Kan-Kan の雑記帳


2011年1月30日
 
「 こんこんと 雪しんしんと 音の無く 」 朝日俳壇から
 
長野市 小池さん
 
 音もなく降る雪。でも一段と深い静けさに雪の気配が感じられます。
 
 そして、歌舞伎の舞台では、雪は「ドンドン」という太鼓の音で表される面白さ・・・。
 
 予想通り目が覚めたら、枕元のテレビは付けっぱなし。サッカーの試合は終わっていました(笑)。午前3時。まだ足も痛むし、寒いし、起きあがってパソコンを開く元気なし。ラジオの「深夜便」ではお気楽に歌が流れるばかり。やっと5時のニュースで日本の優勝を知り、起きあがって着替えて居間にテレビを見に行く。見事な決勝ゴールでした。日本チーム、ねばり強くなりましたね。
 
 やっと余裕が出てきたぞ。となると騒ぐのは映画のムシ。第83回アカデミー賞の発表までひと月を切りました(授賞式は2月28日)。今回の主要部門のノミネートを確認しましょう。
 
◆作品賞
127 時間
ブラック・スワン
ザ・ファイター
インセプション
キッズ・オールライト
英国王のスピーチ
ソーシャル・ネットワーク
トイ・ストーリー3
トゥルー・グリット
Winter's Bone
 
◆監督賞
ダーレン・アロノフスキー(ブラック・スワン)
ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン(トゥルー・グリット)
デヴィッド・フィンチャー(ソーシャル・ネットワーク)
トム・フーパー(英国王のスピーチ)
デヴィッド・O・ラッセル(ザ・ファイター)
 
◆主演男優賞
ハヴィエル・バルデム(Biutiful ビューティフル)
ジェフ・ブリッジス(トゥルー・グリット)
ジェシー・アイゼンバーグ(ソーシャル・ネットワーク)
コリン・ファース(英国王のスピーチ)
ジェームズ・フランコ(127時間)
 
◆主演女優賞
アネット・ベニング(キッズ・オールライト)
ニコール・キッドマン(Rabbit Hole)
ジェニファー・ローレンス(Winter's Bone)
ナタリー・ポートマン(ブラック・スワン)
ミシェル・ウィリアムス(ブルーバレンタイン)
 
◆助演男優賞
クリスチャン・ベール(ザ・ファイター)
ジョン・ホークス(Winter's Bone)
ジェレミー・レナー(ザ・タウン)
マーク・ラファロ(キッズ・オールライト)
ジェフリー・ラッシュ(英国王のスピーチ)
 
◆助演女優賞
エイミー・アダムス(ザ・ファイター)
ヘレナ・ボナム=カーター(英国王のスピーチ)
メリッサ・レオ(ザ・ファイター)
ヘイリー・ステインフェルド(トゥルー・グリット)
ジャッキー・ウィーヴァー(Animal Kingdom)
 
◆脚本賞
Another Year
ザ・ファイター
インセプション
キッズ・オールライト
英国王のスピーチ
 
◆脚色賞
127時間
ソーシャル・ネットワーク
トイ・ストーリー3
トゥルー・グリット
Winter's Bone
 
 「英国王のスピーチ」が一番ノミネート数は多いのですが、前哨戦の各映画賞をたくさん獲っているのは「ソーシャル・ネットワーク」(公開中なので見に行きたい!)みたいです。作品賞はこの2作品の争い?
 
 演技賞としてはナタリー・ポートマン(ブラック・スワン)が本命との噂。この映画で知り合った振り付け師と結婚、ただいま妊娠中。どんなファッションで会場に現れるか? アネット・ベニング(キッズ・オールライト)もそろそろ獲らせてあげたい。若手で売り出しの時に結婚、しばらく家に入り、あの名うてのプレイボーイ、ウォーレン・ビューティの妻として完全に旦那をコントロールしつつ子育てしつつ、復帰後は仕事もしっかりというのがすごい。

最近気になった言葉
 
愛読している中野翠さんのエッセイから
ノーベル平和賞の話題にふれてー
 
 「言うまでもなく私は言論統制のきつい国には住めない人間である。中国の独裁的な政治体制におは、他国のこととはいえ憤懣を抱かずにいられない。獄中にある劉氏には同情と尊敬の念を寄せている。せめて国際的に共通のテーブルにつけるくらい民主化してもらいたい。
 その一方で、実を言うと、当分仕方ないのかなあという気もしているのだ。なにしろ13億とか14億とかの民がいる国でしょう。それを束ねるには相当の強権が必要なのかなあ、という気もしているのだ。
 知り合いの編集者にそんな話をしたら、「いや、僕もそう思うんですよねえ、あの大国がバラバラに群雄割拠みたいになって、ウチの国もウチの国もと核兵器を持ったりしたら・・・なあんて考えちゃうんですよね」と苦笑する。
 いや、私はそこまで考えていなかったけれど・・・(思わず冷や汗)。」
 
 なるほど、そういう見方もあるなあ。先月エジプトへ旅行した知人が、よかった!(二重の意味に聞こえます)。春にエジプト旅行を企画していた友人は、諦めます(それがよろしいなと返事)。
 
 長すぎた政権が腐敗してゆくの当然かもしれません。ひとつの国というのではなく中東で大きな位置をしめる国だけにこの影響は大きい。内乱になって人心、国土が荒れるのも心配。ただ、あのすごい文化、歴史建造物は人類の遺産。バーミアン大仏の破壊がまだ印象に鮮明。あんなことにならないようにしてほしいなあ。
 
2011年1月29日
 
「 雪の中 哀愁列車 故郷へ 」 朝日俳壇から
 
   尾道市 吉田さん
 
 春日八郎の「哀愁列車」を知っていて歌える人もだんだん減ってきているのでしょう。あの高音の美しい切ない声が耳に残っています。もちろんわたしは苦しみつつ歌えます(苦笑)。今頃北国の故郷は大変な雪なのでしょうね。でも、南国の故郷を持つ私には申し訳ないけれどちょっとうらやましい気もします。
 
 きっと最後の(笑)ハードな1週間が終わって、金曜夜は同僚16名と心斎橋のイタメシに。御堂筋を見下ろすお洒落な空間でワイン飲み放題。これで4000円は安い!しっかり飲んで、でも盛り上がった頃にひとりで一足先に失礼する。
 
 土曜の朝から出勤。漢字検定を現任校で準会場として実施するのです。木曜の夜は、登録していない生徒が受験しに来た夢を見て焦っていたのです。10年ぶりのことなので緊張しましたが、なんとか無事終了。宅急便に取りに来てもらって、協会に答案を送ってほっとひと息。懸案だった所属分掌の自分の担当部署の総括案も完成して、これで大きな仕事がふたつ一段落(まだ、検定試験の結果や事後処理、分掌会議、総括会議もありますが)、どっと肩の荷が下りて、気持ちよく帰宅、焼酎のお湯割りを啜りつつ、全豪オープンを観戦する。
 
【メルボルン時事】テニスの全豪オープン第13日は29日、当地のメルボルン・パークで女子シングルス決勝が行われ、第3シードのキム・クライシュテルス(ベルギー)が第9シードの李娜(中国)に3―6、6―3、6―3で逆転勝ちし、初優勝を遂げた。
 昨夏3度目の優勝を遂げた全米オープンに次いで四大大会4勝目。李娜は同大会でアジア勢として史上初のシングルス優勝を逃した。
 クライシュテルスは第2セットの第6ゲームから4ゲーム連取して盛り返し、最終セットは積極的なネットプレーなどで李娜のミスを誘った。
 すごい打ち合いでした。第1セットは李娜が押していましたが、第2セット相手の今日の弱点ーバックの高いボールーを見極めてからのクライシュテルスの攻撃がすごかった。緩急を使って、徹底的に拾って相手の苦手コースへ持ってゆく。見事な粘り勝ちでした。刻々変わる両者の表情、挑戦者の顔つきが優勝が見えてくると不安気な自信のない顔に。追いつめられて蒼白だった元女王はペースを掴むと一転、落ち着いた自信に満ちた顔つきに・・・。

 男子準決勝のフェデラ−とジュコビッチの打ち合いもすごかった。こちらは弱気なドロップボレーをしてしまったフェデラーの負け。一気に相手を勢いづかせてしまいました。一緒に見ていたフェデラーファンの下の息子は、途中で「諸行無常」と言って席を立ってしまいました(苦笑)。
 
 さて、今夜のサッカーアジアカップ決勝は?それまでに酔ってしまいそう。意識が持つかなあ(笑)。
 
 金曜の朝、ちらつく雪の中を7時40分ころ登校。もう校門で生徒部の同僚が、この朝も停学等の指導の申し渡し予定の生徒と保護者を待ってはる。
 ごくろうさま!
 いえ、おはようございます!
 玄関でなく、いつも寒い校門で待っているのです。それは去年度まで私の姿でもあったのですが・・・本当にごくろうさま。
 その思いが伝わればいいのだけれど・・・。
 後で聞くと、やっては来たけれど、保護者は学校側の対応が悪いと申し渡しを拒否して、帰ってしまったそうです。悲しい。
 
最近読んだ作品
 
「魂取(たまとり)の池」 宮部みゆき
 
 作者十八番の江戸怪奇譚。神田三島町の袋物屋にやっかいになっているおちかはいろいろ不思議な話の聞き役と努めることになっている。今回の話はー。
 地方の城下町の町はずれの山中の美しい池。それは怪しい力を持ち、そこに姿を映した男女の男の魂を取り、他の女に与えてしまうという。それにあえて挑戦した若い男女の運命は・・・そして、その結末は孫娘にかかわってゆく・・・。


2011年1月28日

「 頬つけて 玻璃戸に寒き空ばかり 一羽の鷹を もし見失しなわば 」

  寺山 修司

 こんな歌を読むと、ああ、寺山修司のいた時代の、なんとも言えない雰囲気(昭和30年代から40年代のロマンともいえるのかも)を感じます。

 やっと風邪が抜けつつあります。風邪は先週末に膝痛と一緒に来たので、今週は厚着して、脚を引きずり、咳をしながらうろうろするという不細工な有様。みんなに心配をかけました。元気を付けようと、ニンニクを入れた長浜ラーメンを食べる。大好物なのに味がよくわからない。おとなしく早寝すること数日。もちろん酒も控えていましたが、水曜の夜にちょこっと飲んだ「玉乃光」がおいしく感じた時から復活の兆しがありました。

 ベッドにいる時間が長いと部屋の家具の配置が気になる。昨年、これで仕上げ、死ぬまでこれでゆく、などとと思っていたのに(笑)、机とベッドの位置関係がイマイチでベッドに入るとき、出るときに窮屈な感じがする。ノソノソ起きあがってカーディガンを羽織り、ゴトゴト動かしていて、嫁ハンに大人しく寝ていないさいと叱られる(笑)。

 机の位置を90度変えました。机は亡くなった義父から譲られたもので、結構大きくがっしりした作りなのに、ちょっとした面白い仕掛けがありました。天版が右にスライドして机上が更に1・3倍くらいに使えるのです。でも、偶に友人に見せて驚いてもらうくらいで、それを活用することはありませんでした。配置換えでもうスライドできなくなったけれど、部屋は使いやすくなりました。あれこれ欲張ってもいけない。日常が大事。これでするっとベッドに滑り込める。極楽極楽。

 家や施設を飛び出して、寒空の下、公園で夜を明かす生徒の話をよく聞きます。それぞれに深い事情があるのだけれど、親はいなくても、探してくれている人、心配してくれている人がいる。その気持ちがなかなか本人に届かもどかしい。うざい、うるさい、ほっといてくれ、という言葉の裏には、束縛を嫌う自由への欲求というより、自分の状況も客観的に見られないという問題があるように感じます。それは幼児からの教育の結果なのでしょう。しっかり読めない、書けない、考えることができない・・・。読書もできない、新聞も読まない、テレビも見ない、ニュースには無論、無関心・・・。これからの長い人生、どうするのだろう。冬空に何を思っているのでしょう。

 
2011年1月26日
 
「 雑踏の 歩行者天国 何時来ても 逝きたる吾子(あこ)の姿は見えず 」 読売歌壇より
 
群衆の中に亡き人を探す。同意の歌が万葉集にもありました。
 
先週の慌ただしい「私」の記事に、歯痛のことを書くのを忘れていました。治療も終わってほっとしたら、今度は風邪。どちらも前にいつやったか思い出せないほど久しぶりの感覚。
 
 月、火と早めに床について、ひたすら睡眠、休養。ラジオ深夜便もじっくり聞きました。サッカーアジアカップ準決勝もずっと枕元のテレビを聴いていましたが、延長戦になって見始め、PK戦でとうとう起きあがり・・・(笑)。
 
 熱が上がらなかったので、インフルエンザではないと思い、医者へは行かず、水曜に先日河内長野でいただいた「玉乃光」を飲んで眠ったら、大分楽になりました。
 
あと二日がんばります。あ、土曜出勤なのであと3日。でも、ちょっとだけゴールが見えて来ました。
 
 最近読んだ作品
 
「雨気のお月さん」 佐藤 愛子
 
 昨秋「これでおしまい」と引退したはず?の佐藤さんの新作。書き残したことがあったのでしょう。ま、いいか、というより、これでよかった。味わいのある佳作です。
 
 題名は「ぼーっとしてはっきりしないこと」。この話の主人公、おゆきさんを周囲の人が揶揄した表現ですが、この人、実はしたたか。後添いで未亡人、為さぬ仲の娘夫婦と孫の家に同居して、静かに暮らしているように見えるのですが、
時折見せる悪意と好色さ。孫のひとりの死因も・・・。それに気づいたのは遠縁の「わたし」。
 
 向田邦子さんの作品とも似通う、戦前の日本の中流家庭を舞台にした微妙な人間関係。面白く読みました。
 
2011年1月24日
 
「 冬の星 見てゐて 飛機となりにけり 」 朝日俳壇から 西予市  上甲さん
 
 作者は「じょうこう」さんとお読みするのですね。愛媛に結構多い姓です。響きがなつかしい。
 
土曜のテニスで痛めた膝が痛い。湿布しつつ脚を引きずり、時にはエレベーターを利用させてもらって一日を凌ぎました。
 
 日曜に先日亡くなられた河内長野のお祖母ちゃま(教え子の)のお参りに行かせていただきました。教え子も里帰りしていて、久しぶりの再会。立派な大人(当然ですが)母親になっておられてこちらも感激。
 
 享年97歳。丹精されていた牡丹の前での遺影は数年前に撮影されたものだそうですが美しい。納棺にはお気に入りの小紋を纏い(帯は前に)、きれいに化粧されて、このまま新地に出てもおかしくないね、とご遺族で語り合ったそうです。
 昼下がり、お酒もいただいたので、気が緩み、つい不謹慎ながら、小さな声で、さぞ見事な小紋だったやろねえ、形見分けにいただいたらよかったのに、と漏らすと、教え子がクスッと笑って、でも上に(二階を指さして)いっぱい残してくれているのです。
 伺えば、四十年以上前に未亡人になられてから、百貨店の呉服売り場にお勤めになって、子供を育てられたのだそうです。むべなるかな。先日亡くなられた池内淳子さんを思い出しました。
 同じ愛媛県、高縄山の麓の出身なので、故郷の蜜柑をお供えに。きれいなものがめちゃお好きだったのでは花籠も。
 
 会者定離の理をしみじみ思いました。長年のご厚情にひたすら感謝。また、いずれあの世で改めてお礼申し上げましょう。
 
 お家からすぐの老人施設に入っておられて、息子夫婦(教え子のご両親)が毎日通っておられたそうです。最後はお嬢さんはわからなくなられても、お嫁さんは識別されたとか。ご立派な介護。さて、自分の親をどう見送ればいいのでしょう。
 
ゆく人々
 
喜味こいしさん死去 いとしさんと兄弟漫才…83歳

 兄の故夢路いとしさんとの「しゃべくり漫才」で人気を集めた漫才師、喜味こいし(きみ・こいし、本名・篠原勲=しのはら・いさお)さんが23日、肺がんのため亡くなった。83歳。葬儀は27日午前11時半、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115の市立葬祭場やすらぎ天空館。喪主は長男敏昭(としあき)さん。

 埼玉県生まれ。父が新派の役者で、4歳で初舞台を踏んだ。1937年に上方漫才の草分け的存在だった荒川芳丸に弟子入り。いとし(本名・篠原博信)さんと「荒川芳博・芳坊」の名で子ども漫才コンビを組み、40年に初舞台を踏んだ。48年、「夢路いとし・喜味こいし」と改名。「交通巡査」「わが家の湾岸戦争」など近代的で上品な話芸の漫才を披露し、名コンビと言われた。舞台やテレビにも数多く出演し、毎日放送の視聴者参加番組「がっちり買いまショウ」での軽妙な司会も人気を集めた。03年9月にいとしさんが亡くなった後は、タレントとしてテレビや新聞で活躍していた。

 コンビで上方漫才大賞(69年)、芸術選奨文部大臣賞(92年度)などを受賞。93年に紫綬褒章、98年に勲四等旭日小綬章を受章したほか、99年には大阪市から漫才では初めての無形文化財に指定された。また、自らの原爆の被爆体験を各地で講演していた。

 夢路愛し、君恋し、ちょっととぼけたロマンチックな命名にもこのコンビの味がありました。品のいい漫才でした。

和田勉さん80歳=元NHKディレクター

 元NHKの看板ディレクターで数々のドラマを手がけた和田勉(わだ・べん)さんが、14日、食道がんのため川崎市内の老人福祉施設で死去した。80歳。葬儀は近親者で済ませた。「お別れの会」を後日開く。喪主は妻で衣装デザイナーのワダエミ=本名・和田恵美子(わだ・えみこ)=さん。

 三重県松阪市出身。早稲田大卒。1953年、NHK入局。56年にドラマ担当部署へ配属され、66年の「大市民」などで芸術祭賞奨励賞、78年の「天城越え」で芸術祭大賞、84年の「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」で芸術祭大賞と放送文化基金賞本賞など多数の受賞歴があり「芸術祭男」の異名を取った。

 その他の代表作に北大路欣也さんが出演した「竜馬がゆく」(68年)、八千草薫さん出演「阿修羅のごとく」(79年)、山崎努さん出演「ザ・商社」(80年)、名取裕子さん出演「けものみち」(82年)、財津一郎さん出演「夜明け前」(87年)など。

 87年に退職後は「笑っていいとも!」(フジテレビ系)出演などでも人気に。映画や舞台でも活躍した。著書に「地中海人間」など。

 「天城越え」、の大谷直子さん(映画では田中裕子さん)、「心中宵庚申」の太地喜和子さん、「阿修羅のごとく」の加藤治子さんの演技、忘れられません。型破りと言われつつ、皮肉ですが、NHKにいたからこそ、あれだけの作品を作れたような気もします。

ダークダックス高見沢さん死去…「パクさん」77歳心不全

 男声4人組コーラスグループ「ダークダックス」のメンバーで「パクさん」の愛称で親しまれた高見沢宏(たかみざわ・ひろむ)さんが7日午後1時53分、心不全のため神奈川県藤沢市の自宅で死去した。77歳だった。

 昨春に体調を崩して入退院を繰り返し、家族にみとられて息を引き取った。09年10月、東京文化会館でのリサイタルがダークダックスとして最後のステージとなった。

 静岡・沼津市生まれ。慶大男声合唱団の佐々木行(マンガ)、喜早哲(ゲタ)、遠山一(ゾウ)で結成されたダークダックスに1952年に参加し、トップテナー担当。夢想家で、常に人より1拍遅れることから「パクさん」と呼ばれた。故・萬屋錦之介の義弟にあたる。

 ダークダックスは「ともしび」「雪山讃歌」「北上夜曲」「山男の歌」などのヒット曲を生み、ロシア民謡、童謡などを歌いこなした。93年に紫綬褒章を受章し、「世界最長寿コーラスグループ」としてギネスブックにも認定。佐々木がうつ病のため療養中で、98年からは3人で活動していた。メンバーはショックを隠せず「コメントは控えさせてほしい」と話しているという。

 通夜は10日午後6時、葬儀・告別式は11日午前10時30分から。いずれも藤沢市藤沢493 カルチャーBONDS藤沢で。喪主は長男・尚樹(なおき)さん。

 いい意味での慶応ボーイの上品さがありました。

萬屋錦之介の妹さんとのロマンスも知りたいところです。

オリオン舞い立ち、昴はさざめく、無窮を指さす北斗の針よ

 「地上の星」が空に次々上がってゆき、「冬の星座」がますます賑やかです。

2011年1月22日
 
 「 風花の中ゆく 風のやうに行く 」 朝日俳壇から 近江八幡市 北村さん
 
 朝日が二上山の雄岳(北側)と雌岳(南側)の間の窪み、通称「馬の背」と呼ばれるところから上ってきました。先日までは朝日の出は雌岳の側にあったのに。着実に日は季節は移り変わっていっています。きれいに澄んだ冬の朝。どの山もくっきり見えますが金剛山だけ雪雲を被っています。
 
 それを味わう暇もない?1週間でした。おそらく教師生活最後のピーク。来年以降の笑い話のネタに、今週の仕事をメモしておきますと・・・。
 日々の授業の準備、毎時間のプリント作り、授業後の点検などと平行して、入試の面接練習指導(月曜)。来週の校内での漢字検定実施とその講習と模擬テスト(火曜)、その準備採点。中間年次(2年生)の進学希望者への説明会の準備(レジュメ作製)実施(木曜)、準備、後始末(アンケート集計など)、卒業式での「卒業生の言葉」(「答辞」)を準備委員を集めての草案作り(木曜)、そして、1週間を通して大変だったのが、先週末のセンター入試を受けての受験者の自己採点と予備校へのデータの送付。その返信は21日にインターネットで来たのですが、個人情報なのでその受け取りが大変。暗号などがいっぱいあって、アナログ人間である私はアタフタしまくっていました(苦笑)。
 
 そういう公で忙しい時は私的にも慌ただしい?。火曜日の夜、話があるという友人と富田林で8時過ぎに待ち合わせ。時間の余裕を見て家を出ました。その時、携帯電話を充電中だったので置いておいたのです。
 マンションの駐車場に来て、車が動かない。慌てて、そのまますぐそばの古市駅に走る。駅の公衆電話で家と、友人に連絡しようとしたら故障中。そのまま、切符を買い、富田林行きのプラットホームの電車に飛び乗る。これが一日数便の橿原神宮行き。次の駅、「駒ヶ谷」で飛び降りたら、ここは最近無人駅になって、駅員も電話も、もちろんタクシーもない。もう一駅乗って「太子町」まで行けばよかったのです。だれもいないプラットホームで待つこと15分、やっと阿倍野行き各停が来て古市に引き返し、改めて富田林に。30分遅刻。今まで連絡なしに遅れることはなかったので、友人がめちゃ心配していました。
 
 車はバッテリーが上がってしまっているらしい。いつも車の不調は教え子でもあるディーラーに連絡していたのですが、嫁ハンが、時にはJAFに連絡してみては、と言うので、それもそうだと水曜日の夜、入会15年目にして初めてJAFに電話。すぐにトラックが来てくれて、やはりバッテリーが上がってますねと接続して即解決。気持ちよい対応。もっと早くから利用しればよかった!
 「あと1時間くらいエンジンかけて充電してください」という。いい月夜だったので、どうせならと嫁ハンを呼んで二人でドライブ。マクドのドライブスルーでポテトとミルクティを買って、南河内をぐるっとひとまわり。ちょっと疲れたけど、ま、いいかっ。
 でも、バッテリーが上がった原因は結局わかりませんでした。
 
 同僚3人とやっているダイエット競争の計量日も、よりによってこのいそがしい週の金曜日でした。正月太りのせいで5キロダイエットの必要あり。追いつめられて水曜日から断食。夕方6時半、準備室に集合、ふらふらでパンツ一枚になって体重計に乗ると200グラム足らない。躊躇わずパンツを脱ぎました(笑)。同僚の目が点になっていました。無事クリアして即、その夜に祝杯。一夜で3キロ、リバウンドしたのは言うまでもありません(苦笑)。
 
 毎夜見る夢の中で勤務している学校では、もう卒業式も終わって、新しい年度に入っています。文化祭をどうするか相談しています。忙しいのに新しい課題。これも困ったものです(笑)。
 
 最近読んだ本
 
「 赤い指 」 東野 圭吾
 
 前にも書きましたが、偶然本を手にしたその日にドラマ化された番組が放映されるという巡り合わせにちょっとたじろいで、ベッドサイドにしばらく寝かしていました。ドラマは見逃しました。(どなたか録画してはりますか?)
 
 少女の遺体が住宅地で発見される。捜査線上に浮かんだ一見平凡に見える家庭に隠された事情は?認知症の老いた母、イジメで登校拒否にになった息子、その息子を庇う母、仕事人間の父・・・どこにでもありうると思わせる設定が見事。それを追及してゆくのが刑事・加賀恭一郎(「新参者」でこのあとブレイク)。そのパートナーであり従兄弟である新米刑事松宮を含め人間がきっちり描かれているので、どんでん返しまで一気に読ませます。結末は切なくほろ苦く、でも、きっちり気持ちよく着地します。
 
 さすが直木賞受賞後、第1作。勢いに乗っています。惜しむらくは「登校拒否にになった息子」の描写が画一的で具体性に欠けたこと。ここが整っていればすごい傑作になったことでしょう。
 
「ステーキの横のクレソン」 市村 正親
 
 押しも押されもしない舞台役者なのに「クレソン」とは?本来、主役級ではなく、群衆Aのオーディションから始めたというところから、また、浅利慶太さんからそう言われた事が題名の由来らしいです。
 
 メインディッシュはあそらく親友?「鹿賀丈史」を指しているのでしょう。
 
 それにしても、ひたすら努力してここまで来たのはすごい。さらっと書いていますが、その経歴は面白く興味深い。50代後半で女優・篠原涼子さんと結婚。子供を作ったことも。現在61歳。エッセイはちょっと遅れた結婚式で終わっているのですが、その後奥さんのお父さんが亡くなったことを我々は知っています。そして、今年の大河ドラマの明智光秀を演じています。まだまだドラマチックな人生は続きそう。
 
 好調のビッグコミックオリジナル、「看護助手のナナちゃん」が印象的です。
 
 


2011年1月16日
 
「 梅一輪 一輪ほどの 暖かさ 」
 
 暖かくありません(苦笑)。寒い一日でした。南側のベランダのバケツの水(メダカの水槽用)も終日厚く凍っていました。でも、夕刻、2月の河内長野マラソンに備えて道明寺天満宮まで走りましたが、近所の幼稚園前の白梅、天満宮の紅梅(濃いも薄いも)は何輪も寒風の中、咲き初めていました。
 
 夜のBSの歌番組に登場した坂本冬美さんは見事な紅白梅のお着物でした。テレビを買い換えてよかった。
 
最近こころに残った記事
 
 高速で泳げるマグロをヒントにして、水の抵抗の少ない「水着」が生まれた。足の裏に無数の体毛があり天井でも自在に動けるヤモリに学んだ「粘着テープ」。超音波の泡が発生する滝から「水のいらないお風呂」・・・。今、開発が進んでいるのは羽ばたかずに飛べるトンボの羽根を応用した、台風でも微風でも回る「風車」。
                           石田秀輝さん(東北大学・環境科学研究科教授)
 
 おもしろい。エコに根ざし、ユニークな発想を形に変えて商品化してゆく。この力があるかぎり日本も大丈夫と思いたい。
 
 1636年から続くハーバード大の講義非公開の伝統を破って一般公開されているマイケル・サイデン教授の政治哲学講義のポイントについて池上彰さんが質問
 
 千人を超える生徒に発問・指名する時の基準・コツ
 
サンデル ずーっと手を挙げている学生はあまり指名しませんね。
池上   なぜです?
サンデル そんな状態では、私の話や、他の学生の意見を真剣に聞けるはずがないから(笑)。
池上   あ、なるほど。
サンデル 同じ理由で、少数の学生しか挙手していない場合は「他に意見は?」とあえて一呼吸置きます。そうして手
    を挙げてきた学生からは、よい意見が出てくることが多いですね。時間が長かった分、思慮が深まっているからで  
    しょう。
 
 ハーバード大と一緒にするのはおこがましいけれど?我々の日本の高校でのやり方も同じと感じました。
 
 ランニングから帰宅して、20年余交流があった教え子のお祖母ちゃん(97歳)の死去を知る。この欄でも何度か採り上げましたが、私と同郷、愛媛出身で、愛情に溢れ、また、背筋の伸びた凛とした方でした。
 教え子は既に結婚、京都に住んでいますが、教え子の両親、そしてお祖母ちゃんとの交流は続き、育ててはった牡丹を拝見、ご趣味だった俳画を見せて頂き、おいしい紅茶をいただきつつ、四方山話をしたことが幾たびか・・・。政治の話、教育の話、私の愚痴も聞いてくださいました。ご主人を50年前に亡くしながら、子供を立派に育て上げ、その子供達、孫達が見事に看取られました。
 
 ご苦労はあったでしょうが、しずかで穏やかな晩年。幸せなご最期だったと思います。
 
 いつも気に掛けていただいて、お手紙もよくいただきました。私にとって「大阪の母」でした。深い喪失感があります。
 
 私達も四国の母をきちんと見送られるだろうか?
 
 


2011年1月15日
 
 通勤路の小さな公園でご老人と老犬が散歩している。リードは外してあるのだが、後ろからポトポトついてくる犬はいかにもしんどそう。水飲み場で老人が蛇口をちょっと緩めてやる。流れ出した水をぺろぺろと2回舐めてまた歩き始める。後ろ足がよろついている。無理矢理連れ出されたのだろうか。それともトイレに行きたい一心で、長年の習慣で歩いているのだろうか。中学校頃習った「老犬トレイ」という歌を思い出しました。
 
 この世の春 はやも過ぎて
 黄昏るる頃となれば
 愛しい友 老いたる犬
 我が胸に帰る
 
 老いたるトレイよ
 やさしくまめに
 われに仕え 変わらざりし
 こよなき友達
 
 裏切らないのが犬のよさなのでしょう。見ていて切なくなりました。
 
 センター入試の季節です。我が校は受験生数名ですが、それでもいろいろあって・・・。急に進路変更して専門学校を受験、合格した生徒が3日前にやってきて・・・。
 
 もう、センター受験しません、だから、受験料(1万8千円)返ってきませんか?
 なに言うてんねん、自分の都合で受験しないのやから、返ってくるはずないやろ?
 でも、センセが返ってくる言うたと○○くんが言うてたで。
  いつも、ええかげんに人を引き合いに出したらアカンて言うてるやろ!君の持っているガイドブックにも書いてあるで、
   とP17を見せてやる。返還されるのは2重振り込みなど2つの場合だけ。本人やっと納得。
 そんなに受験料が惜しいんか?(彼の家は我が校にはめずらしく裕福なのにー正月も海外だった)
 はい!
 じゃ、受け!人生でこんな経験、なかなか出来へんで。受験勉強もしたんだから、もったいないし・・・。
 
  しばらく考えて・・・受けます!
  というわけで、彼は今日「記念受験」しています(笑)。会場は大阪市大。寒かったやろなあ。
 
 大学入試センターは15日、センター試験の地理歴史(世界史B)と外国語(中国語)の問題文に計2カ所のミスがあったと発表した。世界史Bでは、中国史を問う問題で天文観測器の写真を説明する際、「南京紫金山天文台の簡儀」と記載すべき表記を「南京紫禁山天文台の簡儀」と誤表記。試験終了後に、鹿児島県の試験会場の監督者の指摘で判明した。中国語では、問題文に「已」を「己」と表記する誤りがあったが、試験直前に判明。問題文と訂正する用紙があわせて配布された。
 
 「紫禁」と「紫金」のマチガイ。よく見つけたものです。
 
ゆく人

細川俊之さん

 クールな二枚目役で舞台やドラマなどで幅広く活躍した俳優の細川俊之さんが14日未明、急性硬膜下血腫のため死去した。70歳。12日に都内の自宅居間で転倒し、頭部を打ち、東京・渋谷区内の病院に運ばれたが、そのまま帰らぬ人となった。1963年に、文学座研究生となり俳優デビュー。独特の甘いしゃべり方で人気となり、ミュージカル「ショーガール」は15年ものロングラン公演となった。なお、通夜、葬儀は未定。
  甘い語り口とまなざしで「ダンディー」の代名詞となった細川さんが、悲しい最期を遂げた。
 事務所関係者によれば、細川さんは12日午後2時ごろ、東京・品川の自宅居間で転倒し、頭部を打撲。渋谷区内の病院に搬送されたが、こん睡状態で14日午前5時24分に息を引き取った。死因は急性硬膜下血腫だった。
 1940年、福岡県に生まれ、山口県下関市で育った細川さんは、学習院大中退後、俳優座養成所から63年に文学座に入団。舞台「かもめ」や映画「エロス+虐殺」などに出演した。71年に文学座退団後は、ドラマにも出演。ダンディーなたたずまいに加え、「ムー一族」などではコメディーセンスも披露、幅広い演技で引っ張りだことなった。
 また独特なしゃべり方と甘い声でラジオパーソナリティーとしても人気を集め、TOKYO FM「ワールド・オブ・エレガンス」は16年半に及ぶ長寿番組に。アニメ「あしたのジョー」(劇場版)では力石徹役を演じるなど、声優としても活躍した。
 さらに主演ミュージカル「ショーガール」では74年から88年まで16回ものロングラン公演を記録。コンビを組んだ女優、木の実ナナは「作・演出した福田陽一郎さんが昨年亡くなった後に会って『私たちは元気で頑張ろう』と言い合ったばかり。最高のパートナーで大切な戦友だった」と突然の別れに肩を落とした。
 私生活では67年に女優・小川真由美と結婚、73年に離婚。95年には糖尿病で入院し、さらに脳内出血でも倒れたが仕事復帰した。04年からは大阪芸術大学芸術学部教授を務め、年に15回ほどの授業を持つなど、後進の指導にも熱心だった。昨年末までは講義を行っていたが、今年1月の講義は体調不良のため、休講したという。
 
 「ショーガール」の達者な舞台も拝見しましたが、やはり彼の本領は歌ではなく、あの低くて甘い声でのセリフ回し。「レディーキラー」でした。小川真由美さんと結婚したときは彼女のファンだったのでちょっとがっかりした記憶があります。
 教鞭を執っていた大阪芸大はうちの近所なので、見かけた人も結構いたようです。先月まで来てはったんだ・・・。
 
  年末年始が忙しかった上の息子夫婦が新年の挨拶に来ました。下の息子もめずらしく帰って来ていて、5人で食事。下の息子の結婚を話題にわいわい騒いで、ちょっと飲んだ後、嫁ハンと息子の嫁さんがキッチンで並んであれこれいいつつ、片づけなどしている。新しい家族構成というのも新鮮でいいものです。


2011年1月12日
 
「 冬の月 おみなの髪の 匂ひかな 」  野村 喜舟
 
 今夜も月がきれいですが、女性の髪と取り合わせるとは思いませんでした。
 
 4日からがんばって出勤、授業開始に向けて助走したのに、3連休で正月気分にあっさり逆戻り。体重もリバウンド、11日は頭も体も重く、しんどい授業始めとなりました(苦笑)。
 
 連休に新年会が続きました。10日は前任校の教え子のミニ同窓会を兼ねた新年会。滝谷にある生徒の家で昼過ぎから夕刻まで。集まったのは7名。玄関にはウサギの耳を付けた兄ちゃんが二人(もう30代後半ですがー笑)お出迎え。相変わらずお茶目な連中です。
 
 お屠蘇、シャンパン、ワイン、ビール、焼酎(「千年の孤独」を用意してくれていました)をたっぷり呑みつつ。談論風発。本当にみんなたくましく成長しているのが嬉しい。
 
 恒例の私のミニ授業、今回の教材はティム・オブライエンの「待ち伏せ」。ベトナム戦争を舞台に、敵兵を手榴弾で殺した男の回想。訳は村上春樹さん。
 順番に音読していったのですが、みんな読みがうまい。深い。中に英語をマスターした者が2名いて、それぞれ「ティム・オブライエンは原文で読みました。村上さんの訳はウマイ。」「センテンスの短さが原作のリズム感をうまく活かしていますね」と言われて、もちろん原文で読んでいない私が「アー、ソウナン?」と感嘆することしきり(笑)。
 
 近況報告ついでにいろいろなことを教えてもらうのが楽しみ。
 国際結婚してスペインで暮らしている生徒から、シェスタ(昼寝)があってのんびりしていたスペインは過去の話。今はみんなよく働く、電車も時間通りに秒刻みに運転されると聞いて、みんなヘーと驚く。私は、そんなら移住するのは辞めるわ、と言って笑いを取る。ちなみにスペインには離婚に際して慰謝料というものがないそうです。不倫した妻(働いて収入がある)がそれが原因で離婚後、親権も家も取り、養育費も元夫から送ってもらっているというーそれも変だね、そう、それで最近、制度が見直されつつあるのです。
 
 建築やインテリア関係もいます。
 最近の現場での事故。大きな商業施設が次々オープンしますが(どれとは言わない)結構死亡事故もあるのです、報道されてないでしょ?ウン。あれは遺族に口止め料込みの莫大な補償をして、関係者に箝口令を敷いて、工事続行しているのです。なんで?一人亡くなると1週間工事が止まり、ふたりになると1ヶ月止まります。オープンの決まっている巨大施設で1ヶ月遅れたらのその損失は計り切れませんからね。ナルホド!
 
 いろいろな興味ある話が聞けて、あっという間の5時間でした。
 
 水曜の朝、地下鉄のあべの駅の階段を手摺りを持って一段ずつ後ろ向きに下りてゆく老婦人がいました。前向きの方が危ないし、怖いのでしょう。わかります。でも、あれでは改札までに10分以上かかるでしょう。乗降客の多い駅なのですから南口だけでなく、北口にもエレベーターを付けるべきでしょう。古市駅にもやっとエレベータが付くようです。
 
 箱根駅伝の山下りで転んだ高野選手の太股の怪我は快復。かさぶたは剥がれつつあるそうです。
 
最近読んだ本
 
「桃の宵橋」 伊集院 静
 
 離婚、再婚して東京から故郷の地方都市(瀬戸内海の港町ー山口付近のイメージ)に帰って来た主人公冴子44歳は60歳の母が父と共に娼家の経営に携わっていることを知って驚愕する。
 
 時代は昭和40年代でしょうか。売春禁止法が施行された後も、地方の港町にはそういう一隅がありました。そこでしか生きられない、またそう思い込んでいる人々もいました。
 
 摘発、逮捕された後も仕事を辞めない両親に、さらに驚き、怒り、失望を隠さない冴子。しかし、母の骨折を契機に、否応なしにその店に関わってゆくことになり、ある発見をするのです。
 
 桃の節句、父が買ってきたピンクのセロファンで天井の蛍光灯を覆う。それだけで煤けた店が華やぎ、50を過ぎた娼婦たちが美しく若やいでくるシーンが印象的。伊集院さんの手練れの腕で読ませます。
 
2011年1月8日
 
 「 手で顔を 撫づれば鼻の 冷たさよ 」 虚子
 
 歯痛はやや治まってきました。
 
昨日の記述の
 
一番あとからはいるかあちゃん、そこに肩を寄せる子供・・・。
「窮屈なしあわせ」という詩評が的を得ています。
 
「的を得て」は「当を得て」のマチガイでした。Yさん、ご指摘ありがとうございました。これからもよろしく。
 
 11月末に買い換えたテレビがやっと届く。前のテレビの倍以上ある画面の大きさに最初は感動。出演者の肌のシミや化粧の具合もよくわかる。でも、30分も見ていると、こんなもんかとすぐ慣れている自分を発見。なんや拍子抜けです。やはり旅番組など、景色など楽しむべきものなのかな。でも、ドラマ好きで、特に暗い画面、殺人のシーンなど、以前のテレビはよく見えなくて(苦笑)どうなってんねん、と嘆いていた嫁ハンは喜んでいます。
 それにしても、まだ見られるテレビが全国で何百万台も買い換えられているというのは、とてもエコとは言えませんね。
 
 今年退職する友人の賀状に、「来年度から身軽に暮らすために賀状等すべて失礼します、長年ありがとう」との添え書き。前向きで退職後のプランをきちんと作っている人です。気持ちはよーくわかるけど、ちょっとさびしい。私は来年から自然に減ってゆく枚数を味わいたい?と思っています。そして、年末のばたばたの中で走り書きするのでなく、11月くらいからゆっくり丁寧に書きたいと思います。と、言いつつまた今年の年末、あたふたしているのでしょうが・・・(苦笑)。
 
 ふと思ったのですが、賀状の隆盛?に対して、暑中見舞いや寒中見舞い、転勤や転居、退職などの挨拶も減ってきているように思います。賀状で兼ねたり、賀状以外はメールで済ませるようになってきてるのかな。それから、これは個人的な年齢の問題ですが、年々喪中欠礼が増えてきているのは如何ともしがたく・・・。この春、揃って90歳を迎えてくれる両親を持っているのは幸せなことではあります。
 
 「愛宕梨」ー友人からいただいた巨大梨、赤ちゃんの頭ほどある。市価千円ほどするらしい。でも、味は大味ではなくしっかり濃い目。甘さ、水分もたっぷり。
 
 正月休みに全世界に散らばった同僚達。いろんなお土産(お菓子)が職場の通称「お菓子机」に積み上げられて、これが楽しみ。カナダ、アイスランド、スペイン、インドネシア・・・オーストラリアからはまだ帰っててきていない(笑)。みんなすごいなあ。私もいずれ・・・。
 
 冷え込んだけれど、その分きれいな朝の空でした。
 
 最近印象に残った文章
 
  立花隆(癌で闘病中、一日も長く生きてくださいー日本の行動する知性です)の「「読書日記」から。
 
 今週は平城弘道「日米秘密情報機関」を採り上げてはる。
 平城氏は「ムサシ機関」(かつて「影の軍隊」と呼ばれた)の機関長だった。現在90歳。
 
 70年安保闘争の時、自衛隊の一部高級幹部に治安出動があればそれに乗じてクーデターを起こし、憲法停止・国家革新を図ろうととするグループが存在し、彼らは三島由紀夫ら民間グループとも連携していたらしい。事態がそこに到らず、正直「拍子抜け」したという。
 
 数ヶ月後に起こった三島事件の背景にはそんなことがあったんだ。
 
 そのころ、違う立場で、現場を走り回っていた立花さんの回想。
 
「そういえば、各現場にはいつも、公安でもない、過激派でもない、野次馬でもない、報道陣でもないが、熱心にウォッチしているなにか得体の院しれない不気味な連中がいたことを憶えている」
 
 確かに騒然とした時代・街でした(私もあの頃、東京に居ました)。こういう事が今、書ける、出版され、語られるというのは日本がまだまだ平和な証拠?でも、「影の軍隊」は、今もあるのでは?それを政府はコントロールできているのかな?

2011年1月7日
 
「 月よりの 使者のごとくに 焼き芋屋 」 栃木県壬生町 あらゐさん
 
 今夕も冴えた夕月がでていました。冬の空は美しい。そこに焼き芋や夜泣き蕎麦の呼び声は響きます。赤提灯も目に沁みます。冴えた自然とささやかな人事。
 
 2日前より久々の歯痛。10年振りくらいか。2ヶ月に一度定期検診に行っているのにショック。仕事に集中しにくい。歯科医に電話したら夕方空いているというので、午後の会議を早引きして駆けつける。レントゲン検査しても膿などは溜まっていないらしい。一応怪しいところの治療を始める。
 
 寒さからくる肩凝りも一因かと整骨委へ廻る。昨秋辞めた与那○さんの消息を訊く。明るい笑顔でよく揉んでもらいました。
 で、どうしてはるん?
 沖縄に帰って、お父さんのパイナップル畑を継いでます。
 うーむ。折角、マッサージの技術を身につけたのに?
 でも、彼、長男ですからねえ。メールに添付してあった写真みたら、また黒くなって元気そうに手を振ってましたよ。
 
 人生いろいろ。また、どこかで(沖縄で)あの笑顔に逢いたい。
 
 痛みの波状攻撃につい日本酒を冷やで飲んでしまいます。5キロのダイエットはどうなる?
 
 新聞記事から
 
 箱根駅伝のルーツは1917年(大正6年)に東京、京都の間で行われた「東海道駅伝」らしい。発案者は当時、読売新聞社会部長だった土岐善麿で「駅伝」という言葉の名付け親も彼とのこと。ちなみにこのイベントは大赤字で責任をとって社を辞職。やがて朝日新聞に移りやがて歌人としてデビュー。同時代を生きた石川啄木との交流は啄木の死まで続き、貧しかった啄木の葬儀も土岐の生家の寺で執り行われた。薄命の啄木に対して土岐は94才まで生きた・・・。
 
 歌人として知っていた土岐善麿が仕掛け人とは知りませんでした。「野球」の正岡子規といい、意外な繋がりがあるものですね。
 
 最近こころに残った言葉
 
あたたかいこたつ  家の家族は5人
「五角のこたつならいいなあ」と、おねえさん
一番あとからはいる かあちゃんは  
私と同じ場所
私は やっぱり 四角でもいい
 
福島県の小五の女の子の詩の一節
一番あとからはいるかあちゃん、そこに肩を寄せる子供・・・。
「窮屈なしあわせ」という詩評が的を得ています。
 
2011年1月6日
 
「 寒菊や 日の照る村の 片ほとり 」 蕪村
 
12月に友人Nと訪れた故郷の隣村、釈迦堂の麓の桂地区を思い出しました。掃除も行き届いた清潔なたたずまいなのに、人の気配がせず、冬の日が静かに降り注いでいました。
 
 年末に長崎に帰省した知人から「九十九島せんぺい」をいただきました。シンプルな味。包装もモダンで素敵。Kさん、ありがとう。九州もその往復の中国自動車道もすごい雪だったそうです。ごくろうさま。大晦日からずっと雪の車中に閉じこめられた人々、大変だったろうと思います。
 
 琵琶湖北岸の山中で400年を経た大木発見の報。こんなニュースはわくわくします。巨木ウオッチャーとしては是非、見に行きたい。
 
 朝日新聞に載った米、カリフォルニア州の森にある杉、ギガント・セコイアはさらにすごい。樹齢二千年、高さ八十四メートル、推定重量1358トン。長寿を全うすると、根が自重を支えきれなくなり、大地に倒れて生涯を終える。そして新しい木が伸びてゆく・・・。人もまた。
 
 高峰秀子さんに触れる機会を逃してしまいそうです。子役から女優に見事転進して優れた演技をスクリーンに残しました。「喜びも悲しみも幾年月」のラストシーン。老け役での後ろ姿の歩き方。小学低学年で生まれて初めて見た映画なのに鮮明に憶えています。
 
 教育を受けたかったのに強欲な養母に受けさせて貰えなかった。その恨みを死ぬまで持ち続けておられたようです。でも独自の努力と、優れた人物達との交流で磨かれ一流の知識人、文筆家となりました。その切れ味のよいエッセイのファンでした。賢い人でした。黒沢明との恋、四十才になれば出演してくれといわれ、その直前に亡くなった小津安次郎、もしそれらが実っていたら日本の映画史は変わっていたかも知れません。
 
 年末の慌ただしさでこちらも書き忘れ。ブレーク・エドワーズ監督が逝去。お洒落なセンスが光る映画作り。「ピンク・パンサー」などで本領発揮。ジュリー・アンドリュースのご主人でもありました。数年前にアケデミー賞の特別賞を受賞、その授賞式の晴れの舞台に車椅子で登場したのですが、車椅子を暴走させてセットをぶち壊すというやんちゃなおじさんぶりにほれぼれしました。ご冥福を祈ります。
 
 曾我廼家鶴蝶(そがのや・つるちょう、本名・古谷千鶴子=ふるや・ちずこ=女優)が2010年12月26日、肺炎による心不全のため死去、82歳だった。葬儀は近親者で執り行った。喜劇俳優、曾我廼家五郎氏の最後の弟子として1935年にデビュー。松竹新喜劇で活躍後、77年に東宝専属となり「香華」などに出演。92年に紫綬褒章、99年に勲四等宝冠章を受章。2004年の明治座「夫婦善哉」が最後の舞台となった。
 
 本当に粋で達者で、名脇役でした。大好きな女優さんでした。
 
  名脇役として活躍した英俳優ピート・ポスルスウェイトさんが1月2日、英シュロップシャー州の病院で死去した。64歳だった。直接の死因は明らかにされていないが、長年ガンを患っていた。代理人の話によれば、家族と友人たちに見守られて静かに息を引き取ったという。
 ポスルスウェイトさんは1946年2月16日、英チェシャー州生まれ。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなど英演劇界で活躍後、77年の「デュエリスト/決闘者」でスクリーンデビュー。ダニエル・デイ=ルイスの父親役を演じた93年の「父の祈りを」でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。その他の代表作に「ユージュアル・サスペクツ」(95)、「ロミオ&ジュリエット」(96)、「ブラス!」(96)、「ナイロビの蜂」(06)など。
 
 こちらも名脇役。でも「ブラス」では寂れ行く炭坑町のバンドリーダー。堂々の主役でした。いい味を出していました。
 
 
 「ロカビリー三人男」の一人として活躍した歌手の山下敬二郎(やました・けいじろう)さんが5日、東京都内の病院で死去した。71歳。葬儀の日取りなどは未定。 東京都出身で、父は落語家の柳家金語楼。1956年、ザ・ドリフターズの前身バンドのサンズ・オブ・ドリフターズに加入し、メーンボーカルを務めた。58年の第1回日劇ウエスタンカーニバルで「ダイアナ」の日本語カバーを歌って一躍、人気者になった。平尾昌晃さん、ミッキー・カーチスさんと並んで「ロカビリー三人男」と呼ばれた。
 
 私はお父さんの柳家金語楼を見て育った世代です。感無量。お父さんの跡はとうとう継がなかったのですね。
 
最近読んだ作品
 
「オニオンブレス」 山田詠美
 
 「あの人の臭い息(オニオンブレイス)には我慢ができない。だれか私を助けて」という落書きで始まる短編。アメリカの都会のダウンタウンのうさんくさいバーの女子トイレを舞台にした山田さんならではの危ういラブストーリー。外国人を主人公にこれだけ自然に性や生活を描ける、しかも露骨な描写が一切ないというのもすごい腕です。


2011年1月5日

 

「大空に 羽子の白妙 とどまれり 」 虚子

 

昨日のはしゃぎすぎが応えて?今日はあちこちが痛く、仕事もスローペース。それに仕事の合間に観葉植物の重い鉢を持ち上げたりしたものだから腰にも違和感があり。準備室で休憩して快復を図る。それでも久しぶりに生徒の顔を見たらしゃきっとしました。明日の受験に備えての面接練習。とにかく志望動機だけでもきちんと言えるようにしなければ。何度も繰り返して、褒めて、帰す。

それにしても最近のニュースを全然知らないのには困りました。新聞はとってないというけれど、テレビやインターネットは見ているのだから、情報は入るはず。やはり環境と自身の生きる姿勢の問題ですが、難しい。今夜のニュースは見ておけよ、と言っておきましたが・・・。

 

「なぜ歌舞伎役者の親が死んだら子供の役者は困るのですか?」というご質問。私の説明不足でした。人間国宝クラスの役者はもちろん、ベテラン役者は演目設定や配役にも発言権を持っています。自然にその役者を中心とする演目には子弟、親族にいい役が付くという仕組みになってしまいます。親子、兄弟共演が自然の社会なのですね。そこで親が死ぬと、それまで親の「引き」でいい役を貰っていた息子も、役が廻って来なくなります。才覚があって、そこそこ力を蓄えていた役者、たとえば猿之助はケレンの世界に、勘九郎は「中村座」テレビ出演などに活路を見出して行き、やがて歌舞伎の本来の舞台でもポジションを得てゆきました。鷹之資くんはまだ12歳。

新春公演の「三番叟」も本来、亡くなった富十郎さんと梅玉さんの「翁」に鷹之資くんが付くという配役だったのです。富十郎さん亡き後の舞台、翁は梅玉さんが一人で演じられ、鷹之資くんも出演しています。親が死んでも舞台に穴は開けられません。でも、まだ中学生、今後の学業のこともあり、お節介のわたしは心配しているというわけです。

20数年前に尾上辰之助が急死した時のことを思い出しています。当時、息子さん(今の松禄)も幼く、祖父にあたる先代の名優、松禄が一生懸命に後見したけれど、彼も数年後に亡くなってしまう。今の松禄が30代を越えてまだ役に恵まれていないのは、本人の資質や努力とは別の歌舞伎界のパワーバランスが働いているようにも思います。

それにしても、このように「年代を繰る」ようになったのは、私が「菊吉爺(きくきちじじい)」(過去の名優を見たと自慢する鼻もちならない老人達のこと)の仲間入りをしたということなのでしょう(苦笑)

 

箱根駅伝、ドラマチックな展開、結末(ゴール前のシード権争いも)でした。山下りで転倒した早稲田の選手、きれいに起き上ってそのまま力走したので軽傷と思っていたのですが、ドキュメントを見たら、膝は擦り傷でしたが、太もものあたり、すごい「ずる剥け」になっていて、痛々しい有様でした(そこまで写すなよ)。確かにあのスピードで坂道で転んだら無事ではすみませんよね。まあ、彼は4年生にして箱根デビュー、最初で最後の晴れ舞台でしたからこの程度の怪我では悔いはない(しかも逆転優勝に貢献)でしょうが・・・。

 

 ベランダのラべンダーがまだがんばって咲いています。香りも豊か。メダカも無事、年を越しました。211日(金)には嫁ハンのライブ(よろしく!)、下の息子はこの夏に結婚予定(まずはメデタイ)義母は健在(元気すぎ)。四国の母は春になったら帰宅できるかどうか、施設との対応も含め、それを兄弟で探っています。父の病気も進行を止めていて、波乱含みではありますが、一応穏やかな2011年の船出です。

 


2011年1月4日
 
「 歌舞伎座の 前通りけり 初芝居 」 子規
 
 今年は歌舞伎座はありませんが、歌舞伎の中心は300メートル動いて新橋演舞場に。そこで華やかに演じられている新春歌舞伎、その夜の部おめでたい「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」出演中の中村鷹之資 クン(凛々しい少年役者に成長しました!))の心境や如何?これから厳しい状況になります。後見人になってくれるだろう坂田藤十郎さんも高齢。後ろ盾を失った歌舞伎役者は大変です。古くは猿之助さん、団十郎さん、近くは勘九郎(今の勘三郎)さん、彼らに比べて更に若い12才の鷹之資くんをささやかながら応援したいと思います。
 
 以下、松竹のHPから
 
 歌舞伎俳優の、中村富十郎<なかむら・とみじゅうろう、本名・渡辺一=わたなべ・はじめ>さんが、平成23年1月3日、直腸癌のため都内の病院でご逝去されました。享年81歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。

<略歴>
 昭和4年6月4日四代目中村富十郎の長男として生まれる。。昭和18年8月大阪中座『鏡獅子』胡蝶で四代目坂東鶴之助を襲名して初舞台。昭和30年7月、母である吾妻徳穂の「アズマカブキ」に参加しヨーロッパ各地で公演する。昭和39年4月歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵 九段目』の大星力弥、『頼朝の死』の畠山重保、『二人椀久』の椀屋久兵衛で六代目市村竹之丞を襲名。昭和47年9月歌舞伎座『逆櫓』の樋口、『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子で五代目中村富十郎を襲名。

 昭和53年より「矢車会」を主宰し、この会は平成21年5月27日に歌舞伎座で行われた"傘寿記念"まで九回を数える事となる。歌舞伎の海外公演には昭和39年8月のハワイ公演をはじめ、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、ソ連(現・ロシア)、エジプト、イタリア、フランスと数多く参加する。昭和47年芸術選奨文部大臣賞。昭和55年『船弁慶』で芸術祭優秀賞。昭和61年日本芸術院賞。平成2年紫綬褒章。平成6年重要無形文化財保持者指定(人間国宝)。平成8年日本芸術院会員。平成15年旭日中綬章。平成20年文化功労者。最後の舞台は平成22年11月新橋演舞場『逆櫓』の畠山重忠。

 坂東鶴之助の時代から好きな役者さんでした。なんといってもその口跡の美しさ。踊りの鮮やかさ。69才?で孫のような初の男の子に恵まれ、どんなにうれしかったか?。それから必死で教育し、歌舞伎座で親子で「連獅子」を踊り、80才で息子の義経を相手に弁慶を演じ、(親だから死の瞬間まで息子の今後は心配だったでしょうが)すばらしいDNAを残した立派な役者人生だったと思います。合掌。

 今日が私の仕事始め。休養充分で張り切ってゆきました。仕事の合間に、観葉植物に水を遣り、新年会の案内を作り、母の入院施設への連絡文書も作成。忙しかったけれど充実していました。あっという間の9時間余り。

 夜は振り替え分の含めて3時間のテニス。帰宅は10時半。疲れたけれど、これで元のペースに戻れそうです。

 

2011年1月3日
 
「 初夢の 話してゐる間に 忘れけり 」 星野立子
 
 書き忘れていましたが、私が夢の中で勤務しているらしい学校は、ここんとこ時間の進行が速くて、もう卒業式は終わり、私の来年度人事も決まっています(笑)。自然に恵まれた環境はいいのですが、校舎の立地や構造がしょっちゅう変わるので、よく迷子になって授業に遅れそうになって焦ります。まるで全日制と定時制に勤務しているようですが、退職したらこの夢はどうなるのだろう?それにしても多くの印象的な夢もすぐ記憶から消えてゆくものですが、この夢の中の学校だけは妙に数日は憶えています。その都度書き残すことにしよう。
 
 朝、雪の箱根芦ノ湖畔を駅伝復路スタート.。ベッドサイドのテレビで観戦。東洋大を追う早稲田の選手が凍った坂道で転倒。思わずあっと声を挙げて起きあがる。正月3日の朝は遅めにスタートしました。緊迫したレースを気にしつつ、賀状を出しに本局へ行き、嫁ハン用に150枚追加購入。まだ、出しているのです。こわい。私は返事を後5枚書けば一段落?
 
 届いた賀状に対してメールをくださる方もいる。今年は息子の結婚式の写真を使ったので特に反響多し。先年亡くなった先輩の奥様が、主人が生きていたら、どんなに自分のことのように喜んだことでしょう、と書いてきてくださったのに改めて感動。
 
 このHPにも反響あり。「愛媛の小旅行」を読んでいただいて、検索したら「釈迦堂」ついて写真もありました、とわざわざ連絡頂きました。Aさん、ありがとう。
 開いてみると、まさに私たちが登ったコースそのままに、山頂の権現さんや途中のお不動さん、菩提樹などの大木、まさにその風景が写されている。笑ってしまいました。あの地を認め、きちんと紹介しようとするうれしい、酔狂な人がいたんだ。写真などアップできないつたないわがHPにもこういう手があったのか。よければご覧ください。
 
    http://www.sanyukai.sakura.ne.jp/houraisan.html
 
 箱根駅伝は佳境に。襷をつなぐぎりぎりのタイミングで走り継ぐ下位チームにハラハラ。10位までのシード権を得るために鎬を削る中位のチーム。そう、優勝争いはもちろんのこと、箱根で走ることが多くの学生ランナーの夢なのですね。本来は関東という一地方のローカルな陸上競技のはずなのに・・・。不思議なものです。正月、東海道、江戸、箱根、富士、こういう取り合わせを思いつきプロデュースした人はやはりエライ(もう生きてはらへんでしょうが)。それに乗ったメディア(読売新聞、テレビ)もはしこい。
 
 10区のランナーがスタートした時点で、心を残しつつ車で富田林へ。友人のカッパ座座長Fさんに誘われて春の公演のプレビュー拝見に行くのです。200席くらいある小劇場兼スタジオで公演と同じ形で上演。出し物は10数年ぶりの「オズの魔法使い」。主役のドロシーだけ女優さんが演じ後は人形で。
 いつもはあれこれ注文をつけるのですが、今回は見事な出来ばえでした。子供を喜ばせる仕掛けを散りばめつつ、愛、勇気、やさしさ、智恵を手に入れるには、というテーマをきちんと盛り込んでいる、それをドラマで小さな子供に伝える難しさをきちんとクリアしている。3月から全国巡演らしい。これはオススメです。
 A42枚のレポートに蜜柑、キウイを添えて提出して来ました。
 
 スタジオのそばにあるPLタワー(150メートル)が数年ぶりに3時半まで開放しているというのでそそくさと立ち寄る。私も嫁ハンも久しぶり。中段の展望台までしか上がれなかったけれど、それでも80メートル。足下から垂直というより外開きにガラスがあるので、高所ダイスキ人間の私も下半身がすくむくらいの迫力ある眺望。雪を戴いた金剛、葛城は正面に、南河内は足下に。遠く明石大橋も望めました。
 
 家に帰ると下の息子が帰ってきている。早稲田?東洋?と問うと、早稲田!
 
 さて、今夜はこれから「ニューイヤーオペラコンサート」。これで3が日もおしまい。まだエアーズロックに居る友人もいますが、私は明日から出勤です。もう正月休みは満喫しました。馬体が緩んだ分(5キロ)絞らなければ(苦笑)。
 
 年末にふと手にして、読もうと思って枕元に置いておいた文庫本。朝刊のテレビ欄、午後9時からのドラマ名を見て、あれっと思って取り上げると「赤い指」。驚きました。こういう偶然、あるのですね。東野圭吾さん、今すごい人気です。
 
 
2011年1月2日
 
「 日の障子 太鼓の如し 福寿草 」 松本 たかし
 
 穏やかな日射しに張り替えた障子の白さ、福寿草の黄が一層映えます。
 
 箱根駅伝、朝の7時の中継開始からたっぷり楽しみました。初春の空に富士が映えて・・・早稲田の力走、東洋大の大逆転。明日の復路が楽しみです。
 
 これから拝見、2日夜の楽しみはNHKの東西初芝居中継。それで気になっているのがテアロル銀座の玉三郎公演。ご存じ海老蔵の事件で本来1月オフだった玉三郎が代わりを買って出て、しかも阿古屋(あこや)を演じるという。却って話題を呼んで切符は2日で売り切れ、急いで元日公演を追加したという話題の舞台。
 
 「阿古屋」はご存じの方も多いでしょうが、女形の難役中の難役。一応、検索の上で下に紹介をー。
 
 平家の武将景清の愛人で、その子を身籠っている。景清は悪七兵衛と言われるほどの勇者で、源氏方はその行方を詮議していた。「阿古屋の琴責め」という場で、阿古屋は取り調べ所に引き出されて、行方を白状するよう拷問を受けるが、本当にその行方を知らない阿古屋は「知らぬ」と言い張る。手を焼いた取り調べの将秩父庄司重忠は、筝、三味線、胡弓の三つの楽器を弾くように命じる。その音色に曇りがあれば、うそをついているかどうかが分かると考えたのである。

 『壇浦兜軍記【だんのうらかぶとぐんき】』の「阿古屋琴責【あこやことぜめ】」とよばれる場面に登場する傾城【けいせい】。傾城の中でも大役の一つで、典型的な傾城の扮装【ふんそう】である豪華【ごうか】な打掛【うちかけ】や俎板帯【まないたおび】という姿で登場。阿古屋を演じる女方【おんながた】は、舞台【ぶたい】上で実際に琴【こと】・三味線【しゃみせん】・胡弓【こきゅう】を演奏。しかしただ演奏するだけでなく、その時の阿古屋の心情も表現しなくてはならないため、大変難しい役とされている。
 
 京の五条坂の傾城という設定なので、今でも清水の参道に「阿古屋茶屋」という茶漬け屋があります。私は20年くらい前に新歌舞伎座で歌右衛門の阿古屋を見ましたが、もう老齢で、豪華な衣装が重そうで、しかも演奏もイマイチでした。歌右衛門の後は演じられる女形がいなくて、10年ほど前に玉三郎さんが演じたときは期待して駆けつけました。その美しさ!3種の楽器の演奏も見事で、その精進振りにも感動した記憶があります。
 
 窮余の策とは言え東京の歌舞伎ファンにはビッグなお年玉です。ただ、これが玉三郎さんの役者生命を縮めるような心身の大きな負担にならなければいいと思います。
 
 さて、2日開幕、現在歌舞伎座の代わりとなっている新橋演舞場の初芝居は、中村福助の3役早変わりが見もの。歌右衛門の甥で本来、血統としては一番の福助さん、立女形として、ここんとこ足踏みしているみたいでしたが、この舞台で化けられるか?ミーハーの私の読みでは、やがて開場する歌舞伎座で次代の「中村歌右衛門」、そしていずれは復帰する海老蔵の「市川団十郎」(現世が引退、もしくは○○の場合)襲名披露が行われるだろうと思うのです。その頃はもちろん私は完全退職しているから東京まで見に行けるとおもうのですが、今から貯金しないと・・・(笑)。
 
 四国の小旅行 続き
 
 玉川町の美術館を出て、
さあ、次はどこへ?
桜井の国分寺跡は?
いいね。で、あそこの綺麗な富士山みたいな山は?
あそこは釈迦堂のある山。昔は七堂伽藍があったらしいよ。行ってみる?
行ってみたい!
まかせなさい!
 
 Nは数十年前に行ったことがあるという(これがあてにならない)。近所のガソリンスタンドで大体の道を聞いて山の麓に。ところが登り口が見つからない。あちこち走り回り、Nの指示で細い山道に車で突っ込んだら案の定、墓場で行き止まり。急な山道を延々バックするというしんどい目をさせられる。やっと堂の麓に当たるという「桂」という集落を見つけるが、道を尋ねようにも誰も人がいない。また迷ってうろうろするうちに見つけた道標。「釈迦堂まで十四丁(2キロ余)」。
 
 車を小川の傍に置いて、歩き始める。冬ざれた山道をゆっくりと登る。里山は気持ちの良い明るさで、葉を落とした雑木林越しに雪を抱いた楢原山(千メートル余)が見える。Nは透析の合間の行動ゆえ、ゆっくりと休みつつと心がけましたが、Nの元気に喋ること、喋ること。久しぶりということもあって、先刻の美術館の絵の話題から、政治論、文学論まで怒濤のように語ってくる。私など及びもつかない読書家なので、私は聞き役、突っ込み役。
 
 今、再度ブームの三島由紀夫論になって
「仮面の下には何も無かったんやね」
「うん、確かにそれ、面白い。鋭い!小林秀雄みたいやね」
「そういえば、彼がそんなこと書いていた気がする」
「なんやソレ!」
 
 登ること40分、最後の参道の石段上に釈迦堂が見える。周囲には私の好きな古木、大木がいっぱい。掃除は見事に行き届いている。本尊の釈迦如来像は重文で、社殿の裏の本堂を兼ねた鉄筋の宝物庫にあって、4月の花祭りの日に簾越しに拝観できるらしい。拝殿と宝物庫の間に無粋な大きな防火壁があるのが寂しいが、これは仕方がないのでしょう。
 
 裏山の展望所からは今治市内と瀬戸の海が一望。周りは桜の木。ここで花見がしたい。ついでやから山頂に登ろうと言い出したのは無論N。結局、道無き道をあえぎつつ更に10分。頂上は雪が舞っていました。ええとこやけど、危ない、きつい。私の通勤用の靴はボロボロ。でも、ええとしよう。今度は桜の頃に来ようと約束。屋台も出る賑わいだとNは言うが眉唾(いつの頃の話やら)。この5時間ほどの旅で、われわれ以外の人に逢ったのは7人だけでした(笑)。
 
 
この項終わります。春には四国の花見の報告ができるといいのですが。老両親と弟夫婦とNの体が心配です。
 
 


2011年1月1日
 
「 光年を 近しと思ふ 冬の星 」 読売俳壇から 上尾市 中野さん
 
 星空は冬。寒がりなので流星群は見逃しましたが、夜更けにちらっと見る夜空の美しさ(特に故郷では)は格別です。1光年は約9兆4600億キロだそうです。それでも、身近に感じられるのが不思議。宇宙の距離と時間は気が遠くなるほどですが、それに比べて儚い人の世。でも、大事に生きてゆかなければ。
 
 あけましておめでとうございます。まだ「2011年」と書き慣れませんが、もうその一日が終わろうとしています。振り返れば2010年は日本、世界共に厳しい状況でしたが、個人的には「公私ともに充実した幸せな時代だったなあ」と記憶される年だったと思います。忙しかったですが(苦笑)。
 
 さて、2011年はどうなりますか?
 
 高峰秀子さんの訃報に驚きながらも、酒をしっかり呑みつつ紅白歌合戦を見ているうちに年を超えました。紅白の冒頭、浜崎あゆみさんがウエディング姿(長い長いレース!)で登場した時、あ、結婚するんだな、と思いました。曲(「バージンロード」?)に合わせただけでなく、なにか吹っ切れた感じがあったのです。1日の報道にもやっぱりといった感じでした。
 
 紅白は前半、やや歌の繋ぎがもたついた感じでイマイチでしたが、後半しっかり聴かせました。熱唱を堪能しました。故郷の母は31日午後に施設から正月帰宅。ほっとしたのか、部屋に用意したテレビでの楽しみの紅白も見ずに眠ってしまったそうです(笑)。
 
 元旦。下の息子は5時半起きで雑煮だけ食べ(お屠蘇は要らないんですってー当たり前かー笑)出勤してゆきました。上の息子も今日は勤務らしい。わが家の新年会は今月中旬に。
 
 6時過ぎに歩いて1分の白鳥神社に夫婦でお参り。参拝客は誰もいない。神主さんから御神酒をいただく。おみくじは嫁ハン小吉、私は大吉。よしよし。帰って、起きてきた昨夜から来ていた義母を入れて3人でお屠蘇とおせちで朝食。曇っていた空から初日が洩れる。拝む。ここからずっと飲み続ける。実家から貰ってきた福井から届いた「一本義」の大吟醸。これもおいしけど、やはり灘の「黒松剣菱」、そして越後の「越の松露」、後の2種類は燗で。ビールはいつもは発泡酒ですが、今日はエビスのブラック。正月なので贅沢に(笑)。
 
 うつらうつらして午後、義母を送りがてら散歩で誉田八幡宮へ。ここはすごい人出。参拝のために50メートルくらい並んでいるので遙拝でとりあえず済ます。元日から開いているスーパ−で買い物。義母のマンションでまたたらふく食べる。
 帰宅時に改めて誉田八幡へ。今度はきちんと拝む。ここでの御神酒(可愛いい女子高生?が注いでくれる)はワイン(河内ワイン)なのです。
 
 元日夜の楽しみは、ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート。今年は地元ウィーン国立歌劇場音楽監督のウェルザー・メストの指揮。これが近年にないのった楽しい演奏会でした。演奏外の楽しみのウィーン楽友協会のホール飾り付け。今年は白とピンクが基調。薔薇等はイタリア、サンレモから運んできたそうです。そしてバレエ。今年は少年少女のダンサーも登場、これがまた皆、美しい!
 
 きっと人生で最高数だろう(例年からは減るはず?)いただいた賀状の整理。いろんな人生が垣間見える。卒業生の変化にも一喜一憂。最初の教え子にはもう孫がいる者も。前任校最後に送り出した卒業生で消防署に努めている元気な女性(学級委員長だった)は、「張り切ってはしご車を運転しています!」。たくましいなあ。うれしい。
 
 さて2日は箱根駅伝のテレビ観戦にかけるわたしです。昔は関心なかったのに、今はめちゃ面白い。「花の2区」は?「山登り」は?いい天気で富士が見えますように・・・。


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