Kan-Kan の雑記帳


2011年8月30日
 
「うつくしま」 福島の里はいつ還る 育てし野菜捨てつつ思う
 
朝日歌壇 福島県 斉藤さん
 
もう放射能を気にしない私のからだ(若い人は別)、その野菜を食べてあげたい。
 
 29日が「出勤を要しない日」だったので、民主党の代表選、各候補演説をしっかり生中継で聞きました。
 
 もっとも、いい天気だったので、5年ぶりの障子の張り替えを夫婦でやりながら聞いたので(苦笑)、顔色、表情は解らなかったですが、、内容を聞き取りやすい、滑舌や声の質は、前原、馬淵さんがよく、迫力という面では野田さんが頭一つ抜けていたと思います。
 
 でも、野田さん、演説上手と評判で、期待した割にはイマイチでした。全体的に「情」に訴える作り。貧しさを語り「3丁目の夕日」を出し、時代小説に学んだというから、司馬、藤沢、山本周五郎が出てくるで、と突っ込んだら、その通り、「どじょう」も含め、ベタでわかりやすい表現に徹していました。ひょっとして原稿は自分で書いているのかな。他の候補に比べてバックライターの匂いが少なかった気がします。
 
 人間性をアピールするだけでなく、もっときちんと首相の座を踏まえたビジョンを示すべきでは、と思ったのですが、これはどの候補も同じ。もっと具体的に復興政策、外交方針を語るべきでしょう。
 
 ま、かいらい、じゃなかった海江田さんにならなくてよかった。民主党はなんとかここで踏みとどまるか?それにしても、一国の首相の選び方として、あまりにお粗末なやり方と思ったのは私だけではないでしょうね。
 
 夕刻、新聞記者になって大阪にいる教え子が転勤で北陸へゆくというので、梅田で会う。忙しい時とちゃうん?もう大丈夫です。
 
 横浜、大阪ときて、再上京を希望している彼にとっては不本意な人事かもしれない。でも、本人も曰く「地方から却って中央が見えることもありますよね」。その通り。それに「北陸は美人が多いで」(彼は30代、独身)と言うと、「嫁さんを連れて帰ってきます!」
 
最近読んだ本
 
 「阪急電車」 有川 浩
 
 昨年からの話題の作品でした。阪急の今津線の駅々を舞台に、魅力的な人物達とその人生が交差してゆく。
やはり、面白かったのは、婚約者を寝取られ、その結婚式に花嫁衣装と見紛う白いドレスで「討ち入る」女性のエピソード、それと関わる老女と幼い孫娘の存在。
 
 わずか30分の電車の往復を時間を少し隔てて、後日談も示しつつ後味よく終わらせる作者の腕は見事。文庫本の後書きは児玉清さん。
 
 さて、映画を見るべしですが(中谷美紀さんのドレス姿だけでも見たい)、私の周囲での評価はまっぷたつ。わざわざ、現地まで足を運んだ友人もいれば、教え子の記者は「ぼろんちょ」でした。やはり、見てみよう。
 
中国への旅 8
 
 われわれ3人は(ツアーは12人)それぞれ60、70、80で、その中で一番若い!私が当然、渉外、買い出し係。あとのふたりはバスの中でも個別にじっくり本を読んでいる。夢中で窓外をみたり、ツアーの人と談笑したりするのは私。
 
 個人参加の男性が3人いたのですが、一番若い人で50過ぎ。女性の二人連れがツアーで一番若くて30代半ば?。かなり平均年齢が高いメンバーです。
 
 男性で一番若い50代の「にいちゃん」(と私は呼んでいたーすでにリタイア、アルバイトをしつつ自由に暮らしてている、妻子あり、酒も好き)とよく話していたのですが、彼が泰山の帰りにガイドさんとなにやら相談している。80過ぎの個人参加の、泰山ではぐれて、私が手を引いてあげた人も・・・。
 
 夕食もそこそこに部屋に引き揚げた彼らは、疲れたからマッサージを呼んだらしい。それが、翌朝聞くと、単なるマッサージしゃなかったんですね。なんやそれ!?世界遺産の町まで来て!82才のおじいちゃん(年を言うと失礼かもしれないがー苦笑)も!。足腰フラフラして、手を引いてあげたんはなんやったん?
 
 それとあれとは別や、と悪びれないのが腹立つ。
 
 そうか!昔のことと思っていたけれど、今もあるんだなあ、旅慣れている同行の二人に訊くと、驚きもせず、ツアーの個人参加の男性はそれも目的の人も多く、また本人がその気でなくても、ガイドさんから声を掛けられることもあるよ。僕らは断るけどね。飲む方がええもん。
 
 そういえば、夕食後、廊下で、マッサージは要りませんか?と従業員に声を掛けられた。両手にビール瓶を抱えていた私は「不要(ブヨウ)」と言ってやりすごしたけれど、あれも誘いだったのか・・・。
 
 海外ひとり旅の経験のない私には、ちょっとショックなことでした。これも現代の現実か。
 
 ふたりとも、奥様には高価なお土産を買うそうです(苦笑)。腹立ったので、それから冷たくあしらってやりました(82才のおじいさんが迷いそうになったら、手を貸しましたけれど)。
 
 
 

2011年8月28日
 
「 睡蓮の 水澄まば 華を洗うべし 」
 
 作者を忘れました。屈原の故事を踏まえているのでしょうが、蓮池も澄むことはないでしょう(笑)。泥中に咲いてこそ睡蓮は一層美しいのです。ちょっと、皮肉で、気取った好きな句です。もちろん、この睡蓮は白。
 
 被曝した地域に一時帰宅。久々のわが家に見たものは、空き巣に荒らされた部屋、部屋・・・。なるほど、放射能さえ気にしなければ、警察も来ないし、こんなに安全な泥棒行為はない。最初、呆れて、感心して?だんだん腹が立ってきました。
 
 世界陸上男子100メートル決勝、ボルトがまさかのフライングで失格。こんなこともあるのですね。
 
 中国リポート 7
 
 なんや、いろいろあってばたばたと登って降りた感じで、イマイチイメージが掴めなかった山だなあ、と思いつつバスで高速道路に乗る。しばらくして振り返ったら、平原にすっくと三角錐の泰山が聳えている。東から来たときはすっと山に入って、山容が見えなかったのです。なるほど、西方の洛陽、西安、北京方面から来て、この姿を見たら、皇帝始め一行は感動しただろうなあ、と思います。
 
 ちなみに「泰山鳴動鼠一匹」という言葉は、元々ローマの古諺から。明治に日本に入り、最初は「大山鳴動」だったのですが、どうせ同じ音なら名山の「泰山」にしようというイージーな?発想から定着した?言葉なのだそうです。
 
 これはこの旅行に出る前に、改めて調べたことです(苦笑)。したがって、諺としては「泰山」「大山」どちらもOKということになりますね。ややこしい。泰山からすれば迷惑な話?
 
 麓の街は水の豊かな地。淡水真珠の工房で(いつもは買わないのですが)今回はお嫁さん二人も出来たことだし、可愛いストラップがあったので、ガールフレンドの分も合わせて4個(あ、嫁ハンの分も買わにゃー笑)追加、5個購入。
 
 高速道路を南に走って1時間、曲阜(きょくふ)に近づく。あちこちに土塁のようなものが見える。畑の端にも高い土壁というより土手が。
 
あれは何?
古代の長城の一部です。「万里の長城」以外にも、中国各地にこのような要塞の後がいっぱい残っているのです。
 
 すごいなあ。それが保護もされずに、こうして朽ちてゆくのか。まあ経済発展に忙しく、また遺跡も多すぎて手が回らないというのが実情なのでしょうが・・・。
 
 青州の近代的な街並みにがっかりしていましたが、曲阜の町は昔の風情を残していてエエ感じでした。いわゆる「城内」がしっかり保護されていて、高いビルもない。空が広い。ごみごみした古い街並みがいい。考えてみれば世界遺産の町なのでした。当然?日本は?たとえば京都は?
 
 ガイドさんが昨日よりランク落ちます、と申し訳ながっていたけれど、ホテルは昔の寺院を改築した趣ある建物。四角い庭がいっぱいあって、それを取り巻く回廊と部屋。迷路のような構造です。こんなん好き。夕食後に町をぶらぶら。人がいっぱい、屋台がいっぱい、食物の匂いと喧噪と・・・明るい通りと暗い路地、光と闇、これが私の好きな中国。
 
 買ってきた一本4元(50円余)のビールをがんがん飲んで部屋で盛り上がっているわれわれ一行。それにしてはいつも元気で賑やかな男性(お一人様、50代)が姿を見せない。今日付き合った82才のご老人も。登山で疲れたからマッサージを頼んで休んでいるということでした。 
 
 
2011年8月27日
 
「 壮年の 男が一人 捕虫網携えて入る 森の奥へと 」
 
朝日歌壇から 熊谷市 内野さん
 
 ロマンというより、孤独感、寂寥感を感じます。迷い込んで、もう帰って来られないのでは?幼い頃、奥山に薪を穫りに行くたび、そんな恐怖感に駆られました。人生も同じ。
 
 8月27日、土曜日、7月20日の台風による休校の振替授業を行う。出席が少ないのががっかり。試験前なのに。バイトがあるんだとか(土日は時給も高いし、人手も必要)。
 
 夕方、近くに温泉に入る。雨の中、人少なし。露天風呂で顎の上まで浸かってぼんやり。雨が湯の表に弾けて、泡と湯柱を立てる。ふと横を見たら、初老のおっちゃんが岩に凭れて眠っていました。1時間世で1キロ減量。よしよし。
 
 晩夏の夜の楽しみはBSテレビの演芸と祭り中継。
 
 昨夜は志の輔が円朝の大作「牡丹灯籠」に挑戦。何十時間もかかる作品をダイジェストで演じるという。ところが始まったらいきなり2部から。おかしいな、と思いつつ、長いから後半だけなんだと思い、そのまま一時間余り引き込まれて見ていたら、いきなり、「お見苦しい部分がありました。やり直します」みたいなテロップが入って、今度はまた一部の始めから放映を始める。なんやそれ、と見つつ、見た部分は他のチャンネルに廻し、結局4時間余りかかって見終える。志の輔は流石の力演でしたが、これでは視聴者も気の毒。
 
 番組の終わりに、ディレクターらしいおっちゃんが出てきて、再び「お見苦しい場面があり、○月○日に再放送します」と斜めに頭を下げる。(きちんと礼をしなはれ!)それに「見苦しい場面」ではなく、単に一部と二部のフィルムを間違えただけでしょ!きちんと説明しなはれ!曖昧な表現は誤解を招きます。
 
 祭りの部分は堪能。先日の大好きな高知の「よさこい祭り」中継は最高でした。鳴子とよさこい節の一節が入っていればいいという枠の緩さが創造性を刺激して、様々な振り付けの連のパフォーマンスが見事。優勝した「天下無双」グループの衣装、振り付け、息の合った動きは100人を超す人数の迫力もあって、タカラヅカも真っ青の華やかさでした。愛媛もええええけど、高知に生まれたらよかった!絶対踊りまくっているわ(笑)。
 
 そして今夜の秋田、大曲の「全国花火競技会」。これも大好き。エントリーした各地の花火師27人が順番に「課題玉」と「自由玉」を打ち上げてゆく。約五分足らず、それぞれ工夫を凝らした作品(新作が多い)が美しい。終わると拍手、スタンディングオベーションも。
 
 それぞれの作品にテーマあり。今年はやはり「祈り」「希望」「光」「ふるさと」といったものが多い。被災地から参加した花火師さんもあり。
 
 それにしても、技術もですが、配色、組み合わせ、構成、音楽との調和、打ち上げるタイミング・・・どう見せるかという点も考えて、まさに総合芸術といえます。
 
 採点発表は明日。
 
 好天にも恵まれ、逝く夏をテレビ中継(テレビを買い換えてよかったー笑)で楽しみました。「おもしろうて やがて悲しき 花火かな 」(元は「鵜舟」です)。
 
 
2011年8月26日
 
「 安全靴 脱いで寛ぐ 原発の 声なき男の 貌が見えくる 」
 
 朝日歌壇から  新潟市 岩田さん
 
 厳しい現場で働く人々の汗と苦悩。スーツ姿で、後継者争いに奔走する東京の政治家の貌が醜く見えます。 
 
 河内長野市清水、山間の棚田の緑が美しい村。25日、脳卒中で倒れて以来10年余、ここの実家で療養、リハビリを続けている友人を訪問。前任校の同僚だったのです。彼がリハビリを兼ねて続けている趣味の油絵の一枚を、前任校が毎夏実施しているオーストラリアへの語学研修の相手校への土産として今年持参したのです。
 
 絵は河内長野、勧心寺の秋景色。大銀杏の黄が美しい。今回、オーストラリアに行った元同僚らと共に、彼らの撮った来た、相手校に飾られた画の写真を囲んで歓談。画は彼の地でも感動を呼んだようです。棚田を渡って来る風が心地よく、こころ和むひとときでした。
 
 私はちょっと橋渡ししただけですが、このことを機会にまた新しい人間関係も生まれました。そのことも嬉しい。新旧の友を大切に、人生の後半戦を丁寧に生きてゆきたいとしみじみ思います。
 
 「親不知」を抜いて3日。あれからなんの痛みもなく、噛み合わせもスムーズになって食事も進みます(ダイエットにはよくないー苦笑)。健康な?(虫歯でない)歯を抜くことに抵抗がありましたが、やはり抜いてよかったと思います。
 
 でも、思えば、ずっと相方が生えなかったばっかりに、空しく空振りを何十万回?も繰り返し、横の歯にちょっかいを出して歯茎を痛め、結果、悪者として排除された歯が不憫でもあります(ちょっと大袈裟かな)。
 
 中国リポート 6
 
 泰山登山の途中で、中断しておりました。すみません。
 
 登山中にはぐれてしまった82才の同行者Uさん。彼を捜しにいったガイドさんから、籏を預かって、残りの11名とりあえず指示されたなんとか門まで登って、待つことしばし。ガイドさんがハーハー言いながら登ってくる。見つかりません、どこかで休んでいるのかも知れませんね。ここまで来たのですから、とりあえず、急いで登って降りましょう。
 
 気が急いて、ちょっと急ぎ足で登る。右手の眼下にあちこちに聳える尾根の尖った峰、その遙か下方に薄緑の大平原が、ずっと霞の彼方まで続いている。ビルの影も見えません。
 
 頂上への近道を外れ、ちょっと下って、南天門に行く。ここが徒歩での登山道との合流点、6千段を越える階段の最後の急勾配、1594段の片麻岩でつくられた、よく映像や写真で見る石段「十八盤」の最上部に着く。ここ、登りたかったなあ。次々ひっきりなしに上がってくる人の群れ。写真もなかなか撮れない状態。なんとかねばって撮る。
 
 この上に「天街」と呼ばれるホテル、レストラン、土産物街。土産物屋で売られているものは、今でも費用節約のため、人力で運び揚げられているのです。天秤棒に荷物を提げて淡々と石段を登ってきます。
 
 やっと目的地のひとつ、「五嶽独尊」の碑、そして玄宗皇帝の「記春山銘」・・・その他、沢山の文人墨客の石刻の数々。秦の始皇帝、漢の武帝、唐の太宗、宋の太祖・・・歴代の皇帝が就任を報告する「封禅の儀」を行った地であるのですが、ものすごい観光客と喧噪にしみじみ感慨に耽る余裕はありませんでした。それにしても歴史的、芸術的価値もあるだろうけれど、そうでない?新しい石刻もある。これって、基本的には自然破壊なのでは(苦笑)?
 
 紙幣の裏に印刷されていた尾根の部分にも、新しい建物が建築中。それっていいの?世界遺産やろ?
 
 山頂、1545メートルにある玉皇殿、最高点の露岩を囲んで神殿を造られている。ここではぐれていたUさんに会う。みんなに遅れたので自分のペースでぼちぼち上がってきたらしい。我々が南天門に行っている間に追い越したらしい。安心。
 
 下り道はUさんに私が付いて、ゆっくりと誘導。彼は足下がおぼつかないのにサンダルで来ている。でも、休みつつなんとか最後にロープウェイに辿り着く。すみませんなあ、と小さな声で丁寧なお詫びと挨拶をいただく。
 
 でも、とんだ食わせもののおじいさんであったことが後日、判明します(苦笑)。
 
 
2011年8月24日
 
「 ただ人は情けあれ、朝顔の花の上なる露の世に 」  閑吟集
 
 本当に儚いこの世、出会えた人との繋がりを大事に、出会えなかった人にも思いを馳せて生きてゆきたい。
 
 
 夏にあちこち行った同僚、友人たちの報告を聞くのは楽しい。ニュージーランド、オーストラリア、トルコ、ギリシャ・・このあたりは場所が浮かぶけれど、グルジア、ウズベキスタンと聞くと、それどこだっけ?世界地図を見直さなくては(苦笑)。
 
 東北へ瓦礫拾いのボランティアに出掛けた同僚も。陸前高田の松原の残った一本松も見てきたそうです。そのステッカーをお土産に貰いました。
 
 羽曳野の火事、新たに死者が一名。独り暮らしの方が多かったそうですが、葬儀などどうなるのでしょう?
 
 通勤の道端、大和川の畔にも、ホームレスの人の青いテントが数軒。脇を通り過ぎつつ、思いは複雑です。
 
 例の、通勤路の家の前の歩道に物干し台をせり出していて、友人が2度額を打った件、私とその家の小母さんとの、無言の実力行使の遣り取りが数度あって、最近は引っ込めてはります。よしよし(笑)。
 
 リビアって、石油資源が豊かな国。ガソリンが1リットル4円なんですって?カダフィ政権崩壊後、どうなってゆくのか?イスラム教の国ですが、古代ギリシャやローマのすごい遺跡もいっぱいある。新しい政権は文化や遺跡の継承、発掘にも理解のあるものであって欲しい。いつか訪れたい国です。
 
 図書館から電話あり、注文しておいた本が届いたとのこと、ありがたい、便利だと思いつつ、図書館が新刊ベストセラーを大量購入、貸し出した場合は、著作者の印税収入が減ってしまって、次の作品を準備することが出来なくなる・・・作家の樋口毅宏さんが、半年間貸し出し猶予を求めてはるのを思い出しました。確かにそうですね。図書館の役割と著作者の生活、なんとかいい方法がないかなあ。
 
 最近読んだ本
 
「 百物語 」 杉浦 日向子
 
 昨日書きました、森見 登美彦さんの新釈 「走れメロス」 ・・・の中に、森鴎外の「百物語」があったことを記し忘れていました。
 
 この夏は この話に妙に縁がありました。 杉浦さんは正統的に?江戸時代の市中内外の、短くて怖い不思議な話を見事な絵にしてくれます。ほんま、その考証、衣服や風俗はもちろん、自然描写もうまい。本来、暗闇で耳で聞いて味わうもので、ビジュアル化出来にくいものをよくぞここまで。
 
 もちろん、99話で終わっているのはお約束。百話までいったら、とんでもないものが出てくるのです。でも、老後の夏の夜の楽しみに、友人達とこういう催しをやってみたいなあ。それまで怖い話をせっせと貯めておきましょう。
 
 

2011年8月23日

「 背泳ぎに しんとながるる 鷹ひとつ 」 矢島渚男 

 沖に出て、くるっとひっくり返って、広い空を見ながら背泳ぎするのは海で泳ぐ楽しみのひとつです。でも、最近はモーターボートやウインドサーフィンやパラセーリングが多いので危険。いつ、頭をかち割られるのかという恐怖があります(苦笑)。遊泳は、海水欲情、ちがう、浴場の安全(サメ)フェンスの中でということなのでしょう。おちおち沖では泳げない時代であるのが悲しい。

 で、その風潮に逆らうのが私。先日の帰省の時の話。

 毎日シャワーを浴びても、汗をかきまくり、おまけに庭木の剪定等で、葉屑や虫がいっぱい身に付いて、あちこちが痒い。

 実家滞在3日目、2時間の余裕を作って悪友N宅へ。彼は一日おきの人工透析が無い日。2時間借ります、どうぞ、どうぞ、と彼のお母さんがポカリスエットを私に渡してくれる(Nは余分な水分は摂らない)。

「人気(ひとけ)のない海岸で10分、潮に浸かりたい、案内よろしく。」

「任せなさい。」(いつも自信たっぷりなのが不安)

海岸線を走る。海水浴場に黒いビキニの美女発見。

「あ、ここでええわ!」と私。

「何言ってる?人気の無い海岸やろ!こっち!」(融通の利かないヤツだ)

 Nの指示で、突然、左折、いきなり山道に入る。例によっていやな予感。切り開かれた細い道を登ると突然平地がひらける。山を削って蜜柑畑を開墾したらしい。その向こうの林を抜けて下ると海が見える。なるほどプライベートビーチ。でも、平地の入り口にはしっかりチェーンが。予感通り、山道をバックするはめに。まあ、今回は距離が短かったので許す。

 元に戻り、道路脇に駐車して歩いて海岸線へ。不安定な岩場の小さな鼻を廻って例の海岸へ。でも、沖10−メートルに一艘のヨットがもやってあり、更に沖にパラセーリングが3人疾走している。

 私はおとなしく岸近くでぱしゃぱしゃ。Nは木陰で私の監視員。盆の海は少し冷たく、漂う海藻が身に纏わり付く。でも、年一回の海水浴は心地よく、その晩から痒みはきっちり消えました。Nを褒めて送り届け、家に着いたらちょうど2時間経過していました。

 21日の近所の火事、亡くなった方はDNA鑑定と歯型照合で身元が判明したようです。独り暮らしのご老人、足の不自由な方もおられたとか・・・。

 今、一斗缶詰め遺体の事件、容疑者逮捕の速報が・・・急展開があったようです。親族殺人か?

 頭痛に続き肩凝り、そして歯痛。日曜から食事が不自由な状態でした。宿題の「親不知」とわかっていたのですが、歯を抜いたことがないわたし、それに既に親不知を抜いた息子達の話を聞いて、ビビッてもいたのです。

 上の息子曰く、「僕は一時間半かかったで、あれはもう『工事』やね。もちろん痛かったよ」

 下の息子曰く、「僕は泣きました。麻酔も効かなくて、もう気絶状態」

 でも、この半端な状態はイヤ。臍を固めて、行きつけの歯科医へ。迷いましたが、医者と、馴染みの素敵な歯科衛生士のお姉さんがわざわざ出てきて説得され、思い切って、即、抜くことにしました。

 麻酔して待つこと5分。医者がやってきて、失礼します、ガキッ、その間、2秒。なんやこれ?医者の説明によると、親不知の生え方がよかったこと、衰え具合?がよかったのです、抜き時でしたね。

 息子達は、歯の生え方、抜く時期が悪かったのでしょうね(医者は同じ)。歯科衛生士のお姉さんに労られ、記念に抜いた歯を貰い、ついでに彼女の名刺も貰って機嫌良く帰ってきました。抜歯後、5時間になりますが、まだ痛くもなんともありません。麻酔は切れたはずなのに。身体全体が麻痺しているのかしら(苦笑)。

 抜いた親不知の相方は生えずじまいでしたので、これで歯の数は30本。80才で20本が目安だそうですが。もし、酔っぱらいで身元不明の死体が上がり、右の親不知の上下がなかったら、私と判定してください(苦笑)。

 思えば、頭痛も肩凝りもすべて、この親不知一本が原因だったのかもしれませんね。

 「中国リポート」、どうなっとんや?とのお叱り。すみません。近々再開します。

最近読んだ本

新釈 「走れメロス」 「山月記」「藪の中」「桜の森の満開の下」 森見 登美彦

 作者の「夜は短し歩けよ乙女」は面白かった。で、期待もありました。 

 夏の講習の入試問題で新釈 「山月記」の一部をやったので、これは読んでみようと思いました。ところが、正直、どれも期待はずれ。名作は数限りない妄想を誘発するものだけれど、それを文章にするのは至難の業ですね。

 京都を舞台に、登場人物もクロスさせて、連作としてもうまくつないではいますが、パロディとしてはどれも半端です。個人的には「桜の森の満開の下」の換骨奪胎ぶりを一番面白く楽しみました。

 

2011年8月22日
 
 昨夜(21日)の火事は、雨中にもかかわらず、1時間半燃え続け、結局アパートは全焼。4名の方が運ばれたけれど重体ということでした。わが家から300メートルと書きましたが、近く見えて、ニュースなどで確認すると600から700メートルは離れていたようです。
 
 それにしても、見に行かなくてよかった。狭い道に、緊急出動してきた消防車、救急車、押し寄せる野次馬、それに逆流して避難する付近の人々・・・ミーハーな私はアホな野次馬の一員となり、その混乱に加担したかもしれません(苦笑)。
 
 それにしても、片方、近所のスーパーでは、雨のパーキングで河内音頭が繰り広げられていたのです。
 
 今日のニュースではひとり死亡、3名重体とか。8室のアパートに10名、それも高齢者が集まってはって逃げ切れなかった・・・。痛ましい。人ごとではありません。
 
 実家の父がまた一段と衰えてきた、と弟から電話。気になります。
 
最近読んだ本
 

「 華燭 」  舟橋聖一

 

 親友同士の男に美しい女性、よくあるパターンですが、いろいろあって結婚式。ふられた男がとんでもないスピーチを始めて・・・。苦い後味。

 

「 出口入口 」  永井龍男

 

 出世頭の部長が急死。その通夜の席で、専務の靴が紛失する・・・右往左往する部下達。結末はいちばんあり得ないと思われた人事課長が犯人。泥酔した彼は高速を走るタクシーから間違えた靴を放り投げる・・・。

 

 シニカルな味わいが抜群。さすが短編の名手。

 

 

「 骨 」 林 芙美子

 

 戦争で夫を亡くし、軍人だった父、軍国少年だった弟は共に病床に。幼い娘を抱えた主人公は、身を売ることになる。弟の無念を思い、を不憫に思いつつ、衰えてゆく弟の死を待つ姉。そして、その骨を抱えて、今度は父の死を待つ。

 

 シビアな文章は社会と人間心理を抉って、するどい。

 

「 雲の小径 」  久生 十蘭

 

 亡き妻と、霊媒を通じて交流する男。彼に拘る姪も実は霊媒師で、乗り合わせた飛行機の中でややこしいことになってゆく・・・。

 

 独特の不思議なムードがいい。

 

「 ねこのばば 」 畠中 恵

 
 江戸を舞台にした妖怪がらみのファンタジー。人気シリーズの最新作と思って読み終えて、これは以前、友人から借りて読んだことがあった、と気づきました(苦笑)。
 
 
 
2011年8月21日
 
「 夏山の 大木倒す こだまかな 」 内藤 鳴雪
 
 鳴雪は、幕末、松山藩士の長男として江戸に生まれる。明治政府の文部省の役人を務めたが病気退職。松山出身学生の宿舎の学監となり、子規と知り合う。そして自分より年少の子規に俳句を学び、佳句を多く残し、大正15年に没する・・・こういう人の人生、掘り起こしてみたい。
 
 最近心に残った言葉
 
「 粗有細心(ツーヨーシーシン・そゆうさいしん)」 
 
 作家の原登さん(もうひとつの「しんにょう」が出ません)が、貿易会社に勤務していた時代(70年代)、お世話になったという天津の対外貿易局長ー文化大革命で炭坑に送られ、失明したというー方の好きだったという言葉。
 
「おおらかさの中に細やかな心を持つ」ー苦難の経歴と、失明の後に、この言葉を発することができるー名も明かされないその人物の人柄がすごい。
 
 最近読んだ本
 
「熱血ポンちゃんは二度ベルを鳴らす」 山田 詠美
 
「郵便配達」ならぬ作者の言葉に対する偏屈ぶりがいい。
 
「許せる死語とそうでないものがある。中途半端に往生際悪く死んでいる言葉は、とどめを刺すのもやぶさかではないが、心安らかに、きちんと死んでいるものは、キスして目を覚まさせてあげたいと、ことらの欲望をかき立てる。それは、70年代のファッションの復活は大歓迎だが、バブル時代の肩パッドばきばきのスーツの復活は断固阻止する心意気に似ている」
 
 歯切れよい、そして自意識の強さが鼻につかない文章が心地よい。
 
テレビで帝国劇場100周年の特集をしていました。
 
ゲストのひとりは、もちろん、松本幸四郎さん
 
 彼を初めてみたのは、今は無き有楽町、芸術座での「夜汽車の人」でした。若かったなあ(わたしも19才の学生ー苦笑)。それから彼は抜擢されて帝国劇場で「王様と私」、そして「ラ・マンチャの男」に巡り会う。現代劇、翻訳劇、ミュージカル・・・と芸域を拡げてゆきましたが、その分、若いときに、歌舞伎の舞台が少なかったのも事実。
 
 そして来年、古希(70才)で再び「ラ・マンチャの男」。すごい。
 
 彼の言葉「役者はなんでもやる必要はないが、なんでも出来なければならない」ー彼が言えば、説得力があります。
 
 先日、弟の中村吉右衛門さんが「お兄ちゃんより先に」人間国宝に指定されたことが話題になりました。歌舞伎一筋で来た弟と、グローバルに活躍する兄。無責任な野次馬連中が、兄弟の確執をあれこれいいますが、どちらも得難いいい役者。ジャンル別に定員があるという?人間国宝の決め方、在り方がおかしいのです。
 
 続く番組は「ミラノ紀行」ーイタリアは、ほんとに行きたい。行ける時に行かなければそのうち死んでしまうという不安あり。世界最初の7つ星ホテルが紹介されています。スイートルームはプライベート室内プール付き、天井にフレスコ画、一泊200万円なり・・・。
 
 と、ここまで書いたら、消防車、救急車のサイレン音。急いでベランダに出ると、南300メートルほど、安閑天皇陵の傍のマンションから煙が上がっています。四方から消防車が駆けつけ、点滅する赤いランプが周辺道路を埋めている。怪我人、死人が出ないといいけど・・・。
 
 
2011年8月20日
 
「雨降って 今日一日を 生き延びる」
「特攻隊 神よ神よと おだてられ」
「慌て者 小便したい ままで征き」
 
 この時期、戦争の特集番組も多く、原爆の被害者のことはもちろんですが、私は、特に特攻隊の人たちのことを思います。ものすごい高射砲の光の雨が吹き上げる中、突っ込んでゆく戦闘機、空中で爆発、また海中に激突・・・そんな映像に胸潰れる重いがあります。18才なんて年齢もあります。短期間、促成の訓練で、片道飛行で飛び立って行ったのです。
 
 遺書などは「聞けわだつみの声」にかなり収録され、何時読んでも涙を誘われますが、それ以外に、公表されていませんでしたが、上記のような川柳も残されているのですね。自身の生と死を見つめ、諧謔をもって詠う・・・余計に切ないです。
 
 17日から18日、義母は一晩泊まって、久しぶりによく眠れたと、一緒にモーニングに行った後、機嫌良く帰って行きました(送ってゆきました)。安心感もあるのかも知れません。でも、今は基本的に独り暮らしが気楽でいいそうです。
 
19日、暑さが一段落、秋の気配です。そして職員会議があって、いよいよ来週から授業。9月になると前期期末考査が始まります。
 
 夜、嫁ハンのライブで阪急武庫之荘へ。開演まで時間があったので、駅付近を探検。ごみごみしていなくて、道幅や路地に余裕があり、小洒落た店が多い。立ち寄りたい店を何軒かチェック。ゆっくり飲み歩きをしたい街だと感じました。
 
 ライブに嫁ハンの大学の先輩が来2度目でしたが、お酒も好きな人で、意気投合。ライブ後、そのままカウンターに残り、嫁はんそっちのけで、ふたりでさまざまな話で盛り上がり、ビール4杯とワイン一本を空けてしまう。飲みすぎ、二日酔い。反省。
 
 

職員バザーの残りをあちこち売り歩いたのが一段落して、その売り上げをどうしようか悩みました。迷わず日赤に送ってもいいのですが、組織が大きすぎて、今は動きも遅く、支援相手の顔も見えない。前回のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)もいいが、より具体的でありたい・・・そんなとき、同僚から、仙台に「外国人の子ども・サポートの会」というのがあると教えてもらいました。

 

 南三陸町、石巻市で、家を流失した、また、日本人の父親を亡くして中国人の母親と子どもが残った家族が8家族あるそうです。南三陸町の佐藤(張)さんはじめ、それらのご家庭に支援金として送らせていただきました。8月3日に送金して、同時にその旨、メールしておきましたら、7日に会の代表の田所さんから、「こころよりお礼申し上げます」とのメールが届きました。

 

尚、この組織は、外国人の子どもに限らず、流失、浸水で辞書を無くした児童生徒に、辞書等を集めて送る活動もしており、出版社や書店とも交渉を重ねているそうです。今後とも、折あれば支援させていただきたいと思っています。

 

8家族のうち、2家族には高3、中3の受験生がいます。避難所で勉強するも大変やろなあ。

 

また、東日本大震災で父母のいずれかが死亡または行方不明となった18歳未満の震災遺児は、被災3県で1295人に上ることが厚生労働省のまとめで分かったそうです。

内訳は岩手445人、宮城711人、福島139人。 そのうち、両親とも死亡または行方不明の震災孤児(18歳未満)は229人。岩手91人、宮城117人、福島21人に上り、このうち91人について、祖父母や両親のきょうだいなど3親等以内の親族が里親になる「親族里親」が認定されているそうです。

  「親族里親」が半分以下ということは、親族も多く行方不明などになっているということでしょうか?

震災孤児への援助も、今後、できればやりたいと思っています。

 最近印象に残った言葉
 
なでしこジャパンの大野忍さん
 
「ずっと負けっ放しのアメリカに決勝で勝って優勝して帰ろうと思っていたので、決勝戦までアメリカをめちゃめちゃ応援していた」
 
その心意気よし。
 
「国民栄誉賞は『栄養賞』だと思っていました。この賞をもらうと試合や合宿で全国各地へ行ったとき、その土地のおいしいものを食べさせてもらえるのかな、と勘違いしていて、メンバーに思いっきりバカにされました(笑)」
 
今からでもいい。それに切り替えたら?(笑)それなら、私も欲しい。地酒も付けてね。
 
 
 
2011年8月17日
 
「 あの夏の 数限りなき そしてまたたった一つの 表情をせよ 」
 
小野茂樹
 
 かけがえのない若い日の恋の思い出。作者は、期待されつつ34才で交通事故死した歌人です。
 
 泉南市のプール事故で7才の児童が亡くなった事件。監視員、兼備会社、市(教育委員会)が、頭を下げつつ管理責任のなすりつけ合いをしているように感じます。
 
 もちろん、ずさんな管理体制は問題。でも、あえて言いたい。小学低学年の活発な子供は、絶対目が離せません。私たちは、しんどかったけれど、プールにはできるだけ付き添うようにしていました。市民プールでも一緒に入る。上の息子と「ジョーズごっこ」をしていると、プールの中程でだれかがアップアップしている、慌てて助けに行くと、下の息子(苦笑)。いつの間に、こんな所に・・・こんなことが何度もありました。
 
 どうしても仕事があるときは、近所の、息子達の顔を知っている息子の同級生の保護者の人と相談して交代で付き添いました。それが出来ないときはプールを諦めさせました。プール以外にも楽しみはあります。
 
 まず、「保護者に子供の管理責任がある」と言うのは、きついのでしょうか?
 
  阿倍野ターミナルタワー、いつのまにやら19階部分に。現在97メートル、完成時に300メートルになるらしいので、ほぼ3分の1。これからまだまだ伸びるのでしょうが、改めて地震が心配。だって、かなりのノッポビルです。
 
 そのビルの近くでは、生臭い事件が。天王寺区で発見された一斗缶の中の遺体、なんでわざわざ住宅地に?それも複数の・・・。
 
 昨日書いた盆の行事は、」「門(かど)迎え」「門送り」と言うそうです。18年しかいなかった故郷、きっちり行事も理解しないまま離れてしまい、今、その行事も消えて行きつつあります。
 
 12日の朝、帰宅してすぐ、裏の山へ竹を穫りに出掛けました。5メートルほどの、親指と人差し指での輪ほどの太さの若いモノ、頭頂部50センチ程を切って、上から3本の枝を残し、後はすべて枝を払う。事前にお寺から頂いてきた札(3種類あり)の一番大きなものを木の一番上に括り付けて、庭の隅の杭に縛り付ける。
 
 中くらいの札6枚を庭のあちこちにいてはる神さん(このあたり神仏混淆)に飾る。基本的には水周り。
 
 小さな5枚は、倉庫にあった1メートル余りの飾り台(上に10センチ四方の面あり)の上四方と中央にある穴に竹の枝に括って差す。その飾り台は先ほどの竹の飾りの傍に、木槌で打ち込んで立てる。
 
 こんなやり方も知りませんでした。今までは父か弟がさっとやってくれていたのです。その夜に、弟が、お兄さん、あの四方の飾り、方向が違っているよ、と教えてくれる。ありゃ、と見に行くと、確かに小さな5つの札には経文の最後に、それぞれ西、東、中とか記してある・・・ごめんごめんと、謝りつつやり直す。14日にお茶を供える。
 
 こんなこともいつか消えて行くのでしょうが、いつか息子達がこれ(今はこれの存在も知らない)を読むこともあろうかと思い、書き残しておきます。
 
 ハチとの遭遇
 
 お供えをした後、庭木の剪定に出た5分後、手の甲をバチンと叩かれた衝撃。やられた!と家に飛び込み、ハチ(足長蜂)に刺された、と叫んで、針を絞り出し、水道で、あっという間に腫れ上がった手を冷やす。
 
 驚いたことは、誰も驚かないこと。一応心配顔ながら、冷静に差し出されたのは「鳳仙花の焼酎漬け」の瓶。指で液を手にとって傷口にすりつけると、あら不思議、すぐに治りました。民間療法、畏るべし。薬品会社に教えてあげたい。
 
 翌日の剪定は、学習したつもりで、手袋、帽子、長袖で臨む。ところが30分後、今度は背中に衝撃、右肩胛骨の上を刺される。
 
 と、ここまで書いたら電話。「息が出来ない!」とかすれた女性の声。どなたですか?あれ、お義母さん!?すぐ行きます!と電話を切って車で夫婦で駆けつける。喘息の発作が起こったようです。車の中で近所にある義母の行きつけの病院に電話、今から連れてゆきます、ところが、内科担当医がいないと言う、こりゃ、救急車だ、とにかく本人の様子を確認しよう、部屋に走り込む(電話から7分後)と、椅子に座っている。
 大丈夫!?うん、もう、治まった。
 とにかく、心配なので、一旦家に連れて帰りました。
 
 あらためて・・・4日前のハチとの遭遇の話でした(苦笑)。今度はうまく針も抜けない。腫れ上がったのを不自然な姿勢で保冷剤で冷やしながら(女性は身体が柔らかくて羨ましいー笑)剪定作業。やっと2階まで伸びていた木蓮が終わりました。
 
最近知ったこと
 
☆(江戸時代は)人生の節目を祝うイベントの日に食べるのが「料理」。料理屋さんで、ひと月くらい前から、宴の主催者と料理屋の主人で献立から詰めてゆく。出す順番、料理長、包丁をとる者、煮方・・・すべて指名で決まってゆく。
 
 本来、料理は演出も含めたものだから、「家庭料理」なんて言葉はない。料理は料理人が作るもの、料理人以外の人が作るものは「おかず」。
 
 なるほど。じゃあ、「料理が得意よ」などと言ってはいけなかったのだ。
じゃあ、なんて言うの?
「包丁が少々得手でございます」。
 
 
2011年8月16日
 
「 くろがねの 秋の風鈴 鳴りにけり 」 蛇笏
 
 故郷の家でも、軒先の南部鉄の風鈴が鳴っていました。暦の上ではもう秋です。
 
 今朝、帰阪しました。故郷は朝夕の風が涼しくて、夜中に肌寒くて目が覚め、急いで窓を閉めたほどです。大阪に帰ると、さすがに朝から暑いですね(笑)。
 
 今回も結構、強行軍の帰省でしたが、楽しむところは楽しんできました。
 
 今回は、14日の迎え火、15日の送り火(京の大文字は16日ー今夜ーですね)のどちらにも立ち会え、きちんと母も含めて、ご先祖を送迎?出来てよかったです。会う度に微妙に弱ってゆくのが見える両親。来年は一緒に参加できるでしょうか。
 
 ちなみに、故郷の「迎え火」は村を流れる川の畔に、組毎に小さな砂の台を作り、そこで「おがら」(麻の茎)と松葉で作った筒状のものを燃やし(その光を頼りにご先祖があの世から戻ってこられる)、その火を線香に移し取って、各家の仏壇に持って帰るという行事です。「送り火」はその反対。なかなか火が点かない年もあるのですが、今年の「送り火」はよく燃えて、煙が墓の方向にきれいに流れて行きました。
 
 8月は亡き人をしきりに思う月です。 
 
ゆく人
 
前田武彦さん
 
 「夜のヒットパレード」や「ゲバゲバ」などで一世を風靡しましたが、こちらも若く忙しい時代、ちらっと見た程度なので、タレント、司会者としての魅力はイマイチわかりませんでした。伝説の「シャボン玉ホリデー」などの放送作家としての力量はすごいものがあったのでしょう。
 
ジョー山中さん
 
 私より少し年長。若いときに、話題作「人間の証明」の主題歌を歌い、出演もし、脚光を浴び、その後の波乱もあったけれど、歌い続けては来たのですね。この若さでの癌での死去は痛ましい。

日吉ミミさん64才、膵臓癌でした。

 「男と女のお話」などのヒット曲で知られますが、「世迷い言」の回文のサビ「よのなかばかなのよ」が懐かしい。

二葉あき子さん 急性心不全 96才

 「水色のワルツ」夜のプラットホーム」「恋のアマリリス」・・・すべて歌えそう(苦笑)。 代表曲の一つ「フランチェスカの鐘」は広島に原爆が投下された日、故郷で乗った列車がトンネルを通過中だったため、被爆を免れた経験を胸に、原爆犠牲者への鎮魂歌として歌ってはったそうです。
 
萬田久子さんのパートナーも死去。こちらは進行が速い「スキルス性の胃癌」でした。
 
明るい話題も。
 
くる人
 
 茂山 宗彦(もとひこ)さん
 
 34才にして芸歴31年。朝ドラなどで脚光を浴びた若手狂言師。愛嬌があり、持って生まれた明るい個性が持ち味です。でも、茂山家の分家の長男という微妙な立場もあって、狂言を続けるか、悩みもあったようです。2年前に一念発起。難易度6ランクの最上位、「極重習(ごくおもならい)」の「花子(はなご)」(歌舞伎に移植され「身代わり座禅」となった作品の原曲です)に挑戦。
 
 500日をかけての準備、それを見守る祖父、茂山千作さん。90才。練習に付き合い、一緒に出すその声量、声質の豊かさ、美しさ。スゴイ。
 
 舞台「花子」は若さ故の堅さもありましたが、一門のバックアップもあって、力演、華は感じました。そのチャレンジ精神やよき。2度目の結婚生活も順調そう。でも、お酒は控えようね(笑)。
 
 ちなみに、「茂山家」の基本は、「お豆腐主義」。家庭でも、居酒屋でも、高級料亭でも愛され通用する芸が目指すところなのだそうです。
 
最近知ったこと
 
☆「江戸前の四天王」ー江戸時代に生まれ、定着した食物。出来た順番に「蕎麦、鰻、鮨、天麩羅」
 
☆なぜ、にぎり寿司が二巻ずつ出てくるのか?江戸っ子の骨格は頭が大きくて、えらが張っている。口腔容積が大きいわけです。ところが上方の者は一口で食べられない、だから真ん中で切って、ふたつにして出したという。これは幕末からの習慣なのだそうです。
 
 
2011年8月11日
 
「 白髪なく 艶ある髪が 自慢なりしが 脱けてしまうか わたしを残して 」
 
河野 裕子
 
これって切実。男の私がそう思うのです。まして女性です。「命」が失われてゆくのです。
 
 男子サッカーの日韓戦、いい試合でした。ワールドカップ予選を前にして、震災、松田選手の死のショックがあり、なでしこジャパンの奮闘も刺激になったかも知れません。それにしても、そんなことすべて超えたように、楽しそうにいきいきボールを追う選手の姿に、やはりこの人等、普通じゃない、すごいや、と感嘆したことでした。
 
 阿部野橋ターミナルビルタワー館の建設現場は、今も16階部分。耐震性を高める工事中なのだそうです。最終的に60階になるという。羽曳野の我がマンションからも、見え始めました。現在の最上部にある3本のクレーンがはっきり見えます。クレーンの上までは歩いて登るしかないので、一度上がると降りるのが大変なので、クレーンの上には、トイレも休憩室もあるそうです。こんな風に出来上がってゆく建物を見続けられるのは嬉しい。
 
 8月に入ってやっと最近、定年を迎えた、隠居した?という実感が出てきました。これも嬉しい。例年なら(特に卒業年次を担当していると)この時期、夏休みでも、9月の就職試験を控えて、志望先の絞り込みや校内選考、面接練習などが常に頭にあって、心落ち着くことはありませんでした。
 
 今は、図書館に行くにしても、眼鏡の点検に行くにしても余裕あり。暑い中ですが、車は使わず、リュックをしょってゆっくり歩いています。万歩計の歩数が増えるのが楽しみ。ローマまであと787キロ。
 
 溜まっていたビデオも見れます。昨夜は「JIN−仁」の最終話。コミックの原作とは違って、こういう風にまとめるんだ。本人同士が出会うなど、タイムパラドックスで、あれっ、と思うところもありましたが、うまく着地したと思いますし、メッセージ、感動も残りました。編集、演出、そしてキャスティング(特に龍馬の内野さん、野風の中谷さん・・・)と演技は見応えありました。
 
 余談ですが、雑誌で読んだ話。第6話と8話に登場した技術者、田中久重(演じていたのは浅野和之さん)は発明者として、携帯用燭台や医療器具などを開発し日本の近代化を支えた人らしい。でも、あえてドラマでは踏み込んで説明しなかった(原作では詳しく紹介)のは、田中さんが、後の東芝の創始者のひとりだからだそうです。
 ご存じの通り、この番組は東芝がメインスポンサー。企業PRと見られることを怖れ、ドラマ化に当たって、配慮したらしい(東芝が原子炉メーカーということもあった?)けれど、これって、気を遣いすぎでは?原作にもあるのだから、折角の人物、きちんと描いてほしかったと思います。
 
ボクシング井岡選手のファイトも立派でした。初防衛。チャンピオンになる以上に、それを維持することが難しいのだと思います。
 
最近印象に残った言葉
 
村上春樹「沈黙」より主人公の言葉
 
「僕がボクシングを気に入った理由のひとつは、そこに深みがあるからです。その深みが僕を捉えたんだと思います。それに比べたら、殴ったり殴られたりなんて本当はどうでもいいことなんです。そんなのはただの結果にすぎないんです。人は勝つこともあるし、負けることもあります。でもその深みを理解できていれば、人はたとえ負けたとしても、傷つきはしません。人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。人はいつか必ず負けます。大事なのはその深みを理解することなのです。
 ボクシングというのはー少なくとも僕にとってはということですがーそういう行為でした。グラブをつけて、リングに立ってると、時々自分が深い穴の底にいるような気分になります。ものすごく深い穴なんです。誰も見えないし、誰からも見えないくらい深いんです。その中で僕は暗闇を相手に闘っているんです。孤独です。でも悲しくないんです。
 一言で孤独と言ってもそこにはいろんな種類の孤独があります。神経を引き裂く辛く悲しい孤独もあります。でもそうじゃない孤独もあります。そういうものを得るためには自分の肉を削らなくてはなりません。でも努力をすれば、それだけのものは返ってきます。それは僕がボクシングから学んだことでした。」
 
なるほど、村上さんの文章も、彼が主人公に語らせる「ボクシング」のように深い。
 
 
2011年8月10日
 
「冷麦に 氷残りて 鳴りにけり」  篠原 温亭
 
 これも過ぎゆく夏の音、風情。でも、今年は早く秋がきてほしいです。
 
 米株価の暴落をきっかけに、国際的な株安の連鎖。本当に先行きが見えない時代です。
 そして、国内は首相退陣に向けて急展開。こども手当はもちろん、予想通り(苦笑)、高校授業料無償化等も見直し・・・もう、現場は振り回される一方です。
 
 6月に携帯電話を買い換えた際に、万歩計の機能に「シルクロード」というのがあるのを発見。毎日の歩数をキロ数に変えて、西安からローマまでの旅に変換するという優れもの。早速、登録、今日で出発から55日。408キロを歩き、今は、桜蘭を過ぎました。これって楽しい。一日何度もどこまで来たかとチェック。嵌っています。ローマまであと791キロ、到着は11月?と思いつつ、羽曳野近辺を歩いています(苦笑)。
 
 ここんとこ、なぜか、、美輪明宏さんに縁があります。ファンではありませんが、舞台「黒蜥蜴」は面白かったし、シャンソンの名曲「ボンボヤージュ」の訳詞者としても認めていました。オリジナルの「ヨイトマケの唄」は切ない。
 
  昨年末のディナーショーに続き、先日は堺市民会館での「音楽会」のチケットをいただく。呉れたのはそれぞれ別の友人なのですが、どちらも高価(今回は八千円)なものでもあるし、感謝して今回も嫁ハンといそいそ出掛ける。
 
 ホールの後ろに、超大型トラック2台。表に出ているスタッフは、揃いの紺のスーツにストライプのネクタイのイケメン達。美輪さんの趣味なのでしょう。客席はほぼ埋まっています。
 
 地方公演にしては(失礼)豪華な舞台。衣装はもちろん、装置、照明も凝っていて、最後にはワールドカップばりの金色の紙吹雪の中で美輪さんは天女と化しておりました。
 しかし、長い。MC(おしゃべり)が多いのです。まあ、その訓話?説諭?を聴きに来ている人も多かったようで、客席は満足、最後はスタンディングオベーションでした。
 
ちょっと引いて見ていた我々ですが、印象に残った言葉
 
冒頭に「こんばんは、レディ・ガガです」(観客笑)
「(自分含め、ゲイの人々を誹謗した)石原知事は天敵」
「さんざん、いじめられたけれど、やられたら倍にして、いや、私の場合は20倍くらいにして返すのが遣り方、そうやって生き延びてきた」
 
 どっと疲れたけれど、これはこれで面白かったです。帰りの車中で、嫁ハンと八千円×1,500人とは、動くお金もすごいなあ、と溜め息。そして、微妙なところだが、これってシャンソン風大衆演劇ではないか、と結論づける。それにしても美輪さん、76才、お元気。
 
 帰宅して、つい、釣られて録画しておいた本物の「レディ・ガガ」のマジソン・スクエア・ガーデンでのコンサートを見てしまう。これがまたスゴイ。
 こちらは2万3千の観客を相手に3時間、走りっ放し、踊り放し、歌いっ放し、衣装換えも10数回。ものすごいセットとダンス、演奏に感嘆。マドンナよりはるかに身体を張っている。金の掛け方も半端ではない。美輪さんもぶっ飛んで、圧倒されました。
 
 最近気になった言葉
 
読売新聞に月一掲載の黒井千次さんのエッセイから
 
 自分が最近、あちこちで気軽に他人に声掛けていることを発見。驚いて考察
 
「そのあたりが、もし年齢と関係があるのなら、多少の自戒が必要であるかもしれない。やたらと気楽に話しかけてくる愛想のいいジイサンがいたとしたら、あまり会って話をしたいと思うまい。そこには年齢を笠に着て世間を見くびる、甘えと傲慢が隠されているような気がするからである」
 
思い当たる節あり。自戒します。
 
最近読んだ本
 
「 灯籠爛死行 」 赤江 瀑
 
 久しぶりの赤江ワールド、もう亡くなって5年?ですが、たまに読みたくなります。標題作は名作「雪花葬刺し」の亜流みたいで、イマイチでした。
 
「 さよならはいわない 」 石井 好子
 
 石井さんの晩年のエッセイ。2度目の結婚の経緯が書かれてあるのが新鮮でした。最初の結婚は親が決めたもので、夫の酒癖の悪さもあって早々に破局。2度目は相手に家庭があって、悩んだようですが、結婚に漕ぎ着け、仲良かったようですが、石井さんが音楽事務所の経営に没頭し、苦闘しているときに、夫は病死してしまう。
 それでも、立ち直って、水泳を始め、声楽を学び直し、再び歌い始める・・・。
 シャンソン界の看板だったので、晩年まで舞台に立たなければならないという点もあったのでしょう。最後の舞台はさすがに声も出なくて、お気の毒でした。衣装は見事でしたが・・・。
 

2011年8月9日

「  水脈の果て 炎天の墓 置きて 去る 」  金子 兜太

金子さんは、南太平洋の激戦地からの引き揚げ。たくさんの戦友を彼の地で失いました。水漬く屍、草蒸す屍、・・・炎天の島そのものが墓として頭の映像に残っているのでしょう。

今日は「ナガサキ」の日。カタカナの「フクシマ」が加わったことを、もっと重く受け止めなければ。

昨日から夏休み。単純にうれしい。でも、忘れ物を取りに、車で早朝出勤。観葉植物に水を遣り、準備室に風を通し・・・さて、忘れ物(メモリースティック)は?これが見つからない。諦めて、家に帰ると、机の上にありました(笑)。

とにかくゆっくりできるはず?の今年の夏。でも、洗濯(干すのが結構大変)掃除やら、運動不足解消にと図書館やスーパーに歩いて通っているうちに昼に。

 午後は、なんと言っても憧れの昼寝。玄関のドアを開け、一番風の通る廊下から居間の入り口にタオルケットを敷いて、シャワー上がりのバスタオル一枚で文庫本を読む。風が全身を掠めて過ぎる。ゴクラク、ゴクラク。あっという間に寝てしまう。いくらでも眠れそうだけれど、1時間ほどで起床。アイスクリーム。

午後6時現在、室温34度。残暑の厳しい一日ではありました。

母校は初日、逆転負けでした。その、高校野球甲子園大会で話題の校歌。昨日、敗れて歌えなかった至学館のもので賛否両論あるようですが、聴いてみたら、なかなかいい。いろんな校歌があっていいのです。

ちなみに近年は、2回の攻防の前にそれぞれの校歌が演奏されていますね。

その校歌の歌詞と説明です。

 
 ◇至学館の校歌

 「夢追人」

一番高い 所に登って

一番光る 星を掴んだ

一番辛(つら)い 道を選んで

一番強い 心をまとった

海を渡る 風が吹いた

カシオペアが 近くに見えた

夢を追い続けた そしてここまで来た

でもどうしてかな熱い涙が止まらない

うつむきかけた時 君の顔が見えた

差し出された白い腕が翼に見えた

いろんなことを 経験したね

あんまり先を 急がないでね

いろんな人に 巡り会えたね

そんな旅なら 悪くはないさ

オリンポスの 丘の上から

女神様の 歌が聞こえた

夢を追い続ける もっと遠くへ行く

でもどうしてかないつもみんなにいて欲しい

一番星よりも 夏の星座が好き

君がいれば夜を越えて銀河になれる
 
 中日新聞論説委員、飯尾歩さん(51)が作詞・作曲した。取材を通じて知り合った中京女子大(現・至学館大)出身の女子レスリング選手、伊調千春さんが04年アテネ五輪で銀メダルに泣いた時、励ますために歌を作ったという。中京女子大付高が05年に共学化、至学館に改称した際、新校歌になった。

最近読んだ作品ー村上春樹短編集から
 
「レキシントンの幽霊
 
授業で使ったものの長めのバージョン。これは短い方がよかった、と思います。
 
緑色の獣」
 
庭の木の下から現れた怪獣は、「私」に恋いこがれて地中から出てきたのだ。それを邪険に残酷に抹消してしまう、主人公の怖さ。女性の怖さです。
 
沈黙」
 
 ボクシングに打ち込む寡黙な若者と社交的な優等生の微妙な確執。優等生の仕掛ける高名な罠。人間心理の深い闇の部分を描いて、心を打ちます。
 
氷男」
 
 氷男と結婚してしまった娘の孤独。人間存在のはかなさが浮き上がります。
 
トニー滝谷」
 
 上海帰りのジャズ・ミュージシャンの父と育った息子の、数奇な人生。これも孤独がテーマか。
 
「七番目の男」
 
 幼いとき、台風による津波で、年下の親友を失った(見殺しにした?)中年男性のこころの傷。この時期に読むと、余計に身に迫って感じられます。
 
「めくらやなぎと、眠る女」
 
 「めくらやなぎと眠る女」(こちらには読点がない)の短縮版。神戸とおぼしき街の郊外の耳鼻科の病院に、甥を連れてゆく青年の話ですが、こちらは、もう少し長い方がよかったと思う。省略と説明、難しいところです。
 

2011年8月8日

今日立秋。

残暑お見舞い申し上げます。

「 草笛の音色に秋の生まれけり 」 鈴木 真砂女

気温の微妙な変化で草笛の音色も変わってゆきます。それを読みとる作者の感覚。

MRI受診の報告追加。朝、嫁ハンが

「今日の高校時代のミニ同窓会(毎月やっている)の出席、取りやめたから・・・。」

「なんでや?楽しみにしてたんやから、行ったらええねん。」

「でも、気になるし、何かあったら、あなたも明日の宴会はやめるでしょ?」

「何言うてんねん。悪い結果だったら、余計に飲んで騒ぐわ!」

嫁はん、呆れておりました。

がんばって辛抱してくださいね、と言われて、連絡ブザーを持たされ、検査の器械に、頭から送り込まれつつ思ったこと

 これって、映画の「エイリアン」(最近では「アバター」)などで見た冬眠装置みたいやなあ。いろんな機械音が響くのもいとおかし。ひょっとして、終わって出たときに、20年くらい経っていたら、おもしろいやろなあ。あ、昔「タイムトンネル」というテレビドラマもあった、この体験を誰にどう伝えよう、などと思っているうちに終わってしまい、もー終わったんですか?と心配顔で待ってはった検査技師のイケメンの兄ちゃんに訊いて、怪訝な顔をされました。でも、確かに、密室恐怖症の人にはしんどいやろなあ。

 しばらく待って、ドクターから説明。もうチェックは済んでいたのでしょう、共にコンピュータ画面を見つつ、丁寧かつ簡潔な説明、首から頭頂部までの断面図には驚きませんでしたが、頭部全体を立体的に捉え、しかも、内部に自在に入り込める画面に驚倒。

 じゃ、一緒に血管を辿って確認しましょうね、と4本の動脈の状態を一本一本それぞれの小枝の部分まで追いかけて見てゆく。ここんとこ、ちょっと細くなっていますね、でも、大丈夫、これは「隠れ脳梗塞」、だれでもあるので心配いりません。これは「海馬」、正常です。最近もの忘れが激しいのですが・・。それはお年のせいです。

こちらの理解度を測りつつ、時間をかけて穏やかに説明していただく。W先生が評判いいのがわかりました。当分は大丈夫、2,3年後に気になることがあったら、電話してください、また検査しましょうと、言っていただく。

パソコン作業などからくる目の疲れ、肩こり、首のこり、こういう筋肉のあちこちの疲労が、うまく解消されず、アンバランスになって頭痛を生んだのだろうということです。首をよく回し、腕を回して運動すること、塩分を控えること、水をしっかり飲むことが大事といわれました。気をつけよう。

最近印象に残った言葉

田辺聖子さんへのインタビュー記事から

「 浮舟は、女として同感できるところが多いんです。現代なら、もっといろいろ計算して、と思いますけど、『こんなふうになってしまうの。なぜか、なってしまうの『』と浮舟が、言うと、可愛くって、『もう、それで、あんたはいいの』と言いたくなります。

結局、浮舟は、真面目で、几帳面で、かたくるしい薫を、尊敬はするが愛せなかったのですね。匂宮に連れ出された、ひととき、はじめて浮舟は青春と陶酔の甘美を知ったのです。」

なるほど、浮舟に対して、ちょっと腰の軽い半端な女性像を描いていましたが、こう言われれば納得。

2011年8月7日
 
「 昼蛍 黒くかたまり ただの虫 」 阿部 みどり女
 
 夢と自覚していた昨夜の夢の中で、大事な言葉を聞いて(たしか薬の名前?)、これは書きとめておかにゃと、起きあがって、枕元のメモ用紙に記して安心して寝て、眼が覚めたらそのメモがない。あれも夢だったのです。それにしても、あの言葉、気になるなあ。
 
 6日、嫁ハンのライブで北新地へ。淀川花火とぶつかって、浴衣姿もいっぱい。クラブは飲み放題だったけど、客少なし。嫁ハンは、身内のような客ばかりだったので、気楽に?珍しいシャンソン、「夢見るハワイ」など歌う。そして、8月6日なので、ジョルジュ・ムスタキの「ヒロシマ」。遠くのフランスにヒロシマを忘れない詩人がいる。
 
 ビールとワインをしっかり飲んで、ライブ終了、電車混んでるだろうなあ、真っ直ぐ帰ろうかと思ったのですが、嫁ハンの知人がジャズの定期ライブをやっているというので、一緒に近くのライブハウスへ繰り込む。
 
 K学の軽音楽仲間が40年以上続けているという。ここも客が少ない。ボーカルだけはゲストで、昨夜は若くきれいな女性(白いドットの入った細めの黒いドレスー細い二の腕がうつくしい)、歌いながらこちら(私だけ)を見て、微笑んだり、意味ありげな目配せをしていると思ったのは酔っぱらいの妄想?(笑)。
 
 それと70過ぎ?でもお若い料理研究家の程さん、ジャスも歌ってはったんだ。元気にスィングしてはったけど、最後に「マイ・ウェイ」を歌い上げたのは個人的にはげんなり。ちょっと声の出るおじさんはこの歌を歌いたがるようですが、個人的にはどうもなあ。
 
 でも、学生時代ジャズ仲間がここまで続いているのがいい。何より仲良くイキイキ楽しんではるのがすばらしい。嫁ハンの大学の先輩達にもあたるので、終演後、ウィスキーを飲みつつ歓談する。
 
 終電も、やはり花火見物帰りの客ですし詰め。浴衣姿が乱れている。家に辿り着いて即、寝てしまう。そしてあの夢。飲み過ぎが続いています。しばし禁酒します。
 
 最近知ったこと
 
 「ご飯」と「飯(めし)」の違い
 
 炊きたての銀シャリだけがご飯、それ以外はすべて飯。炊きたてのご飯が冷めると飯に降格、具が入っているのも飯。ー杉浦日向子さんの江戸塾から
 
 じゃあ、「松茸ご飯」という言い方はおかしいのですね。
 
 

 

2011年8月6日
 
「 彎曲し 火傷し 爆心地の マラソン 」 金子兜太
 
 広島市内を走る現代のマラソンランナー。喘ぎ喘ぎ走る姿に被爆者の姿が重なる・・・。
 
 甲子園大会、開幕試合に母校が出場。夏の大会は独特のムードがあります。始球式で、出場出来なかった東北のチームの3年生投手が投げたシーンからもう涙ぐんで見ています。緊張して、投げた後の笑顔。彼にとって高校野球生活最後の一球がこの大舞台でした。ありきたりの表現ですが「一生の思い出」になるでしょう。
 
 甲子園大会やオリンピックを批判しつつ、つい見てしまう。母校にピンチが続いています。
 
 5日、応募前職場見学に生徒を連れて大和郡山へ。ものすごい俄雨に襲われて、びしょびしょで辿り着く。丁寧に対応していただき、寮なども見せて頂く。6畳でひとり部屋。寮母さんも気持ちのいい方。失礼するとき、事務所の職員全員がさっと立ち上がって笑顔で見送ってくださる。社員教育が行き届いています。でも、この方々に私がお会いすることはもうないでしょう(もしお会いしてもわからないー苦笑)。これも一期一会か。
 
 一度家に帰って、ネクタイを解き、濡れて汚れたズボンをクリーニングに。シャワーを浴びて、着替えて、今度は甚兵衛姿で阿倍野へ。退職時に前任校の仲間からいただいた「天野酒」を飲もうぜ、といつもの店の仲間に声かけておいたら、なんと常連が9人も集まってはる。こりゃ、ひとり当たりの飲み分が減るんじゃないかと焦りましたが、心配無用。別の差し入れがあったりして、たっぷり飲んで、結局落花狼藉の大騒ぎ。ナツメロ大会(カラオケなし)となりました。もちろん、天野酒はめちゃおいしかったです。
 
 あ、土産に持っていった、わらび餅、店の冷蔵庫に入れたままで、食べるのを忘れた(苦笑)。
 
 

2011年8月4日

「 雀蜂 知らん顔して すれ違ふ 」 廣瀬 悦哉

事故や、不幸とあっという間にすれ違って居ることもあります。あとでぞっとすることも。そしてすぐにそのことを忘れている。

 応募前職場見学の希望者が例年より少ない。これって心配。現実的には受験の可能性のあるところへは行っておくべしだし、そのことが面接などでもはっきり有利に働くのに、バイトがあるとか、遠いとか、運賃がかかるとか、行って消極的になっている。そんなんじゃ、絶対受からへんで、東北から受験にくる子とも勝負せんとあかんのやで、やる気を見せにゃ、と言ってもなかなか理解できない。自分に自信がないこともあるけれど、まあ、フリーターでもいいや、仕方ない、どうせ・・・という意識が見える。そして、格差社会はますます進行してゆく・・・。

進学講習の準備で、久々、あちこちの入試問題を解いて、しんどかったけど、おもしろかったです。

印象に残った評論は、桂川満さんの「電子ブックと書物としての身体」、上田紀行さんの「働く意味を取り戻せ!」など、ああ、こんな見方もあるんだ、新聞や週刊誌を流し読みしたり、小説、エッセイばかり読んでいたらあかん、評論も読みこまにゃ、と改めて思わされたこの夏でした。

小説の問題では、重松清さんの「ライオン先生」。風に靡く長髪が売り物だった高校の国語教師が、中年になって毛が抜けて実は鬘をつけてごまかしている。ある日、成人式を控えた娘から、一重まぶたを二重に整形したいという相談を受け、激昂してしまうが、娘に「お父さんはどうなの?」反論されて、鬘を取るはめになる・・・身につまされる(苦笑)話です。

森見登美見彦さんの 新釈「山月記」。これも知らなかった。李徴は京大生の斉藤秀太郎。世俗にまみれることを嫌い、作家を目指すが、文名は揚がらず、祇園祭の夜に出奔する・・・。これも全文読んでみたい。

 最近、河内松原から徒歩通勤通しているのですが、その途中にある気になるもの。

歩道に直角に張り出した物干し。ちょうど頭の高さで、ひょいと身をかがめて潜らなければならない。これって危ない。この道を教えてくれた同僚に訊く。

あれって、危なくない?

危ないでしょ!僕なんか2回おでこを打ちました。

それ、あかんやろ?もし子どもなんかが自転車で立ち漕ぎなどしていたら、もろに顔や頭を打つ、下手したら大けが、死ぬこともあるで!

でも、あそこのおばあさん、何度か見かけたけど、難しい人みたいですよ・・・。

俄然、ファイトが沸いてきました。その日の帰りに通りかかった時、残念、おばあさんはいなかったけれど、台ごと動かそうとして、その前に、通路に張り出した物干しの腕の部分をぐいと押すと、あらら、簡単に曲がるではないか!そのまま、歩道に平行に直して立ち去りました。

洗濯物?物干し竿でなく、ロープを張ればいいのです。そもそも公道の上に危険なものを置くのはダメだし、ましてそれに下着などの洗濯物を干して、歩いている人を車道に迂回させる、またはその下を潜らせるなんてマナー違反もいいとこです。家には裏庭もあるみたいなのに。なんで付近の人は黙っているんだろ?

そして、翌朝。予想通り物干しは元通りになっている。

よーし。これから第2ラウンドです。

ご心配かけました。MRI検査は異常なし。10年前の検査時は、火葬場で窯に入れられるような不快感がありましたが、今回は好奇心が上回り、さまざまな音、振動もエキサイティング、あっという間の15分でした。コンピュータ画面を駆使しての医師の説明もめちゃ明解。まるで「ミクロの決死圏」(古い!)。脳内は、海馬も各血管もすべて正常(隠れ脳梗塞はいくつかあるが、これは普通なのですって)。頭痛は肩凝りや首の疲れからくる表面的なものらしい。あと2,3年は大丈夫、気になったらいらっしゃい、と笑顔で送ってくださる。行ってよかった。姫松、北畠のあたりも、もっと歩いてみたい。

帰りに天王寺の立ち飲みで一杯だけ祝杯。おでん3本とビールで700円のはずが、1000円払って、なぜかお釣りが700円。ま、いいかっ(笑)。

サッカーの松田選手、亡くなったのですね。痛ましい。あれだけ鍛えていて、心筋梗塞なんだ。

中国リポート 5

泰山は大平原に立つ花崗岩の大きな塊。半分は松に覆われている。標高は1500メートル余りでそれほど高くはない。ただし、山は深い。世界遺産に指定されており、一般の車両は乗り入れ禁止なので、専用の登山バスに乗り換える。これが時間が来ても発車しない。もったいないからと、区切りのよい人数が集まって、満席になるまで待っている。

なんとか発車。日本で見かけるのと同じような渓流沿いを登ってゆく。水はきれいで、あちこちの淵で人々が水浴び、水泳をしている。ロープウェイ乗り場に着くと、ここでも人数揃えの時間待ち。実は、私は歩いて登りたかったのですが、時間の関係と、団体行動ということから、諦めておとなしくロープウェイに乗り込む。

景色はさすがにすばらしい。切り立つ岩、深い谷を越えて20分余り。山上駅。でも、ここからまた結構歩くのです。坂道を多くの人々と登るうちに、一番年長の方(81歳)の姿が見えなくなる。

ガイドさんが焦って、

ワタシ、探しに行ってきます、あと、お願いします、どこそこの門で待っていてください、と私に先導用の△旗を、ぱっと押しつけて走ってゆく。

おいおい、なんで私?どこそこ門ってどこ?こちらも戸惑ったけれど、職業病かしら、すぐ開き直って、じゃあ、みなさん、固まってゆっくり登りましょう、などと大声を出して、旗を振っている(苦笑)。


2011年8月3日

万年の 水のかたまり 夏の河馬 」 坪内 稔典

 

 被災地支援で、職員バザーに加え、あちこちその残りを売り歩いたのが一段落して、その売り上げをどうしようか悩みました。迷わず日赤に送ってもいいのですが、組織が大きすぎて、今は動きも遅く、支援相手の顔も見えない。そのとき、同僚から仙台に「外国人の子ども・サポートの会」というのがあると教えてもらいました。

 

 南三陸町、石巻市で、家を流失した、また、日本人の父親を亡くして中国人の母親と子どもが残った家族が8家族あるそうです。南三陸町の佐藤(張)さんはじめ、それらのご家庭に支援金として送らせていただくことにしました。

 

 尚、この組織は、外国人の子どもに限らず、流失、浸水で辞書を無くした児童生徒に、辞書等を集めて送る活動もしており、出版社や書店とも交渉を重ねているそうです。8家族のうち、2家族には高3、中3の受験生がいます。避難所で勉強するも大変やろなあ。

 

中国リポート 4

 

 2日目も快晴。内陸なので?予想以上に暑い。まずは朝一番に「山東美術館」へ。出来上がったばかりという、とにかくばかでかい豪華な施設。国立美術館と言われても信じたと思います。

 

 玄関を入るといきなり幅50メートルくらいの光り輝く大理石の大階段が最上階(3階ですが一階が10メートルくらいある)までぶち抜いて伸びている。そこに巨大なサッカーボールのような球形のガラスの天井から、夏の光が降り注ぐ。客の多くは、その美しく冷たい階段で気持ちよさそうに涼んでいる。遠足なのか中学、高校生?も多い。この階段を見ただけで、まず満足する仕掛けみたい。各階左右にそれぞれ広い展示室があるのですが、これをすべて鑑賞するのは一日仕事でしょう。

 

 それを30分で見ろという。何それ?1階左翼の昨日見た場所で発掘された清州仏だけ見てください。でないと泰山に登れませんよ!と脅すガイド。

 

 しゃあない、とにかくどたどたと一同、一階左展示室へ。

 

 薄暗い室内にすし詰めのように窮屈な感じで仏様が並んでいる。目当ての発掘間もない清州仏。すらりと美しい立ち姿。

 あれ、これどこかでお目にかかったような、確か法隆寺の・・・と呟くと、隣にいた、ツアーのひとりが、救世観音さんに似てはるね!と応えてくれる。誰かが、写真いいのですか?ガイドさんが、いいですよ、それで、ばしゃばしゃみんな撮り終わったころ、係員の人が来て、写真、止めてください。これって、出来レース(笑)?

 

 欲張りな私は、みんなから離れて、大理石の会談を駆け上り(エレベーターなんて待っている間がない)3階から順番に走り回って降りてゆく。3階は山東省の歴史と文化を時代別に展示してあるのでした。昔の運河の町を再現したりして興味あり。

 

 2階は、主に孔子に関しての展示。そういえば孔子の故郷、曲阜まであと数100キロ(これって中国では近い?)。はーはー言いながら、集合時間にセーフ。

 

中国全土に、このような大きな施設がどんどん出来ているそうです。体育関係の施設も多い。ただし、巨大で立派で、収容人数も多いのですが、利用はイマイチだそうです。それで、維持するのが大変なのです、とのガイドさんの言葉。どこも同じようなことをやっているんだなあ、とため息をつきながら、一路、泰山へ。


2011年8月2日

 今年のPL花火は例年にも増してきれいだったように思います。朝から強い東からの風が吹いて 、煙が西に流れたこともあるのかもしれません(美原、狭山、泉北、堺方面の方々ごめんなさい)。癌闘病中の友人はどんな思いで見たことでしょう。独身時代は毎年、狭山の彼の家から、酒を飲みつつ花火を見たものでした。

 わが家は今年は9名の客、てんぷらを揚げつつ、ちらし寿司、軟骨のからあげなどで賑やかに宴会。長男のお嫁さんが早めに来てくれて料理を手伝ってくれて、助かりました。年々、人間関係も変わってゆきます。

 やはり、酔っぱらって、いい気分で寝込んで、夜中に頭痛で目が覚める。頭頂部のちょっと右、頭を打った時のような表面的なズキズキする痛み。二日酔いの痛みではない(苦笑)。しばらく考えて・・・あれ、これって、身に覚えあるぞ、10年近く前に、偏頭痛(同じ部位)で医者に行ったな、あの時はMRIで異常なしと言われ、安心して、しばらくしたら痛みも引いたっけ・・・。

 朝になっても、微妙な痛みが残っている。なんや気持ち悪い。職場に行って養護教諭の先生に相談したら、脳神経外科の名医という方を教えてくださる。講習が終わって、午後半休を貰って、インターネットで確認、思い切って出掛ける。天王寺から阪堺線で10分余。「姫松」で降りる。医院はいっぱいの人。待ち時間は長かったけれど、問診が終わって、詳しい検査は後日ということに。

 先生は噂(ネットの書き込みも)の通り、きさくで誠実な感じの方。安心して委ねようと思いました。私も60になって、定年を迎えて、体もあちこちガタが来始めているのでしょう。ひとつづつ、その都度チェックしてゆくしかありません。90才の両親の心配をするより、まず、自己管理しなくちゃと自戒。

 姫松、そして帝塚山近辺はさすがに落ち着いた街並み。表通りはもちろん、横道に入ると大きなお屋敷や瀟洒な洋館、おしゃれなカフェ、バー、レストランなどがいっぱい。確かに魅力的ですが、ちょっとセレブで気取った感じ。私はもっと下世話でごみごみした町の方が好きです。

 帰宅したら、義母が喘息で病院に行ったという連絡。車で駆けつける。点滴で治まったので、家に連れて帰ろうとしたのですが、大丈夫だというので、家まで送る。80才。こちらも安心できません。

 改めて帰宅したら、弟から留守電が入っている。実家の近所の小父さんが今夕、亡くなったという。ここ数年、膀胱癌で闘病中でした。子供の頃、随分可愛がってもらった記憶あり。知っている人が元気を失ってゆく、次々去ってゆくというのは、こころにぽこぽこ穴を開けられるような虚脱感があります。

今、サッカーの元日本代表、松田選手が倒れたとのニュース。心筋梗塞らしい。うーむ。

朝日新聞の記事から

 東日本大震災で父母のいずれかが死亡または行方不明となった18歳未満の震災遺児は、被災3県で1295人に上ることが厚生労働省のまとめで分かった。内訳は岩手445人、宮城711人、福島139人。同省が各県に調査を求めており、今後も増える見込み。

 

 1日開かれた参院復興特別委員会で、細川律夫厚労相が7月29日時点の数を公表した。細川氏は、一人親家庭に対し、遺族年金の活用や積極的な就職支援をする考えを示した。

 

 また、同時点で両親とも死亡または行方不明の震災孤児(18歳未満)は229人。岩手91人、宮城117人、福島21人に上る。このうち91人について、祖父母や両親のきょうだいなど3親等以内の親族が里親になる「親族里親」が認定されている。

 

 「親族里親」が半分以下ということは、祖父母、両親の兄弟も多く行方不明などになっているということでしょうか?保護者のいない状態での就職活動も厳しい。そして、それを迎える大阪などの就職状況もさらに厳しい。

中国リポート 3

青州の街には思いの外、イスラムの匂いがしました。あちこちに見えるモスクや建築の様相、イスラム系の人も多いらしく、はるか昔から生活の中にイスラム文化が根付いているようです。さすがシルクロードの延長線。

立ち並ぶ新築高層マンションばかりが目立ってきたので、もっと古い町の部分を見たいと言って、案内してもらったのが「青州古街」。確かに古い。数百年は経っているであろう町並みの、屋根は傾き、道路はぼこぼこ、石畳が剥がれたり、水で抉られたりして大きな凹凸と砂埃。その中をバイクが跳ねるように走っている。暮らしているのは3分の1くらいで、あとは空き家。たまに営業している商店の佇まいは昭和の初めの雰囲気か?理髪店の古びた椅子や、鏡、洗面器、醤油屋の樽・・・風情があるとも言えますが、ゴミと埃と建物の痛み、安全面での問題もあり、ここで生活するのは大変だろうなあ。

京都の古い町並みや町屋のように整備して 、観光スポットとして売り出す気もないみたい。やがて、迫って来ているマンション群に飲み込まれてしまうのでしょうが、ちょっと残念な気も。せめて映画のロケやドキュメンタリーでこの街の映像を残しておいたらと思うのですが、後で思えば、このレベルの古い街は中国にはものすごくあるのだと痛感。開発と保存、どこの国でも難しい問題です。

ホテル(○○国際大飯店)はこの旅行で随一の高いランクのものとガイドさんが力説(明日から順番にランクが下がります、スミマセン、と正直なことー笑―実際はそうでもなかったけど)した割に、表面豪華、実は正面玄関近くの通路に穴があいていたりして、これは先に触れた高速鉄道と同じ感覚。

夕食のビールが一本15元(200円ちょっと)で安い!と思ったけれど、その後、街のスーパーマーケットへ買出しに出たら、なんと4元(50円ほど)なのにびっくり。もう、ダイエットなどぶっ飛んで、飲みまくったことでした(苦笑)。

2011年8月1日
 
「 人声を 風の吹きとる 花火かな 」 涼菟
 
 31日、朝5時、石川サイクリングロードを走る。夏至からひと月余り、やや朝が遅くなりましたが、河岸には人がいっぱい。 日曜ということもあるのでしょうか?夫婦で歩く人はなぜかむっつりしている(笑)。自転車、スキーのストック2本持って早足にゆく人、犬もいっぱい。ちょっと賑やかすぎましたが、気持ちのいいひとときでした。体調(体重)も考え、これからこういう時間をもっと持ちたいと思います。
 
 忙しかった7月が過ぎてゆきました。仕上げは義父の7回忌。大阪市内の菩提寺で。住職の息子さんがもう大学生になって、脇を勤めてはる。読経の声ももちろん大人の声。
 
 精進落としは上の息子の勤務するホテルへ。タクシー2台で移動。息子達の乗った車は正面に着けないで、彼らはホテル手前で下車。従業員だから当然です。玄関で我々の車を迎えてくれたベルボーイさんが、荷物が多かったので、わざわざ部屋まで送ってくれる(普通は部屋係が引き継ぐ)。彼はたまたまその後、廊下で息子とすれ違ったらしく、
 
○○くんが送ってくれたらしいね、後輩なんや。
ああ、よく気が付く感じのいい人やね。
でも、彼、今日で仕事辞めるんだ。
えー、もったいない。これからどうするのかな?
故郷に帰って、別の仕事に就くらしいよ。
 
これも一期一会なのでしょう。
 
 1日、晴れて風の強い日になりました。PL花火が本番。昼花火が打ち上がっています。朝からベランダ、網戸、ガラスの掃除。夕刻、嫁ハンの友人と、息子夫婦とその友人が併せて10名来ます。私の友人グループには今年は声を掛けませんでした。ごめんね。
 
 これから料理にかかって、酒を整えて・・・昨夜、飲み過ぎたので今夜は控えます(笑)。
 




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