Kan-Kan の雑記帳


2011年12月31日
 
「 詩を書いていると
雪が降ってきた
鉛筆の字が濃くなった 」
 
東北の小学生9才 男子の作品
 
急に気温が下がり、肩にも力が入ったのでしょう。 表現が新鮮。
 
 
大掃除できれいになったベランダ。珍しく鳩が来ている。この春、つがいの野鳩が毎日ベランダに来て、住みつきそうになり、糞でベランダが汚れまくって困惑、ご近所と相談の上、ロープなど張って、やっと撃退したことはこの欄でも書きました。
 
 また、来たか!と窓を開けると、一羽で、しかも逃げない。厚かましいヤツめと近寄ったら、何度か、手すりを移動した上でさっと飛び立ち、まっしぐらに東の二上山に向けて飛んでゆきました。そういえば、脚に小さな缶を付けていた。あれは伝書鳩だったんだ!
 
 今時、まだいたのですね。勤務中にちょっと休憩していたのでしょうか。悪いことしたなあ、と見送っていたら、きっちり、大きな糞を残してくれていました(苦笑)。
 
 昨日、ベランダでテレビを聴きながら作業していたら・・・「歌の細道」という番組で「荒城の月」を取り上げていました。そこで、現在歌われている歌と、オリジナルは違うという話。ムム?っと耳を傾ける。そうです。ずっと気になっていたのです。
 
「 春 高楼の花の宴 」の「花の宴」の「の」が私が小学校の時に習ったものと違うのです。それは、♯(シャープ)のあるなしだと聞いて納得。なんと、滝廉太郎の死後、山田耕作が「子どもが歌いにくい」という理由で編曲して、♯を外したのだそうです。それって、許されるの?
山田が音楽界の大物だったゆえ、通用したのでしょうね。個人的には、最初の刷り込みは大きく、♯があった方が好きです。オリジナルの微妙な優婉さが、妙に平明になってしまった感じがします。
 
 それにしても、音楽の先生はそれを知ってはって、オリジナルを教えてくれたのだろうか。謎ですが、故人ゆえ、伺いようがありません。
 
 まあ、40年以上の懸念が解消されて、すっきりしました。これから歌うとき(偶に阿倍野の居酒屋で古い歌を歌え、とリクエストを受ける)はオリジナル版でいこう。
 
 更にもうひとつ。2番の「秋 陣営の霜の色 鳴き行く雁の 数見せて 植うる剣に 照り添いし・・・」の「植うる剣」ですが、解釈が3つあるとのこと。ええっ!?
 
1.地面に突き刺した剣ー 敗戦、落城近しという風情。私もそう思っていました。会津若松鶴ヶ城のイメージ。
2.敵を迎え撃つ為に地面から生えるように上向きに植え込んだ剣の群れーこれから戦があるのだ。
3.勝鬨を挙げる兵たちがささげた剣ー勝利の夜。
 
 ずーっと1の解釈をしていましたが、確かに月の光を映すには、2もありえますね。剣の切っ先にきらきら光る月光も凄味がある。
 
ちなみに、作者土井晩翠は1,2番は場所を固定せず、あちこちの城跡の普遍的なイメージを描き、3番は仙台の青葉城を詠ったのだそうです。
 
気持ちよく晴れた大晦日の朝
 
 大阪市内の義父のお墓参りに、義母と嫁はんと3人で。墓地には我々以外だれもいず。ここは義父の生まれた土地のすぐ近く。80年ぶりに生地に戻ってきて、義父はどんな思いで眠っているだろう。
 
 12月の初めから、「カニタベタイ」と呪文のように唱えていた嫁ハン、ずっと無視していましたが、今年中に決着をつけねば、と都ホテルの17F「エトワール」のランチバイキングにゆく。蟹の食べ放題もあって、3500円は安い!3人で制限時間いっぱい、たっぷり食べまくる(苦笑)。外は明るい陽射し、空に飛行船が浮いている。遠くに梅田のビル群。息子の勤務するホテルも見える。今頃必死で働いているだろう。内外、大変な時代なのに、こんなにお気楽幸せ気分でいいんだろうか、と腹をさすりながら3人ため息。反省。
 
 阿倍野のデパ地下はやはり、すごい人出。もう夕食はいらないから、あとは飲むだけと、北浜「せんます」でおいしそうな蒲鉾を買う。
 
 帰宅後、2時からテレビで今年見られなかった顔見世「隅田川」を見る。人さらいに攫われた息子、梅若丸を尋ねて、狂いながら東国に下ってきた母、班女の前。昔、顔見世で歌右衛門さんで見たのが昨日のよう。今回は坂田藤十郎さん。隅田川のほとりで見つけたのは、一年前にこの地で亡くなった梅若丸の墓だった・・・。
 
 どうしても、今年は、津波にさらわれた息子を探し求める母親にイメージをだぶらせて見てしまいます。涙。
 
 4時50分、2011年の最後の落日。赤い夕陽が羽曳が丘に沈んでゆきます。
 
 これから、改めて義母を迎えに行って、夜の部の開始。紅白は、なんと今年は早くて7時15分から。
 
 しっかり飲み納めます(笑)。みなさん、よいお年を!
 
2011年12月30日
 
「 表札も 丹念に拭き 年用意 」 穀雨
 
 「年用意」は冬の季語です。年始回りが普通であった時代。わかりやすいように表札をきれいに拭いたのでしょう。マンションの氏名表示は味気なく、それもしない部屋も多い昨今です。
 
 朝から大掃除。ベランダ、窓関係ー室外ーは私、室内が嫁ハンという分担。今日は風が強く、風のなかった昨日にすればよかったとぼやきつつ(昨日は、前夜の大酒の影響でぼーっとしていました)、ガラスを拭き、網戸を洗い・・・でも、昔に比べれば、いわゆる「大掃除グッズ」というものが普及していて、これがめちゃ便利。予定の時間の半分で完了。
 
 冷えた体で近所のゆきつけのおいしいうどん屋に駆け込み、遅い昼食。熱々の天ぷらうどんで温まる。この店も今年これが営業終い。蕎麦屋さんは明日が忙しいんだ。
 
 その足で私は整骨院へ。元気に揉んでくれたSちゃん(20代、独身)に
正月休みはどうするの?
故郷の宮崎に帰りたいのですが、込むし、航空運賃も高いので、広島まで一人旅っす。
 
スタッフみんなから、それいいなあ、と羨望の声。
新婚の
院長は、俺も独身時代、一人旅しておけばよかった、とため息。
 
私は、宮崎のじいちゃん、ばあちゃんが待っているよ、と言おうとして、止めました。
 
書き遅れましたが、先日のバザーの売り上げ
 
 3,7528円を3箇所へ送金しました。
 
@現任校の職員でずっと続けているネパールの小学校建設援助へ
A東日本震災で遺児となった外国人の子どもサポートの会へ
B「桃・柿基金」へーこれは阪神大震災の時に発足した震災遺児の支援組織ですが、阪神の震災時の遺児が成長して人数が減ってきたこの時に、新たに2千人を超す遺児(両親を亡くした子ども229人)が生まれたのです。あと、18年、それまで生きているかわからないけれど、少しずつでも支援は続けたいと思っています。それまでに死んだら、息子たちに頼むつもりです。
 
 「応援買い」ー被災地の産品を買うこと。もちろん慎重であることも大事ですが。教え子からもらった福島県二本松市の「大七酒造」の清酒、おいしくいただきました。アリガトウ。「応援飲み」です。
 
 夜は、飲みながら溜まったビデオを見る。「相棒」三作品。
 
1 「京野ことみ」さんが、すご腕のスリを演じて後味のよい作品。京野さん、いい女優になりましたね。ハリウッドでいえば、アン・ハサウェイの立ち位置か。彼女と関わるイケメンの単細胞刑事、原田龍二さんもいい味。さりげない心遣いを残してさらっと去ってゆく女、事態がよくわからず右往左往して、落ち込む男。パターンながらいいエンディングでした。
 
2 麻薬組織への潜入捜査官、警視庁の刑事の中で身寄りの少ない優秀な者が選ばれて、命がけの仕事に挑む。手入れの直前に身分がばれそうになって、内部協力者に自分を殺すように仕向けて死んでゆく。手入れは無事、行われるが、そのとき出てきた彼の死体に右京は不審をいだく。麻薬担当は内部抗争として片付けようとするが、右京は自殺ほう助として扱かおうと食い下がる。警察署内の対立、潜入捜査の難しさ、問題を提示しつつ、死んだ捜査官の遺志と警察の体面優先ということで、「相棒」の裏切り?もあって、右京の意見は通らないまま話は終わる。重く深い。
 きっと、現実にもこのようなケースは多いのだろう(「インファナル・アフェア」というドラマもありました)。死んだ捜査官の名誉はどうなる?というのが私の思いです。悪を摘発するためには小さな犠牲なのだろうか?身寄りが少なければいいという問題ではないでしょう。
 うちの息子にも、このような問題が起こりうるのでしょうか・・・。
 
3 30代の男が、切られた上でビルから不審な墜落死。彼の数年間を調べ上げた右京と相棒は、彼が就職しようとしながら失敗を重ね、失恋し、絶望に追い込まれていった過程をあぶりだす。ハローワークの対応、名前貸し、レンタルビデオショップ、貸倉庫での生活、最後に試食品を漁り歩く生活がリアルに描かれて胸を打つ。彼は結局、自殺でしたが、「社会に殺された」ことをアピールするために、他殺を装ったのだ・・・。こちらも重い余韻でした。
 
「相棒」は本当に脚本が練られています。見ごたえあり。
 
 
 今年を振り返る番組がいっぱい
 
 ユニークなトーク番組「ごちそうさま」で、今年のトーク大賞を逃したけれど、私が好きだったもの。2月の西村和彦さんの出演の時のは話。西村さんは若手俳優で再婚(相手は書道家)で子どもに恵まれる。
 
 2才を過ぎて、言葉を憶えはじめた息子を連れて、晴れた日、公園のブランコに乗る。
 
 「あれは木」ー「木」
「あれはビル」ー「ビル」
鸚鵡返しののどかなやり取りを重ねつつ、思わず
「おとうさん、シアワセ」とつぶやくと
「ボク、シアワセ」と返す息子
 
「思わず号泣してしまった」と語りつつ、声を詰まらせた西村さん。 
あたたかな涙のワンシーンでした。
 
明日は墓参りと掃除の仕上げ。
そして夜は「紅白」。小林幸子さんの衣装?は2トンの紅獅子だそうですよ。
 
 
 
 
2011年12月29日
 
「 3秒だけ 待ってください 履けるんです 飛んできて靴を 履かせないで 」 
 
朝日歌壇から
 
 ゆっくり自分でやりたい老人。いそがしくて、さっと面倒をみたい職員。意志と善意と周囲の都合が微妙にクロスします。母を見ていて、痛切に感じます。私もつい、急ぎ、急がせてしまう。気を付けなければ・・・。
 
 
 27日に反対派に阻止されて搬入できなかった辺野古評価書を、28日未明(4時10分)に運び込むー送りつけた政府のメンツもあったのだろうが、県民感情を逆なでするようなやり方が、却って事態を拗らすことがなぜわからないのだろうか?政府の皆様方、失礼ながらアホでいらっしゃるのですか?民主党も党内分裂している場合じゃないでしょう。
 
 この時期、世界に散ってゆく友、同僚、そして、東北に瓦礫撤去のボランティアに出かける人・・・。帰省ラッシュも始まりました。
 
 四国には今、甥夫婦が帰省してくれているので、私は申し訳ないが、この年になって、初めてののんびりした年末です。28日、30年前の教え子たちと、梅田の教え子の店で忘年会。楽しいひと時でした。盛り上がり、話し込んで、終電で帰宅。その電車の中でも教え子に出会う。千葉に単身赴任中で、帰省してきたらしい。元気そうでした。携帯に友人のお母さまの訃報が届く。亡くなった人も多い一年でしたが、生きているみんな、元気で年を越したい。
 
 「ヒートショック」ー年間1万人近い人が浴室で亡くなるという。暖かい部屋から冷たい脱衣場、そして熱い湯へ。その変化が体に負担を掛ける。なるほど。脱衣場に暖房を入れるなどの工夫が大事なんだ。トイレは注意していましたが、風呂もそうなんだ。実家は風呂、トイレへの冷たく長い廊下も心配です。
 
 一番好きな建物は?と問われたら、悩んで、最後に「薬師寺東塔」と答えるでしょう。大修理の為、鞘に覆われてしまいました。もう一度秋空に聳える流麗な姿や、塔の上の水煙が拝めるまで生きていたいと思います。姫路城も大改修中で囲いの中、新幹線から拝める日が待ち遠しい。その日まで両親が元気で、四国通いが続けられるといいのですが・・・。
 
 年末は芸能ネタで。
 
 何年か前に「紅白歌合戦」を会場で見た、漫画家の西原理恵子さんのリポート。
 
 「会場を歩き回るじっとできない若者たち(トイレ、
飲み物・・・ワカルカワル、昔の音楽鑑賞行事
の悲惨な記憶が甦ってきましたー苦笑)、茶の間と同じ大きな声で歌手を論評し、思い出話を語る老人たち・・・自分に興味ない歌手の時は、みんな勝手放題、行儀悪いぞ、日本人状態。そんなバラバラな会場が一丸となったのは、もちろん、小林幸子(「覇王別姫」の人物が全部小林幸子に見えて迷惑している)。「幸子が出るぞ」「集まりや」「すぐ、行くわ!」日本のどこの家庭でも一緒なんだろう・・・。」
 
 作家の佐藤優さん曰く
 
「紅白歌合戦は、日本人にとって不可欠の宗教行事である。紅白のドンチャン騒ぎでまずカオス(混沌)を、その後、荘厳なゆく年くる年でコスモス(秩序)を作り出す。こうして年始に新しい秩序を作り出し、元気を得る。これは年中行事に繰り込まれた宗教に他ならない」
 
 なるほど。でも近年、嗜好の多様化もあって、視聴率も低下。私はラジオ時代からずっと視聴し
ていますが、昔は、午後9時からの2時間45分の番組で、子供にとっては年一回の夜更かし公認の嬉しい時間でした。あの長さがいい。今は、スケールアップ、長時間化して、
見る方も大変(録画して、新年に楽しむ人も多いらしいが、やはり、あの時間帯のものだと思う)。掃除の仕上げをし、おせち料理をこさえつつ、レコード大賞を気にかけつつ、午後9時に照準を合わせて行動していた、かつての大晦日が懐かしい。
 
 
 
2011年12月27日
 
「 人間(じんかん)には悩ましきこと多かれど 天涯に桔梗の紺の風吹く 」 辺見 じゅんさん
 
 「男たちの大和」「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」のノンフィクション作家、歌人。富山の旧家、角川家の大姫(長女)、そして、源義の娘、春樹の姉。この秋、脳内出血で死去。72才。一人住まいだったので、発見したのは通いの家政婦さんだった。(朝日新聞、追悼抄より)
 
 でも、この歌を読むと、ご自分の突然の死を予感、覚悟されていたと思われます。
 
 
今日、届いた喪中欠礼。Tさん、ごめん。もう賀状、投函してしまいました。梅田の「深夜食堂」連れてってもらうの楽しみにしています。でも、午前1時開店だと、朝まで飲まないとあかんねんな(笑)。土曜日にしてください。
 
 内田 樹さんの講演からー福沢諭吉の「福翁自伝」を引用して
 
 適塾で、狭いところで何十人という青年がひしめいて、気が狂ったように勉強していた。諭吉があるとき風邪をひいて、あまりに具合が悪いので横になって寝ようと思って枕を探したら枕がない。なんで枕がないのか訝しく思ったら、この1年半、一度も枕を使って寝たことがないことに気が付いた。毎晩勉強しているうちに、気を失って机で突っ伏して寝ていたので、横になったことがなかったんです。
 
 それくらいの勢いで勉強するわけですが、これは別にオランダ語に対して、社会的ニーズがあったからではないのです。江戸だと蘭学者はまだ大名とか幕府の官僚として登用される可能性はあるけれど、大阪で蘭学者に対する求人なんてゼロなんです。つまり、適塾の塾生も「こんなに難しいオランダ語読めるのは日本に俺らくらいしかいない」というような「なけなしのモチベーション」にしがみついて猛勉強した。まことに健気だと思う。どうやったら学びのモチベーションを高く維持できるか、そのためには使えるものは全部使う。最終的に彼らが採用したのは、営利栄達でも、知的優越でもなく、自分の脳が高速度で回転しているという事実そのものだったんです。その「アカデミック・ハイ」だけは間違いなく、今ここで身体的に実感できる。最後に残るのはこの快感だけである。これだけは他のものすべてが消え失せても、消え去ることがない。他のすべてを失っても、自分の知性が最高速で運転しているときの、全身を貫くような快感。これだけは、手元が不如意であろうとも、先行き職がなかろうとも、壮絶な勉強をしたものだけが今ここで経験できる。
 
 こころに突き刺さる言葉でした。惰眠を貪ってきた自分を恥じます。残された人生、もちいと気を入れて(福翁の億分の1くらいは)勉強しよう。
 
 「ゴパン」ー米粒からパンが出来る、画期的な家電。予約がいっぱいで、生産が追い付かず、購入は当分無理らしい。最新作は冷ごはんからもOKらしいので、もう少し改良を待って来年は買いたい。
 
 ゆく人
 
オットー・フォン・ハプスブルク (ハプスブルク家の当主、7月4日、ドイツ、ペッキングで死去、98才)
 
 1912年、
旧オーストラリア・ハンガリー帝国最後の皇帝、カール一世の長男として生まれる。帝国崩壊後、スイスに亡命、その後世界各地を転々、第2次世界大戦中はナチスへの抵抗運動を続け、戦後は欧州統合に尽力する。
 
 89年夏、オーストリアとハンガリーの国境の村、ショプロンに数百人の東ドイツ市民が集まって、ハプスブルク家主催のピクニックが開かれた。その最中に国境の有刺鉄線が切られ、市民たちは西側に越境を始めた。これがその年11月のベルリンの壁崩壊につながるーその仕掛け人がオットーだった。
 
 欧州切っての名家に生まれただけでもすごいのに、なんとドラマチックな一生。彼の最後の眼にEUの危機がどのように映ったことでしょう。
 
 
 
 
2011年12月26日
 
「 龍の玉 深く蔵すといふことを 」 虚子
 
 庭に茂る「龍の髯」の葉に隠れている小さな美しい青紫の実。実家の庭にもありました。そのように、大事なものは、心の奥深く蔵しておいて・・・。「蔵」の反意語は「行」。思索することと、表現することの問題ともとれます。どちらも大事。
 
 夕刻、西の空に、旧暦12月2日の細い月がきれいに懸かっていました。それで、ふと思い出した古いテレビドラマ。
 
 眉月の誓い」。 小学生でした。もちろんモノクロの画面。気になって調べてみたら、「
奈良時代の藤原広嗣の乱(ひろつぐの乱)を描く少年向け歴史ドラマー原作は長岡良子さん(秋田文庫―古代幻想ロマンシリーズ)」で、主演は、太田博之(少年ドラマの大スターでした、80年代に事件を起こして消えてしまった)。内容は、全く憶えておらず、冒頭の馬の疾走シーンと主題歌だけ憶えています。
 
 「 散る花びらを渦と巻き…嵐の中をまっしぐら、真白な騎士が駆けてゆく・・・ 」
 
 同じ愛媛というだけで、なぜか、お問い合わせあり。王子製紙の元社長とは全く面識ありません(苦笑)。先日3億円、現金で払って保釈されたとか。まだ、それだけ出す金があるんだ。
 
 23日に天皇の仕事量について少しふれましたが、皇室の在り方についての論議はなぜかありません。「聖域なき行政改革」にも「聖域」はあるようです。
 個人的に、皇室は文化的存在(新嘗祭、歌会始、舞楽などの伝統行事・文化の継承を中心に)などであるのがあらまほしく、政治的存在、権力の道具になってはいけないと思うのですが。
 
 民主主義、平等の思想とはうらはらに、皇室や王制が世界に存在し、それを支持する多くの人々がいる事実。日本国民の8割以上が皇室存続を支持しているというアンケートもあり、その維持費が年100億円超とすれば、国民ひとり100円か、なら、いいかなと思う私でもある。美智子皇后はええ人やし、天皇は被災地に配慮して、宮中の暖房を止めているという。
 
 で、70億円の「ハヤブサ2計画」は仕分けされて、凍結?ひとり70円なら出してもいいと思うのですが。
 
 で、ギャンブルで100億以上、負ける人もいる。彼も、あたたかい部屋でおだやかな新年を迎えるのでしょうか?
 
 関川夏央さんのエッセイを読んでいて、年の瀬にふと思い出したこと
 
 三島由紀夫が死んだのは1970年11月25日、よく晴れた晩秋の日でした。私は、20才、東武東上線の電車車内で、乗客の声高な会話から知りました。みんな異様に興奮していました。
 
 三島は10時13分に家を出る。迎えに来たのは「楯の会」の青年4名。10時40分に「新潮」の編集者が三島邸を訪れ、約束の原稿の入った紙袋を受け取る。長編「豊饒の海」の第4部、「天人五衰」の終章、140枚。三島が市ヶ谷の自衛隊の総監室で割腹自殺したのは12時13分ころ。45才
 
 
「豊饒の海」が月にあることを、その時(第3部まで読んでいたけれど)は知らなかった。そして、死後刊行された「天人五衰」の終章を知る。主人公というか語り部、本多繁邦は76才、第一部のヒロイン、その時点では月修寺の門跡、聡子を奈良に訪れる。それは1975年の7月のこと。
 
 どうして、5年先の近未来に設定したのだろう?老いを異常に恐れ、嫌悪していた彼。死を決意していたが、生きていれば5年後、50才であることを、意識していたのだろうか?
 
 彼が憎んだ「老い」というもの
 
「その醜悪で無力な肉体、その無力を補うくだくだしい無用のお喋り、同じことを五へんも言ううるさい繰り返し・・・その尊大、その卑屈、その吝嗇、しかもいたわるに由ない体をいたわり、たえず死を怖れている怯懦のいやらしさ、なにもかも許している素振り、しみだらけの手、尺取虫のような歩き方、ひとつひとつの表情に見られる厚かましい念押しと懇願の混じり合い」(「天人五衰」から)
 
 これは私の近未来です。いや、もう現実かも(笑)。しかし、憎まれてもなあ(苦笑)。まあ、若い世代に、甘えず、干渉しすぎず、上手に距離感を保って生きてゆくしかないのでしょう。
 
 
 
 
 
 
2011年12月25日
 
・・・クリスマスツリーに明かりが点り
みんなの笑い声が聞こえる頃
安奈 お前に会いたい
燃え尽きたロウソクに
もう一度 二人だけの 愛の灯を点したい
 
安奈 クリスマスキャンドルの灯は燃えているかい
安奈 お前の愛の灯は燃えているかい
 
 24日は年一度の藤井寺のスナック「R」で恒例のクリスマス・パーティ。前任校での友人2人との年2回のカラオケ大会でもあります。夜8時集合。一番年長のBがやつれた顔して待っている。
 
 「どうしたん?」
 「実は、先月、脳梗塞で・・・。」
 「何しとん!!?おれらと飲んでいる場合ちゃうやろ!?帰って寝!」
 「大丈夫。これが楽しみやったから・・・。6時から来て待っとんたんや!」
 
 アホかいな!とグラスを取り上げると、ごく薄い焼酎の水割り。好きな煙草も喫っている気配なし。ママがそっと頷いている。
ま、いいか。
一番若いSが遅れて登場。顔が赤い。
 
 「どうしたん?もう飲んで来たんか?」
 「実は、風邪で昨日まで二日ほど寝込んでいて、今日はよくなって、熱も下がったから、万全!」
 
 もー、どいつもこいつも、無理ばっかりしやがって・・・。身体を大事にせんかい!
 
 歌うのは9時ころから。今年も私の「安奈」が口切り。年一度しか歌わないのに、先月、歌ったような気分。ステージで最初から飛ばす。
 
中年婦人の二人連れの常連さんの感想
 
 「歌唱と格好(私はこの夜は、帽子からズボンまで真っ赤のサンタクローススタイル)は別にして、この日に、この歌を聴くと泣けてくるの」
 「でも、この服、キャバレーのプラカードを持ったくたびれた青年が、木枯らしの街角で昔の恋人を想う風情があっていいわよ」
 
 褒めて貰ったんやろか?(苦笑)
 
 次はBが「むらさき慕情」を座ったままで。
 
私とS「カラオケに藤あや子さんが出てないやんけ!」「あれが楽しみで聴いてんねんで」
ママ「画面が変わったんよ。いいじゃない。代わりに私がいるし・・・」
常連さん「ママ、それはいろんな面で詐称やで!」
チイママ「みんな、うるさい。黙って聴きなさい!」
 
 続いてSが山下達郎のクリスマスソングの定番を。
 
私「あんな、どうしても、サワリの部分が、昔、替え歌で聴いた『兄は夜更け過ぎに、幸恵に変わるだろう』が浮かんできて、かなわんねん]
 
常連さん「俺もそうや」と、その歌詞で歌って邪魔をする。その分、Sのお得意の陽水の「人生が2度あれば」をリクエスト。
 
 それから約2時間、歌いまくり踊りまくって、どっと疲れる。そして、今朝の寝覚めがいい。Sの持ち込みのシャンパンと私のワイン、どちらもおいしかったし・・・。枕元の携帯を見て、万歩計が、すでに2千歩を超えている。あれ?
 
 それで、思い出しました・・・。
 
 11時半ころ、Bが眠り始めたので、我々としては早めに切り上げる。自転車で来たというBの足元が心配なので、Sと二人で歩いて送ってゆくことにしたのです。いろんなことを話しながら・・・でも、Bが丸くなっていて、どんなきつい冗談を言ってからかっても、笑ってばかりいるのが淋しい。生指部長で、あちこちの荒れた学校を立て直し、その当たりの厳しさで恐れられていた彼が・・・。
 
 まだ明かりがついている藤井寺郵便局の前でSと別れ、私が自転車を押して、Bが前を歩く。ところが、Bの歩きがだんだん覚束なくなり、前のめりになって、とうとう転んでしまう。病み上がりで足が衰えていたのでしょう。
 
 右手に自転車、左手にBを抱えて5分。汗をかきました。Bの家は暗く、鍵がなかなか開かない。ずっと一人暮らしなのです。Bがありがとうありがとうと言って、玄関に入って内から鍵をしめる。でも、なかなか明かりがつかない。きっと玄関で座り込んでいるのだろう。しばらくしたら、廊下に足音がして、奥の間に明りがついたので安心して、羽曳野警察の前でおしっこして帰る(息子には内緒)。そんなことで12時を過ぎていたのですね。万歩計が動いたわけです。
 
 心配なので、1月にまた、Bの誕生祝をします。
 
 全日本フィギア選手権、見ごたえありました。ショートプログラムの村上佳菜子さん、高橋大輔さんの演技、
フリーの小塚、羽生選手、そして真央ちゃんの演技。
大一番で力を発揮することの難しさも含めて、感じ入り、見入ってしまいました。
 
 「僕とスターの99日」クリスマスに終了。キム・テヒさんがキレイでした。
 
 金剛山も岩湧山も雪を被った寒い一日。家に籠って、やっと賀状を仕上げました。
 
 「一行の こころを籠めし 年賀状」 虚子
 
 毎日テレビの報道特集で3・11を時間通りに状況を実写映像で再現する趣向。その構成・編集もすごいけれど、映像の迫力、事実の重みに圧倒されました。なにより、その日の朝からの映像(地元のテレビ局が撮ったもの)が痛ましい。港で働く人々、南部鉄道で釜石を訪れる観光客の笑顔、デパートの催し・・・。誰も、数時間後の悲劇を知らない・・・。見ているこちらは、その人々のその数時間後の運命を知っている。
 
 イブは外出したので、クリスマスの夕食は嫁ハンとワイン(これは息子夫婦からのプレゼント)で乾杯。おいしかったです。プレゼントはなし。
 
 
 「賢者の贈り物」ー毎年、この季節の授業で取り上げる作品。お互いの大事なものを売って、相手の一番喜ぶだろうものをプレゼントしたはずが・・・。行為は「愚か」だったかもしれないが、この若い二人こそ「賢者」なのだと、いつもは軽妙なオー・ヘンリーが、ストーリーを語り終えた後、読者をひたと見据えて訴える最後の10行が圧巻。昔は読み流した部分が、年を経て身に迫ることもあります。
 
 「クリスマス」の由来も、「東方の賢者(博士)」も知らない生徒に読ませるのは、ちょっとしんどくなってきていますが、いい感想もあったし、ま、いいか 。
 
ゆく人
 
岩井半四郎さん(歌舞伎俳優、84才)
 
歌舞伎俳優で、舞踊家としても活躍した岩井半四郎(いわい・はんしろう、本名・仁科周芳=にしな・ただよし)さんが25日、多臓器不全のため死去した。
 
 日本舞踊の初代花柳寿太郎の長男で、昭和10年に初舞台。26年、十代目岩井半四郎を襲名、幅広い役柄で脇を締め、映画「柳生武芸帳 双龍秘剣」などにも出演。平成9年の国立劇場「壇浦兜軍記」出演後、体調不良で舞台から遠ざかっていた。女優の岩井友見さん、仁科亜季子さん、仁科幸子さんは娘。
 
 品のある美しい役者さんでした。今年は役者さんがたくさん亡くなられました。
 
入川保則さん(俳優、72才)
 
 
 
 
 
 
 3月に末期のがんのため余命半年と告白していた俳優の入川保則(いりかわ・やすのり、本名鈴木安則=すずき・やすのり)さんが24日午後3時20分、直腸がんのため神奈川県厚木市の病院で死去した。72歳。遺作となった主演映画「ビターコーヒーライフ」(監督横山浩之)の来年5月12日公開を待つことなく帰らぬ人となった。

 みとったのは長男の正則さん。23日から言葉を発することができず、22日に正則さんが「帰るよ」と言って病室を出た時に「ありがとう」とか細い声で答えたのが最後の言葉だった。

 「ビター…」は末期がん判明後、周囲が“最後の花道”として用意。入川さんは脚本製作にも参加し、元警視庁捜査1課刑事で末期がんの喫茶店マスター役を演じた。「被災地の力になれれば」と、9月1日から11日間、福島県白河市で撮影。10月に同市で行われた特別披露試写会にも出席した。

 事務所社長が24日朝に見舞った際、「ビター…」の公開日と1月に完成披露を行うことが決まったことを告げると、うれしそうな表情を見せていたという。
 
 これはこれで本望だったと思います。
 
森田芳光さん(映画監督、61才)
 
「家族ゲーム」「失楽園」など多くの作品を手がけた映画監督の森田芳光さんが20日午後10時15分、急性肝不全のため都内病院で死去した。61歳だった。

 関係者によると、森田さんは以前からC型肝炎を患っており、1カ月ほど前から主治医に自宅療養を指示されていた。来年3月には新作「僕達急行 A列車で行こう」が公開予定で、年明け早々にプロモーション活動が始まる矢先での急逝。「森田組」の役者、関係者はあまりにも早すぎる死を惜しんだ。
 
 
 私と同年。豊かな才能を早く開花させ、代表作も早かった。でもその器用さ、若さを買われて、あれこれ酷使されて、円熟を待たず、疲れて擦り切れて行った感じがして気の毒。こういう人に、ゆっくり作品を作らせてあげたかった。


2011年12月23
 
「 ゆるゆると 湯舟に浸かる 冬至かな 」 
 
 これも作者忘れました。でも、このまま、流したらアカンと検索したら、2007年に書いた自分のHPが出てきてしまった(苦笑)。その時にも作者は書いておりませんでした。
 
 その時には、「ゆ」の連なりで「柚子湯」を連想させると書いています。今回は「冬至」が「湯治」につながることを発見。四国から持ち帰り、あちこちお分けして、冬至に柚子湯に入りましたという報告をいただいたりしたのですが、自分は忘れていました。一日おくれですが、今日入ります。
 
 たくさん貰ってきた蜜柑も職場などに運びましたが、好評だったのは小玉といわれるものでした。大阪ではあまり出回っていませんが、小さくて皮も薄くて甘みがある。特に女性には「この小ささがいい」と大もてでした。大きくて、形がよくて、艶があるものが商品価値がある(でも案外、大味)
・・・という基準は、もう見直していい時期です。都会の人にもっと小玉のおいしさを知ってほしい。
 
 
忘年会も終盤へ。職場の会は道頓堀で。適度にくだけて、和やかな宴会でした。御堂筋の銀杏並木はまだ葉が残っていて、ライトアップされていてきれいでした。ずいぶん酔ったみたい。
 
 23日は天皇誕生日。テレビで拝見するお姿は、かなりお疲れのご様子。東宮家もいろいろ大変だろうけれど、78才はご高齢。規則を変えてでも、退位されて、公務から解放して差し上げたいと思うのは私だけではないと思うのですが・・・。
 
 5年前の卒業生数人が集まって、年に一度のクリスマスパーティ。私はサンタの格好でおにぎり持参。元、女生徒たちが手料理を持参。この厳しい社会状況の中、なんとか一度就職した会社で踏ん張っている卒業生たち(フリーターもいるけれど)はえらいと思う。サービス残業は当たり前、朝6時45分から夜まで働いている者も。パーティの後、夜勤に駆けつける者も。クリスマス・イブも十分楽しめない。でも、それは仕方ないことなのでしょう。仕事があるだけでも、幸運な社会情勢なのですから。来年のクリスマスでの再会を約して別れました。
 
 うちの息子たちも休みなし。特に下の息子は、いきなりの事件で1月末まで休みが取れないそうです。私だけが、例年になく、少し時間に余裕のある年末を送れそうで申し訳なく思う年の瀬の一日でした。
 
「人の心が 年の初めに 届く国 」 そうだ!賀状がまだ仕上がっていなかった(苦笑)。今夜からラストスパートをかけます。
 
 
最近印象に残った言葉から
 
曾野綾子さんの「家の履歴書」から
 
 「年寄りはひび割れ茶碗なんですね。使い続けてれば大丈夫。だけど、うっかり替えると、わっと割れる。家の本質ってもしかするとそういうものではないでしょうか」
 
 日ごろから、あちこち体の手入れをしつつ、ぼちぼち生きてゆくべしということでしょうね。
 
 あの人は今
 
源五郎丸 洋さん(現在48才?)
 
 81年ドラフト1位で阪神に入団。ダイナミックなフォームで「村山2世」と呼ばれた逸材。当時18才。何より、その名前、初々しい雰囲気がよかった。スター性もあり、期待された新人でした。でも、その年の秋のキャンプで怪我、結局一度も一軍のマウンドに上がることなく、5年後に球界を去る。九州に帰り、実家の造園業と野球教室をやっていると当時、聞いたけれど・・・。その結婚(こども2人)、離婚して、今は消息不明とか。入団会見の時の夢に満ちた表情をまだ、憶えています。気になるなあ。

2011年12月22日
 
「 三合の酒飲んで 今日 冬至かな  」 
 
作者は?
うーむ、
六輔さんだったような・・・。
 
「三合」は晩酌にしては多いかも?
単に、「酒」と「さ」の韻を踏むためだけかもしれません(笑)。
でも、冬至は嬉しい。明日から日が長くなり、春が近づくという認識がなされます。
実際には、本格的な冬に向かうのですが・・・(苦笑)。
 
一陽来福ー伊勢神宮、宇治橋の真ん中からお日様が上る冬至の朝
本格的に引退したら、死ぬまでに一度拝んでみたいと思うのですが、
元気でいて、旅行できて、そして天気に恵まれて・・・
なかなか難しいかも。
 
京、円山公園の満月満開の枝垂桜を見る(「花明り」)よりは可能性が高いかなあ?
 
今年もばたばたしている師走ですが、忘年会も今夜がヤマ。
がんばって(がんばらなくてもいい、と嫁ハンは言うてますが)きます。
2011年12月19日
 
「 空見上げ 星を探して 祖父思う ブラジルは今 朝だけれども 」
 
今年の歌壇賞 朝日歌壇から 佐藤 モニカさん 
 
ブラジルで生きて亡くなった祖父を詠ったこの歌から、14年目の受賞です。
 
 星の美しいふるさとから、とにかく今朝、無事帰阪しました。今回は嫁ハンも一緒だったので、車で帰省。食事関係もすべてやってもらえたので、助かりました。この秋は帰省するたびに雨が降ったのですが、今回は3日とも晴れ。庭は赤い椿、南天、万両が美しい。でも、寒い!金曜日、庭木の剪定をして脚立の上にいると、何やら辺りに小さなものが舞っている、枯葉かな、と思ったら雪でした。初雪。
 
 腰痛を押して、とにかく3日間、昼間は、剪定はじめ、家の周囲の整備に没入。迎春準備です。庭木は、新しい鋸を買ってきて、思い切って枝をいっぱい落とす。しんどく、けっこう危険な作業。大きくなる木を植える趣味があった庭師が作庭したのだそうですが、いまさら恨んでも遅い(苦笑)。「陽が射さない」(大袈裟!)と嘆いていた南西の父の部屋へ、これでたっぷり陽光が当たります(ついでに西日もー笑)。
 
 でも、剪定しながらでも遊べます。植え込みで塞がれていた庭の隅の一畳ほどのスペースを、通路と共に確保。高い石垣の上で、村の3分の2、高縄山、
そして夕陽が眺められる。ここで、こっそり喫煙。人目に付くところだけれど、そもそも人がいないので安心(笑)。これで帰省する楽しみがふえました。次回は、今回、話せなかった悪友Nを案内してやろう。
 
 父は嫁ハンの料理に大満足。
 
 「ありがとう」(この言葉、知っていたんだ)
 「この料理はおいしい」(私が今まで、作ったんはまずかったんかい?)
 「ーさん、ちょっと休みなさい」(私が腰を押さえて這いずりまわっていても、なにも言わないのに)
 
 「偶に来て、おいしいとこ取りじゃ」。嫁ハンに文句を言うと、「ごめんね」と言いつつ「どや顔」をしていました(苦笑)。
 
 母も施設に迎えに行って、日曜は今治のホテルでランチ。きれいなクリスマスデコレーションと23階からの景色を喜んでいました。来島大橋も海峡も一望。あと何回、このような機会を持つことが出来るでしょうか。年が変わると、春に両親は91歳になります。最近、いつも自分の年齢を訊きます(苦笑)。
 
 正月飾りは、年末に帰省する甥夫婦と姉夫婦に任せました。
 
 夜は旧友「まーしクン」と町の焼き鳥屋で飲む。自転車での帰り道の星空、スバルが特にきれい。そして、弟の家で飲む。楽しい時間でした。
 
 2軒隣のリンダさん(隣町の大学の英語講師)ちのイエナリエも健在。見る人もいないけれど、年々スケールアップしています。学生たちが手伝うらしい。
 
 今年最後の帰省、懸案事項が一応クリアできたので、弟たちから蜜柑、キウイ、野菜などいっぱい土産をもらって、安心してフェリーの乗りました。それにしても、活字中毒の私が3日間、新聞も読まずによくおれたもの、持って帰って書こうと思った賀状もそのまま、また大阪へ持って戻りました(苦笑)。
 
引退する人
 
宮本 恒靖選手 ( サッカー選手、ヴィッセル神戸DF)
 
 富田林出身。「主将になるために生まれた男」と賞される。フェースガードを付けて臨んで話題になった、ワールドカップ日韓大会でも主将を務めました。大会直前の大学生との練習試合で、接触プレーで鼻骨骨折、その相手(現スポーツ用品会社員)と今年再会、謝罪を受けたという。彼が責任を感じすぎない為にも、痛みをこらえて大会に出場した由。高校で宮本選手を担当した同僚によると、「めずらしいくらいの好青年」だったそうです。確かに記者会見でも好印象。
 
来る人
 
 大阪市新市長、初登庁。「面従腹背大歓迎」などと言うてはります。文脈は読めるけれど、トップに立つ人がそのような言い方(特に「大」が余計)はすべきではないと思います。「これから信頼関係を築くようにがんばりたい」でいい。彼の物言いは角が立つ。
 
そして、去る人
 
 帰阪してびっくり。金総書記が2日前に死去していた。病気もあって、遠い先のことではないと思っていたけれど、一瞬暗殺か?と思ったのは私だけでしょうか?これで拉致問題、核問題はどうなる?軍はどう動く?中国は?そして一応「民主主義」を詠う国で本当に世襲が行われるのか・・・?更に大きな「危険」の始まりでなければいいが・・・。
 
 
2011年12月15日
 
「 船室の かすかな揺れと 年を越す 」
 
これも姉の句から。姉夫婦は年末に帰省します。
 
盛り上がった?友人のお別れ会、その後も大変で・・・。
 
翌日の夜、奥さんに電話したら、あれから帰宅して、お嬢さんとふたり、体調を崩し
「上げ下げ」で大分苦しんだらしい。
 
貴方は大丈夫?
そういえば、午前中、吐き気と腹痛で、珍しく二日酔いかと思ったんやけど・・・
 
慌てて、あちこちへ電話で確認。結局、出席者の3分の2が症状あり。
 
奥さん、御嬢さん以外、みんな二日酔いと思っていたというのが情けないやら、おかしいやら。
これってやはり食中毒?
 
医者に行くには遅いので、結局、みんなの症状、食べたもの、残したものをまとめて、コピーして店へ持ってゆく。
 
恐縮して調査します、とのこと。
 
死後もお騒がせなヤツです。遺影にビールを献杯して、
お代わりしてやろうか?
いや、もったいない。
 
などと言っていたのが、聞こえたのでしょうか?(苦笑)
 
それでも、しつこい腰痛をおして、
考査後、再開した授業
夜のテニスレッスン
バザーの売り上げの送金などの手続き
同窓会で再会した教え子との忘年会をこなして(我ながらハードな師走)
今夜のフェリーで帰省します。
 
月曜の朝、帰阪予定です。
行って帰ってきます!(伊予弁です)。
 
 
2011年12月12
 
「 コピー機が するりするりと生み出せる 友の訃報にほのかな温み 」 読売歌壇から 吹田市 辻井さん
 
命のない紙のぬくもり、そして温かみを喪って
いるであろう友への思い。
 
昨日の友人のお別れ会で泣けた話
 
 テーブルに飾った遺影は、万里の長城で笑っているもの、被っている帽子は昔、私から奪ったもの(笑)。これ、いいな、と勝手に取り上げ、くださいもありがとうもない。これこれ、と文句を言うと、おれの方が似合うからいいじゃないか、と憎まれ口。
 
 それから35年間、あちこちへの旅行でずっと被っている。洗って洗ってぼろぼろ(遣ったー憶えはないがー甲斐はありました)。それを納棺に際し、入れてやろうと探したがとうとう見つからなかった、と奥さんの話。7月の中国旅行から帰国後、自分で処分したのだろう。イスタンブール旅行の計画を口にしながら、最後の旅であったことを自覚、覚悟していたんだなあと思うと・・・。
 
昨日の友人のお別れ会で笑わせた話
 
 沈痛なムードになってしまうといやなので、場が暗くなる度に仕掛けた、私と友人のおくさんとの掛け合い(打ち合わせなし)
 
「あの、生命保険は?」 「実は、入っておりませんでした!」
「あの、生命保険の受け取りはいつごろ?」「入ってないので、貰えません!」
「あの、生命保険はやっぱしアフラック?」「どこにも入ってなかったの!」
 
 金に無頓着
(奥さんはしっかりしてはる!)
で、医者嫌い、生命保険嫌いの友人が、奥さんがいくら薦めても保険に入らなかったことを、出席者はみんな知っているのです。ドッと受けました。
 
 長患いをせず、さっさと逝ってしまったところにも彼の生き方があったのかもしれません。
 
 フィギアスケート・グランプリファイナル、イタリアの美女、コストナーの演技が見事でした。初優勝。これまで長い手足を持て余しているようで、未完の大器の風情があったのですが、やっと花開いた感じです。
 
 男子のフリー、高橋クンも羽生クンも気合の入ったすばらしい演技。観客は自然に立ち上がって熱烈な拍手。やはり、いいものは確実に大衆に伝わってゆくものなのだなあと感心。
 
 でも、政治の世界では・・・なかなかそうならないのですよね。
 
 今日は亡き義父の誕生日。生きてはったら米寿の祝いをするところ。昨年まで、いつもこの日は義母が義父の好物だった赤飯を炊いていた。それを期待して、
夕刻、お供えを持って訪れると、玄関で義母は怪訝な顔。「あ、忘れとったわ(笑)」。これはこれでいいのかも。仏壇にお参りして、早々に帰ってきました(笑)。
 
 
最近印象に残った言葉
 
「校舎が人間を育てる」
 
神戸女学院大学教授 内田 樹さんの最終講義(2011・1・22)から
 
 神戸女学院大学の宝、ヴォーリズ設計の校舎に触れて。。。採光や防音動線も大事だが、この校舎は教室の音の響きがいい。声がきれいに通り、反響する、それがよい講義や討論、思考を導き出してゆく。そして、適度に薄暗い。各教室がすべて造りが違う・・・なるほど。全くその通りと思います。
 
 
2011年12月11日
 
「 中天に 皆既月食 年暮るる 」
 
 京都の姉が送って来た句の中から。句会に出すものを選べとファックスでいつも唐突にドカッと送ってきます(苦笑)。これは新年句会用のものから。
 
 私も昨夜の皆既月食、タイミングよく、見ることが出来ました。奈良の友人は雨で見られなかったと言ってましたが・・・。
 
 11月に亡くなった友人の「お別れ会」。好き嫌いが激しく、毒舌で鳴らし、敵も多かった彼にふさわしく(苦笑)少人数で。このブログを読んでいただいている方で、お声を掛けなかった方もいますが、すみません。奥さんとお嬢さんもよくご存知の方という枠でやらせていただいたので、お嬢さんの記憶にない20年以上前にお付き合いあった方は外させていただきました。
 
 天王寺の地下の料理屋の一番奥の個室。お互いに思い出の品を持ち寄って、彼の写真を前に、褒め言葉もですが、悪口も言いたい放題、笑って、泣いて、にぎやかなひと時になりました。49日まではまだこの世にいるという、彼も苦笑しつつ、喜んでくれていると思います。
 
 昨日の気になったニュース
 
今年有線放送で数多くリクエストされたアーティストやヒット曲を表彰する『第44回日本有線大賞』(主催:全国有線音楽放送協会)が10日に発表され、歌手のふくい舞が初の「大賞」を受賞した。

2008年8月20日にシングル「アイのうた」(TBS系ドラマ『恋空』主題歌)でデビューしたふくいは、同年に『第41回日本有線大賞』で「新人賞」を受賞した。トロフィーを手にしたふくいは「このような名誉ある賞を受賞し、みなさんに感謝しています」と喜びを語った。

 授賞式は、東京・赤坂のTBSから生放送され、メイン司会を5年連続で草野仁が務め、同局アナの久保田智子・吉田明世アナの2人が華を添えた。各賞受賞者は以下のとおり。


■有線音楽優秀賞
 AKB48、大月みやこ、JUJU、田川寿美、西野カナ、氷川きよし、ふくい舞、水森かおり
■新人賞
 薫と友樹、たまにムック。、Fairies
■ロングリクエスト賞
 「雨のミッドナイトステーション」南かなこ、「雨のミッドナイトステーション」レーモンド松屋
■特別賞
 AKB48、薫と友樹、たまにムック。
■有線問い合せ賞
 「人間失格」Metis
■有線放送協会賞
 さくらまや、竹川美子、真崎ゆか
 
 
大賞はじめ、知らない人、曲がいっぱい。今まで、ミーハーを自認していましたが、撤回します(苦笑)。
 
『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(日本2012年3月16日公開)で英国元首相マーガレット・サッチャーを演じたメリル・ストリープは来年のオスカー有力候補と目されているが、本国では彼女の演技が物議を醸しており、「自分が知っているサッチャー元首相とはまるで別人だ」と主張する保守党関係者もいるようだ。

サッチャー政権時代に彼女の側近の一人だった保守党のノーマン・テビットは、「自分の知る限り、彼女はメリル・ストリープが演じているような、ヒステリックな人物でも、やたらと感情的になったり大袈裟な振る舞いをする人物でもなかった」と英紙テレグラフ紙に語っており、特にサッチャー元首相が認知症になってからの演技は賛否両論で、「自分の母親があんなふうに描かれているのを見たくはない」と言う議員もいる、と英ガーディアン紙は伝えている。

これを受け、同作の2012年1月の英国公開を前に、メリルがBBCに「私たちがうまく扱えば、(認知症の演技も)大丈夫だろうと思いました。それは不名誉なこととしてとらえられるべきではありません。それは人生であり、真実です」と語った。また、彼女は役作りをするために、サッチャー元首相の娘キャロル・サッチャーが母親の認知症について書いた著書を読んだそうで、「キャロルは、あの本を書いたことで激しい批判を受けました。だけど、認知症の家族がいる人々からは感謝されたのです」と結んでいる。(ブレイディみかこ)
 
 たしか、メリル・ストリープはオスカーに16回?ノミネートされているはず。それがすごい!英国王室ものはオスカーの好きなテーマ。それに認知症の演技(濃いやろなあ。映画ファンの友人間でも、好き嫌いがはっきり分かれます)今度こそ、3度目の受賞なるか?
 
2011年12月10日
 
「 父ちゃんと兄ちゃんだよと 屍指す女は果てし児 背より離さず 」 大野英子
 
 「8・15を語る歌人のつどい」から
 
 空襲のあとの光景でしょうか。「平和ぼけ」の日本ですが、60数年前にはこのような悲劇が至る所にあったわけです。母の従姉妹で、我が家によく来ていたEおばさんは、満州からの引き揚げ列車の中で、背中の幼子を圧死させたと泣いていました。
 
 12月2日に再び西安を出発した「私の万歩計によるシルクロードの旅2」、9日目の今日は乾陵に到着。唐の第3代皇帝、高宗の眠る山。このペースで歩くと、ローマ到着は来年9月の予定です。腰痛が治ったらペースを上げるつもりですが・・・。
 
 気温が一気に下がり、冬のすきっとした光あふれる朝でした。テニスはいつもの3分の1で切り上げる。ぬるま湯で腰を温め、近所の整骨院へ。ここのスタッフも今年は入れ替わりが多かったです。前に記したベテランTさんの突然の退職。唯一の中国人スタッフだったRさんは、8月に「けりをつけないといけないことがあるのです。ひと月で帰ってきます」と言って帰国して、そのまま戻って来ず、退職してしまった・・・。けりはつかなかったのかなあ。新しいスタッフ2名(女性がひとり)入って、医院は更に若返りました。
 
 今夜の月食、見られるかな。
 
 最近読んだ本
 
 「 死の教科書ーなぜ人を殺してはいけないか 」  産経新聞大阪社会部
 
 平成18年から19年にかけて一年余連載されて話題を呼び、坂田記念ジャーナリズム賞を受賞した特集記事に加筆したもの。
 
平成19年5月、ショルダーバッグに殺害した母親の頭部を入れて自首してきた17歳の高校生。遡って平成9年の「酒鬼薔薇」事件から続く殺人の系譜と時代背景をたどりはじめる。
 
 「死ね、死ね!」と叫びながら、ゲームに熱中する少年たち。
 
 小児科医の中村氏が都内の小学校高学年と中学生にとったアンケート
 
 「一度死んだ生き物が生き返ることはあると思いますか?」に対し
 
 「生き返る」「生き返ることもある」が小学生では3分の2、中学生では半数を占めたという。
 
 ちょっと乱暴な問い方かもしれないけれど・・・うーむ。
 
 記事はJR福知山線の事故、日航機の事故の対応と補償、遺族の姿、自殺、死刑問題、最後は週末ケア、葬送の在り方、そして戦争末期の硫黄島、特攻隊基地のあった知覧ほかへの取材に至る。重い。答えは明示はされません。
 
「多くの人は病院で抗がん剤が効かなくなり、治療の手が尽きたと見放され、来たくもないホスピスに来て『なにくそ』と言って死んでゆく。ホスピスが理想の場所のように言われますが、現実には死の覚悟と生への希望に揺れ動き、迷いつつなくなってゆくのです」 
有名な淀川キリスト教病院のホスピス長、池永医師の言葉です。
 
 なるほど。そして、ホスピスでケアを受けるには、病名の告知を受けていることが前提になるのです。
 
 在宅介護が見直されていますが、在宅医は圧倒的に少ない。365日、24時間勤務という激務は、当然、敬遠されます。
 
 命を見つめなおすこと、ここから再スタートするしかありません。ある学校で、生徒の自殺を機に、命を考える授業をしようとしたら、現場教師から「考えたことがないからできない」「マニュアルを作ってくれ」という声が相次いで実施できなかったとか。語ることはあるはずなのに。
 
 私なら?満州で幼児を失ったEおばさんの話、中国で殺された姪の話、先日死んだ友人Kのことを語りたい。
 
 
2011年12月9日
 
「 顔見世を 見るため稼ぎ 溜めしとか 」 虚子
 
 
昔から、京の人々は顔見世を年一度の贅沢として、それに向けて準備をするそうです。
 
30年続いた友人と3人での顔見世行きも、この秋ひとり欠けて、観劇は見送りとなりました。舞台もですが、この日の為にしつらえた女性客の装い(特に和服)を見るのも楽しみでした。
 
 嫁ハンと息子たちがジブリ映画ナンバー1とする「天空の城ラピュタ」を見ながら書いています。私のジブリ一番は「紅の豚」なのです(大人のロマンスがある)が、スケールの大きさではこちらですね。主題歌の「君をのせて」も好きです。
 
 それにしても、CFのディオールのシャロン・ストーンも美しい!
 
 嫁ハンがカトリック教徒のお友達に誘われて、阪急仁川の女子修道院へ紅葉狩りに行ってきたそうです。広い敷地に田畑、鮮やかな紅葉。案内してくださったのは92才の尼僧だとか。80人くらい住んでおられて、特に高齢の尼僧が全国から来られて、最後はここで過ごされるとか。
 
 あの、うちの夫が女子修道院と聞いて、異常に興味を持っているのですが・・・。彼にも拝観させていただけますか?
 
 修道院は非公開のところもありますが、うちはいいですよ。連れていらっしゃい、とのこと。
 
 来秋は絶対、伺います(笑)。
 
 考査とバザーがあったので、ハードな4日間でした。でも、みんなに助けていただいて、無事終了。たくさんの本を提供してくれた元同僚のSさん、同窓会で話を聞いて提供物品を郵送してくれたHさん、ありがとう。内外の協力でやり終えましたが、片付けで更に腰痛が悪化。いそがしい中、若い先生たちに足労を願ったこと、申し訳なく思っています。潮時かなあ。
 
 それにしても、売れ残った本、図書館に寄贈するもの以外で、段ボール4箱を車で「古本市場」に持ち込んだのですが、査定で138円というのには愕然。処分してもいいですよといわれたのですが、改めて一箱だけ持ち帰ってきました。
 
 京都市中京区から平安時代「百花亭」とも呼ばれ、清和天皇らが歌会をした「三条院」の遺跡が明らかに。八日、京都市埋蔵文化財研究所が発表。平安貴族(この場合は藤原良相ーよしみ)の邸宅が特定されたのは初めて。すごいものがまだまだ地中に埋もれているのだろうなあ。
 
 こちらは物理学の世界での世紀の大発見か?物質に質量を与えたとされる「ヒッグス粒子」発見が13日予定の緊急記者会見で報告されるという話。きっと、説明されてもちんぷんかんぷんと思うけれど(笑)、やはり気になります。
 
 生きていれば、いろいろ面白いことがあります。友人のお別れ会が近づいてきました。
 
 
2011年12月6日
 
「 北風に 固まりてゆく リクルート みな黒靴に 光持たせて 」 金田 美羽
 
 大学3回生が一斉に動き始めて・・・。決して最上等ではない生地のはずなのに、若さか、体型か、リクルートスーツがめちゃかっこよく見える。でも、大変だろうなあ。4回生もまだ6割の決定率。歌には「光」に希望を持たせていますが。
 
 高校3年生も厳しい。真面目な生徒なんだけど、下見に行ったはずなのに、きちんと面接時間に会社にたどり着けなかった・・・。
 
 人間力、生きる力ってなんだろう?学力もだけれど、幼い時から、社会で生きてゆくために、どこで、どの地点で、どんな力をつけなければならないか、見直す時が来ていると思います。
 
 一流大学と称されるところへ、もっとたくさん大阪の高校生を入れよと叫んでる人もいるけれど、すべての高校生ががその人のように生きられるはずがない。もっと、現実を見るべきと思います。
 
今年の一筆啓上賞
 
面接で、つねすべり市出身だね、と言われ、頭に来て
常滑焼きご存知、と言い返した
 
常滑(とこなめ)市は愛知県、知多半島にある街ですね。
常滑焼き」は平安時代から続く陶器。朱泥の急須が有名です。
 
今年の子供の名前
 
女子           男子
 
1位 結衣(ゆい)    1位 大翔(ひろと)
2位 葵          
2位 蓮(れん)
3位 結愛(ゆあ)    3位 悠真(ゆうま)
 
 それにしても、かっこいいいけれど、字画の多い、書きにくい名前が多いと思います。
以前、ずっと自分の名前を誤字で書いてた生徒がいました。一応、確認したら、住民票や指導要録は正しい字(誤字で登録してそのままの場合もあります)。聞いてみたら、今まで、あちこちへの提出書類はみんな親が書いてきたという。でも、答案や普段の生活では…。誰も、10年以上、訂正してやらんかったんかい!?
 
 5日、明日からの職員バザーの準備で、荷物を運んだら、早速腰痛再発。若い先生(息子と同い年)に助けてもらってやっと完了。参りました。やはり、年には勝てません(苦笑)。
 
 
2011年12月4日
 
「 ひらひらと 深きが上の 落ち葉かな」  虚子
 
 初冬というより、まだまだ晩秋。家から見える大阪市内の眺めが、いつもと違う。その向こうの箕面の山が明るく紅葉しているのです。今日、紅葉狩りに行った友人の報告によると、猿がいなくなっていて、息子さんががっかりしていたようです。でも、猿の被害も出ていたので仕方ないですね。餌をやると罰金という規則もできたはずです。
 
 夕陽に照らされた二上山も美しい。「深い落ち葉の上に降る落ち葉」を踏みに出かけたい。ハワイに憧れつつ、やはり四季のある国はいいと思い直す私です。
 
 先日の「 黄菊白菊 そのほかの名は なくもがな 」の作者は服部嵐雪でした。今頃、やっと思い出しました(苦笑)。
 作者名を書き忘れた前回の「生き残り生き残りたる寒さかな」、こちらは一茶。年老いて恵まれた幼い子供も次々亡くしていった、一茶の深いため息があります。
 
  朝7時、駅近くの喫茶で待ち合わせ。座禅を終えた友人を待っているのです。私は腰痛で座禅はパスさせていただきました。黒いスーツの若い男性グループが通り過ぎてゆく。大学3回生のリクルート?でも、今日は日曜、しかし、あのスタイルどこかで見たことがある・・・と悩んで見ていたら、羽曳野警察に消えてゆきました。下の息子も同じような恰好をしています。警察官って出勤時、同じようなスタイルをしているんだ・・・。
 
 久しぶりに南河内グリーン道路にある農産物直売店へ。看板犬のラムちゃんが迎えてくれる、年老いて、毛も抜けやすくなってきて(私のこと?ー笑)おまけに、先日の怪我で弱っていましたが、回復したみたい。偶にでる松茸、一籠1500円をゲット。夕食は茶碗蒸し。また飲まざるを得ない(苦笑)。
 
 12月に入ると、途端に忘年会が二つ。今年は減るかと思ったら、帰省、同窓会の余波もあって、増える一方。体と財布が持つか?(苦笑)。
 
 
◇年間ベストセラーの順位

(1)謎解きはディナーのあとで   東川篤哉 小学館

(2)体脂肪計タニタの社員食堂   タニタ 大和書房

(3)続・体脂肪計タニタの社員食堂 タニタ 大和書房

(4)心を整える。         長谷部誠 幻冬舎

(5)もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 岩崎夏海 ダイヤモンド社

(6)人生がときめく片づけの魔法    近藤麻理恵 サンマーク出版

(7)KAGEROU       斎藤智裕 ポプラ社

(8)くじけないで        柴田トヨ 飛鳥新社

(9)老いの才覚      曽野綾子 ベストセラーズ

(10)謎解きはディナーのあとで(2)東川篤哉 小学館
 
  
 いわゆる小説が少ないですね。どういう傾向でしょう。
 
 「くじけないで」を読んだ父が、「よかった」というので、「でも、いわゆる素人の詩ですよね。苦難の人生を語り、感動はあるけど、小学生の詩から受ける感動と同じでは」と言ったら、元小学校教師の父は複雑な表情をしていました(苦笑)。言い過ぎたかな。
 
 
 最近見た映画
 
今年、東京で話題になった舞台「それぞれのテーブル」(同じ題のシャンソンがあります)。その原作、そして邦題はー
 

旅路』(たびじ、原題:Separate Tables 原題が好きでした。

1958年に公開されたアメリカ映画

テレンス・ラティガン1954年初演の舞台劇『銘々のテーブル(Separate Tables

ストーリー

イギリスの海に面した小さな町ボーンマスを舞台に、季節外れの古ぼけた小さな観光ホテル「ボーリガード」に滞在している人々を描いた群像劇

 
 舞台の影響で、テレビ放映されたのでしょう。いわゆる「グランドホテル形式」の人間ドラマ。すべてセット撮影で、白黒の画面が重厚な演技、衣装を際立たせる。
 
とにかく豪華な俳優陣。胡散臭い退役将校を演じたデヴィッド・ニーヴンがアカデミー主演男優賞、控えめで誠実な女支配人のウェンディ・ヒラーが同、助演女優賞を受賞。
 
美女デボラ・カーが美しくない若い女性を熱演、どうして賞を獲れなかったのだろう?
リタ・ヘイワーズが盛りを過ぎた妖艶な美女を演じて圧巻。
 
ちらっと出る若い学生役に、後の名優ロッド・スタイガー。
 
ほとんどのキャスト、スタッフが物故者であるのは当然ですが、時の流れを感じます。
 
これはバート・ランカスターの独立プロで作られた作品。彼の眼が確かです。
 
オリジナルの舞台は、最初、ローレンス・オリビエとビビアン・リーで企画されたのだそうです。それもすごい。
 
退役将校には痴漢癖があった。その事件をきっかけに、過去、経歴詐称が明らかになり、ホテル内で孤立してゆく・・・。
 
切ない人生ドラマですが、その人間模様より、白熱の演技合戦に見入ってしまいました。
 
 
2011年12月2日
 
「生き残り生き残りたる寒さかな」
 
 いかにも寒い、「冬の日」の到来です。
 
 
徹子の部屋の今日のゲストは渡辺美佐子さん。30年以上前に作ったという紬の深い紫に銀の刺繍のある見事な着物で登場。着物はいつまでも着られるからいいですね。
 
 東京の育ちで大空襲にも遭っている。小学校の時、疎開前に転校して来て、また転校して行った男の子に心惹かれ、数十年後のご対面番組で探してもらったら、ご両親が現れ、その少年ーたつおくんーが次の転校先の広島市内で亡くなったと知る。勤労動員で全員死亡、遺骨も遺品もないという。ご両親は満州にいたらしい。
 
 それを機会に、原爆をテーマにした朗読劇に参加、その過程で手に入れた資料の中にたつおクンの名前を見つける・・・徹子さんも涙をこらえて聞き入っていました。
 
 
最近見た舞台
 
「 トップガールズ」
 
作:キャリル・チャーチル
演出:鈴木裕美 翻訳:徐加世子

出演:寺島しのぶ、小泉今日子、渡辺えり、鈴木杏、
   池谷のぶえ、神野三鈴 / 麻美れい
 
 この夏話題になった舞台がBSで放映されました。とにかく豪華な女優陣の共演が話題。最初の50分はロンドンのレストラン、寺島しのぶさん扮する赤いドレスが美しいマーリーンの重役就任パーティ。ここに祝いにやってきたのは時空を超えて6人の女性。法王、女性剣士、貴族夫人・・・平安朝の十二単で現れるのが小泉今日子。はやりの女子会のノリでひたすら会話がかぶりつつ、それぞれが生きてきた時代の、女性として嘗めた苦労をしゃべりまくる。芸達者の中で、キョンキョンだけが浮いている。
 
 二幕からはマーリーンの関わる人材派遣会社のオフィスと、郊外の田舎の実家を舞台に、現代(といっても70から80年代)に生きる女性の苦悩を描く。キャリアガールの寺島しのぶさんと田舎の主婦である姉を演じる麻美れいさんの息詰まる応酬が見事。
 
 寺島さん以外はみんな2から3役をこなす。渡辺えりさんはきたないセリフを一手に引き受ける。最後の彼女の「怖い」という決め台詞が思いのほか響かなかったのは、時代の違いもあるでしょう。サッチャーが首相になり、英国が盛り返し始めていた時代でした。女性の社会進出、女性管理職がもてはやされ、かつ、風当りも強かった時代・・・。今は、状況が違います。
 
 麻美さん(私と同年、タカラヅカ時代からファンでした)の舞台後のインタビュー
 
 「男に負ける、女に負けるなんて気にしない。負けたくないのは自分自身に対してです」
 
 そういう時代なんだ。ちなみにサッチャーさんは今、アルツハイマーで治療中だそうです。
 
 
 
2011年12月1日
 
 「 うしろにも 人なき夜の 落ち葉かな 」 矢島 渚男
 
前にも後ろにも落ち葉の散り敷く道が続くばかり。自分の乾いた足音がより静かさを深めます。寂しい。
 
今年の流行語大賞
 
「帰宅難民」
「絆」
「こだまでしょうか」
「3・11」
「スマホ」
「どじょう内閣」
「どや顔」
「なでしこジャパン」(年間大賞)
「風評被害」
「ラブ注入」
(表記は五十音順)
 
 
 
 
「今年の漢字」(一字)より、やはり、こちらの方が世相をはっきり映します。
 
 11月30日、ローマへ着きました。6月に買い替えた携帯電話に万歩計が付いていて、シルクロードを歩く旅をセットしたのです。西安を出発して半年、実は松原から職場への道、校舎内の廊下等だったのですが・・・。12月3日に到着予定(そこまで計算、表示されるのです)でしたが、少し早かったのに気付きませんでした。
 
 西域に入って、今日はここに到着、と病院の友人にメールで報告してきました。私は行ったことがありませんが、彼はひとりで何度か出かけていました。私が退職したら、いつもの3人で、サマルカンド、そしてイスタンブールへ行こうと、プランナーの彼は着々と準備をしていたのです。私が万歩計でイスタンブールへ着く前に彼は亡くなりました。
 
 最後の返信はタイトル「クオ・バディス」(あなたはどこへゆくのか)。本文は「アレキサンダーのように、○○のように、○○のように・・・まだ中東の空の下を彷徨っているのか」。誤字、変換マチガイだらけでした。
 
 しばらく万歩計を見ていなかったので、昨日ふと見たら到着済み(苦笑)。
 
 リセットして、今日また、西安をスタートしました。
 
 来週に職員バザーをします。いつの間にか18回目。その今回の案内文の2号に添えた短文。
 
「津波に呑み込まれ、2度溺れて、自衛隊員に濁流の中から救い出された高校3年生、H君の言葉ー『避難所で両親に会って、お母さんは泣きながら抱きついて来て、お父さんは笑いながら殴ってくれました・・・』」
 
 ドラマ「深夜食堂」を久しぶりに見る。よくできています。セットの細かい部分、出演者のさりげない演技まで神経が行き届いている。今回は「冷やし中華」
 
 寒がりの女と、冬でも冷やし中華を食べる中年男の出会い。やさしげな男には暗い過去があった・・・。出演者(特に女性陣)が原作コミックのイメージを体現するメークをしているのも憎い。
 






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