「男、はじめて和服を着る」 早坂 伊織
 
 祖母に縫って貰った大島があるのに、もう四半世紀、袖を通していない。帯も結べないだろう。退職したら改めて和服の生活を見直そう。スーツより割高だけれど、大事に着れば、息子にも譲れるだろう。おしゃれを楽しむパーツも多い。和服で飲みに行ったらモテるかも、立ち飲みはやめて、和服の美人女将のいる店のカウンターでなけりゃ・・・と妄想が脹らむ入門編でした。
 
「ローマ世界の終焉」 ローマ人の物語 15
 
 通勤電車で読み続けて来た長編を、やっとこの連休で読了。
 
 1300年に及ぶ巨大帝国の興亡のドラマもやっと?完結。最後は矢張り愚かな支配者が続くのですね。忠臣や、能ある武将も出てくるのですが、それを活かすリーダー、指導者がいない、活かすどjころかむしろ潰してしまい、敵に利してしまう始末。江戸時代もローマも現代日本も似通っているように思います。

2010年5月2日

「 目つむりていても我を統(す)ぶ五月の鷹 」 寺山 修司
 
 こころの中にはいつも五月の空高く、孤高の鷹が一羽舞う。寺山修司です!
 
 余りに忙しくて、一週間も更新していないことに、今、気づいて改めて驚き。
 
 忙しくてもちゃんと遊んでいます。
 
 休日出勤して溜まった仕事を片づけていた、29日。晴れてきたので悔しくて、無理に片づけて午後3時過ぎから阿波座へ。
 
 初めての街。同僚の会話を耳に挟んで「川口居留地」というのに行ってみようという意識が急にわき起こってきたのです。でも、阿波座近辺で川口という町名を1から3丁目まで下ったけれど、倉庫とマンションの町でした。その代わり旧松島遊郭の一帯に迷い込んで、そのタイムスリップしたような怪しい雰囲気に圧倒され、また、長い商店街を抜けた先の、安治川の川底を抜けるための自転車ごと運ぶ大きなエレベーターと川底の地下通路に驚き。リフレッシュできた数時間でした。
 
 帰宅してインターネットで調べたら、神戸のような居留区の雰囲気は今はもうなくて、わずかにレンガの教会が残っているくらいだそうです。その教会を見たかった。このリベンジはそのうちに。
 
 この連休、四国に帰る余裕はなくて、家の整理と仕事に打ち込みます。京都の姉夫婦が帰ってくれたので一安心。いつも車で帰る姉夫婦も3月の大渋滞に懲りて、今回は新幹線だそうです。
 
今週のいただきもの
 
 その四国から弟が、たくさんの筍と蕨を送ってくれました。家の前の竹林で採れたもの。でも、筍掘りは重労働です。申し訳ないと思いつつ、筍は大好きなので、いくらでも食べてしまいます。
 
 嫁ハンの友人から。須磨?「リッチフィールド」のシフォンケーキ。おいしい。ここのロールケーキも絶品とか。
 
 連休の一日
 
 早朝座禅。寺の花水木と躑躅が美しい。 
 
 余りに好天なので、嫁ハンと午前に二上山へ。近くの道の駅で弁当を買って、麓の万葉公園で昼食。鶯の鳴き声と、大きなヤマナシの木の白い花が満開で風に散っていました。往復1時間半の森林浴でした。
 
 なにより今の山々の新緑の美しさ。石川の畔にはたくさんの家族連れ。川面や堰から落ちる水はキラキラ光ってまさに一年で一番美しい季節です。和歌山「子安地蔵」の藤も見に行きたいけれど、ことしは無理みたい。
 
 新聞によると花野の名所、東のNO1は「あしかがフラワーパーク」の藤らしい。1000平方メートルの藤棚、80メートルの白藤のトンネル・・・見事だろうなあ。4位もすごい。北海道「滝上(たきのうえ)公園」の芝桜、10万平方メートルでヘリコプター遊覧しながら見るんだと!弘前の桜は今が満開。日本は広い!
 
 ちなみに西日本NO1は富山県、砺波チューリップ公園だそうです。500品種、100万本の花。入場料1000円。
 
 数年前に砺波から緊急避難で転校してきた男子生徒がいました。父親のDVを逃れてきたのです。好青年で、がんばって卒業したけれど、進路は?砺波へ帰ります。大丈夫か?はい、もう大人だし、地元の専門学校へ通って就職します。あっちのじいちゃん、ばあちゃんも心配だし・・・。もう、名前も忘れてしまったけれど、元気でやっているかな?チューリップは見たでしょうか?
 
最近読んだ作品
 
「物語り」 中村 吉右衛門
 
 祖父である初代吉右衛門の話。六代目(尾上菊五郎)がよくからかい半分に言っていたそうです。「俺はえらくなって当たり前だが、あいつはどこの馬の骨だかわかんねえのに、俺と対抗しているからえらい」ー言う方も言う方ですが、言われてまたがんばった初代もえらい。菊吉は戦前、戦後の歌舞伎を支え、低迷はあったものの、今の歌舞伎の隆盛の礎を築いた二人です。歌舞伎座が立て替えの為、先日で一旦閉鎖。来月?後輩、子孫たちによる恒例の「団菊祭」が大阪で開かれます。
 
「私の映画遺言」 淀川 長治
 
 かつて「いろはカルタ」と並んで「「活動カルタ」があった。たとえば「ステッキにヒゲのおっさんチャップリン」「パールのびじんにかなう敵なし」・・・パールはパール・ホワイト。もう200年の歴史を持った映画界。生き字引は貴重でした。「ダンス・ウィズ・ウルブス」の原点は「スクオ・マン」(1913年)にあって、スクオは北米インディアンの女性を指し(ただし蔑称)、スクオ・マンとはインディアンを妻とした男性、俗に「卑怯者」の意味で使われた・・・。そんな歴史、初めて知りました。
 



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