Kan-Kan の雑記帳


2010年9月30日

「 かんがふる 一机(いっき)の光 九月尽(くがつじん) 」 森 澄雄

 30日速達が届いて、帰国生徒○さん、茨城にある国立T大学のAO一次合格。来週、面接試験のため、大学に向かいます。面接練習も最後の仕上げで熱が入ります。

 いまひとりの帰国生徒(うちのグループには4人います)は、ここ数週間、家庭内でもめていましたが、とうとう母娘で家を出ました。引っ越しについては社会福祉事務所から補助があったのですが、これからの生活が大変。出願寸前だった4年制大学は急遽取りやめて、短大を目指すことにする。でも、その学資と、そもそも離婚したら滞在ビザがどうなるか、あちこち連絡、相談、問題が山積です。なにより、引っ越しのトラックの後をバイクで追跡していたという元?義父が新居を突き止めて、朝夕うろついているらしい。用心すること、何かあれば警察に連絡することをくどく注意。心配は尽きません。

 NHKETV特集で先日東大の講堂で行われた、ハーバード大学の超人気講座、サンデル教授の白熱教室を見ました。正義を巡る議論ですが、固いものでなく、「イチローの年棒(たしか12億)は高いか?」「東大の入学資格を金で買えるか?」など興味深い、題材を上手に提示、大聴衆に手を挙げさせて、ディベートさせながら論を深めてゆく手際は見事。教室というのには広すぎ、人数も多すぎるのに、発言者をうまくチョイスしてしかも言わせっぱなしではなく、きちんと名前も憶えて、何度も活かしている。本当に「仕込み」はないのだろうか?

 それにしても満場の聴衆、東大生はもちろん、高い倍率の申し込みから参加をゲットした国会議員や大阪の高校教師もいる。同時通訳はついているが、学生を含め放映された中で半分以上の人が英語できちんと意見を述べるーそれに素直に感嘆する私ー日本の若者も捨てたもんじゃない。

 正義とはなにか・・・結論がきちんと出るような問題ではないので、甘い期待を抱くとカタスシスを得られませんが、身近なところから自分で考えなければならない(親兄弟の犯罪に個人として責任はあるのかーそれが民族や国家の戦争責任という問題に繋がってゆく)、ということはきちんと伝わりました。

行く人

池内淳子さん

 ホームドラマのおかみさん役などで親しまれた女優の池内淳子(いけうち・じゅんこ、本名・中沢純子=なかざわ・すみこ)さんが、26日午後4時21分、肺腺がんのため亡くなった。76歳だった。告別式は親族で済ませた。後日、お別れの会を開く。(読売新聞)

 映画界でいろいろあって、追い出されるかたちで移ったテレビの世界でブレイク。やがて舞台にも進出。でも、思い出すのは懐かしいホームドラマ「ただいま11人」。山村聰、荒木道子夫婦に、息子2人・娘7人という大家族構成で、父親の定年問題、娘の結婚や就職・進学問題などをテーマにしたにぎやかなドラマの、夫を失って実家に帰ってきた長女役でした。ドラマでの愛称「おおきいちゃん」は彼女の実生活でのニックネームだったのだそうです。

 人柄のよさそうな、着物の似合う美しい女優さんでした。「デパートガールから女優へ」などと、ことさらシンデレラのように言われましたが、元々日本橋三越の呉服売り場にいてはったんです。「徹子の部屋」に出たとき、黒柳さんがワザと池内さんの着物の裾をちょっと捲って、裏地にあった小さなきれいな刺繍を紹介して、池内さんがめちゃ恥ずかしがっていたのをほほえましく思い出しています。

アーサー・ペンさん

[映画.com ニュース] 「俺たちに明日はない」「小さな巨人」など数々の名作を手がけ、アメリカン・ニューシネマの父と呼ばれた映画監督アーサー・ペンさんが9月28日夜、死去した。88歳の誕生日を迎えた翌日のことだった。ペン監督の友人である会計士がニューヨーク・タイムズ紙に認めたもので、死因など詳細は明らかになっていない。

 ペン監督は「奇跡の人」(1962)、「俺たちに明日はない」(67)、「アリスのレストラン」(69)で3度、アカデミー賞監督賞にノミネートされている。ウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウェイが主演した犯罪映画「俺たちに明日はない」は、アカデミー賞計10部門にノミネートされ、助演女優賞(エステル・パーソンズ)と撮影賞を受賞し、「ゴッドファーザー」「タクシードライバー」などその後の映画に大きな影響を与えた。テレビドラマの監督、舞台の演出家としても活躍し、多くの受賞歴がある。

 鬼才と呼ばれました。テレビ討論に出るケネディ候補にカメラ目線を教えて、大統領への足がかりを作った人物としても有名。名作というより映画界の流れを変えた「俺たちに明日はない」(67ー日本公開は翌年、私は大学一年生、フェイ・ダナウェイにしびれました)。「俺たちに明日はない」の再映画化が企画されキャステングが論議を呼んでいる最中の死でした。


2010年9月28日
 
「 背負われて 楢山行きし おりんかな 背負う人なき 百歳いずこ 」 
 
朝日歌壇から  高槻市 奥本さん
 
 「楢山節行」ー暗い中にもどこか明るさを残した作品でした。山に母を捨てて帰った翌朝、昨夜泣いていた嫁や娘達は母の残した櫛や着物をどことなく嬉しげに身につけている。再映画化されたときのおりん役は坂本スミ子さん。前歯六本抜いての老け役、力演でした。まだご健在のはず。背負った息子役、緒方拳さんはもう鬼籍に入られました。 
 
 自分は粛々と山に向かうことが出来るだろうか・・・。いやその前に見送らなければならない。
 
 就職試験に落ちてきた生徒の手当をしながら、進学の面接練習も。小論文の指導も。明日の秋季卒業式の準備も。そして前期終了に伴う調査書の書き換え、発行。洩れ落ちがないか、大丈夫か、いつも不安に苛まれています。そして、あっという間に十月が迫っています。でも、三月はなかなか来ません(苦笑)。
 
 最近印象に残った言葉
 
読売教育欄のコラム(筆者は平とのみ記載)から
 
 どんな職業にも言えることだが、同じ仕事を長年続けていると、自然に身に付く「得意技」のようなものが必ずある。私の場合だと、質問のため部屋に入ってきた生徒が、何を聞きたいかのか、あらかじめ当てることができる。経験が人を育てるのだ。だが、同時に、それが麻薬のように働いて、マンネリとか惰性という思わぬ落とし穴に落ちることがある。
 教員という仕事は、どんなに技が上達しても、「教えることができる喜びと、教えきれない辛さ」という原点を忘れてはならない。
 
 同感です。
 

2010年9月26日
 
「 名月帰らず 碧海に沈み 白雲愁色 蒼梧に満つ 」
 
 安倍仲麻呂の遭難を聞いた李白の詩の一節。実は仲麻呂は今のベトナムに漂着していたのですが・・・。やがて長安に帰り、この当代、いや唐代、いや歴代第一の詩人にここまで詠われて仲麻呂も望郷の思いを断ち切ったのではないでしょうか。
 
 中国への、菅政権への怒りも一晩寝れば少し収まり(苦笑)、気持ちよく晴れた日曜の朝、近鉄電車急行に乗って奈良に向かう。車窓の二上山の山容が、空が、美しい。彼岸花、百日紅、芙蓉、鶏頭が咲き誇っている。尺土で下りて各駅停車で引き返し、当麻寺で下りて歩いて七分。人気のフルーツパフェ「モンチッチ3」で友人と落ち合う。ボリュームたっぷりのピザトーストモーニングにヨーグルトを付けて千円はお手頃。友人と教育界、政界の愚痴をたっぷり言い合って、「失望はするけれど、絶望はせんとこな」と言う結論で納まる。
 
 帰りは友人の車で、長尾神社を経て、竹内街道、竹内峠東麓の町に寄る。気になっていたのにいつもバイパスで素通りしていました。この町に芭蕉の遺跡、司馬遼太郎さんが幼児期過ごした家(結局標識も無く、解らず仕舞)があると聞いていたのですが、やっと行くことができました。かつての宿場町のイメージを残した町並みと、次々建てられる近代的な邸宅の混在。東に向かって傾斜する坂道の向こうに美しい畝傍山が見えるすばらしい所なのに、折角の風情が刻々と失われてゆく様が如実に感じられてちょっと寂しいものがありました。
 
 芭蕉の遺跡は、もと造り酒屋の空き家を改造したもの。庭にこの地の住んだ弟子の千里(ちり)の句碑がありました。芭蕉は彼を訪ね来て数日滞在したのです。千里の墓も町はずれにあります。これ以上この町並みを壊さず保存して、水車や茶屋を復活することは出来ないのかなあ。
 
 気持ちよい秋の半日散策でした。
 
2010年9月25日
 
「 身をほそめ 飛ぶ帰燕あり 月の空 」  川端 茅舎
 
 1週間振りのテニスコート。先週は暑かったのに今週の涼しさ。先週は見えなくて心配していたコート横の稲田の畔には鮮やかな彼岸花が咲いている。そして空には帰り支度に忙しいらしい燕が2,3羽せわしそうに飛び交っていました。
 
 予想通り、中国は謝罪と賠償要求。これって、問題生徒とモンスターペアレントの行動パターンと全く同じ。自分のやったことを棚に上げ、相手の非を大声で言い募り、相手が辟易して妥協すると、ここぞとばかり土下座(謝罪)せい、金払えと更に迫ってくる。毅然とした態度を取らないと大変なことになります。
 
 沈んでいたところにケイタイで朗報。グループの生徒で就職試験を受けていた生徒が内定通知が来たという。よかった。志望動機がきっちり言えなくて、試験当日朝まで面接練習をしていた生徒でした。
 
 嫁ハンは吹田と京都でライブのダブルヘッダー。今夜は京都の友人宅に外泊。夕方帰宅した下の息子は着替えて彼女のアパートへ行くという。冷蔵庫の食べられるものを急いで保冷剤と一緒に袋に詰め込んで渡す私はまるで母親?(笑)。
 
 最近印象に残った言葉
 
今年初め(まだ移植法が成立していない)、臓器移植のためドイツに渡っていて、手術の前に亡くなった少年
 
「僕は人からもらわんと生きられないから、使えるものはなんでもあげる」
 
少年の臓器は現地で提供され、その親御さんは
 
「誰に遠慮もなく、すくすくと成長してほしい」
 
さりげない言葉だけれど、激しく胸を打ちます。
 
「週刊文春」に27年連載された高橋春男さんの「いわゆるひとつのチョーさん主義」最終回の言葉
 
「1500回もそう遠くないのに、なぜ最終回を迎えることになったかといいますと、普通連載を続けているうちに、絵もうまくなり、ギャアもしゃれたものなるはずだったのに、絵やギャグに自分で満足の行かない回が増えてきてしまい、こりゃ、チョーさん主義者としてこれ以上連載をしたら読者のみなさんに失礼だし、ここらで筆を擱かせてもらうのがよいかなと思った次第ですー中略ー他誌での連載もいくつかあったのですが、無理を言ってすべて辞めさせていただきました。今や日がな一日TVばかりを見ている生活です(笑)。というわけで、余生をのんびりすごそうと思っています。ほんとうに長いことありがとうございました。では!」
 
 高橋さんは私と同年。その決断、よくわかります。でもそれが出来るかどうか・・・。
 
2010年9月24日
 
「 竜胆(りんどう)や 月雲海を のぼり来る 」  水原 秋桜子
 
 赤城山頂で作った句だそうです。眼前の竜胆、眼下の雲海、のぼり来る月の光に竜胆は色を変えてゆく。赤城山には、古いけれど「名月」のイメージもあります。
 
 今年から実施の秋入試。やはりちょっと緊張します。採点が終わって一息。判定会議は月曜に。久々の土日を堪能します。今週末もクラブ付き添いのK高校、Uさん、ごめんね。
 
 まずは掃除から。一気に秋が来たので、この夏、特にお世話になった竹の寝茣蓙を撤去。メダカの水槽も掃除してやらなきゃ。盛夏用の薄いシャツ類はもう仕舞い込んで大丈夫?
 
 尖閣諸島での衝突事件で逮捕された中国人船長の釈放。「超法規措置」が今後に残す大きな問題を思います。外交の難しさ。駆け引きに敗れ、と強圧に屈したらあとは一直線・・・。いい人、いい国だけでは生きてゆけません。
 
 最近印象に残った言葉
 日経新聞「春秋」から
 
就活に走り回りながら、実は働きたくないという若者が増えている。一方で企業インターンへの参加者が増えている。
 
 「生身の人間が働く現場には、喜怒哀楽のすべてが満ちている。家では会社の話を一切しないか。あるいは愚痴を垂れ流すか。勤労は収入を得るための苦悩ではないのに、いつからかわたしたちは仕事を家庭からと遠ざけるようになった・・・。」
 
 確かに、身につまされます。団塊世代の愚痴や溜め息を聞いて育った世代はどうなる?厳しい就職戦線が続きます。
 

2010年9月23日
 
「 十六夜も まだ更科の 郡かな 」 芭蕉
 
 「更科紀行」より。前夜の名月は、月の名所「姥捨山」で眺めたのですが、まだこの更科の地に留まって月を見ているわけです。「まだ更科」は「まだ去らじな」(まだ去らないでおこう)に掛けてあるのでしょう。同行の越人(えつじん)の句からもう一日、更科に居たこと、三晩ともいい天気だったことがわかります。
 
 朝から強い雨風。奈良には竜巻注意報まで出たそうですが、十津川に出掛けている息子は大丈夫かな?
 
  十六夜の月の下の、雨風に洗われた古市の町はやっと初秋の風情。近づく秋祭の高提灯が上がり、あちこちで虫が鳴き、祭囃子が響く(だんじりは6町6台)。南北に巡らされた提灯の列を見られるビューポイントに住んでいる贅沢。ふと思うのですが、この提灯が灯っている間だけでも、街灯を消して、路地で夜店や、屋台を出せばいいいのに。ささやかな町興しにならないかな。「町興し委員会」(数年前からあるのです)に提案してみよう。
 
 昨日のHP、ドリス・デイの名前を書き間違えていました。失礼しました。
 
 最近気になった言葉から
 
藤原正彦さんの自伝より
 
父(新田次郎)からは武士の子孫として武士らしく生きることを徹底的に教えられました。弱い者いじめは身を挺して助けよ。見て見ぬふりをするのは卑怯なのだと・・・
 
母(藤原てい)には、子供を生かすためなら畑で盗んでも、草の根をかじってでも生きてやるという、火のような気迫がありました。代々百姓の娘で生きてきた土着の精神があって、いつも実質的な生き方を提示してくれた。あの母だったからこそ、私たち三人の子は生きて帰ってこれたんだと思う。
 
 対照的な、そして優れた親に育てられた幸せ。でも両親の夫婦げんかは大変だったそうです(笑)。
 
週刊誌の英語諺欄より
 
Rain before seven,fine before eleven
 
「7時前に雨でも、11時前には晴れている」ー解説には「どうして8時や12時でなく、7時と11時なのかわからない」と書いてあったけど、evenの韻を踏むためでしょ?「待てば海路の日和あり」ですね。
 
 今日読んだ本
 
「ドアの向こうに」 黒川 博行
 
 私と同郷、1才上、元高校教師、羽曳野在住、趣味はテニスと伺うと、お会いしたことはないけれど、どうしても親近感を持ってしまいます。これは1989年、初期の傑作中編と言われます。
 
 羽曳野市、古市駅から東に数分、石川に架かる竜王橋(これは臥龍橋のことー今パソコンに向かっている位置から見えます)の工事現場で、頭部は腐敗、脚部はミイラ化したバラバラ死体が発見される・・・。この導入だけで、一気に読まずにはおられません。
 
捜査本部は古市署(これは羽曳野署)に置かれ、おなじみ府警捜査一課の「ブン(文田巡査部長)と総長(総田部長刑事)」コンビが活躍する。
 
密室殺人ありの本格ミステリーと警察小説のうまい混ぜ加減。題名にひとひねりほしかったなあ。

2010年9月22日
 
「 生涯に かかる良夜の いくたびか 」 福田 蓼汀
 
 雨の予報をいい意味で裏切って、6時過ぎ、雲の上に明月が顔を出しました。昨夜の待宵は月の出から堪能できたたし、今年はよい月見ができました。若いときにはあちこち月の名所に繰り出したものですが、今はベランダで酒をいただきつつゆっくりと・・・と書いてきて、あ、昨年は唐招提寺に出掛けたんだっけ?あれ、2年前だったかな?記憶も方針もいいかげんなものです(苦笑)。
 
 一眠りして、午前2時、西空にかたぶいた月も風情あり。雨はまだきません。虫の音と共に保線工事の槌音が響いてきます。この月の下で働いてはるんだ。始発まであと3時間。
 
 NHK「ラジオ深夜便」2時台はもちろん月の歌の特集。ドレス・デイの「ムーン・ベイ」(「月の入り江で」)ビートルズの「ミスター・ムーンライト」など。ついでながら、野尻湖というのは「信濃の尻」というのが語源だとアナウンサーが語っていましたが、「濃」と「野」が気になります。
 
 おそろしい冤罪事件。証拠物を改ざん、厚生労働省のエースだった村木さんを陥れたのはエースと呼ばれた検事との報道。シナリオを書いたのは野心に駆られた一検事なのでしょうか?もっと根が深い気がするのですが・・・。悪に挑むはずの検察官、検察庁。
 
 相撲界も同じく。貴闘力や琴光喜の野球賭博事件(こちらは冤罪ではないらしいけれど)解雇は、いい方はきついけれどトカゲの尻尾切り。名古屋場所で土俵の周囲を暴力団幹部が埋めた件(刑務所へのメッセージ?という思えばちょっとおもろい事件)など、幹部が知らない噛んでいないわけがない。だれでも買えるチケットではないのです。もっときっちり捜査、膿を出しきらないと同じような事件の繰り返しと思います。テレビ中継も復活、相撲協会は白鵬の連勝に浮かれて世論の嵐が吹きすぎるのを待っている感じがありあり。気になります。
 
 就職試験が始まったけれど、厳しい状況。一次試験が残念だった生徒に次の候補を紹介して、早速会社訪問にも連れて行ってもらったのですが・・・。
 
 家庭にトラブルを抱えていた生徒。とうとう週末に母娘で家を出ることに決定。これからの生活が大変。受験どころではなくなりました。発行寸前だった調査書、推薦書は凍結せざるを得ません。発送準備も終わった前期成績通知なども差し止めました。今夜を無事に越しているかも心配。名月を味わうどころではないだろうなあ。
 
 北海道、旭岳に初雪とのニュース。今、雷が鳴りました。いよいよ雨かな。月は雲に隠れています。

2010年9月20日
 
「 暑い夏は お休みなさいと 摘めば又 薔薇新しき蕾上げ来る 」
 
新聞歌壇から 徳島 本庄さん
 
 久しぶりの休日の朝、大阪駅上のホテル・グランヴィアのカフェで姉と待ち合わせ。姉は京都からJRで。近年なぜか、姉が嵌っている俳句の添削を頼まれ、いつもはファックスのやりとりなのですが、大きな句会があるときはこうして会うことになります。
 
 19階のカフェは紅茶が900円。でも、居心地のよい椅子と対応(おかわり自由)で長居してしまう。話の前半は四国の母の問題。入院して7ヶ月経ち足も大分よくなった母が、帰宅したがっているのはわかっているのだけれど、受け入れ態勢が出来ていないので、もう少し我慢してもらうしかないかな、という話で終わる。来年度、姉が講師を辞め、私が退職したらお互いもっと帰省出来るしなあ、それまで待ってくれるやろか。
 
 姉の句は、発想は面白いけれど、表現や文法的におかしいところがあるのでチェック。ふたりでワイワイ言いあって、作りかえ、補作し、それはそれで楽しい作業でした。
 
 義母から貰い受け、3匹から飼い始めた目高が繁殖して数十匹に。餌しかやっていなかったので、久しぶりに臭くなった水を換えてやる。それをきっかけに別の小さい水槽に飼っていた親メダカを子供達が住む大きな水槽に移す。子メダカが余りに小さいウチは親に食べられてしまうのです。もう大丈夫と思ったけど、移した途端、親メダカは暴れ回って子供たちはパニックに。いそぎ餌をやって誤魔化したけれど、無事同居できるかな。
 
 早朝の道路に黒い塊が。轢死した猫をカラスが集まって突いている。こういう死骸は通報があったら市役所が片づけると聞いていたけれど、実はこういう始末のケースがあったんだ。
 同じく早朝の路地の昨夜の酔っぱらいの吐瀉物に鳩がたかってついばんでいる。
 多くのものはこのような形で、食物連鎖はもちろん、バクテリアなど始末屋、掃除屋さんがいていつのまにか姿を変えてゆくのでしょう。その点、人間の作ったプラスチックや鉄屑は、いつまで海を漂い、この地に存在していくのだろう。
 
 嫁ハンと義母を積んで週一の買い物に近所の生協へ。2,3日前に来たように思うけれど、もう一週間経っているのです。店で買ったものをパン売り場横の飲食コーナーで食べられるシステム。買い物袋を脇に、嫁ハン天丼、義母は鮨、私はピザ(290円)を買い、私は紅茶を注文、おかわり自由で180円。ホテルの5分の1の料金。ホテルもいいけど、退職したら普段はこのパターンでゆこうと思っています。
 
最近見た映画
 
「借りぐらしのアリエッティ」
 
 解説: メアリー・ノートンのファンタジー小説「床下の小人たち」を基に、古い家の台所の下に暮らす小人一家の物語が展開するジブリ・アニメ。企画は『崖の上のポニョ』の宮崎駿が担当し、『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』といったジブリ作品にかかわってきた米林宏昌が監督を務める。舞台を1950年代のイギリスから現代の日本に移した設定と、人間の少年との出会いによって翻弄(ほんろう)される小人の少女アリエッティの運命の行方に注目だ。
 
 あらすじ: 古い家の台所の下に住み、暮らしに必要なものはすべて床の上の人間から借りてくる借りぐらしの小人たち。そんな小人一家の14歳、アリエッティは、好奇心と伸びやかな感性を持つ少女。だが、人間に見られないよう、目立たないよう、つつましさと用心深さを求められる毎日を送っていた。
 
「借りぐらしのアリエッティ」動きの中に思想を宿す老練作家と若手職人の絶妙なコラボ
「借りぐらしのアリエッティ」動きの中に思想を宿す老練作家と若手職人の絶妙なコラボ
 ひそやかな世界、つつましやかな暮らし。ケルトとフォークの混じり合う音楽に彩られ、排斥された小人たちの哀愁の詩が全編に染み渡る。父は衣食住に必要不可欠なものを広大な人間社会から拝借する。それは、かつて自然と折り合いをつけ堅実に生き抜いてきた人間本来の姿を思わせ、欲望のままに暴走し閉塞しきった我々に生活の足元を見つめ直させる。“借り”と“狩り”は同義だ。魔法のようなテクノロジーも、物を売買するエコノミーも無く、ただ両手両足と道具を駆使して緊迫感たっぷりに描かれる狩猟のような労働。人生とは険しい冒険そのものだという教訓が、黙々とスリリングに映し出される。  すべては動きの中に宿る。アニメーター出身の俊英・米林宏昌は宮崎駿のテーマを借りながらも単なるマニピュレーターに堕することなく、連続した絵の中にあらゆる感情を込めていく。老練な作家の思想と若き職人の感性のコラボ。観念に偏りがちだった「ゲド戦記」への大いなる反省とも取れる新人監督プロデュース計画は奏功している。物語は人間の身勝手な好奇心から急展開を見るが、対峙して互いの身上を語り合うシーンに息を呑む。まるで、快活な小人の少女に体現された自給自足を知る宮崎世代と、病んだ人間の少年に託された消費一辺倒の米林世代が対話するかのような瞬間。これは、絶滅の危機に瀕す境遇は同じでも、もっとサバイバル能力を身につけなければ、過酷になる一方の世界には耐えられまいと諭す世代交代の詩でもある。(清水節)(eiga.com)
 
 冒頭の、祖母の運転する車で少年が街中を抜け、住宅地の外れの祖父の残した豪壮な別邸に辿り着き、広い庭の中で小人のアリエッティを見かけるまでの映像の流れが実にスムーズで美しい。さりげない街角の描写もリアルでかつジプリの世界です。
 
 原作を読んでいないので、見ながらずっと「借りる」ー「返す」ことに拘っていたのですが、清水さんの「“借り”と“狩り”は同義だ」を読んで納得。少年の「みんな滅んでゆくのだ」という言葉に対するアリエッティの「私たちは生き残る」という宣言もこころに届きました。後ろを見ず、薬缶の舟に乗って去ってゆくラストもいい。
 
 今回は限定された、しかし深い世界。海のイメージはありませんが、アリエッティのお母さんが壁紙に貼った海の繪、最後の鯉の登場に「ポニョ」への、自由な広がりのある世界へのオマージュも感じられます。
 米林宏昌監督、立派。声優陣も豪華で、特に大竹しのぶさん、樹木希林さんは名演。ジブリ作品として、もの足りなく思う人もいるかもしれないけれど、これはこれで立派な作品でした。
 
最近気になった言葉
 
 読売東京版社会面から
 
 少女が化粧品を万引きして自宅へ警察が電話するとー
 
母親「万引きって犯罪なんですか?」「わざわざ引き取りにゆくつもりはない」
長い説得の末、父親が引き取りに来たのは午前4時だったそうです。
 
私の知っている例でも、金だけ叩きつけて、娘を連れて帰った母親がいました。本来、まず、謝罪からのはずです。
 
 宇宙物理学者 スティーブン・ホ−キング博士の今月発売の著書から
 
 「ビッグバンから人類登場まで、すべての疑問は科学の領域だけで答えられ、神聖な存在に頼る必要はない」
 
 21世紀の現代において、当然とも思うけれど、ここまで言い切れるすごさ。欧米で特に論議を呼んでいるというのは当然でしょう。

2010年9月18日
 
「 苦しかった父の介護と抗癌剤治療よりやっと解放されましし母 」 
「 母逝きぬ父を介護し十余年父逝きやっと楽になったのに 」
 
 朝日歌壇から アメリカ 郷 隼人さん。上の歌は馬場あき子さんが一席に、下の歌は佐々木幸綱さんが二席に採っています。歌の巧拙は超えて、終身刑の刑務所の中で母の死を聞いた郷さんへの共感があるのでしょう。取り返しのつかない人生の重さ。辛さ。
 
 個人的には同じ欄の六席に採られていた歌が気になりました。
 
「 パンの耳捨てしを恥じぬみだけで一日生きしとふ歌人いずくに 」 成田市 神部さん
 
 もちろん消息の途絶えたホームレス歌人、公田耕一さんのことです。
 
 爽やかな風の吹く朝。七時半登校。校舎を開けて、必要部署の警備を解除、職員室に入って警備会社に連絡、内からまた鍵を掛けて外部からの侵入に備える。先週、めちゃ暑くしんどかったので、今日は窓を二カ所だけ開けて、作業していると、窓の外に人影が・・・。
 ○○部長が笑っている。ドアを開けると、忘れ物を取りに来ました、と言って姿を消して数分後、じゃあ、帰ります、あ、これ差し入れです、と言ってクッキーと冷えたジュースを差し出して奥様と車で去って行かはった。
 
 しばらくして、ふと気が付いた。ひょっとして部長は忘れ物は口実、差し入れに来てくれたのだ。もしかしたら昨日のHPを読んでくれていたのかもしれない。賀状にHPアドレスを書いておいたからなあ。
 ほんとにものごとへの反応が鈍くなってきています(苦笑)。
 
 で、差し入れ効果もあって仕事(調査書、推薦書二通作製)は午前中に終わり、午後は炎天下テニスに。ちょっといいプレーがあったので自慢させてください。
 
 ダブルスで私はフォアサイド(右)に。相手のサーブを敵陣右いっぱいに打ち返す。かろうじて返して来たが、その相手はレシーブの勢いでコートの外に飛び出している。返って来たボールを隙間が広がった相手コートのセンターへ。残っていた相手のひとりがバックハンドでなんとかやわらかく浮いたボールを返してくる。
 強く打ったボールは打った所に戻ってきます。
 ボールが浮いた時間を利用して態勢を立て直して突っ込んでくる相手ペア。普段ならロブを上げてその後ろへポトンと落とすのが定石ですが、今日は突っ込んでくる二人の前を超クロスで横断、一番開いている相手コート左前の空間へ突き刺しました。
 ベンチがどよめき、相手チームも拍手。こんなショットは何千回打って一度あるかないか。それだけで半日いい気分で過ごせるのですからアマチュアは気楽なものです。先日終了した全米オープンテニスはそんなショットの連発でした(笑)。
 
 テニスの後はシャワーを浴びて、整骨院に寄るのが最近のパターン。部屋に入るとスタッフが「ア、オメデトウゴザイマス!」と声を合わせて迎えてくれる。???。
 この時も反応できない。一瞬気まずい雰囲気。ややあって、民主党代表選挙の事と気づく。「いやいや、ありがとうございます。でも、圧勝と言われても議員の票が伯仲していたので喜べません」と言ってやっと笑いが戻る。疲れているからか、衰えからか・・・両方ですね(笑)。
 
 それにしても、小沢さん。元秘書が三人も逮捕されていて、再度事情を訊かれて、もまだ知らないと言い張るその神経が理解できません。それを担ぐ元首相も。小沢さんに当選させてもらった、恩義があると公言する代議士達にも(投票したのは有権者やろ?)呆れるしかありません。
 
書評というか読書感想欄を楽しみにしてくださっている方もいてはって・・・
昨日のは手抜きでしょ?ハイ、そうです。すみません。
 
 「牡丹散る」の蕪村の今回のエピソードは、江戸から京へやって来た元武士の若い夫婦の話。年輩の奥女中と若侍の許されぬ恋。周囲の奔走で命を救われた二人。若侍は絵の道に生きようと蕪村に弟子入りをするが、絵の才能はない。元若侍の家族はなんとか二人を別れさせ、家に復帰させようと企てる。苦しい立場の妻に同情する蕪村・・・。
 
 句はもちろん 「お手討ちの夫婦なりしが衣替え」
 
 生徒のウチのトラブルは収まらず、福祉事務所や警察も動く事態に。基本的には夫婦の問題であるのでしょうが、娘(生徒)の人生、進路も懸かっています。願書提出日が迫っているけれど書類も出せない・・・。今夜もどうなるか。心配です。
 

2010年9月17日
 
「 こだわりの こころにへばりつく残暑 」
 
新聞俳壇 より 日立市 広川さん
 
 前期期末考査、問題作製、採点、入社試験面接指導、今年から始まった後期登録、生徒指導、秋入試、センターテスト申し込み、指定校推薦募集選考、調査書、推薦書作製、保護者懇談、中学校訪問、生徒の家のトラブル・・・ひたすら仕事している積もりなのに余裕が生まれない。休日もずっと出勤しているのに、酒も止めているのに・・・。それは偏にわたしの不器用さ、鈍くささにあるのだけれど、だんだんいらいらが募り、人に優しくできなくなりそうで、不安。それで余計にがむしゃらに仕事をして、ミスをしてその始末に追われる(苦笑)。それでも、明日の土曜も出勤しようと思います(笑)。毎週末、部活動指導で休日もない教師が日本中に何万といるのです。文句、愚痴は言えません(もう充分言ってるってー笑)。
 
 最近読んだ作品
 
「 今日もみんなつながっている 」  萩原 浩  「喰違坂」 木内 昇 「 牡丹散る 」 葉室 麟
 
「 牡丹散る 」は蕪村の身辺に起こる事件を名句をちりばめて描くシリーズ。今回は蕪村自身の老いらくの恋を描いて巧みです。

2010年9月6日
 
「 カフェテラス ここだけ早く 秋が来る 」  新聞俳壇から 東京都 藤森さん
 
 猛暑が続きます。台風が秋を連れてくるのでしょうか?涼しげなカフェテラスでくつろぐ余裕が欲しいものですが・・・。
 
 疲れてて忙しいのに。ばたばた動き回った週末でした。
 
 土曜は出勤してAO入試の小論文指導など。対象生徒はひとり(中国からの帰国子女)ですが、何人もの教師が集まってきて、みんなで分担してなんとかしてやろうと、必死のバックアップ態勢。中国人の先生はたくさん餃子を手作りしてくれました。9日必着の書類ですが、6日月曜の午後8時、なんとか仕上がりました。大阪駅前の中央郵便局(今は第1ビルに仮住まい)から速達で送って、一安心。
 
 日曜の朝は早朝座禅。午後から新歌舞伎座のこけら落としに。劇場は舞台は見やすいけれど、ロビーに椅子もなく、手狭な感じでくつろげない。折角の新時代の劇場、もっと夢と非現実感がほしい。公演は市川猿之助一門の歌舞伎21世紀組。右近さんは熱演、女形も美しいけれど、粒の小さなさびしいものでした。「新歌舞伎座」の名前が泣きます。案の定、来月からはいわゆる大衆演劇や歌手芝居で歌舞伎は向こう一年なし。松竹が手を抜いているのがありあり。本来なら南座で上演中の海老蔵奮闘公演(玉三郎も出演)をこちらに持ってくるべきでした。
 
 古い仲間と藤井寺のスナックで会う。彼はラグビーの専門家。この夏の暑さは大変。先日も泉州で小六のラグビー少年が熱中症で亡くなったと嘆いていた。
 彼の指導する高校のチームでも、この夏は病院へ運ぶケースが結構あったらしい。早めの点滴が大事らしい。それでも、その費用2千円から3千円を払わない保護者がいるらしい。曰く「頼んで運んでもらったわけではない」「おおげさなことをして・・・」。
 もう、信じたくないけど、信じるしかない事実。本来なら「ありがとうございました。お世話になりました。」でしょう?ま、そんな保護者なら子供が熱中症にでもなろうものなら、対応が悪いと金目当ての訴訟をしかねないから、2,3千円なら目をつぶってもいいということらしいですが・・・。スポーツの指導もやってられない、難しい時代です。
 

2010年9月3日
 
「 いちばんの大切は今の時間、卵抱く鶏がうつとりと目を閉づ 」 河野 裕子
 
 午後9時まで、OA入試の小論文を仕上げている生徒に付き合っていました。もちろん、機械警備の始まる時間ですが、管理職の許可を得て。前に述べた帰国子女、家に帰っても、暴れる義父とふたり。帰りたくない。帰れない。もちろん家で勉強などできない。実母は、体調が悪いからと、娘を置いて帰国中。信じられない!無責任や・・・そんな家庭がいっぱいです。
 
 最近印象に残ったこと
 
 この夏の甲子園大会、福岡代表の西日本短大付属高の話。レギュラー選びをこの高校は部員同士の投票で行う。部員70名のうち、満票を得た選手が10人前後、票を得た選手を合わせて20余名。ほぼベンチ入りの部員数。残りの集計欄には0が並んでいた・・・、
 
 つまり7割ほどの部員は自分に投票しなかったのだ。苦しい練習に耐え、晴れ舞台を踏みたい気持ちは同じのはすなのに、その潔くもつらい決意。選ばれた顔ぶれは監督やコーチの予想と必ず一致ずるという。いやあ、若いモン、まだまだ見捨てたモンではありまへん。
 
 さて、そんな爽やかな若者に対して、日本国民の代表、与党、民主党はどう党首(総理大臣)を選ぶのでしょう。
 
 個人的には菅さんが、半端な妥協をしなくてよかった。小沢さんとしっかり対決すべきです。昨夏の選挙で自民党が敗れた(民主党が勝ったわけではない)のは、モロ自民党体質である小沢さんの在り方が否定されたということ。それをわからんと、立候補するアホ。それを担ぎ、支持して、あげくに「私はなんだったんでしょう?」と呟く宇宙人に言いたい。アンタはただのピエロ、引っ込んでなはれ!
 



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